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2006年12月

2006/12/31

秘密は曲順と歌唱「モード」の切り替えの絶妙さにある?-DVD"ayumi hamasaki arena tour 2006 A”(2)-(第2版)

 さて、すでに代々木での今年のカウントダウンコンサートの一日めが昨晩終わったところでしょうが、ayu様は、ご機嫌うるわしうごさいましたでしょうか?(^^)

 それはそうと、DVD"Ayumi Hamasaki Concert Tour 2006 A”を題材に、ayuのライヴ歌唱力の向上の秘密を探るシリーズ。

 前回は、そのようになる上で大きな転換点となったと思えるのが、2004年のMTV AWARDの授賞式の日の"Becaou of You"一発ライヴでの、それまでとは異次元のayuのパフォーマンスではないかという私見について述べました。
 
 今回は、この最新ライヴDVDが収録された、代々木のツアー最終日を実際に観客席から観た時の印象と、DVDで観なおして感じられて来た、具体的なポイントについて、コンサートの曲の流れに即して述べて観ようかと思います。

 ちなみに、ライヴDVDそのものは、微妙にシーンによって「つまみ(短い編集カット)」をいれていますが、少なくとも大半のシーンは「最終日そのまま」の映像と歌唱だと思います。楽日の前日の代々木でも、撮影の予行演習も兼ねてカメラは回していたのでないかと思いますが、このへんのことは私は知らないままです。

 ....それにしても,体育館天井下に設置された長いレールを、リニアモーターカーのように猛烈な勢いで、ステージ側とバック(代々木体育館では東西方向ということになる)をシューンと行き来する自動カメラには、見晴らしのいい2階席の前寄りの席だった当日、会場でたまげたけど、DVDでも鮮烈な映像効果出してますね。すごい広角レンズをつけてたわけだ。これは初の試みですね。

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 さて、ともかくayuの歌唱力は伸びている。少なくとも最終日にステージ上で音程を乱してしまう瞬間が皆無に近くなってるし、長野の2日めでも、"STEP you"までは音程こそ結構外したけけど、この曲を境に、驚くべき「立て直し」に成功し、浜崎あゆみ - (miss)understood - is This LOVE?"is This LOVE?"浜崎あゆみ - (miss)understood - (miss)understood" (miss)understood"あたりでは、アルバムCDとはまた別の次元で曲の深みを感じさせてくれる名唱になり、あとは最後まで度肝を抜かれ続けたわけです。

 ayuは、コンサートライブにおいて、ツアーにおける基本的な舞台装置と、曲順の基本ラインはいじらないけど、刻々と試行錯誤と手直しを続け、SEも毎回変わり、ある意味で、2度と同じライヴをやっていないかのような印象を与えることは、おっかけのコンサートゴーアはご存知でしょう。昔から知られた「恒例曲」の配置や曲そのもの変更は結構やっていくようですが。
 
 そういう中で、演出の細部を洗練させ、新たな工夫を加え、より無理のない曲順と歌唱法へと「煮詰めて」行く。結果的に、ツアーの最後には、全く余計なものがなくて、引きしまった演出と歌唱に到達します。それは実は、エネルギーの無駄が全くない、効率的なのに、新鮮な印象を効果的に与える方向への微調整の繰り返しのように思います。

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 ここで、ayuの声の質の変化の問題に触れておきます。
 現在のayuは、声において、かなり明白に、2つのモード使い分けています。
 ひとつは「胸声」モードというべきもの。上半身で歌うモードです、これは昔ながらのayuの、あの「かん高くてハスキーな」細いけど通る声です、軽やかに音がころがり、細やかな歌い回しの魅力に秀で、チャーミングで、まるで、ayu自身の頭蓋骨を響かせているかのように聴こえます。聴いている側も、頭蓋骨に響いてくる印象です。恐らく周波数特性をグラフにすれば、高い周波数帯域にピーク成分がくる筈です。
 昔のayuと現在のayuで異なるのは、このモードで長く音を引き延ばして歌う際に、途中から絶妙のヴィヴラート(声の震わし)をかけて、余韻と、声の伸びを感じさせる技術に磨きがかかっていることです。恐らく、ヴィヴラートなしのままでこの声ののばし方をすると、声帯にかなりの負担になり、声が枯れるのが早まる。
 ヴィヴラートは、いわば音程をとる上で、「波」にすることによって音程そのものを「確率論的」な逆説的安定にします。まるで物理学の量子論みたいな話ですが、特定の周波数のみに声帯を共振させない分だけ、声帯の疲労はしにくくなるのに、声は雄大に響くという利点があると思います。
 以上のタイプを今後、ここでは【胸声】モードと呼ぶことにします。

 もう一つの声のモードは、お腹から下に重心をおろして歌うモード。これを「腹声モード」と仮に名付けましょう。これは、ayuの声の甲高さが目立ちません。重い声質で、聴いている側にも「腹に響く」感触になります。
 周波数帯域の、高域のピーク成分は、同じayuの声なのに、「胸声モード」より目立たないはず。
 ちょっと「男っぽい」声ともいえますが、声帯で歌うというより、腹筋で歌い、胴体に響かせている分、実は喉への負担は小さい。しかし迫力のある声になるわけですね。細やかなニュアンスづけはしにくいのですが、音を引き締まった形で、しかもノン・ヴィヴラートでリスミックに小刻みに押し出す限り、一息で、的確な音程の連続を生み出すことは可能です。その意味では、この、重心が低い歌い方は、実はエネルギー効率のたいへんいい歌い方になります。
 こちらの歌い方を今後,この記事では【腹声】モードと呼ぶことにします。

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 ayuは、数年前から【腹声】モードの習得をしてきていたのですが、(少なくとも2002のスタジアム・ツアーの頃から明白化してきている)今度は、この声の「小回りの利かなさ」をやや持て余していたようにも思います。以前からのレパートリーとこの声の質が一致しない場合がある。そして,急に静かなバラードに切り替えるとなると、音程と繊細さが追従しない。ayuの声そのもののキーが以前より少し下がって来たことも拍車をかけました。

 こうした中で、

1.ライブの常連だったどの曲を少しずつ削って行くか。
2.曲によってはさりげなく途中でキーを変える編曲にする決断をするか。
3.今のayuの声に向いた、実は低域に重心を移した新曲を新たな人気曲に加えて行けるか。
4.【胸声】モードと【腹声】モードを、曲によってモードチェンジして「使い分ける」ことにいかに習熟するか。
5.それを効率よくするために、ライブでの曲順、演出のスタイル、CDとは異なる歌唱モードを敢えて用いて、むしろライブでそれを新鮮と感じさせるやり方の洗練。
6.仮にライブで声の出し方が危うくなる危険を察知したら、歌いながら早い段階で無理なく、しなやかに「立て直し」す準備を開始し、もう一つの「歌唱モード」に、数十秒かけずに切り替えてしまえるだけの、自分の身体感覚の変化への冷静な観察眼を養うこと。

......などが必要になったと思います。

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次に、実際のライブで、そのへんをどのように処理したかについて、あくまでも私の主観を通してですが、一曲ごとに見ていきます。

1.浜崎あゆみ - Startin'/Born To Be... EP - Born To Be... (original mix)Born To Be...
 冒頭は、スデージ中央の大きなバラの花の花弁の中に立つayuがいきなりスポットライトを浴び、足元でダンサーたちの華麗な群舞。曲のオープニングにふさわしい華やかさが見事に一致する。
 曲は、【腹声】モードで伸びやかに声をスムーズに押し出すことをキーにすれば良い。この曲全体のキーがayuとしてはかなり低めなのに、ヒロイックで祝祭的で派手でリズミックな曲に響く曲なのである。
 そして、バラの花の中のayuは、手先を除くと、ほとんど身体の激しい動きを必要としない。
 こうした意味で、実はこの曲をの冒頭に持って来ると、実は「歌うayu」にとっては、緊張感も少なく、「腹を据た」声の出し方に執心すればよく、省エネで済むのに、えらく舞台映えするし,声も出しやすいし消耗しにくい。

2.浜崎あゆみ - Duty - Audienceaudience
 コンサートの常連曲なので、ayuは「反射神経で」歌える。観衆も手拍子などで「参加意識」を一気に高められる曲。
 この曲への移行は、ayuaは衣装を一枚脱ぎ捨てて、バラの花のセットから階段を降りるだけでいい。原曲より巧妙にキーを下げている。基本的には【腹声】モードのまま。ayuはここでやっと「歌って踊って」モードになるが、群舞の中にあり、そんなに凝ったことまでしなくていい。

3.浜崎あゆみ - I Am... - Evolutionevolution
 "audience"に引き続いて基本的に同じような群舞の中で歌う。これまたayuのコンサートで歌われないことはない曲。ayuの「反射神経」で歌える(カラオケで歌おうとすれば、最も難しい曲のひとつだと思うが。何も考えなくても反射神経で歌えるまで歌い込むと、凄く長いフレーズが「一息で」無意識に出るようになります)。聴衆にはお決まりのフリで曲に「参加できる」場所なわけで、このへんで一気にコンサートへの一体感が会場にあふれかえることになり、ayuもそれに「支えられる」、聴衆と場作りモードが一気に完成する。声は,私の分類では【腹声】モードのまま。

4.浜崎あゆみ - (miss)understood - STEP youSTEP you
 この曲に入る前に、ayuはステージ中央後方の歌っていた位置からそのまま奈落に降りて、舞台から姿を消し、聴衆を"STEP you"を予感させる映像に目を引きつけさせる形で、ayuが次に歌い出すまでに数分の間が生じている。この映像そのものが、その後舞台で演じられる内容の「前半」という性質を帯びていて、反射効率の高い、舞台天上から吊るされた数枚の帯状のスクリーンを舞台の前面に移動させることで、映像ということを意識させずに、次のシーンへと観客を誘える。
 ayuはこの間に衣装替えのみならず、気持ちの切り替えをして、マジックもどきのかなり細かい舞台上での演技を、限定されたダンサーたちとハイスピードで息をあわせて演じねばならない状況へと気持ちを切り替える間合いを得る。
 この"STEP you"という曲は、【腹声】モードのままで歌い出すことはできない。軽やかで小刻みな音階上昇正確な繰り返しが必要。長野2日めのライヴではこの歌い出しに失敗して、音程が外れ続けたのだが、最終日に向けて、曲順を含む手直しがなされていた気がする。一番を【胸声】モードで冒頭ははじめ、「ウォーウ、ウォー」のあたりから【腹声】モードに乗り換え、あとは2番以降も【腹声】モードでの短いブレスに乗せて『一見軽やかに」音階上昇部分を聴かせる方向に「すり替える」しかない。だから、実は声の質は、曲の3分の2以上、CDとはかなり異なり、かなり朗々としている。

5.浜崎あゆみ - (miss)understood - Ladies NightLadies Night
 舞台ではマジックめいた寸劇を続けながらayuはこの曲を歌うわけだが、個々のダンサーとの呼吸には、このツアーのプログラムで一番気を使う曲であるが、結果的にはそんなに身体そのものは「大きく」動かさなくてもいい寸劇なのね。そして、この曲、間奏が長いし、ラップ風の部分はayuはナマでは歌っていないので、実は曲の進行中の半分以上の時間、ayuはライブで「歌う」必要がないまま「歌の中休み」を小刻みにとれていることになる。声は、基本は基本は【胸声】モードだが、かなり重心が低い。
 曲の後半で、ayuと主要女性ダンサーの4人は、ステージ中央から張り出した渡りステージ(?)を通って、丸い張り出しステージに向かう。"Because of You"のライブでayuが寝て歌う演出で使われた回転円形張り出しステージのリサイクル(?)だが、今回は,回転も上昇もしない(^^;)。その代わり、曲の大詰めでドカンと煙幕を張って、その間にayuは雲隠れ。ここから真下に降りてしまったようである。
 円形舞台には4人のダンサーのみが残り、曲の終わりのエンディングは引き延ばされ、ダンサーと「映像の中」ですでに休息しているayuとの「かけあい」、続いてダンサーも舞台から消えて今度は映像の中に登場する、という形で、自然に、観衆の目をを舞台から映像の方に引きつける
 結果的に数分間の間合いができる。ayuは、この間に次の「サーカスもどき」への準備をじっくり整えられるわけである。映像の中のayuの急転直下のオチの付け方。これが次の曲への,舞台の雰囲気の転換になる。
 (4.以降、映像と舞台をつないでいくと物語的にもここまでの経過を,すべて自然な流れで「意味付けられる」けど、それは略)

(この最後の項、06/01/18に若干増補)

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 こんな調子でコンサート全曲をDVDみながら分析したメモはすでに作ってありますが、

.......そろそろ代々木に出発準備の時間に入ったので、続きは新年に!!

 皆様、よいお年を!!

先週の人気記事ベスト20!!(12/24-30)

 恒例、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「先週」記事別アクセス解析機能を使っての「ベスト20」の発表25回めです(^^)

 今年最後のベスト20発表ですね。

 固定リンクでのアクセス率の順位のみから集計しています。
 7×24時間、つまり12/30日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ1,556(前回1,438)。(一日平均222.29アクセス。前回205.43)と、この年末の、皆様が帰省・ご旅行等でネットをお離れになる可能性が高い時期に、むしろかなりの増加。誠にありがとうございます。

 訪問者実数は、1,247名様(前回1.094名様)とこちらも回復(^^)。

 「サイト内移動」、408(49.5%)の前回に対して今回391(42.8%)とわずかな減少に留まり、トップページへの外部からのアクセス、前回206(26.5%)に対して、今回274(30.0%)とかなりの上昇。それだけ、定着して下さっている皆様と新規の皆様のバランスがいいということかと思います(^^)

 そして、当ブログの「一限さんでない率」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、前回8.3%、今回8.2%。これでこの数値の数週連続上昇記録は一応止まりました。
でも、あいかわらすこのブログ過去最高水準維持です。

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」は前々回も前回も、そして今回も7名様。

 それでは記事別ランキングの方の発表!!


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1.ここ2年ほど、なぜここまでライブのayuの歌唱力は急上昇したのか -DVD"Ayumi Hamasaki Concert Tour 2006 A”(1)- (↑↑)

2.インシュレーターは使わないに越したことはない(↓) 18週連続

3.オーディオにおける接点復活剤について COME BACK!!

4.映画「硫黄島からの手紙」について NEW!

5.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(↓)19週連続

6.私のピュアオーディオシステム(そこに更にiPodをどう繋ぐか) COME BACK!!

7.この「図」こそ、待ち望んだ「図」なのだ!! NEW!

8.人は目覚まし時計が鳴るから起きられるのか? NEW!

9.「監督」クリント・イーストウッドと浜崎あゆみの共通項 NEW!

10.「甘える」と「甘んじる」の弁証法 NEW!

11.私の「相対性理論的」な変化過程(?) (↓)

12.ヘッドフォン、Bose Quiet Comfort 2のへビーユーザーとしての本音 -万国iPod向けヘッドフォン博覧会 その1- COME BACK!!

13.浜崎あゆみの"Secret"について その2 (↓)

14.今週の人気記事ベスト20!!(12/17-23)

15.ほとんど「オーディオの奇跡」という領域のヘッドフォン!!(+ 私の20余年におよぶヘッドフォン選定のさまよえる歴史) COME BACK!!

16.佐治先生だけが言ってくれた(↓)

17.「クオリア」と「フェルトセンス」 NEW!

18.「満を持して」という感じですね NEW!

19.フォーカシングで修論を書く、臨床心理系大学院生の皆様のための、比較用語辞典 1 NEW!

20.「死にたい」と言ってもらえること (↓) 3週連続

*****


 新旧記事の入れ替わりのバランスがたいへんいいです。

 ayu記事がトップに立ったのは相当久しぶりです。ありがとうございます。ちゃんと「後編」書かないとね!!

