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2005/12/13

人は人に迷惑をかけたまま、これからの自分の人生を生きねばならない時がある(第2版)。

「自分は人に、ひどく迷惑なことをした」

という思いに縛られるあまり、身動きが取れなくなり、悩みの淵に沈み込んでいる人たちがいます。

例えば、

「せっかく高い入学金と授業料を払ってもらって大学に入ったのに、結局いつの間にか通えなくなり、前期の試験をほとんど受けなかった。もう取り返しがつかない」

「鬱病で休職している間、同僚にその分仕事を肩代わりしてもらった。復職してからもまだ以前のようには働けない。申し訳なくてやめてしまうしかないのではないかと思う」

「今思うと恋人に凄く残酷なことをいって傷つけたまま別れた気がする。あの人にどうしとうもない心の傷を残したのではないか。この前メールして謝ったら『もういいよ、そのこと』と返事が来たけど、本当だろうか。直接会って謝りたい気もちもあるが、そうやって今更会うのも相手に迷惑な気がして」

「そもそも両親は『できちゃった婚』で、私が生まれなかったらとうに父とは別れているという愚痴を一度母から聞いたことがある。そもそも自分はこの世に存在すべきではなかった人間ではないのか、という思いが、いろんな面で私が自分を否定的にとらえ、前に進むことをできなくさせている」

(以上、みんな「思いつき」の例として創作して書いています。どこか似た相談を私とした記憶がある人もあるかもしれません。それはあなたとのことからの影響もあるかもしれませんが、あなたとのこと「だけ」から生み出されたものではなく、似たような相談をいっぱい私が受けてきた帰結と見なしてください)

******

ここでいつもの私の「逆説」です。

この前は「人はお互いに理解しあえねばならない」病について書きました。

今回は、


「人は他人に迷惑をかけたままであってはならない」病


というものがある気がする、というお話です。


********


もちろん、相手にはっきり謝ったり、金銭的な賠償をするのがいい場合もあります。

でも、よく考えてみると

日本人の「謝る言葉」の多くは、基本的に矛盾に満ちています。

「済みません」基本的に、これで『済む』ということはない、ということですよね。

「申し訳ありません」どのように言葉で説明しても、「申し開き」ができない、ということですよね。

「ごめんなさい」=これは本来、武士が相手(あるいはその場にいあわせる主君や上役)に対して、得てして人殺しすらする前に、あるいは突然立ち去る際に、「御免!」=「罪や失礼を免じてください」と、ことにおよぶ及ぶ前に「前もって」一言ことわりを入れる際の言葉ですよね。

結局、日本語の「謝る」言葉には

「許されないけど、そこを曲げて、どうか許して下さい」

という果てしない堂々巡りの言葉しかない。

*****

本当に「傷つけた」のか、本当に「許してもらえているのか」を執拗に正確に確認しようとすること自体、問題の本質を「相手の判断」に委ねている訳です。

本当は、何より「自分で自分が許せない」だけなのに。

***

だから言います。

「これまでに」人にかけた「かもしれない」迷惑は一生自分で背負って、ともかく「今の」「自分の」人生を生きることに踏み出せ

としかいいようがない場合があるということ。

「迷惑をかけた」という思いは、その人が自分自身を、これまで背負ってきた過去に「封印」「呪縛」してしまい、「現在」から先の「未来」のために「一歩踏み出す」ことを不可能にしてしまいます

時には、相手に「申し訳ない」と感じ続けることは、


「その相手との関係を終わらせてしまいたくない

という

「喪失」への不安、

あるいは

「未練」の裏返し

であることが少なくないと思います。

*****

人は、生涯他者に依存し、迷惑をかけないと生きていけない存在かもしれません。

でも、同時に、生涯、人に迷惑をかけられることを許し、耐え、人に頼られるのに報われない存在かもしれません

*******

ですから、私にとっては、迷惑をかけたかもしれない相手への、最高の謝罪の言葉は、

「ありがとう」

かもしれないとおもいます。

「有難い」とは、

「ほんとうならば、あなたとの出会いがなければ『有り得なかった』ような経験をさせてもらえたこと全体にに感謝する」

という意味かと思います。

そこには、その相手から受けたいい影響や楽しかった日々への感謝も含まれています。

そして、(穿った見方かもしれませんが)、逆に、相手から受けた迷惑を「許せないけど許す」という思いも含まれている気がします。

だから(少しブラックユーモアですが)、時には「ありがとう」ということそのものが、

相手への感謝だけではなくて、

実は

「訣別」

隠れた「恩着せがましさ(=ありがたく思え)

という含蓄すら含むことがあるのかもしれません(^^;)。

「ああいう」状況で別れる時に、私からありがとうといわれて少しぎょっとした皆様、

それは私が「人がいい」からではなくて(^^;)

およそすべての人生経験を肥やしにして、その「スリル」や「意外な展開」を「興味深く観察し」、「楽しみ」すらしながら生きていく

ということに開き直れるタイプだからに過ぎないの「かも」しれませんよ(^^;)

*****

私は、本日になって、日本の人間性心理学の発展に寄与された、文教大学前学長の上杉喬先生が、12月6日、私の恩師、村瀬孝雄先生と同じ間質性肺炎という難病で亡くなられたということを、旧住所から転送された葉書で知りました。すでに告別式は昨日終わった後でした。

生前の先生には、人間性心理学会において、私が学会運営委員(理事)を務めさせていただいた折や、しばしば文教大学で開かれた学会大会の折に、時々私の突飛な振る舞いや、未熟さゆえの頼りなさ加減に、それこそ「ご迷惑をおかけした」のではないかという思いも残ります。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

そして、ふと、その、同じ病気で亡くなられた村瀬先生が、まだお元気な頃。立教の研究室で、

「欧米人には、自分の人生をひとつの『ゲーム』としてとらえる視点があるからね」

と、さりげない談話でおっしゃっていたことを、懐かしく思い出しました。

この言葉は、どこかで私の人生観に、確かに影響を与え続けています。

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