人と人とが意思疎通できるということそのものが「奇跡」である
.......ということへの「畏敬」を抱ける人のみが、
カウンセラーという仕事をするべきではないのか?
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.......ということへの「畏敬」を抱ける人のみが、
カウンセラーという仕事をするべきではないのか?
キャンベル・パートン著「パーソン・センタード・セラピー ~フォーカシング指向の観点から~」(日笠摩子 訳 金剛出版)という本が出版されました。
この、バートンという先生は、今やロージャズ派カウンセリングの伝統を引き継ぐ世界最大の拠点と言うべき大学である、イギリスのイーストアングリア大学の教育の中核を担う先生。
イースト・アングリア大学は、世界ではじめての、フォーカシング指向心理療法で学位を認定するコースを持つばかりか、臨床心理専門家養成課程「そのもの」を、徹底的に「パーソン・センタード」のスピリットとプログラムで行う、画期的な教育実践をしている大学です。
(私は、あるきっかけで、日本にいながらにして、前述の新刊の著作に先んじて、この大学の教育プログラムの実践の具体のすばらしさを知ることができていました。留学先としてお勧めです!!)
訳者の大正大学の日笠摩子先生(私と同じ、フォーカシングにおけるTFIコーディネータ(トレーナー国際資格養成認定資格者)の資格を持つ、日本に十数名いる中の一人です)ご自身が、
「私にとっては、フォーカシング(あるいはフォーカシング指向心理療法)の、ロジャーズの伝統の中での歴史的な位置づけと、哲学的理論的な背景をわかりやすく教えてもらえた本でした」
という感慨を抱かれた著作とのことです(^^)
私もまだ「注文段階」なのですが(^^;)、ともかく私はこのバートン先生が「実際にどういう教育をしているのかの素晴らしさの実態」を、何の巡り合わせか、既に実感できる立場にいつの間にかいましたので、
もはや「信用買い」で、この著作をお勧めいたします!!!
ちょっとこの「オタク狩り」報道には胸が痛みました(すでにリンク切れしています)。
ある意味では、以前、渋谷でしたっけ、「オヤジ狩り」という現象が「流行った」ときのことを思い出しました。
ただ、ひとつ気になったのは、もちろんマスコミの皆様は、警察での供述に基づいてただ報道しているだけでしょうが、
これによってここでいう「..........狩り」の報道により、
むしろ、
「そうか、その手があったか!!!」
と「気がつく」連中が更に増え、
(これまでも実際にはいたと思いますが)「流行」し、
「アキバでだけはノビノビできる楽園だ」
と思っていた人たちを不安に陥れ、
ひいてはこの街に栄えるさまざまなお店に経済的打撃を与えて、
「少し入るのに勇気がいる」お店の前で「お客さん」が、
店から出て来るのを「待ち伏せる」ようになり、
アキバのお店の売り上げが落ちるどころか、
株価の変動という、実はかなり「心理的」な要素に影響されるものにおいて、アキバを拠点とする著名企業の株を値下がりさせ、
日本が再び不況になることには無責任でいいわけですからね!!
(もちろん、今の話の途中からは、キツい「ウィット」のつもり!!)
*******
少なくとも、「オレオレ詐欺」は、マスコミが「オレオレ詐欺」という「概念」を吹聴したので、余計に「流行」して、おかげで銀行や郵便局にそのことへの警告表示が必ずある時代に「なった」わけです。
もちろん、どんな現象が今社会で起こっているかの「報道の自由」は保証さればならない。
でも、警察とか報道とかが、むしろ率先して、
「オタクの人たちの楽園、アキバを守れ!!」キャンペーンも、
すぐにはじめて欲しいものです!!
(オイ!ここの部分は「マジで」いってるんだからな、マスコミさんたち!!その方があんたらへの評価も「更に」高まる!!)。
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今は湘南に移住したので、滅多にアキバに行きませんが、それでも、私にとって、アキバが、25年前、「オーディオの街」「パソコンの街」であったころから私を「育ててくれた」街だからこそ、この報道は悲しい。
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あの、十数年前の「幼女連続誘拐殺人事件」の容疑者逮捕の日の、彼の部屋を大写しにした写真をデカデカと掲載した新聞紙面のことを私は忘れません。
その日の晩のうちに、朝日新聞「声」欄に、
「私は大学で学生相談している臨床心理士(カウンセラー)でアニメファンだけど、これをきっかけにアニメファンへの偏見が広まることを危惧する」
と、もちろん「実名で」投稿し,数日後実際に掲載された、ある人物がいました。
それは誰でしょう?
........皆さん、もうお察しですよね(^^)
Anthurium anderanum(アンスリューム・アンドレアナム)という、中南米原産のサトイモ科の野生植物らしいです。
1. 水をやるのは夜を避けること
2. 水をやったあと水切りをきちんとすること
3. 10度以下の寒いところに置かないこと。
つまり、これからの秋の季節の室内用(しかも密閉度の高いマンションなどの)洋室用の花として向いていると、花屋さんが言ってました(^^)
私はさっき町の花屋さんで買ってきましたが、
楽天のお花屋さんはこちら。
現在、栄養士さんの指導のもとに、ダイエットが本気で「進んでいる」こういちろうです。
あくまでもそこから得られた私個人の教訓:
A.ストレスがたまったままだと健康なダイエットの習慣はつかない。
.........ストレスたまったまま、ダイエットだけしようとすると、更にストレスが増すだけですので、その反動としての無茶食いは私もとまりませんでした。
B.パンよりご飯
.........夜食や間食に思わずパン(ましてや菓子パン)を食べると、それだけでもの凄くカロリーと脂肪を摂取することになります。パンの制作には、食パンですらバターが欠かせないことをお忘れなく。
パンに比較すれば、ご飯そのものは、カロリーがないも同然です。ですから、例えば夜に小腹がすくようなら、同じコンビニで夜食や間食買うにしても、おむすび(もちろん、マヨネーズや肉系のもの以外が具のもの)系のものは、たとえ2コ食べても、パン系より、腹にたまる感じがはるかに残りやすい点でも圧倒的に有利です。
C.肉を食べるならお魚系のみにする
.............私、ハンバーガーすらここしばらく食べた記憶なしです。
D.外食でおまけに一つ注文するのは「サラダ」にしてしまう習慣をつける
..............もちろんマヨネーズではない、しそやゆず系のドレッシングしか使わない。
E.ペットボトル系を買うにしても、夜になったらお茶やコーヒー・紅茶などを決して飲まない
................夜6時以降は、ミネラルウォーター、せめてウーロン茶どまりに統一)。これは、寝入りをよくするコツです。いい眠りは、昼間のストレスを沈静化する最大の特効薬です。 。
......実は、睡眠誘導剤がまるで効かない人が、実は夕方以降、この種の「カフェイン」を大量に飲んていたことが大きかった、という、わかってみれば「効果打ち消し当たり前」のことに自分で気がついて苦笑した、という話があります。
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私は、これらの生活で、4週間ごとに2キロというペースで全く無理なく「いつの間にか」体重落ち始めました。栄養士さんも驚く優等生ダイエット。煙草の本数まで減りだしてます。
「体質そのものが変わってきたのかもしれませんね」
と栄養士さんには言われました。
昔好きだったチョコレートも、ほとんど食べなくなっている。
(私のフェルトセンスが、店先で商品を見ると、「く、食いたくない!!!!)」と拒絶反応起こすのです。
これはあくまでも私見ですが、今の世の中の「ダイエットサプリ」ブームや健康器具ブームって、結局何なのかな??? 焼け石に水のようなこと、していないかな????.......と、我ながら思うに至った次第。
人間、身体が軽くなれば運動量増えます!!!
そうなれば善玉コレステロールも増えます!!
****
そういえば、私の栄養士さんは、まるで山上敏子先生の行動療法みたいに、
1.「その」クライエントさんのできそうなことから、
2.一ヶ月の『宿題』を、
3.ほんの1,2のポイントに限定して、
4.共同で探して
決める、
というやり方なんですね。
先述のE.なんて、「私が提案した」アイデアで、「栄養士さんの方が」、その後自分自身や、他の事例で参考にしている、とのこと。
いきなり
「一日3食!!」
「外食を減らせ」
とか全然言わない人。
私の食生活生活状況を丁寧に詳細に聴いた上で、
「今度は、パンをおむすびに代えてはどうでしょう?」
だけで、その新たな課題「のみ」実行後、に現実に2キロやせましたものね(^^)
*****
ここに、流派を問わず、いいカウンセリングが進む場合と似た何かを感じます。
とか、
ということは、多くのカウンセリング教科書に出てきますが、まだまだその真意を納得しないままに、形だけ言葉にして使ってしまっているカウンセラーの皆様もおられるのではないかと、想像いたします(^^;)。
●「気にするな」
.......といわれれば余計「気になる」ものです(^^)
●「マイ・ペースでやりなさい」
.......「マイ・ペース」が自覚できる皆様が病院やカウンセリングにおいでになるのかどうか?
●「ゆっくり休んでください」
.......「生体恒常性」に従って、「必要な」休みの取り方をご存じの皆様は、そもそも通院やカウンセリングにおいでにならないでしょう?
