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2005年9月

2005/09/29

FirefoxからLunascapeへと浮気気味

私は最近まで,webブラウザといえばFirefoxの絶大な支持者だったんですが、どうもバージョンアップを重ねるたびに「重くなる」傾向が、やはり残念ながら出てきたようです。特にVer.1.5のBeta版にはそれを感じます。

そういう中で、気がついてみたら、Lunascapeを使うことが増えていました。GeckoとIEのエンジンを切り替えられるばかりか、同時に多数のタブを開いての操作がわかりやすい。そのへんのデザインセンスが、初期の「何か頼りなげなスカスカのIE」みたいなものからどんどん洗練されてきました。

私はこのブログを作る時、いくつものタブをひらいて、いろんなところからのリンクを寄せ集めてることが多いのです。特に
ソースネクスト turbolinux Personal スリムパッケージ版【税込】 TURBOLINUXPERSONAL-H [TURBO...TurboLinux
のブラウザ(Mozziraですが)並みの凄い軽快さを、Ver.3以降にバージョンアップしても維持しています。更に、機能簡略化したLite版まで出しているくらい。

まだの人は、一度お試しになってはいかが?

ただし、同じセットアップファイルに同梱されている"RoboForm"という自動ログインプラグインは、スパイウェア(アドウェア)を組み込んでありますので、同時インストールをキャンセルしたほうがいいかと思います。

800x600ピクセルの画面でも表示できるようにしました

ホームページ本部を一度いじりだすと色々気になる改良点が出てきてきりがないものですね。

ボタンアイコンが「中央ぞろえ」がいいか、「自動設定」がいいかとか、Gecko系とIEで生じる微妙な差異とか。

Top Pageは、800x600ピクセルの全画面表示でも横幅のスライドバーが出ないことを基準に設計しました。

特に、現在の多くの14.1インチのラップトップパソコンで、フルカラーでのデフォルト的になっている、1024x768ピクセルの画面で表示する皆様は、横幅のスライドバーが出ないように、IEでいう「エクスプローラ・バー」を調整してご覧ください。

「小は大を兼ねる」に徹してみたつもりです。

「阿世賀浩一郎のホームページ」のTop Page衣替えしました

どうみてもやっぱり私のホームページ本部、「阿世賀浩一郎のホームページ」(これが正式名称なんです.....)のTop Pageって、構造がわかりにくくてごちゃごちゃしてるよなあ......と最近常々感じていたので、学会後のWeb活動の再開の最初の仕事として、かなりの大整理を断行しました。

「そうか、そういうコーナーがあったんだ!!」

と、皆様に、今更のようにいろんなことにお気づきになられてしまいそうですが......(^^;)

今後も、本部サイトのデザイン面での手直しは続けますので。

2005/09/27

人間性心理学会では、ばててました(^^;)

昨日深夜、福岡、九大での日本人間性心理学会第24回大会から帰還しました。

行きは実家の久留米に帰る時は、恒例の「はやぶさ」B個室でしたが、「さくら」と一緒にされ、今度は「さくら」が廃止、「富士」と一緒にされて、サロンカーもなくなり、唯一の東京発九州行きブルートレインになったしまったのはさびしいものがありますね。あのB個室の車両ももう20年は同じものではないか。

実はおととい夕刻【楽天トラベル】 SKYMARKで帰る予定だったんですね。ところが、インターネットでの予約確認のメールのブリンとアウトを忘れてきていたので「念のため」おとといの朝のうちに「コールバック」(帰りの便の予約確認)を電話で入れました。

すると、何と「羽田発、福岡行き」の切符を予約していたことが判明してしまいました(^^;)、キャンセル料をとられずにすむ最善策は、昨日の「福岡発、羽田行き」最終に切り替えることでした(^^;)

*****

大会そのものは、久留米の実家からの通いということもあり、更に直前の追い込みで無理をしたせいもあり、はっきりいって2日目の藤嶽さんたちとの共同発表自分の発表で燃え尽きておりました。

