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2006年6月

2006/06/30

フォーカシングを学ぶ人はトレーナーの教示に従い続けねばならないわけではない

 以前の記事で述べましたが、フォーカシングとは、あくまでもフォーカシングをする本人(フォーカサー、自分の問題をみつめる、いわばクライエント側の人)の権利が優先され、トレーナー(リスナー、ガイド)はその「サポーター」に過ぎないということを、如実に表わした、創始者、ジェンドリン自身のの発言を次に引用します:

「教示に従わないための教示」

 「私が示してきたこの方法が唯一、あなたにとって必要だとか価値があるということではありません。もし私がこれが唯一の方法だと言っていたとすれば、私が言ったことは間違いだと皆さんが思ってくださるように望んでいます。

 「また、教示(=フォーカシングの手順の公式的フォーマット)は成文化されてしまうと誤解を避けることができません。あらゆる人に合うような公式はないのです。とにかく、(フォーカシングをする)それぞれの人が独自の方法を見つける必要があります。」

 「あなた自身、そしてあなたのからだ(の内側の曖昧な感じ)そのものに注意を向けてみましょう。(その結果、)健全で広がりがある(気持ちがおおらかになったり、安らいだり、落ち着いた気分になる)体験のみが価値があるものと考えてください。

 あなたの身体の中でおかしな(違和感のある)感じがしたとき、教示に従うのをやめ、少し自分(自身)を取り戻し(、一息ついて)みましょう。 
 
 これらはまさに教示に従わないための教示です。

 ですから、もちろんこの教示(=「教示に従わないための教示」)自身にも当てはまります」


Dreamfocusing_1
「夢とフォーカシング」村山正治編訳 福村出版 第20章 訳書p.164-165より抜粋。(  )内は阿世賀による補足。

*****

 ジェンドリンは、何と、自分の書いたフォーカシングの独習用の教科書(この本はあくまでも「夢」についてのフォーカシングのやり方に特化した本ですが)で、

   自分の技法体系のフォーマットを
   延々説明してきた挙げ句に、

   この短い最終章で、

     「あなたの実感が”No!”というのなら、
     私の教示に従ってはならない

と釘を刺すばかりか、それに更に屋根屋を重ねるがごとく、

 「あなたはこの『教示に従わないための教示』そのものに従わない権利がある」

とまで言い放っているのです。

 この最後の、ほとんど禅問答みたいなジェンドリンの発言の意味、どういうことかですって?

  「あなたが、もし自分の中で違和感を感じる教示でも、興味本位に、遊び心と冒険心をもってチャレンジする自由はあなたに保証されている。でも、それは自己責任でやって、『ヤバイ!』と感じたら自分でやめてくださいね」

ということだと私は理解しています。

   フォーカシングを学ぶ人は、
   ひとりひとりが、
   自分にあった、
   「使い勝手のいい((c)日笠摩子)」形に
   フォーカシングを「創造」し、
   「改良」し、
   「臨機応変に即興で使い分ける」
   権利と自由を持つのです。

 教示通りにやらなくなった時、フォーカシングは、あなたにぴったりの「オーダーメード」の服を「自分で」縫い上げたことになります。

   そのための
   「お手伝い」
   「アイデア『提案者』」であること

それが、わたしのような、フォーカシングのトレーナーの仕事です。

2006/06/29

ispot加盟、正式運用開始!!(第2版)

 すでにこちらでご紹介した、


ispot ココロとカラダの癒しすぽっと検索ispot

への加盟店としての「出店」OPEN、当初30日の予定でしたが、本日29日に繰り上がりました。

  ispot内の「湘南フォーカシング・カウンセリングルーム」のコーナーは、ここから直接リンクしてもいます。

こちらからの検索も試してみて下さい(現在、リストのトップに掲載中です)。

なお、ispot内の「出店」へは携帯からもアクセスできます。

http://mobile.ispot.jp/s/s-focusing

ispot会員(男性でもOK!!)の方のご利用の場合には料金の1%のポイントがつきます。

更に!!

ispot会員様限定で、

7/31までのご利用(カウンセリングやトレーニング、夢分析等が実際行われた日)の方は、

全コースの料金の1000円引き

を実施いたします!!

日本フォーカシング協会メンバー割引など、他の割引との併用OK!!

 なお、ispot内の私の職場のコンテンツは、数日の内に「更に」増補される予定ですので、お楽しみに!!

2006/06/28

明日(6/29 木)は「湘南フォーカシング・カウンセリングルーム」を特別臨時「開業」いたします。

 本来定休日木曜日に、私のカウンセリングルームを「開室」することは、決してないのですが、

明日(6/29 木)に関してのみ

例外的に,

特別臨時「開室」することにいたしました。

 この理由の詳細につきましては、準備が完全に整った時点(29日のいずれかの時間)速報いたします!!

70000アクセスすでに突破!! 心引き締めて、謙虚に精進します( 第7版)

 60000アクセスが5月10日でしたので、49日で達成、一日平均204アクセスおいでいただくという、私のブログとしては過去1,2を争うハイ・ペースで、多くの皆様においでいただけたことになります。誠にありがとうございます。

 今、独立開業事業の更なる積極化の段階に入りました。

 特にカウンセラー同業者の皆様にとっては、挑発的な記事も書き,顰蹙(ひんしゅく)も買っていないかとすら懸念しております。
 しかし、私は、一般の皆様や、これからカウンセラーになろうとしている皆様に、カウンセリングや精神療法、精神科医療に対する「過剰な幻想」を抱いていただきくないのです。
 むしろ、「手堅く」、「賢く」、「しぶとく」、「使い勝手のいい((C)日笠摩子)」形で、ごまかされすに、「こっちがうまく『利用』して、成果をもぎ取ってやる」くらいのつもりで「有効活用」していただくことを祈って、記事を書いているつもりでいます。

 まもなく開業1周年を迎えます(06/07/11)。
 心引き締めて、謙虚に精進していかなばならないと、自分に耐えず叱咤しておりますので、これからもどうかよろしくお願い申し上げます。
 
**********
(以下、2007/7/16 PM23:46現在 
 延べ74069アクセス 第7版) 

アクセス解析すると、最近の傾向としては、

○ここしばらく、連日にわたるアクセスがまだ続き、特に6月後半から7月前半のアクセス数の急激な増加(300-390アクセスの日あり)に貢献したヒット記事が、

  ●あなたの身近な
   「町のカウンセラー」を目指しています。NEW!
  ●子供との関わりのためのフォーカシングの本、新刊 NEW!
  ●夢フォーカシングについてNEW! 
  ●「『信』なき理解」
  ●続・『信』なき理解
   -援助職の人自身の人間関係の光と影-
  ●事例検討会でのコメントを
   自分の心理療法流派の宣伝の場にしないように
   心がけましょう!!
  ●「単なるロールプレイより効果的なカウンセラー訓練」
  ●「フォーカシング・ワンダーランド」
  ●「クライエントさんはカウンセラーに
    『感情移入的理解』を向け続けている」
  ●「カウンセラーこういちろうのライブ映像公開!!」
  ●「ユーミンのデニーズ伝説 III」
  ●「億劫とは、エネルギーのはけ口が
    うまく見つけられない状態である」

の12作。

iPodヘッドフォン関係の記事が、古い記事まで含めて非常にコンスタントにおいでいただいているばかりか、さらにアクセスシェアが増し続けていること。

ビュアオーディオについての記事に増加傾向があること。

「ユーミンのデニーズ伝説」をシリーズ化したことによる、このシリーズ全体(I, II, III)のアクセス率上昇。

○これは以前からの傾向なんですが、カウンセリング系では、

  ●「死にたいと言ってもらえること」
  ●「ケーススーパーバイズとは何だろう(入門編)」
  ●「私のケーススーパービジョン(実践編)」
  ●「鬱の人は一見元気に見えることも多い」
  ●「『共感的に』人の話を聴くとは?(入門編)」
  ●「無遅刻無欠席の哲学科学生だった私が、
    「カウンセラー」になった途端に,
    一度見失ったものとは?」
  ●「クライエントさんに
   「共感できない」気持ちを糸口に、
   クライエントさんへの深い「共感」への道を
   開くこと」
  ●プロカウンセラーの6つの条件
    (7.11 Asega Doctrine)NEW!
  ●突然シューベルト
   (注:これも歴毅としたフォーカシング論)NEW!

 これらは、ロングランの手堅いアクセス率があります。

浜崎あゆみ(ayu)関係の記事が、日によって、かなり古めの記事すら突如アクセス率が回復すること。ちなみにそういう時に一気に躍り出るのは、たいていの場合、あの、少し人を食ったウイットを効かせた、

    "Bold & Delicious"

の記事です。

*********
 このブログ,ジャンル的に何とも多岐にわたり、構造が複雑怪奇にできていますけど、以前から申し上げておりますように、カウンセリング関係の記事に限定すれば当ブログ右サイドにもリンクを常設しておりますところの、

「阿世賀浩一郎 WEB上のカウンセリング論集 INDEX」

を活用していただくと便利なはずです。よろしくご活用下さい。

2006/06/25

「億劫」とは、エネルギーのはけ口がうまく見つけられない状態である(第5版)

 一般に、何をはじめようとしても「億劫(おっくう)」な時というのは、まるで自分のエネルギーが「下がっている」状態と捉えられているかと思います。

 私は、実は正反対の場合があると思うんですよね。

    「億劫」になっている人のかなりの部分は、
    実は自分が
    「やりたいこと」
    「やらねばならないこと」
    が幾つもあるのを、
    意外と自覚しているものです。

 ただ、それらの優先順位がつけられないだけなのですね。

 いわば、川の「淀み」のようなものです。

 しかし、どんな川の「淀み」でも、必ずそうやって流れをせき止めている「何か」(他より硬い岩盤の地層とか)があるから、淀むのです。
 そして「淀み」に出口のない川なんてありますか?

 それこそ、イスラエルの「死海」みたいに、流入する河川があっても、水分の蒸発が上回り、とこにも海への出口がない川なんて、例外中の例外です。

   古代から、人類には、
   そういう「淀み」の原因になっている
   「堰き止めている」地形の部分を発見し、
   少人数ででも、「ほんの少し」さえ切り崩せば、
   「そこ」から水が流れ出し、
   あとはその流れ自身の浸食力で,
   自然とそこから新たな川筋が

     「生み出されるがままに任せる」

   くらいの力はありました。

*****

 オランダの伝説として、次のようなものがあります(実話かもしれない)。

 オランダの陸地の多くは、実は1000年以上にものぼるであろう歴史が生み出した人工的な干拓地で、海面の方が地上より水位が高い地域が国土の数十パーセントにおよぶことは有名ですよね。
 
 首都のアムステルダムそのものが、13世紀に「アムステル」川「ダム」を築いて作られた干拓地、というのは、ウソのような、ホントの話です!!(Wikipedia参照)

(もとより、川から運ばれてきた土砂による洪水などの反復で、0メートルより低い土地は徐々に数百年かけて「埋め立て」」られ、純粋の「海抜マイナス○メートル」の土地は、意外と今では少ないかもしれませんが)。

 さて、そのオランダの干拓地の海べりの堤防で、一人の少年が、遊び半分に、堤防の土に、指を突っ込んで穴を開けた。

 すると、指を抜いてみると、何とそこから海水が勢いよく噴出した!!
 