「ゆっくり休むとしたら、どうすればいいかわからなくなる」人が、おいでになるのです(^^)
進化による自由自在性で突き進み、悲劇的結末が必然となってしまったファントムとしての人間にとって、わずかばかりの希望の道があります。それはファントムが自然としての身体を尊重し、からだを主役に引き立て、自らは舞台監督になることです。
(中略)
より高みに上がって、全体を見通すイメージです。(中略)からだを主役にし、からだの特性を生かすべく、身体の声を聞き、[こころ]ファントムの方針を定めて行くのです。
それは、[こころ]ファントムの自己規制としてのさまざまな法制化・ルールとは全く異質のものです。本来、いのちの一部として[こころ]ファントムが発達してきたという進化の原点に立ち戻り、からだと[こころ]ファントムの協調関係・調和を回復する方向です。
(中略)
ただし、この方向への動きは、[こころ]ファントムたる概念言語でとらえられ、表現された途端に、運動自体の本質から離れてしまいます。
[こころ]ファントムと、からだを結んでいるもの、切れ目なく結びつけうるものは感覚です。感覚は、いろんな都合上、命名されて、言語化される時もありますが、言葉であらわされたものは影であり、その実体は言葉以前のものです。言葉に表わされた瞬間に、言語化以前にあった[こころ]ファントムとからだの結びつきは切れてしまいます。
*****
ヒトは「体験」の延長上にコトバを造り、コトバ文化を展開し、万物の霊長となった。ところが、時を経るにつれ、ヒトの?下にあったはずのコトバ文化が自らの勢いで跳梁・跋扈し、発祥の地である心身の体験と離別し、ついには主家である心身をないがしろにするほどになった。今やヒトの心身は、コトバ文化が編み上げた疑似体験に隷属し、身を屈してすごすようになっている。他方、コトバ文化の方も、母体である心身体験と離別したせいで、華麗にして空疎なものとなった。
「フォーカシング」とは、体験の延長上にコトバが生じるという原初の自然なありようを復活させようとする原理主義の運動である。この運動は、心身に根ざした「体験」を蘇生させるとともに、母体との密着へ復帰させることでコトバ文化の鼓動をも蘇らせようと意図している。
だがこれは、コトバ文化の支配下では困難な反体制運動である。「フォーカシング」の優れた紹介がすでに何冊か出たものの、コトバ文化の典型である出版の部分であるという障壁を突破しえず、「体験」を蘇生させ得なかった。読者という立場には、目で活字を追いイメージを膨らます体験しか生じないからである。
ゲリラ的にフォーカシング運動を進めてきた著者らは、その「体験」の生の記録を展示することで、フォーカシング体験の運動に踏み出そうよと読者を誘惑する。
その誘惑に乗る読者が一人でも多いことを評者は願う者である。なぜなら、今日の心理療法の対話の現場でこそ、心身の体験とコトバ文化との密着が復活することが急務であると考えるからである。
今日、善意と熱意と訓練と勉学にもとづいて行われている心理療法が生み出している悲惨は目を覆うばかりである。責めはおおむね治療者のコトバ文化が自身の体験と乖離し、治療者の心身がコトバ文化の編み上げた疑似体験に身を屈していることに帰せられる。よってたつ理論基盤を問わずすべての心理治療者がフォーカシングを体験することで、心理療法の失敗のほぼ7割は消滅すると評者は推定する。
それゆえ、第9章「カウンセラーがフォーカシングを学ぶことの意味」をまず読まれるようお勧めする。そこには、筆者である近田輝行氏の体験が展示されている。その記述は、心ある読者の内部に自身の体験の記憶を呼び寄せ、充分な誘惑となり、他の章へそしてフォーカシング体験へと進ませるであろう。
ちなみに、評者は心理療法の対話の場で、聞くときはリスナーになり、語る時はフォーカサーになるという心組で「わたしのフォーカシング」を体験している。そのようなつまみ食いでも利益は絶大である。
今、"******"で区切った前の部分が、
神田橋條治先生の"「現場からの治療論」という物語"、
p.53-54からの抜粋です。
(傍線および[ ]内は
こういちろうによる補足)

"******"で区切ったうしろの部分が、同じく神田橋條治先生の、「フォーカシング事始め」(村瀬孝雄・日笠摩子・近田輝行・阿世賀浩一郎 著 金子書房 1995 絶版)への書評(季刊精神療法 第22巻第3号 (金剛出版 1996)掲載です。
更に、こちらの記事もどうぞ。
浜崎あゆみ公式サイト情報によりますと、
ayumi hamasaki ARENA TOUR 2006 A 〜(miss)understood〜が11月1日発売とのことです!!
今回は、遂に、収録された最終日を実際に私が観たものが販売されるわけで、楽しみです(^^)
私がどこかに映っていないか探すという「個人的」楽しみもあります(^^;)
連休で寝過ごしたため(爆)、いつもより3,4時間発表遅れましたが、恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「先週」記事別アクセス解析機能を使っての「先週の人気記事ベスト20」11回めです!!
固定リンクでのアクセス率の順位のみから集計しています。
7×24時間、つまり9/23日(土)24:00の時点での集計です。
それでは発表!!
先週の一週間の総アクセス数、延べ2,057(前回2,323)(一日平均293.9アクセス!! 前回331.9)
前回の「トップ20」発表が4日も遅れましたので、この、まさに「ひとりSEO対策」というべき「トップ20」の発表効果が普段より薄らいだ可能性もあります。
先週は、学会直後にまたもや超大荒れ(^^;;;)のアクセス変動がありました。どうも特定の読者の方からの強迫的なまでの過去ログアクセスとページまるごと保存の疑いも高いのですが(^^;)その方も「有り難い」読者であることには変わりありませんので、数値はそのまま掲載いたします。
ちなみに、それにも関わらず、訪問者数は、先週の間に1,546名様と、前回1,052名様より大幅アップしています。学会が終わった後ではじめてアクセスして下さる臨床家の方も少なくないのだとしたら、嬉しいことなのですが。皆様に感謝いたします。
........ということは、今度は新規読者の方が増えているので,トップページへのアクセス率回復が予想できるのですが、実際、このサイトに入られてからの「サイト内移動」は前回604(37.2%)に対して今回486(40.0%)、トップページへの外部からのアクセス、前回441(27.2%)に対して今回419(34.5%)と持ち直し、「サイト内移動率」は久々に相対的に低下していますね。
ちなみに。当ブログの「一限さんでない率」、これは同じ人が一度に何ページ記事をお読みになったかと無関係な訪問者実数比に基づくもののようですが、前回7.3%に対して今回7.2%です。この数値はそう簡単に動きませんね。裏を返すと、いかに検索エンジンからの用語検索の結果偶然おいでになる方が多い、「越境ジャンル性」の高いブログであることを示唆するものかと思います。
更に、恐らく新アクセス解析システム導入8/2から後1ヶ月半についてなのですが、「訪問頻度」では、毎日おいでになる「完璧常連様」前回12名様から今回13名、一番多い訪問頻度は、前回「16日に一度」で34名様から、今回「12日に一度」で28名様と出ています。ちょっとだけ増えましたね。
それでは記事別ランキングの方の発表!!
*********
1.資格制度も大事ですが、 (→)
4.論外 (↓)
5.責任を持って「知っています」といえることは、どんな人でも限られた範囲だと思う。(↓)
8.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(↑)
13. なぜiPodは途中停止しやすいかについての独断的仮説
14.フォーカシングは「転移/逆転移」すら一気に超え得るはずである。
15.ヘッドフォン、Bose Quiet Comfort 2のへビーユーザーとしての本音 -万国iPod向けヘッドフォン博覧会 その1- (↓)
17.iPod向けヘッドフォン・イヤフォン・小型スピーカーの記事index
18.学会の上手な利用の仕方 (↓)
20.これは誰でしょう?(↓↓)
**********
前回の発表から4日しかたっていない以上、順位変動が少ない。これは全く妥当な結果です(^^)
iPodが第5世代にアップグレードした直後ですから、iPod、ヘッドフォン関係の記事の増加は全く自然な成り行きですしね(~ ~)
*******
ちなみに、これを書いている「今、この瞬間」(9/24 AM 4:36)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、96449、フォトアルバムを含めると113156です。
今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。
「また○○したのね」
「私が言ってたのに、やっぱり、○○になっちゃったじゃない」
「そう言うと思っていたんだ」
最後の一つは、「あと出しじゃんけん」というのだと、カウンセリングの先輩から教わりました。
この3つめは、今の私も思わず口をついて出ることがありますが(^ ^; ;A
******
単純にこれをまねする前に、「なぜ、禁句なのか」を自分なりに納得しようとして、納得した場合にのみお使い下さい(^ ~)
******
やはりヒント出しますね。
.........キーワードは、「相手を支配しようとしないこと」かな?