 おいでいただいた皆様に、厚く御礼申し上げます。


*****

 これを書いている「今、この瞬間」(12/30 AM 01:11)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、 119417、フォトアルバムを含めると138001です。

 今日も、また、ロー・カロリーでここまで無理なくできていると,私のフェルトセンスはOKサインを出してくれています(^^)v

 まだ「何か」大晦日の今日のうちに記事を書けるのは確実というコンディションに今の私はなっていますが、とりあえずのご挨拶。

 来年、2007年も、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

HMVジャパンApple Store(Japan)

2006/12/30

体験過程尺度入門 -カウンセリングが「深まっている」とは、どういうことか?-(すでに第3版)

「体験過程尺度」という言葉を、このブログですでに何回となく使いました。それについて具体的に解説したことがないので、ここで、できるだけ簡明に解説したいと思います。

 「体験過程尺度」とは、わがりやすく言えば、面接の中で、クライエントさんが語る際の話の語り方の「深さ」について、統計的に処理するための7段階の指標です。

 原則として、面接の当事者(カウンセラー、クライエントさん)以外の、3人の、評定訓練を受けた評定者によって、沈黙の秒数まで記録された逐語記録と録音テープを元に、一定の長さに分割した断章(segment)ごとに、3人の評定者が、断章の面接内での実際の順番すら教えられないまま、合議することなく、各自独立して評定し、あとで評定の平均値と最頻値(mode)について統計処理することになっています。最近では録音のみならず、ビデオテープの録画を用いることも増えました。

 もちろん、録音や録画に、事前にクライエントさんからの許可が必要ですので、多くの場合、協力してくれる一般の方や学生を対象に、目的を明かした上での「研究のための模擬面接」としてデータを取る形で、まずはこの研究をはじめる院生の方が多いようです。

 実は、この尺度は、狭い意味での来談者中心療法だけではなく、およそどんな流派の面接過程についても、上記のような面接の記録が取られている限り、適用可能な尺度であるということは、日本ではロジャーズ派以外の臨床心理研究者への認識が薄いままと思います。例えば、精神分析的面接や行動療法的面接についてこの尺度による統計データをとっても十分な実証研究になるのですが。

 尺度についての細かい「版」の問題はあるのですが、ここでは、どの版にも共通するエッセンスの次元で、架空の具体例を示しながらできるだけシンプルに説明します。

.........

●stage 1

「母と姉が喧嘩をはじめたんです。姉は『私の買って来たジュース、勝手に飲んだでしょ』と母に言いました。母は最初、『そんなジュースあったっけ?』とか言ってたのに、そのうちに『飲んだかもしれない』とか言い出し、『でもあなた』.....あなた、って姉ですね.......『このジュース、私が買って来たものだから、飲むな、とか、私に言った?』と言い出した。そしたら、姉は「どうしておかあさんはそうやっていつも自分を正当化するのよ!!」と言って突然キレたんですね。それからが大げんかになりました」

評定基準:話の中身は、まるで報道ニュースの報告のようである。そこには、そもそもクライエントが登場人物として話の中に具体的に報告されてもいないか、登場していたとしても脇役であり、クライエントの感じた感情についての「具体的な描写」もない。

*******

●stage 2

私はその喧嘩のようすを、喧嘩がはじまる前から最初そばで観ていました。喧嘩が激しくなった時点で、何もいわないまま、2階の自分の部屋に昇り、しばらく座っていたあと、ヘッドフォンで音楽を聴き始めました」

評定基準:話の登場人物の主人公は明らかにクライエント自身となる。しかし、それは、クライエント自身がどのようにふるまったかの行動記述に留まり、クライエント自身の自分の個人的感情についての直接的言及を含まない

*******

●stage 3

「私が聴いていたのはB'zでした。.....先生、B'zって、わかります?(カウンセラー:「名前だけは」と応答).....私はすっと前からファンで、聴いてるんです。......そのうちに泣きたくなって泣き出しました。もううんざりしましたから。そして、床下に向けて一発ケリを入れたんです。(カウンセラーの応答:「立ち上がって?」)......ええ、立ち上がってです。ケリ入れた。思い切って.........すると母の、階段の下の方からの、「みゆき(クライエントの名前)、何やってんの!!」という声が飛んで来て。

評定基準:クライエント自身個人的感情についての具体的な発言(ここでは「うんざりして」)がみられはじめる。しかし、それはあくまでも、挿入句的な発言であるに留まる。

******

●stage 4

「私はその母の声に、一層ムカつきました。だって、楽しんでテレビ一緒に観ていたのに突然喧嘩はじめたのはあんたらでしょうが? と思って。(涙).....うちはいつも「こう」なんです。......でも、私は、そこでどなり返す気力も失せて、ひざを抱えて泣いていたんです。悲しくって。悔しくってこの悲しみを、家族は誰も受け止めてくれなくって。私の悲しみ、っていうのは、こういう気持ちを友達に話しても「よくあることだよ。うちもそう」で受け止められるだけってことでもある。同情してくれてるのは伝わるんだけどさ。感謝してるよ、友達には。でも、話しても「どこででもありがち」で済ませられたら話した甲斐がないってもんでしょ? だから一層悲しいわけ。一層無力感じるわけ。..........これじゃ悲しみの無限連鎖だよ。先生が好きなayuの曲で言うと"Endless Sorrow"って奴。そうでしょ?」

評定基準:個人的感情への挿入句的な言及にとどまらず個人的感情そのものがその時のクライエントの話題の中心になる。

*****

●stage 5

「まてよ....私は『悲しい』のかな?『怒ってる』のかな?......ちょっとまって下さい、先生...(沈黙38秒)...『そうやって、悲劇のヒロイン演じてな!』って冷たい視線を送る、もうひとりの自分がいる気もする。...(沈黙20秒)...私が私に誰より残酷なのかな?....(沈黙18秒).....でも、親も姉貴もあの程度のことで喧嘩するな!! って言いたい私もいる。でも、『それを二人に言ったの? 悪いのは結局言わないお前自身だよ』、で済ませれるのも嫌!! .........(沈黙47秒)..........待って!! それも私自身が自分で自分に言ってるよね。『結局言わないお前が悪い』って....(沈黙29秒...)...結局一番自分に冷淡なのは、私、ってことなのかな?[ため息」...(沈黙40秒)....でも、それだけで済ませるのでいいのかな..........」

評定基準:自分の感情について、そのように受け止めるだけでいいのかについて、自分で仮説を立て、それを自分の実感に照らし合わせて「吟味」する、「探索的」なプロセスが進んでいる。

*****

●stage 6

「........(1分06秒沈黙)........そうか、そうだよね.......そうなんだ。(カウンセラー:「.......何? どうしたの?」) 「おせっかい」過ぎるんだ、私って。バカだね。(カウンセラー:「おっせかい過ぎる」.......何?)........自分自身に誰よりおせっかいなんだよ。バカ、『自分で自分をそうやって追いつめるなっつーの!!』 アホ!! .......私の中に、恐怖の『おせっかいババア』が住んでるの(笑)。いつのまにか、そうだったの。今頃気づいた。........(36秒沈黙)..........そいつ、『千と千尋』の大浴場のボスのババアみたいな顔してる(笑)。美輪明宏だったっけ? あの声やったの。........怖えーよ、そんな顔してたら。てめーが、そんな怖い顔してたら、お前の焼いたおせっかい、誰にもその真意、つたわんねーよ。......バカだこいつは。バカ.....(涙ぐむ).....」

評定基準:心身の解放や緊張の低下と共に、それまでとは全く異なった自己や他者についての認識が言葉にされ、自己に統合されはじめる。

******

●stage 7

「おせっかいババア」は私。.......でも、私自身に対してだけじゃないよ。......うちの家族、結構いい加減なところがあってさ、実は「仕切ってる」の、私なんだ。冷蔵庫。普段から、もう古いものとかないかどうかチェックしてさ、「もーう、捨てなよこんなのー、おかあさん、賞味期限切れてるよ」...とか、うるさいの、私。.......でもおかあさんは「そう?」って言うだけ。結局私が「捨てるよー」って捨てるまで 捨てないの。だから今回のような事件があると誰より腹が立つんだけど。
 普段はろくに勉強もしないままで、家で一番のダメ人間みたいに言われてるけどさ。実は私がこの家族を「支えて」いるの。そこまでしなくてもいいはずなんなだけどさ。「見てれんねえ」よまったく。私って、偉いね。偉過ぎるよ。全然偉くないのに.....(涙)
 ..........友達関係でもさ、私はいつも相談相手にされること多くてさ、人には偉そうに説教たれてる。後輩には、まるで「お姉様」って慕われてる感じ。そうなると、もう、「うざい」って内心感じることもあるけどさ、かわいそうじゃんか。ついついつきあうわけよ。話に。
 .......そうなったら、みんな、私が頼りがいがある強い人間とだけ思い込むじゃんか。言ってもわかんねえよな、私の愚痴。たいしたことないことのように受け止めるよな。通じねえよな。通じねえ.....」

評定基準:ある特定の気づきが、別な状況についても連鎖反応的に気づきを生み出したり、より一般化した形での,統合的な気づきへと進展する。

********

 繰り返しますが、上記の例は、私がこれを書きながら創作した、架空の例です(^^;)

 カウンセリングがいい形に展開すると、クライエントさんの中に、こうした展開が生じてもおかしくないことは、皆様にも「何となく」十分実感できるでしょう。

 こうした「体験過程尺度」をカウンセラー自身が十分会得した状態で実際の面接に臨んでいるだけでも、面接が今どういう状態にあるのかの、面接のライブのただ中での吟味の指標になります。
 そして、その瞬間その瞬間で、カウンセラーとして、何に、どのように応答するかを検討する指標にもなるわけです。
 この、「応答の仕方」についての技法体系のことを、「体験過程インタビュー」といいますが、これについてはまたの機会に。

******

 この,体験過程尺度の研究と,この尺度の使い方の指導者としては、現在関西大学におられる池見陽先生が「文句なく」日本の代表者です。に、一般の皆様向けの平易な図表があります。

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2006/12/29

今年の「仕事」、終わって(第2版)

 今、午後8時50分だが、私はこの記事を書き終えて発進する時点で、2006年におけるすべての「仕事」から解放されているはずである。

 つまり、すでに予約されていた今年最後の面接を終了して、あと10分で、電話での申し込みや問い合わせの受け付け時間を終える。

 このあと、私の行動で、日時を限定された「目標」になっているのは、大晦日のayuの代々木のカウントダウンに行くことである。

 そのカウントダウンを最良のコンディションで楽しんで、帰宅してきてからも無理のない休息をとれること最優先で、すべての行動計画を立てられることとなる。

*****

 ......というか、これも「義務」ではない(^^;)。

 そもそも29日まで仕事をすると決めたのも私だし、それ以前の問題として、開業時間や電話受付への対応時間を決めたのも私だし、独立開業カウンセラーになると決めたのも私だ。

******

 ブログの記事に関しても、取りあえずayuのライブコンサートの歌唱力の安定についての私見の続きと、”momentum"で思いついたネタをひとつ書きたいと、このブログですでに予告したことについては、もし、バランスよく、無理のない形で、カウントダウンまでに、私の納得がいく形のものを書けるタイミングがつかめて実現できるなら、それに超したことはない。少なくともそのためには、もう一度ライブビデオとプロモを観る必要は、私の立てたそれらの記事で表現したい「コンセプト」の具体化のために必要であると感じている。

 でも、これも、いったい誰のための、何のため、そうするのかといわれると、決定的根拠は何もない。(^^;)

 ブログを読んで下さる方には、楽しんでもらえる内容にしたいとは思っているが、当然お読みになる方の評価はそれぞれだろう。

 「アクセス数を伸ばすため」に、無理して記事を書くことへの関心が薄れたのは、すでにこちらの記事で書いたような経過をたどって行き着いたことだ。

 「アクセスの増加とお客様の増加は比例関係ではない」

 このことに気づいて以降、ブログを書くことは、何より私自身が楽しむための行為になっている。もとより、記事によるアクセスデータの刻々とした変動がどう展開するかの「スリル」は楽しんでいる。

 その意味では、先週あたりから、「カウンセリングとayuサイト」っぽく展開してきたこと自体が、ゲームをしながらゲームの成り行きを、スリルと共に楽しんでいる立場である。

 現状では、まあ、一週間を目安として、一日平均200アクセスになれば満足している。すでに年末年始なので、普段ネットを観ている読者でもネットをご覧にならないかもしれないし、その数字にすら拘泥しないつもりである。

******

 普段は、まずは、おいでになったクライエントさんに代金を払っていただくだけのカウンセリングをできているかどうかが、私の最優先事項。
 そして、そのことが経営の更なる安定と徐々にかみあうことが第2の基準
 第3の基準は、それと自分の心身のコンディションが一致すること。
 あとは、その時の自分の関心や興味や思いついたこと、感じることをブログで書いていくことと、それらの関心や興味を深める時間が、心身に無理のないバランスで「折り合いがつけられれば」、満足かもしれない。

 不思議なもので、私には、浜崎あゆみファン同士のつながりの輪をネットを媒介としてでどう広げるか、という意識が基本的に欠落している。

 浜崎あゆみが歌手であり続けねばならないとも思ってないし、今後共に流行や人気の対象であるかどうかも「必要条件」ではない。

 ただ、彼女が、ひとりの、歌手を職業として選択し続けて来た人間として、これからも、聴衆のひとりのとしての私と空間を共にするライブの舞台で、私に何を感じさせてくれるかには関心を抱くだろうし、どんな曲を、どんなプロモと共に体験させてくれ、それが私の何と響きあい、どういう予想外の当惑にいったんは陥(おとしい)れてくれるか(^^)、そしてこのあとどういう人生の選択をしていくのかには、関心を抱き続けるだろう

 もちろん、いつまでもみゆき並みのしたたかさで(過去の曲を歌うのではない、新作が表看板の)「現役歌手」したいのなら、すればいいのだ

(みゆきは「夜会」ライブ先行、アルバム曲として収録してもかなり後のアルバムで、そして「更に後の」アルバム向きの別コンセプトのバージョンを作るくらいの執念でこだわり続ける曲があるようだが)。

 ともかく、私が特定の「音楽家」に拘泥して、「ライブコンサート」にまで「通う」ということ自体が、私の人生にこれまでなかったパターンで、その事態の推移そのものを「楽しんで」いるところではある。

 ある意味で、遙か遠くの「雲上人」であるにもかかわらず、少なくとも現状では、彼女に幸せになって欲しいとは思うが(^^)、人生の幸福とは、恐らく何かに「到達」することで「安定してしまう」ものはないだろうことを彼女は知り尽くしているはずである。

 私も、そんなにカウンセラーとして「儲けたい」とまでは思っていない。当面、そんなに、これ以上欲しい「もの」はない気がする。

******
  
 だいたい、すでに昔から持っているもので、その真価を味わい尽くさないまま家の肥やしにしているものが多すぎる(^^;)

 それをいつ、どう味わって、自分の肥やし(というより、身体と心のシェイプアップ?)にしていくかも、新年の課題だろう。

BGMは、
浜崎あゆみ - Secret - until that Day..."until that Day..."

私の2006年を一文字で表わすと....

