恋愛とは文化的に承認された「妄想状態」に過ぎない?(第22版)
「恋愛」というのは、
「文化的・社会的に合法化された、万人に開かれた、公然たる『妄想状態』」
である。
.......というとらえ方も可能かと思います。
そして、この「妄想状態」を、軽症のまま、何とかかろうじて「寛解」して乗り越えられる人間関係に進める「から」、
大半の若者は「統合失調症」にならないですんでいる「だけ」なのかもしれない。
******
中井久夫先生の畢生の名著、
「分裂病と人類」によれば、
「鬱病」は、ギリシャ時代、ヒポクラテスのから記載があります。
その一方、今日の意味での「ロマンチック・ラブ」の文化が始まるのは、
修道女ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(史上初の女性作曲家でもある)の、殉教者聖ウルスラに同一化する形での髪やキリストとの関わりについての者への神秘主義的恍惚と幻視の中で作られた諸曲にも現れ、
ルネサンス少し先んじた中世11-12世紀頃に、、中世「初期の」歴史上の(あるいはほとんど架空の)英雄的な王とその配下の騎士たちの(例えば「アーサー王」円卓の騎士伝説や「シャルルマーニュ」伝説の登場人物たち)に仮託され、更に、イスラム以前(無道時代)すら含むのアラブの英雄たちをめぐっての詩や物語にも影響を受けてて徐々に確立された、
宮廷の高貴な婦人への「騎士道」的な「愛」の物語、フランス南部など、イタリア、シチリア島、など、地中海沿岸の、それこそ「中世『ロマンス』語」地域
(=旧『ローマ』帝国支配地域で俗化したラテン語から発祥した言語地域の総称。狭い意味では、ジュネーブに、スイス『ロマンド』管弦楽団のあるスイス「フランス語」「ロマンス語」地域から南フランスにかけては、今も「公用語」は「現代フランス」語でも、民衆的にはこの言語の延長にある方言(に落としめれれた言葉)が今も残り、一部の人たちはそれを保全する運動をしている地域)
を中心にはじめて花開くのです。
このことを語るためには、中世前期の、叙事詩
「ローラン(ロラン)の歌」
(私が中学時代に、感動にうち震えて読んだ、歴史をねじ曲げ切った、「戦記物」の超古典。これ読まないままRPG作られているとすれば大損なんですが...とゲーム作者に教えてしまう。もとより「今の時代に」発売したら「イスラム原理主義者」から暗殺される覚悟が必要)
で著名な、
カール(シャルルマーニュ)大帝死後の、「フラン『ク』王国」大分裂以降の、いわゆる「フランス」と「ドイツ」、および現在の「スイス」「オーストリア」「ハンガリー」、そして最初は「辺境の島国」扱いされた、いわゆる「イギリス」と日本人が呼ぶ地域との、屈折しまくった関係を追わねばならなくなる。
わざと、時間軸を行き来しながら、まずは基本的に「近世」(18世紀終わり)以降から「現代」に向かって、時々時代をひょいと古代に戻す、という「うねうねした」形でタイムトラベルしながらこれから話をはじめちゃうので、「話の脈絡」について来て下さいね!!
「キーワード」はあくまでも「フランス」「古代→中世→近代『ロマンス語』地域」に統一します!!