その時、それはどんな「正論」でも、「正義」ではなくなります。
ま、ここから出直しです。
「悪霊祓い」のためのやむを得ぬ「犠牲」です。
どうもネットの世界には「悪霊」が棲(す)んでいるようですね。
というか、
「このジョバは俺が守っているんだからな」
という「やくざ」にいつの間にか成り下がった「正義の味方」が。
ただ、その相手を悪として粉砕したくなった時、己れの中の正義は悪に代わります。
そしてそれは「内なる悪霊」との戦い、
いや、むしろその「自己受容」が必要な道なのだということがよくわかりました。
お人よしでいられなくなることは悲しいことです。
でも、それをきっかけにネット活動をやめてしまう必要もないのです。

グッゲンビュール=クレイグ著「心理療法の光と影 -援助的専門家の「力」-」
この記事も参照。
ここしばらくは完全にニュース音痴になってたので(首相がいつの間に代わったんだ!!)、遂にiPodが「第5世代」にバージョンアップされたことも知らなかった、こういちろうです(^^;)
その特徴は、詳しくは、
でご覧いただくとして。
これに伴い、iTunesおよびiPod内部のソフトウェアも、「第4世代」を含めてアップデートされましたが、
私にとって嬉しかったのは、何より、
積年の課題、
が、
遂に克服された!!(条件付きですが)
ことです(試聴は第4世代の60GB)。
[第3版、更に第5版で追加:ただし、このつなぎ目問題の克服に関しては、iPod側では、残念ながらその恩恵を恩恵を受けるのは「第4世代(iPod Movie)以降」です。 更に、どうもiTuneのデータベースにも登録していないCDからのコピーだと、相変わらず切れ目が出るようです。母艦パソコンのiTuneaレヴェルでは,過去にCDコピーや、iTunes music Storeから購入した過去のファイルにも適用されます。「第3.5世代」であるiPod Photoを含むそれ以前の機種だとiPod内部ソフトウェア段階ではアップデートはされていないことを、実際やってみて確認しました。]
これ、例えばクラシックのオペラや、交響曲や交響詩の次の部分にアタッカでそのまま進む時、音が途切れるという、見事な興ざめが、少なくともiTunes Storeからの購入品に関しては克服されたということです。
ベートーヴェンの第5交響曲(運命)の終楽章へのなだれ込みとか、悲惨そのものでしたからね(^^)
ただし、正確に言うと、もし「設定」のサウンドチェックがONだと「継ぎ目が聴き分けられ」ます。
OFFにすると「全く」わからなくなります。。
iPod内のソフトを更新すると,以前OFFにしていてもデフォルトのONに戻ってしまいます。
この、サウンドチェックというのは、音量のダイナミックレンジそのものを自動調整でいじりますので、これまでずっとONだった人は,試しにOFFにしたら、音の迫力の変化に驚かれる可能性、大です。
ONのままだと、オーケストラの弦のうねりが、不自然にうねって盛り上がることに気がつかれるはず。
OFFにしてこそ、iPodの真の「凄い」性能が明らかになります。
(注:以上の節、対策がわかりましたので、すでにお約束した通りに、第2版で改稿しました)
あと、なぜか今のところ、私のWindowsパソコン(WinXP SP2 Media Center Version, Pentium 4 デュアルコア 2048メモリ 光ファイバー通信)では、なぜか、iPodとのシンクロが、何かの弾みでスッキリ行かないことがある。これは、私のパソコンだけと思いますけど、念のために報告。
[第3版で追加:この件は、CDコピーやストアでの新たなダウンロード購入のあと、パソコンシステムを「再起動」してしまえば私のパソコンでは解決します]
[第4版で追加:この問題、06/11月上旬のiTunes Ver.7.0.2.16で解決されました]
*****
しかし、まだ80GBまでか.....。
この前書いた、「次々世代」で200Gぐらいでは?.....というのはマジにあたるかも。
でも、その前に、Windowsだけではなくて、Mac OSそのものがあとしばらくで"Leopard"にメジャーアップデートみたいですね。むしろそこを見越してなのかな...と。
学会参加のため、いつもより4日も遅れましたが、恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「先週」(16日まで。今日現在にあらず!!)記事別アクセス解析機能を使っての「先週の人気記事ベスト20」10回めです!!
固定リンクでのアクセス率の順位のみから集計しています。
7×24時間、つまり9/16日(土)24:00の時点での集計です。
それでは発表!!
先週の一週間の総アクセス数、延べ2,323(前回1,922!!)(一日平均331.9アクセス!! 前回274.6)
先週は、学会直前に大荒れ(^^;;;)のアクセス変動がありましたが、本格的な新記事ほとんど書いてないのに、この結果が出せたことについては、読者の皆様に、非常に感謝申し上げますm(_ _)m
ちなみに、訪問者数は、先週の間に1052名様と、前回1373名様よりさすがに落ちました。ということは、ひとりの方が多くのページをご覧頂く率がぐっと上がったということですね。皆様に感謝いたします。
........ということは、例によって「常連読者」の安定傾向が更に強まったということです。実際、このサイトに入られてからの「サイト内移動」は前回428(36.5%)に対して今回604(37.2%)、トップページへの外部からのアクセス、前回395(32.1%)に対して今回441(27.2%)と、「サイト内移動率」はいよいよ高まっています。。
ちなみに。当ブログの「一限さんでない率」を今回から正確な数字で表示します。これは同じ人が一度に何ページ記事をお読みになったかと無関係な実数比に基づくもののようで、7.3%です。高いとみるか、低いとみるか?
(以下の節、第2版で追加:)
更に、恐らく新アクセス解析システム導入8/2から後1ヶ月半についてなのですが、「訪問頻度」では、毎日おいでになる「完璧常連様」12名、,一番多い訪問頻度は「16日に一度」で34名様と出ています。
それでは記事別ランキングの方の発表!!
*********
3.責任を持って「知っています」といえることは、どんな人でも限られた範囲だと思う。(↑↑20位まで圏外より)
4.これは誰でしょう?(↓)
10. 先週の人気記事ベスト25 スペシャル!!(9/3-9)
12.「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~ (↑↑20位まで圏外より)
13.ヘッドフォン、Bose Quiet Comfort 2のへビーユーザーとしての本音 -万国iPod向けヘッドフォン博覧会 その1- (↑↑20位まで圏外より)
16.こういちろう、あの「セーブ王」、角盈男氏と、フォーカシングについて雑誌対談す!!
17.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(↓)
18.日本のポータブルCDプレーヤー業界は致命的な戦略ミスをしたのではなかろうか?(↓)
20.常識を鵜呑みにしないこと (↓)
**********
全く妥当な結果です(^^)
ちなみに、私が学会のワークショップを除いた3日間のうち、1日目と2日目には「確かにこの世に存在した」ことにお気づきの方、このネットの読者の中には多少いらっしゃるかと思います。
例年と全く異なる巡り方しましたので、いそうなところにいなかったり(^^)。
ただ、今年から、「クローズドな学会」という点を考えて、「日本心理臨床学会に関しては」、大会の内容の報告は、「原則的に」やらないことにしました。
去年の分は、すでに検索エンジンにも流通していますので、「今年からの『私の』方針」ということで、お許し下さい。
ちなみに、結局、参加したすべての会場でコメントしています(^^;)。
******
3日目は..
...白状します!!
倉戸大会準備委員長、ゴメンナサイ!!
台風の強風圏に入ったと朝6時のニュースで確信して、帰っちゃいました~
m(_ _)m
あと、ほんとに最初の2日で、私は「燃え尽きて」いたのです
私のフェルトセンスは、「無理せず帰れ」と申しましたし(^^)
<後日注:>倉戸ヨシヤ先生とは、日本人間性心理学会で、学会運営委員として6年ご一緒で、今回の学会の懇親会の終わりに、「明日台風がそれるといいですね」とご挨拶してしまったもので、上記のことを書きました(^^;)。もちろん、お読みいただける確率は低いと承知しつつ.....
*******
ちなみに、これを書いている「今、この瞬間」(9/20 PM 23:27)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、95590、フォトアルバムを含めると112246です。
今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。

記憶だけで書きますが、神田橋先生の「精神療法面接のコツ」(岩崎学術出版社)に、
「....すべき」「.....してはならない」
と言うのが自然なのに、
そういう場面で、
「,,,,,.したい」「......はいやだ」
というふうに言う(前二者を後二者といれかえてもあてはまる)人たちがいる、いうことをお書きになっていたと記憶します。
これって、エゴグラムで言う"CP"(批評的な親)と"FC"(自由な子供)が「入れ替わる」と言うことになります。
しかしこれは、単にFCが低くて、CPが高いというのとは「かなり違う」わけですね。
*****
自分がどこまで「義務感」や「使命感」という、余計な「言葉ファントム」で動いているのか。
どこまで、
「生体恒常性」の自然な流れに耳を澄ませ,身を委ねられるか。
*****
.......などという、もっともらしい口実を「言葉ファントム」としてでっち上げて(^^;)
「先週のアクセス記事ベスト20」の公表を更に延期します(^^)
******
私のフェルトセンスは、
「iPod聴きながら、安永浩先生の『精神科医のものの考え方』のんびり読むこと優先しな」
とのことですから(^^;)
*******
なお,推薦BGMは、
![]()
ヘンデルの「ラルゴ」こと"Ombra mai fu"にしましょう。
学会一日目を終えた私のフェルトセンスを一言でいえば、表題の一言に尽きます。
そこには、私が夢にまでみた世界が、すでにあった。
もう、一人相撲はとらなくていいのだ、と。
恒例の「先週の人気記事ベスト20」は、日本心理臨床学会第25回大会に今のところ最終日まで出席予定ですから、大会終了後の19日火曜になると思います。(明日のワークショップはどうしても明日抜けられない用事が入ってしまったので参加取りやめです)。
学会そのものを大いに楽しむこと優先にしたいので。
モバイルは持っては行きますけどね(^^)
たくさんの皆様と、有意義な時間を持てますことを!!