 よほどそこの地盤が陸地側の堤防壁側まで緩んでいて、指で「あと一突き」すれば一気に亀裂が開いてしまうところだったのでしょう。

  「このままではこの穴がどんどん大きくなって、
   堤防が崩れる!!」

 少年はあわててもう一度指を差し込み、「栓」をすると、大声を上げて助けを求める

 でも、干拓地の広々とした耕地に人影がない。

 それで、少年は、確か発見されるまで1日ぐらいは指を突っ込んだまま耐え続けた

 この少年は、大人から非難されるどころか、干拓地の大水没を防いだ「英雄」として称えられた......という話だったと思います。

*****

 心理学に「水路づけ(canalization)」という有名な概念がありますよね。

 この言葉の意味を教えてもらえていない、学部2年生のいる心理学科のある大学なんて、臨床心理学どころか、実験心理学の場合でも.......(以下略)

 わかりやすくいうと、

   人間の欲求というのは「はけ口」を求める
   そして、一度ある一定の「はけ口」をみつけると、
   まるでそこから「侵食」が始まり、
   川筋が形成されるようにして、
   欲求をその「はけ口」を通してのみ
   解消しようとするパターンにはまる。

   もしその「はけ口」が閉ざされたら????
   「運河(canal)」を掘るしかなくなるわけです!!

   柔軟な人というのは、
   いわばそういう「運河」を、
   自分の中に「縦横に張り巡らし」て、
   その時の(自然)状況に応じて、
   たくさんの水門を開いたり閉じたりして、
   流れのエネルギーを有効利用できる人です!!

*****

 ものごとをやるのが「億劫な」人には、恐らく、川の水そのものが乏しい状態になっている場合も確かにあるでしょう。

 (そういう人の場合には、逆に「河口堰」とか「ダム」を作り、川の水を「溜め込む」まで「時が満ちるのを待つ」技術の習得が必要かもしれません。人間にはエネルギーの「自然回復力」があります。
 
 もっとも「干ばつの年」を何とかしのぎ切り、「翌年」まで待たねばならないこともあるし、水の無駄遣いをいわば強制的に押さえ込み、「休息を取らせる」ために、薬の処方がまずはふさわしいこともあります)

 しかし、実はすでに、エネルギーの塊のような「水量の備蓄」がありそうな人が、「億劫さ」で悩んでいるケースが、意外と多いと思います。

   そういう人は、面接の場でも、
   何やらわけのわからんエネルギーを
   本人が持て余しているだけ

というのが、その人の、「エネルギッシュな」話しぶりや、非言語的な「切迫感(まさに、内側からの何かのものすごい圧力で、自分の心の壁が吹き飛びそうな感覚)」から伝わってくるのが、カウンセラーとしての私にも「感知」できるんです。

  「もう、やる気が出なくて、困り果てています」

「言葉の内容としては」物語るクライエントさんが、本当に「エネルギー枯渇」に悩んでいるのか、それとも、「ものすごいエネルギーや切迫感」が非言語的にはカウンセラーを圧倒している状態かを識別する「感度」をカウンセラーは磨かねばなりません。

1. 少なくとも,自発来談の場合、ほんとに、エネルギーが枯渇している人だとすれば、カウンセリングに通い、「やる気が出ない」と切々と訴える力どこから出て来たのでしょうかね??? 
 2. もちろん、カウンセリングルームや精神科に「身体を持ってくる」のがやっとという感じで、どう言葉をかけても憔悴して,「言葉数が非常に少ない」、でも「カウンセラーの顔色を気にして」緊張しているわけでもなさそうな人はいるかもしれません。この種の人は「何をするにも億劫なのか?」と問いかければ肯定しますが、私なら、カウンセリングを継続する前に、お医者さんに紹介状を書いてあげます。
 3. あるいは、「カウンセラーの顔色を気にしている」ようすがないのに、何も話さず、緊張している雰囲気のクライエントさんもいるでしょう。しかし、この種の人は「億劫」という言葉を自分から使うことはまずあり得ないので、この記事の対象からは外され、別の理解をする必要があります

    カウンセラー側の、
    この識別の「感度」が鈍いと、
    たいてい、
    カウンセラーの側が
    いつの間にか

    「この人に、どうしてあげたらいいんだろう」

    という「焦り」「切迫感」
    巻き込まれるわけです!!

 (まー、「治療者の逆転移」とは、こんなものだと実感的に面接のその場で気づけるようになれば、メラニー・クラインやビオンを必死こいて読破し、勉強しなくても、「現場臨床実用的」には、精神分析の対象関係論の勉強は「半分はできた」といえるでしょうね。あとは「分裂的=妄想的態勢」と「抑うつ態勢」、「投影的同一視」についてほんとにわかっていれば、ほぼよろしい)

 ここで、まずはカウンセラーの側の、自分の中での「認知行動療法」(爆)が即席で必要になります。

   「この人は、
    エネルギーがないから、
   『億劫』なのではなく、
    エネルギーを持て余して、
    それを「どこから」「どう」活用するかを
    考え出すと、
    頭の中で「悪循環の堂々巡り」
    にはまって苦しんでいる人なのである」

と。

 このように捕らえるだけで、カウンセラーの中に、そのクライエントさんへの深い思いやりが生まれ、心の余裕が生じます。

 ここから後は、それこそ「認知行動療法」でもいいし、
 「系統的脱感作法」でもいいし、
 迷う心の「整理学」増井武士先生の「こころの整理法」
 でもいいし、
Yamakami1 山上敏子先生流の、
 一種の「シェイピング(形成化)」の宿題を
 クライエントさんと共同で練り上げる
 行動療法
 (暴露反応妨害法)
 でもいいでしょうね。


*****


最後に、我がフォーカシングのジェンドリンの「名言」をひとつ。

「(毛先のバラけてきた、使い古しの)ブラシを新しいものに取り替えるだけでも、そのひとの成長と変化のための小さなステップである」 

Dreamfocusing_1
「夢とフォーカシング」村山正治編訳 福村出版 訳書p.135。
 第15章、16章全体もご参照下さい。

「臨機応変型」

「このタイプの人は、考え方が柔軟で頭の回転が速い、人付き合いの上手なタイプが多いようです。自分の長所や特技を活かすのも上手で、けっこう目立つタイプなのでは?ただ、要領の良さはときに、鼻持ちならない人というマイナスイメージを植えつけてしまうこともあります。たまには不器用さを見せることも、戦略のひとつかもしれませんよ。
職業で言うと、ディレクターやクリエイターが向いているようです」。

完全に,当たってるな!

MSNの「心理学特集」の「人付き合い診断」の結果です。

 「気配り派?一匹狼?人付き合い性格診断」というタイトルにひかれてやってみた。

 私って,不器用そのものの人間と思っていたけど、いつのまにそつがなくなったんだろね?

「私なりに社会にもまれて来た」としか言いようがないでしょう(^^;)

「ユーミンのデニース伝説 III」、『第2版』公開を敢えてここでご報告します!!

直前の記事、「ユーミンのデニース伝説 III」、第2版を公開しました。

前半は初版のままです。一文字も変えていません。
第2版では、後半に大幅な加筆があります。

初版をお読みの方、どうか「必ず」ご再読下さい。

********

 敢えて付言します。

 初版をアップした後、私の中に残った、微妙な、言葉にならない違和感

    「何なんだ、このモヤモヤは?」

これが、フォーカシングで言う「フェルトセンス」です!!

 フォーカシングが完全に身に付いている私は、こういう時、教示の段取りとか、関係なく、もはや無意識的にフォーカシング状態に入ります。

 すると、生じて来た、忘れていた細部の記憶の蘇り。

なぜ私はあの『母」と『子』、両方を救いたくなったのか」

について、私自身がショックを受けるくらいの「気づき」「洞察」が突然訪れ、

更に、みゆきの

> 私の敵は 私です

という歌詞が唐突に思い浮かんだ瞬間、

私は涙が止まらなくなりました。

これが、フォーカシングを「身につけている」ということです!!

2006/06/24

ユーミンのデニーズ伝説 III(第2版)

前作 PartIIも好評で、第1回のアクセスシェアも一気に上位に躍り出たので、このシリーズも平行連載にしましょう(^^)

*****

これは、鳥インフルエンザ、というものが話題となった最初の年のことと記憶します。

「だめよ!! きちんとつけてないと風邪悪くなっちゃいますよ!!」

  内科病院の待合室。

「いや、いや!!」

と泣きわめく小さな男の子。

 男の子が身体をバタバタさせるのを必死に抱え込み、
口にマスクをつけさせようとする若い母親。

 まるで、その男の子の様子を周りの待合室の患者に必死に「隠す」かのように。

 「風邪の方は念のためマスクの装着をお願いします」

と、病院側が、待合室の風邪の患者さんひとりひとりに紙製のマスクを配布するということをしていたのです。

 この様子を知ってか知らぬか、周囲の人は気にもとめていないようなふるまい。病院スタッフも。

******

 私は決心しました。

 その男の子の方に回り込み、腰をかがめて、目と目をあわせて、言いました。

「それ(マスク)つけてると、むずむずして、キモチワルイんだよね」

その子は途端に泣きやみ、じっと私の目をみました。

わたしは、

   「♪じゃーねー♪」

みたいにちょっとその子に手を振って、自分のもといた席にさっさともどります。

 「どうもすみません」

私に振り向いて母親。

*****

 しかし、その後、その子はもう泣くのをやめて、おとなしくしていたのです。

*****

 私は病院からの帰り道で、いろんな連想をしました。

 私は子供相手のセラピーの経験ゼロです!!

 しかし、あんな子供ですら、ほんの一言、その子の「身になって」、共感的な言葉かけをするだけで、あそこまで一変することがあるんだ!!

 むしろ、そういう子供の変化に、私の方が「学ばせていただいた」とすら感じました。

*****

 それにしても、なぜ、それまであの子は泣きやまなかったのか???

 ここからは、私なりの意見です。万が一、そのお母様がこのブログをお読みだったとしても、無礼をお許し下さい。

 お母様は、泣き出し、じたばたする我が子の姿に狼狽していたばかりではなく、

そうやって我が息子が大声を上げて泣いていることが、「周囲の方のご迷惑になる」ことに気持ちをとらわれていた。

 そして、そうやって子供を黙らせることができない母親であることを、周囲の目にどう見られるかという焦りにばかりとらわれていて、子供の気持ちそのものに、子供の身になって共感して一言かければそれだけで子供は落ち着くという、「コロンブスの卵」のあやし方を、狼狽の中で、たまたま思いつけなかったのでしょう。

******

 これ以上のことは、読者の皆さん、ひとりひとりが考えてみてください。

 なお、万が一、そのお母様を傷つけることを回避したいので、この記事へのレスは、別な場所でのレスとしても、ご遠慮下さい。


******
●第2版で追記●

 ここまでの本文は一文字も変えないまま、どうしても私自身で付け加えたくなったことを追記します。

 お母さんも、男の子自身も、この待合室の場の中で「孤立無援」(helplessness)だったんだな、と、自分で読み返していて、ふと思ったんです。

 どうして、むしろ普段はそんなことをするのが苦手な筈の私が、この時に限って、この母子に助け舟を出さずにいられなくなったのか?

 今、思い出したんですよ。

 まわりの患者さんも、病院スタッフも、見てみぬ振りをしていること「苛立って」来た自分の気持ちを。

そして、そうやって見て見ぬ振りをしている連中のひとりに、そのままでは私自身が「なってしまう」ことに、もう、耐えれられなかったからなんです!!!

 ふと思ったんですよね、その時。

 私の田舎だったら、絶対に、誰かが、

  「あらあらどうしたの? 坊や」
  「お母様も大変ですね」

と、声をかけていたであろうこと!!