*****
なぜ、ベートーヴェンが、ナポレオンに捧げるつもりで「英雄」交響曲を作り、後になって草稿の表紙「ボナパルト」への献辞を「しまった!!」とペンでグチャグシャにぬり消した(これは現代まで「ほんもの」の草稿が残ってますから)ばかりか、今度は正反対にカンタータ、「光栄なる瞬間」なんていう、今や誰も聴かない駄曲を、オーストリアを占領した「旧敵国」や、「反動派」のメッテルニヒをはじめとするウィーン会議の国際政治家の面々の前で演奏するという「逆チョンボ」をやらかしたのかというあたりが、ベートーヴェンの「時代に縛られた」限界です。革命の国「フランス」への「思い込み」に「幻滅(=disillusion)」しすぎたわけです。
まあ、フランス人、ロマン・ロランが、
小説「ジャン・クリストフ」で、自国にベートーヴェンがいないのに「嫉妬」しながらも(爆)、べートーヴェン「神格化」という、更なる「逆チョンボ返し」をやったあたりで、つりあい取れたかも(^^;)
個人的には、指揮者フルトヴェングラーと小説家ロマン・ロランの人間関係まで思い出せないのが残念!! 確か、論争もしたし、助け合いもしたように記憶しますが、今度調べてみます。そのへんを読み解くと、フルトヴェングラーが「戦争犯罪者」(無罪になりましたが)に値したかどうか、ホントのところが見えて来るんですが)。
ちなみにこの選集の中には、戦時中のウィーンで演奏し、録音が当時の水準から見ても劣悪なのに神格化されているライヴ録音、通称「ウラニアのエロイカ」が含まれていません。
フルトヴェングラー自身が発売を禁止した、クラシックファンなら誰でも知ってる有名な歴史過程があるのですが、きっと彼は、
「この演奏をした時にはナチの『悪霊』に自分が憑依されかかっていた時期の演奏。当時のウイーン・フィルには自分が救出しそこねたまま収容所送りになったユダヤ人演奏家が「ごっそり」抜けた後の、根っからのナチかぶれの「オーストリア人」すら含む演奏家(一部には、ユダヤ人に同情的な、フルトヴェングラーと志をを共にした「隠れシンパ」もいたでしょうが)と一緒になって、『思わず』高揚『し過ぎた』演奏をしてしまった」
と罪悪感を感じて、裁判に訴えてまで、レコード発売禁止にしたのだと私は考えています。
実は、「ドイツ」とウィーンのある「オーストリア」は、(今もですが)「本来別の国」で(今日の「スイス」のドイツ語圏との間と同じくらいに2国は別の国)、「オーストリア」の「ウイーン人」はナチス・ドイツの「被占領国民」だったこともお忘れなく。
最近こそ、単純に「ドイツ音楽」と呼ばずに「独墺音楽(ドイツ=オーストリア音楽)」と呼ぶことに「こだわる」人たちが増えましたが。だいたい、ベルリンとか北部に行くほど厳格で勤勉・質素、ドイツ南部にあたるバイエルンあたりになるとおおらかで酒飲みになってきて、オーストリアに入るとカトリックが多いのに、かなり享楽主義的で「えーかげん」な風土と思われるといいかも。
(ハプスブルグ家の支配する「オーストリア=ハンガリー帝国」は、ハプスブルグ家の発祥に遡れば中世以降、数百年以上、「冗談みたいにものすごく長く続いた」独立国家」で、最終的な消滅は、何と、第一次世界大戦の敗北のためです。それから短期間一度、ハンガリーを分離独立させた独立国として存在し、それからナチス・ドイツに「占領」される!!
「ドイツ」はプロテスタントの方が多く、「オーストリア」は「圧倒的」にカトリックが多い。
ですから、クラシック音楽も、その音楽家の出身地が「オーストリア」か「ドイツ諸連邦」かで随分性格が違うんですね。シューベルト、
ブルックナーは、典型的な「オーストリア人」、カラヤンとモーツァルトはご存知ザルツブルグだから「オーストリア人」、ベートーヴェンはボン出身なので「ドイツ人」、ブラームスはハンブルグ出身なので「ドイツ人」(ブロテスタントだから、敢えて
「ドイツ・レクイエム」と自分の曲に名付けた)。我が(?)シューマンは、ツヴィッカウだから「ドイツ人」、ワーグナーはライプツィヒだから「ドイツ人」、バッハは典型的なブロテスタントの「ドイツ人(だから「受難曲」ではなくて「ミサ曲」まで書いてしまったのが異例なんです)、メンデルスゾーンは「ユダヤ系」ながらプロテスタントに改宗した「ドイツ人」、マーラーは「オーストラリア領ベーメン(=ボヘミア=チェコ)」出身の、「途中でカトリックに改宗した『ユダヤ人』」(だからこの2人ともナチの元では演奏禁止)」、フルトヴェングラーはベルリン生まれの「ドイツ人」です。(付記:やっと出自についての資料、正確になりました)
(更に付け加えていいますと、わがフォーカシングのジェンドリンは「アメリカに亡命した、oオーストリア系ユダヤ人」でアメリカに亡命、奥様、The Focusing Institute現CEOのメアリー・ヘンドリックスは、アメリカのネイティヴの血を引きます!! ジェンドリンの英語って「ドイツ語で考えた英語」だから、関係代名詞の格変化がないのに関係節を山のようにつなげる難文です。そのため、非常に「誤訳」されやすいのです!!)