私は、現状でのキャリア・カウンセリングがとういう学習プログラムで構成され、どういう資格形態にななっているのかもよく存じ上げません。キャリア・カウンセリングの独自の資格がどうなっているのかも知らないままです。
ただ、いずれにしましても、産業カウンセラーの皆様ばかりではなく、臨床心理士や精神保健福祉士(PSW)の皆様の中にも携わっておられる方が数多くいらっしゃることかと想像しています。
この領域、守秘義務との兼ね合いで、会社との板挟みになる危険もありますし、「産業医」さんもおられると、更に事態は複雑化するかもしれません(もちろん、いいコンビネーションが取れることも多いでしょうし、そうなるべきですね)。
大学の学生相談、就職相談(この二つの領域が、大学組織上も「合体化」しつつある大学が、「一つの」流れとして増えてきたことはどのくらい一般に知られているでしょうか)、失業・転職、社内での対人関係や上司との関わり、配置転換、退職などだけではなく、例えば新人研修や管理職研修など、一見メンタルヘルスと無関係の相談内容の場合ですら、どんな「資格」をお持ちにせよ、会社や経済の現実と、病院臨床水準のアセスメントの能力、両方が求められる時代だと思います。
例えば、「臨床心理士? 私は病気ではない!!」などと受け取られることがないような、まさに、立ち振る舞いから服装から話し方、もちろん相談スペースをどうするかまで、「キャリア・カウンセリング」のエキスパートが求められる時代と思います。
その方面で「奮闘」されているカウンセラーの皆様に、お持ちの資格に関係なく、エールを贈りたいと思います。
今度はこの写真が変にアクセス集めてるみたいですね(^ ~)
どころで、神奈川臨床心理士会の皆様、前回の研修会は出席できなくなり、開業のご挨拶が遅れたままで申し訳ございません。日心臨会場でお見かけになった際には、どうかお気軽にお声をおかけ下さい。
なぜが、今日、フォトアルバムのこの写真がアクセス解析で「意外な数値」をはじいていますね(^^;)
念のために説明しますと、私はFAXが面接中に受信された場合、クライエントさんに
「あ、面接お申し込みのFAXかもしれないので、守秘義務のため、しばらくそちらの方を見ないでいただけますか?」
と必ずお願いします(^^)
このことで嫌な顔をされたことは一度もありません。
きっと、クライエントさんの身になってみれば、「お互い様」と感じていただけるからでしょうね!! その方もFAXで申し込まれたケースが少なくないので。
(電話で事前にお話しした上でFAX送っていただくのでも全くかまわないのですが)
信用を築くとは、そういう細かな事柄からはじまると思っています。
端っこのサブの電話は、クライエントさんのない時に、長電話になりそうで、万一クライエントさんからの電話やFAXが滞らないようにするために持っています。
ひとりひとりの臨床家が、その資格に値するだけの現場実践を積み上げることで、その資格の名を汚さないように精進することが、一番世間の評価を決定づけるでしょう。
もとより、法律というものは怖いものです。一度できてしまうと,様々な「副作用」を現実社会の中で発揮します。
時には、営々と積み上げたその専門家の努力を帳消しにするほどの力があります。
この点では、政治の動きに無関心であってはならないとは、つくづく思いますね。
こういう記事を書くセンセーに治療を受けに通いたくなるクライエントさんって、いるのかしらね。
敢えて言います。それでも通い続けるのは、「お人好し」が過ぎるのではありませんかと。
落ち目で当然!!
患者さんの恨みを買って当然!!
原因と結果が本当は反対なのだ!!
こういうのを「自己成就的予言(the prophecy of self-fulfillment)」という(^^;)
陰性転移なんかじゃないですよ!! このセンセーが心の底で患者さんを「軽蔑」しているのが伝わるからです。患者さんは、それを、「そういう仕方」でしか表現できないだけ!!
つまり、このセンセーが、まずは自らの「逆転移」を克服されないことこそが、日本の犯罪を「増やして」いるのかもしれませんね(^^)
*****
まして、ネットや新聞でこんなこと書いてご覧よ。
それこそ実名だし、(^^;;;;A
「自分のこと」だと思いこまれて殴り込まれて当然!!
そんな悪循環にも気がつかないようでは、もうこのセンセ、おしまいですね(^^)
私が昭和天皇に「陛下」とつけたり、映画「エル・シド」を好きだったり、「傭兵」の歴史書に感銘を受けた、ただそれだけで「右」と受け取る人がもしあれば、その人こそ、「ステロタイプ」な思考しかできない、型にはまった、「できあいの思考スタイル」をひょいと借りて来る形でしかものを考えれない「浅薄な」人たちである。
私にとって、昭和天皇は、25歳頃まで「今上天皇」(今ご在位の天皇)だったわけですから、昭和天皇に独特の親近感はあります。だから「陛下」とお呼びするのは全く自然です。更に言えば、「陛下」という尊称をお付けすることで、右翼の皆様に、私が昭和天皇をおとしめるつもりで前の記事を書いたわけでないことを理解していただけるという思いもありました。
平家ガニの甲羅が、壇ノ浦の合戦で死んで海に没した平家の武士の怨霊がとりついて顔になったもの、という伝説があるのはご存知の方、多いでしょう。そのことをロシア人の監督が知っていた、というあたりが凄い歴史考証といいたいわけです。
ちなみにあの私の作品理解を読んだ途端に、あの映画「太陽」を実際に見て感じた「違和感」が「一気に氷解」した方は少なからず居るはず。
*****
「傭兵」についてですが、
菊池義夫「傭兵の二千年史」によれば、精密機械工業が盛んになるまで、スイスは、中世・近世までの最大の「産業」が「傭兵の輸出」であったという事実。スイス兵と言えば、金で雇われればどこでも傭兵として働き、ひどい時には、兄弟が敵味方に別れて戦い、一方が一方を殺さざるを得なくなるという歴史すらあり、「スイス傭兵」=「山の中から大挙してやってくる荒くれ者集団」として、確か17.8世紀まではヨーロッパ諸国の大衆に恐れられていたこと。
スイスの「州政府」がまさにそういう「傭兵売買」の勧進元という歴史があって、それがスイスの「闇の」金融の世界での特殊な世界史的役割の発端の一つとなったわけで、今日の牧歌的な観光地としてのスイスのイメージとは全く異なっていたことまでご存知の方がどのどれくらいおられるか。バチカン(ローマ法王庁)のスイス傭兵はその時代の名残なんですね。今でこそイギリスの近衛兵なみに、半分観光名物になってますけど。
あと,私は自信家でややナルちゃんなのは自覚してますけど、「自分にある種の特異な才能と実力があること」を自己受容できないことこそが、私の長年の苦しみだったのだ、と,今では感じています。
よく言われるたとえでですけど、「自分が天皇の子孫である」、といっても「詐欺師」ないし「妄想」扱いされない人たちが「この世に」何十名かおられるわけです(^^) 。
そして、自分が天孫だと確信せざるを得ない人の中には、「世界」と自分との関わりに対する、根源的な揺らぎを、そう確信することでやっとつなぎ止めている「体験世界」があることも確かでしょう。
謙虚が美徳とされる日本人的でないのはわかってますけど、私は、
「フフフ、私はホントは一番実力があるんだけど、そのことは隠したまま周囲と友好的に、腰が低くふるまって、一定の政治的立場を固めているのよ。だからおとなしく私の子分になってなさい」
というような人の方が、私は、うざったい、自分に酔ってる,自己満足の塊の、「小山の大将」止まりの「野心家」の人だと思ってますので。
私は、戦場で先頭に立って戦う、古い戦国武将タイプですね(^^)
*****
私が忘れられないのは、ある外国人の先生を講師としている数日間のワークショップで、その場の流れで同時通訳のひとりを買って出た、ある著名な先生が、プログラムの後半で、参加者全員の前で、
「ここでみなさんにお話ししておきたいことがあります。私に英会話の高い能力があるのは事実です。私もできる範囲でお手伝いいたします。しかし,このままでは、一参加者に過ぎなかったはずの私自身がくたびれてしまい、自分の学びたかったことを学べなくなることへのご配慮、よろしくお願い申し上げます」
と、冷静に、しかし毅然とおっしゃったことです。
「遠慮なく甘えるなよな~」
という意味のことを、全く感情的にならないアサーションでもって、率直に言われた、この、普段はもの柔らかな先生の態度に、私は感動いたしました。
この先生の教えておられる技法そのままの、「日常での」実践だったから(平木典子先生ではないですよ)。
昨日、やっと、映画「太陽」を観てくるタイミングがつかめました。
私の感想は次のように総括できます:
「昭和天皇陛下が『人間宣言』をなさるまでの過程で、陛下ご自身が、宮中ですらも、いつの間にか、どんどん『生身の人間っぽく』なられたのではないか」
という仮定のもとに作られた、物語ではないか、ということ。
恒例、msnの、「のだみ流・働(はた)楽(らく)論!」より、
「第17回 自分に合った会社の調べ方」
ここで書かれていることは、そのまま、
カウンセラーの人が、
「今後、どういう流派や技法についての勉強を深めたいか」
「ケーススーパーバイザーとしてどの先生を選びたいか」
の判断のために、心理臨床系の学会大会への参加をいかに活用するか、ということに読み替えてみるといいかと思います。
まあ、私ぐらい、ここで野田稔さんがいう、「1.5次情報」をまき散らしているカウンセラーは珍しいでしょうが(^^;;;)
私は、最近、学会の懇親会に参加しない若い臨床家の方が多いと思います。完全に自分の出身校やゼミの一団の中にかたまったままの若い人たちもよく見かけます。
ホントかウソかわかりませんが、他流派の臨床家と一緒に飲みに行くのを「禁止」しておられるケースもあるとかないとか。
私は、
「過保護だなあ。それとも、博士後期課程になって他の大学の先生のもとに『逃げられる』のが、そんなに怖いのか? そんなことで、一般社会の海千山千の経験を積んだクライエントさんのお相手ができるような社会性が身につくのかしら?」
とすら思います。
もちろん、同じ流派の人同士でも、あるいは「同窓生」でも、日本中に散ってしまっていて、滅多に会えないので、旧交を深めるチャンスとされるのも大事なことでしょう。でも、そういう晩は一晩だけでいいと思います。
いきなり面識のなかった先生に直接声をかける勇気が出ないんでしたら、その先生と同じ大学、あるいは、門下である可能性が高い、同年齢や少し年上ぐらいの臨床家に声をかけて、お友達になってしまえばいいです。
そうすると、その方があなたをその「お目当ての先生」に紹介して下さるかもしれないし、運がよければその先生を囲んでの「2次会」に飛び入り参加できるかもしれない(^^)。そこには失敗しても、その先生についてのよそでは聴けない話を自然と伺える「お友達」ができるかも。
言うまでもなく、私自身が、私のいないところで、そういう「酒のサカナ」にされることは当然である、という前提のもとに、こうしたことを書いています。
私の「negative情報」を集めて、このブログや著作、論文、会場での私のコメント、何なら、前の晩に仕込んだ「negative情報」をひっざげて、翌晩には私と和気藹々と飲めるくらいの心臓を、若き臨床家の皆様がおもちになることを大歓迎いたします!!(^^)
いつもより半日遅れましたが、恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「先週」記事別アクセス解析機能を使っての「先週の人気記事ベスト20」9回めです!!