 世間では仕事納めでしょうが、私は明日まで仕事があります(というか、自営業だから、「入れました」が正しい)。

 ひとつの行事を除くと(もうバラしてますよね、どこかで)、なーーーんにも正月らしい予定はありません(^^;)

 正月休みは、普段できていないデスクワークに使って終わりではなかろうか。とっくに、どこまでが「仕事」という意識は吹っ飛んでますから。実は、どのように休息を取るかも仕事のうちと思ってますので。

 だいたい、このブログそのものが、どこまでが「公」で、どこからが「私」か、まるで区別がない。

 そもそも、

「心理」「カウンセリング」「フォーカシング」について書く時は「仕事」、
「浜崎あゆみ」について書く時は「趣味」

という意識もない。

 でも、浜崎あゆみ「心理」でねじ伏せることはとっくに考えてないつもりというのは伝わってるでしょう(^^)

 ただ、最近つくづく感じるのは、私は「浜崎あゆみ」から「心理」や「世渡り」、「経営」について触発されているという逆説の方が強い。

 もとより、「浜崎あゆみ」とは何か? 浜崎あゆみ「個人」というものは「実在」するけれども、その辺縁に境界線はないともいえる。

 私も、アンチayuのあなたも、ayu無関心のあなたも、「浜崎あゆみ」の「構成要素」の一部でありなおかつ、「主体」なのである。
 
******

 恐らく、私は、今後も、いろんな意味で、今年、2006年を、自分の人生の転換点だったと振り返る気がする。

 一文字選べと言われると、

 「衡」

という字が、フェルトセンスにぴったりの言葉として思い浮かぶ。

 イメージとしては、

  極めて薄いけど、
  色透過性のない
  メビウスの帯がよじれる地点を、
  ちょうど真横から眺めた瞬間

みたいな。しかも、逆光のもとで。

 その瞬間にだけ、光がぱっと広がる。


*****


 ということで、アフィリエイトは、ひさびさに、みゆきの、


中島みゆき - 転生 - メビウスの帯はねじれる「メビウスの帯はよじれる」

を収録している、アルバム『転生』にしておきます。

 このアルバムで、一番好きなのは、最近は中島みゆき - 転生 - サーモン・ダンス「サーモン・ダンス」なんですけどね(^^)

****

 みゆきネタも、そろそろまた書くと思います。

 .....そういえば、『ダ・ヴィンチ』でのインタビュー、買ったままで読んでない。

2006/12/28

ブログのテンプレート、冬バージョンに変更(第2版)

 ここはちゃんと、ブログ「カウンセラーこういちろうの雑記帳」でっす。(^^)

 ニフティココログのいいところは、テンプレート素材の圧倒的豊富さですね。

 このテンプレートにすると、私のブログの文字数の多さがあまりうざったく感じないのではないかと想像します。ご再読いただくと内容の印象違って感じるかもしれません。

 前のも、「こころの深海にフォーカシング!!」って感じで、好きだったんですけどね。

 もうクリスマス過ぎたろ!! とかいいっこなしということで.....

 ちなみに、イヴの晩四日市のホテルに一人寂しく泊まってるばかりか、「硫黄島からの手紙」もそっちで、何組かのカップルに囲まれて観ていたりする(^^;)。そっちから新幹線こだま号で爆睡してから大船に帰って来て、程なく記事を書いた。四日市のフォーカシングの研修会が25日のクリスマスという、とんでもない日にしか、四日市の人たちの予定(浄土真宗のお坊様と学校の先生たち[前者は後者を兼務してもおられる]ですから)がとれなかったりしたもので(^^;)

 ♪更に言うーとすれーばー♪
浜崎あゆみ - HEAVEN - EP - alterna("alterna")
、このデザインは、季節のこともあるし、私の中に今はayuの新アルバム"Secret"
浜崎あゆみ - Secret - momentum
"momentum"
印象が今もまだ後を引いてるせいもあるかも。

*****

 "momentum"ネタは,今、もうひとつ準備している。

ふっふっふ(;;)

2006/12/27

この「図」こそ、待ち望んだ「図」なのだ!!

ITPro selectのサイトに掲載されている、

PROJECT KySSさんによる連載、「Webプランニングから始めよう!」

第9回 良いアイデアがわく人とわかない人はココが違う

という記事、何もIT業界に限らないことを見事にやさしく解説してくださっていると思います(^^)

 特に、球を「篩(ふる)い」にかける図が直感的にヒットました!!

私のフェルトセンスに共振しました)

これですよ、これ!!

 私が最近、必死になって言葉で書こうとしていたことと、何か深くシンクロするのです!!

 なぜ、「相対性理論」と似ている、とか、突飛なことを言い出していたのかというと、まさに、

ふるいにかければかけるほど、球が大きくなる。

アクセススピードも高速化するけど、

本人の体感的にはフットワークが「軽く」なる。

でも、

周囲に与えるインパクトは「重み」を増す

.......という、ニュートン物理学からすれば矛盾そのもののことが生じる気がしていた気がしていた(←ここ、語句重複は意図的です。校正ミスにあらず!!)ので。

PCDEPOT WEB本店/OZZIO

フォーカシングで修論を書く、臨床心理系大学院生の皆様のための、比較用語辞典 1

Focusing_hyoushi_1 主として、ジェンドリンの
『フォーカシング』(1981)」(以下、《フ》と略)と、
『人格変化の一理論(1964)』(《人》と略)
における用語の関係、そして、
体験過程尺度(experiencing scale)などとの関係について、簡単にまとめておきます。

 これだけを一般の皆様がお読みになると、何が何だかわからないでしょうが、フォーカシング関連で修論を書こうとする心理臨床系の大学院生の皆様には、これだけでも重宝していただけるはずと思います。

*****

●[技法としてではなく、自然に人の中に生じる現象としての] フォーカシング(focusing) 《フ》
=直接のレファラン(direct reference) 《人》
=体験過程尺度 stage 5

●フェルトセンス(felt sense)  《フ》
= 直接のレファラン(direct referent) 《人》
=[体験されている]暗黙の意味(implicit meaning) 《人》

●フェルトシフト(felt shift)[あるいは、略して、「シフト」(shift) 《フ》
=ひらけ(unfolding) 《人》
=体験過程尺度 stage 6

●連鎖的、拡大的な連続シフトが生じること 《フ》
=全面的な適用(grand application ) 《人》
=自己駆進的(self-propelling)体験過程 《人》
=体験過程尺度 stage 7

●フェルトセンスとしてですら、感じようとしても感られない 《フ》
=「暗黙の意味」が感じられてない《人》
=構造拘束的(structure-bound)[な体験過程様式のもとにある]【注1】 《人》
=凍結した全体(frozen whole) 《人》

●フェルトセンスとしてすら感じようとしても感じられなかった「何か」が、注意を向ければ、フェルトセンスとして体験可能になる過程 《フ》
=再構成化(reconstituting)【注2】 《人》

●情動(emotion)に巻き込まれた 《フ》
=距離が取れて(make a space)いない 《フ》
=脱同一化(disidentification)されていない【注3】


*******

【注1】
 「構造拘束的(structure-bound)」体験過程様式の対義語は「過程進行中(in prosess)」である。1990年頃までの日本の研究論文には、"structure- unbound"という言葉が散見されるが、ジェンドリン自身の論文にはそんな用語はない....というより、体験過程理論がほんとうに理解されていない時代の遺物と思って欲しい(ゴメンね、使った先生方m(_ _)m )。
 このことを学術論文上で公式に指摘して、その後"structure- unbound"なる言葉を、新たな学会誌から放逐するきっかけとなったのは、大石英史氏の論文による指摘である(大石さーん、「まだ」開封してない引っ越し荷物の段ボールの中です。具体的論文名ご紹介できなくてスミマセン)

【注2】
 この「再構成化(reconstituting)」という用語をに関しては、現在でも日本の研究者の論文では、正確で厳密な使用がなされていると確信できるものを私は読んだことがない(^^;)。ジェンドリンがちゃんと「人格変化の一理論」で、厳密に説明しているのに......
 「再構成化」によってフェルトセンスとして体験可能になった場合にしか、フェルトセンスと「象徴化」の相互作用における、体験過程の「推進(carry forward)」は生じない。
 逆もまた真であり、フェルトセンスと「象徴化」の相互作用における、体験過程の「推進(carry forward)」によって、「再構成化」は徐々に進展するのである。
 ......ああ、このことをここで紹介してしまうだけで、フォーカシング研究者向けの、大サービスである(^^;)

【注3】
 「脱同一化(disidentification)」は、フォーカシングを学んだ人にはおなじみの、アン・ワイザーさんがフォーカシング技法論に導入した概念である。
 精神分析用語的に言うと、「意図的(意識的)な『解離(dissociation)』」という、論理的には矛盾のカタマリに思える状態を指すことになる(これについては、松木邦裕先生と田嶌誠一先生からの直接のご示唆に感謝いたします)。
 しかし、実は誰にとってもごくありふれて生じている現象である。
 アイデンティティの概念を広めることになった、精神分析のエリクソンの「同一化(indentification)」概念とは何も関係ない
 むしろ、トランスパーソナル学のケン・ウィルバーが「ケンタウロス段階」における現象として用いた「脱同一化(disidentification)」に起源があると推測できる(そういえば、Ann自身にこのこと確認しないままだ)。ケン・ウィルバーはこの点ではフォーカシングを正しく理解しているし、Annの用法とも矛盾しない。
 しかも、それを「更に」遡(さかのぼ)ると、サイコシンセシスの創案者アサジオーリに起源があるようだ。

(確か、ウィルバーのこの著作での吉福氏の訳注にこの解説がある。もとよりアンへの言及はない)
 だが、アサジオリまで逆にたどると、吉福氏にの記述に拠る限り、アンのそれとは、かなり意味が異なりはじめるかなと思う。

*****

 ............以上、パーペキに専門家向けですが、(カメラ用語を除けば)ネット上で「フォーカシング」という用語で検索エンジンかけると、このブログがヒットする率は凄く高い現状下で、私の果たすべき学問的責任と思うので....


「監督」クリント・イーストウッドと浜崎あゆみの共通項

「硫黄島からの手紙」の公式パンフを読んで痛感したこと。

なぜ、あんな大作、しかも日米双方の視点から描く「2部作」として、クオリティをそろえて、連続制作・公開できるのか。


*****


1.一度制作スタッフとの信頼関係を作ったら、できる限りずっと大事にすること。

2.その制作スタッフの「後継者」作りを慎重に、着実に行って、無理のない「新陳代謝」をしていくこと。

3.一度信頼したスタッフたちの主体的な意見に虚心に耳を傾け、参考にしながらも、最終責任は自分の「感性」できちんととる「ボス」であること。

4.「俳優」たちの持ち味を大事にし、自分で考え、試行錯誤させた上で取り組むので、「同じカットの取り直し」をあまりせずに「本番」に臨める。結果的に経費節約、撮影期間の短縮化に貢献する。

5.「編集」こそ楽しい。
そのうちに、
「編集の必要な余計なシーンそのものを最初から撮らずに済ませられる」
雰囲気をスタッフや俳優たちや自分自身に育む、
「相互作用的な場の雰囲気」
が生じる。

6.プレイング・マネージャーである。

7.経験を蓄積し、いい形で発揮する効率がきわめていい。


****


これは、浜崎あゆみにもそのままあてはまることである。

これこそ、本来の意味での、カウンセリングにおけるパーソン・センタード・アプローチの本質である!!

カウンセラーこういちろうにも、ささやかながら、あてはまりつつある......と信じたいのだが(^^)

(「お友達」が、また増えた!!)

******

この最新のライブDVDの「編集者」として、正式にクレジットされてますしね。昔の「ボス」もちゃんと最終日の楽屋に来ているあたり、さりげなくエンディングで見せているあたり、

「どこの誰だ? 『喧嘩別れ』なんて、マスコミで憶測で書いたのは?」

ということを示唆する、さりげないayuの意図でしょう(^^)

****

 ちなみに、この記事は、それこそ「ライブで」書いている即興記事でして、

 この前お約束した、

浜崎あゆみのライブ技量向上の秘密具体的分析

カウンセラーこういちろうの「ライブ面接」は、浜崎あゆみの「ライブ」を体験する中で、どう、結果的に無意識のうちにも「影響され」、「技を盗『んだ』か、という、大風呂敷なネタ)

......の本編は、もう少し後に来ます(^^)

最新映画、話題作を観るならワーナー・マイカルで!

HMVジャパン

2006/12/26

「満を持して」という感じですね

 最新ニュース、
 やっと、数年越しの約束を「果たしに行く」んだ........という感じですが、

それだけ「時が満ちる」必要あったよね、

というしかないです。

 先日、こちらの記事で書いた延長に、自然とつながるのは、何かうれしい(^^)

 一応公式サイトまで確認した上で、現段階(2006/12/26)では「ネット上では」ここまでしか書かないのが、私の「社会的礼儀」です。

 「追っかけて行く」お金までは、私はまだもちろん稼いでませんので、
 そのための「練習過程」に、「すぐ近くでご参加」する形で「協力」しましょう....(^^)

「クオリア」と「フェルトセンス」

 Wikipedia「クオリア(Qualia)」の項最新版(新記事?)で書かれていることを、フォーカシングと体験過程理論でいう「フェルトセンス」という概念と重ねて考察する試みがすでになされているのかどうか、私は不勉強にして知らないままです(^^;)。

 「イチゴのあの『赤い』感じ」そのもの、といわれると、私ならフェルトセンスしか想像しない。

 この項では、クオリアそのものは「測定不能」といわれている。確かに、「感じそれ自体の測定」という概念そのものが自己矛盾とも言える。測定とは、何らかの客観的指標(特定の座標軸)に変換する形での数値的なものや、ある操作的定義に基づき意味づけられた指標による分類以外の何でもない気もするので。

 でも、必要な思考実験ということは痛いほどわかる。

 ただ、フォーカシングの場合でいうと、 「イチゴのあの『赤い』感じ」そのもの、というのは、

1.ある社会性や歴史性を帯びた個別的状況下で、ある個人が、いちごを観たときに生じる感じそのものを「フェルトセンスとして」身体で体験すると、身体感覚の布置やその人の個人的意味体系に変化が生じていくプロセス

ととるか、

2.一見いちごとは無関係な、ある個人的な状況全体や、漠然とした不快感などについてフォーカシングしていく中で、突如「いちごを見ている時の、『あの』感じ」という言い方がぴったり来る場合

の二つが、私にはまず思い浮かぶ。

*****

 フォーカシング、すなわち、ある個人の、容易に言葉にならない漠然とした曖昧な感覚「それ自体」への直接の焦点づけ(focusing.....ピントをあわせていくこと[「動名詞」的に訳してみたことに注意]、体験過程理論でいう、「直接のレファランス(direct reference)をしていく中で生じて来る、ぴったりの言葉やイメージとしては、

「赤い」、のような形容詞的なもの、
「(あたかも)夕日を観ている(かの)ような」といった、イメージ的、比喩的なもの、
あるいは、
「胃壁の中に出血生じている(かのような)感覚」といった身体感覚的なもの(【注1】)が多い。

 しかし、阿世賀,1991(【注2】)は、これらを総括して、プラトンにさかのぼり得る古典的な古典的哲学対比概念、「内包」vs.「外延」(弟子のアリストテレスだと「質料」vs.「形相」にあたる)を借りて、「内包的」ハンドル(【注3】)と名付けた。

更に、それらに対して、

「子供の頃、多摩川の土手で夕日を眺めていた時の『あの』感じ」

などという、当初の気になって「いた」事柄や身体感覚の言語化とは「一見無関係」に思える具体的な外的状況についての記憶が突然生じる形でフェルトセンスとぴったりと感じることがある。これを「外延的ハンドル」と名付けた。

 後者の「外延的ハンドル」は、更にフォーカシングが進展すると、例えば

「『その時』夕日を見たのは、宿題を忘れたまま学校に行けないまま河原で過ごしたある日のことだった

ということを「思い出す」過程につながり、

 更に、最初の気になるモヤモヤについて、ひとつの「比喩」として

「宿題を忘れる」

という言葉を重ねると、

突如、その人が陥っていた行き詰まりについての予想外の心身の解放感と、新たなる意味づけが、その人の中に一気に生じ出すことがあるのである。

それは、ひょっとしたら、「先日」恋人ともめた後の膠着したモヤモヤ状態について、

「実は以前言った、『ある約束』を果たさないままでいた」=「『宿題』をしないまま、『忘れて』いた

ことへの気づき、

あるいは、

「その恋人と今の仕事を続けることの、どちらを選ぶか『先延ばし』にしていた」=「『宿題』をしないまま、『忘れて』いた

「実は『あの夕日を見た時』と同じように『バツが悪かった』」

(→「顔向けできなかった
or 「『×点をもらう』のを避けたかった
or 本当は『悪かったね』と『開き直り』たいのに、開き直れない自分を『弱い』と感じていた

.......その人その人によって異なる形で「予想外の別の具体的状況」とシンクロして連鎖的に洞察を生み出すことになる可能性がある。

*****

......何か、当初の「クオリア」と「フェルトセンス」概念の比較をする話の流れから脈絡が見通しにくい形でいつの間にか外れた気もする。

I miss me!!


