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2005年10月

2005/10/26

音で「見る」こと ~「ダイアローグ・イン・ザ・ダーク」体験記~

実は予約していた竹節さん(先日当ブログへのコメントも下さったので、お礼を込めて名前をお出しします)が急用で出られなくなったとのことでしたので、入場券を譲っていただき、本日、広尾のドイツ大使館となりで開かれている「ダイアローグ・イン・ザ・ダーク」に、事前にその日の仕事の予約は入れないようにして、行ってまいりました。

これは、真っ暗な部屋部屋を、視覚障害者の方の案内で、杖を頼りに約1持間巡り歩き、いろんな体験をするというもの。橋や階段があったり、ホーム際の点字ブロックがあったり、ついには真っ暗闇のバー(当然、注文に応じる人もみんな真っ暗の中で作業してます)で乾杯までするという、アトラクション性を持たせた、視覚障害者の体験世界を疑似体験する啓発的な場を、一般の人たちにも幅広く体験してもらおうという企画で、今や世界のあちこちで開催されているようです。

関西地方で開催された際参加されたフォーカシング仲間が、いろいろご自身の体験をfocusing-netで書いてくださっていたことが予備知識的にも幸いしたのでしょうが、ほとんど何の当惑緊張ももなく、さらりと体験できてしまったのには自分でも驚きました。

私が興味深かったのは、結局何より耳のステレオフォニックな反響音がたよりになるということ。人がどっちを向いて話しているかもちゃんと聴覚的に感じられるし、杖というのは、床の状態や段差を測るためというより、自分で杖を突く音を響かせることによって、その反響から残響から空間の大きさや広がりを、まるで「目で空間を測定するように」体験できるということでした。

普段からそれなりに凝った装置で音楽を聴きなれていることで「同相」の音と「逆相」の音(FMでスピーカのとかのザーという音を流して片チャンネルの端子をブラスマイナス逆ににつなぎかえると容易に体験できます。要するに片方のスピーカーが同じ音を1ミリ前に張り出して鳴らしている瞬間に、反対のスピーカーは逆に1ミリ後ろに引っ込んで鳴らしている。これは音の定位を独特の形で歪ませ、不自然によじれた音空間を作ります。自然音もあちこちに反響する中で「逆相」成分が生まれます))が入り混じり反響する中に生じる「空間プレゼンス」に敏感になっていたのも幸いしたかもしれません。

間に人が立っていれば、音は単にソフトになるばかりか、ちょうど人間サイズの独特のやわらかい音響吸収・反響体の両側から「回りこんで」来るのが、壁との反響の関係で聞き分けられます。

においにも自然と敏感になりますね。

また、フォーカシングになじんでいたせいでしょうか、「身体内部」感覚がもともと鋭くなっていて、自分の手足や指が今どこにあるのか、全く外れないのです。

たとえば暗闇で杖を持った右手の人指し指に左手の親指をくっつけようとしても全く期待通りの場所にくっつけられます。グラスを口元に運ぶのにも全く狙いが外れず、中のジュースがどれくらい傾ければ開けた唇にどのくらい流れ込むのかも完全に掌握できました。

中にはグラスを歯にぶつけたり、鼻に流し込んでしまおうとした人もいたようですが(^^;)

というわけで、フォーカシングなじんでいる人は、「身体内部感覚」に敏感な分、目が不自由な皆様の感覚の仕方に一般になじみやすいのでは、という仮説すら立てたのですが。

ともかく、面白い体験でした。視覚障害者の方は「たいへんだなあ」というより、目が見える私たちと違う形で、周囲の世界を鋭く体験し、視覚という「意味情報」に依存しない分、世界を『濃厚』に「身体で」浸って味わっておられるのではないかとすら、感じました。

我々にも、目を頼りにしている分、普段は味わい逃している「豊穣な体験世界」が、実はいつも自分を包んでいるのだと。

2005/10/23

「共感的に」人の話を聴くとは?(入門編) も増補改訂!!

「受容と共感と自己一致の相克シリーズ」の中の「共感的に」人の話を聴くとは?(入門編)も、以前の場所に増補改訂してupしました。

(昨晩23時過ぎにとっくにできていたのに、今夜のココログのつながりにくさのおかげで、一眠りして日付が変わってしまった。)

今回の増補改訂は、クライエントさんの言葉を言い換えずにそのまま投げ返す、いわゆる「鸚鵡返し」と揶揄されたことに生産的な意味を持たせるためのコツみたいな部分です。

私のかねてからの主張ですので、フォーカシング関係者には、

「また『阿世賀節』がはじまった」

かもしれませんが(^^;)


*****


なお、今夜のBGMは、松任谷由美の、"VOYAGER""NO SIDE"でした。

2005/10/22

改訂版公開!! クライエントさんに「共感できない」気持ちを糸口に、クライエントさんへの深い「共感」への道を開くこと 

現在、ほとんどの日に記事別での最高アクセス数をいただいているこの書き込みの「改訂版」を以前の場所にUPしました。

はっきりいって、これだけで学会発表、学会誌論文投稿にしても何も恥ずかしくない内容を盛り込めている、これまでの書き込み全体中でも「最高傑作」という自負はあります。

このブログで平前と公開してしまうのは、今の私にとっては、このブログをお読みになる各分野の専門家や一般の皆様に、私のカウンセラーとしての実力を見積もっていただく方が、象牙の塔の業績より、「商売繁盛」のために大事だからです(^^;)

ついでに言うと、実はあそこで書いたこと全部を面接のライヴの只中でを簡単にはまねることはできないとわかっているから。一人フォーカシングの20年のキャリアあって可能な「マルチタスク」と感じているからです。

もとより、「つまみ食い」は大歓迎ですよ。

私は、全国でせいぜい3.4万しかいないであろう、臨床心理士以外を含めたカウンセラー「内部での」評価は、まあ、ないよりはあるに越したことはないけど、もっと大事なのは、その3,4万以外のさまざまな職種の方や一般の皆様に「職業としてのカウンセラー」について理解していただけることだと思っています。

敢えて書くけど、まして、全国で数百人しかいない、いわゆる「フォーカシング関係者」の中での「内輪での評価」って何???? というのが本音です。

大事なのは、その時私と接することになった方々一人ひとりに見合った形で、面接料金分の「一品料理」としての(この言い方は中井久夫先生のパクりです)「何か」が「共同作業」としてできることそのものでしょうに。

2005/10/21

Wikipediaに「フォーカシング」の項があるのを発見!!

ここです。

いつの間に、誰が書いたんだろう....

ともかく、入門的な解説として、端的で要を得ていて、たいへんよくできていると思います。

ですのでお勧め!!

