web版毎日新聞報じたこの事件、ここで報じられた顛末を精密に読む限り、少なくとも、槙原敬之さんの「所属事務所の」反応は、いくらなんでも極端かと感じました。
松本零士さんも、「裁判を起こす」とははっきり言っていない。
松本零士さんも、もし、槙原敬之さんから、直接、
「意識的にまねたつもりはありませんでした。
心からそう言えます。
でも、そのことで松本先生をたいへん傷つけたとすれば、
申し訳ないです。
もっと自分の言葉を見つけようとがんばります」
というような言葉「さえ」、後になって出直してでもいいから、聞けていれば、すべては全く丸く収まったことのような気がします(^^;;;)。
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松本零士さんも、特に「宇宙戦艦戦艦ヤマト」というアニメ絡みでは、制作当時の「プロデューサー」との関係の中で、非常に複雑な傷つく思いをしたはず。
....恐らく、ある段階で、「踊らされた」というのに近い形での思いを抱かれたことだろう。
「銀河鉄道999」の原作(少年キング連載)は、
単に「ヤマト人気」=松本零士「ブーム」の勢いだけではなく、
「松本零士」が、「松本零士」自身をしっかり取り戻すための戦い
の中で生み出された作品かと、
私は思います。
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その後、10年近くたってでしょうか、「ヤマト」の制作「プロデューサー」の経営する事務所とプロデューサー本人に関して、いろんな問題が、浮上しはじめました。
あれはほとんど今のホリエモンもびっくりのスキャンダルでしたが。
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もとより、「ライオン・キング」の「ジャングル大帝」をもろに剽窃した問題のように、この種の問題は繰り返し浮上します。
でも、松本零士さんを、『頑固』というのはたやすい。
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松本零士は、「男おいどん」の時点で、とっくに天才過ぎるくらいの天才として、マンガ通に留まらず、私より上の世代の若者たちにも、実に幅広く知られたと思います(^^)
私も小学生高学年時代、
それこそ「床屋さんで」だけの「秘密の楽しみ」のようなものでしたが、
とんでもなく凄い「マンガ」だと思いつつ、
待合い椅子にある、
積み上げられた少年週刊誌の、
「おいどん」だけを読んでいました。
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例によって、ここから話は脇道にそれ、
更に過去へと「遡及」します(^^;)
「巨人の星」には、アニメ化される以前の連載を「床屋さんでめくった」記憶すらあります。
でも、原作だけの段階では、「巨人」の「星」なら、「猿の惑星」のような作品のはずなのに、なぜ野球マンガなんだ???? としか私は思ってなかった(^^;)。
当時の私は野球に全く無関心だったのです。
なぜなら.....夜、ゆっくりとプロ野球中継を観ている父親の姿なんて、ほとんど見たことありませんでしたから。
何故? .......私の観たそうな「テレビ漫画」(=アニメ。「鉄腕アトム」の本放送の「途中」から、私の「記憶」が始まります)や特撮もの(「ウルトラQ」から、記憶にあります)を、いつの間にか選んで、毎週同じ時間に「見せてくれて」いました。
恐らく、私が「夜8時くらいに」寝たあとで、「後半の野球中継だけ」観ていたのでしょう...
.....アニメの「巨人の星」については親子一緒で初放送から楽しみました。
父はすぐに「EPレコード」を勝ってきましたね。
B面が「友情の星」という、本編では確か使われたことがない歌だとしっかり記憶してます。今もサビだけなら歌えます!!(超マニアックですが、こういう記憶は作品と同時代体験世代の強みです)
私にとっては、川上監督も、王も長島も、アニメを通しての方が当初は親しい存在でした(^^;)。星飛躍馬や早見や花形や伴や左門や歌手3人組や大西ミカがフィクションだとはもちろん知っていましたが(^^)
ちなみに、川崎のぼるさんが、この「巨人の星」の「作画担当」のストレスを爆発させたように思えるのが、私が「買い与えられていた」小学館の学習雑誌に連載された「いなかっぺ大将」だった。
この「いなかっぺ大将」も、「結果的には」原作の方がはるかに過激でした。
アニメを先に見た世代には、見えないことがらがあるのだ!!
