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2005/09/10

「呑み込まれる」のではなく「つまみ食い」できるようになること

表題は、心理臨床学会で、学習院大学の伊藤研一座長(治療者にとってのフォーカシング現代のエスプリ 「治療者にとってのフォーカシング」の私との共編者)のもとで事例発表をされた、君津中央病院京谷幸一先生の語られた言葉。

私は、

「すばらしい『おみやげ』を先生からいただけました」

と思わずフロアからコメントしました。

京谷先生は、基本的には認知行動療法の立場を取りつつも、流派にとらわれずに、カウンセリングのエッセンスを自由に行き来しながら、私の長い大学学生相談の経験から見ても、最上級の見事なセラピーを、病院臨床の中でもなさっているなと感じました。

「社会的引きこもり」について、実は「登校意欲がない」のではなくて「登校意欲が過剰」なのだ、つまり、「きちんと学校に通えていないとならない」という強迫観念が強すぎるので、再登校できなくなるのだ、

というのは、

私の敬愛する、治療関係における「間」の活用不登校児から見た世界産業医科大学の増井武士(たけし)先生の名言です。

これは社会適応全般についても言え、社会や他者に「呑み込まれ」、「自分を失う」恐怖を超えて、社会を、自分のために「つまみ食い」して「利用する」という境地に辿り着けるかどうかは、ほんとうに鍵だと思います。

実は、世間並みの「自我の確立」とは、その程度のことを「きれいごと」として美化した言葉に過ぎないともいえます。

ただし、これは本人に理屈として理解しろといっても無理なこと。

「話を聴き、共に歩む、信頼できる、年長の人間」

とのかなり長期の関係性の中で始めて花開くことが多いと思います。

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