********

> 私ほんとうは目撃してしまったんです きのう電車の駅、階段で
> 転がり落ちた子供と 突き飛ばした女の薄笑い
> 私驚いてしまって 助けもせず 叫びもしなかった
> ただ怖くて逃げました 私の敵は私です

> ファイト! 戦う君の唄を 戦わない奴らが笑うだろう
> ファイト! 冷たい水の中を 震えながら上って行け

中島みゆき「ファイト!」(アルバム予感「予感」収録)

何より、私は、
私自身を、
そして、
「私の中の」その母と子の、
「味方」をし、救いたかったんです!!
    

 iTunes Music Store(Japan)

またまた予告!! 中井久夫/山口直彦著「看護のための精神医学」について

看護のための精神医学第2版中井久夫/山口直彦著「看護のための精神医学」

 この、単に看護士のみならず、精神科医や心療内科医、臨床心理士、薬剤士、精神保健福祉士(PSW)、社会福祉士、ソーシャルワーカー等を含む、「援助職」必携の名著として圧倒的評価を獲得した著作を、何と私はまだ読んでいませんでした。 m( _ _ )m

 この本を私もこれから読み進めます。そしてそこから感じたことを、少しずつこのブログでもご紹介して行くことを、ここにお約束します

 日本の、いや、世界の精神医療の「宝」というべき希代の天才精神科医、私も若い頃からたいへんな影響を受けて来た、もはや私が直接「ライブで」そのお姿に接したことがない唯一の「憧れの先達」、中井久夫先生の著作の中の、比較的最近の未読の一冊を「はじめて」熟読するということは、私にとって、ちょっととてつもない「真剣勝負」になるかと思います。

 焦らず、ゆっくりしたペースで進めます。皆様がこの予告を忘れた頃になって、ひょっこりブログの記事として書き始めるかと思います。

 なお、この本は「第2版」を是非お買い求めください。「精神分裂病」が「統合失調症」と改名されたことが、日本の精神医療の今後にどのような影響をもたらすかについての「新たな一章」が追加されている、と、今、前書きだけ呼んで確認しましたので。

2006/06/23

世界との壁

 サッカーワールドカップ、ブラジルに先制しつつも、前半ロスタイムに同点にされ、そのあと後半はブラジルのコールラッシュで逆転負けだったそうですね。
 冷静に見て、リーグ戦の組み合わせはもともと日本に過酷にできていたとは思います。
 しかし、ネットで中田の号泣する写真を見た時、やはり胸を打たれるものがありました。もう、4年後は、仮に出場できても、少なくとも彼は主力選手ではないでしょうし。
 試合開催前から、日本選手の緊張感に乏しさに厳しい発言をし続けた彼の孤高。

********

 中田を私になぞらえるのは不遜なこととは承知しています。
 でも、日本のフォーカシング界、いや、カウンセリング界全体に、私は、ある意味で中田に通じる危機意識を持っている、と敢えて書かせていただきます。

 臨床心理士は今や毎年千人以上のペースで「量産態勢」にあります。
 
 しかし、このままでは、バブルがはじける。

 働き先すら、スクールカウンセラーに依存している。

 がんばれ 日本!!
 

2006/06/22

いかに「外部」の人たちにフォーカシングを広めるか

 自分で言うのも恐縮ですが、前回の記事をお読みいただくと、長年、日本でフォーカシングを学んだり、教えたりしてきた皆様も、この記事が、いかに「オーソドックスな」フォーカシングの教え方についての解説であるかはお認めいただけると思います。

 私は日本的なムラ社会、集団主義にはなじめない人間です。

 率直に言って、そういう日本的な風土が、フォーカシングを教えたり学んだりしている皆様を、フォーカシングの世界の中だけで(更に細分化された)「ムラ社会」を作って自足してしまう弊害にたいへんな危惧を抱いてきました。

 昨年、トロントのフォーカシングI国際会議に出席させていただいて、強烈に感じたのは、欧米や中南米、イスラエルのフォーカシング関係者の、人間的なスケールの大きさとオープンな暖かさが、日本とはまるで異次元のスケールを持つということでした。

 それに比べたら、日本のフォーカシングは、何と「チマチマ」したものにとどまっていることか!!

 こんなことだから、日本のカウンセラーの間では、フォーカシングとはたいしたことがないかのように、実は深いところまで知りもしない半可通のままで「なめられる」のだ!!

 私は、完全な独立開業ですから、学閥とか学会の政治的問題に振り回されなくていいし、すでにフォーカシングの国際資格としては、「コーディネータ」という、「資格認定資格者」という、世界でも100名あまりの人だけが持つ、最上の資格をいただいておりますから、もはや業績作りに窮々とする必要は全くありません。

 ただ、「食って行ける」だけの数のクライエントさんフォーカシングを学びたい皆様スーパービジョンを受けたいカウンセラーの方々に来ていただき、しかもそれがそれぞれの皆様のお役に立っている実感を感じていただける援助となれば、職業人としては、特に何もいりません。

 ですから、遠慮仮借なく、日本のフォーカシングの悪口も率先して書きます。

 しかし、それは、私が、フォーカシングを愛すればこそなのです。

I love Focusing as if to be my 2nd heart.

2006/06/21

単なる「ロールプレイ」より効果的なカウンセラー訓練(第4版)

 カウンセリングを学ぶ人たちの入門期の実習として「ロールプレイ」というものがあります。

 これは、訓練生のひとりがカウンセラー役になり、もうひとりがクライエント役になって「模擬カウンセリング」をすること、と理解していただくといいかと思います。
 得てしてこれは訓練生同士がカウンセラー役とクライエント役を交換して行ない、終わった後で、お互いに感想を述べあうなどするわけですね。

 恐らく、カウンセラー養成のための研修機関や、講座や、臨床心理系の大学・大学院で、「ロールプレイ」をその課程に含んでいないことは、流派と無関係に決してないはずです。

******

 この「ロールプレイ」より遙かに強力な、カウンセラー訓練生への「傾聴訓練」の体系を、The Focusing Instituteが国際資格を認定したフォーカシングのトレーナーはトレーニングの際に教え、用いる技能を持っています(.....持っている「筈」です....)

 その代表的なものの一つが、

 "Focuser as Teacher"
フォーカサーリスナー・ガイド役指導者となる訓練法)

といいます。

Focusingworkbook
 詳しいことは、
例えば、
この著作に、
非常に行き届いた解説がなされていますが、以下、私なりに、この訓練の面白みを解説してみましょう。

*****

 フォーカサーがリスナー・ガイドの指導者になる!!

 これは、「クライエントさん」役が「カウンセラー」役の指導者として、しかも模擬面接のライブの中で刻々とコメントを挟んでいくことになります!!!

 フォーカシングは、もともと、いわばクライエントさんに当たる人が自分で自分に施す「セルフ・ヘルプ」の技能です。

 あるいは、少なくとも、一般の人が、日常の中で、フォーカサー役と、リスナー・ガイド役を、お互いに役割交換しながらフォーカシングができることをめざしています。
 これを、「フォーカシング・バートナーシップ」あるいは「フォーカシング・コンパニオン」といいます。

Focusing_hyoushi
「フォーカシング」(ユージン・ジェンドリン著)で述べられている通り、フォーカシングの創始者ジェンドリンがフォーカシングに抱いた夢は、フォーカシングを学んだ一般市民同士が、お互いにフォーカシング/リスニングをすることにより、世間のカウンセラーのかなりの部分は不要になり、「失業状態」に追い込まれる社会を作ることです!!

 ですから、フォーカシングのトレーニングとは、その人が、フォーカサー役とリスナー役、どちらをも、ある程度以上「自律して」発揮できることを目指す訓練であってこそ、はじめて意味があります。

*******

 つまり、ある程度フォーカサーとしてのスキルを自律して身につけた人は、自分自身のリスナー・ガイドにも、「一人二役」で、ある程度なれる人ということななります。

 だから、自分で自分のフォーカシングを進めながら、なおかつ同時に、ガイド・リスナー側に、その傾聴や教示の仕方についての「感想」や「修正意見」を提示するという、マルチタスク能力をすでに持っています。
 いわば、試合中のスポーツ選手が試合の実況のコメンテーターを同時進行させるということができるのです。

 例えば、

「今のあなたの伝え返しに対して、私は、リスナーとしてのあなたに、私の気持ちを十分汲んでもらえたと感じました」

「すみませんが、もう一度、今の伝え返しを、もう少しゆっくりと、繰り返していただけませんか?」

「私は、私の言ったことの中の『○○』という言葉を、あなたに、そのまま大事に伝え返して欲しかったんですけど。すみませんが、もう一度、『○○』という言葉を大事にしながら伝え返しをやりなおしていただけますか」

「この場面では、何も伝え返しはいりません。ただ、黙って聴いていてくださるだけでありがたいです」

今、私は自分でどうフォーカシングしたらいいかわからなくなっています。よろしければ、あなたなりに、この後どう進めればいいかのアドバイスとなる提案をいただきたいんですけど」

*******

すごい世界だ!!

とお感じの方もあるでしょう。

 でも、こうして、フォーカサーが「注文をつける能力」((c)田嶌誠一)を発揮してくれたら、リスナーは、フォーカサーの注文に応じていけばいいわけですから、実はなのです。

 同様に、実はここで"as Teacher"役の体験を深めた人自身も、それこそ、流派に関係なく、カウンセラー相手にクライエントとしてカウンセリングを受ける際にも、カウンセラーに、gentleな形で自分の意見を言う能力を獲得します。

 「あの、今、先生がおっしゃったことの意味がよくわかりませんでした。すみませんが、もう一度、少し別の言い方で伝え直していただけますか?」

 「先生、私に2分でいいから時間をください。先生がいまおっしゃったことについて、今、私の中でいろんな思いが生じています。それをじっくり感じて、言葉にできるようにするまで、しばらく沈黙して、待っていていただけませんか」

 こんなことを言い出すクライエントさんがいたら「厄介だ」と感じるカウンセラーや精神科医なんか、私は....(以下略)

     フォーカシングは、
     あくまでも、
     「フォーカサー中心の」技法であり、
     リスナーやガイドは、
     フォーカサーの求めに応じて機能する
     「サポーター」に過ぎない。

 これが、フォーカシングの根底に流れる理念です。
 

******

私のフォーカシング個別指導においても、私は、その人にある程度フォーカサーとしての力がついてきたと感じたら、何と私の「リスナー」になってもらうことを提案します。

   そして、
   フォーカサーとしての私が、
   ”as Teacher"として、
   もちろん、優しく、ですが、
   訓練生に、.

   「今の伝え返しは私の役に立ったよ」

   とか

   「ここでは、私の語った言葉の中で、
   『△△』だけを、もう一度投げ返してくれるかな?」

   などと指導していくのです。

*****

Interactivebooks
 なお、この、"Focuser as Teacher"を当然の前提として内に含みつつ、
更に進んだステップの訓練として、
「インタラクティブ・フォーカシング」があります。
著作はこちら

 そして、私も共同研究者をしている、「東海フォーカシング研究会」の藤嶽大安氏の「藤嶽法」もまた、相互傾聴訓練としてきわめて効果的です。

 なお、この、「フォーカシングの主役はフォーカサーその人であり、トレーナー(リスナー)はそのサポーターに過ぎない」という問題については、こちらに、更に過激な続編が、創始者ジェンドリン自身の著作からの抜粋を引用する形で展開されていますので、とうかお楽しみに!!

*****

なお、"Focuser as Teacher"については、こちらから、続編の掲載を始めています。

6月30日、"ispot"の「加盟店」になります!!

 このたび、働く女性のための、こころとからだの癒しスポット検索サイトとして、年間1000万アクセスの実績を持つ、”ispot"(アイ・スポット)の「加盟店」としての契約を正式に締結いたしました。

 "ispot"内部に「湘南フォーカシング・カウンセリングルーム」の、数ページに及ぶ写真入りの紹介と、”ispot"会員限定で書き込める、業務内容に関するお問い合わせの掲示板が設置されます。

 ”ispot"会員の方には、カウンセリングフォーカシングのトレーニングケーススーパーバイズの料金の1%にあたるポイントを差し上げます。

 なお、この”ispot"内の「出店(?)」の運用は、6月30日開始予定です。

 もちろん、”ispot"会員でない方でも、この検索サイトを利用することはできます(もちろん、男性も!!)。ポイントがつくかつかないかの違いだけです。

*****

 美容院やエステなどに比べると、カウンセリング部門は、このサイトでは"ベンチャー"部門のようです。

  「むしろオーソドックスなカウンセラーの方にが登録していただけると、その存在は検索の際に目を引くでしょう」

というお薦めを受け、営業の方の誠意ある対応にも好感を抱き、加入を決断しました。

*****

 なお、NTTタウンページ(職業別電話帳)の、鎌倉・横須賀版横浜市栄区版にも、今年11月頒布の版から、「湘南フォーカシング・カウンセリングルーム」の「囲み広告」が掲載されます。

「インターネットタウンページ」ではすでに検索可能です。試してみてくださいね!!