しかし、今回は、日本心理臨床学会大会の直前を意識して、スペシャル版「ベスト25」まで出してしまいますね(^^)
固定リンクでのアクセス率の順位のみから集計しています。
7×24時間、つまり9/9日(土)24:00の一発集計です。
それでは発表!!
この一週間の総アクセス数、延べ 1,922!!(前回1,971!!)(一日平均274.6アクセス!! 前回281.7)
今週は、記事の内容が、私がこれまでに書いて来たカウンセリング関係の記事の「総括」みたいなものが多かった一方、音楽・映画系の記事の新作はなく,逆に哲学系という、渋いネタが新登場という状況でしたから、。前回と比較し実質横ばいという結果は大健闘!! といっていいと感じます。
ほとんどの日が、300アクセス弱をコンスタントに積み上げるという点ではドラマ性が希薄な、それこそ「大いなる日常」(?)の日々でした。。
ちなみに、訪問者数は、この一週間の間に1373名様と、前回1260名様より100名様ほど増えています。大健闘です。皆様に感謝いたします。
........ということは、例によって「常連読者」の安定傾向が更に強まったということです。実際、このサイトに入られてからの「サイト内移動」は前回428(36.5%)に対して今回525(46.2%)、トップページへの外部からのアクセス、前回413(35.2%)に対して今回395(31.2%)と、「サイト内移動率」は刻々と高まっています。。
それではランキングの方の発表!!
*********
2.フォーカシングは「転移/逆転移」すら一気に超え得るはずである。(↑↑)
4. Interactive Focusing Therapy
8.心理療法的な諸概念は、現場臨床家のフェルトセンスにぴったりの「象徴化」であり、しかも、現場臨床家の多くにとって「間主観的同意」が形成されるものであるに過ぎない。(↓)
10.私のピュアオーディオシステム(そこに更にiPodをどう繋ぐか)
12.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(↓)
16.日本のポータブルCDプレーヤー業界は致命的な戦略ミスをしたのではなかろうか?(↓)
17.ayuの見果てぬ夢か? ~浜崎あゆみ/"BLUE BIRD""Beautiful Fighters"によせて~(↓)
18.スーパーバイザーとカウンセラーの関係は、カウンセラーとクライエントさんの関係の「写像」となる?
19.クライエントさんに逆転移を起こすまい、起こすまいとだけしたら......
22.責任を持って「知っています」といえることは、どんな人でも限られた範囲だと思う。
23. 人は「自己開示」しなくても「自己開示」している!! ~浜崎あゆみの"Daybreak"に寄せて~
24.ヘッドフォン、Bose Quiet Comfort 2のへビーユーザーとしての本音 -万国iPod向けヘッドフォン博覧会 その1-
**********
ちなみに、今年度の日心臨は、個人事例発表エントリーは「見送った」とは、すでに一度このブログで書いています。
しかし、例年のパターンだと、私のフロアからの質問という形での出没はあちこちで見られるかも。もとより,私は自分のフェルトセンスが"go!!"を出さないのに質問するというような、発表者や座長の先生やフロアの皆様にご迷惑をかけてまでも自分の存在を示そうとは思いませんので(^^;)。そして、例年通り、私は不必要で無意味な、重箱の隅をつつくようなご発表者への批判は「全く」しないことをボリシーにしています。
でも、ここ2年の状況をみる限り、「ライブの阿世賀節」なしはまずないでしょうね.....
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ちなみに、これを書いている「今、この瞬間」(9/27 PM 6:31)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、92135、フォトアルバムを含めると108234です。
今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。
いつもだと、そろそろ「先週の人気記事ベスト20」の発表の時間ですが、今日は午後仕事と映画(^^;)で都心に出て、今、家に帰って来たばかりなので。これから寝て起きてのあした昼過ぎにはなるでしょう。
データそのものは、昨日24時までのアクセスデータは私には常時容易に検索可能ですので。
FTPのアップミスで、9/9早朝、本部サイトのトップページに、「湘南フォーカシング・カウンセリングルームのトップページが表示されていました(^^;)
普段全くいじらなかったページ(このページ)のリンク欠落を補正した際のアクシデントです。
(このページをいじったものだから、直前記事の第2稿ができてしまったんです(^^;)
どうかお許し下さい。m(_ _;;;)m
私は「エル・シド」に関して、スペイン史を調べまくり、挙げ句の果てに「スペインの大歴史家ピダル自身が映画『エル・シド』の「歴史考証助言者」であるという、映画のトップロールにもエンドロールにも記載されていない、恐らく日本でそのことを「自覚的に」知っている人が、どう多くみても今生きている世代で1000人未満である事実にたどり着くまで、日本で普通に手に入る中世・近世スペイン史の公刊本のかなりの部分を読んでしまったように思います。
実はあの後、女王フアナからカルロス5世の時代まで、いろいろ読んだり観たりしまして、一気にスペインという国にはまってしまったのですが。もとより、現実にはスペイン語圏の国家を中部・南部アメリカにたくさん生み出した、歴史の影の部分も含めて、です。
ヨーロッパの城や傭兵の歴史についての本も読み、「戦争」というもののあり方について随分考えさせられ、勉強になりました。(この題材、今後に取っておいてある題材なのでどの本がまだ明かしません。傭兵(隊長)の視点から見ると、政治家や将軍の視点からは見えない形で歴史が「全く別の現れ方」をすることに驚いた、とは付言します。)
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いずれにしても、私がエル・シドについて書いたこと、日本語で意外と少ないウェブ上のエル・シド情報として、恐らく今後、スペイン語学科の学生のレポートで重宝される資料になるでしょうが、
「カウンセラーの書いたネット記事だけを参照するなんて」
と、それでけではいい点を出さない大学の先生はきわめて健全だと思います。
その先生は、映画『エル・シド』は観ていない、ということも大いにあり得ますが(^^;)それでもそれは「正しい」。
私も、十数冊読んで、考えて、文にする労力考えてみろよな、とは、少なくともいいたくなるでしょう(^^;)
あとは、その学生さんが、それでもレコンキスタに至るまでのスペイン史をもっと深く理解したいという気持ちを、自分なりに育(はぐく)むかどうか。それはその学生さんが自由に選んでいいことだから。
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どんな領域でもですが、「この人は何でも知っている」と期待したら、意外と簡単に「馬脚を現す」ものだと思います。
当然私も。
何しろ、知っていることしか書いてないから、書いていないことは無知な可能性も高いわけで(^^;)
人が神でない限り、それが、あたりまえのことです。
私は、時には、進んで「馬脚を現す」ことで、「高く買われすぎないように」、適当にディスカウントされるように((c)中井久夫)心がけているつもりです。
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この中井久夫先生のかなり有名な筈の「名言」も、とらえようによっては「反精神分析的」ですよね。
「理想化転移」「陽性転移」なんかに、クライエントさんに陥らせないで済むなら、済む方が、日常現場臨床的には無理がない。あるいは『害がない』、ということですから。
こうやって、中井先生が「わかる人にわかればいい」と、こっそりと書いたかもしれないことを、敢えて「青天白日にさらして」しまうこういちろうであった(^^;)
ましてや、昔は「精神分析の中から一歩も出まいと思う」とかお書きにすらなっていた(『発想の航跡』)、精神分析のはずだった神田橋先生が、あそこまで真っ向と「反精神分析」を立場を取られるに至ったとは、驚くべき事態です。古希をお迎えになるにあたって「ここまで」開き直られたか!! と仰天しました。
もとより、認知療法など、ともかく「言語的」精神療法全般の現状への批判とも言えますが。
その神田橋先生の期待に応えられるだけの態勢を、フォーカシング「業界」は取らねばならないことを、ほとんど死にたくなるくらいの「重圧」として、ビビリながら感じている、大勢(だよね?)の中のひとりです(^^;A
先生は、「フォーカシング」という言葉を意識的に避けて、特定の流派に偏らないエッセンスとしてお書きですけど、この本に続けてこれを読まれたら、見事に続きますものねえ。
ちなみに、フォーカシングは"Art"でも「科学」でも"technique"でもなくて、"skill"なんです!!車の運転と同じ。そもそも科学でない医療は存在しても、"skill"なしの医療など存在しない。
私もどっちかって言うと、「神田橋教徒」では全然なくて。「中井教徒」とは言われても仕方ないかもしれないけど。「"現場からの治療論"という物語」ではじめて「大絶賛」★★★★★なんです。
そこに、実はサリヴァンやバリント、ウィニコットなど『現場臨床系』の最良のエッセンスがびっしり詰まっているのをビリビリ感じつつ。
「いかに世界があるかということではなく、世界があるということが神秘なのである」
「レイに音読させるのは非常にいいことだと思います。声に出してうまく、つまり注意深く読むということを練習させるということは、ひとに沢山のことを教えます。たとえば、多くの人たち、それに新聞は、何と下劣で無茶な書き方をすることか。考えながら書くからです」
「ムーアは、20フィートぐらいしか離れていない家を見つめ、それから特別な口調で
『そこに家があることを私は知っている』
と言いたいのであろう。
かれはそうするのは、自己のうちに知っているという感じを作り出したいからである。」
「知識は特定の顔の表情を伴わない。疑いの調子、確信の調子はあるが、知識の調子など存在しない」
「表現というものは、生の流れの中でのみ、意味を持つ」
..........ノーマン・マルコム「回想のウィトゲンシュタイン」(藤本隆志 訳 法政大学出版会)より。下線は恐らく原文のイタリック)
上記の引用はすべて、ウィトゲンシュタイン自身の言葉。ひとつめは「論理哲学論考」6:44にあります。残りは、マルコムへのウィトゲンシュタインの私信、あるいは対話メモより。
レイとは、綾波ではなくて、マルコムの娘です(^^;)。
ムーアとは、ウィトゲンシュタインのライバルだった哲学者。
*****
「お友達」がまた増えた(^^;)
なぜ、面接料金をもらうのか?