その日の晩の懇親会と2次会に最後までお付き合いし終わり、「有明」の最終で実家に帰りついた時点で「非常事態切り抜けモード」のブレーカー「健全に」降りてしまったので、その「自然」に逆らわないことにしました(^^;)

実家で,だだ爆睡し続けました。

そんなこんなで、心理臨床学会の時とは打って変わって、途中での報告を放棄しました。すみません。

その「空白の6日間」の中、毎日百数十名おいでいただき続けたことには感謝いたします。

3日目、発表会場に会場に行くとお約束した皆様、そういうわけで、ごめんなさい。

藤嶽さんたちとの共同発表は、藤嶽さんがその日の朝までご自身でパワーポイントに手を入れ続けられた結果、最善の形になったと思っています。

私の発表のほうは、扱うテーマが、私の中で"Work in Progress"そのものでテーマが大きすぎたために、少し舌足らずになったと私自身は感じています。

ただ、「フロイト」「おませでスケベな小学生の私」「演じ分け」は、あとで感想を聞くと、妙に受けてしまったみたいですね(^^;)

****

一日目の「学校教育現場で生かすフォーカシング」のワークショップでの、東京都を代表するスクールカウンセラーの一人、ABCフォーカシングセンター(リンクは過去のワークショップへのリンクです)の主催者、天羽和子さんの最後に提示された事例には、言葉にならない感銘を受けました。フォーカシング的な態度で「共にーいる」ということそのものの奥深い意味について考えさせられました。

すでにご紹介した、土江正司さん「こころの天気」、やっとライヴで教えていただく機会を得て、やっと何か「勘所」が掴めてきて、これなら自分でもやってみたいと思うにいたりました。

いずれにしましても、九州の大会関係者の皆様のご準備と当日の運営、お疲れ様でした。

2005/09/20

「黄金のトライアングル」3D図版公開

というわけで、理想的なセラピーの瞬間に私が生じていると考えていることを空間図式化した

「黄金のトライアングル(黄金の三角錐)」

図版、初公開です。

初の「3D画像」製作挑戦で、これだけでむやみな手間がかりました。

まー、あとは、お上人様レイちゃん海綿様とフロイトの画像をパワーポイントに読み込ませれば、私の発表のパワーポイントは最低限できたことになるので(^^;)、残りは藤嶽さんたちとの共同発表の分の「仕上げ」だけです。

「黄金のトライアングル」の画像は明日までに確実にUPします。

おととい、昨日は、我ながら滅多にできそうにないくらいの「現場カウンセラー」としての私の現在の集大成に近い「三部作」を一気に書き上げた(あれ、みんな「即興で」書いてます!!)もので、クライエントさんとの約束がない(今日は人間性心理学会の発表ののための追い込みだろうと想定して意識的にあけてました)、のを幸い、ボケーっとすごしました。

「三部作」への皆様が沢山アクセスしてくだっているのを(初の1時間50に迫るアクセスもありました。おかげで夕方になる前に200突破!!)、コントロールパネルから確認しながら、仮眠をとりたくなったらあっさり昼寝を繰り返し、学会発表の未完成のパワーポイント(私個人の分と、藤嶽さんたちとの共同発表の分)をチョコチョコいじるだけで気がついたら夜になってました。

恐らく、その副産物として、以前からお約束の「黄金のトライアングル」図版を深夜にはUPしてると思います。

それでもまだ明日の夜の「はやぶさ」に間に合うまでに気力が有り余っていたときだけ、レイちゃん登場後の続きはUPしますね。

2005/09/19

私のスーパーバイズ ~実践編~

さて、一気に、スーパーバイズ論、後編。

 私がやっていた、実際のケーススーパーバイズ(ケーススーパービジョン)の手法を公開してしまう、ということをこれからやってみます。

*****

幸いにして、というか、私にスーパーバイズを求めにこられた方は、若い方が多く、現場でのカウンセリングのケース量もまだそんなに多くない方が、多いです。そして、特定のケーズについて、せいぜい数回の面接の展開について助言を求められることが多い。