(「私は私を『見失った』」と訳して、

いわゆる、

"I miss YOU!!"

(意訳:あなたのことを『忘れ』ない)(【注4】)

と比較のこと)

 .......だが、まあ、こんなことを徒然(つれづれ)と、というか、「つらつらと」書いていくと、フォーカシングって、どんな感じのものかが、何となく伝わるだろうとは思う(^^)

*****

 それでも、話をまとめるために、アフィリエイトとして、

意地になってこじつけて、SONY ハイビジョン ”QUALIA”(クオリア) 006(すでに生産中止)用 交換ランプ XL-5000 [XL5000] 


*****


【注1】
 こうした時に、その人に「胃の充血」などと共通項のある生理学的変化が胃の壁面や末梢神経、中枢神経に何らかの意味で生じているかどうか、どこが違うのかの「測定」は可能と思うのだが、そのような実証研究があるかどうかを、不勉強かもしれないが、私は知らないままでいる。

【注2】
 阿世賀浩一郎、「身体の感じと状況との関わりを重視するフォーカシング・アプローチ・序説」 東京大学教育学部心理教育相談室紀要  第13集  1991
 以前も書きましたが、私のフォーカシング関係の論文で、未だに私が古びていない内容と感じる、アン・ワイザーさんの技法が日本に伝わる以前に書いた、「先駆的代表作」のひとつなんですよね....
 フォーカシングで修論書こうと思う大学院生は、参考にしてやってください m(_ _)m
  (臨床心理系の大学図書館になら結構あると思います。なければ、NACSIS Webcat(全国大学蔵書検索システム)で、「東京大学教育学部心理教育相談室紀要」をタイトルにして検索のこと)

【注3】
 「ハンドル(handle)」とは、ここでは「取っ手」のこと。フェルトセンスに取りあえず見いだされた感覚的にぴったりな「仮の言語化」のこと。
 「スーツケースの『取っ手』はスーツケースを持ち上げるのには役に立つが、スーツケースの中身ではない」(ジェンドリン『フォーカシング』)
 ......このように、ジェンドリンは「言葉」と「感じそのもの(フェルトセンス」の関係を説明した。
 私には、デパートとかで箱物の荷物になる買い物をしたときに、取り付けてもらえる、着脱式のプラスティックの「引っかけ」のイメージが一番あうのだが。
 ....そりゃ、箱の中のラップトップパソコンをつなぎ止めて運ぶための仮のアイテムにすぎなくて、中身がパソコンだろうと、電気掃除機だろうと、電子炊飯器だろうと、何にでも「同じ」ハンドル(同じ言葉)が使えるかもしれない、という「逆説」があるわけです。

【注4】
「忘れ物」の話とこじつけるために思い浮かんだのであろう (こういちろう談)

映画「硫黄島からの手紙」について(第2版)

 私は基本的に映画のあら探しは嫌いだ。

 アメリカの、しかも同じ監督が、同一の戦いに関して、アメリカ人の心情に日本人も共感できる大作映画を作り、引き続いて、ほとんどの場面において日本人の俳優ばかりが日本語で会話する映画で、ここまで日本人のメンタリティに共感できる大作映画を作るという離れ業を「二部作」として実現させたという、そのことがすでに快挙として,映画の歴史に記録される価値があるということ。

 戦闘シーンの一部で同じ映像を使い回せるし、デジタル技術の進歩が、大作戦争映画の制作費をコストダウンできる時代になったこと、などは当然にしても。

 すでに「父親たちの星条旗」を観た際に、硫黄島の戦いにおける、栗林中将の戦い方が日本軍の中で特異な戦法であり、それを実現する上で、栗林中将の、アメリカ留学経験による、国際人としての冷静な視野の広さと、不毛な水際撃退戦術を避け、地下防空壕を張り巡らした上でのゲリラ戦を選択し、安易な万歳突撃を禁じた、徹底的に合理的主義、実際的な戦闘計画の実践にあることは、wikipediaと「父親たちの星条旗」のパンフを参照して述べさせていただいたので、そちらの記事を参照されたい。

 ともかく、「父親たちの星条旗」を観た上で、それだけ「予習」してこの映画を観たにもかかわらず、この映画を実際に観て、深い思いにとらわれることができたというだけで、この2部作に敬意を表するしかない。

 まして、私のように、父親の大陸からの戦争引き上げ体験を子供の頃に全くフランクに伝えてもらえていて、父親のメンタリティの中に常にその体験が影を落としていることを、深く実感しているわけでも、前述のような、歴史的事実についての「予習」をしているたわけでもなない、特に若い世代にとっての、この2部作を共に観るの体験のインパクトはたいへんなものであろうと想像する。

 私は、この戦争についての現在解明された歴史的事実のかなりを情報として調べ上げていて、観ている。だから、事実としての筋書きのかなりがすでに「わかって」観ていたわけであり、それが「いかに」描かれるかという観点からこの映画を観た。
 例えば、栗林中将が、最後の突撃の後、遺体が発見されていないことを「このように」整合性をつけたわけだ、とか、オリンピックの馬術の金メダリストとして、アメリカ人にも敬意を持たれていた西中佐と、栗林中将との関わりなどについては、推測もかなりあるだろうが、こういう形での連携があったとしても何もおかしくはないと感じさせる説得力があった。
 また、最終的に捕虜となり、結果的にして生き残れた人間に、二人の、一見全く異質な人生観と生き方の人間を当て、二人が別の意味でその後「重荷」に耐えながら、死ぬよりも辛い人生を送ったことを予感させ形で、存在感ある描き方にもできているあたりも敬服した。人の生き方というものの持つ皮肉と矛盾を、クールな視点で描き出し、安易な予定調和を排したあたりは、見事な作劇術と思う。
 
 そうした上で、敢えて、「ここまでやってくれたら、もっとよかったかな」と感じた点を二つ。

1.大半の実際の撮影は、アイスランドの小島とロサンジェルスのセットで行われている。戦いの季節が冬から初春、撮影は逆にアイスランドの短かい夏だったと想像できるにしても、硫黄島が、硫黄と土壌のせいで植物が育ちにくい土地であるにしても、恐らく湿度の高い「暑い」土地であるというのが少し伝わりにくい画面なのではないか。まして、塹壕の中は、場所によっては、火山性の地熱で60度を超えて、硫黄ガスの噴出で、換気装置を設置できるまで、中での掘削作業はひとり5分ともたなかったいたという。そういう「蒸し暑さ」「硫黄ガス」との戦いの描写が1シーンずつでも十分なされていなかった気がするのだが。

2.このあたりはこの映画というより、歴史的事実の上で得てして無視されがちのことのようだが、実は日本軍において、住民の全員避難、万歳突撃を禁じて、洞窟を利用したゲリラ戦による長期戦持久戦をとったのは、ベリリュー島での戦いという先例があり、この時の経験が参考にされていないわけがないだろうということである。まるで栗林中将の才覚と視野の広さ、そして兵士に尊敬される、謙虚で決断力に秀でた人徳の高さ「だけ」が強調されている気がしなくもない。

3.更に、今回の映画のパンフで、オリンピック金メダリストでロサンジェルス名誉市民ですらあったらしい西中佐へ、アメリカ軍が「あなたは私たちの同胞だ、投降してくれないか」という呼びかけが繰り返してなされたことも知った。「パロン・西」は、この作品でもかなり重要な役割を果たしているキャタクターなので、そういう投降の呼びかけが耳にさりげなく入るが黙しているシーンとかも加えられたかもしれない。

 これらのことは、「もしそこまでとこかでさりげなく触れられて、有効活用されていたら、もっとよかった」という次元のものである。珊瑚礁のベリリュー島と、火山島の硫黄島とでは、洞窟掘りに全く異質な労力を要したことは想像に難くはないが。

******

 それにしても、仮に「生きて虜囚の辱めを受けるべからず」という、実は昭和16年に成立したに過ぎない「戦陣訓」への評価は別として、「万歳突撃」をして(兵士に無理強いして)戦況が有利になることなど絶対にないはずなのに、ということへの違和感を、日本人がはっきり実感として自覚し、「玉砕」という概念を「万歳突撃」と安易に同一視しないこと、まるで別のあり方だということの重大性を若い人たちに気づいてもらうきっかけとなるだけでも、この映画の存在意味はある気がする。

 戦争を回避できる国際的な外交努力と、仮に戦争になったとしても被害が大きくならないうちに平和的に解決するための努力は、いうまでもなく最優先のことがらである。

 しかし、武力闘争ではない形でも、人は自分の命をかけて他者と関わる気概が必要な時は一度ならずはある気がする。それが「安易な自殺行為」なのか、むしろ、「自分も生かし、他者も生かす」ために必要な、緊急時の断固たる心構えなのかということの違いについて、肝に銘じて、自分の人生と、この世の現実を冷静に見つめて、自分なりの生き方の形にしていきたい気はしている。

 そして,日本の戦後の高度経済成長期を支えていたのが、実は「軍隊」から「会社」に対象を移したに過ぎない「滅私奉公」の共通の精神構造であることも忘れたくない。「気力」に依存する精神構造は必ず負の遺産を生む。そしてそれは単なる「個人主義」批判という反動によって解決される問題ではない。

 話を戻せば、この『硫黄島二部作』が、日米の公然たる「軍事同盟」強化の潮流によって可能になったという見解がもしあるとすれば、そのような次元を超えたものを含むこの映画の存在意義こそ語られ続けるべきだと答えたい。この映画を作れる所まで、日本人とアメリカ人も以前より『成熟』し,単なるブロパガンダに騙されなくなりつつあるのだと。


******

 最後に、被爆者と、ご遺族の皆様に、心からのご配慮をしたい思いを抱きつつも、敢えて言葉にさせていただきます。

 硫黄島の戦いが、あそこまで長期化「しなく」ても、アメリカは、恐らくヨーロッパではない(ここが「ずるい」といいたくなる)、日本のどこかの軍事的拠点の都市に原爆を落として、はじめて戦争が終結される展開は、ないままで済まなかった気がする。アメリカ政府は、原爆開発における国際的な優位と、原爆の戦争における「効果実証の『実例』」を「開発した以上は」絶対に「日本のどこかで」実現したろう......あくまでも個人的見解です。

 そして、アメリカ人は、広島・長崎の悲惨を,歴史遺産の展示で生々しく体験した上で、はじめて「それでも原爆投下は戦争の早期終結のために必要だった」という意見を抱くならば抱くことを選択をするくらいの「責任ある歴史認識」を表明することができる人間であって欲しい。

 同様に,日本人も、ハワイに旅行する限りは、真珠湾攻撃の記念館であるアリゾナ・メモリアルを訪問すべきである。
 ホノルルからはそこそこ距離はあるが、現地でのツアーを利用しなくても、公共交通バスでハイウエイを飛ばして容易に安価に訪問できる(ただし,バスの系統・乗り場と降車停留所だけは綿密に事前確認し、バスの運転手にも降車地が近づいたらブロークンな英語でいいので再確認すべきである。ホノルル市内からの「直通」バスは本数が1時間に1本程度であること、ホノルル市内でどの通りのどこをバスが出発し、通るのかを復路を含めて事前チェックしないと、ハワイのバス停そのものには時刻表表示がないことに注意.復路のバス路線においてダウンタウンの中華街を通過する(少なくとも数年前はそうだった)が、ここはホノルル市内の中では一番治安が悪い地域とされているので、安易な途中下車の誘惑に負けないまま乗り過ごすことである)。
 同時通訳貸与の上で、極めて紳士的な訪問ができる空間であることを私自身数年前に体験している。写真撮影も記録映画映写室以外はほぼ自由である。

******

 そして、40年近く前に公開された、映画『日本のいちばん長い日』(もう、若い人の中には観てない人がほとんどか?)でよく知られるようになった、終戦時の軍部のクーデター未遂(終戦勅諭の「玉音盤」(天皇の勅諭の録音)奪還と放送阻止計画を含む)(宮城事件)を、命をかけて阻止した軍人たちと、放送局の皆様に心からの敬意を表します。

最新映画、話題作を観るならワーナー・マイカルで!

●「硫黄島2部作」オフィシャルサイトへのリンク 

HMVジャパン

2006/12/25

人は目覚まし時計が鳴るから起きられるのか?

 目覚まし時計を止めてまたすぐに寝てしまわないのはなぜか?

 目覚ましを時計が止めてもまた5分後にすぐに鳴り出すような仕掛けになっていても、それをまた止める仕掛けが当然ある筈である。

 「その」止める仕掛けを止めてしまって寝てしまえば同じことである。

 あるいは、目覚まし時計の電池を抜いてしまってもその後寝てしまえば同じである。

 あるいは、目覚まし時計がOFFになっているのをONにしないまま寝たら同じである。

 あるいは、目覚まし時計を窓から車道に投げて車に踏んづけてもらってその後に寝てしまうこともできるかも。

 では,目覚まし時計を止めた後「意志の力」で起きるのか?

 いや、十分に心身の疲労が取れるのと、目覚まし時計が鳴る時間がシンクロするリズムを、ある程度結果的に作れないと、人は目覚まし時計で起きられる生活を維持できないだろう。

 では、どうしてそれがシンクロできるように「なった」のか?

*****

 ......最近、生活全体に、生まれてこの方なかったくらいの几帳面さと事前の計画性・効率性重視が出て来た私だが、これが「意志の力」でのみ達成されたとは「とても」思えない。

 「なぜ」自分が「そうなって来られたのか」をどう理解したらいいのか?
 
 カウンセラーという仕事をしている私には何とも興味深いテーマなのだが。

 フォーカシングしていたから、では答えにならない。技法としてのフォーカシングなら、20年以上前からひとりでできる基本的スキルは持っていたともいえる。

 私は、21歳以降の人生の辛酸と喜びと悲しみと後悔と罪責感と無力感を、フォーカシングと『共に』過ごして来たのである。

 「フォーカシングが」私を幸せにしてくれたのか、というと、そうではない気もする。

(これこそ,私と言う存在の、最大の矛盾であり、逆説なのだ)


 .......そうした中で、ふと浮かび上がったのが、この「目覚まし時計」連想である。

私が自宅で使っているのと全く同じ函体デザインではないけど、液晶のレイアウトと字体からみて、明らかに同じシリーズのものです。

 もとより,この時計にですら上記の問題は生じる筈ですが(^^;)、スイッチや操作方法を含めて、よく考えられてるなと思う製品。このタイプの時計を,起き上がらないと手が届かない場所に置いてから、「私は」睡眠時間のコントロールを身につけて行ったのは、『結果として」事実です。

  

2006/12/24

今週の人気記事ベスト20!!(12/17-23)

 恒例、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「先週」記事別アクセス解析機能を使っての「ベスト20」の発表24回めです(^^)

 固定リンクでのアクセス率の順位のみから集計しています。
 7×24時間、つまり12/23日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ1,438(前回1,435)。(一日平均205.43アクセス。前回205.00)と微増。

 訪問者実数は、1.094名様(前回1.153名様)とこちらは若干低下。

 「サイト内移動」、245(35.0%)の前回に対して今回408(49.5%)と大躍進、トップページへの外部からのアクセス、前回251(34.6%)に対して、今回206(26.5%)とやや低下。いい傾向です(^^)

 そして、当ブログの「一限さんでない率」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、前回8.1%、今回は8.3%に上昇し、この24週間の最高記録連続更新です。

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」は前回も今回も7名様。

 しかし、全体としては、毎日ではないにしても、「継続して」読んでいただいている方が多くなっていることを示唆する数字で、感謝申し上げます(^^)。

 それでは記事別ランキングの方の発表!!


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1.インシュレーターは使わないに越したことはない(↑) 17週連続

2.佐治先生だけが言ってくれた NEW!

3.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(↓)18週連続

4.浜崎あゆみの"Secret"について その2 NEW!

5.「バックナンバー」indexへの直接リンク NEW!

6.日常次元での「治療的副作用」への想像力 NEW!