「ドイツの」ベルリン・フィルと、「オーストリアの」ウィーン・フィルが、クラシック音楽愛好の「入門期を過ぎれば」、誰でも容易に音だけで区別がつくのはあたりまえなんですね。東北弁と京都弁を聴き違う人がいないのと同じこと。
ベートーヴェンはウィーン暮らしが長いけど、実はずっと「異邦人」だったことは決して忘れてはならないことです。シューマンはあくまでも、ライプツィヒからドレスデンあたりの、ライン沿岸の「中部ドイツ」が活動の中心舞台でした)
昔のウイーン・フィルが、生粋のウィーン人(=オーストリア人)のみに代々演奏家が受け継がれ、同じ楽器の奏者が「世襲」された、まるで日本の歌舞伎みたいな伝統を誇っていたのはご存知の方も少なくないかも。つまり、ウィーン・フィルにとって、ナチは本来「敵」だったんです!!
(ヒトラー自身は「オーストリア」の北端の地、ブラウナウの出身で、ウイーンで芸術家になることに挫折、第一次大戦ではオーストリア国籍のまま「ドイツ兵」として兵役を志願した経歴あるので、「オーストリアへの『凱旋』」を大歓迎した層はかなりいたでしょうが、「生粋の(中流以上の)ウィーン人」から見たら、ヒトラーが「牽強のの田舎ものがどういうわけかドイツで成り上がった」存在に過ぎないことには何ら変わりなかったでしょう [この節項21版で追加])
残念ながら、「オーストリア人」の指揮者カラヤン(ナチによって、「(ユダヤ人)ヒンデミット(擁護)事件」をはじめとして、バリバリの北ドイツ人なのに、思うようにいう事をきかないフルトヴェングラーの「対抗馬」として、おせっかいにも「後ろ立てに」なってもらえてしまった(^^;)のが彼の最大の不幸)と、べートーヴェン弾きのピアニストとして著名だった、ウィルヘルム・ケンプ、そして、往年の名指揮者、カール・ベーム(オーストリア、グラーツ出身!!!「裏切り者」なのだ!!)は、フルトヴェングラー「よりは」ナチに「尻尾を振った{振らされた)」のは確かなようです。
だから、カラヤンあるいはベームとウィーン・フィルの演奏の公式盤が「ドイツ」・グラモフォンからはなかなか出ず(EMIかDECCAという「「イギリスの」レコード会社からのみ)、「老人になるまで」ベルリン・フィルとの共演のみなのか、ということまで読み込めている人は、音楽評論家ですら必ずしも多くないみたいですね。



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フルトヴェングラー その生涯の秘密
フルトヴェングラーと独墺マエストロの黄金時代
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フルトヴェングラー/シューマン:交響曲第4番
今や、ドイツ・グラモフォンとイギリス・デッカは、オランダのフィリップスすら含めて「ユニバーサル・クラシック」という一つの会社に統合されたのは、単なる「寡占企業化」ではなく、「ヨーロッパ統合」の、好ましい文化的象徴なのだと思います。英EMIは、仏EMIを傘下に置きつつ独立を保っていますし、ハルモニア・ムンディも、独仏またにかけた独立した会社のはずですが、今もフランスのもう一つの大レーベル「エラート」は、意固地なまでのフランスの会社で(もちろんドイツ音楽もいい録音出してます)はないかしら? )
カラヤンが戦後はじめてアメリカ公演をした時、スターンやハイフェッツ、メニューヒン(メニューイン)、トスカニーニ、ルービンシュタインなど、亡命ユダヤ人芸術家にものすごいボイコットを受けて、切符を買い占められ、空っぽの演奏会場で演奏するはめになった(すべての公演がそうではないらしいですが)あたりは、カラヤンをモデルのひとりにした名画、「愛と悲しみのボレロ」(何とDVDで絶版、中古はべらぼうな値がついてますので、VHSを含めて、「老舗の」レンタル屋をこまめにあたって下さい)、やや誇張されているかもしれないけど、描かれている通りです。(詳しく説明することを敢えて避けますが、あの映画は、「現実には実現しなかった人間同士を一同に介させるクライマックス」を築くことで、ヨーロッパ統合の夢を託した、特別な映画で、欧米の教養人には、独特の感慨を誘う映画です!!)