ちなみに、東京には「ポテトチップ」という食べものがある「らしい」ことを、私は当時、このマンガの原作ではじめて知りました(今から35年は前の話 ^^;)



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大映系・東宝・松竹系はあっても東映系がなかった久留米の映画館で、「大魔神」「ガメラ」シリーズ、「サンダ対ガイラ」「海底軍艦」などをみんな「封切り時」に観た記憶があるのは、なぜでしょう?
.....「父が」いつもいつのまにか連れて行ってくれたからです。
その父のとなりで、いつもキャアキャア騒ぎながら、父の「買い与えて」くれた、中学生が読むような、半分は文字ばかりの、科学図鑑で仕入れた知識をもとに、即興の勝手な「科学的」解説を延々と観覧席で父に語っていた、幼い日の私。
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.......話はここから本題に戻ります!!
松本零士は、
「男おいどん」の連載で,、
小学生高学年ぐらいだったはずの私が、
「はじめて自分で『選んだ』漫画家」だったのです。
不思議と、小6から中2ぐらいまで、私はアニメや特撮から離れていました。男としては早すぎる思春期の芽生えに完全にとらわれていたから(^^) みんなが貸し切りバスの中で「ガッチャマン」や「仮面ライダー」を大声で繰り返し歌ってくれたものだから、それらの番組の主題歌は覚えたようなものでした。
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父は、私が『ヤマト』再放送をきっかけに「高校二年で」突如「アニメ」なるもののファンとして復帰した時、最初は困惑していました。
そして当時の松本零士さんのインタビューををテレビで観て、
「あんなきれいな女性を描く人が、どうしてこういう「おじさん」なのだ?」
という意味のことをつぶやいたのを、よく覚えています。
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テレビアニメ「銀河鉄道999」の第1回「だけ」は、私が高三だったかな? ....しばらくアニメを一緒に観なかった父が、感慨深げにまじめに見ていたのを覚えています。
あの、スロープのような装置で、
空に飛び立つ蒸気機関車の姿が、
私が幼い頃に繰り返し絵で描いていた、
「駅を出るとすぐに空を飛行する、ひかり号より速い超特急」
の絵にそっくりだったから?
(私の絵の中での超特急の姿が、今の「のぞみ号500系」みたいだったのは、私の幼年期のテレビアニメの描く「21世紀」の電車はみんなそういう格好だったから!!)
そして、父自身が、中一夏、12歳での敗戦、(父(祖父)の死をくぐっての、1年大連で足止めを食らっての「旧満州国」からの引き上げの際に、「汽車」というものに人生の縮図を感じる過去を持つからもしれない。
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父の父、つまり、私の祖父は、関東軍の軍属(軍おかかえの商人)となり、末っ子だった4歳の父と、妻(=私の祖母)の「二人を」連れて、大陸に渡らざるを得なかったのです。
父の「上の兄」たちは、兵隊に取られます。うち、ひとりしか、戦後、生還せず。
哈爾浜(ハルピン)の近くの「阿城」という土地に家族と住むことになった父は、4歳で大陸に渡った時から9年あまりの間に、大連-哈爾浜(ハルピン)の間を行き来する、関東軍の国策会社だった、
南満州鉄道(満鉄)の、
流線型SLの牽引する、超豪華列車、「超特急亜細亜号」(写真はこちら)を、
実際に乗ってはいなくとも、繰り返し駅で見ているはず。
(父は、私が本当に小さい頃、よく旧「国鉄」の久留米駅に私を「入場券」だけで連れて行って一緒に「汽車」(電車を含んで、国鉄車両のことを久留米では「汽車」、西鉄のことを「電車」と呼んだ。いうまでもなく、幼児期にはSLにも当たり前のように乗れた「最後の世代」です。確か長崎本線と久大線にはまだ現役でした)を長時間眺めて過ごしてくれました。これが、哈爾浜市内にでかけ、氷結した松花江でよくスケートをしたという父の話......おかげで、九州出身故にスキーとは無縁な私が、子供の頃から自前の「スピードスケート」靴(点接触のフィギア用とはエッジが全く異なります)をあてがわれ、屋内スケート場通いに連れて行かれ、運痴の私がスケートは「一応」できたりする.....からみて、哈爾浜駅で「祖父が」「父に」取ったのと同じ態度の反復だったと仮定すれば???)
