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2006/10/13

これは誰でしょう? Part II

 精神科臨床医の毎日は、それぞれ無限に異なった環境、性格、病理を個々の患者への対応に明けくれ、それこそ些細なことへの煩雑な配慮に追われているものである。しかしそのような治療の最前線でぶつかる困難、結晶してくる問題意識、そしてしそれがいくらかでもとけてくるときのよろこび、それらは結局われわれをたえず総論的領域へ場け返す。

 それは人間というものの奥深さ、療法というものの限界を絶えず反省させもするし、しかしそれなりの基本的図式をわがものにし、その視界をひろげていく楽しみを与えてもくれる。結局は治療者各人が、自分の「総論」をもっていなければならないのであろう。(p.13)

******
 
 対話、..........それはいわば知識人の行(ぎょう)である、啓発し、啓発され、相手と同じレヴェルで論じあい、理性の世界と「現実」の世界を一致させようという行(ぎょう)である。

 福田[定信]氏は、ここに一種の「喜劇性」の性格をみる。理性(哲学的真実)と「現実」がまじりあおうとする時にはおかしみが生じる。ただしこれはふざけや自嘲ではなく、静かで、しかも躍動をはらんだおかしみである。

 これはたとえば「宗教的伝道」における「悲劇性」と対比するとはっきりする。宗教者は必然的に孤独者である。孤独者として不信者とふれあおうとし、ひきいれようとするその姿勢とその結果については、成功、不成功を問わず、悲劇性がつきまとうのである。

 精神療法者としては、どちらかといえば哲学的対話者の、たくましい喜劇性に自らを同一化すべきであろう。このような精神での「対話」に、治療者はその可能性を賭けることになる。

(以上、p.14)。

*****

 治療者が自らの逆転移に気づき、のりこえて、ものがもっと自由にみえだすその過程は、患者が洞察を得る過程とほぼ相似である。したがってこれを味わったことがない治療者は、患者の心の中に起こること、起こりうることを真に知ることはできないだろう。

 実際、意識すると否とにはかかわらず、面接者のなし得ることは、逆転移から自由を得ているその範囲内にとどまるのである。患者のいわゆる抵抗にぶつかって困惑する時、それは自分の逆転移の壁にぶつかったということとほとんど同じである。

(以上p.26)

*****

 逆転移解放のひとつの簡単な要領は、「自分が何かにまきこまれていないか」と注意することである。もちろん厳密な意味では何らかの巻き込まれ、飛び込み、自己を賭けることがなければ、およそ治療行為はなりたたないであろう。ただ渦中(かちゅう)にあっては渦(うず)は見えない。時々「ふっと息を抜き、自らを離して見ること」の重要性である。
(p.25)

 医師は[患者さんと]同じ穴に落ちてもよい。のぼってくるハシゴを用意してあるならば。

 「距離をとる」ということは不自然な操作をする、ということではない。むしろ本当の「自然さ」なのだ。「配慮はあるが、おそれのない率直さ」が、おのずからよい距離を作り出す。(p.26)

******


安永浩先生の「精神科医のものの考え方」(金剛出版)より、いくつかの部分からの抜粋です。

 この、何ともさりげない、おだやかな語り口。一見あたりまえのことを教科書的に普通に語っているかに見えて、実は現場臨床の経験をすでにかなり長期間果たしてきた、中堅クラスの臨床家が、自分のそれまでの体験に重ね合わせながら読み進めると、

なにか自分の中のものがどんどん「沈静化」して、
自身の「経験値」全体を「俯瞰」しながら、
それらの経験値の断片一つ一つが、
はらはらと雪のように静かに降り積もって、
得るべき場所を大地に得て安らぐような、
そんな思いにとらわれる皆様は、
決して少なくないと思います。

 これら部分の引用だけでは、読者の皆さんには実感していただきにくいかもしれない。でも、中井先生や神田橋先生の文章にはある、「才気のほとばしり」みたいなことを超越した次元で、結果的にはお二人と同様なことを、一見「平凡に」「淡々と」お書きになる境地に、この先生がすでにあるのかなと、私には感じさせられたのです。

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