2005/10/19

「守護聖者 人になれなかった神々」のご紹介

私が水戸に行った時(実はこのブログのコメント常連の永野さんに行った会いに行った時だったんです)のフォトアルバム「水戸漫遊記」に、水戸市内を分断するようにして細長く湖水をたたえ、水戸城の外堀の役目を果たしてもいた千破湖(せんばこ)の由来として、巨人「ダイダラ坊」について説明してある石碑の写真を載せました。

そしたら、別の方から、鹿児島にも「弥五郎どん」という巨人伝説があると聞かされました。

******

私は「巨人伝説」というと、唐突に、聖クリストフォルスのことを思い出しました。

彼は、ものすごい背丈の大男で、世界一強いものに仕えようと思って諸国を渡り歩いていたけど、それが果たせないでいた。

ある人に、「それならその背丈を利用して、川の渡し守をするといい」と忠告を受け、大きな川で、人を肩に担いで渡し守をしていた。

ある日、小さな子供が目の前に。

あやすい御用と肩に載せて川の中を歩き始めたものの、信じられないほど重い。まるで地球全部を背負っているかのよう。

渡し終えると、その子が、実は子供の姿をしたイエス様だったとわかる。

それ以来、クリストフォルスは決して暴力は使わずにキリスト教の布教者となり、最後には殉教したとのことです。

*********

今日たまたまネットサーフィンをしていたら、キリスト教の「守護聖人」についての興味深い本を発見しました。

守護聖者 人になれなかった神々「守護聖者 人になれなかった神々」植田重雄 中央公論新社

私はあっさりこの電子ブック版をダウンロード購入して読み始めてしまいましたが、

Amazonでは、すぐ入手できるようです。


この第1章「聖クリストフォルス」です。

そもそも、この著者が学生時代に、ジャン・クリストフロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」(ベートーヴェンをモデルにした虚構の大河小説です。私も中学時代に読みました)の各巻の冒頭に、

「いかなる日もクリストフの顔を眺めよ、その日汝は悪しき死を死せざるべし」

という銘文が刻まれているのはなぜだろう、という「気がかり」を引きずっていたことがきっかけだそうです。

今職場にいて手元に本がないのですぐに確認できませんが、確か、「ジャン・クリストフ」の物語の中に、何の解説もないまま、突然イエスと聖クリストフィルスの物語が、冒頭かラストのどっちかで出てきます。

ヨーロッパ人にとっては、民衆にも子供の頃から伝え聞かされる「常識」なので、特に断りもなしにでて来るんですね。

さっきの銘文(ヨーロッパでは誰でも知っている域のものらしい)は

「聖人クリストフォルス様のことを毎日思い浮かべなさい。
 そうすればあなたは『不慮の死』を遂げることなく、キ
 リスト者にふさわしい死に際を迎えるでしょう」

という意味とのことです。

「キリスト者としてふさわしい死に際」とは、狭い意味では、カソリックでは、懺悔の告解をして、終油の秘蹟を受けて死ねる、ということをさしますが、

「死に臨んで、思い残すことなく死ねる」

という広い意味にも理解できるみたいです。


誰でも『死に際』ぐらいは自分で選びたいですよね!!


私がやたらと「守護霊フェルトセンス」という言葉を使ってしまうので、この、ヨーロッパ文化における「守護聖人」成立の社会的・文化的背景にまで立ち入った本をお勧め。

2005/10/18

ココログ<人生の午後:「個性化」への道>でご紹介いただき、ありがとうございます。

大阪で「心の相談室 Mental Laboratory」をお開きになっている「儀助」さん(「企業で産業カウンセラーをしている」とプロフィールにはお書きですが、ココログ<人生の午後:「個性化」への道>この記事で当ブログ「カウンセラーこういちろうの雑記帳」をご紹介してくださっていることが、昨日分の「アクセス解析」で判明しました。

同時に、以前ここでもご紹介し、当ブログのコメント常連もしてくださっている、島根の土江正司さんのブログ「こころの天気を感じてごらん」もご紹介いただいたようですね。

それくらい、この儀助さんのブログから「昨日」私のブログにおいていただいた方があるということです。何と昨日アクセスの3%!!

 昨日は「カウンセリング論集」の絶対パスでのインデックス作るために、私が自分でどうみても2百数十アクセスは稼ぎ出し、全体で500アクセス近いアクセス数になった「特異日」でしたので、その中での「3%」というのはたいへんな数字です(^^)。

HPのアクセスカウントから見ても、開業カウンセラーとしてもかなりの先輩に当たる方とお見受けしました。

トラックバックやコメントはポリシーとしてお使いになっておられないようですので、僭越かとは思いましたが、この場を借りて、厚く御礼申し上げます。

今度アン・ワイザーフォーカシング・ニューマニュアルフォーカシング・ニューマニュアルの翻訳を大沢美枝子さんとの共訳で出版された、上村英生さんも、北海道で新聞社に編集委員としてお勤めながらシニア産業カウンセラーをなさっている、私の古くからのフォーカシング仲間です。ご存知でしょうか?

「カウンセラーこういちろうにの雑記帳」、累計アクセス、2万突破、ありがとうございます!!

1万突破が8月8日でしたので、それから79日間で1万、この期間に一日平均127ほどのアクセスをいただいたことになります。当ブログ開始からちょうど10ヶ月目を明日に控えての達成です。

今後も、自分の中から沸き起こる言葉を大事にしながら、自分の言葉で記事を書いていくつもりです。

どうかよろしくお願い申し上げます。

2005/10/16

「阿世賀浩一郎 WEB上のカウンセリング論集 INDEX」完成しました

http://www.shonanfocusing.jp/article/index1.htmlです。

ともかくわずか2日間で、これまでのこのブログ開始から10ヶ月の書き込み全188篇に、ざーっとではあれ一気に「絶対パスで」目を通すことになったのですが(ということは、本日のアクセスカウントを一人でそれだけ稼いだ結果、見かけ上過去最高のアクセス数になっているわけですが(^^;)、われながら、自分の思考の発展過程がよくわかると共に、

「ああ、このころはずいぶん無理して焦ってたんだな」、

とか、

「あ、ここでうまく話を軽い脇道に持って行ってる、その直後、エネルギーがたまったところで「大作」が一気に連発されるわけだ」

とか、自分の心理状態がみえみえなのに苦笑しながら、結構楽しく、今日の面接が終わった後は、一気に仕上げました。

これで、学会シーズンも終わったし、まだ正直言って暇なことが少なくない(爆)「営業時間」を、焦ることなく、読書や音楽や、論文書きなどに使いながら過ごせて行くうちに、ゆっくりとクライエントさんが増えていけばいいと思っています。

.......といいつつ、もうすぐ自宅を引っ越すんだった!!