そこで、ここでは、そういう若いなりたてカウンセラーへの、クライエントさんとの面接回数がまだ少ない場合を前提に書いてみましょう。

ケースたくさんになると、ケーススーパーバイズや事例検討会のための、面接記録のまとめなおしそのものが、忙しい中、膨大な手間と労力がかかる作業になってしまうんですよね。

私はできればその種の「ケース提出者」になることはもうあまりやりたくないです(^^;)。

でも、まだ持ちケースが少ないうちに、特定の事例について細かくまとめなおし、検討する機会を持つことはたいへんな勉強になります。

*****

私は、基本的にはスーパーバイジー(助言を求めに来たカウンセラーさん)のニーズを伺い、それに沿った進め方を柔軟にとるつもりです、何なら、ケース記録のまとめなしで、口頭で、気になるケースについて思いつくままにお話になってもかまいません。

しかし、「スタイルは先生に任せます」と一任されたら、ケース記録を作って来れる方には、次のような要請をします。

1.クライエントさんの語ったことについてだけではなく、その時クライエントさんに、カウンセラーとしてのあなたがどう応答していたかも、要所要所でいいから、書いてきて欲しい。

.......よく、事例検討会や、学会の事例発表とかで、クライエントさんが言ったことばかりを延々と書き連ねて来る方が居ます。

あの~、カウンセラーとしての「あなた」は、「そこに-いた」わけでしょ? そして何らかの反応をしたわけでしょ? その結果としてクライエントさんの反応の展開がこうなった、という相互作用の過程全体を振り返る必要があると思うんですけど、といいたくなります。

中には、

「私はここでこのクライエントの治療者への負の『転移』感情について『解釈』した」

とだけ書いてあったりする。

あの~、その「転移感情の解釈」とやらを、どういうタイミングで、どういう言い方でしたんですか?

私は、面接場面全体が彷彿としてリアルに伝わってくるような事例提示が、「どんな流派でも」必要だと思っています。

****

2.できれば、クライエントさんのやり取りのさなかにカウンセラー自身が感じていた漠然とした居心地や、色々な連想も、思い出せる範囲で書いてきてもらうと助かる。

(例えば、

「ここで私は、『しまった、動揺して、苦し紛れにこんなこと言ってる!』と感じていた」

とか、素朴な書き方で十分)

つまり、面接をしながらのカウンセラーの内面の「実況中継」も書いてきてもらうと助かるのです。

もちろん、それを訊いてみたくなったら、書いてきてもらってなくても、私は、スーパーバイズのその場で尋ねますが。

****

次に実際のスーパーバイズの場で、スーパーバイジーのカウンセラーさんと、私がどんなやり取りを進めているか、です。

1.適当な、あまり長くはならない区切りで止めて、

「ここまでの部分で、あなた自身、この面接の展開を、今、どう思う?」

これに対して、例えば、

「この部分で自分がこんな言い方をしなくてもよかったかなと思います」とスーパーバイジーさんが言うのなら、

「じゃあ、どういう言い方をすれば、もっとよかったと思う?」

「うーん......」

とスーパーバイジーさんが考え込み、ためらいがちに自分なりのアイディアを見つけ、語りだすのを私はじっと待っています。

私も、自分の中で、「どんなふうに対処するのがもっとよかったか」を探して、見つけようとしていくのですが、スーパーバイジーさんより先にそれを告げることはしません

不思議ですが、こういう、沈黙しながら共に考え、感じてみる時間を、スーパーバイジーさんと共にすると、スーパーバイジーさんは、決して、というのに近い確率で、「どうにも頓珍漢な」改良案とかは言い出しません

それどころか、私が自分で考えていたのとはまったく別のアングルから、私も感心するくらいの新鮮な改定案を提示してくることもすくなくありません。最悪でも、”2nd choice"というか、「次善」の策、あるいは「害のない」案を出してきます。

