「甘える」と「甘んじる」の弁証法
「甘える」とは、
自分の気持ちや願望を、相手に遠慮なく、平気で「.....を欲しい」「.....を.したい」「......はいやだ」などと言えることではなく、
何も言わなくても、自分の気持ちを相手が「察して」くれることを当然のように期待している自分に気づかないままででいる状態だということ。
このことを天下に示したことこそ、土井健郎さんの「甘え」理論最大の功績である。
だからこそ、甘えという言葉が「 」入りで表記されているのだ。
甘えられれば、もう「甘え」ではない。
土井先生自身の言葉を借りれば、「甘えたくとも甘えられない」状態、こそ、「甘え」である。
実はこの土井先生の言い方そのものが「パラドクス」だということに気がつかない人は、土井先生の「甘え」の理論を字面でだけ、頭だけでしか理解していない。
「甘え」とは、実は結果的に人に甘えを出せないまま、"隷属"する=「甘んじている」状態であり、なおかつ、人を自分の思うがままに(感じるままに)操縦し、”支配”しようとしていることに気がつかず、そのことを感じられない状態でもある。
........これらのことが、私がフォーカシングと接し、自分なりに身につけ始めた初期、20数年前の、ごく初期の気づきであった。
しかし。
その後の私も、甘えたくても甘えを出せないまま、「すねて」いただけの自分に、繰り返し直面することになる。
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