7.「2006年10月」バックナンバーへの直接リンク (↑↑)

8.私の「相対性理論的」な変化過程(?) NEW!

9.今週の人気記事ベスト20!!(12/10-16)

10.カウンセラーの「中立性」の私なりの定義 NEW!

11.ここ2年ほど、なぜここまでライブのayuの歌唱力は急上昇したのか -DVD"Ayumi Hamasaki Concert Tour 2006 A”(1)- NEW!

12.「死にたい」と言ってもらえること (↓)

13.カウンセラーの皆様のための、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」の歩き方(^^) (↓)

14.「症状」こそ「自然治癒」の働き、という場合もある。 (↑)

15.新・私のフォーカシング:序論 (↑)

16.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~ (↑) 5週連続

17.ブログ開設2周年、今後ともよろしく!! NEW!

18.「2006年9月」バックナンバーへの直接リンク COME BACK!!

19.私のスーパーバイズ ~実践編~ (↓)5週連続

20.「2006年8月」バックナンバーへの直接リンク COME BACK!!


*****


 ここまで劇的にベスト20が入れ替わってしまったのは、このベスト20を始めた頃を別にすると、かつてない現象です!!

 佐治先生との思い出に関わる記事も週後半、ましてayuのDVDの記事は、掲載して24時間たたないうちに上位ランクイン!!

 .....何か、このブログが本来めざした、「カウンセラーがやってる浜崎あゆみのサイト」らしい結果にここまでなった週は、ちょっと記憶にないです!! 

 おいでいただいた皆様に、厚く御礼申し上げます。


*****

 なお、今回9位にランク・インしている、前回の「ベスト20」の20位にミスがありましたので、修正しています。

 これを書いている「今、この瞬間」(12/24 AM 01:48)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、 117961、フォトアルバムを含めると136472です。

 今日も、また、ロー・カロリーでここまで無理なくできていると,私のフェルトセンスはOKサインを出してくれています(^^)v


 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

HMVジャパンApple Store(Japan)

「甘える」と「甘んじる」の弁証法

「甘える」とは、

 自分の気持ちや願望を、相手に遠慮なく、平気で「.....を欲しい」「.....を.したい」「......はいやだ」などと言えることではなく、

 何も言わなくても、自分の気持ちを相手が「察して」くれることを当然のように期待している自分に気づかないままででいる状態だということ。

 このことを天下に示したことこそ、土井健郎さんの「甘え」理論最大の功績である。

 だからこそ、甘えという言葉が「  」入りで表記されているのだ。

 甘えられれば、もう「甘え」ではない

 土井先生自身の言葉を借りれば、「甘えたくとも甘えられない」状態、こそ、「甘え」である。

 実はこの土井先生の言い方そのものが「パラドクス」だということに気がつかない人は、土井先生の「甘え」の理論を字面でだけ、頭だけでしか理解していない。

 「甘え」とは、実は結果的に人に甘えを出せないまま、"隷属"する=「甘んじている」状態であり、なおかつ、人を自分の思うがままに(感じるままに)操縦し、”支配”しようとしていることに気がつかず、そのことを感じられない状態でもある。

........これらのことが、私がフォーカシングと接し、自分なりに身につけ始めた初期、20数年前の、ごく初期の気づきであった。

 しかし。
 その後の私も、甘えたくても甘えを出せないまま、「すねて」いただけの自分に、繰り返し直面することになる。

2006/12/23

逆説集 061223a

 人が、「本当の自分」というものに出会えと感じ、語る時、人はすでに「本当の自分」というものはどうでもいいと感じ、なおかつ、「『偽りの自分』を演技する」自分をはっきり自覚し、なおかつ、必要な場面で、適切に「演技できる」状態になっている。

 そして、「『偽りの自分』」を演技して平気な自分を自覚していると同時に、『偽りの自分』を演技することで人を傷つけている可能性に、もの凄い「傷み」を感じてもいる。

2006/12/22

ここ2年ほど、なぜここまでライブのayuの歌唱力は急上昇したのか -DVD"ayumi hamasaki arena tour 2006 A”(1)-(第2版)

 ともかく、どうして浜崎あゆみは、ライヴツアーを重ねるごとに水準を上げ続けるという、奇跡のようなことを可能にしているのかと思う。

 ダンサーとの息の合い具合、演出の洗練。

 そして、何より、1時間半のステージにおいて、疲れを感じさせずに、安定した幅広い表現力のある歌唱力を維持し、終わりの方に静かなバラードを持ってきても、いよいよ豊かな表現力と声の延びで歌い切るだけの、ライブ歌唱力自体の質的向上。

「まだ2曲目みたいな感じ!!」

という、私も生で聴いた落日(最終日)SE冒頭でのayuの発言は本心から出たものであろう。

この”(miss)understood"ツアーにおいて、私は、ayuが、マキシでのCD収録の時点でよりもむしろはるかに雄大な表現力と細やかさを増した表現力すら両立させて、実際にライブで聴かせてしまう現実に驚かされた。

 以前ライヴ体験の直後に書いた時には、「この表現力はCDに収まりきらないのではないか」と書いたが、驚くなかれ、今回のDVDでは、CD発売時よりもアルバムよりも更に豊かになった表現力の幅そのもの収録に十分成功しているように思う。

 そう、「この」表現力だったんだよ!! というのが、ちゃんとDVDに収まっている。極論すれば、この、アルバムよりも更に深化した「歌唱そのもの」を「聴く」ためだけにでも、アルバム"(miss)understood"
浜崎あゆみ - (miss)understood
をお気に入りの人は、このライヴDVDも購入する価値があると私は判断する。

 ちなみに、私がDVDを「観る」ためのDVDプレーヤーは、楽天オークションでわずか数万で手に入れた「VHS兼用機種」であるに過ぎない。いくらLINN KLASSIK MUSICと、スピーカー、タンノイのスターリング
(私のは、HWという型番が付加された、すでに10数年は近く使い込んだかなり旧世代の製品。でも、修理なしのままで、全く無理のない「現役」である)という、イギリス製どうしの相性のいい取り合わせ、しかも「人間の声の質」に対する敏感さのある装置たちがその先につながれているとはいえ、単なる2ch再生で、ここまで代々木でのayuの歌唱の表現の幅と、それが響き渡る体育館の空間の「空気そのもの」の再現を体験できるとは思わなかった。

 恐らく、私の装置の問題ではない。ayuの歌唱力そのものが伸びているのが、媒体を経ても「伝わってしまう」ということだと思う。


*****


 私は、ayuのライブの好不調は、機器や収録の音質にあまり関係なく伝わる気がする。

 ayuのライブ歌唱における大きな転機は、2004年のMTV AWARDSの「授賞式の日(!!)」の、
浜崎あゆみ - Memorial address - Because of You
"Because of You"
一曲だけの、それまで聴いたことも観たこともないくらいの、超ド迫力のオーラのあるパフォーマンスと歌唱が大きな「転機」になっているというのが私の勝手な判断である。これを「家宝」にしている「通の」ayuファンは少なくないと私は勝手に推測します(^^)。

 このYoutubeで、家宝にできるayuファンは増えたと思いますが(^^)【07/11/29追記】

 .....これ、どうみても音質や伝送メディアの条件、凄く悪かったのに、そんなこと無関係。

 私は、アルバム”Memorial address"収録のこの曲、どっちかというと、このミニアルバムでは普段そんなに繰り返して聴かない曲だった。どころが、このライヴをきっかけにこの曲を「完璧に見直した」し、それ以降のライブの発売されたものの中でも、この曲は明らかに「聴き物」曲に豹変していた。2004年のツアー最終日での"Because of You"のDVDも記録に残る歌唱も凄みがあるが、これは緻密に練り込みに練り込まれた上での完成度。

 MTV AWARDS授賞式の日のそれの時には、はっきり言って、それまでとは「別人格」のayuが突然に現れた、というしかない、ギラギラとした野獣のような、「神懸かり的な」燃焼度だったのである。 

 この時、ayuは直感的に「何か」をつかみ始めた。そして、「通常の」ライヴでの歌唱水準との「ギャップ」や、「好不調の波」を克服して行くことに、「いよいよ真剣に」取り組み始めた....私はそう信じている。


*****


 ちなみに、私が「生あゆ」初体験したのは一昨年の2004年のツアーの、代々木での「中日」である。
 この時、私は会場の音が「予想外に悪い」と感じたし、ayuもちょっと力をセーブしているのではないかと感じた。

 この時は私が「夢想」していた「要求水準」が高すぎたのかとも思った。

 ....が、今年(2006年)のツアー初期の長野の2日目、はじめの方の
浜崎あゆみ - Secret - Born To Be...
"Born To Be..."

浜崎あゆみ - (miss)understood - STEP you
"STEP you"
こそ音程が怪しかった。

 だが、それ以降は、むしろ、アルバムの時「以上に」深みのある歌唱を聴けたと感じた。

 それだけの熱唱をした後なのに、アンコールの静かなバラード、
浜崎あゆみ - HEAVEN - EP - HEAVEN"heaven"
"teens"("teens"が「ayu単独のCDで聴けるのはこのマキシアルバムのみ
浜崎あゆみ - Startin'/Born To Be... EP - teens (acoustic version)
)に至り、この2曲を溺愛し、iPodで数百回は聴いていたはずの私の思い描いていた「理想」を遙かに超えた、「異次元の」表現力の幅と細やかさにいよいよ突入してしまうのに「圧倒」されたあたりから、

「こ、この人は、とてつもないライブ歌唱力に突入している!!」

と確信したのである。

 すでに枯れた声を騙し騙しコントロールして歌っているのではない!! コンサートが終わりに向かうほど、精緻であり、かつ、魂がこもる名演になる!!

 こんなインパクトのある歌声をツアー初期のこの段階で、コンサートの終わりの方で聴かされたら、代々木最終日も行くきゃない!!

....そう決断するしかなかったのである。


******


 おととい、大船の街に出た時も、デパートの中で、ちょうどアルバム"Secret"での新登場曲の、
浜崎あゆみ - Secret - momentum
"momentum"
が流れていた。

 デパートのBGMとして聴いても、この、いかにもクリスマス受けしそうな、わかりやすい曲想のこの曲のayuの声の質は、何か不思議な「芯の強さ」と「存在感」のあるものに感じられて仕方がなかった。

 この曲1曲を繰り返し聴きたくて、
浜崎あゆみ - Secret
アルバム"Secret"
を買う人は、必ずたくさんいる。

 中には、ふと耳を止め、この曲誰かを調べ出して、「何を今更の筈の」浜崎あゆみだと、後で気がついて、「呆然とする」人も出そうな、耳を引きつける「声そのものの、新鮮な存在感」だと思う。


******


 .....短く終わるつもりが、長くなってきた。

 ここまでは、以前書いた記事をまとめ直してメリハリをつけたようなものだ。

 一番いいたかったことは、次回に譲りたい。


 ......それは、おこがましくも、私、こういちろうの、急激なカウンセリング「ライブ」のスタイルの変化の問題とも結びついている(^^;)

 私は、ayuのライブでの歌い方の変化に自らシンクロし、「影響を受けた」形で、自分のカウンセリングの様式と「心身の状態」を変化させた、「とも」感じている。

 それについての「仮説」を検証するには、もう一度DVDを視聴して、ayuファンの読者にも再確認してもらえるとおもしろいかもしれない、具体的なチェックポイントを改めて「メモする」ことで「順序の確認」を必要があるし.....

マジですってば!!


               (続く)

1.今週のセール(週替わり)HMVジャパン

カウンセラーの「中立性」の私なりの定義

 ここまでくると、いわゆる、カウンセラーの「中立性」について、次のように逆説的な定義をすることができます。

 「クライエントさんとの関係の間で生じる
カウンセラー自身の様々な思いについて、
面接場面の中でまざまざと生々しく気づきつつも、
それを言葉にも表情にも出さずに
『そこにいる』ことに耐え
更に、
そのようにして『耐えている』自分に、
生々しく気づいている自分を、平静に自己受容
しつつ、クライエントさんの話を受容的に、
関心を持って聴き続けることができること。」

**********

「中立性」を、
簡単にとれる態度であるかのように、
平然と語り合える臨床家同士の関係になったら、
単に、
「鈍(にぶ)くなった」だけです(^^)。


追伸:ayuの今年のライブDVDについては、この次の記事、夜にでしょう。

2006/12/21

佐治先生だけが言ってくれた(第3版)

 「おまえ、まだひとりで全部稼(かせ)いでいないだろ?」

 それがどういう場面で、どういう脈絡だったかすら思い出せない。

「恐らく」日精研(日本・精神技術研究所・心理臨床センター)でのことである。

 それがあまりに、唐突とした脈絡に私は感じられたし、その直前に長い会話をしていた記憶がないのだが。

 その頃私は、日精研からの嘱託(派遣)カウンセラーとして、法政大学の多摩学生相談室の非常勤の仕事と、時たま入る、都心の日精研での「フォーカシング個別指導」の助言者(トレーナー)のひとりをしながら、東大の大学院の研究生をし、併設の心理教育相談室で研修を受けていた。確か、それらがすべて重なる「その年」のことだったと思う。

 以前も書いたが、私が東大の「大学院」に、研究生としてであるにしても、正規に3年間在籍することができるようになるまでの過程そのものが、ほとんど信じられないほどの偶然と、私の執着気質的な「執念」で、当時の立教の大学院の実験系の先生方を根負けさせたこと、更に、はっきりいって「ずるい」機転による抜け駆け、そして何より、当時の私の水準におけるフォーカシングについての理論的・実際的理解力すら率直に認めて下さった村瀬孝雄先生の誠実な人徳なしには考えられないものであった。

 何しろ、この段階で、日本の開業常設カウンセリング機関で、「フォーカシング個別指導」を、有料で、一般の皆様に向けて常時受け付けていた(予約制だが)のは、日本広しといえども、東京の日精研だけだった。

Focusing_hyoushi_1 私以外の担当者は、当時唯一の翻訳された「技法書」だった、ジェンドリンの「フォーカシング」3人の共訳者の先生方のうちのお2人、つまり、当時東大の、我が恩師、村瀬孝雄先生と、確か当時まだICU(国際基督教大学)におられたはずの都留春夫先生という、当時ロジャーズ派系の日本を代表する大家だった(ちなみに、もうひとりの訳者は、今も臨床心理士をなさっている皆様で存じ上げない方は少ないであろう、当時九州大学の村山正治先生である)先生方である。

 はっきりいって純粋の「臨床的経歴」からすれば、20代の研修中の社員と50代-60代の部長・重役が、同席の「担当者」として名前を連ねているというのに近い、異様な事態だったと思う。

*******

 ところが,現実は、経済的には、「新入社員以前」もいいところだった。

 恥ずかしながら、まさに冒頭の一句の状態だったのである。

 そして、それを全く唐突に思えた脈絡で、私に切り出したのが、日精研心理臨床センター所長をなさっていた、佐治守夫先生だったのである。

*******

 佐治先生は、千葉県市川市国府台にある国立衛生研究所附属病院の精神神経科で、「日本最初の」職業心理カウンセラーのひとり(恩師村瀬孝先生もその中のひとり)をされた後、東大教育学部で教鞭を取られ、東京大学教育学部心理教育相談室という、「大学院生のための研修機関を兼ねた、常設外来カウンセリングルーム」の先駆けのひとつ(今では全国数十の「第一種指定校大学院」に存在するが)の設立から、「佐治門下」と今日言われる、今現場や教壇の第一線にある、数々の優秀な臨床心理学者や現場カウンセラーを輩出するまでの時代に教鞭をとられた。

 だれもが佐治先生は定年退官後、もっと定年の長い別の有名大学がらの招聘を受けられるものと想像していた。ところが、佐治先生は、敢えて、「単なる現場カウンセラー」に戻る道を選択される。

 しかも、それは、すでに「株式会社」という形態を持った組織として完全に自活していた、予想外の「企業」の、いわばベンチャー部門の立ち上げのようにして、今から30年前、ささやかにはじまるのである。