*****

3.次に、そのスーパーバイジーさんなりのアイデアとその長所を具体的に感想として述べ、それについて多少やり取りをした後で、まるでおまけのように、

「あなたのもいいけど、私なら、例えば、こう言葉を返したかも」

と、私の考えていた答えを伝えます。

そして、

「でも、私のの方がいい、という意味ではない。面接にはカウンセラーその人のあり方に応じたいろんな対処があるし、どんなカウンセラーでも、一回の面接で、すべて最良の応答なんてできてないから」

とか、言い添えます。

*****

4.こんなことを、例えば、

「この部分で、クライエントさんはどんな気持ちでいたんだろうね?」

「この部分で、もっとよく対応できたと感じるのはどの部分?」

「この部分で、あなたが結構うまく対応できたと感じるとすれば、どの部分?」

「この部分では、何が面接の展開の鍵だったと思う?」

みたいなバリエーションで繰り返します。

****

つまり、スーパーバイザーの私が「どうすればいいか」を教えるのではなく、可能な限り、スーパーバイジーのカウンセラーさん自身に、自分の面接を、丁寧に感じなおし、しかも自由な発想で振り返り、答えを見つけるように促すのです。

私はこれを

「スーパーバイジー・センタードのスーパーバイズ」

と呼んでいます。

このやり方は、そのカウンセラーの中に、早い段階から、

自分なりの「内なるスーパーバイザー」

つまり、「カウンセラーとしての自分」「クライエントさん」の面接の相互作用全体「俯瞰」し、冷静に、しかし「両者」に思いやりをもちながら(!)見守る、「第3の目」を育成するための訓練のつもりです。

******

最後に一言。若い臨床家に。

何がクライエントさんのためになるのかを、自分自身で、試行錯誤しながらでいいから、クライエントさんと共に感じ、考えられるカウンセラーを目指してください。

「大先生」や、指導教授や、スーパーバイザーに「気に入られる」かどうかを、クライエントさんを大事にすることより大事にしている段階からは、早く卒業しなさい。

そうでないと、あなたのクライエントさんは、カウンセラーである「あなた」に「気にいられ」たい、という「呪縛」を超えられず、ほんとうの、その人なりの成長を、あなたは援助できないでしょうから。

さもないと、あなたはそのクライエントさんがカウンセラーになるためのモデルしか提供できないことになるでしょう。そんな「ネズミ講的構造」にはめさせることばかり多いカウンセラーにはならないでくださいね!!

「先生のように、カウンセラーを目指すことにしました」

あまりに多くのクライエントさんに言わせ始めたら、あなたはプロじゃない。

「カウンセラーになりたい」なんて言い出すのは、100人に一人の変わり者でいいんですよ(^^)

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「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~

欝についての記事に続いて、精神医療とのカウンセラーの付き合い方についての私見を書かせていただいたら、これまたどっとこのブログの瞬間最大アクセスが急上昇しました。

そこで、ここで一気に、以前このブログでも書くとお約束した私の「スーパーバイズ」観について書きましょう。

*****

一般の方のためにまず説明しますと、「ケーススーパーバイズ(ケーススーパービジョン)」とは、カウンセラーが、自分のクライエントさんとのカウンセリングの過程について助言を受けるために、経験豊かなカウンセラーに、一定の時間と時刻を決めて、一定料金を払い、多くの場合、ある程度継続的・定期的に相談することをいいます。

これに対して、カウンセラーがますは自己修養するために、自分の流派の先達をカウンセラーとして、実際に「本物の心理療法」をみっちり継続的に受けること「教育分析(教育カウンセリング)」といいます。

日本では、この「スーパーバイズ」「教育分析」ということがごっちゃになされていることがまだ少なくなく、クライエントさんとの関わり方について助言を受けに来たカウンセラーが、

「このクライエントさんとうまく行かないのは自分の性格にまだ未熟なところがあるためだ」

という「自虐的」モード(!)にはまりやすいのですが、

私は「スーパーバイズ」「教育分析」は、本来、別人の先達に、切り離して受けるのが正しいという考え方に立っています。

だって、(少し厳しいことを言うようですが)プロって、結果がすべて、「自分の性格がまだ至らないからだ」といくら弁解しても、言い訳にならないでしょ? 