2006/06/20

ユーミンのデニーズ伝説 II

 先日、都内某所の、あるファミレスで昼飯を食べていた時のお話です。

 喫煙席で 背中は横に長いソファ、でも、正方形の小さなテーブルの向こうに椅子が一つだけ、という、二人で一組になるいすの配置が並んでいたところでした。

 私がソファ側で一人で座って食事をしている時、隣の席の若いサラリーマンが、ウエイトレスさんを呼んで、自分の灰皿を新しいものに交換してもらったのです。

 見ると、灰皿には、彼の吸ったとおぼしきタバコの吸い殻が「3本だけ」しか入っていませんでした。

    「3本で灰皿変えてもらう? 几帳面な人だな」

とぐらいにしか私は最初、思わなかったのです。

*****

 ところがその後の彼の一連の行動に、私は小さな驚きを覚えました。

 まず、自分が座っていた、ソファ側から、同じテーブルの反対の側の席に座り直す。

    「あれ、私の煙が横に流れて、迷惑だったのかな?
     でも、彼もスモーカーなわけだし」

 そして、次に、(彼はアイスコーヒーのドリンクバーだけだったんですが)
 彼は自分の席の側にアイスコーヒーを引き寄せ直すと、テーブル全体を、自分でナプキンできれいに拭いてしまうのです。

    「そうか、待ち合わせかな。
    で、自分は、ソファの「上座」から、
    反対の「下座」に移動した
わけだ」

 恋人との待ち合わせ?????
 ........いや、違う。彼は背広だし、平日だろ、今日。

*******

 彼はそのまま、もうタバコはすわないまま10分は待っていました。
  時計に時々目をやりながらも。

       「そうか!!! 
       営業のサラリーマンの、
       顧客さんとの待ち合わせなんだ!!」

 煙草の灰皿を早めに取り替えてもらったのは「長時間待っていた」と、顧客さんを恐縮させないため。
  上座から下座にわざわざ座り直したのも、相手が「顧客様」だから!!

++++++

 案の定、それから10分後に、いかにも町工場の経営者みたいな、作業服のいでたちの中年のおじさんが彼の前に現れた。

 そして、注文の後、ドリンクバーへとその「顧客さん」が立ちあがる時、その営業風のサラリーマンも自分のグラスを手に同伴した。

+++++++

    「勉強させていただきました。ありがとう。
    先輩の教育がしっかりしていたのかもしれないけど、
    出世することを祈っているよ」

と心の中で思いつつ、私は席を離れました。


*******


なぜ、「ユーミンのデニーズ伝説 II」というタイトルにしたのかに興味をお持ちの読者の皆様は、こちらをどうぞ。

2006/06/18

みゆきの「予感」論.....転じて、今日は「私の声が聞こえますか」論!!まで(第3版)

予感中島みゆき/予感(1983リリース)

 この、通算10枚目(注参照)のアルバムで、中島みゆきの「第1期」が見事に終焉する。

 前作、9枚目の寒水魚「寒水魚」は、確か1982年、アルバムとしては日本一の売り上げ枚数を記録したと思う。

*****

 ここで、中島みゆきについて最低限のおさらいをしておこう。

 ヤマハのコンクール(通称ポプコン)が発掘した、北海道出身、1952年生まれの、日本の生んだ稀代の女性シンガーソングライター。
 桜田淳子の「しあわせ芝居」、研ナオコの「あばよ」をはじめとして、他の歌手への提供曲で大ヒットした曲も多い。くわしいことはWikipediaを参照ください。
私の声が聞こえますか

(1976年発売のファーストアルバムです。くわしくは後述するように、みなさんが耳になじんでいる、アコースティックギターのみの伴奏の「時代」は実はこのアルバムにでしか聴けない!! ちなみに、「時代」は、何と、彼女が高校の文化祭で歌った歌らしいので、恐らくその時のオリジナルに一番近い編曲のはず)

 彼女の一つの特性は、「最初から、アルバムアーティストだった」という、恐るべき事実である。
 つまり、シングル(EP)のヒット曲が2,3曲あって、アルバム(LP)発売の際にはその他の曲を「埋め草」的に作るという、当時の日本のヒット歌手の常識を根底から覆した。
 (欧米では、逆に、最初にまとめて個々の曲でも大ヒット可能な曲をアルバム(LP)として先に発表し、あとで「ほとんど全曲」シングルカットすることもあるようだが。私のアナログ時代からの愛聴盤、【Rock/Pops:ヒ】ビリー・ジョエルBilly Joel / An Innocent Man(CD) (Aポイント付)Billy Joelの当時の大ヒットアルバム"An Innocent Man"がそういう売られ方をしたのは確かである)

 みゆきの場合、何しろシングルのヒット曲(たとえば「誘惑」)をアルバムに収録しないままということすらままある。そして、シングルのB面曲でアルバム未収録のも多い

 逆に、今日皆が思い浮かべる、あのギター伴奏の超ウルトラ名曲、「時代」は、前述のファースト・アルバムでの”リミックス・バージョン"なのだ(正確には、高校時代の「原型に戻した」というべきと推測できるのはすでに述べた)。

 通算2枚目のシングル盤として実際に出たものは、今は【CD】中島みゆき / Singles <2004/6/23>"singles"に含まれます。みゆきのパスト・マスターズVol.1パスト・マスターズVol.2"Past Masters"です。

(.....で通じない人はビートルズを一から勉強してね!!)

 このシングル盤の「時代」をラジオのリクエスト番組で下手に流そうものなら、

    「何これ? これじゃないぞ!!」

と、リスナーから抗議の嵐が舞い込むことは、当時のラジオ局スタッフの常識だったと思う。

 このシングル盤の「時代」は、ある意味でみゆきをどう売り出したらいいのかを「まるで勘違い」していたポニーキャニオンレコードの空前の大チョンボとして歴史に残っているのではなかろうか。
 私のただの想像ですが、おそらく、デビューシングル、「アザミ嬢のララバイ」と、それに続く「時代」のシングル2枚を出した後、いざファーストアルバムを作る際に、みゆきが頑強に、アルバムバージョンのあのシンプルさじゃなきゃだめだ!! とゴネまくったのではないかとも想像する。

 恐らく、あのアルバムバージョンが作られたから「こそ」、「時代」は、日本の歌の歴史に永遠に忘れられない名曲になれたのはまちがいない。
 「編曲」だけで曲を生かすも殺すも決まる。このことをプロデューサーが認識していなかったために世に埋もれた曲や歌手は山のようにいると思う。

+++++++

 ともかく、このファーストアルバムを聴くと、一方に、その後のみゆきからするとあまりに「初々(ういうい)しい」曲や、少なくとも編曲がミスマッチかなという曲が一部あるのは確かだが、みゆきが、フォークのみならず、ジャズやアメリカン・ポップス、シャンソン的なものなど、何とも広い範囲のスタイルで自在に曲を作れてしまうこと、そして、後にオールナイトニッポンのDJでも有名になる、あの「曲によって声色をまるっきり別のものにできる」希有な才能をすでに発揮している。
 私の分類だと、「酔っぱらい無頼はしゃぎ系」「男勝り系」「透明系」「振られた女の泣き濡れ系」「つぶやき系」「カマトト系」等々、名づけたくもなるが、それをどう呼ぶかは別として、みゆきの声に幾つもの「モード」があることは、ファンの皆様、認めて下さるだろう。

 いずれにしても、「私の声が聞こえますか」は、今の若い人が聴いても、

  「こ、これがファースト・アルバムだったんですか?」

とショックを、いろんな意味で受けることは間違いなかろう。

******

 アナログLP時代は、せいぜい片面20分、両面でも45分どまりでしか収録できなかった(針が内周に進むほど音がひずみやすかったので、クラシックでのやむを得ない場合を除いては、片面30分収録なんて決してしなかった)。つまりひとつのアルバムは10曲がせいぜいだったし、「A面」と「B面」でひっくり返すことが「幕間い」のような意味を持つことを意識し、A面の最後をどのような曲で終わらせ、B面の頭をどの曲にするかまで、周到にアルバム構成を考えるのがふつうでした。
 だから、CDになったら、「オリジナルのLPではここでB面にひっくり返していた」ということがわからないままアルバムに接することになります。

 これだけでも、実は、CD世代は、「アルバムの構成そのものが演出だ」という感覚が希薄になってる気がします。欧米の、オリジナルジャケットも復刻したCDの中には、敢えて"Side A:" "Side B:"という曲の表記までそのまま復刻しているのがありますよね。日本ではほとんどないことです。

 みゆきの「純粋アナログ」時代のアルバムは、ほんと、この、曲の配置や構成をどうするかへの神経の使い方が半端ではない。どのアルバムも、ビートルズでいうとビートルズ/サ-ジェント・ペパ-ズ・ロンリ-・ハ-ツ・クラブ・バンド「サージェント・ペパーズ.....」みたいな「コンセプト・アルバム」です。

    アルバム一枚が、見事な完結したドラマになる。
       
    なのに、一曲一曲の水準が、
    単独でも、もう「唖然とするほどに」高い!!

 基本的に毎年1枚のペースアルバムを出しながらも、アルバム一枚のすべての曲が、他の歌手ならシングルとして発売可能だろうといいたくなる、当時のみゆきの創造性は異常なエネルギーがあったといわざるを得ない。

 ファーストアルバムには、後のみゆきへのステロタイブな固定観念になった「振られた女の恨み節」タイプも何曲がある一方、「歌をあなたに」「海よ」のような、何とも初々(ういうい)しい曲も含まれる。恐らくアマチュア時代の早い時期の曲だろう。
 だが「海よ」なんか、明るいメロディの中に、実はさりげなく、後のみゆきが「海」を題材にする際に繰り返す、人生の辛辣な現実と、「死」のイメージがすでに歌詞に読み込まれているあたりなど、結局、その後のみゆきの萌芽はすべてこのファースト・アルバムに含まれていたとも感じさせる。

********

 いずれにしても、アルバムCDではディスカウントして再発かけないのがポニーキャニオン→ヤマハの(み、みゆきの?)方針みたいなので、実はみゆきのCDはリマスタリングされないまま売られてるんですよね。今もみんな2700円のままです。

 つまり20年近く前にアナログのマスターテープからマスタリングかけたままのが売られているんです。

 初期(前述の、10枚目のアルバム「予感」までを「初期」と呼ぶことにします)のみゆきのアナログ音源のアルバムって、アルバムごとに、マスターテープの製造会社をみんな変えているんでないかというくらいに音のテイストがアルバムによって違います。
 幸いなのは、前述のファースト・アルバムはかなり聴きやすい音質でまとまっていること。親愛なる者へ5枚目の「親愛なる者へ」から臨月8枚目の「臨月」のあたりは、結構「曲者」の音作りです。
 そして、アナログマスタリングの最後を飾る2枚のアルバムが、9枚目の「寒水魚」と10枚目の「予感」なんですよね。

この2枚は、アナログLPが出た時点で、この美しさとインパクトが共存した名録音と私は感じました。そのため、この2枚のアナログLPを、納得いく音で聴くことを基準に、当時の私はカートリッジ(アナログLPの針のついている部分のこと)を買いあさり、結局、オーディオテクニカのMC型の傑作で、何と今も製造されている(受注生産にハなりましたが)audio-technica AT33PTG MCカートリッジ(受注生産モデル)AT-33のラインコンタクト針バージョンでないと駄目! という結論に達したのをよく覚えてます。

 ちなみに、今回、敢えて、これまでCDからのロスレスコピーでiPodに入れてたのに加えて、何曲かiTunes Music Storeのダウンロード購入してiPodできいてみましたが、ロスレスコピーに負けない、いや、ひょっとしたらある意味ではもっといいくらいの非常に良心的なダウンロードファイルに仕上がってますよ。

*****

,,,,,,,,ここまでで、「予感」本論に入る前に、ファーストアルバム「私の声が聞こえますか」の紹介で、十分な長さになってしまった!!

