« 新フォトアルバム"北海道への旅2005"登場 | トップページ | 私のWEB上のカウンセリング論集の索引を別に作ります »

2005/10/13

クライエントさんに「共感できない」気持ちを糸口に、クライエントさんへの深い「共感」への道を開くこと

さて、ここから延々続いてきている、「受容・共感と自己一致の相克」シリーズ、前回からの続きです。

(やっぱりこのシリーズの新作を載せた後が、一番アクセス数の反応がいいもんな~)


*******

前回、クライエントさんに「共感しようとがんばる『自分』」と「共感しようとしても感じられる、違和感や苛立ちなど、クライエントさんに対して生じてくるnegativeともいえる感情を抱く『もう一人の自分』の両方を、カウンセラーが、自分の中でどちらも「俯瞰して」眺めて、「対象化」し、

「どちらの気持ちも自然だよなあ、『共感』できる」

と静かに自己受容、自己『共感』して見つめる第3の視点を確保できるだけでも、カウンセラーの中の葛藤は静まり、それこそまさにロジャーズの言う「自己一致」そのものなのではないかと述べ、

そういうカウンセラーの自己一致の達成は、カウンセラーが何も言語化しなくても、カウンセラーの非言語的なメッセージや態度が、2人の「場の雰囲気」を通して「空気伝染」し、数十秒から2,3分の沈黙の後に、クライエントさんもそれまで自分を縛っていた「何か」ほどけ出して、ほとんど無意識のうちに、本人自身それまであまり重大と考えていなかった、一見話が脇道にそれるような形で、むしろカウンセラーがクライエントさんに共感を深める上で結果的に決定的ともいえることを語り始める中で、二人の絆が深まる糸口が見つかることが実は多いということを書きました。

(これくらい「前回のあらすじ」をここで書いておかないと、ちょっと時間が空きましたものね)


******

さて、このことの応用形として、カウンセラーとしては「中級篇」かもしれないことを次に書くと約束していました。

「中級篇」というのは、ここまで私が書いてきたことを全く自然なものとして面接現場でできるようになる前に、以下のことにチャレンジすると、一見似たようなことができたかに見えて。実はクライエントさんにはまだ早すぎる「勇み足」となり、弊害がでることもあるからです。

「『害がない』ことこそが一番の治療である」

確か中井久夫先生神田橋條治先生が繰り返されてきた「逆説的」名言です。

あまり新しい技法の活用への「色気」に乗らないことです

私の中には、実は、この「色気」に屈しようとしている時の自分への厳しい「嗅覚」があります。

.......ということはその「色気」に屈して、痛い思いをしたことが私自身何度となく重ねてきたからこそ成立した「嫌悪条件づけ」のようなものが出来上がっているに過ぎないということなんですが(^^;)。

逆に、

「おい、ここでそんなことクライエントさんに言って大丈夫かよ!!」

と私の内なる声(内なる「批評家(critic)」とフォーカシングの世界では言います)がどれだけかびすましく、一見合理的な理由付けで引きとめようと、私のはるか上空から、

進め!

絶対命令が聞き取れたら、「御心のままに」一気に突っ走る、そしてそういう時はなぜか失敗しない、「ジャンヌダルク」こういちろうなんですが(^^;)

(ミラ・ジョヴォヴィッチ主演、リュック・ベッソン監督の「この」映画は、カウンセラー、特に精神分析系の人にはお勧め!!)


*****


などと余計な薀蓄はこれくらいにして、その「中級篇」の具体とは?

クライエントさんに共感できない自分を「もう一人の自分」として「内なる<第3の視点>から」、静かに「自己共感」するところまでは同じです。

次に、そこで感じている自分のクライエントさんへの「共感できなさ」のモヤモヤした感じに、感覚的にぴったりの手短なことばをじっくり捜します。

「え? それって、面接の最中に、カウンセラー自身が自分の内面にフォーカシングはじめちゃうわけ?」

そういうことになりますが、フォーカシングを一人フォーカシングが自分の現実生活に役立つぐらいにまで身につければ、あなたも必ずできるようになります!!