「阿世賀浩一郎 WEB上のカウンセリング論集 INDEX」ベータ版(?)公開

昨日お約束した、「阿世賀浩一郎 WEB上のカウンセリング論集 INDEX」ですが、ただ今鋭意製作中です。

私の開業している「湘南フォーカシング・カウンセリングルーム」サイト内に置いています。

このブログの左サイドの"My Links"からもいつでもダイレクト入れるようにしますが、ここからも入れます。

2005/10/15

私のWEB上のカウンセリング論集の索引を別に作ります

さて、先日めでたく(?)私の現段階の現場カウンセリング論の集大成と自負する、「カウンセラーが受容・共感と自己一致の相克をいかに克服すべきか」シリーズが一応の完結を見ました。

そこで振り返って気がついたのは、一応リンクをつないで続き物として読めるようには配慮しましたが、ブログという媒体の性質上、「目次」にあたるものをブログ内には作れず、まとめて読みたいという方にご不便をおかけすることになるなということでした。

そこで、開業前からのものを含めて、私がこのブログで書いてきた、カウンセリング・フォーカシング関係の書き込みを絶対パスリンクで総閲覧できる「目次」ページ、題して、

「阿世賀浩一郎 WEBにおけるカウンセリング論 INDEX」(仮題)

を、私の開業している「湘南フォ-カシング・カウンセリングルーム」サイトの1コーナーとして開設することにしました。

今日から明日にかけて作業をしますが、かなり膨大ですので、未完成の段階でも、できたところまでで明日中にはUPすることを、ここにお約束します。

少なくとも「受容と共感と自己一致の相克」シリーズ連載の目次は完成しているでしょう。


......え? "My Favorite Disk"が進んでないって? 

今、iPODで一気に手持ちのayuとみゆきを総ざらえして聴きなおしている最中だから、あと少し待ってください。


え? レイちゃんとのその後はどうなってるんだ!! って? 

もちろんやるつもりです。

2005/10/13

クライエントさんに「共感できない」気持ちを糸口に、クライエントさんへの深い「共感」への道を開くこと

さて、ここから延々続いてきている、「受容・共感と自己一致の相克」シリーズ、前回からの続きです。

(やっぱりこのシリーズの新作を載せた後が、一番アクセス数の反応がいいもんな~)


*******

前回、クライエントさんに「共感しようとがんばる『自分』」と「共感しようとしても感じられる、違和感や苛立ちなど、クライエントさんに対して生じてくるnegativeともいえる感情を抱く『もう一人の自分』の両方を、カウンセラーが、自分の中でどちらも「俯瞰して」眺めて、「対象化」し、

「どちらの気持ちも自然だよなあ、『共感』できる」

と静かに自己受容、自己『共感』して見つめる第3の視点を確保できるだけでも、カウンセラーの中の葛藤は静まり、それこそまさにロジャーズの言う「自己一致」そのものなのではないかと述べ、

そういうカウンセラーの自己一致の達成は、カウンセラーが何も言語化しなくても、カウンセラーの非言語的なメッセージや態度が、2人の「場の雰囲気」を通して「空気伝染」し、数十秒から2,3分の沈黙の後に、クライエントさんもそれまで自分を縛っていた「何か」ほどけ出して、ほとんど無意識のうちに、本人自身それまであまり重大と考えていなかった、一見話が脇道にそれるような形で、むしろカウンセラーがクライエントさんに共感を深める上で結果的に決定的ともいえることを語り始める中で、二人の絆が深まる糸口が見つかることが実は多いということを書きました。

(これくらい「前回のあらすじ」をここで書いておかないと、ちょっと時間が空きましたものね)


******

さて、このことの応用形として、カウンセラーとしては「中級篇」かもしれないことを次に書くと約束していました。

「中級篇」というのは、ここまで私が書いてきたことを全く自然なものとして面接現場でできるようになる前に、以下のことにチャレンジすると、一見似たようなことができたかに見えて。実はクライエントさんにはまだ早すぎる「勇み足」となり、弊害がでることもあるからです。

「『害がない』ことこそが一番の治療である」

確か中井久夫先生神田橋條治先生が繰り返されてきた「逆説的」名言です。

あまり新しい技法の活用への「色気」に乗らないことです

私の中には、実は、この「色気」に屈しようとしている時の自分への厳しい「嗅覚」があります。

.......ということはその「色気」に屈して、痛い思いをしたことが私自身何度となく重ねてきたからこそ成立した「嫌悪条件づけ」のようなものが出来上がっているに過ぎないということなんですが(^^;)。

逆に、

「おい、ここでそんなことクライエントさんに言って大丈夫かよ!!」

と私の内なる声(内なる「批評家(critic)」とフォーカシングの世界では言います)がどれだけかびすましく、一見合理的な理由付けで引きとめようと、私のはるか上空から、

進め!

絶対命令が聞き取れたら、「御心のままに」一気に突っ走る、そしてそういう時はなぜか失敗しない、「ジャンヌダルク」こういちろうなんですが(^^;)

(ミラ・ジョヴォヴィッチ主演、リュック・ベッソン監督の「この」映画は、カウンセラー、特に精神分析系の人にはお勧め!!)


*****


などと余計な薀蓄はこれくらいにして、その「中級篇」の具体とは?

クライエントさんに共感できない自分を「もう一人の自分」として「内なる<第3の視点>から」、静かに「自己共感」するところまでは同じです。

次に、そこで感じている自分のクライエントさんへの「共感できなさ」のモヤモヤした感じに、感覚的にぴったりの手短なことばをじっくり捜します。

「え? それって、面接の最中に、カウンセラー自身が自分の内面にフォーカシングはじめちゃうわけ?」

そういうことになりますが、フォーカシングを一人フォーカシングが自分の現実生活に役立つぐらいにまで身につければ、あなたも必ずできるようになります!!

(クライエントさんとの話が沈黙に入った瞬間でもいいですが、慣れてくると、クライエントさんの話を聴き、伝え返しをすることをしながら「マルチタスクで」このことをできるようにもなります)


例えば、その結果カウンセラーの内面に浮かび上がってきたぴったりの言葉が

「いらいらする」

だったとしましょうかね。

カウンセラーも、クライエントさんの発言に「いらいらする」ことがあるのだ、とここではっきり書いてしまうことそのものに反感に近いものすら感じる方が、同業者の中にもあるかもしれません。しかし、私は、いわゆる「カウンセラー的な」、やさしく、美しい、達観して、人の心のことなら何でもわかっているような言葉を書き連ねるあり方そのものが大きらいなもので。むしろ「自分を含めて、人の<心>とはそんなに容易にわかりえない"something"だからこそ、生きた生身のひとりひとりの人間に宿る、尊重に値するものと思っています。つまり「わからない」「共感できない」「理解できない」ことを自分の中で認めるところから、はじめて、自分や他者の<心>に寄り添い、交流する糸口が生まれるのです。)


さて、

「いらいら」しながら話を聴いているカウンセラーとしての私がそこにいる。

ある意味では、クライエントさんに「いらいら『させられて』いる」と感じている私がいる。

その「いらいら」をクライエントさんのせいにする(attribute)形で決め付けるのはよくないのはいうまでもあるまい。

「この人、やっぱり『ボーダー』ね。こうやって治療者を巻き込もうとする」

・・・・・なーんて内側で連想する「気休め」はじめるカウンセラーなんて最悪ですね。

その瞬間に、上っ面はどんなに受容的でも、カウンセラーである「あなた」の体が発散する「気」が、クライエントさんに「見捨てられ体験」をひきおこしはじめていたりして(などと、少し「中級篇の」皮肉^^;)

****


1.しかし、「この」クライエントさんが、「私」をいらいら『させる』形でしか、今は私に伝える術(すべ)をもたないのだとしたら?