以下、「予感」論は続編に続く!!

 iTunes Music Store(Japan)

******

●注●

 みゆきのアルバムを「○枚目」と勘定する際に考慮すべきななのは、他の歌手に提供した曲を、みゆきが自分でセルフカバーした曲だけを集めたアルバム(例えば、おかえりなさい「おかえりなさい」)を「オリジナルアルバム」に含めるのかという問題が生じること。
 私はこのタイプのアルバムを「オリジナルアルバム」と同列のものとみなし「○枚目」に含めることにした。
 ただし、「大吟醸」と「大銀幕」という、純粋の編集ものは含めないこととします。


●蛇足●

 私が、実はayuだけではなくて、みゆきにも「業が深い」つきあいをしてきた(?)ことがこれで一気に暴露ですね。
 ただ、私は同時代的にみゆきを聴くことからは、アルバム「予感」の次のはじめまして「はじめまして」で終わってしまってます。

(この「はじめまして」も、頂点を極めてもなお、みゆきが自分を更にステップアップするという、ほとんどの歌手が超えられなかった壁に果敢に挑み、一定の成果を上げた、すごい水準のアルバム。
 このアルバムからデジタルになります。しかし当時のCDプレーヤーは音が堅すぎた。そのことも、このアルバムで私のみゆき追跡が一度終わった一つの理由だったと記憶します、
 最近久しぶりに聞き直したら、曲もみな思い出し、「す、す、すげえよ、このアルバムも」とあっさり思えてしまった) 

 かの有名な、新宿のシアターコクーンでやってた演劇的ライブ、「夜会」にも行ったことないですから、ほんとうのみゆきの長年ずっとのファンの皆様、若い人たち向けに書いてるつもりですので、多少どんちんかんなことを書いていてもお許しくださいね。

 みゆきに関しては、ネット上の個人サイトの情報やカスタマーレビュー等の評論も、そのひとなりのみゆき観をしっかり言葉にした、読ませるものが多いですね。そりゃ、同時代ファンはもう40歳から60歳ですから、当然といえば当然でしょう。、

 ayuの場合は、ほんとに質のいいものはなかなかないですが。

流派を超えて、現代日本のカウンセリング・精神療法のあり方を問う

 もはや、わざわざ付言するまでもないかも知れませんが、

    私は、もはや、

    「フォーカシング」を現場臨床にどう役立てるか 

    という観点を「超えた」次元の
    問題提起をしています。

    日本の心理臨床や、精神医療のあり方全体を、
    実は非常に「素朴な」、一現場臨床家の視点から、
    問い直したいだけです。 

 私の目指してるのは、単に

    「『だだの』カウンセラー」

と呼ばれることです。

 .....わかりますよね、「ただの」の含蓄。

 生計のために、「料金は」いただきます(爆)

    「『単なる』街のカウンセラー」

という意味です。

 そこそこ(good enough)に、お役に立てるというふうに、少なからぬクライエントさんに感じていただけ、それと生計が両立する程度の。

2006/06/17

感謝!! 本日22時40分までに355アクセス!

 今日は午後都心に出て仕事をして、今帰ってきたので、アクセスがどこまで上るかを楽しみにしていました。

 このペースでいくと、恐らく、当ブログ、「カウンセラーこういちろうの雑記張」開始以来、過去2番目の一日アクセス数になるのは確定です。(過去一番目の時はその時は24時間で500アクセス丁度でした)。

 このあと続く予定の、中島みゆきの「予感」論と、浜崎あゆみの”My Story"論は、更に、更にパワフルな内容になるように構想中。今日の行き帰りもガンガンiPodで聴きなおしていてましたし。

みゆき論明日(18日)中にはUPできるでしょう。

0:00からの160分に70数アクセス!!

 前回の記事,最近書いたものの中では最大の自信作ではありましたが、「第2版」公開後の0:00-2:40に限定しても70アクセス突破という勢いで読んでいただけていることに、心から感謝いたします。

午前2:00から30分の間に20名以上おいで下さるなんて、ワールドカップとかの番組とは重ならないのかしら?(私,当然全然観てないです。ワールドカップまで観て仕事とこれだけの書き込みできたら人間ではない)

と、心地よい疲労感とと共に、明日の都心での仕事を控えて、おやすみなさいのこういちろうであった。

2006/06/16

面接中、クライエントさんは、カウンセラーに対して「感情移入的理解」を向け続けている!!(第3版)

 このタイトルだけで、

............え? あ? ん?

    ぎょええええええ!

と、一瞬の「沈黙」を経て、思えた人は、カウンセリングの基本的な勉強をなさった皆様です(^^)

 一般の皆様向けに説明しますと、日本でカウンセラー教育の基礎の基礎として今でも、多くの場合、大事にされている(はずな)のが、来談者中心療法の祖、カール・ロジャーズ(我がフォーカシングのジェンドリンの「共同研究者」です)が言い出した、

  「セラピーの三要件」

と呼ばれるものです。

......といわれて、さっと答えられない、臨床心理系の大学の、学部の2年生がいたらそいつはモグリといわれてしかたない。あるいは、よほどその大学の先生方のカリキュラム作りに問題があるはず、と断言します。
 精神分析系、ユング系、障害者心理学系、家族療法系、行動療法系・認知療法系の先生が多い大学でも、入門の最初の基礎教養としては当然おしえてしかるべきはず。
 

*******

 ,,,,,,などど、一発挑発めいた言葉で、読者を引きつけといた上で、本題にもどります(確信犯)。

その、ロジャーズのいう、「セラピーの三要件」とは、

.
1.クライエントさんへの「無条件の肯定的関心(unconditional positive regard)」

2.クライエントさんへの「感情移入的(empathic)理解」

3.カウンセラー自身の「純粋性(genuinness)・自己一致(self congruence)」

のことです。

 (ここまで読んでほっとした臨床系の学生さんの多からんことを。ちなみに臨床心理系の学部への編入試験大学院受験をする人は、英語でも覚えておいてね。専門の英語の出題の論文の中であたりまえのようにさりげなく出るかも)

******

 さて、今、ここで問題にしようとしているのは、この3要件のうち、2番目の、

       「感情移入的(共感的)理解」

ですね。

 ロジャーズは、これについて次のように注釈しています。

「ここでいう『感情移入的』理解というのは、あたかも(as if)その人(=クライエントさん)であるかのように、という状態を失わず、(いわばクライエントさんの感情に巻き込まれることなく)、クライエントさんのパーソナルな世界を、セラピストが感じようとすることである」。

 これを、フォーカシング指向心理療法ふうにいいかえれば、

「クライエントさんが、自分で内側に注意を向ければ感じているであろう漠然とした曖昧な感覚(=フェルトセンス)は『どんな感覚』なのかそれ自体を、カウンセラーは『擬似的に』自分の身体で感じてみようとするようなつもりで傾聴すること。しかし、それを、面接のその場でカウンセラー「個人が」感じているフェルトセンスと混同せず『感じ分ける』こともできなばならない」

となるかと思います。

 (これだけで、

「あ、勉強になりました。フォーカシングとロジャーズ派カウンセリングの接点は「そこ」なんだな、とはじめて気づきました」

と感じていただける臨床系の学生さんや、勉強を深めておられる現場カウンセラーの皆様がおられると、私は光栄に思います。)

 ちなみにここまでのことは、このブログで、「受容・共感と自己一致の相克シリーズ」という連作で、もっとかみくだいた言葉で書いてみてますので、その第1回はここからです(注:第2版までより一つ前の記事にリンク張り直しました。その方がわかりやすいので)ご一読ください。

******

さて、ここでもう一度、今回の記事のタイトルに戻りましょう。

面接中、クライエントさんは、カウンセラーに対して「感情移入的理解」を向け続けている

というのが、専門家が読んだら一瞬ぎょっとする「逆説」的問題提起だということは、これで、ある程度幅広い層の皆様にも理解していただけるかもしれません。

でも、よーく考えてみてくださいね。

    面接の、少なくとも初期2,3回の段階で、
    「相手に気を使い」
    「相手にどう思われているのかに注意を向けている」
    のは、
    カウンセラーと、クライエントさんとの、
    どちらが強いでしょう??

 おそらく駆け出しのカウンセラーの頃を別にすれば、たいていの場合、

    クライエントさんの方が、
    カウンセラーに『ほんとは』どう思われているか

に、戦々恐々としていて、当たり前だと思いませんか?

 自分が本当は話したい悩みのことすら

   「ここまで話したら、
   さすがにカウンセラーさんにでも軽蔑されるかなあ」

 とか、迷いつつ言葉を選んでいるでしょうし、

     「あ、私の長年の『秘密』口にしたとたんに、
     カウンセラーの先生の顔の表情が一瞬硬くなった。
     やっぱり、こういう秘密を持つ私を、
     カウンセラーさんは心の中で軽蔑し、
     嫌悪を感じた
んだろうな。
     そのあとは、
     いかにもにこやかに話を聞いてくれたけれども、
     あの一瞬で、
     もう、私は取り返しのつかないミスをした。
     次の面接、何か理由をつけて断ってしまおうか」

こうして、その人は別のカウンセラーを捜し歩く日々をくりかえしていましたとさ。

.........などという例、多いと思います。

 そういうふうに「人の顔色」を気にしすぎ、すぐに嫌われた、あるいは「傷つけた」と思いこんでしまうのが、そのクライエントさんの「病理(嫌な言葉ですが)」といえばそれまででしょう。

 でも、そういう「被害念慮的な対人恐怖」を何とかしたいから、そのクライエントさんはカウンセリングの扉をたたいたはずです!!

*****

  面接のさなかに、

「実は、先生は私のことを心の底では馬鹿にしているとずっとこれまで思って来たんです」

「前回、私は少し見栄を張って、『少し元気になった』と言ってしまったんです。私の中の、先生に褒めてもらいたい気持ちがそれを言わせたんです。だから面接から家に戻って、すごく落ちこみました。先生は、きっと、この前の私が、そうやって『無理して』元気なふりしていたの、実はその場で見抜いておられたようにも感じられてきて、また落ち込んで以前と同じに逆戻りした私をみて、『やっぱり無理してたんだね。仕方ないな。』といわれそうで、ほんとは今日、ここへくるのが怖かったんですよ」

..........みたいなことまではっきり言い出してくれたら、実は継続的カウンセリングとしては「第3クォーター」の深さまで進んで生じることが多いでしょう。

 私は、こうしたことを語りはじめてくれたクライエントさんに、ある厳粛な畏敬と、感謝の念すら感じることがあります。

******

  とにかく、敢えて多くのカウンセラーのみなさまにお勧めします。

     日頃の面接の中で、
     カウンセラーとしての自分の方が、
     クライエントさんに「気を使わせ」続けて
     いないかどうか?

....と、振り返ってみることを。

 これだけで、「転移」「逆転移」とかの概念の「頭での」お勉強より、クライエントさんとの「関係性」の問題の本質的な核心に一気に気がつけるかもしれませんよ。

******

Esprit410hyoushi
 なお、今回述べた、

「面接の最中、クライエントさんもカウンセラーに刻々と『感情移入』している」

という問題について私が論じた初出は、

現代のエスプリ 410 「治療者にとってのフォーカシング」(伊藤研一・阿世賀浩一郎 編 )

所収の、拙論、

「クライエントの体験過程を抱える『容れもの』として機能する技法の試み」

にあります。

 でも、今回の「二番箭じ」の方が、5歳経験を重ねた分だけ、問題の核心に要領よく迫れているかもしれません。

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更なる「割り込み」新作予告!!

