日常次元での「治療的副作用」への想像力(第3版)
当ブログの<<「症状」こそ「自然治癒」の働き、という場合もある>>という記事、最近「今週のベスト20」に時々ランキングされ、お読みいただける皆様が増えていることに感謝いたします。
そこで引用させていただいた、神田橋先生の次の言葉を出発点にして、今回は書きたいと思います。
「治療は,有益な時も、無効の時でも、必ず生体に対して有害な作用をもたらします。そして副作用として表現されるものは、もっぱら生体[恒常性]の対処反応であり、歪み自体ではありません。(中略)治療者は、治療の名のもとに、どのよう歪みを引き起こしているかについて、五感と想像力を駆使して推察する必要があります。」
神田橋條治:"「現場からの治療論」という物語"p.56-57より。
ここで、以前解説したのとは別の観点からこの言葉をとらえてみます。
治療が、「有益な時でも、無益な時でも」、必ず生体に対して「有害な」作用をもたらす、といわれてしまうと、「そんならどうしたらいいの?」とお感じかもしれませんね。「五感と想像力を駆使して推察する」てったって、どうすればいいの? それが難しいんでしょうが?....と。
「こんなふうだから」神田橋先生の治療論は「アート」だ、と、いろんな方からいわれてしまうわけでしょうが(^^;)。
*****
でも、ここで神田橋先生が言われたいのは、
「治療者自身は、心理療法過程が前に進めば、治療がどんどん楽に進み、治療者もその技法を「同じように」繰り返していればよくなり、クライエントさんも楽になる、などと、軽率に考えるなよ!!」
ということだと思います。
この神田橋先生の発言と照らし合わせると興味深いのは、中井久夫先生が様々な著作の中で繰り返しお述べになった、
「患者さんは治療という『仕事』をしているのである」
......という発言かと思います。
しかも時間とお金を奪われる『仕事』です!!
......そういえば、
「楽しいことも疲れる」
という名言もありますが、
それは今は置いといて..... / ^^:/
*****
神田橋先生も、中井先生も、こうした言葉を、実は精神神経科に限らない、すべての医療に通じる問題として普遍化して述べている点に注意する必要があると私は思っています。
例えば、歯医者さんに通うということは、歯の痛みをはじめとする苦痛から解放されるためのものなのですが、そのために長期間に及ぶ時間とお金、更に治療過程での苦痛を代償とすることが少なくないわけですね。
なるほど、抜歯をするときは麻酔を注射してもらいます。しかし、あの注射には独特の凄い痛みがありますよね。
.....私なら、
「歯ぐきに何か<<痛みの塊>>みないなものを膨張する形で『圧入』される感じ」
といいたくなりますが。
(こういうひどく「感覚的な」事柄について伝える比喩のセンスの向上に,フォーカシングを「身につける」ことは貢献します.....と自己宣伝)
....私は子供の頃、これが嫌で歯医者でワンワン泣いていた一時期があります。
これそのものが、麻酔の最初の「副作用」だと思います。
そして、麻酔の効きがイマイチだと、痛い部分を,思いもよらない瞬間に、どんでもない痛みで、ぐわわわわーーーーんと「掘削工事」されはじめる事態になる。そして更にあの「痛い注射」が追加される!!
痛みが消えて治療が進む間も、なんか知らんけど、ドリルやら、トンカチめいた衝撃が伝わるものや、やっとこみたいな「工具」で、自分の口の中が「工事」され、削られた歯の粉末の独特のにおいや血の味、膿のにおいがしているのを感じ取るだけで、身体にただならぬ緊張が走る。
麻酔は数十分後には切れ始め、痛み止めをもらっても、傷のうずきがまるでないということなどない。数日間はそのうずきというストレスに耐えことになる
特に奥歯の抜歯の後は、仮に縫合されていても、何かを食べるとなったらかなり痛むどころか、そこに食べ物の一部が引っかかったままになった時の痛みは結構凄いもの。
そして、抜糸をした後も、歯ぐきには空洞が残るわけで、普段は気にならなくなってきても、ご飯粒ひとつがズポッと入り込んだりしたら最後、激痛になる場合もある。
そして、歯ぐきの肉が盛り上がり、入れ歯の型を作れるようになるまでの間、数週間、それまであった歯がそこにないゆえのぎくしゃくした食べ方に耐えることになる(徐々に慣れはしますが)。
そして、あの型を取るための石膏のようなものにかぶせる「歯ぐき型の網状の金属」が歯ぐきにあたったまま10分は耐えるというのがこれが痛い。
更に、入れ歯ができても、歯ぐきと合わないと歯ぐきは痛い。特に食べ物がはさまると最悪。部分入れ歯は、得てしてそれをひっかける歯に何らかの痛みを感じさせることも多い。
そして、口の中の空間が狭くなることの違和感と最初はかなり戦うはめになるし、何らかの意味で言葉を発音する際に以前のような舌の使い方では発音できない苦痛というのがあります。
.....これだけの難行苦行を乗り越えて、自分の身体の一部のようになり、普段はつけているのを忘れるくらいの入れ歯に巡り会えた人は幸せです(^^)。得てして、いくら修正しても、歯ぐきが痛んだり、簡単にスポッと外れる現象が生じる。
こうして身体の実感から細かく「想像して」みると、歯科治療においてですら、人がどれだけの「副作用」としての「苦痛」を代償としている面があるのかがわかります。
******
日本語で「セラピー」というと、何か「癒し」と結びつくポジティブなイメージがあります。
しかし、現実には、何らかのたいへんな状態にある人にとって、そもそも日常の中の一定の時間を割いて、精神科、心療内科やカウンセラーのある「場所」に「定期的に移動する」という行為そのものが何らかのストレスになることも多いでしょう。