なぜ、面接を決められた1時間(ないし50分)で行う必要があるのか?
なぜ、受容と共感的理解が必要なのか?
なぜ、治療者は「中立的」でないとならないのか?
なぜ、守秘義務があるのか?
なぜ、「行動化」はよくないとされるのか?
******
これらは、それなりの、先達の心理療法家の経験の蓄積の中で言われるようになったことです。
しかし、これらに「教科書的に」従っているだけなら、「副作用」の方が多く出るかもしれません。
なぜなら、その時点で、その臨床家は、「先達の臨床家集団」に気に入られようとすることという、根本的な「転移」の問題に直面していないからです。
........ともいえますね(^^)
事例検討会やスーパービジョンで批判されなくなるように、現場面接を進めたくなる誘惑に用心して下さい。
あなたは、「先輩臨床家」に認められ、その臨床家集団の中で「地位を築く」ためにカウンセラーをしているのか?
それとも..............
(「...............」は、一つの言葉に決めてしまわないまま,味わう方がいいでしょう)
ええっと、皆様にご心配をおかけしなくないので、これだけは敢えて記事として書かせていただきます。
私が記事を書くか書かないかを決めているのは、常に私のフェルトセンスのご宣択如何にかかっております(^^;A
「今は書かなくていいよ」
というご宣択なもんだから、書かないでいるだけのことです(^^)
その代わり、もっぱら「読んだり、観たり」する方向への「充電」モードに入っています。
*****
どうも、我がフェルトセンスの狙いは
1. 「心理臨床学会」(ワークショップには不参加ですので、田嶌先生、ゴメンナサイ)を射程に,私をベストコンディションにすること
2. 「すでに書いた記事を、興味がある読者にご再読いただいたり、読み残しを読んでいただくこと」
3. 読者の皆様に、『一息ついて』いただくこと(^^;)
らしいです。
*****
つまり、決して、
1.私が消耗したから。
2.内容に抗議が殺到し、自粛している。
3.私が恋人との逢瀬に熱中している。
......からではありません(爆)
恐らく、今くらい、心身の調子が落ち着いていて、静かに満ち足りているのは、幼稚園に入る前の幼児時代以来かも(^^)
(そういう幼児時代を自分は体験しなかったと感じている、読者の皆様、ゴメンナサイ)
*****
ちなみに、右のコメント欄でお知らせしている、Interactive Focusingの記事の大改訂、新作に準じるくらいの全面改訂増補ですので、心理臨床家の皆様、是非お読み下さい。
*****
それはそうと、例の「内容証明付き抗議」をなさった先生(この事件は半年近く前のことです)にひとこと。
もう,先生なりに心境変化しておられるかな? とも想像いたしますが、敢えて私の思いを。
どうして、気軽に電話一本かけて下さり、「あの表現は困るよ」と言って下さらなかったのですか?
私は法律的な文書のやりとりに慣れている人間です。内容証明ぐらい十分「免疫が」できてます。
自分が納得いかない他人の文章や発言には、いつも内容証明を送りつけておられるのですか?
それじゃ、先生を「恐れる」ひとはいても、「親しみを覚える」人は出て来ないでしょう。
今度、心理臨床学会で、「全く何もなかったかのように」、親しくご挨拶できることを、心から楽しみにしております。
恒例、@NIFTYココログの、日曜日-土曜日の「先週」記事別アクセス解析機能を使っての「先週の人気記事ベスト20」8回めです!!
固定リンクでのアクセス率の順位のみから集計しています。
7×24時間、つまり9/2日(土)24:00の一発集計です。
それでは発表!!
この一週間の総アクセス数、延べ 1,971!!(前回2,338)(一日平均281.7アクセス!! 前回334.0)
今週は、私もアクセス数への拘泥より、休養優先モードでしたし、私の書く内容が、それこそ「雲の上の世界」モードになってました(^^)ので、皆様が「引かれて」しまったのか、よくわかりませんが、少し前の「220〜300強」アクセス前後に戻りました。
もっとも、ちょっと前までと同じ水準ですし、私は「浅く広く」受け入れられることではなく、いわば10人にひとりの、「こんなの」をこそ読みたかったという読者層の発掘に力を入れていたところがあります。
そういう人って、独特の「こだわり」と「したたかさ」のある人たちではないかと想定していますので。「メジャー指向」でもなく、単なる「アンチ」でもないというか、そんなあたりの「マージナル」な人たち。
ちなみに、訪問者数は、この一週間の間に1490名様と、前回1260名様よりむしろ上がっているのですね。とりあえず私の記事を読みに来て下さった皆さんが、必要な記事、最近の記事を読み尽くして下さったということでもあるかと思います。誠にありがとうございます。 m(_ _)m。
実際、このサイトに入られてからの「サイト内移動」は前回535(37.3%)に対して今回428(36.5%)、トップページへの外部からのアクセス、前回425(29.8%)に対して今回413(35.2%)と、実際にはサイト内移動率はどんどん高まっています。要するに、一度に幾つもではなくて、その時の新しい記事からリンクを直接張っているページを読めばいい、という方向に来ているのでしょう。
それではランキングの方の発表!!
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2.スーパーバイザーとカウンセラーの関係は、カウンセラーとクライエントさんの関係の「写像」となる?
3.クライエントさんに逆転移を起こすまい、起こすまいとだけしたら......