 現在、iPodで、ガンガンみゆきとayuの聴き直しをしてます。
 ayuに至っては、浜崎あゆみ/ayumi hamasaki ARENA TOUR 2005〜MY STORY〜昨年のライブツアーのDVDそのものの「封を切って」すらいなかったのです。
 これらを鋭意繰り返してやって、私が今回書こうとしている仮説の検証慎重に進めているので、実際に「予感」論"My Story"論を書き出すことが遅れているのであります。お許しください。

どちらも、私のみゆき論、ayu論としては畢生の大作に仕上がるはず!!

乞う,ご期待!!

********

 そのかわり、またもや予告破りですみませんが、

カウンセリング関係の、しかも来談者中心療法(ロジャース派カウンセリング)のカウンセラーの方がお読みになると、

   「目から鱗(うろこ)」
   「コロンブスの卵」

過ぎて、開いた口が塞がらなくなるくらいの、『寸鉄』のエッセイ」を次に掲載して、当座をしのぎます。

実は、治療者にとってのフォーカシングすでに公刊された著作の中で書いていたのに、このブログで一言も言及してなかったことに、今過去ログチェックしてて気がつき、

   「ああ、もったいないことしてた」

と我ながら思った内容です。

仕事の関係上、そっちの掲載も、夜18-19時頃にずれ込むと思いますので、お許しください。

書いてしまえば、短い内容ですが、恐らくこのブログの今後の個別記事ごとアクセス率「ロングラン」に新たに加わる「名作」になるはずです(と、自分で書いてしまう)

2006/06/15

今後の予告(今度はほんとに次に書きます) 

1。中島みゆきのターニングポイントというべき、特異な位置にある「異形の」傑作アルバム【J-POP/歌謡曲:な】中島みゆき / 予感 (CD) (Aポイント付)「予感」論。

2。浜崎あゆみの、私が封印していた前のアルバム、【送料無料】浜崎あゆみ/MY STORY[DVD付]【通常盤】<2004/12/15>"My Story"についての私の見解を全開で書きます!!

2006/06/12

カウンセラーこういちろうのライブ映像公開!!

 完全に開き直りました(^^)

 私の開業している、湘南フォーカシング・カウンセリングルームの紹介に、私自身を「映像出演」させることにしました!!

全くの思いつきで、突然作ってしまったのですが(^^;)

 原稿なし、一発撮りの即興で、前後をMicrosoft Movie Makerで切り取ったっただけです。

まさに、面接のライブが本領の「顔のある」カウンセラー.....の、つもりです。

意外と、私の業界では、この種の映像つきWEB宣伝はまだ珍しいと思います。

浜崎あゆみ ARENA TOUR 2006 A 最終日レポート(第7版)

 あいにくの小雨模様でしたが、代々木でのAYUMI HAMASAKI ARENA TOUR 2006 A 千秋楽初体験(生あゆは3回目)から、今もどって参りました。
Ayu2006touryoyogi005 アリーナではない「代々木体育館本来の」段差のある席ははじめてだったので、はじめて、人の頭にさえぎられること「全くなし」にステージがみえました。こうなると逆にあまり双眼鏡を使わず楽しもうという気になるから不思議なものです。
 同じツアーを2回見るというのは初めてでしたが、基本的には、アンコールにもうすぐ発売の新曲浜崎あゆみ/BLUE BIRD(DVD付A)"BLUE BIRD"が歌われた以外、プログラムに変化なしです。演出も、若干手を入れたなというくらいにしか感じられませんでした。("rainy day”のホンモノの雨は、長野では降らせてなかったような気がする)
 浜崎あゆみ(顔色は、長野公演の時よりはるかに生気があった。こういう時のayuは化粧がケバくみえないのです)の声のコンディションは、冒頭2曲の音程が不安定だった長野2日めの時より、冒頭から平均点では安定していたが、どうもこの日の午前中にテレビ番組の録画取りもあったようで、声の純粋の質は長野でのほうがよかった気もする(長野のビックハットは会場が約半分の規模だし、長野ではアリーナ席、体育館中央に設けられた円形張り出しステージの後ろ10列目くらい[おかげで"alterna"の宙吊り舞台等では双眼鏡忘れたのにayuが相当近くで見れる瞬間ありましたが]、聴取位置が基本的に違うので単純比較はできないが)。意外と歌の入りとかにトチリがあった。
 しかし、あれだけ本番で熱唱した後、アンコールの"heaven”と"teens"という静かなアコースティックバラードを、あれだけの細やかな、CDにおさまりきらない幅のある表現力で歌い切るのは、長野と全く同様で、ayuのライブでの歌唱力のキャパ全体にははますます磨きがかかっていると思う。

 そして、ともかくSEがむやみと長かったのです!! 20分ぐらい? さすがにこの内容はDVDお待ちの方のために取っておきますが、まるでTVバラエティ番組みたいにいろいろ「凝った」ことをしていた、とだけは言っておきます。これだけのやりとりをかなりの程度まで、TV番組収録のように、撮りなおしの効かない一発ライブで即興でできるとすれば、ayuとよっちゃん(あの「たのきん」の「よっちゃん」こと野村義男さん今や日本有数の実力派ライブ・ギタリストです。トリオでは一番地味だった彼が,結局、日本を代表するアーティストとして、一番息の長い活動ができてるんですね。今現在野村さんの公式サイトのつながりが悪いみたいなので、Wikipediaでの紹介はこちら)は、芸能人として本物のプロです。裏方の人の映像の見せ方のタイミングのよさを含め、ayuのライブのスタッフの阿吽の呼吸はさすがというしかない。これが編集されないままDVDになるのだろうか? これはDVDで「おまけ」にまわすのはもったいないよ。

*****

 だた、毎年のツアーのローテーションに入っていなかったらしい長野公演との違いを一番鮮烈に感じたこと。

「代々木の楽日ねらいは、圧倒的に『リピーター』が多いのではないか????」

 恐らくはじめてayuのライブを聴きにいった人は、以前からの人気曲"evolution"や"unite!"に、ayuが何も先導しなくても、観客のほぼ全員が、一糸乱れず一斉に同じフリで動き出すのに仰天するだろう。

 長野公演では、恐らく東京とかから「遠征してきた」コンサートリピーターのファンは、多く見積もっても半分だろう。だから、その時点でライブで一回、あとは過去のDVDでのコンサートの映像(これはあきれるほど繰り返してみてますから)しかしらない私ですら、ayuのコンサートに行き慣れた者のふりをして、意外とぎこちない周囲の観客の反応の「先導」ならぬ「煽動」の側に回っていた(^^;)

 しかし、さすがにツアー初期の長野の頃には「確立」していなかった、浜崎あゆみ/(miss)understood(DVD付)最新フルアルバム"(miss)undesrstood"の諸曲と 浜崎あゆみ/Startin’/Born To Be...(DVD付き)マキシ"Startin'"/"Born To Be..."からの曲について、観衆がどこでどういうフリを客席からするかとか、観衆がどの曲の「どこ」にきたらペンライトを「どちらに」振るのかすら、いつの間にか間主観的同意というか、みんなの動きにすでに暗黙の共通理解が形成されているノデアル(^^;)。恐るべし、ツアーおっかけリピーターの感応(テレパシー)能力!!

というか、どうもある程度古株のリピーターのファンの人が「主体的に」「率先して」あるマナーをとり始めると、まわりがいい意味でも悪い意味でもそれに「同調」するようである。

 例えば、ayuが「これから静かな曲をアコースティックな伴奏で2曲続けます」というと、まずは、比較的年齢層が高そうな一団が、普段総立ちで聴いていたなかで、自発的に静かに席に座り始める。そうすると、若い世代は、「そうか、こういう曲は座ってじっくり静かに聴くものなのだ」と察して、徐々に座り始める
 (私は、それから"heaven""teens"という、私の大好きな、じっくり聴きたい2曲がはじまるのは長野公演での経験から予想がついたら、周囲の立ったままの若い連中にに先んじて「ストン」と席に座った組)。

 どころがどっこいぎっちょんっちょん、本番が終わってアンコールまでの合間になると「さっさとみんな着席」してしまう、あの悪い癖は、むしろ、ayuの生公演に慣れていない聴衆が多い長野でより、常連の多い代々木の楽日の方が露骨に顕著であった。
 ペンライトを両手に握り締め、恐らく手製のayuマークの小旗を更に握った、年長のリピーターのファンの中に、そこで座ってしまう周囲の中で敢えて孤高に立ち尽くしたたまま「あゆー!!」と声を出し続ける人もすぐ近くにいた(どうもあのへんの席は、そういう、ライヴの雰囲気盛り上げるのがうまい人たち向けの切符配分がされているような....)。

 そこで、更に『別の』ある人物もまた、たいていの観客が一斉に席にすわったショックに一気にムカつき、座ってしまう周囲に抵抗するかのように、ほんの10秒後ぐらいの時点で、最初はメゾピアノぐらいに、控めに、「あーゆ!」チャチャチャをはじめた。
 驚くことに、それは周りのリピーターにはすぐ伝染し、そして、一万数千人収容の代々木体育館全体に伝染していくにの1分かからなかったのである。

 最近のコンサートでは、わざわざスポットライトが点滅しはじめてから、「あーゆ!」チャチャチャがやっとはじまることが多いようだったが、私の記憶では、今回はスポットライトの点滅によるスタッフからのキューだしそのものが「ない」まま、アンコール序曲というべき「Ayu Ready?」のインストルメンタルとアニメーションが始まったように記憶する。

 ここまでの間、前述のかなり常連風の人ですら、結果的にいつもより長大化した「あーゆ!!」チャチャチャの連呼に喉が枯れたのか、途中で水をいっぱい飲んで中断した。
 
 ところが、そのもうひとりの「確信犯」の人物は、この場面のみならず、水すらのまないまま、予告どおり、"Bold & Delicious”の合唱部分で、大声を張り上げていた、だけではなく、前述のアコースティックの2曲を除けば、コンサートのはじめから終わりまで、周囲に迷惑がかかりそうにない程度に音量をコントロールしつつも(それでも邪魔だった人、ごめんなさいね ^^;)は,延々「ayuと一緒に歌い続けていた」ことはいうまでもない。

 この、アンコールの「あーゆ」、チャチャチャの「火付け役」に今回なれたというのが、どこまで、当人の思い込みかはわかりません。

 でも、私はその瞬間、

    「歴史は動かせるかもしれない」

と、思いました(^^;)

 (ちなみに心理臨床学会や、人間性心理学会で、大会場であろうが何の緊張もなしに、自分の発表の際も、フロアからの質問の際も、朗々とした通る声で、明晰な論理で、その時の発表者を尊重しつつ、場を盛り上げることに特にこの2年ほど磨きがかかった私は、いざとなるとかなり心臓に毛が生えたパフォーマンスに転じます。昨年のトロントでのフォーカシング国際会議でも、何より指揮者および応援団長として国際的に記憶に残った(?)人間です)

******

 あと、こうして、2回のライブ体験とアルバムを繰り返して聴く中で、ayuが新アルバムで実は一番真摯な思いをこめているのが、アルバム同名曲"(miss)understood""in the corner"という、一見地味な2曲でないかという思いが確信になりました。

 逆に、アンコールからの"trauma"の「消滅」どころか、見かけ上最新アルバムの一番のメジャー曲、紅白でも歌われた"fairyland"が、どうもこのツアーで一度も歌われていない。