(クライエントさんとの話が沈黙に入った瞬間でもいいですが、慣れてくると、クライエントさんの話を聴き、伝え返しをすることをしながら「マルチタスクで」このことをできるようにもなります)


例えば、その結果カウンセラーの内面に浮かび上がってきたぴったりの言葉が

「いらいらする」

だったとしましょうかね。

カウンセラーも、クライエントさんの発言に「いらいらする」ことがあるのだ、とここではっきり書いてしまうことそのものに反感に近いものすら感じる方が、同業者の中にもあるかもしれません。しかし、私は、いわゆる「カウンセラー的な」、やさしく、美しい、達観して、人の心のことなら何でもわかっているような言葉を書き連ねるあり方そのものが大きらいなもので。むしろ「自分を含めて、人の<心>とはそんなに容易にわかりえない"something"だからこそ、生きた生身のひとりひとりの人間に宿る、尊重に値するものと思っています。つまり「わからない」「共感できない」「理解できない」ことを自分の中で認めるところから、はじめて、自分や他者の<心>に寄り添い、交流する糸口が生まれるのです。)


さて、

「いらいら」しながら話を聴いているカウンセラーとしての私がそこにいる。

ある意味では、クライエントさんに「いらいら『させられて』いる」と感じている私がいる。

その「いらいら」をクライエントさんのせいにする(attribute)形で決め付けるのはよくないのはいうまでもあるまい。

「この人、やっぱり『ボーダー』ね。こうやって治療者を巻き込もうとする」

・・・・・なーんて内側で連想する「気休め」はじめるカウンセラーなんて最悪ですね。

その瞬間に、上っ面はどんなに受容的でも、カウンセラーである「あなた」の体が発散する「気」が、クライエントさんに「見捨てられ体験」をひきおこしはじめていたりして(などと、少し「中級篇の」皮肉^^;)

****


1.しかし、「この」クライエントさんが、「私」をいらいら『させる』形でしか、今は私に伝える術(すべ)をもたないのだとしたら?


そういう発想をするだけで、また少し、カウンセラーである私の中に、少しの「心の余裕」が増加します。

******

2.次に、

ひょっとしたら、「この」クライエントさんは、

家族や親しい友人やそれまでのカウンセラーとも

私が今、「こんなふうに」感じているような形で、

相手を『いらいら』させる結果、関係が悪化するという

「堂々巡り」

をしてきたのではないか、


仮定して、感じてみる。


これでまた、カウンセラーの中に、クライエントさんへのむしろ「同情心」すら感じる余裕が、さらにできます。


*****


3.更に、


「クライエントさんが、こんな不器用なやり方で、まわりに伝えたいのに、結局果たせないで来た<思い>って、何だろう?」

と、クライエントさんの「身になった」感情移入的フォーカシングを虚心にしてみる。

例えば、


『わがまま』?


........うーん、何か違う。


『頑(かたく)な』?


........お! かなりいい線行ってるけど、あと一息欲しいナア.........


『頑固』


........うん、こっちの方がいい!!

たいてい、カウンセラーの中でほんとうにしっくりくる言葉は、こうした、2,3回の試行錯誤の過程で出て来るんですよね(フォーカシング一般がそうですけど)。

次に、そういう試行錯誤のプロセスで「棄却された」言葉すら活用する!!