 それは、賃貸ワンルームマンションの一室からはじまったという。

 クライエントさんは最初ほとんど来なかったそうである。そのうちに、その場は、佐治先生を慕うカウンセラーたちのささやかな研修会の場ともなり、後に「佐治研究室」という研修生システムとなる。

 その後、20年近くかけて、日本精神技術研究所心理臨床センターは、スタッフを増員し、より大規模なビルへと移転を繰り返し、佐治先生所長時代の末期には、ついに「各種学校」としての法人格を持つ、「心理臨床学院」を併設する、病院附属ではない、日本を代表する民間大規模開業カウンセリング機関、兼、全国の著名カウンセラーをゲスト講師として招聘するカウンセラー研修機関となる(もとより、指定校大学院ではないので、臨床心理士の資格取得そのものをここだけでできるわけではない)。

 だが、その.30年前のワンルームマンションの草創期から、10年前にお倒れになり、数日後お亡くなりになる「その日」まで、この相談機関の現場カウンセラーとしての「主戦投手(捕手?)」は、佐治先生であり続けた。定年退官後の20年、驚くべき数の面接数を担当し続けておられたことは、その最後の数年に末席から様子をおうかがいしていたにすぎない私にも、「面接予定表」の埋まり具合についての記憶がある。

******

 私は、フォーカシング個別指導以外、研修を受ける側を含めて、日精研の催しに積極的に関与することは今日に至るまでないままである。 

 最初の頃、月に一度の事例検討会にも参加を許され、佐治先生の前で学生相談におけるフォーカシングの活用の事例を提出させていただいた記憶もある。

 いくつかの感想は参加者から散発的にいただいたが、「積極的評価」も「批判」も受けなかった。佐治先生は、ほんの数言、司会的な言葉を挟まれただけだったと思う。私にはそれが「ひどくこたえて」、それ以降、事例検討会から足が遠のいた気がする。

*****

 それから、2,3年は後の言葉だと思う。冒頭の一句を、ほとんど出会い頭のご挨拶程度の儀礼的日常会話の際に,突然ぶつけられたのは。


 「おまえ、まだひとりで全部稼(かせ)いでいないだろ?」


 その時は、その言葉にぎょっとしながらも、できるだけ平常心を取り戻した。


*****


 ところが、その一言を言われたということが、あとあとまで私の中に残るのである。平均すれば、週に一度近くは脳裏を掠(かす)めたかもしれないくらいに。

 なぜなら、立教の大学院時代からを含めて、私に、上記の一言を面と向かってつぶやいた「カウンセラー」は、佐治守夫先生、たった一人だったからである。

 もちろん、私はそのへんのことになると、口を濁していたから、何か別にバイトぐらいしているのだろうと思い込んでいた周囲の人も多いかもしれない。でも、私はそれを、

「周囲のかなりの範囲の人が漠然と『察して』いるのに口にしていないだけ」

と思い込んでいた。「見抜かれている」と確信して「いた」
 
 そして、実はそのことを誰も「もろに」言ってくれないことそのものに、カウンセリングの世界の「厳しさ」をひしひしと感じて「いた」

 でも、どこかで、そのことを私につきつけて説教「してくれない」周囲への、屈折した「恨み」も感じていたように思う。

(土井健郎先生にご登場いただくまでもなく、今思えば、これ自体が「甘え」だったと言わざるを得ないです。

でも、「そういうのは『甘え』だ」、と「言葉で」突きつける一般の人やカウンセラーには、何か違和感があります。堂々巡りに本人を追い込み、結局今度は他人に「そういうのは甘えだ」を連発する人間にしてしまうだけですから。「そこから先が」ホンモノの関係性と信じます)

******

 実は、佐治先生に

あのダイレクトな一言を言っていただいていて、

しかもそれがよりによって、

私が「実際に」大学カウンセラーや非常勤の大学講師をして「ほんとうに自活」するまで、

後にも先にも、この時、

佐治先生から

「だけ」しか

いただけなかった一言だったからこそ
私はその後、
つぶれてしまうこともなく、
思い上がり過ぎることもなく、
研究者や教職の道をめざすこともなく、
現場臨床にこだわる「カウンセラー」として生き延び、
独立開業カウンセリングという世界に踏み込んだ気がしてならない。

 今にして思えば、
 あの一言こそ、 
 私への

 最大の「救い」、

 その後の生きる支え

 となる

  「受容と共感の」
   ひとこと

 「だった」のだと思う。

 私にとって、佐治先生とは、まさに冒頭の「図星」をまともに「言ってくれた」、(ここだけ「敢えて」敬称は使いません)、唯一のカウンセラーとして,恐らく私の生涯、ずっと記憶されていくのである。

******

 どんなクライエントさんとも、一般にいわれている意味での「受容と傾聴のカウンセラー的態度」で一貫して接することで、尊敬を集め、希代の名カウンセラーのひとりといわれる佐治先生は、実は、自分の教え子たちひとりひとりとは、たいていといっていいほど、「伝説に残る大げんか」を一度はしておられるらしい。

 私はそれらについて、「また聞き」を含めて、知る範囲のことを語ることはもちろんできません(^^;)。

*****

 ただ、そういう、日精研で、佐治先生と、私などより遥かに密接な関係にあった諸先達を含む皆様たちによる、「それぞれの方の」人生の重大転機となったのかもしれない、佐治先生との「思い出深い一言」が文中にたくさん掲載されている、没後10周年の寄稿集が、日精研直販でなら、どなたでもお買い求めになれます。

 実はまだ日精研公式ウェブサイトの書籍販売コーナーにまだ掲載されていないようですが(06/12/21現在)、


Sajisensei_1

日本・精神技術研究所 編

「日精研における佐治先生」

日精研叢書 第3巻


......定価1,050円(税込み)、送料150円です。

注文について、詳しくは、上記のウェブサイトをご覧下さい。

 私のカウンセリングルームにカウンセリングやスーパービジョンに実際においでいただいた皆様には,ご希望がある場合「摘価で」お分けいたします。

(以上の件、すでに日精研の担当責任者の方にご了解いだだいています)


*****


 BGMは、敢えて、確信犯で、浜崎あゆみの新アルバム、
"Secret"です!!

 実は「確信犯」と言っても、この書き込みの「第2版」のために敢えて大船の私のオフィスまで自転車を飛ばす際途中で、ホントに突然フェルトシフトして「洞察」したことなのです(^^)。

ほんの数行目から、細かい字句修正と、「独特のリンクの張り方」以外、まさに「ライブの」フォーカシングをしながら、一貫して書いてます。

 私がこのアルバムについての書き込みの2つめぐらいから、漠然と、しかしはっきりと「全体像」をつかんで「いた」事柄、まさに一連の書き込みで"around"しながら迫ろうとしていた問題を、この書き込みまでかけて、「やっと、いくつかの切り口から、かろうじて書けた」という思いがあるからです。

 そう、私がこの「秘密(Secret)」を語る必要が「あった」んですよ(^^)

2006/12/20

私の「相対性理論的」な変化過程(?)

1.以前の私は、ブログの記事を増やさないと、カウンセリングルームにおいでいただけるお客様(クライエントさん)は増えないと思って「いた」ことに気がつきました。
 
 「愛読者の数はクライエントさんの数と正比例する」

ことを、自明の前提にして「いた」自分に気がついたのです。

 ところが、実際には、おいでいただいた皆様の多くが、それまでブログの内容は読まないままに申し込まれた方がであることに気がつ「いた」わけです。


2.次に、ブログの記事を書き続けていないと、ブログの継続読者の方の数は減るのではないかと思って「いた」自分に気がつきました。

 「ブログの記事の数は継続読者の数と正比例する」

ことを、自明の前提にして「いた」自分に気がついたのです。

 ところが、実際には、無理してまでは記事を書かないでしばらくいても、読者の数が減らないでいたことに気がつ「いた」わけです。


3.次に、自分が、お客様が増えないことに焦って「いた」自分に気がつきました。

「お客様が増えないことと自分の焦りの量は正比例する」

ことを、自明の前提にして「いた」自分に気がついたのです。

 ところが、実際には、そのことに気づいた時点で、「全く原因不明のまま」、お客さんが少しずつ増えていることに気がつ「いた」わけです。


4.すると今度は、お客様がささやかながら増え出すと、自分は心身の余裕を失うのではないかと思って「いた」自分に気がつきました。

「面接数は心身の疲労度と正比例する」

ことを、自明の前提にして「いた」自分に気がついたのです。

 ところが、実際には、お客様が増えるにつれ、心身の余裕がむしろ増してくることに気がつ「いた」わけです。


5.次に、心身の余裕が増してくると、ひとりひとりのお客様への面接が雑になるのではないかと思って「いた」自分に気がつきました。

「心身の余裕とは面接の丁寧さは反比例する」

ことを、自明の前提にして「いた」自分に気がついたのです。

 ところが、実際には、心身に余裕が出てくると、面接が丁寧で密度が濃いものになり、なぜかしばらくぶりに再来されるお客様が増えていることに気がつ「いた」わけです。


*****


6.更に、面接が丁寧で密度が濃いものになると、クライエントさんはその私の気遣いの濃さを負担に感じ、面接から離れる「反作用」が生じると思って「いた」自分に気がつきました。

「面接の密度の濃さはクライエントさんの負担感と正比例する」

ことを、自明の前提にして「いた」自分に気がついたのです。

 ところが、実際には、面接の密度が濃くなると、同じお客さんが進んで次の予約を入れて下さることに気がつ「いた」わけです。


7.次に私は、面接が少しずつ増え出すと、その分ストレスがたまって思わず一品買い物を増やしてまた太り出すのではないかと、と思って「いた」自分に気がつきました。

「ストレスと無茶食いは正比例する」

ことを、自明の前提にして「いた」自分に気がついたのです。

 ところが、実際には、以前よりダイエットに意識的努力がいらなくなり、余計な一品を買う気を失い、食費も低下した分、「相対的な」金銭的余裕ばかりか心の余裕すら生じる自分がいることに気がつ「いた」わけです。

8.そして、心の余裕が生じると、注意散漫になるのではないかと恐れて「いた」自分に気がつきました。

「心の余裕と集中力は反比例する」

ことを、自明の前提にして「いた」自分に気がついたのです。

 ところが、実際には、心の余裕が生じた分、集中力が増すばかりか、自分の心身の細やかな変化に敏感になることに気がつ「いた」わけです。


9.次に、自分の心身の細やかな変化に敏感になると、クライエントさんとの関係の中で自分を見失う度合いが高まると思って「いた」自分に気がつきました。

「自分への敏感さはクライエントさんへの巻き込まれやすさと正比例する」

ことを、自明の前提にして「いた」自分に気がついたのです。

 ところが、実際には、自分の心身の感覚への敏感さが、すでにクライエントさんへの余裕ある柔軟で細やかな対応が、どうもほんとうに役立っている「らしい」ことを語ってもらえる機会に遭遇しだして「いた」わけです。


10.次に、敏感であることは「疲れる」ことだ、と思って「いた」自分に気がつきました。

「敏感であることは疲労と正比例する」

ことを、自明の前提にして「いた」自分に気がついたのです。

 ところが、実際には、疲れなくなるための、生活上の様々な具体的な工夫を自発的にどんどん思いつき、実践する上で、その敏感さこそが役立ち、ミスや、余計な同じことの繰り返しをなくしてくれることに気がつ「いた」わけです。

 恐らく、「軽やかな敏感さと注意力」という、一見矛盾したものの本質に気がつきだしたのですね。

*****

11.最後に、こうやって日常や業務上のことに几帳面になると、ブログの文章を書く余裕がなくなるはずと思って「いた」自分に気がつきました。

「日常や、業務上のことへの几帳面さとブログを書く労力は反比例する」

ことを、自明の前提にして「いた」自分に気がついたのです。

 ところが、実際には、ここしばらく、このように最近はほぼ毎日何か書けてるんですね。以前よりもローカロリーで、しかもひとつひとつの想を練ってから発表までにゆったりとした気持ちを保ったままでそれができることに気がつ「いた」わけです。


*****


追記:

 何しろ、この書き込みを早く仕上げるには、同じ語句を繰り返すテンプレート(ひな型)を先に作り、「1回コピーしたもの全体を更にコピーする」という作業を「4回」繰り返した上で穴埋め的に書き込んでいくと楽だ、と、2.のあたりであっさり気付「いた」くらいです。


「人は変化した時、『二重の"過去"("was")』を持つ」

    ...ユージン・ジェンドリン

*****

"was"=「いた」

*****

2006/12/19

ブログ開設2周年、今後ともよろしく!!

 昨日(2006/12/18)の記事をアップしてしまうまで、昨日が「カウンセラーこういちろうの雑記帳」開設2周年だったことをすっかり忘れてました。(^^;)

 最初の記事って、これです(^^)

 この記事で通算610本目一日平均0.83本
 長文が多いのによく書きますね、私って全く(^^;A
 すでにこのブログ本体のhtmlだけで3,769KBの過去ログになります。

 ちなみに、左テーブルの「バックナンバー」の文字をクリックすると、この過去2年間の月別のバックナンバーの一覧ページになります。

 このことは、ココログユーザの皆さまの多くはご存じとは思います。でも、意外と私の記事の読者の方々って、インターネットのヘビーユーザではない皆様もおいでのようですので、一言ご案内させていただきます(^^)。

 今後とも、どうかよろしくお願い申し上げます。

 

2006/12/18

日常次元での「治療的副作用」への想像力(第3版)

 当ブログの<<「症状」こそ「自然治癒」の働き、という場合もある>>という記事、最近「今週のベスト20」に時々ランキングされ、お読みいただける皆様が増えていることに感謝いたします。

 そこで引用させていただいた、神田橋先生の次の言葉を出発点にして、今回は書きたいと思います。

治療は,有益な時も、無効の時でも、必ず生体に対して有害な作用をもたらします。そして副作用として表現されるものは、もっぱら生体[恒常性]の対処反応であり、歪み自体ではありません。(中略)治療者は、治療の名のもとに、どのよう歪みを引き起こしているかについて、五感と想像力を駆使して推察する必要があります。」

Genbakaranochiryouron_1_1神田橋條治:"「現場からの治療論」という物語"p.56-57より。


 ここで、以前解説したのとは別の観点からこの言葉をとらえてみます。

 治療が、「有益な時でも、無益な時でも」、必ず生体に対して「有害な」作用をもたらす、といわれてしまうと、「そんならどうしたらいいの?」とお感じかもしれませんね。「五感と想像力を駆使して推察する」てったって、どうすればいいの? それが難しいんでしょうが?....と。

 「こんなふうだから」神田橋先生の治療論は「アート」だ、と、いろんな方からいわれてしまうわけでしょうが(^^;)。

*****

 でも、ここで神田橋先生が言われたいのは、

「治療者自身は、心理療法過程が前に進めば、治療がどんどん楽に進み、治療者もその技法を「同じように」繰り返していればよくなり、クライエントさんも楽になる、などと、軽率に考えるなよ!!」

 ということだと思います。

 この神田橋先生の発言と照らし合わせると興味深いのは、中井久夫先生が様々な著作の中で繰り返しお述べになった、


「患者さんは治療という『仕事』をしているのである」


......という発言かと思います。

 しかも時間とお金を奪われる『仕事』です!!


 ......そういえば、

「楽しいことも疲れる」

という名言もありますが、
それは今は置いといて..... ^^:


*****


 神田橋先生も、中井先生も、こうした言葉を、実は精神神経科に限らない、すべての医療に通じる問題として普遍化して述べている点に注意する必要があると私は思っています。

 例えば、歯医者さんに通うということは、歯の痛みをはじめとする苦痛から解放されるためのものなのですが、そのために長期間に及ぶ時間とお金、更に治療過程での苦痛代償とすることが少なくないわけですね。

 なるほど、抜歯をするときは麻酔を注射してもらいます。しかし、あの注射には独特の凄い痛みがありますよね。

 .....私なら、

「歯ぐきに何か<<痛みの塊>>みないなものを膨張する形で『圧入』される感じ」

といいたくなりますが。

(こういうひどく「感覚的な」事柄について伝える比喩のセンスの向上に,フォーカシングを「身につける」ことは貢献します.....と自己宣伝)

....私は子供の頃、これが嫌で歯医者でワンワン泣いていた一時期があります。
 
 これそのものが、麻酔の最初の「副作用」だと思います。

 そして、麻酔の効きがイマイチだと、痛い部分を,思いもよらない瞬間に、どんでもない痛みで、ぐわわわわーーーーんと「掘削工事」されはじめる事態になる。そして更にあの「痛い注射」が追加される!!