 このへんの問題については、またいずれ書きたいと思います。

*******

Ayugoods2006a今回の「獲物」のayu goods。はじめてペンライトなるものを買いましたが、振る力が強すぎた(爆)遠心力のため、先っぽのキャップが何処(いずこ)かへと飛んで行ってしまい(下の方の誰か、頭に当たってたりしたらゴメンナサイ m(_ _;)m)、その後は、中の透明なロゴ入りプラスティックカードまで飛び去らないように、すっ飛んだ先っぽの方を握って振るという、逆の持ち方をしていました。
 (背後の白いブックレットは、手近にあった真っ白な背景として、たまたま使ったのですが、私がLINN CLASSIKのユーザーであることの証明にもなりますよね。多国語対応の重厚な「取り扱い説明書」の表紙です)。
 あと、ツアーの公式パンフレットも買いましたけど、表紙が光の反射で画面が変わる凝った体裁なので、私の携帯デジカメではすぐにはうまく撮れませんでした、うまく撮れたらあとで載せます。

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 追伸:パンフは「これ」です。
Ayu2006tourpanfu
 見る角度によってayuの顔と今回のツアーのシンボルマークが交互に見える,凝った表紙デザインなんだけど、スキャナの取り込みの際の「あの」動きというのは、こういう時「両方同時に」取り込めることになるわけですね。
 

浜崎あゆみ浜崎あゆみの曲ご購入にご利用くださいませ

2006/06/11

次はみゆきの転換期の問題作、「予感」論だ!! の予定だったけど、

 明日、じゃない、今日11日は、代々木のayuのTour千秋楽初体験!! 
 そっちが先の報告になるでしょうね。

 ともかくTeam ayuへの先行予約でも「6番」なんていうむやみと早かったので(^^;)、どうもかなり「見晴らしがよくてステージ全体が見える席」のようです。

 同じツアーを、初期(長野公演)と、最後、両方見比べるという贅沢に走ったのも、【CD】《送料無料》浜崎あゆみ/(miss)understood (初回限定写真集付)【CD+DVD】<2006/1/1>アルバム”(miss)understood"が格別気に入ったからこそ。浜崎あゆみ/BLUE BIRD(DVD付A)新曲も聴けるでしょうし。わくわく。

(.........などと、直前までの、私のカウンセリングの「奥義」シリーズから一転してしまうのが、私のブログの特性です。)

2006/06/10

私は「こころの病気」という言葉は大嫌いです(第2版)

 この前、世界中の精神科医(もちろん日本も)が共通語として診断の際に用いているDSM(アメリカ精神医学会診断基準)に頻出する"disorder"という言葉を「失調」と訳すことを提案しました。
 もっとも、中には今日、生まれつきの要因が大きいことがほぼ確定した精神疾患もあります。しかしその人が「現在のこの社会に」適応し、いわゆる「普通の人」との関係の中で更に傷つき、二次的な症状として現れてくるものすら「症状」としてcriteriaに一緒くたに包括されている可能性は否定できませんので、

   いわゆる「発達障害」すら、
  「発達失調」と訳したってかまわない

と思います。

 そして、

     病気とは、本来、

     身体疾患ですら(!)

     「『気』に病んでいる」

という、東洋的な発想の言葉です。
 
 『気』は「気体」ですから、ある個人の内側にのみ、実体として「ある」という言い方が実はできないものです。
 
 その人は,周囲の、みかけは「普通の」人が発散する、悪い「気」を受け止めるレセプター(receptor 受容器)が特に敏感にできているため、

   まるで備長炭キムコみたいに
   周囲の悪い「気」を「吸着しやすい」
   だけなのかもしれない。

 これが、家族療法でおなじみの、Identified Patient(IP 見なし患者)という概念を、家族という枠にすらとらわれずに拡張した、わたしなりの理解です。

 "disorder"を背負っているかに見える人は、その人が接する、社会全体の"order"な人たちとの「関係性」の中においてのみ、"disorder"になっているのです。

 これは、言葉ばかりが有名な、アイリッシュの精神科医、サリヴァンの

   「性格は対人関係の関数である」

という言葉ともつながります。

    相手があってはじめて、
    一見その人個人の「性格」に見える
    
    顕(あらわ)れ
    
    が生じるということ。

2006/06/09

アドバイスより深いもの ~中島みゆき「寒水魚」によせて~(第2版)

 4つ前の記事への私自身ののコメントの繰り上げ掲載です。

*****

  この世の中には、本気で包み隠さず相談したら、

「どうしてもっと早く相談してくれなかったの?」

と言ってくれる知り合いが意外と多いはず。

 そのように言ってくれないとしたら、その人は、ただの大人の皮をかぶった子供でしょう。

 そして、ほんとうに誠実な聴き手、相談した人間の深刻さが心にに響いた相談相手は、、

「うーん....どう言葉を返したらいいか、ことばにならないよ。ごめん」

と言うかもしれません。

 だから、前もって「アドバイスは期待していない」と宣言しておけ、と少し前に述べたのです。

  相手の話を聴いていて、
  アドバイスを返したくなる時というのは,
  得てして、
  相手の話を聴き続けるのに耐えられなくなった時です。

 ただ相手の話を(上の空の生返事ではなく)真剣に聴くというのは、一番、相手への誠実な好意がないとできないことです。

 すらすらと、

   > 誰が悪いのかを言い当てて、
   > どうすればいいかを

教えようと自信満々で応対してくる人種こそ、人の弱みを食い物にしているか、自分の「人生経験の深さ」に酔って、崇拝者を集めてナルシシズムを満たしているだけの輩です。

   普通の誠実な相談相手が、
   「言葉につまる」ところから先を、
   更に、クライエントさんと「共に」、

    「どうすればいいか」

   を模索するのが、
   プロのカウンセラーだと、私は思っています。

*****

 というわけで,中島みゆきの往年の超傑作アルバム「寒水魚」収録の「時刻表」をお聴きになりたくなった方は、

中島みゆきこちら
からどうぞ。

 幻想的な、ほとんど「象徴詩」といいたくなる歌詞と、すばらしい音程跳躍を繰りかえす、一度聴いたら決して忘れない6/8のメロディの中に,深い喪失感が込めれた、この世のものが歌っていると信じられない域の超傑作「砂の船」
 みゆきの「テーマソング」というべき、8分以上の大作(なのにその長さを全く感じさせない)、永遠の大傑作バラード、「歌姫」
 わさびの聴いた「傾斜」
はすべてこのアルバム初出です。

「悪女」ロックバージョンも、シングルバージョンよりよほど生々しい悲しみに満ちてますネ。

 編曲を含めて、トータルアルバムとしての完成度は、やはりこのアルバム「寒水魚」がベストという気が,今でもします。

【J-POP/歌謡曲:な】中島みゆき / 寒水魚 (CD) (Aポイント付)

 曲のメッセージは、最近のの方,例えば、
中島みゆき/Singles 2000"singles 2000"の諸曲の方が,更に高い境地と思いますが。

 iTunes Music Store(Japan)

常識論を超えたところからがほんとうのカウンセリングである(第3版)

 架空の例、しかしありがちな例です。

    「あの人だけは、
    私の仕事上の悩みを聞いてくれるので、
    信じていたのに。

    でも、あるきっかけでわかってしまったんですよ。
    それを逐一上司に告げ口していたのが、
    その人だったってことが。

    その人は昇進、私は左遷です。
    同僚とは「友達」ではなくて「競争相手」だってこと
    わかっていなかった自分が、
    社会人としては甘かったと、自己嫌悪しました。

    「これを教訓に、しぶとくがんばれ」

    と、うちの親も慰めてくれました。

    でも、私はどうしても許せないのです。あいつが。
    あそこまで一緒に飲む時は、
    肩を叩きあって、励ましあったのに」


 こういう相談を受けた時、私は、

  「常識論としては、
   同僚も競争相手だというのはわかるわけですよね。
   自分は競争相手に利用され、敗北した、甘ちゃんだと。

   でも、理屈を超えて、相手を許せない。
   裏切り者め!!
   あの飲み屋での、
   和気藹々とした連帯感はなんだったんだー!!!

   と、叫ばずにはおれず、
   そこから自分の人生が狂った!! 
   という憎しみ、悔しさが、
   どうしても繰り返しあふれ出すんですよね」

などと応じていることが多いと思います。

******

皆さんは、このように言葉を返すことが「優しい受容と共感」と感じますか?

自分のつらさに真正面から直面してもらうという意味では

「非情なまでに厳しい」

とすらお感じかもしれません。

*****

私は、ほんとうのロジャーズ派(来談者中心療法)カウンセリングの「受容」と「共感」は、そのような世界だと思っています。

いわゆる「母性的受容」を遥かに超えた、ある意味で「ごまかし」や「甘え」のない世界です。

でも、そこには、心の底からお互いに向き合い、気持ちを伝えあおうという、オープンで真剣勝負の、相互信頼の関係が生まれて行く。

    カウンセラーは、
    クライエントさんの思いを,
    カウンセラー自身の
    「身体を通して」受け止め、
    「身体から出てくる」言葉で
    応答せねばならない。

    口先だけの「鸚鵡返し」などではだめです。


 このような『真剣勝負』で、

<絆>

がカウンセラーとクライエントさんの間に生まれたところからが、
二人の「共同作業」としての、
ほんとうのカウンセリングです。

面接に「本題と無関係な話題」は存在しない

「あの、これから話すこと、これまでの話の流れとと関係ない、脇道に入っちゃうかもしれないですけど」

 カウンセリング現場で、クライエントさんが時折口にする言葉である。
 カウンセラーの私は、こうした場合、

「いえ、およそカウンセリングの中で、相談にこられたあなたのような方が、「なぜか」その瞬間に話したくなったことに、一見『話題が飛ぶ』かにもみえる場合に、それが最終的に「無意味な寄り道」に過ぎなかったと感じたことなんて、私は一度も体験したことがありませんから」

とすら言い添えて(実は,このようなことをクライエントさんに話している最中に、メモの上では、「ここまでの話題の長れはどうなっていて、『今』どこに来ているかを再チェックし、話題を転じる「直前の」クライエントさんの発言の流れと構造を「スナップショット」のように心に焼き付け直していることが多い)、クライエントさんが話題を転ずることをむしろ奨励しさえすることが多い。

 私はこうした時、クライエントさんが、まるでそこまで作りかけたジグソーパズルの「ある部分」の構築を離れ、全く別の箇所の断片をとりあえずつなぎ始めるようなイメージを持っている。
 つまり、思いもよらないところで、この、クライエントさんの「別な話題への転換」=「別な部分のジグソーパズルの構築が」必ず、二人とも驚くような形で、そのクライエントさんの(自己)理解を深める方向で「結びつき」始める。

 二つの未完成のジグソーパスルを結びつける「地峡」は思いもよらない瞬間に見つかる。

 それは、カウンセラーである私が、そこまでの話の中で,クライエントさんの人物像や、置かれた状況について、漠然と思い描きつつあった「仮説的認知地図」を見事に裏切り、そうやってこちらの立てようとしていた仮説を攪乱(かくらん)してくれることそのものが、その人の人格の多面性を理解する上での、より精緻で創造的ですらある「補助線」をインスパイアーし始めるのである。

 そして、その「一見脇道にそれた話題」が、必ず、いつの間にか、クライエントさん自身も、カウンセラーも「共に」驚く形で、二人が眺めている未完のジグゾーパズルが、想像していたのと別の全体像を持つものとしてとらえ直され始めるのである。

 こうして、クライエントさんとの「共同作業」は、カウンセラーである私と、クライエントさん二人の両方に取って、スリリングな、ハプニング満載の、「探求ゲーム」の色彩を持ち始める。

 やっと、最近、こういう面接が増えることが多くなりました。

*******

「面接全体の流れを鳥瞰する、第3の目をクライエントさんと自然に共有する」

という、一年前に私が「黄金のトライアングル」と命名した事柄が、やっと、私の面接のライブで、いつのまにか全く無意識のうちにすら、しなやかに実践できる「習熟スキル」の域に到達したということかと思い出しています。

2006/06/07

通算400番目の記事

 開始以来523日で達成したことになるようです(^^)。
 一日平均で0.77通の記事を発信したことになります。長文が多い私のブログの性格からすれば、われながらよくもまあネタが尽きないなと思いますが。


「今後の予定」
はどうなったんや? とお思いかもしれませんが、その時発作的に書きたくなったことを書くというのが私のポリシーです。遠からず消化するでしょう m(_ _)m

 むしろ、私のカウンセリング観を「私自身の言葉で」これだけ続けて書きたくなったのは久しぶりなので、勢いに任せています。

 なお、このブログ,全体の構造がわかりにくい方が多いでしょうが、少なくともカウンセリング関係の主要記事は、右サイドからもリンクを張っている、阿世賀浩一郎 Web上のカウンセリング論集 Index」に総索引がありますので、ご活用ください。

2006/06/06

「人に迷惑をかけてはならない」の呪縛(第2版)

 「このようなことを親しい人に相談すると迷惑をかけるのではないかと思って」

 カウンセリングの現場でクライエントさんからよく聴く言葉ですが。

 私はそうやって、相手に迷惑をかけたくないその人の気持ちを受け止めた上で、適切と思えた時には、その人に、次のようにはっきり言います。

  「相手の人に、

    『今、話をきく余裕がない時は、
     遠慮なくそのことを言って欲しい。
     別にアドバイスが欲しいわけではないよ。
     話を聞いてもらえれば、
     自分で少し気持の整理ができそうだから』

と、前もってその人に「宣言」して、話し相手になってもらったら?