そういう発想をするだけで、また少し、カウンセラーである私の中に、少しの「心の余裕」が増加します。

******

2.次に、

ひょっとしたら、「この」クライエントさんは、

家族や親しい友人やそれまでのカウンセラーとも

私が今、「こんなふうに」感じているような形で、

相手を『いらいら』させる結果、関係が悪化するという

「堂々巡り」

をしてきたのではないか、


仮定して、感じてみる。


これでまた、カウンセラーの中に、クライエントさんへのむしろ「同情心」すら感じる余裕が、さらにできます。


*****


3.更に、


「クライエントさんが、こんな不器用なやり方で、まわりに伝えたいのに、結局果たせないで来た<思い>って、何だろう?」

と、クライエントさんの「身になった」感情移入的フォーカシングを虚心にしてみる。

例えば、


『わがまま』?


........うーん、何か違う。


『頑(かたく)な』?


........お! かなりいい線行ってるけど、あと一息欲しいナア.........


『頑固』


........うん、こっちの方がいい!!

たいてい、カウンセラーの中でほんとうにしっくりくる言葉は、こうした、2,3回の試行錯誤の過程で出て来るんですよね(フォーカシング一般がそうですけど)。

次に、そういう試行錯誤のプロセスで「棄却された」言葉すら活用する!!


*****


4.なぜ『わがまま』ではだめで、『頑固』だとOKなんだろう」

と、カウンセラーは再び自らのフェルトセンスに問いかける。


「..........『頑固』っていうと、何か、本人が自分の意志で、石のように動かない、っていうエネルギー溢れる「何か」が含まれている気がする。そういう含蓄は『わがまま』だけでは感じにくいような........」


実はこの「ぴったりの言葉を捜す過程で棄却した言葉(ここでは『わがまま』)を、最終的に選択した言葉(ここでは『頑固』)と比較する形で味わい、最終選択した言葉の固有の含蓄を更に深く見出す技法は、私もまだ既成のフォーカシングの技法書では読んだことがありません。

これを機会に『差分的照合』と命名し、著作権主張しておきますか! (c)阿世賀浩一郎

もっとも、この技法の先駆に当たることは、他ならぬ私自身が、13年も前の駆け出しの頃に「学会誌処女原著論文」でに書いているのですが。

(「フォーカシングにおけるセラピストとクライエントの弁証法的相互作用について:技法論を越えた視点から」 人間性心理学研究  第9号 1992 研究業績目録参照)


******


5.こうした比較の中でさらに鮮明に浮かび上がった、この『頑固』という言葉ではじめてしっくりくる固有の感覚の質を、カウンセラー自身の身体に、そして面接現場の場の雰囲気に響かせるつもりで味わう。


......まあ、面接のやり取りを進めるただ中で(!)、カウンセラーが、こうしたことをマルチタスクで、あるいは沈黙の中でのショートフォーカシングとしてやっていたら、それは「場の雰囲気」として「空気伝染」して、そのころにはクライエントさんとのやりとりは、「どういうわけか」生産的なものに変化しているでしょう!!

『頑固』という言葉そのものは結局クライエントさんに語られないままなのです。


仮に言葉にするとしても、それは、ちょうどいいタイミングがくるまで、「クライエントさんに無理なく伝わる言い方」を更にフォーカシングして探して、暖めておきます。

それは例えば、

「あなたの話を聴いていたら、あなたの中に、どうしても守り抜きたい『何か』があって、それを、デン!と座って、必死にかかえて『守って』いるような気がしてきたんだけど」

という言い方になるかもしれません。


思わす、これを書いている「今」、ayuの、


> ガラクタを守り抜く腕は どんなに痛かったことだろう
> 何を犠牲にしてきたのだろう


と、

浜崎あゆみ/A BALLADS "TO BE"

の歌詞が思わず浮かびましたが、

私はこういう時、


「あなたayu知ってるかな」


といって、一節歌ったりするんです。

すると、思わす目頭を熱くし始めるクライエントさんも、時にはいます。


*******


以上、実はすべて、過去の経験からシミュレーションした、「架空の例」です。

そっくりそのまま「ああ、自分とのカウンセリングだ」と当てはまるクライエントさんはいないはず。

でも、自分とのカウンセリングも、「これに似た」形で進められていたのかな、と、思い返すクライエントさんは少なくないかもしれませんね。


私のカウンセリングの現状での「到達点」を、これでまるごと、ありのままに公開したことになります。

(論文にもしないうちに、もったいない? 一応著作権主張しておこう (C)阿世賀浩一郎


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2005/10/12

新フォトアルバム"北海道への旅2005"登場

というわけで、はっきりいって、日本フォーカシング協会の「集い」とは全く無関係の域に達した新フォトアルバム、"北海道への旅2005"です。

"2005"ということは、実は"2004"もあったりするのですが、またの機会に!!

2005/10/11

小樽から帰ってきた裕次郎、じゃない、こういちろう

日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために、今日、北海道から帰ってきました。

北海道に行ってくるのに今の時代に飛行機を全く往復で使わないという、鉄ちゃん根性むき出しでの、のんびりとした旅をしました。

******

その過程は、別途新たなフォトアルバムとして公開しますが、

1.東京-八戸 まだ乗ったことがなかった新幹線「はやて」に乗る
2.八戸-弘前 これまた、まだ乗ったことがなかった、特急「つがる」に乗る
3.午後の時間を弘前城、ねぷた資料館をまわり、弘南鉄道大鰐線に乗る
4.大鰐温泉から、弘前でコインロッカーの荷物を取り出すために途中下車した後、青森まで、鈍行で引き返し、青森-札幌を夜行寝台急行「はまなす」に乗る(ここで車中泊でやっと2日目に入る)

5.札幌-小樽を快速「エアポート」で移動、定期観光バスで一日小樽観光(石原裕次郎記念館を含むので、上記のようなタイトルになりました)。

6.夕刻、協会「集い」会場のマリンヒルホテル小樽で「前泊」。

7.(3日目)「集い」1日目に参加の後、朝里クラッセホテルでの「別泊組」の数名と夜は宿泊地移動。

8.(4日目)「集い」2日目参加のためマリンヒルホテル小樽へ「通勤(?)」

9.(5日目)朝里クラッセホテルチェックアウトの後、マリンヒルホテル小樽に移動して、「集い」最終日の催しと、それに続くTFI日本コーディネータ会議に出席、2009年度日本で開催されることがほぼ内定されているTFIのInternational Conference今年カナダのトロントで開かれた催し)の日本準備委員会発足についての打ち合わせ。