「スーパーバイズ」とは、あくまでも、すでにプロの(あるいは、プロになりつつある)カウンセラーが、自分のカウンセリングの技量を磨くための場です

その一方、「教育分析」は、本当に情け容赦なく自分が「クライエントになって」自分を見つめなおすことです。

カウンセリング技量の向上と、カウンセラーの人格的成熟、この二つには、当然切り離しえない側面もあります。しかし、どちらが主で、どちらが「背後で暗黙のうちに結果的に伸びていくこと」なのかは、はっきり区別する「別の設定」がある方が生産的と思います。

もっとも、教育分析家とスーパーバイザーの考え方があまりに異質だと、若いカウンセラーの皆さんは混乱するだけになるとは思いますから、そのあたりは先輩や指導教授と話し合って決めるのがいいかもしれませんね。

「ケーススーパーバイズ」が先で、「教育分析」は後から始めるのでも、何も問題ないと思いますよ。「完璧に成熟した、性格的欠点のない人」なんてこの世に居ませんから、改めて自己修養の必要を感じた時点で「教育分析」を始めるのでも一向構わないと思います。

ついでにいいますと、「スーパーバイズ」も、「教育分析」も、大学の自分の直接の指導教授には受けないのが、正しいあり方です。社会的に直接の「上下関係」にあるもの同士では「本当の修行」になりません!! 時には別の流派の先達に教育分析やスーパーバイズを受ける方が効果的なこともあります。

******

さて、助言を求められるカウンセラーは「スーパーバイザー」と呼ばれますが、特別にそのための資格があるわけではあません。敢えて言えば、助言を求めに来たカウンセラー(「スーパーバイジー」といいます)が「臨床心理士」なら、「スーパーバイザー」も「臨床心理士」でないと、臨床心理士としての資格更新(5年毎)のための研修「実績」と認定されない、というくらいでしょうか。

実は、私、開業の時に、開業の先輩に、

「スーパーバイザーになるには何か資格認定協会に特別な書類を出して選考を受ける必要があるんでしょうか?」

とお尋ねしたんですね。そしたら、

「特にない」

とあっさり言われて拍子抜けしました。

その、私なりのスーパーバイズ進め方についての考え方は、少し長い文になってきて、ここまでは心理臨床の世界では入門的な常識(のはず!!)と信じてますので、記事を別立て、初の「前・後編」にします。

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5分診療の神経科・心療内科の現実といかに対処するか

昨日の「欝」についての記事は、どうも当ブログ始まって以来最大の反響を呼んだようで、upした直後から現在まで、記事数の多い私のブログの中で、シェア4分の1近くを占め続けています。

「働け過ぎ」(誤字ではありません)の問題に、どれだけの方が身近な切実な問題として直面しているのか、伝わってくる思いをさせていただきました。

そこで、もうひとつだけ、現場カウンセラーとしての私の本領発揮の、でも、あまり話題にされず、しかしこの問題で悩んでいる人が多い話題を書きます。

******

地域のたいていの開業医は、待合室に十数人の患者さんが寿司詰め、お医者さんと話ができるのは数分間という状況で運営されています。

これは、精神神経科や心療内科でも同じことでして、

カウンセリングに来る方から「通っている病院では十分話を聞いてもらえないから、ここに着た」という話をよく聞きます。

実は、病院でのカウンセリングの「保険点数」はきわめて低く、それで2,30分も保険診療の枠内で一人の患者さんにかけていたら、病院の経営が成り立たないわけです。

仮に、そのクリニックが別にカウンセラーを雇っていても、実はカウンセラーを雇う経費という点だけからすれば赤字になるのを覚悟で雇っているところが多い。

******

そこで、日本では、現実的には、医療とカウンセリングが「別の場所」となる役割分担と相互の連携が必要なクライエントさんがたいへん多いはずということになります。

しかし、こうした「通院中のクライエントさんに、カウンセラーがどういうサポートができるか」という問題について、本当に徹底した議論がなされてきたとは私には思えません。