ユングは、確かにナチに「巻き込まれかかった」嫌疑もあるらしいけど、本人の著作を読む限り、ナチを批判する論文を終戦前に書いていたのも確か。、あくまでも「ドイツ人」である以上に永世中立国たる「スイス人」(!!)だったし、戦後、アインシュタインという「ドイツ系亡命ユダヤ人」をはじめとする戦後の原爆開発者関係者の幾人かが最終的にその罪を認めたのと似た意味で、最後には「贖罪」のための発言を晩年までし続け、晩年にはテレビにも出て、世界平和を祈り、相互融和を訴える発言を繰り返す「十字架を『自覚的に』背負った」だけでも、「万が一」を含めて、許してあげましょうよ!!
*****
でも、現代社会って、「ナチズムを『単純に』<悪魔>とする、「純化された後の」一神教のキリスト教以前からの、古代的マニ教的『信仰』」を早く乗り越えないと、どえらいことになる気がします。
(なのに「ヨハネの黙示録」がカトリック・プロテスタントの正典に残ったのがよかったのかどうか、と「個人的には」思います。「悪魔」という概念は(旧約聖書の「ヨブ記」の扱われ方はともかく)キリスト教に不要だった気もするのですが。「むしろ当時の民衆(ユダヤ人に限定しないと私は理解します)のかなりの部分が、その後全世界の多くの人々にとってたましいの救済をもたらすばかりか、政治的・思想史的・文化的にも決定的な全世界史的影響をもたらす、私個人も畏敬の念を感じずにいられない卓越した人物、イエス様を「十字架につけろと叫んだ」罪からのたましいの救済こそがキリスト教の教義の本質ではないか、ひょっとすると、福音書にあるイエス様の「悪魔からの誘惑」のエピソードは後から付け加えられたものなのかも(誰も見た人いないはずではないですか!! イエス様ご自身がそんなこと「自慢話」なさるわけないし)。でも、この件は、個々のクリスチャンの皆様の信仰のあり方と、聖書考古学、文献学者、そしてローマ法王のお考えにお任せします。「神様」、私に「天罰」与えないでくださいね!!)
イスラム原理主義を敵視する「前に」欧米「ユダヤ・キリスト教」諸国の内部でこのこと何とかしないと。
「お互いに許しあいましょう」。
これはすでに亡くなった、ドイツ系亡命ユダヤ人にも関わらず、ある意味でドイツ国民に、「反ナチの呪縛」を自分の「影」と追放してしまう過ちを超えて「自分の十字架だけを背負う」暖かい手を差し伸べたともいえる「自由からの逃走」の著者フロムの「新解釈」のつもりです。
(もとより、ご本人にはそういう自覚もなかったかもしれませんが、生涯の最後は「アメリカ」ではなくて「メキシコ大学の」教授で終ったあたりに、フロムの「アメリカ」への失望の経緯と、「これからは『第3世界』の時代だ」という慧眼があったのかもしれません)
イスラム教徒にとっては、ヒルティ孫引きのコーランに拠(よ)れば、
本来、イエスはマホメッドが現れるまでの最大の「布教者」「先達」「預言者」のひとりで、敵視するつもりはなかったはず(そのことが底流にあるから、イスラム諸国側に「妙な余裕と矜持」があるのかも)。
「イスラム原理主義」の中に、「ほんものの狂信者」もいるし、「誤解されたままの人」も居るはず。先日、イラン首相がイスラエル首相の「死を望む」と発言したのも、多くの国民を過激になり過ぎないようになだめるための「演技」なのか「本気」なのか、見据えないといけないと思います。それが「政治」ってものじゃないのかしら???