 痛みが消えて治療が進む間も、なんか知らんけど、ドリルやら、トンカチめいた衝撃が伝わるものや、やっとこみたいな「工具」で、自分の口の中が「工事」され、削られた歯の粉末の独特のにおいや血の味、膿のにおいがしているのを感じ取るだけで、身体にただならぬ緊張が走る。

 麻酔は数十分後には切れ始め、痛み止めをもらっても、傷のうずきがまるでないということなどない。数日間はそのうずきというストレスに耐えことになる
 
 特に奥歯の抜歯の後は、仮に縫合されていても、何かを食べるとなったらかなり痛むどころか、そこに食べ物の一部が引っかかったままになった時の痛みは結構凄いもの。

 そして、抜糸をした後も、歯ぐきには空洞が残るわけで、普段は気にならなくなってきても、ご飯粒ひとつがズポッと入り込んだりしたら最後、激痛になる場合もある。

 そして、歯ぐきの肉が盛り上がり、入れ歯の型を作れるようになるまでの間、数週間、それまであった歯がそこにないゆえのぎくしゃくした食べ方に耐えることになる(徐々に慣れはしますが)。

 そして、あの型を取るための石膏のようなものにかぶせる「歯ぐき型の網状の金属」が歯ぐきにあたったまま10分は耐えるというのがこれが痛い。

 更に、入れ歯ができても、歯ぐきと合わないと歯ぐきは痛い。特に食べ物がはさまると最悪。部分入れ歯は、得てしてそれをひっかける歯に何らかの痛みを感じさせることも多い。

 そして、口の中の空間が狭くなることの違和感と最初はかなり戦うはめになるし、何らかの意味で言葉を発音する際に以前のような舌の使い方では発音できない苦痛というのがあります。

 .....これだけの難行苦行を乗り越えて、自分の身体の一部のようになり、普段はつけているのを忘れるくらいの入れ歯に巡り会えた人は幸せです(^^)。得てして、いくら修正しても、歯ぐきが痛んだり、簡単にスポッと外れる現象が生じる。

 
 こうして身体の実感から細かく「想像して」みると、歯科治療においてですら、人がどれだけの「副作用」としての「苦痛」を代償としている面があるのかがわかります。 


******


 日本語で「セラピー」というと、何か「癒し」と結びつくポジティブなイメージがあります。

 しかし、現実には、何らかのたいへんな状態にある人にとって、そもそも日常の中の一定の時間を割いて、精神科、心療内科やカウンセラーのある「場所」に「定期的に移動する」という行為そのものが何らかのストレスになることも多いでしょう。

 自分の普段の生活圏内に無理なく治療機関・相談機関が「所在」する環境に恵まれている方は必ずしも多くないと思います。鬱の人が重い足を引きずり病院にたどり着くまでのストレス。閉所恐怖、対人恐怖の人が長時間待合室で待つストレス。予約制でも、その予約時間に確実にたどり着くことそのものがストレスになる状態の人は稀ではないでしょう。

 (もっとも、中には、そうやって治療機関に通うための特別な寄り道の「行程」そのものが、すでに苦しみに満ちた現実の単調さから自分をほんのひととき救ってくれるオアシスのような息抜きになるという皆様もおられるかもしれません)。

 そして、実際には、面接の場でのやりとりというのは、仮に話をうまく聴いてくれるいい先生であった場合ですら、クライエントさんは実は結構「疲れる」ものです。

 親切な先生であっても、自分が本当に伝えたいことを伝えることの難しさ。
 
思いもよらない瞬間に先生の反応に当惑したりショックを受けることが全くないままということはなかなかない。

 そこまでいかなくても、面接の後、何となく疲れたとか、それどころか「退屈感」、それまで感じなかった新たな不安がわき起こることもないわけではない。

 仮に心穏やかに家路につけても、家に帰ると、あるいは翌日になると、また苦悩のもとのストレスフルな日常世界、ないし、日常生活から「疎外されている」と感じさせられる居場所が待っている。その「ギャップ」を自分で支えねばならない。

 お金と時間をそのために使っているということもストレス要因。

 治療やカウンセリングに通うということそのものが、家族にせよ、職場にせよ、周囲の人間との「何らかの」新たな摩擦や軋轢(あつれき)というストレス要因になることも少なくないのです。

 下手に治療やカウンセリングの内容を家族や友人にそのまま話すと、ああだこうだ勝手な感想を言われまくるのもすごいストレスになることがあります。

 逆に、治療やカウンセリングに通っているのを「隠している」というだけでもストレスになる方も多いでしょう。


*****


 医療に限らず、カウンセリングや心理療法の「副作用」を考える際には、まずはこうした次元でクライエントさんが体験するストレスに対する「想像力」からスタートしないとならないと思います。

 それらの「反作用」「ストレス」にもかかわらず、でも、通っただけの甲斐があった、と、最終的に感じてもらえるために、医者やカウンセラーは、いつどの時点で、どういう配慮をしなければならないのか?(面接や通院を取りあえず休むことや、他の機関への紹介のあり方すら含めて)


......こうしたことを思いつつ、日々の精進を重ねている私です。


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2006/12/17

今週の人気記事ベスト20!!(12/10-16)

 恒例、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「先週」記事別アクセス解析機能を使っての「ベスト20」の発表23回めです(^^)

 固定リンクでのアクセス率の順位のみから集計しています。
 7×24時間、つまり12/17日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ1,435(前回1,490)。(一日平均205.00アクセス。前回212.86)と横ばい。

 訪問者実数は、1.153名様(前回756名様)とこちらは大きく回復!!

 「サイト内移動」、291(33.4%)の前回に対して今回245(35.0%)、トップページへの外部からのアクセス、前回239(27.5%)に対して、今回251(34.6%)。

 しかし.....当ブログの「一限さんでない率」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、前回8.0%、今回も8.1%と、この23週最高記録更新です。

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」は前回8名様に対して今回7名様と落ちました(^^;)。

 それでは記事別ランキングの方の発表!!


*********


1.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(↑)17週連続

2.インシュレーターは使わないに越したことはない(↓) 16週連続

3.私のピュアオーディオシステム(そこに更にiPodをどう繋ぐか) (↑)4週連続

4.「死にたい」と言ってもらえること COME BACK!!

5.カウンセラーの皆様のための、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」の歩き方(^^) NEW!

6.先週の人気記事ベスト20!!(12/3−9)

7.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~ (↓) 3週連続

8.「オイルヒーター」カテゴリーへの直接リンク (↓) 7週連続

9.私のスーパーバイズ ~実践編~(↑)

10.やはり、耳栓型イヤフォンの名機、SHURE E5cについて書きます(↑)

11.オーディオにおける接点復活剤について (↑)4週連続

12.「イリオモテヤマネこういちろう」の挟持 NEW!

13.「スピーカー」カテゴリーへの直接リンク NEW!

13.「人に迷惑をかけてはならない」の呪縛(↓)

15.「症状」こそ「自然治癒」の働き、という場合もある。 COME BACK!!

16.「2006年10月」バックナンバーへの直接リンク NEW!

17.どうも私はほんとうは「逆上がり」がしたかったようである(^^;)(↑)

18.新・私のフォーカシング:序論 NEW!

19.「村瀬嘉代子」カテゴリーへの直接リンク  (↓)

20.「共感的に」人の話を聴くとは?(入門編)  (↓)


*****


 13位はアクセス数も訪問者数も完全に同じなので2つずつあります。

 カウンセリング関係の記事の盛り返し,5位の記事で初の「ベスト盤」投入に踏み切り(?)意識的にプッシュしましたが、さりげない盛り返しは更に進んでいる印象です。


*****


 ちなみに、これを書いている「今、この瞬間」(12/17 AM 02:42)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、 116610、フォトアルバムを含めると135083です。

 今日も、ロー・カロリーでここまで無理なくできていると,私のフェルトセンスはOKサインを出してくれています(^^)


 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

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2006/12/16

浜崎あゆみの"Secret"について その2

 アルバム聴き込んで行くうちに、"1 Love""momentum"あたりが、頭の中で「iPodなしで」鳴っていること(^^;)が多くなっていきました。

 "momentum"なんて、曲の冒頭から、「まるで目で見えるように」、粉雪舞い散る街頭の光景と冷たい乾いた空気が彷彿と感じられて来るあたり、編曲者のセンスもすばらしい。

 そうなったあたりで、プロモーションビデオを通して観るタイミングがつかめたんですが、よりによってその"1 Love""momentum"のビデオが、ともかく最初に見た時の衝撃度が半端ではなかったです。はっきりいって「動揺する自分」がそこにいました。

 ただ、なぜか不思議と、その「動揺した自分」を私の中で2,3時間で静かに受け止め、「全肯定」できてしまったんです。私のひとりフォーカシングを役立てるたいへんスリリングなひと時となりました。

 「この」内容に「癒されている」自分が、体全体の実感としてちゃんと現出してしまったんですね。

 ayuの曲ごとの詞の内容の「見かけの」矛盾に慣れてからビデオの方を見た時の処理しがたい混乱。

 それを自分の中で「引き受けてしまった」時、私の中の何かがすごく平穏で暖かい静けさに満たされてしまった。

 そしたら、肩の力がすーっと抜けて、昨日このブログで書いた、私のフォーカシングについての文章が、ひどくロー・カロリーでさらりと書けてしまったんです。

 それは、私にとって世界と人生についての見方が、思いもよらないアングルから観察できるようになるという「おまけ」まで引きずり出しました。ニュートンからアインシュタインにパラダイム転換するのに何かそっくりな転換(入門書は読んでますよ)と感じましたが。

 それについて、「今は」これ以上言うのはやめときます。
 言葉はあまりにも......ですから(^^) 
 期が熟してから。


 だだ、確かなのは、やはりayuの歌が好き(最近のものほど)という思いですね。

 アルバム"Secret"

参照:
アルバム"I am..."

2006/12/15

新・私のフォーカシング:序論

 これから、体系的に、私なりの「現時点での」フォーカシング技法のエッセンスについて論じる連載を腰を据えて始めたいと思います。

 以前も書きましたが、私のフォーカシング技法は、フォーカシングの名トレーナー、アン・ワイザーさんの影響が今でも色濃いと思いますが、それ以前も以後も、もっぱら日常の中でのひとりでフォーカシングする中で練り込まれてきたものです。

 一般に、リスナー(ガイド)がいる方が、フォーカシングのセッションはやりやすいと言われています。しかし、私はこのことに公然と反旗をひるがえしているんですよね(^^)

 「リスナーがいる方がセッションは展開しやすい。しかし、一フォーカサーとしての「私』にとっては、個人としての日常生活に影響を及ぼす深いセッションにはなりにくい」

というのが私個人の実感なんです。

 私がフォーカシングを学びだした1-2年ですでに困惑しはじめたのは、リスナー相手のセッションで深い体験をしても、日常生活の中に、その好ましい影響が持続しないということでした。

 そして、日常生活の中でこのことについて相手をしたいと感じるテーマについてのフェルトセンスが、日常生活でと同じ強度と鮮やかさで、リスナー相手のセッションでは体験できない。

 もちろん、リスナー相手のセッションの中では、セッションの中なりのフェルトセンスは感じられ、シフトも生じるのですが、それがどうみても「薄味」に感じられてしまう。

*****

 この段階で、実は多くの人の場合、この段階で、

「フォーカシングは自分にとって物足りない」

とか、

「自分のフォーカサーとしての力量不足のせいだ」

と感じてしまうことが少なくないのではないか。

 ところが私は、そこで、

「リスナーという他者の存在それ自体が、自分を包む「環境」の一部分として、フェルトセンスの重大な構成因子になっていて、十分に自分自身でいられなくしてしまうのだ」

という方向に理解する発想の転換をしてしまったのですね。

******

 ともかくここで、セッションへの不満足感を、私個人のフォーカサーとしての力量不足に帰さなかった。あるいは、私の相手をしてくださるリスナーやガイドの力量不足に帰して、さまざまなフォーカシング教師を訪ね歩いてセッションを持つという方向には向かわなかった。

 少なからぬフォーカシングの初心者の学習の場では、「フォーカサーの自己責任」ということがいきなり強調されます。違和感や質問や、やる、やらないは、フォーカサーが自分の責任で表明することとされているのですね。

 ほんとうは、ここで

「なぜ、フォーカサーの自己責任でないとならないのですか。私は癒されに来たのです」

という発言をする自由も保障されている筈です(^^;)。

 しかし、いきなりこれを「ドグマ」として提示されると、それだけでダブルバインドになり、フォーカサーのフェルトセンスそのものに強力な影響を与えているように思えて仕方がない私がいます。

 つまり、「対人関係の中で自分から違和感の表明や自分の感じていることを表明するのに困っているような人たち」が、フォーカシングを学びに来る皆様の「かなりの部分」を占めるという自己矛盾に撞着する気がしてならない。

「嫌な時には嫌といいなさい!!」と叱られる中で育って、その結果、かえって自分の気持ちを出せなくなった人、感じられなくなった人なんて、世の中にごまんといるはずではないか?

******

 もとより、「リスナーの巧妙なガイディングや教示でフォーカシングを体験できるようになるだけでは、その人の中に自律的なフォーカサーとしてのスキルは育たない」というのも事実です。

 私もこの壁にぶつかりました。

 しかし、私は、現段階で、「フォーカサーの自己責任」という原則の「ドグマ化」そのものの二次的弊害の方が大きくなり始めてはいまいかと感じています。 

******

 少なくとも、個々のフォーカサーに「通じやすい」ような形で、フォーカシングの技法の用語を、場の空気を読みながら臨機応変にパーソナライズした上で、しかもその教示をフォーカサーが容易に取り下げたり、更にフォーカサー自身が『自分なりに加工する』ことができる自由度すらある形で提案する工夫の余地はまだいくらでもある。

 そして、ガイドやトレーナー側が、セッションの最中に生じてくるいろんな感情に自分で気づいて、それをセルフフォーカシングで「最低限必要な」形で処理していき、フォーカサーの自発性と自律性を損なわない態度を一貫させることは可能な気がする(これができてくると、必要以上の教示の提案をむやみに差し挟もうという気がなくなります)

*******

 問題は、こうしたことを、セッションの毎回ごとに、いろんな状態にあるいろんな人に対して、同じ水準を維持しながら達成可能か?ということになります。

 私は割とシンプルに信じているんですよね。

 フォーカシングが身体的技能としてのスキルである限り、スポーツと同じように、ある限られた時期に限られた人のみに可能だったものがどんどん普遍化され、難度が低いものと徐々にされるようになっていくことを。

*******

 少なくとも、こうした気持ちを、億劫がらずに、感情的にもならずに、力むこともなく、率直にきちんと整理して書ける私は、すでにここにいるわけです。

 これまでよりも、無駄な力を使わずにさらっと書けた気がしてます。

「イリオモテヤマネこういちろう」の挟持

 先週書いた「逆上がり」についての私自身のひとりフォーカシングは、具体的な途中の進め方はこのブログでは公開しませんでしたが、私の中では「鮮烈そのもの」というべき体験でした。

 23年半フォーカシングをして来て、ここまでパーフェクトなのは記憶にないという域のもの。その時の身体の感覚をここ数日繰り替えして味わいなおしていました。

(大きなシフトが生じた時の身体感覚の推移を日常の中での自分の実感と重ね合わせて.その『ギャップ』を含めて繰り返し照合し、味わい直すことは,プロセスを更に進めるために極めて大事なことです)。

 それは、私の中に、「やりたいこと」と「億劫でできないできたこと」との間をつなぐmissing linkとは何だったかについての様々な次元での気づきを連鎖反応的に生み出しました。

 両腕を肩近くまでぐっと引きつける力の入れ具合。そのことでことで、体全体が一瞬だけ縮こまり、丸まり、下半身もぐっと引き寄せられて、胴体と下半身の力のベクトルが自然と上向きになり,あるタイミングにのせると、身体が『廻ってしまう』。

  そうするのに必要な下あごの力の入れ方の持って行きようの方向が,私からすれば全く意外な筋肉の力の入れ方になる筈ということ(この仮説が実証された時にはここで公開します)

 別に逆上がりができれば自分の人生はすべて好転すると考えるほど、私は能天気ではありません(^^;A

 ただ,少なくとも、ものごとをやろうとする際の「力の入れ具合」と「そのベクトルの方向性」が、私が予想していたのとまるで異なる方向にあったこと全体に「身体ごと」突如目覚めたのは確かです。

 何か,「行動スタイル」が、さりげなく、しかし無理なく結果を出せる手順と力の配分に変わる予感がしています。

 フォーカシングの変化のステップが「このような」,身体感覚との関わりの「コツ」の変化に核心があることまで、人にどうやって伝えたらいいのか。それを私なりの教科書的ではない言葉で伝えるための試行錯誤の場としての性格が、このブログでこれから強まるかもしれない。


*******

 ........以上、「生涯一フォーカサー」playing managerにしてフォーカシング界の特別天然記念物、最大の「見せ物」を自認し、フォーカシングをまだ実際には体験したことがない人にこそ、さりげなく扉を開くポリシーを貫く覚悟のこういちろうである。
  

2006/12/14

プロフィールページ、古色蒼然としていたのでアップデート!!