薬はお医者さんに任せ、カウンセリングするだけ、

大変になりすぎた時だけ、「お医者さんに『ゆだねて』しまう

といったことが、まだかなり多い気がします

(ちょっと皮肉を込めたつもりですが....)

カウンセラーは、単に5分診療のお医者さんに話せないクライエントさんの、もっと話したい欲求を「埋め合わせる」ためにのみ機能すべきではないし、

かといって、反対に、単なる「カウンセリング」や「心理療法」をする存在にとどまってはならないと思います。

*****

敢えて結論から言います。

そのお医者さんとの「5分間」でクライエントさんが何をお医者さんに伝えると「効果的」かについての「コーチ」役、

ということがまだ忘れられてはいないでしょうか。

何しろ50分から1時間の話をクライエントさんから聞けるのです。一見主訴とは関係なさそうな話題をクライエントさんは山のように話しているはずです。

いつも主訴に関わる話題だけになるクライエントさんとしか会っていないカウンセラーは、クライエントさんにひどく窮屈な思いをさせて、「カウンセラー中心療法」をしているのでは? と疑いたくなります。

そうした中で、クライエントさんは、カウンセラーがクライエントさんの「状況を俯瞰して」みる限り、もしそのことを医者が知らないままとすれば、あまりにもったいない、といいたくなる話を、なんともさりげなく始めたりします。

クライエントさんご本人も、それが自分の主訴の治療に関係ないとすら思っている場合の方が多い。

例えば、うつ状態の改善をめざして通院しつつもカウンセリングに通っている患者さんが、

「実は一緒に住んでる母が、今度入院して手術を受けることになったんです」

「実は親父がリストラで会社を首になったんです」

などという話を、何かのきっかけで話したとします。

「それ、あなたの会っているお医者さんに伝えた?」

というと、

たいてい「いいえ」といわれます。

回復期の欝の人に限らず、およそ通院が必要な水準まで心の問題を抱えている人は、それを支えている家族の他の誰か一人が家の中で機能しなくなるとか、「実家の」経済基盤に大きな変化が生じるというだけで、実は相当なストレス要因、あるいは「余裕の喪失」を抱え込むことになります。薬がそれに応じて変更されたとしても何もおかしくありません。

あるいは、精神症状と一見無関係な一見些細な身体症状の変化

「風邪を引いて2日仕事を休みました」

「最近下痢が増えました」

とか。

私は、こうした時、よほど特別な場合を除いては、お医者さんに宛てて「○○クリニック ○○先生 御机下」に始まる「公式の『経過報告書』」を書いて、クライエントさんに持たせるということもしません。

「1.○○○があった
 2.△△△になった
 3.身体の調子が□□□だ

この三点だけは、「絶対」、今度お医者さんに会ったらお伝えするようにしてね。

私は医者じゃないから、確言できないけど、ひょっとしたら薬の処方とか、変わるかもよ」

念のために、それらを箇条書きにして「メモ用紙に」書いたものと、私の名刺一枚を、クライエントさんに渡して、

「お医者さんに渡してね。お医者さんが、私からもっと詳しい状況を聞きたければ、『いつでもお電話下さってかまいませんと、カウンセラーが言っていました』とも伝えてもらってもいいから」

ということまですることもありますが。

******

私は、特別な場合を除き、こうしたことをお医者さんに伝えることを、クライエントさん本人に委ねます。

カウンセラー自身が、クライエントさんの許可を受けた上だとしても、クライエントさんの「頭越しに」医療機関へと連絡を取るのは、ほんとうにこのままでは本人の心身に多大な悪影響が出る可能性が高い水準の「危機介入」が必要な場合と考えています。