10.コーディネータの中で小樽観光をその日にする人たちと小樽築港駅で別れて、小樽築港-札幌を、快速「エアポート」で移動、そのまま新千歳空港に向かうメンバーを残して札幌駅で下車、乗ったことがなかった札沼線(学園都市線)であいの里公園駅まで往復して時間をつぶし、札幌-上野を「北斗星2号」「カシオペア」を諦めた経過は以前書きました)で車中泊。

11.道内での信号機故障によるダイヤの乱れで2時間近く遅れて上野着、その足で大船の不動産屋に立ち寄り、鎌倉旧市街から大船(鎌倉市地区)に移動することにした新居の契約書と鍵を受け取る。これが今日。


などという、結構すざまじい日程をほぼ順調にこなしました。

******

弘前城に登った後に訪問した弘前のねぷた村は、平日夕方のせいか、私以外もう誰も入場者がいない中で、ねぷたの案内と解説、太鼓と笛の実演、(途中から誘われるままに太鼓を合奏するのにも加えてもらった)さらに津軽三味線の名人のライヴを「独占」させていただきました。

******

私は集い前日までに、すでに弘前と小樽で予想以上に買い物してしまいました。

私のカウンセリングルームに「置いてくれ~」という声なき叫びに思わす買ってしまったもろもろのものだけで、空港でよく売ってる車輪つきの大型手提げ袋がいっぱいになりました。

ねぷた関係のものと民芸おもちゃとかなりでかいオルゴールとガリレオ温度計 2LサイズGALILEO GALILEI THERMOMETERガラス製品(これ、「ガリレオ式温度計」といいます)なんですが(^^;)。いずれフォトアルバム"My Counseling Room"の追加として我が職場のもご紹介します。

******

集い1日目、前泊組みの私は、一応マリンヒルホテルのチェックアウトの後は、フロアでのーんびりと、当日から参加される皆様(50名ほど)の到着を待っていたのですが、なぜか皆さんが来るのが遅い。

何と、札幌と小樽の間で木が架線に倒れ、火事になって不通になっていたのであります!!

冷たい雨の中、いろんな手段を使ったり鉄道の復旧を待っている人の到着の遅れをお待ちし、結局30分遅れで「集い」は無事スタート。

電車の遅れに冷たい雨の中到着された皆様、そしてそうした方々との携帯でのやり取りに追われた「集い」スタッフの皆様、ほんとうにお疲れ様でした。

詳細はまだ伏せますが、恐らく、今回の集いは、いろんな意味で、協会の歴史に残る「集い」になるだろうと思います。

参加された皆様との出会いと、有意義な話し合い、体験学習の場が持てたこと(私も"background feeling"へのフォーカシング藤嶽法グループフォーカシングについての「出店(分科会)」を持たせていただきました)、そして何より準備・運営してくださった、北海道のフォーカシング関係者の皆様には、厚く御礼申し上げます。

来年の「フォーカサーの集い」は、ここでもご紹介した、土江正司さんを中心とした皆様の主催で、土江さんの本拠、島根の松江で11月に開催されます。

******

さあ、これで、ほとんど1週間おきに京都→福岡→小樽と旅から旅が続いた、「会議・学会」シーズン終了。自宅の引越しという課題がありますが、開業活動の更なる進展にかなりのエネルギーをぶち込める時期に入りました。

当ブログとホームページの更新も、エキサイティングに進めてまいりますのでお楽しみに!!


2005/10/05

明日から北海道に行って来ます

明日から、日本フォーカシング協会の、年に一度の「集い」参加のために、北海道の小樽に向かいます。

その準備のため、本日の更新はこれ以降お休みです。

連鎖も中断ですが、モバイル体制は公共無線LANとAirEdge含めて万全なので(もっとも、
北海道はAirEdgeの効く範囲が鉄道線路沿いはひどく狭くていつも難渋しますが)、気が
向いたらどこからでも暇つぶしに書くかもしれません。

鉄ちゃんの私のことですから、「なぜわざわざそんなことするの!」ルートでのーんびり北
海道入りし、のーんびりかえってまいります。

その辺のレポートも、少なくとも帰ってからフォトアルバムとかでやるつもりです。

2005/10/04

自分が相手に共感できて「いない」ことを「自己『共感』」すればいいのだ!!

さて、「受容と共感」と「自己一致」の相克シリーズ前回の続きです。

前回は、クライエントさんを受容できなくなっていくカウンセラーの内面を赤裸々に暴露しすぎて(^^;)世間一般の人へのカウンセラーが人格者であることへの幻想を打ち砕き、がっかりさせてしまったかもしれませんが、

(え? 「それはとっくにお前(こういちろう)がとっくにこのブログで散々やっているだろうって?)

カウンセラーは「聖人」ではありません!!

むしろ、普通の人がプロとしての職人芸を磨いたものなんです。

むしろ、その「職人芸」の実際に感心してもらえることを私は目指しています。


****


実は、前回書いたようなところまで、カウンセラーははっきり「自覚しないまま」、ただ、やみむもに、我を忘れてクライエントさんを受容しよう、しようとがんばっていることが多いんですね。

だから、このブログをお読みのカウンセラーの皆様も、私のコメディタッチのカウンセラーの内面描写を、むしろ爆笑しながら


「そうそう! そうなんだよな~」


と、それこそ「共感しながら」読んでくださったものと信じます(^^)。


*******


では、どうすればこのジレンマから抜け出せるか?

答えはある意味でシンブルなんですよ。


「カウンセラーとクライエントさんは、自分と別の人格を持った個人なんだから、相手の言うことにすべて共感できないのは当たり前だ


という前提に立つことです!!


ただ、普通の人と違うのは、そうやって「相手に共感できない自分」「対象化」して、「自分の中にもそういう『共感できない』部分が『いる』」ことを、共感を持って(爆)、静かに「自己受容」するスキルを磨ける、という点にあります。


「今私は、一方で、クライエントさんの気持ちに寄り添って理解しようとしている、そういう『私』の気持ちって、当然だよな、『共感』できる」

「でも、もう一方で、クライエントさんの言ってることに、むかつき始めている。そりゃ、前回に続いて、今度はどのように死にたいかまで詳しく話し始めるんだものな。『こっちが必死に心配しているのに、何だこいつは』といらだち始める、『もうひとりの私』がいて、これも当然だし、『共感』できる


この時点で、カウンセラーは、自分の気持ちに正直になれています。

つまり、「自己一致」できているんです!!


*****


不思議なもので、カウンセラーが、そうやって、自分の中の『二人の自分』の両方に共感できた時点で、カウンセラーの気持ちも楽になり、心にある種の余裕すら生まれます


「ま、あとしばらく、クライエントさんの言い分を聴いていると、共感の糸口となること、話してくれるかもな」


・・・・・・驚くべきことに、これはそれから「数十秒から数分のうちに」、現実になることが多いです!!