 プロフィールのページ、このブログ開設以来「開業」の一言以外ほとんど全くいじっていなかったことに今頃気がつき、実態にあわせてアップデートしました(^^;)

 もう、ayuファンになって3年になるのに「1年」と書いたままだった(^^;)

 私が完全に「同時進行ファン」になったのは、”Memorial address"からです。

2006/12/13

カウンセラーの皆様のための、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」の歩き方(^^)

 さすがに記事の数が600を超えて来ると、いくらWeb上のカウンセリング論Indexを作っていても、そのindexそのものが既に260記事なんていうとんでもないことになっているので、そもそもどの記事から私のブログの記事を読んだらいいのか見当がつかないというご意見もいただくようになりました(^^;)

 そこで、今回は、主としてカウンセラーの皆様向けの記事としては、まずはここからという記事を紹介します。

*******

■受容・共感と自己一致の相克シリーズ

相談に来た方の話を「受容しよう」と「がんばる」ばかりのカウンセラーの弊害

「共感的に」人の話を聴くとは?(入門編)

カウンセラーは、クライエントさんの話を「受容・共感」できない方向に、徐々に追い詰められていくことも多い

自分が相手に共感できて「いない」ことを「自己『共感』」すればいいのだ!!

クライエントさんに「共感できない」気持ちを糸口に、クライエントさんへの深い「共感」への道を開くこと


.........この5作完全な連続した内容になっています。文頭と文末にリンクは張ってあるのでつなげて読めます

 これをお読みになると、ロジャーズ派カウンセリング(来談者中心療法/パーソン・センタード・アプローチにおける「面接場面内でのセラピストの自己一致」とは、実践的にみてどういうことなのかを、噛み砕いて説明したことになっていると、ささやかに自負している連作です。

 精神分析で言う、「治療者の逆転移の活用」というのも、ここで述べたことをアウトラインにすると実は有効に働く筈、と私は感じています。ビオンのいう、治療者が「”container"ななることとか、治療者の"reverie(もの思い)"というのも、実践的に見ればこうしたことだろうと思っています。


*****


 この「受容・共感と自己一致の相克シリーズ」をお読みになった上での方が、


事例検討(ケーススーパーヴィジョン)3部作


が自然と理解していただきやすくなると思います。


「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~

私のスーパーバイズ ~実践編~

スーパーバイザーとカウンセラーの関係は、カウンセラーとクライエントさんの関係の「写像」となる


 まずはこの7編に私のカウンセリング観は集約されていると自負していますので、未読の方はこの順序でどうぞ!!


*****


そして、特に病院臨床系のカウンセラーの皆様で、こういちろうのコアな実力のほどをを検証されたい方には、何と言っても


■特別連載: NHKスペシャル 「うつ病治療 常識が変わる」についての感想

がお勧めでしょう。

 ここまで書いたら、お医者さんとの関係、越権スレスレなのは承知!!

 でも、私のポリシーって、実は、

「病院臨床の臨床心理士との関係より、お医者さんとのダイレクトな人脈作りが肝心」

っていう、鳥ともコウモリともつかない(.....ここで「ケモノ」と書かないところがミソ)、何とも老獪な戦略が基本にありますhappy01



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2006/12/10

先週の人気記事ベスト20!!(12/3-9)

 久々に即時発表の、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「先週」記事別アクセス解析機能を使っての「ベスト20」の発表22回めです(^^)

 固定リンクでのアクセス率の順位のみから集計しています。
 7×24時間、つまり12/9日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ1,490(前回1,682)。(一日平均212.86アクセス。前回240.29)。このベスト20始まって以来最も新規記事を書かなかった週(わずか2編)にもかかわらず、これだけおいでいただき続けていたことに大感謝!です(^^)。

 訪問者実数は、756名様(前回889名様)と、この22週で最低を記録していますが(^^;)

 「サイト内移動」、294(30.6%)の前回に対して今回291(33.4%)、トップページへの外部からのアクセス、前回275(28.6%)に対して今回239(27.5%)。検索エンジンからダイレクトに個々の記事をご覧いただいた方の占める比率が更に増しているようです。

 しかし.....当ブログの「一限さんでない率」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、前回も今回も8.0%と、この22週最高の数値を維持したままです。

 「訪問周期」は、毎日おいでになる「完璧常連様」は前回9名様に対して今回8名様。ニフティココログが3日間近くメインテナンスで新規記事がない告知がでていたのに、それでも見に来てくださる方がガクンと落ちなかっただけでも感謝です。

 従来表示していた訪問頻度ですがニフティココログの教示方法が10日以上に関して、週単位、月単位というアバウトなものに統計処理が変更されたので、今後掲載しません。

 それでは記事別ランキングの方の発表!!


*********


1.インシュレーターは使わないに越したことはない(↑) 15週連続

2.先週の人気記事ベスト20!!(11/26-12/2)

3.今、ayuの新作フルアルバム"Secret"聴き終わりました (↑)

4.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(→)16週連続

5.カウンセラーとしてしか生きられないからカウンセラーをしているだけ? (↓)

6.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~ (↑↑)

7.「オイルヒーター」カテゴリーへの直接リンク (↓) 6週連続

8.通算600番めの記事:やっといいあんばいになってきた? NEW!

9.私のピュアオーディオシステム(そこに更にiPodをどう繋ぐか) (↓)3週連続

10.ヘッドフォン、Bose Quiet Comfort 2のへビーユーザーとしての本音 -万国iPod向けヘッドフォン博覧会 その1-(↑)

11.オイルヒーターの暖房の自然さ (↓) 7週連続

12.やはり、耳栓型イヤフォンの名機、SHURE E5cについて書きますCOME BACK!!

13.「人に迷惑をかけてはならない」の呪縛COME BACK!!

14.オーディオにおける接点復活剤について (↑)3週連続

15.Interactive Focusing TherapyCOME BACK!!

16.私のスーパーバイズ ~実践編~COME BACK!!

16.「共感的に」人の話を聴くとは?(入門編)COME BACK!!

18.親鸞の「歎異抄」の精神とパーソン・センタード・アプローチ (↓)

19.どうも私はほんとうは「逆上がり」がしたかったようである(^^;)NEW!

20.「村瀬嘉代子」カテゴリーへの直接リンク NEW!


*****


 16位はアクセス数も訪問者数も完全に同じなので2つあります。

 今年はオイルヒーターの記事の首位陥落は一度始まると非常にアッサリしていました(^^;)

 それに変わってカウンセリング関係の記事の盛り返しがさりげなく進んでいる印象です。


*****


 ちなみに、これを書いている「今、この瞬間」(12/10 AM 01:01)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、 115082、フォトアルバムを含めると133478です。


 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

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2006/12/09

どうも私はほんとうは「逆上がり」がしたかったようである(^^;)

 これほど驚くべき結論に到達したひとりフォーカシング(正確に言うと途中からホールボディフォーカシング)は、こういちろうといえども、年に一度も体験しない。

 いや、ここまで「驚いた」のは、ちょっとこの10年は体験したことがない

 私は、逆上がりができないままでいたことをこれだけ「心残り」にしながら長い人生を送ってきたとは思わなかった。

 私は、逆上がりができるように、「自分で」なりたかったのである。それを避けて通ったのが人生の最大の誤りだったのかもしれない(^^;)

 だいたい、私に、他人から強制されて「身についた」ものなんて何一つとないのである。人がどのように思おうと、「自己流でしか」ものごとを達成しない。

 自転車は、小学校4年の時に「自分で練習」して、それから数年間はサイクリングの鬼になって、日帰りで80-120キロ、筑紫平野の地図を塗りつぶさんばかりだったではないか!!!

*******

 もし、横浜近辺のどこかの公園で、ひとり、逆上がりをしようと必死にもがいている中年男をこの冬見かけたら、こういちろうかもしれない(^^)

 そのためには、まず胴体を何とかしないと無理だろうって?.....ああ、私はどうしてこんな身体になってしまったのだろう。

 しかしこれでダイエットの「具体的目標」ができて励みになるではないか!!

 

2006/12/08

通算600番めの記事:やっといいあんばいになってきた?

 物事にのめり込んで集中してやる充実感の挙げ句に疲れ果てるはのはもうこりごりだ。

 でも、わざわざ休むのもめんどくさい

 テレビや雑誌で何となく時間をつぶすなんて,想像するだけでおっくうだ


 ......なんていう人がいたら、カウンセラーの人はどう命名するのだろう? 

「鬱」の人からはこんな言葉は出て来ない。

「無気力」とも違う。(だいたい、「気力」でものごとをやるのはいい状態か?

*******

 こういう、矛盾した言葉の用法で、自分の気持ちを的確に表現できるのも、フォーカシングのたまものであろう。

 少なくとも、私がクライエントなら、ここでカウンセラーに、

『「自然体」になってきたということでしょうか?』

などと言葉を返されたあかつきには、「どっちらける」だけだろう(^^;)

 『余裕』と言われる方がいいか?

 ただ、私はその時、

言葉と言葉の間『谷』の『余(あま)り』があるところにいられるのはよきかなよきかな」

などとつぶやいやりして。

******
 
 どうも、「この」スタンスは、聴き手としてのカウンセラーとして結構ふさわしいスタンスで、やっと私も「そのへん」に近づいて来たようにも思えている。

******

 追伸:

そうか、足して2で割ると、漢字は変わるけど『悠然』となるわけね。

 だた、『平然』というニュアンスはないので、『裕然』あたりがほんとうはいいのだが。

 ゆっくりと山あいの長江をさかのぼる諸葛孔明のごとく(三国志にそんな展開なかったと思うが)ありたいものである。ぱさぱさ(扇を振る音)。

 前には進んでいるのである。

 やはり、「軍師」なのである。

2006/12/03

先週の人気記事ベスト20!!(11/26-12/2)

 半日遅れですが、 恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「先週」記事別アクセス解析機能を使っての「ベスト20」の発表21回めです(^^)

 固定リンクでのアクセス率の順位のみから集計しています。
 7×24時間、つまり12/2日(土)24:00の時点での集計です。

 それでは発表!!

 先週の一週間の総アクセス数、延べ1,682(前回1,468)。(一日平均240.29アクセス。前回209.71)。順調にアクセス回復です。

 しかし、訪問者実数は、889名様(前回1,176名様)と、再び縛り込まれました。

 しかし、「サイト内移動」、286(39.8%)の前回に対して今回294(30.6%)、トップページへの外部からのアクセス、前回284(39.6%)に対して今回275(28.6%)とというあたりをみると、検索エンジンからダイレクトに個々の記事をご覧いただいた方が多いと言うことのなるかと思います。

 .....当ブログの「一限さんでない率」、これは同じ人が一度に「何ページ」記事をお読みになったかと無関係な訪問者「実数」比に基づくもののようですが、前回7.9%に対して今回も8.0%となりました、8%台に乗ったのは確かはじめてと思います。


 「訪問周期」では、毎日おいでになる「完璧常連様」は前回も今回も9名様。

 一番多い訪問頻度は、「35日に一度」で40名様、2位が「41日に一度」で32名様、です。見離されるようで見離されないブログ???


 それでは記事別ランキングの方の発表!!


*********


1.オイルヒーターの暖房の自然さ (→) 6週連続  4週連続1位

2.インシュレーターは使わないに越したことはない(→) 14週連続

3.カウンセラーとしてしか生きられないからカウンセラーをしているだけ? NEW!

4.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(↑)15週連続

5.速報!! 2009年5月、フォーカシング国際会議、日本の淡路島で開催決定!! NEW!

6.「オイルヒーター」カテゴリーへの直接リンク (↓) 5週連続

7.今、ayuの新作フルアルバム"Secret"聴き終わりました NEW!

8.私のピュアオーディオシステム(そこに更にiPodをどう繋ぐか) (↑)

9.「すきま暖房」という新発想(↑)3週連続

10.親鸞の「歎異抄」の精神とパーソン・センタード・アプローチ NEW!

11.カウンセラーの実践的禁句集 その3 (↓)3週連続

12.「症状」こそ「自然治癒」の働き、という場合もある。 (↑)

13.戦争には、「犠牲者」しかいない(「父親たちの星条旗」)。 (↓)

14.先週の人気記事ベスト20!!(11/19-25)

15.自殺防止運動は誰のため? NEW!

16.ヘッドフォン、Bose Quiet Comfort 2のへビーユーザーとしての本音 -万国iPod向けヘッドフォン博覧会 その1- COME BACK!

17.先週の人気記事ベスト30スペシャル!!(11/12-18)(↓)

18.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~ Come BACK!

19.ヘッドフォンと共に過ごした「安息日」 (↓)3週連続

20.オーディオにおける接点復活剤について (↑)7週連続


*****

ちなみに1位のオイルヒーターの記事と2位以下の差は僅少になってきています。それにしてもマニアックなオーディオ記事の強さは、ボーナスシーズン前のせいもあるか?

 繰り返しますけど、iPodって、ヘッドフォンの吟味を徹底すれば「驚くべき水準の」音がします。標準ジャックしかついていないヘッドフォンすら視野に入れることを考えてください。そして、私は日本のヘッドフォンはどうしても音楽性が欧米製品より落ちると感じてます。

 ちなみに、今でもGRADO SR325Iは超別格と思ってますよ。後面開放型オープンエアで室外使用に全く向かないわけですが、アパートとかにお住みの方で、他の部屋への音量が気になる方は、iPOD直結を実際お店で聴かれてみる価値ありなんです。この装置で高域がギンギンにうるさく聞こえるピュアオーディオ装置は「?」と信じてます。実は、細やかすぎるくらいによく歌い、凄く繊細度が高いけど、高分解能な製品のはず。弦の響きがたいへん生々しくて立体的。でも、この製品を置いているところ自体少ないので、困ったものです。


*****


 ちなみに、これを書いている「今、この瞬間」(12/3 PM 18:34)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、 113708、フォトアルバムを含めると132017です。


 今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

トイザらス・オンラインショッピングApple Store(Japan)

昨日はフェルトセンスが完全休養を求めたので

ほんとうに「まったりと」すごしました(第一土曜は定休日です^^)

 それこそ、「このブログ記事を書き進めたいがために」何かすることにすべて「ダメ出し」食らったので。

 単なる、疲れがたまったゆえの休息とも違います。

 「何かが、すでに前に進んでいる」という,不思議な安堵があったのです。

 

 

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