もし、それでも「無理をして」その人があなたの話を聞き続けたとしたら、その人が悪い。

 その人が『大丈夫だよ』と言ったら、

そう言ったその相手の人が無理して話を聴いてくれているのでないか、などと

   『裏を読まない』

こと。

『額面通りに』相手の言葉を受け取ること。

 『今は話を聴く余裕がない』と自分で言えない人間にも責任があるのだから」

と。

 これは、半分は、フォーカシングにおいて、フォーカシングを何も知らない人に聴き手(リスナー)を頼む時のやり方として、いろんなフォーカシング関連の著作で書かれていることです。


Assertion それに更に、
平木典子先生が、名著「アサーション・トレーニング」
でお書きのことを、
私なりにブレンドしたものです。

******

  「私(カウンセラー)以外に
  心打ち明けられる個人的知り合いを一人は確保しなさい。
   得てして、それは、あなたが

      『その人には迷惑をかけたくない』
      『その人を悲しませたくない』

  と感じている人が適切です。
   きっと、それをきっかけに、
  その人との人間関係が、
  今よりすばらしい、うち解けあったものになりますよ」

*****

 このことを「カウンセラーが」助言しないあまりに、「カウンセラーとの」カウンセリングの成果もなかなか上がらないことって、実は多いのです。

 クライエントさんが,実際にこのことを実践しなくても、ここがカウンセリングの深まる節目になることが多いのです。

 カウンセラーは、「自分だけがこのクライエントさんの救い主になろう」という「悪魔の誘惑」に屈してはならない。

******

 特に、ある特定の人との関係で深刻に悩んでいるクライエントさんの場合、今度はカウンセラーが,そのクライエントさんを援助できないことに「ひとりで」悩み出すという構図は、ありがちです。
 カウンセラーか感じている無力感は、ほんとうはクライエントさんがその特定の人との関係で感じている無力感の「写像」、あるいは、ユング派ふうにいえば、共通の「布置(constellation)」ということになります。
 ほんとうは、クライエントさんの無力感の深刻さに共感できていないのに、表面だけ受容した態度を取ると、それは順送りに、今度は「カウンセラー」の無力感として体験されるわけです。

 (わざと、「転移」「逆転移」という言葉を回避して書いてみています。若いカウンセラーの皆さん、こういう専門語を頭だけで理解してもっともらしい説明して論文書くことだけうまくなるカウンセラーにはならないで下さいね(^^;)。
 いつもこのブログで言ってますが、クライエントさんの本当にお役に立てているかどうかを、指導教授や他のカウンセラーに評価されるかより大事にする覚悟を持てるように)

*******

 ただし、面接ののっけから、「誰か他に相談相手はいないのか?」では、カウンセラーに失望して去らせてしまうだけです(^^;)
 クライエントさんとの相互信頼の絆が十分深くなった、というあたりで、カウンセラーの中に、「この人とならいいカウンセリングが継続的にできそう」という、微妙な慢心が生じるあたりで、ちょっと冷静になって、このことを言っていいかどうか吟味する、というのが一番いいタイミングかも知れませんね(^^)

"disorder"および、"helplessness"の訳語について

 DSM(アメリカ精神医学会診断基準)における、

   "disorder"

という言葉は通常"障害"と訳されますが、私は、

   「失調」

と訳すべきと考えます。

 "order""dis-"という、「否定」の接頭詞がついた言葉ですからね。

*****

 同様に、

   "helplessness"

という言葉に、心理学の世界全般では、「無気力」という訳語が与えられますが、こっちの方がひどいですね。

 直訳すれば、

「助けが-得られない-こと」

でしょ?

誰からも、どこからも、援助の手が差し伸べられないからこそ、その、

    「孤立無援」

の状況の中で、結果的に、その人は「無気力」になるだけなのに。

「統合失調症」や「認知症」とかは改名しても、これら2つの言葉は放置しているあたりにこそ、患者さん(クライエントさん)のほんとうに「身になった」精神医療やカウンセリングの姿勢があるのかどうかが疑われると思うのですが?

2006/06/04

その人の日常が変化しないならフォーカシングは意味がない

「フォーカシングのセッションの際にはすばらしい体験を繰り返すのに、
生活に戻ると何の変化もしない人たちがいる。
そういう人は、フォーカシングなどやめてしまう方がいい」

   _____ユージン・ジェンドリン

フォーカシング指向心理療法(上)フォーカシング指向心理療法(下)『フォーカシング指向心理療法』より

こちらもご参照ください

2006/06/03

邪道の反復が正道をひらく

 前の記事で日本のフォーカシングの現状について思いっきり本音を言ってるのですが、

   「内側のうまく言葉にならない曖昧な感じに触れ、
    しばらくその感じと共にいることができれば、
    あなたはフォーカシングしていたことになる。
    シフトは向こうからやってくるもので、
    コントロールして引き起こすものではない」

 というジェンドリン自身の言葉は、ありのままに真実です。

 「ここまで」を「日常の中で」、5分でも10分でも試してみる習慣さえつければ、フォーカシングは「ひとりでも」「ひとりでに」スキルが向上します。

 そして、ある日突然、フォーカシングのことすら意識していない、思いもよらない瞬間に、「勝手にシフトが生じる」体験をする日がそう遠からず巡ってきます。

 それが、それまでの自分の考え方や感じ方では決してたどり着けなかった「気づき」であり、「洞察」であり、日常の中でのもの感じ方や気分そのものに、ある程度持続的な変化が「生じてしまっている」ことに、自分でもあっけにとられるような体験になります。

 そうした体験をしてしまうと、シフトとはどのようなものか、その後その人は判断を誤ることはありません。

 通勤、通学の電車の中で座っている10分間でもかまいません。寝る前の10分間でもいいでしょう。1週間続けたらどうなるか?

 すべての習い覚えたフォーカシングの教示を一度脇に置き(!)
 虚心に、その時の内側の感じに「ただ」触れ続けてみて下さい
 その感じにぴったりの言葉すら見つけなくていいです。

    途中で感じに何の変化も生じなくてもいいし、
    いつの間にか眠り込んでも結構です。

 翌日目を覚まし、意識がはっきりするにつれて、いつの間にか、昨日までは決して思いつきも感じることもできかなかった物事の捉え方や感じ方が、「なぜかわからんけど」生じて来ていて、昨日までの苦悩がものの見事に吹き払われて、落ち着いたきもちでいられる......そういうウソみたいなことが生じるかもしれません。

 そういう「翌日に繰り越しシフト」みたいな体験を、四半世紀前、フォーカシングを自分なりに「独習」し始めた頃、私は何回となく経験しました。

だから、フォーカシングが、面白くなったのです。


そういう経験を積めば、いずれ、教示通りに自分一人でもフォーカシングをすることができるようになります。それは最終到達段階なんですよね(爆)

******

  ちなみに、このことは、すでに、1987年に、

「日常におけるフォーカシング」 
フォーカシング・フォーラム 第4巻 1号
日本フォーカシング研究会事務局

という、私の公開された処女論考で書かせていただいております。

2006/06/02

日本のフォーカシング界に敢えて苦言を呈す(第2版)

 私のもとにフォーカシングを学びにくる人から、セミナーやワークショップに出て、周りの参加者のように、言葉やイメージや身体感覚の変化を伴うシフト(深い気づき)の体験が自分に生じないことに、「劣等感」を感じ、さらに「自分は勉強不足か? 自分は欲張り過ぎているのか? そんな簡単に身に付くわけないのに」と、自分を責めてしまっていた、と打ち明けられたことが何回もあります。

 私はそういう時、以前もこのブログで引用したジェンドリン自身の言葉を引用して、

 「うまく言葉にできない感じにちょっとだけでも触れていられたら、それを繰り返すだけでも十分フォーカシングで、後のことは自然と生じるよ」

とか、

 「フェルトセンスは、日常の中での気になることに基づいて形成されるというより、まさにセッションをしている場の雰囲気に基づいて生じてくるものなんだ。あなたはきっとそのフォーカシングの集いの『場の雰囲気』敏感に感じ取って反応しているだけなのかも。

  『こんな場所では出てきたくないよう』

フェルトセンスは訴えていたのかもしれないね。

  『場の安全』とかなんとかいいながら、表面的な「なごやかさ」だけを大事にしていて、実は、フォーカシングを学ぶ人がほんとうに自分の中で関わりたい事柄についてほんとうに受け止めてくれる雰囲気そのものがなくてさ、実はフォーカシングの集いの場に「既に慣れた」常連の人の安全感を脅かさないために、初心者が「突拍子もないこと」を感じていたり、言い出したりするのをいつの間にか抑止して、初心者の心の自由を「スポイル」していることがある気がする。
  そんなことじゃ、今のフォーカシングの世界って、

    「[内輪』の人のための閉じた仲良しサークル」

であることを超えられないのにね。
 フォーカシングの「インサイダー」の人たちは、フォーカシングを身につけることが役に立つかもしれない人たち全体に比べれば、自分たちは「米粒」ほどの存在でしかない、っていう当たり前のことに、もっと謙虚であって欲しいと思う。
 本当にフォーカシングを必要とする、実は敏感なセンスを秘めた人たちをこそ、入り口だけで去らせているのかもしれない」

と。

 すると、

「確かにその場で得られる人間関係には癒されていました。でも、日常での私の悩みは変化しないままなんです。もう、ワークショップとかに参加する,安くはない料金と引き合わないな、と感じるうちに、足が遠のいたんです」

などという答えをいただきます。

 トレーナーを何人育てたかなんてどうでもいいでしょ? そのトレーナーが同じように初心者を本当の意味で受け止めるキャパがあるひとでなければ、それはトレーナー個人の、貴族階級(aristocracy)としての「勲章」の量産であるに過ぎず、むしろいよいよフォーカシングの不評を広めのに貢献する人を量産するだけかもしれない(皮肉が過ぎたらすみません)。

 自分のフェルセンスではななく、経験者やトレーナーに「気に入られる」かどうかを大事にしているうちは、そこでなされているのはフォーカシングではない!!

*******

以上、「標(しるべ)の星」への私のコメントを記事に繰り上げさせていただきます。

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