クライエントさんが、それまで話していなかった、予想外の話題を突然話し始め、それを聴いたら、以前より、クライエントさんの心境に、実際、「共感」しやすくなるのです。

面白いのは、クライエントさんの側には、そんな重要なことを話したという自覚はなく、「何となく」話題をそちらに向けたという自覚しか、少なくとも当初はないことです。

しかし、その「何となく」の「余裕」を、クライエントさんに生み出したのは、実は、さっきまで「受容できないものを受容しようと必死にがんばっていた」カウンセラー自身が、さっきのような「自己共感」の段取りを内面で進行させて、「余裕」を取り戻したことが、カウンセリングの「場の雰囲気」を通して、クライエントさんに「空気伝染」したからではないかと、私は考えています。

「空気伝染」というのは、半分ジョークですが(^^;)、人と人とは、非言語的な「気配」でコミュニケーションしている部分が、実は一般に思われているより大きいのではないかと思います。

早い話、カウンセラーが「強情なまでにがんばって」話を無理して聴いていたら、クライエントさんも「強情に言い募る」と思いませんか?

***

さて、次回は、このカウンセラーの「共感できない自分」の自己受容を、さらに積極的に「活用」して、面接を生産的にするコツのことを書きましょう。そこまでくると、カウンセラーとしては「中級編」の技能に属することですが。


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やはりayuの"duty"論には燃えてしまったぜ!! ”SURREAL"よ、永遠に!!

新コーナー”My Favorite Disk"、やっと3枚目、ayuの3rdアルバム、"duty"へのコメントに辿り着きました。

いやあ、しかし、久しぶりにayuのこと、特にアルバム"duty"と、我が最愛の曲"SURREAL"について書き始めると、しばらく遠のいていた、私の中のayuへの情熱がみるみる蘇ってしまいました。

まあ、ここで書いていくayuアルバム解説が、去年人間性心理学会の自主企画としてやった「浜崎あゆみとスピリチュアリティ」と、ブロモビデオの映像解析を除けば、もろにかぶると思っていただけると、ありがたいです。

.....というわけで、"My Favorite Disk"、ともかく開店!!

浜崎あゆみ、中島みゆき、クラッシックを中心とする、私の、例のごとく言いたい放題のコメントつきのCD/DVDネットショップ、"My Favorite Disk"、ともかく発進しました。

発進段階ではayuの2アルバムだけですが、フォーマットを決めた以上、あとはみるみる増殖することは保障します。

これでやっと、ここでも小出しにしか書いていない、私のayu観、みゆき観の全貌を、仕事や他のページの更新の合間に、気軽にまとめてご披露できる場ができたともいえますので、どうかよろしく!!

2005/10/03

それは中島みゆきの「傾斜」です

今日、このブログに、明らかにこの「傾斜」という歌を歌詞で検索してこられた方がいるので、サービスしますね。

私の溺愛する、かの傑作大ヒットアルバム、【J-POP/歌謡曲:な】中島みゆき / 寒水魚 (CD)「寒水魚」が初出。

「悪女」のシングルが出た時のLPで、「悪女」はシングル版より遥かにロックテイストの別編曲。私はこっちの「悪女」の方が好きです。

「傾斜」は、この「悪女」アルバムバージョンの次に2曲目として収められています。私も大好きな、わさびの効いた曲ですので。

この曲は、比較的最近発売のアルバム、中島みゆき/いまのきもち<2004/11/17>「いまのきもち」でも、みゆきは、新編曲でセルフカバーしました。


> 齢をとるのは素敵なことです そうじゃないですか

> 悲しい記憶の数ばかり 飽和の量より増えたなら
> 忘れるより他ないじゃありませんか


という歌詞を深読みすると、今のみゆきの心境でもあるのかな?


もとより、私にとっては、いつまでも、みゆきは、少し年上の、かっこいい「お姉さま」です

この、ロス録音のアルバムが、原アルバム「寒水魚」(これもアナログアルバムとしては円熟期のかなり傑作の、なんとも透明感と潤いに満ちた音質と思いますが。昔、このアルバムのLPをいい音で聴けるカートリッジ[若い人のために。レコード盤に触れる、針のついてる小さな装置の部分のこと、高価なものはべらぼうに高価でした]を捜し求めたのを思い出します)より、みゆきの声が「ざらついて」ではなく、深みを持って生々しく新鮮に響いたら、その人の装置はそこそこいい装置だと思いますよ。

歌詞全文をお探しだったのかもしれないけど、それは「歌ネット」会員にでもならない限り、違法ページへのアクセスに当たります。

「傾斜」は少し渋い歌だから「歌ネット」にも載ってないかも知れませんね。

などと、"My Favorite Disk"(このリンクは「工事中」表示専用ページへのリンクですのでURLはOPEN後は変わります)への前ふり兼ねてたりして。

"My Favorite Disk"コーナー、明日にも開店!!

いきなり新「音楽CD/DVDコーナー」が始まることの告知です!!

ここからはじまった、「受容・共感と自己一致の相克をいかに克服するか」シリーズは、長期連載として、焦らず、楽しみながら少しずつ書いていきます。


それこそ、カール・ヒルティが、幸福論(第1部)「幸福論」第一巻で述べていたとおり、


「仕事の対象を分散させ、一度にでなく、少しずつ、代わる代わるにやるのがいい」


で行くことにしました!!


******


明日中に、

クラシック、ayu,みゆきを中心とした、私の趣味丸出しのCD/DVDコーナーを、ホームページ本部に新規に立ち上げます。


題して、

"My Favorite Disk"

これまた、請う、ご期待!!

カウンセラーは、クライエントさんの話を「受容・共感」できない方向に、徐々に追い詰められていくことも多い

さて、カウンセリングにおける受容・共感についての入門編であった前回の続きなんですが。

受容・共感していくつもりで話を聞いていくと、カウンセラーであるあなたは、必ずといっていいほど、途中で、ある葛藤と壁にぶつかります。

クライエントさんが、あなたが受容も共感もしにくいことを話し始めるわけです。

例えば、やや極端な例で言えば、


「死にたくて、その方法を色々考えているんですよ」


「実は、私は同姓のほうを好きで、性転換手術を真剣に考えてお金を貯めています」


なんてその典型です。


そこまで行かなくても、

「大学を辞めてしまいたい。この大学の人たちってちゃらちゃらしている奴が多い。あんな連中ばかりじゃ友達もできない。授業も退屈で。やはり第一志望だった大学に入りなおそうかと、仮面浪人を考えています」


なんて話を聴いていたら、あなたの中に、思わず


「どこの大学だって似たようなものだよ」
「友達ができないのは、あなたの受け身な性格のせいもあるのでは?」
「まじめな学生や、いい先生とまだめぐり合えてないだけだよ」
「友達が大学でできなくったって、バイト先とかでいい友達にめぐり合えればいいじゃないか。実際私はそうだったし」
「辞めることで高い入学金や授業料、アパート代とかを払ってくれた実家の親に申し訳ないと思わないのかしら」