*****


4.なぜ『わがまま』ではだめで、『頑固』だとOKなんだろう」

と、カウンセラーは再び自らのフェルトセンスに問いかける。


「..........『頑固』っていうと、何か、本人が自分の意志で、石のように動かない、っていうエネルギー溢れる「何か」が含まれている気がする。そういう含蓄は『わがまま』だけでは感じにくいような........」


実はこの「ぴったりの言葉を捜す過程で棄却した言葉(ここでは『わがまま』)を、最終的に選択した言葉(ここでは『頑固』)と比較する形で味わい、最終選択した言葉の固有の含蓄を更に深く見出す技法は、私もまだ既成のフォーカシングの技法書では読んだことがありません。

これを機会に『差分的照合』と命名し、著作権主張しておきますか! (c)阿世賀浩一郎

もっとも、この技法の先駆に当たることは、他ならぬ私自身が、13年も前の駆け出しの頃に「学会誌処女原著論文」でに書いているのですが。

(「フォーカシングにおけるセラピストとクライエントの弁証法的相互作用について:技法論を越えた視点から」 人間性心理学研究  第9号 1992 研究業績目録参照)


******


5.こうした比較の中でさらに鮮明に浮かび上がった、この『頑固』という言葉ではじめてしっくりくる固有の感覚の質を、カウンセラー自身の身体に、そして面接現場の場の雰囲気に響かせるつもりで味わう。


......まあ、面接のやり取りを進めるただ中で(!)、カウンセラーが、こうしたことをマルチタスクで、あるいは沈黙の中でのショートフォーカシングとしてやっていたら、それは「場の雰囲気」として「空気伝染」して、そのころにはクライエントさんとのやりとりは、「どういうわけか」生産的なものに変化しているでしょう!!

『頑固』という言葉そのものは結局クライエントさんに語られないままなのです。


仮に言葉にするとしても、それは、ちょうどいいタイミングがくるまで、「クライエントさんに無理なく伝わる言い方」を更にフォーカシングして探して、暖めておきます。

それは例えば、

「あなたの話を聴いていたら、あなたの中に、どうしても守り抜きたい『何か』があって、それを、デン!と座って、必死にかかえて『守って』いるような気がしてきたんだけど」

という言い方になるかもしれません。


思わす、これを書いている「今」、ayuの、


> ガラクタを守り抜く腕は どんなに痛かったことだろう
> 何を犠牲にしてきたのだろう


と、

浜崎あゆみ/A BALLADS "TO BE"

の歌詞が思わず浮かびましたが、

私はこういう時、


「あなたayu知ってるかな」


といって、一節歌ったりするんです。

すると、思わす目頭を熱くし始めるクライエントさんも、時にはいます。


*******


以上、実はすべて、過去の経験からシミュレーションした、「架空の例」です。

そっくりそのまま「ああ、自分とのカウンセリングだ」と当てはまるクライエントさんはいないはず。

でも、自分とのカウンセリングも、「これに似た」形で進められていたのかな、と、思い返すクライエントさんは少なくないかもしれませんね。


私のカウンセリングの現状での「到達点」を、これでまるごと、ありのままに公開したことになります。

(論文にもしないうちに、もったいない? 一応著作権主張しておこう (C)阿世賀浩一郎


人気ブログランキングへ
ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ

« 新フォトアルバム"北海道への旅2005"登場 | トップページ | 私のWEB上のカウンセリング論集の索引を別に作ります »