もっとも、本人があまりに心細そうだったら

「あなたの了解の下に、お医者さんに電話を入れてもいいよ」

とも、わりとあっさり応じますが。

(もとより、カウンセリングのはじめに、通院していると知った時点で、「カウンセリングを始めたことは、お医者さんに伝えて欲しい」とは、名刺を渡して必ず言い添えています)

*******

こうしてお医者さんの「5分間診療」の密度を上げ

「そうか、こんなことをお医者さんに伝えればいいんだ」

ということをクライエントさんに「身につけて」もらう為にも、

ほんとは、こんなふうな、

「コーチ役」

カウンセラーにとって、大事な役割だと思ってます。

これは、そんなに高度な医学についての専門知識がカウンセラーになくても、できる筈のことです。

ちなみに、カウンセリングを始めてからお医者さんを紹介する時は、原則的にきちんとした『紹介状』を書きますよ。

(すでに信頼関係と過去の実績があり、紹介状なしでもそのクライエントさんに間違いのない対応をして下さる確信が私の中にある、ほんの2、3の開業医の方を除いては)

クライエントさん本人にも読んでもらい、納得してもらえる形でのものにします。

*****

【追記】

 私が実際の開業心理臨床の現場で、通院中のクライエントさんのために、いったいどのくらい、精神医療との関わりについてのサポートをしているのかについての具体例を、次の記事で詳しく書きました。

●薬をやめることをお焦りにならない方がいいですよ(当サイト)

 よろしければ、ご参照ください。

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2005/09/18

欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている(第3版)

さて、「欝」の人というと、皆さんはどんなイメージをもたれますか?

げっそりとやつれ込んでいて、何にもやる気が出ず、「自分がこんな状態では周りに申し訳がない、死んでしまうしかない」と、切々と涙をこぼしながら訴える人?

いいえ、

「客観的に見ればその人が疲れ果てたり、泣き言を人に言いたくなるような状況下においても、全く平気そうに、明るくすら振舞い、精力的に勉強や仕事を続けている人」

がいたら、その人はすでに「欝」にはまりつつある、と私なら判断します。

つまり、「自分がつらい筈のに、つらいという自己認識が、その人から『1,2週間以上』失われてしまった」ら、その時点で、その人は、欝への道をまっさかさまに突き進んでいます。

******

人間に限らず、動物一般には、体内・脳内の状態を「非常事態切り抜けモード」に切り替える自動スイッチのようなものがあります。自然の大災害や命の危険にさらされると、それが発動して、いわゆる「火事場のクソ力」状態になります。

長時間睡眠とかをとらなくても移動し続けたり、頭の回転が鈍らなくなるのです。

大地震の直後、一気に途方にくれて何もできなくなる人ばかりかというと、そうではなく、むしろ普段は発揮されないくらいに冷静に、不眠不休の活動をし続け、善意の相互扶助のコミュニティを広げ、自然に活動を続ける人が意外なまでに多いというのは、結構知られたことでしょう。

あるいは、兵士は、最前線での戦いのさなかなら、一週間の不眠不休の戦闘や行軍にも耐えられてしまいます。

しかし、この「非常事態モード」は、多くの場合、1週間ぐらいしか持たないものです。

ハリケーンにせよ、大洪水にせよ、たいていの自然災害というのは、どんなに巨大なものでも、一週間以上、そのピークが続くものはありません。生き残れた、移動できる動物は、1週間のうちに、安全な土地に移動しているでしょう。