イスラム教徒はユダヤ人に負けないくらいに「『商人』としての駆け引き」に超あざといし、古来、征服した地域でも、その地域の他宗教に、「キリスト教以上に」寛容なんだから。
だからこそ、前ローマ法王の様々な「過去の過ち」を認める発言は「画期的」だった!!
イスラム教徒の言う 「聖戦(ジハード)」という言葉は、キリスト教徒の「十字軍」よりは、そのマイナス面を「暗に自覚している」言葉だと私個人は思います)
*******
さて、徐々に話を引き戻しますと(^^;)、世界情勢に詳しい方はご存知のように、フランスは「地方分権」より「中央集権」の枠組みが他国よりよほど強い国、です。
イギリスなんて寛容なものですね、正式国名「大ブリテンおよび、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド連合王国」でしたっけ。アメリカも「州法」が強いのが「諸刃の刃」ですが、イギリスが、「大英帝国」衰え行く中で、いろんな意味でバランスを取る際に柔軟な時代が多かったことは忘れられるべきではないでしょう。
フロイト(ドイツ系ユダヤ人)を、メラニー・クライン、バリント(共に「ハンガリー」系「オーストリア」人(?)を亡命後受け入れたのが「アメリカ」ではなくて「イギリス」だったことが、その後の精神分析の発展をどれだけ豊穣なものにしたか。
戦争犯罪人呼ばわりされ、とりあえず「ライブ演奏禁止」処分となっていた、カラヤンとフルトヴェングラー(亡命先として、「アメリカの」シカゴ交響楽団から引き抜きの話があり、実現されなかったのは知る人ぞ知る)を「呉越同舟」的(?)に引き取り、「フィルハーモニア管弦楽団」という「録音専用のオーケストラ」という「居場所」を与えたのは、ウォルター・レッグという、イギリスEMIの名プロデューサー{名歌手、エリーザベト・シュワルツコップフ{当然、名前からお分かりのように「ドイツ系」女性の「夫」。彼女がイギリスに「帰化」までしたかどうかは知識なし)でした。
*****
さて、何が何でも中世フランス南部の「ロマンチック・ラブ」の話に徐々に戻るぞ!!
フランスは世界一
「言語純粋民族主義」という「虚構」に取り憑かれた国です。英語なんてフランス語の「方言」に過ぎないと「意地を張って」いる。
でも、今のイギリスの王朝は、ハノーヴァー朝→ウィンザー朝と、ドイツ人の流れを組む王朝なので、「未だに」ドイツだけではなくイギリスにも敵意を燃やし続けている。おかげで、日本が「間に入ら」ないと、「宿願」のはずのドーバー海峡トンネルの本当の工事と開通がずるずる遅れた(イギリスの方は、とっくにそんなことこだわってないのに。ただ、ドイツとフランスのいさかいに巻き込まれたくないので、ユーロ統合も遅れただけ)。
ドイツが第1次、第2次世界大戦で「連合国(=United Nations=国際連盟→国際連合)」の「敵国」になり、今でも「常任理事国」になれないのは、実は第2次世界大戦のユダヤ人虐殺のせいで、ユダヤ人の多いアメリカに、にらまれてるからだけではない!!
思うに、「フランスが」反対しているせいが大きいのではないか???