J-POP」カテゴリの記事

おすすめ商品」カテゴリの記事

おすすめ映画」カテゴリの記事

イギリス」カテゴリの記事

インターラクティブ・フォーカシング」カテゴリの記事

ウィニコット」カテゴリの記事

カウンセラーへのメッセージ」カテゴリの記事

カウンセリング」カテゴリの記事

クライエント中心療法」カテゴリの記事

スピリチュアリティ」カテゴリの記事

トランスパーソナル」カテゴリの記事

バリント」カテゴリの記事

フォーカシング」カテゴリの記事

フォーカシング指向心理療法」カテゴリの記事

フランス」カテゴリの記事

ポピュラー音楽」カテゴリの記事

メラニー・クライン」カテゴリの記事

ロジャーズ」カテゴリの記事

中世」カテゴリの記事

人生」カテゴリの記事

人生観」カテゴリの記事

伝説」カテゴリの記事

体験過程」カテゴリの記事

俳優」カテゴリの記事

倫理」カテゴリの記事

健康」カテゴリの記事

共感」カテゴリの記事

医学」カテゴリの記事

医療」カテゴリの記事

場の空気」カテゴリの記事

学問・資格」カテゴリの記事

学生相談」カテゴリの記事

宗教」カテゴリの記事

対象関係論」カテゴリの記事

心と体」カテゴリの記事

心理学」カテゴリの記事

心理療法/精神療法」カテゴリの記事

心理臨床」カテゴリの記事

思い込み」カテゴリの記事

恋愛」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

文学」カテゴリの記事

日本語」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

映画・テレビ」カテゴリの記事

歌謡曲」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

民族主義」カテゴリの記事

浜崎あゆみ」カテゴリの記事

生と死」カテゴリの記事

病跡学」カテゴリの記事

社会現象」カテゴリの記事

精神分析」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

育児」カテゴリの記事

臨床心理」カテゴリの記事

臨床心理士」カテゴリの記事

自分史」カテゴリの記事

自己一致」カテゴリの記事

芸能・アイドル」カテゴリの記事

若者心理」カテゴリの記事

藤嶽法」カテゴリの記事

趣味」カテゴリの記事

開業カウンセリング(私設心理相談)」カテゴリの記事

間主観性」カテゴリの記事

関係性」カテゴリの記事

音楽」カテゴリの記事

騎士」カテゴリの記事

コメント

 クライエントさんから受ける感じを瞬時にフォーカシングして自分なりに受け入れていくことができれば、クライエントとカウンセラーは“いい付き合い”が維持できるわけで、これが転移を防ぐことであり、また“いい付き合い”ができることが治療のすべてであると私も思っています。阿世賀さんの書き込みのおかげで、その辺を言語化できました。

コメントありがとうございます。

お気づきの方はお気づきでしょうが、精神分析で言う「治療者の逆転移の活用」と呼び習わされてきたものを、全く教条的にならずに、私なりに、"here and now"の、新鮮な「ライヴ」として繰り広げるとは「こういうこと」ではないか、という意味で、私の数年越しの問題意識の総括として書いてみました。

土江さんがおっしゃるとおり、カウンセラー側の「逆転移」を「未然に防止」するとまではいかないまでも、その「発端」の時点で、むしろ面接の自然な活性化、まさに「クライエントさんと、更に『いい関係』を作る」糸口にすらしてしまう、とでもいえましょうか。

分析系のカウンセラーの方々が読まれても刺激的な内容にできたのではないかと自負しています。

私が」(『フォーカシング事始め』(絶版)で分担執筆した中で述べて以来、変わらない信念である、「フォーカシングの『臨床適用』とは、カウンセラー自身がまずは自分のために『自立したフォーカサー』としてのスキルを磨き続けることだ」ということについての、現段階での到達点です。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/70854/6384140

この記事へのトラックバック一覧です: クライエントさんに「共感できない」気持ちを糸口に、クライエントさんへの深い「共感」への道を開くこと:

« 新フォトアルバム"北海道への旅2005"登場 | トップページ | 私のWEB上のカウンセリング論集の索引を別に作ります »

コメント・トラックバックについて

  • このブログのコメントやトラックは、スパム防止および個人情報保護の観点から認証制をとらせていただいております。これらの認証基準はかなり緩やかなものにしています。自分のブログの記事とどこかで関係あるとお感じでしたら、どうかお気軽にトラックバックください。ただし、単にアフリエイトリンク(成人向けサイトへのリンクがあると無条件で非承認)ばかりが目立つRSSリンク集のようなサイトの場合、そのポリシーにかなりの独自性が認められない場合にはお断りすることが多いことを、どうかご容赦ください。

最近のコメント

はてなブックマーク


最近のトラックバック

last.fm


フォーカシングの本1

フォーカシングの本2

フォト
2012年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

banner

  • 携帯アクセス解析
  • Google Sitemaps用XML自動生成ツール
  • Firefox3 Meter
  • ブログランキング・にほんブログ村へ

ブログパーツたち

  • track feed カウンセラーこういちろうの雑記帳
  • アクセス状況
    アクセス解析

カテゴリー