4.私のピュアオーディオシステム(そこに更にiPodをどう繋ぐか) (↑↑)
6.心理療法的な諸概念は、現場臨床家のフェルトセンスにぴったりの「象徴化」であり、しかも、現場臨床家の多くにとって「間主観的同意」が形成されるものであるに過ぎない。
8.欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(↑)
10.ayuの見果てぬ夢か? ~浜崎あゆみ/"BLUE BIRD""Beautiful Fighters"によせて~(↓)
11.フォーカシングは「転移/逆転移」すら一気に超え得るはずである。
14.日本のポータブルCDプレーヤー業界は致命的な戦略ミスをしたのではなかろうか?(↑)
18.ほとんど「オーディオの奇跡」という領域のヘッドフォン!!(+ 私の20余年におよぶヘッドフォン選定のさまよえる歴史)
19. 人は「自己開示」しなくても「自己開示」している!! ~浜崎あゆみの"Daybreak"に寄せて~(↓)
**********
多くの連続ランクイン記事が消え、入れ替わりが激しかったもので、作業が少し時間がかかりました。
やはり「既成記事で人気の高かったものはすでに常連読者の皆様には読み尽くされた」と見るべきでしょうね。
今週は、昨日の最新のを除き、週後半の怒濤のカウンセリング系新作アップはすべて出そろいました。ありがとうございます。
*******
ちなみに、これを書いている「今、この瞬間」(8/27 AM 1:35)までの当ブログ文章記事の延べ総アクセス数)は、90125、フォトアルバムを含めると106117です。
もっとも、やっと今頃になって(→)に、アクセスカウンターの設定場所見つけたので、今後はこの報告なしでもいいのですが(^^)
今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」を、よろしくご贔屓(ひいき)に、お願い申し上げます。
文字の世界がファントム(幻影)界です。そしてこの本はファントムであるわたくしのこころが文字を介して、ファントムであるあなたのこころに語りかけているのです。いえ「語りかける」とは音声言語の領域なのですから、語りかけるふりをしているのです。
つまり事実としては、文字言語でのコミュニケーションであるものを、音声言語でのコミュニケーションに似せようとしているのです。
そのためには、
1.語り言葉風の文章にする
2.同じ内容をくり返すことで、
各章の間で内容が少しずつ重なり合うようにする。
そうすることで、文章の区分けを乗り越えて、
濃淡のような一連の語りのような雰囲気を作る。
3.日常体験を例にあげる、などの工夫をしています。
事実としては文字言語でありながら、
読んでいるあなたの内側で音声言語として再イメージ化されて、
事実としての語りへ内部変換され、
からだの世界まで伝わるようにと願っているのです。
...............神田橋條治 "「現場からの治療論」という物語" 第3章冒頭 p.39より
******
2,3日前から、特に夕方から明け方にかけては,関東地方はめっきり秋めいてきましたね。
この記事が、当ブログ、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」通算500番目の書き込みです。
かなり長文の、毎回完結型の,ブログとしてはある程度かっちりしたスタイルの記事が多かった私の場合、結構(相当?)多めのアップ数かと思います。
私の場合、既成の情報を整理して紹介したり、時事ネタで書くことが少ない人間。カウンセリング系にしても音楽系にしても、何より私の「感じ方」「考え方」を、いかに私なりに表現するかの、いわば「構想ノート」みたいなものをそのまま現在進行形で公開しているようなもので、その意味では「雑記帳」というタイトルそのもの。
記事を順番に続けて読んでいただくと、仮にテーマが別の内容に飛んだかに見える場合ですら、そこに「暗黙の思考の連鎖」があり、あたかもすべてが仕組まれた「伏線」であるかのようにすら感じられてしまうことが、手に取るように伝わる「ような気がする」ところがあるんではないかと思います。
もっとも、内容が専門的過ぎ、越境ジャンル性が高いので、ついていくだけでたいへんで、そこまで感じ取っていただけない皆様も少なくないであろうことは想像に難くありませんが。
その一方、恐らく、私の文章に「はまってしまう」ひとにぎりの読者層を生み出してしまったはず、とは感じています。
恐らく、心理臨床系の大学の研究室によっては、「若い学生への刺激が強過ぎる」と、「禁書」扱いになったのではないかとマジに想像します(^^)......あの、インターネットはどこでも観れるし、それなしでは研究も成り立たない時代になっているはずなんですけどね。
*****
マジに、一件だけ、「内容証明つき」で抗議してきて下さった、結構著名な先生がおられました。
この先生、何をここまで力んでおられるのかな?
いや、何に「怯えて」おられるのかな?
たかだか一日平均アクセス数300のささやかなブログです。
私はちょうど11年前に個人ホームページをはじめました。あのwindows95による、インターネット大衆化の黎明期にです。当時のインターネット環境で、パソコンにど素人の私が、パソコン買って2ヶ月めに、ホームページなるものを、我もしてみむとてするなり、というわけですが(^ ^)
それから、パソコン通信、メーリングリストなど、様々な媒体を活用してみる中で、この媒体の「怖さ」と同時に、「裏事情」も、私なりにささやかに、ですが、見えて来てしまったところがあります。
つまり、インターネットには現状では「実際の社会的影響力」はまだまだ乏しいのに、、どうもそこに「巨大なファントム」がそびえたって見えるものらしいということ。まるでそこにものすごい力があるかのように。
でも、これはネットに限らず、およそ「現場」の最前線に出て長期間接してみれば、多くの領域でそんなものでしょう。小泉首相だって、ブッシュ大統領だって、そして浜崎あゆみさんたって、「ただの人」なんだなあという感慨を感じるかもしれませんね。
そうやって、ある意味で、人やものごとが、すべてささやかで平凡な日常の積み上げに過ぎないと気がついて行くこと、それが、ある意味で「癒し」であり、「成熟」なのではないか、と,私なりに感じています。
ユングも、フロイトも,確かそんなふうなことを言ってましたよね。
言ってた通りにご本人が生きていたかどうかは,わかりませんが、「気づいて」はいた筈だと思います。
そして、自分という「ファントム」を目の前にして、弟子たちがわけもわからぬ感情的闘争や、派閥争いをはじめるのを、さみしそうな目で見ていたのではないかと思います。
「でも、これって、私が蒔いた種なんだよね」
と思いながら。
こころという「ファントム」は、自由を、束縛と逆境の中でしか体験できない。
しかし、人は時々、"A=A"である世界に回帰するという、往復運動を繰り返す人生を、最後まで送り続ける。
ユングの「変容の象徴」という、私が心理の世界に入って一番感動して読んだ本のメッセージを,私なりに、今、言葉にしたら、そうなります。
*****
タイトルは、
「大いなる幻影とただの日常」
としましたが、
「大いなる日常とただの幻影」
と入れ替えてみて、
どちらも味わうあたりが「バランス点」かなと思います。
*****
推薦BGMは、
みゆきの「夜曲」
(アルバム 「臨月」所収)
ayuの"forgiveness"
(アルバム"Memorial address"収録)
にしたいと思います。
******
それでも,
次章においては、ドン・キホーテの、荒唐にして無稽なる、新たなる旅立ちの物語が語られる......
......かもしれない(^^)
******
「大いなる幻影」←※私,この映画について,タイトル以外何も知らないまま、上記の記事,書きましたので念のため。
直前の書き込みを読み返してあっさり気がついたのですが、
たった2回のカウンセリング(その2回めの1時間だけ)で、
「実は、前回のフォーカシング・セッションの、終わりの方で言わすに済ませたのは、自分の中に『せっかち』という言葉が浮かび、それがいろんな連想に結びつきはじめた、その中身だ」
「子供の頃、母親が『せっかち』な人で、食事の時もそわそわしていて、落ち着いて飯食べられなかった」
「自分の彼女が、デートの度に『ふくれる』のは、実は自分が『せっかち』で、観光したり一緒に展覧会に行く時も、さあ、次はこれ、次はこれ、と、彼女のペースにあわせてじっくり『味わう』ことをしていなかったからだなあ。だから別れ際が「じゃあね!!」とさっさと歩き去られてしまい、後のフォローがたいへんだったのだとしみじみ思った」
「職場でも、上司に、『お前は先を焦るあまり、数は『こなす』が、一つ一つの仕事の仕上げが雑になってる』と先日叱られた」
「実は、前々回までのセッションの中で、先生(ガイド、トレーナー)が『せっかち』なものだから、[私=クライエントさん.......は]『消化不良』に陥っていた」
........これだけのことを、クライエントさんが一気に自発的に語り出すということは,通常のカウンセリング場面では滅多にあり得ないことでしょう。
『せっかち』というキー・ワード以外の『』内の言葉の多くが、「消化(「こなす」こと)(digest)」に関わる、しかも「日本的な」言葉であることにお気づきでしょうか。要するにこの人は、およそ何に関しても「『せっかち』な早食いで、いつも胃が『もたれて』いた」人だったんでしょう。
しかも,ガイド(カウンセラー)側にもどこか実際に(つまりフォーカサーの「投影同一視」[(c)メラニー・クライン]ばかりではなく)『せっかち』なところがあるので、「場の雰囲気」を通して、お互いを「環界」((c)バリント ウィニコット)の一部とする中で「共振れ」((c)土井建郎)を起こし、フォーカサーの「身体」という"container"(容れ物)」((c)ビオン 田嶌誠一)を通して生じた「ファントム」((c)安永浩、神田橋條治)としてのフェルトセンスとして現れたのだと思います。
(フォーカサーは、リスナー側個人の体験過程を促進する"container"でもある、ということ、以前どこかで書きましたよね。少なくともこちらとこちらを参照)
「せっかち」というキー・ワードを自発的に見いだしたフォーカサーの「気づき」は、
「子供の頃の親子関係」
「異性関係」
「職場の人間関係」
「治療者との面接の場での関係性」
へと自然に拡張する場合が、フォーカシングのセッションでは、かなりありふれた形で生じ得る得るわけです。
(改めて読み返してみて、我ながらぎょっとしました)
このような、同じような「布置(constellation)」((c)ユング ジェンドリンも使います)にある対人関係についての気づきの連鎖反応のことを、ジェンドリンは、「人格変化の一理論」
ジェンドリン著、池見陽著/編訳、/村瀬孝雄・日笠摩子他 訳 所収)
で、「全面的な適用(grand application)」と呼び、ロジャーズやジェンドリンが開発した「体験過程尺度」(experiencing scale)」という、治療的面接においてクライエントさんが自分の内面に「どのように(how)」関わるかの深さを計る尺度においては、stage 7のピーク値となります。
(体験過程尺度については、沢山の方々の研究や論文等がありますが、池見陽先生の「心のメッセージに聴く」でのやさしい解説が一番入手しやすいかと思います)
.......このような連鎖反応が生じた場合、「転移」についての洞察を、クライエントさん自らが一気にしてしまっていることになりませんか?