「聖バーソロミューの虐殺」をはじめとして、フランスは近世おいて「ユグノー」(ブランス国内のプロテスタント(ユダヤ人にあらず))の大虐殺という「十字架」を背負っていることをみんな「アメリカのユダヤ人が国連入りを望まないから」という物語に「書き換えて」忘れ去ろうとしてるだけなのではないか?
これに対して「新教徒のドイツ人」はユグノーをどうみていたか....は、wikipediaの該当項目を参照のこと。(「自分で」探してくださいね(^^))
ドイツは、かつて小国家が分立していた「から」文化が栄えた、という、偉大な逆説を抱えた国だと思います。だから今は危ない橋を渡ってますが、それでも「大連立内閣」という、一見危ない橋を渡ることによってこそ、かなり「健闘している」と思います。大統領の権限が、反ドゴール「革命」以降の第5共和制になっても「まだ」強い分、フランスの方が、暴走すると怖いかな???
(「フランスの」小説家「とされる」ドーデの一番有名な、「ある世代以上なら」子供の頃から誰もが知っている作品、
「最後の授業」(大人向けには
こちら(この部分第18版まで記憶違いのミスありましたm(_ _)m)は、アルザス=ロレーヌ地方)と言う、ドイツとフランスの、共に「辺境地域」という、「ドイツ」になったり、「フランス」になったりという、めくるめく歴史の流れに翻弄された地域を舞台としていること(ヨーロッパ人なら「常識的教養かな?)まで読み込んではじめて真意がわかる!!
(
(ドイツ・オーストリア・フランス音楽のいずれにおいても大家だった、名指揮者シャルル・ミュンシュの出身地がここである!!)
「フランス万歳!!」と黒板に書き付け、、「自己陶酔」してるのは、恐らく「パリから派遣された」国粋主義のかたまりの教師なんです!! 生徒たちはこの先生のふるまいにシラケ切っていたはず(爆)。
だから、ものすごいわさびの効いた皮肉たっぷりの短編なのであって、そのことに気づかないで感動しているのは、この作品が一番有名な(!)日本人だけかもしれない。
「ある世代以上の」日本人は「第2次世界大戦の敗戦とアメリカによる占領」を「二重写しにして」感激しているだけ.....この件、ネットで調べるといくら」でも証拠が見つかるはず、と、私、調べてないけど(爆)断言します!!
「レコード芸術」誌(音楽の友社発行)を、かつて十何年も読んでいる中で入手したデータを活用しているだけですので(^^;)
......ほんとうは、「世界史」を学ぶって、こういう次元のことなんだと思うんですけどね、文部科学省とマスコミの皆さん。
*****
脇道に迂回し過ぎた(?)ので、中世後期、「ロマンス語圏」での「ロマンチック・ラブ」の発祥の話に「もう一息で戻ります(^^;;;;;)
例えば、後に近世になって前述の(!)ドーデの戯曲、ビゼーの音楽で有名になる「アルルの女」
(この主人公、フレデリこそ「ロマンチック・ラブ」の「思い込み」の「片思い」の極致と言うべき作品!!)の舞台、プロヴァンス地方を、
「中世後期」にまで、時代を「さかのぼって」、数百年、一気にタイムトリップしましょう!!
(これからが本題)
******
このプロヴァンス地方を「典型(過去からのサバイバル)」とする、「ロマンス語」圏で、11-12世紀の中世後期から、近世ルネサンス初期にかけて(なんという大雑把!!)、今日でいう「ロマンチック・ラブ」の初期形態が、 「吟遊詩人(英Minstrel 独Minnnesanger)」や「宮廷詩人(troubadours)」の詩歌
や世俗歌
(これはちと早過ぎか? でも最初に聴いた時に、妙な「ロマン」を個人的に感じたもので)、(あるいはこのCD)あたりの曲ではじめて文献的には確認できるとのことです。
******
ぜいぜい、増補改訂でとんでもない「大迂回」をしました。
中井久夫先生を自分なりに「消化して」、「自分の言葉で」、「私なりの」影響過程のエッセンスを「厳密に」書くのは大変だ(^^;)
中井先生、この書き方の責任は私にありますから、万が一お読みでも、「誤読」と感じられても、心配なさらないでくださいね(^^)
あとは、興味のある方は、「ご自身の読み方で」、この「分裂病と人類」をお読みください。
ここから「孫引き」されることを私は望みません!!