昔、父はその「亜細亜号」の写真の載った鉄道雑誌を「買ってきました」し!!
(この「亜細亜号」の開発者島安次郎の息子、島秀雄が、東海道新幹線の開発者となるのは、「プロジェクトX」でもおなじみかも!!)
哈爾浜がロシア人の手によって築かれたロシア風の都市というのは有名でしょう。小澤征爾さんの出身地としても有名ですよね。.....そのせいか、父はロシア民謡のファンでもあり、おかげで「カチューシャ」(1939年作曲ですが、父は間違いなく私の「記憶」発生以前から「新世界レコード」持ってたものナー)だけは、私、原語「らしきもの」で全曲歌えます。歌詞カードにカタカナついてたので覚えました(^^)。キリル文字全然読めないのに)
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さて。
私の父と松本零士さんは、父の方が5歳1ヶ月年上です(第2版で修正。西暦で覚えてなくて)。
そして、
同じ福岡県、
しかも!!
.....松本零士さんは小倉市(現北九州市)で「育った」ことは大抵のプロフィールに紹介されていますが、
実は「生まれ」は1938年、久留米市でです!!(出生届の場所ですね)
私は、「999」の頃には、どういうわけか、この松本零士さんが、「同郷者」(私は大学入学で上京するまで生粋の久留米市民!!)である事実を知っていました。
久留米市役所「公式サイト」の該当ページにリンクを貼りました。
このページをご覧いただくと、我が故郷、久留米の生んだ人材が「ちょっとしたもの」だということがおわかりの筈。
2005年4月の"AERA"誌で、
「"異能者"を生む街、久留米」
というような特集(少しタイトルの記憶が曖昧...)で紹介されたかと記憶します。
何しろホリエモンさんまで久留米、ソフトバンクの孫さんが隣の佐賀県鳥栖市ですから.....
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私の父は旧「東京市淀橋区」の生まれです。この70年間で、恐ろしく住居表示が変動した地域なのですが、今でいう、東京都新宿区下落合の、だいたいこのへんみたい。
「家の近くに坂があってね。上り坂だった。」
4歳の時の父の東京時代の唯一の記憶。
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そして、ソ連軍の戦車に追われるようにして、まだ破壊されていない線路を汽車で乗り継いでいく中途に、私の祖父は、不慮の死。
その後、母子ふたりで、大連で足止めされたまま、1年間底辺の生活を生き延び、1946年に日本に戻ることができた13歳から、父は、祖父母の故郷である、久留米のとなりの、旧「三井郡北野町」で私の父は数年育ちました。久留米市役所小遣いからはじめて、税理士事務所事務員として久留米市内でで自活した時、妻となる、私の母と出会います。
なお、京都と同じ名の「北野天満宮」が古くから置かれたことにちなむ由緒ある名の、この「三井郡北野町」は......昨年(2005年)2月から、久留米市と合併してます......(一一;A)
(以上の部分、加筆訂正)
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そして、
今回の記事を見て、何より驚いたのは、
ネット版の毎日新聞の松本零士さんの現在のお写真が、
(あの「海賊ルック」の帽子さえ外せば)、
私の「現在の」父と、
顔立ちや服装、ひげの生え具合まで、
「あまりにも」似て来ていることでした。
........ホント、この記事の写真って、
「これが父です」
と紹介していいくらいです!!
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松本零士さんが、
もし私の父と顔や風体だけではなく、
「性格まで」同じとすれば.....
...最初に述べたような、
槙原さん「本人の」率直な応答で
「すべてをほんとうに許した」と思います(^^)
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『信念を持ち続けた人間が、最後には生き延びる!』
私の独立開業時の、父の餞(はなむけ)の言葉。
.......まるで、松本さんの「戦場マンガシリーズ」のセリフです(^^)
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.......だから、この文を、このブログに書く気持ちに、私はなったのです。
いずれにしても、私には、この事件、槙原さん本人ではなく、所属事務所の「社員」が、中途半端な形で「『裏で』わびを入れた」から、事態が最終的におかしくなった」ようにしか思えません。
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この文章からリンクした、wikipediaの該当記事執筆者への感謝と共に。
推薦BGMは、もちろん、

中島みゆきの「命のリレー」(
アルバム「転生」収録)


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