自分の普段の生活圏内に無理なく治療機関・相談機関が「所在」する環境に恵まれている方は必ずしも多くないと思います。鬱の人が重い足を引きずり病院にたどり着くまでのストレス。閉所恐怖、対人恐怖の人が長時間待合室で待つストレス。予約制でも、その予約時間に確実にたどり着くことそのものがストレスになる状態の人は稀ではないでしょう。
(もっとも、中には、そうやって治療機関に通うための特別な寄り道の「行程」そのものが、すでに苦しみに満ちた現実の単調さから自分をほんのひととき救ってくれるオアシスのような息抜きになるという皆様もおられるかもしれません)。
そして、実際には、面接の場でのやりとりというのは、仮に話をうまく聴いてくれるいい先生であった場合ですら、クライエントさんは実は結構「疲れる」ものです。
親切な先生であっても、自分が本当に伝えたいことを伝えることの難しさ。
思いもよらない瞬間に先生の反応に当惑したりショックを受けることが全くないままということはなかなかない。
そこまでいかなくても、面接の後、何となく疲れたとか、それどころか「退屈感」、それまで感じなかった新たな不安がわき起こることもないわけではない。
仮に心穏やかに家路につけても、家に帰ると、あるいは翌日になると、また苦悩のもとのストレスフルな日常世界、ないし、日常生活から「疎外されている」と感じさせられる居場所が待っている。その「ギャップ」を自分で支えねばならない。
お金と時間をそのために使っているということもストレス要因。
治療やカウンセリングに通うということそのものが、家族にせよ、職場にせよ、周囲の人間との「何らかの」新たな摩擦や軋轢(あつれき)というストレス要因になることも少なくないのです。
下手に治療やカウンセリングの内容を家族や友人にそのまま話すと、ああだこうだ勝手な感想を言われまくるのもすごいストレスになることがあります。
逆に、治療やカウンセリングに通っているのを「隠している」というだけでもストレスになる方も多いでしょう。
*****
医療に限らず、カウンセリングや心理療法の「副作用」を考える際には、まずはこうした次元でクライエントさんが体験するストレスに対する「想像力」からスタートしないとならないと思います。
それらの「反作用」「ストレス」にもかかわらず、でも、通っただけの甲斐があった、と、最終的に感じてもらえるために、医者やカウンセラーは、いつどの時点で、どういう配慮をしなければならないのか?(面接や通院を取りあえず休むことや、他の機関への紹介のあり方すら含めて)
......こうしたことを思いつつ、日々の精進を重ねている私です。
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この「第3版」までの増補で、ほぼ今私が語れる、この問題についての完結した文章に仕上がったと思います。興味のある方はご再読下さい。
投稿: こういちろう | 2006/12/19 17:46
この記事で、
「歯医者さんに通うことの最大の『副作用』は、麻酔の注射にはじまり、入れ歯のあわなさの苦痛に至る、さまざまの『苦痛に耐え』ねばならないことである」
という、一見人を食った議論をさせていただきましたが、現在「も」地道に読み進めている(^^;)、茂木健一郎さんの『脳とクオリア』の中で、次のようなことが書かれています。
>「快感」はその刺激が生存に適しているからこそ、「快感」でなのである。あるいは、「苦痛」は、その刺激が生存にとって危険だからこそ「苦痛」なのである。.....確かに、このような議論は一見もっともらしくてわかりやすい。(中略)
だが、重要なことは、「快感」のクオリア(=「感じ」それ自体の感触そのもの)自体に、生物体が「快感」の原因になっている事象に近づくことを必然とするような属性は存在しないということである。同様に、「苦痛」のクオリア自体に、その原因になっている事象を生物体が必然的に避けねばならないような属性はない。
実際には、生物体は、快感や苦痛に対して、その認知機構に基づいて、非常に柔軟に対応しているように思われる。
例えば、私たちは、歯医者に行くことが「苦痛」を伴うことであっても、それが長期的に見れば生存の為に好ましいので、歯医者に行く」(pp.150-1)
実のところ、そうだとわかっていても、なかなか迅速に歯医者に行かないために歯の具合が具合が一像悪くなるというジレンマから全く人は自由ではなく、その意味では、身体的苦痛は「長期的」生存には無関心ともいえるかもしれない。
ただ、人間において「快」となり得るもの非常に多くが、実はそれが身体になじむまではむしろ「不快」刺激であるということも確かである。
指圧などの治療法で「ツボ」を押されることなどその典型であるし、恐らく性的快感の多くも、「学習」されねば「苦痛な」刺激のままであろう。エロスが常にタナトスの裏返しでもあるということは、フロイト以来繰り返して言われてきたことではあるが。
その意味で、人間の快・不快そのもの「感覚それ自体」の中に、生存を持続させるのに有利なメカニズムが自動的に組み込まれているかどうかは、確かに疑わしいとは言えるだろう。
.....というか、「快・不快」という刺激そのものが、互いに「対極」であることの決定的根拠はないと思う。
あるのは、神経の「興奮」と「弛緩」の違いだけという気もする。
いわゆる「鎮静」ですら、別種の「興奮」であり、その鎮静のみを維持しようとすれば容易に「嗜癖化」し、狂おしい苦痛と共に探求されるものになる気がする。
ちょっと本文のテーマとは必ずしも結びつかないかもしれないが、茂木さんが、「歯医者の比喩」を持ち出したことそのものに「勝手に連帯」して思わす引用してしまった.....以上の深い意味は読み込み過ぎないでいただきたい(^^)
投稿: こういちろう | 2007/04/27 22:49