実は、フォーカシング・セッションにおいては、フォーカサー(クライエントさん)の中のフェルトセンスは、そこでのガイド/リスナーの共にいる「場の雰囲気」「関係性」が反映されたものとしてしか形成されていません。
ガイドの人の教示のみならず、すべての言語的、非言語的応答も、実は、その場の「関係性」の枠の中でしか生じていないはずです。
ガイドの人のガイディングや言語的.非言語的応答が、ガイドの人自身の体験過程に開かれたもので、単なるマニュアル的手順ではなく、全くライヴに「自己一致」し続けた「活(い)きた」応答である限り、フォーカサーもまた、、フォーカシングの場のただ中で、目の前のガイド役の人との「関係性についての気づき」をライヴで自発的に語り、.親をはじめとする、面接室外での対人関係と二重写しして「まさに体験しつつある自分を体験する」という、転移についての「真の」洞察が一気に自発的に生じる可能性があることになります。
これが、どういう範囲の人に、どのくらい「安全な形で」生じるかは、まさに、治療者自身の「個人としての」フォーカシング能力がどこまで日常活用され、スキルアップしているかにかかっている、といえると思います。
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「論文で書けばいいのに、いいのか?」(←内なる批評家)
「いいよ。他流派の心理臨床家の顧客さんが増えることに結びつけば。私だけではなく、フォーカシング「業界」全体に」
「........あの、さっき昼飯食べて来たもので、今,気になるとすれば,胃の辺りに、何か張っている感じがある。.........うーん、それくらいですかねえ」
フォーカシグのオーソドックスなトレーニングで、最初の段階で
「今、自分は申し分なくいい感じでいられるかな? と身体の内側に問いかけてあげてみて下さい」
という教示をガイド(トレーナー)がした場合に、フォーカサー(フォーカシングをする本人。クライエント役(以下、F :と略することあり)が、じっくりと内面に注意を向けた結果、このように述べて来た時(これは,昼過ぎのセッションで、「ごくありふれて」みられる実例です.特定の方の例ではありません)、トレーナーはどう対応すべきでしょうか?
●ガイドA:
「ああ、それではそれはただの身体の感じですから。他には何か気になる感じは出て来ませんか?」
●ガイドB:
「何か、胃の辺りに、『張っている』みないな感じがある(F:........エエ)....それはひょっとしたら、さっき昼飯を食べたばかりだからかもしれないなあ、という気もなさるわけですね。(F:........エエ)....それでは、その胃の辺りの感じに向かって、『ああ、そこいらへんに、そういうふうに、張った感じがあるのはわかっているからね.....』と、声をかけてあげてみて、しばらくその感じと一緒に居てあげてみるのは,いかがでしょうか」
私は、ガイドAの応答は、「もったいない」というか、少なくともフォーカサーがまさに「今」感じていることの流れに自然に寄り添った応答ではないと思います。
ガイドBは、その点で、フォーカサーが感じているものにしなやかに自然と寄り添った応答であり、ガイディングです。ガイドAしかできない人には、私はトレーナーの資格を出しません(^^)
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ここで、「その感じに『わかったわかった』と声をかけてみる」とか「その感じと一緒にいて上げてみる」ということもピンとこないフォーカサー向けのサポートの「オプション」がありますけど、ここではそれは略します。
*****
「その、おなかの感じと、『ああ、そこにそんなふうにあるなー......』みたいにして、無理なく一緒に居てあげられる(or そばにいてあげあられる or 無理なく身体の中に「抱えていられる」)感じですか?」
(F:.......[ 沈黙30秒] .....エエ)
「では、あとしばらく、そのおなかの感じのそばにたたずんであげてみるのはいかがでしょう?.......そして、もし、『とりあえずもう十分一緒にいたあげられたなあ』、とお感じになりましたら、ちょっと手を上げてでもいいですから、何か合図いただけますか?」
(F:わかりました、やってみます.......[ 沈黙1分30秒] .....[手をあげる]あれ? さっきまでとちょっと違って来ましたね。胃の辺りにあるにはあるんですけど)
「ほう、何かさっきまでとちょっと変わって来たんですね」
(F:ええ、.......[ 沈黙30秒] ....なんというのかなあ、これ......[ 沈黙45秒] ....何か、さっきまでは、「もたれる」というか、そんなふうな感じがあったわけです)
「はい」
F:それが何か「溶ける」.......というか、あたたかくなって、やわらかくなって、溶けて行くみたいなかんじになって。
「ああ、さっきまでは、「もたれる」というか、そんなふうな感じがあったんですね(エエ)。それが、どういうわけか、 何か「溶ける」.......というか、あたたかくなって、やわらかくなって、溶けて行くみたいなかんじになられたわけですね」
(F:ええ)
「では、その、胃の辺りに向かって『あ、さっきまではさっきまでは、「もたれる」というか、そんなふうな感じがあったんだけど、いつのまにか、 何か「溶ける」.......というか、あたたかくなって、やわらかくなって、溶けて行くみたいなかんじになっちゃたんだね』と、声をかけてあげてみるのはいかがでしょう?」
(F:やってみましょう......[ 沈黙1分30秒] ........うん、その溶けて行くみたいな感じそのものがすごく心地いいです)
「ああ、その溶けて行くみたいな感じが、何かすごく心地いい」
(F:.....うん、いいですね、『この』感じ)
「では、もうしばらくその感じと一緒にいてあげる時間をお取りした方がよろしいでしょうか? 」
(F:...........あ、じゃ、あとちょっとだけいただきますね)
「わかりました、どうぞ」
.
(F:....[ 沈黙1分10秒] .......[手を上げる])
「実は、そろそろこのセッションのための時間が終わりに近づいているのですが(設定時間終了5分前)、どうでしょう? その胃のあたりの感じに、『どうもあと5分くらいで終わんなきゃならないんだって。でも、「こういう」感じだったってこと、覚えておいてあげるから、それでいいかな?』と言ってあげてみることもできるんですが.......」
(F:あ、それ、いただき! ...やってみますね。.........[ 沈黙35秒] .........[突然苦笑].....あの、「あと1分ぐらいつきあえ!!」と言われました)
「あ、『あと1分ぐらいつきあえ』と言われちゃったんだ。それじゃ、あと少し,お時間をお取りしてもいいです」
(F:いただきます(笑).........[ 沈黙1分35秒] .......もう、いいそうです。)
.
「それじゃ、今日、こういう感じだった、ってこと、覚えておいてあげるからね、と言ってあげてみたらいかがでしょう?」
(F:そうですね。.........[ 沈黙35秒] .......「覚えておけ!」....と「凄まれて」しまった(笑))
「あ、『凄まれて』しまったんだ」
(F:ええ『凄まれて』.........うふ、ああ、そうか........)
「何かお気づきになったことがあるようですが、1分で話せるようでしたら、お話いただいてもいいですし、そのまま自分の中で味わっていただいてもいいですけど」
(F:それじゃ1分下さい)
「どうぞ」
(F:.......[ 沈黙35秒] ......もう、いいそうです。「サヨナラ」と言ってました)
「ああ、もう、『サヨナラ』と言ってくれてた」。
(F:.......実は「私には」心残りもあるんですけど、言われちゃった以上、しかたないので、「じゃ、またね」とは(笑)
「ああ、『いわれちゃった』わけですね。.....で、あなたは、しかたないけど、『じゃ、またね』と。
(F:ええ..........)
「で、あなた自身は終わらせそうですか? もう一度内側にきいてみてもいいかもしれませんが.....」
(F:.......あ、もう大丈夫です。ありがというございました)
「こちらこそ、短い時間でしたが、お相手できて光栄です」
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このブログ始まって以来、初の、フォーカシングのライブとは「こういうものだ」という公開です。
フォーカシング関係者の皆様は、これだけで十分リアルなセッションでしょうが、これ、念のためにいいます。全くの創作です)
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ちなみに、このフォーカシングセッションの一週間後の次の回が、通常のカウンセリングをご希望されて、その内容が
「実は、前回のフォーカシング・セッションの、終わりの方で言わすに済ませたのは、自分の中に『せっかち』という言葉が浮かび、それがいろんな連想に結びつきはじめた、その中身だ」
「子供の頃、母親が『せっかち』な人で、食事の時もそわそわしていて、落ち着いて飯食べられなかった」
「自分の彼女が、デートの度に『ふくれる』のは、実は自分が『せっかち』で、観光したり一緒に展覧会に行く時も、さあ、次はこれ、次はこれ、と、彼女のペースにあわせてじっくり『味わう』ことをしていなかったからだなあ。だから別れ際が「じゃあね!!」とさっさと歩き去られてしまい、後のフォローがたいへんだったのだとしみじみ思った」
「職場でも、上司に、『お前は先を焦るあまり、数は『こなす』が、一つ一つの仕事の仕上げが雑になってる』と先日叱られた」
「実は、前々回までのセッションで、先生(ガイド、トレーナー)が『せっかち』なものだから、『消化不良』に陥っていた」
みたいな、「フォローアップ面接」に、自然となっても,何もおかしくないわけです。
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なお、上記の架空事例の、
「ああ、もう、『サヨナラ』と言ってくれてた」。
(F:.......実は「私には」心残りもあるんですけど、言われちゃった以上、しかたないので、「じゃ、またね」とは(笑)
「ああ、『いわれちゃった』わけですね。.....で、あなたは、しかたないけど、『じゃ、またね』と。
の部分、ガイドの応答の方が実はズレていて、フォーカサーによって修正され、その修正を、ガイドが受け止めて、言い直している点に注意。
これが、この前書いた「弁証法的過程」ということです。
この記事の続きというか、解説みたいなものは、次の記事をどうぞ。
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しかし、ここまでリアルに、フォーカシングセッションを「捏造」できるとなると、もう、「事例発表」できない身体になってしまった.....(^ ^);
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