******
......というわけで(どこが!!)
すべての精神疾患の疾病分類概念は、文化との相互作用の中で生まれた「時代の産物」であるということになります。
「摂食障害」など、ほんの2,30年の間に、
「拒食症」ブーム→「過食症」ブーム→「過食嘔吐」ブーム
という、驚くべきスピードで中心となる病態が変化しました。
私は、その3つの時期を学生相談の世界で一気に臨床現場で駆け抜けることができた世代です。
(もとより、個別の例として見て行くと、例えば19世紀ロマン派の作曲家、ロベルト・シューマンの、ライン川への投身自殺未遂後、精神病院に入院してからの数年後の「最終的な死因」は、何と、今日で言えば「拒食症」であったらしいです!!
典拠は、引越し荷物の中から掘り出した時点でお示しします)
******
私が、
「どんな人とのカウンセリングも、基本的には同じスタイルで通用する」
と感じるようになれた背景には、
こうした「文化との相互作用の産物」として、そしてその人「個人」の「素質」と「環境」との相互作用として、別々の精神神経障害である「かのように」見える
「個性」の違い
に過ぎないとまで思え始めたからかも知れません。
ですから、たいへん「逆説的」ですが、
「基本的に同じスタイル」でカウンセリングできる、ということは、
「『その』クライエントさんとの「共同作業」の「ライブ」の中で、ひとりひとりのクライエントさんごとに「別々」のアプローチを即興で刻々と生み出していくしかない」
ということと、実は「同義語」なのです
****
実は、広い意味での「人間性心理学(Humanistic Psychology)」とは、このような発想のもとに成り立っているものなのです。
クライエント中心療法も、フォーカシングも、ゲシュタルト療法も、プロセス指向心理学も、(私はそこに、更に、「ユング自身の」「ユング自身のための」精神療法も含めたい気がしますが)
その「原点」に最後は回帰するしかない。
******
だだ、このようにとらえられるようになることを、いきなり「若手の」カウンセラーには要請できません。
最初は、どんな流派のアプローチでもいいから、自分がなじみやすいものからなじんでいけばいいと思います。
でも、あなたがカウンセラーとして成長し続けることができれば、最後にはこの段階に到達するでしょう。
*****
これを45歳の中堅の私が口にすることは僭越かもしれません。
でも、これは、
「おまえの『現場臨床家』としての『最盛期』は、持ってあと数年である」
「だから、『引き際』を間違えるなよ」
という、神様からのお告げなのかもしれません。
******
そしたら、この前書いたように、(そして「まさにこの書き込みで露呈している」)ように、ほんとに、「音楽評論家」か「歴史家」にでも転進するかもしれませんね>(^^)
加賀乙彦さんをはじめとして、中年になって、精神科医から作家に転進する方がいる理由が、少し「実感を持って」わかってきました。
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» 内田 日出海 著:「物語 ストラスブールの歴史」 [カウンセラーこういちろうの書評・DVD・CD評ブログ]
nbsp; フランス南部、プロヴァンス地方を舞台とした、短編集「[[ASIN:400325421X 風車小屋だより (岩波文庫 赤 542-1)]]」と、その中に収録された短編を戯曲化した「[[ASIN:4003254228 アルルの女 (岩波文庫)]]」でも知られる、フランスの作家、ドーデの一番有名な作品は、実際には、ドイツとフランス、双方への帰属を繰り返したアルザス地方・・・その中核となる特権的自治都市が「ストラスブール」であるが・・・を舞台にした「最後の授業」という短編だったろう(ど... [続きを読む]
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