などなどという、いろんな思いがあなたの中を駆け巡り、それが、


「クライエントさんの言うことは、まずは『受容・共感』して聴いてあげないと」


という、カウンセラーであるあなたの中のドグマ(「カウンセラー教」の、神聖にして犯さざるべき「絶対的教義」)葛藤を起こし始めるかもしれません。

*****

こういう時、とりあえず無難な切り抜け方は、

カウンセラーとしても受容・共感しやすい切り口から、クライエントさんに更に詳しく話してもらう方向に促すことです。


「そんなに死にたくなるようにつらいんだ。そのつらさについてもっと話してくれる?」
「自分が男(女)であることへの違和感って、どういうあたりから感じ始めたの?」
「授業がつまらない、って、たとえばどんなふうに?」


こうやって、クライエントさんに事情や状況を更に詳しく話してもらうだけで、クライエントさんがそれまで語っていなかった、カウンセラーにとっても予想外の、受容・共感しやすいエピソードが語られ始めることも少なくありません。


*********


しかし。こうした「更に詳しく話を聴くこと」で、クライエントさんに共感しやすい接点が見つかる場合ばかりとは限りません。


聴けば聴くほど、いよいよ受容・共感「しにくい」話を繰り広げ始めるクライエントさんも沢山います!!


あるいは、前回の面接で、理解しあえる接点が見つかったと思ったら、次の面接ですべては振り出し、ということもあります。

例えば、今度は、自分がどのように死のうとしているかについての具体的な計画をいよいよ延々と具体的に話し始めるかもしれません。


カウンセラーとしてのあなたは、正直うんざりし、無力感すら感じながら、

それでも「負けてたまるか!」とばかりに、

(おいおい、あんたはクライエントさんと「勝ち負け」争ってるわけ?)>


「このクライエントさんを受容・共感してみせる!!


という使命感に燃え

表面上はニコッとした優しい顔で、

がんばって話を聴き続けるかもしれません(^^;)


あるいは、


「こういう『希死年慮』が強いクライエントさんは精神医療との連携を考えるべきである」


という方向に一気に考え出すかもしれません。

(半分皮肉なの、わかりますよね)


*******


なにか、こういうあけすけな次元で、カウンセラーの葛藤をリアルに書いた文献ってあまりない気がしてきました。

書いている私自身、面白くなってきたので、当初と「予定変更」します。


わざと、少しずつ、長期連載にして小出しに書いていきましょう。

次回、請うご期待!!


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「ヒルティとフォーカシングについて、続編」にhtmlタブミスで、読めなくなってる箇所がりました(^^;)

「ヒルティとフォーカシングについて、続編」の終わりの方に、私のHTMLタブ打ち込みミスで読めないままになっていた箇所も発見しました(^^;)

文章がつながらなくて、変だなとお感じの方もあったかも。手直ししておきましたので、お許しください。

その部分、好きな箇所なので、再録しますね:


==========================


「神の実在のまことの証拠は(中略)、神の力がしばしばただ一瞬の間に、しかも永久にわたって、人間を解放しうることである。この場合、その人はそのことをひとつの出来事として、また、これまでしばしば試みながら無駄であった自己改善の決意とは全く異なるものとして、感ずる。このことに決して思い違いはおこらない」

これ、フォーカシングで言う「フェルトシフト」(身体感覚の変化を伴う真の「洞察」体験)と、あまりにも似ています。


==========================

いくつかのリンク不能にお詫び申し上げます

私が楽天を通して多数のアフィリエイト・リンクをお張りしている「すみやサイバーショップ」さん関連のURLがいくつも移動し、私のホームページの各所でリンクが切れていることに気がつきました。

気がついたものから直していきますが、膨大な時間がかかる作業になりますので、何かの合間に「ボチボチ」すすめさせていただきます。

皆様にご迷惑をおかけしたことを、お詫び申し上げます。

2005/10/02

「共感的に」人の話を聴くとは?(入門編)

さて、前回の、カウンセリング場面で、クライエントさんを受容・共感することと、カウンセラー自身が「自己一致」していることをどうやって両立させていくかについて、私がカウンセリングの現場で用いている技法について具体的に説明していきます。


まずは、「共感的理解」についての、私なりの入門講座からスタートします。


*****


私は、「共感」ということは、一般に考えられているより、はるかに精緻な事柄と思っています。

これは、すでに"7.11 Asega Doctrine"のなかでも、その中の「プロ・カウンセラーの第3の条件」として書いていることにもつながるのですが、

例えば、恋人に振られて「傷ついて」いる人がいるとして、その人に「共感的理解」を示すとは、とういうことを指しますか?


1.同情深げに、ともかく相手の話を「うん、うん」と聴いてあげることでしょうか?


なるほど、自分の意見を差し挟まずに、まずは相手に話したいだけ話させてあげること、それは「受容的傾聴」の基本です。

現実の友人関係とかでは、相手の話途中でさえぎって自分の意見を述べたり、

「あたしの場合はね~」

......とかいう調子で、「自分の」失恋談義に「すり替えて」しまう(^^;)とかが普通です。


カウンセラーは、まずはそういう聴き方を「超える」ことができねば「存在意義」はありません。


ただ、できれば、一方的に、「うん、うん」というだけで延々黙って聴いているのではなく、

時々、「クライエントさんの身になって」、自分の解釈や意見を差し挟まずにクライエントさん自身が使ったキーワードはそのまま大事にしながら、要点だけでも「伝え返し」をして、カウンセラーの理解と、クライエントさんの伝えたいことにズレが出てきていないかを照合することは大事です。

今、「クライエントさんが使ったキーワードはそのまま大事にしながら」と書きました。

例えば、クライエントさんが

「悔しくて」

という言葉を使ったところについて、カウンセラーが不用意に、

「腹が立って」

置き換えてしまうのは、実質的には無害なことも多いですが、時には、それだけでも、いつのまにかクライエントさんとの間に気持ちの溝ができてしまうこともあります。

ただし、こういう「言い換え」の微妙な危うさ、カウンセラーが体験的な実感として理解していないうちに、ただ「相手の言ったことをそのまま『鸚鵡返し』する」ようなことをドグマのようにカウンセラーの卵に教え込むのは、クライエントさんにカウンセラーが、非人間的な、ただの「鸚鵡返しロボット」のように感じさせてしまい、話を「聴いてもらっている」気がしない状態に陥らせる危険があります。

カウンセラーは、クライエントさんの気持ちに「触れようとする」という基本姿勢を失ってはならず、言葉の上での「理解」や「言葉の返し方」の技術講座になっては意味がありませんから。

この辺の勘所をつかむには、カウンセラーがフォーカシングをフォーカサーとして学ぶ経験を積み上げると、その「塩梅(あんばい)」が体験的に身につきます。

一言で言えば、カウンセラーがクライエントさんに同じ言葉で伝え返しをするのは、クライエントさんにその言い方で自分の実感にぴったりか照合してもらうためだけではなくてカウンセラー自身が、自分の身体にそのクライエントさんの言葉を発声しながら「響かせる」ことによって、クライエントさんへの「感情移入的なフェルトセンス」カウンセラーの中に「擬似的に」喚起するための手助けである、と私は考えています。

このことはたしかすでに治療者にとってのフォーカシング「現代のエスプリ 治療者にとってのフォーカシング」のどこかで私は書きました。

*****


2.「共感的理解」とは、クライエントさんの失恋体験とカウンセラー自身の失恋体験と重ね合わせて、その傷つきを共有することでしょうか?

カウンセラーとクライエントさんの心は、パソコン同士がネットワークでつながっているようにつながっているわけではありませんので(^^;)、クライエントさんの感じている「傷つき」を、カウンセラーに「転送」するわけにはいきませんよね。

その意味では、カウンセラーは、クライエントさんの話の内容や話しぶり、声の調子、身体言語などから受け止められるものを、自分の想像力と感受性を総動員して、自分の過去の類似の体験の時に自分がどんな「感じ」になったかとも重ね合わせながら「擬似的に」追体験しようとするしかありません。

場合によっては、クライエントさんが振られるまでの、具体的なエピソードとか、その時その時の思いを、さらに詳しく話しをしてもらうように、クライエントさんに促さないと、カウンセラーは、十分なリアリティと臨場感のある形で、クライエントさんの失恋の傷つきを「追体験」して「感じ取ろうとする」ことはできないかもしれません。

しかし、忘れないでくださいね。

どこまで行っても、カウンセラーの「失恋体験」と、クライエントさんの「失恋体験」は、別のものだということ。

私が、北山修先生の3000円以上購入で全国送料無料!(一部地域除)ザ・フォーク・クルセダーズ/戦争と平和「あの素晴らしい愛をもう一度」を引き合いに出した、「黄金のトライアングル」で述べたように、

> 同じ花を見て 美しいといった二人の

感じていた「美しさ」すら、実は「同じ」体験ではないのかもしれない。

まして、あなたの「花(恋愛体験)」とその人の「花(恋愛体験)」は別々のものでしょう?

でも、カウンセラーがそのことを謙虚にわきまえながら、なおも、クライエントさんの失恋体験の話を共感的に傾聴し続けている時、クライエントさんの間に、ある独特の「絆」が生まれ始めることが多いのは確かです。

******

次回は、この、受容と・共感的理解が、できなくなって行く方向に追い詰められていく、現場カウンセラーの赤裸々な現実を暴露しましょう。


(うーん、書き始めてみたら、この一連のテーマ、かなりの長期連載になりそうな気がしてきた)


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2005/10/01

相談に来た方の話を「受容しよう」と「がんばる」ばかりのカウンセラーの弊害

特に、カール・ロジャーズのクライエント中心療法的なカウンセリングの教育を受けたカウンセラーの陥りがちなジレンマは、

クライエントさんを受容しよう、しようと「がんばる」

ばかりとなり、

クライエントさんを「受容できない」カウンセラーとしての自分を、まだ「未熟だ」と責め苛(さいな)む悪循環にはまりやすいことです。

これが、もともと、他の人の顔色を伺い、本音を出せず、自分の気持ちを押し殺して順応する傾向が強かった人がカウンセラー修行を始めた場合、どうにもならない行き詰まりを生み出すことがあります。


私は、


カウンセラーの、クライエントさんへの共感的理解とは、『努力』して『達成』するものではなく、

カウンセラー自身が、

ありのままの自分=ありのままの「世界」

に開かれていれば、『向こうから自然とやって来る』ものではないか


と感じ始めています。


*******


このように言うと、少しカウンセリングを勉強した人だと、


受容、共感だけではなくて、カウンセラーが「自己一致」していること、

つまり、自分の経験と感情に開かれた、自分に正直でいられることと両立しないとならない、

とは、ロジャーズが「治療の3要件」として述べている。

そのことでしょ?」


とお感じかもしれません。


なるほど、私は、これまで言い習わされてきた言い方で言うところの、

「カウンセラーの自己一致」

「共感」「受容」のジレンマという問題について述べているつもりです。


では、現実のカウンセリング場面で、カウンセラーとしての「あなたにとって」、自己一致する、とは、どのようなことですか?


例えば、クライエントさんの語ることがあなたにとって不快なときに、


「あなたのそんな話を聴いていると嫌な気分になります」


と告げることですか?

それをやったら、今度は「受容」の方の条件が満たされなくなりますよね?


「自己開示」

という言葉が最近安易に使われる傾向がある気がします。

私がこの言葉がうさんくさくて大嫌いだ、ただの美辞麗句に過ぎないと感じているあたりは、

「私のフォーカシング」第1部最終回でも書きました。


> 石が『自己開示』しますか?
> 空の星が『自己開示』しますか?


などという挑発的な言い方で。

ひとは「そこにーいる」というだけで、すでに自分の存在を世界に曝(さら)しています。


これは先日、心理臨床学会での青山学院大学の北村文昭先生「カウンセリングにおける身体性」と題するご発表で、アフォーダンスと関連付けて述べられたことを会場で聞かせていただいた私が報告した時にも、北村先生自身のご発言からを引用したとおり、

「『非』言語的コミュニケーション」とは、ほんとうは「顛倒した」言い方であり、「身体性を持ってそこに存在し続けている」カウンセラーとクライエントさんが、まず先に「そこに-共にーある」

ここからは私の感想も入りますが、カウンセラーとクライエントさんの「言語的相互作用」なんて、その身体性の上に「乗っかってる」やり取りに過ぎないわけですね。

敏感なクライエントさんは、カウンセラーの語る「意味内容」と、声の調子やそぶり、漂わせる雰囲気が「一致していない」ことを、何となく察知しているものです

もとより、クライエントさんによっては、すごい、歪曲された形でそれを「意味づけ、カウンセラーの『本心』を決め付けてくる」ことも多いのですが、それはクライエントさんの生育暦や素質のせいばかりではなく、その火種は、必ずカウンセラー自身も、たいてい「見え透いた、形だけの、薄っぺらな受容」という形で蒔いています。

私は、クライエントさんが、えらく根の深い、ある種のボーダーライン性や妄想性を持つ場合は、「薄っぺらの」受容、あるいは「無理を重ねた」受容しかしなかった「歴代」カウンセラー、精神科医によって、「引き出され」、「増悪された」繰り返しの結果の可能性があると思います。

だから、私は、みゆきの中島みゆき/Singles 2000「空と君のあいだに」を引き合いに出して、


> 君の心がわかると、たやすく誓える男(=カウンセラー)に
> なぜ女(=クライエントさん)はついていくのだろう、そして泣くのだろう

といいたくなるわけです。


*****


では、私の考える、実際の臨床現場での、真の「受容・共感」と「自己一致」との共存とは何か?

それについては、続編で論じます。


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