動物の体内スイッチは再び「非常事態切り抜けモード」から自然と「オフ」になり、むしろ「休息しながらの充電モード」になり、次第に「日常モード」に復帰するでしょう。

人間も、この「動物的」メカニズムを受け継いでいるだけなんですね。

人間にも、種の保存のため、この「非常事態」への耐性が特に強い遺伝子を受け継いだ人たちかいると思います。

*****

ところが、人間は、必ずしも自然の摂理に一致しない「文化」というものを築いてしまいました。そして、客観的に見れば「生存の必要性からすればそこまでしなくても生きていけるはず」の社会活動や仕事に、まるで「非常事態モード」にはまった場合と同じように、不眠不休で打ち込み続ける泥沼から抜け出せなくなる人も出てくるという問題を抱え込むようになったのです。

典型例。

配置転換されたり、昇任して、仕事の量がぐっと増えた。ある時期まではそれを本人は大変だ、睡眠不足になってきた思いつつも、歯を食いしばってがんばった。そのうち、同じ役職にある周囲の人は身体の病気になったり、する休みをはじめたり、仕事をやめてしまったりしてもその人はがんばった。

いよいよその人の「勤勉さ」への周囲の期待と依存は高まる。

その頃になり、気がついてみると、睡眠時間が非常に少なくても疲れを感じなくなる。

その人は、自分の「気力」が勝った!! などと思いつつ、それから2,3ヶ月は明るい顔で元気いっぱいで働き続ける。

数ヵ月後、何かのきっかけで、彼は「うつ病」と診断される。

「やれます! がんばれます」

と本人はそのことを受け入れない。ほんとにやれそうな気でいるのである。

それでも彼の状態が心配な人事課長は、会社の産業医との面接を勧めて、産業医の説得で、しぶしぶ休職を受け入れる。

その2,3日のうちに、彼は、自分が何をするのにも億劫で、トイレや、1,2メートル先の冷蔵庫の食べ物の扉を開けようとしても、身体が動かないまま、いつの間にか日が暮れているのに気づく。

「非常事態切り抜けモード」のスイッチが、自然に、ブレーカーが落ちるように落ちるのが、この人の場合、あまりにも遅すぎたのです。

そのブレーカーが、休息と薬の助けと自然治癒力の中である程度回復するのに、数ヶ月から年単位かかるわけです。

世間の人々は、この状態に陥った「後の」人の「欝」についてのイメージしかありません。

彼は、とうの昔に、「非常事態切り抜けモード」のブレーカーが再びOFFに自然に切り替わることができなくなった時点で、すでに病気だったともいえます。

*******

だから、欝の人は、見かけ上人よりすごく「元気」で「社交的」だったりする場合も多いという「逆説」があります。

「見かけは」元気そうでも、「言っている言葉の内容を文字通りに受け止めると」、この人、つらい状況にあるはずなのに、と、そこにある種の、態度と言ってることの「不自然なギャップ」を感じたら、その相手は欝にすでにかなりはまっている可能性があります。このことは、先日「アフォーダンス」について書いたとき、終わりの方で述べたことにもつながります。

回復後も、無理をせずに休息を取るベースをわきまえるまでが、通常のケースではいへんです。欝病者とは「無理をしたがる」ものですから。

そして、上司や同僚も、元気だった頃の彼のイメージ(そっちの方が「スーパーマン」過ぎた「異常事態」だったのに!!)だけを引きずって、

「もう『治った』のなら、フルに働いてもらう」ということを要求しやすい。

パソコンや自動車が「修理」されてきたのとは違うんですけどね!!

なぜ、鬱病は、回復期の上昇カーブにかかったあたりで自殺率が高いといわれるのかも、こうした理由によります。

少し調子を取り戻したつもりで、仕事に復帰したら、まだ思うように仕事ができない、すぐに疲れ果てる自分に直面して悲観するわけですね。

一度欝はまった人が、ちょうどいいペースで仕事をするとはどういうことかを、少しずつ社会復帰しながら自分なりのスタイルを完成させていく、というのは、ものすごく大変なことです。

周囲の期待と、「元通りに働きたい」という「焦り」に押し流されず、前ほど「お人よし」で「便利な人」「いい人」であることを放棄して、マイ・ペースの生き方に切り替えていく。

もし、そのことに本当にうまく成功して、新たなライフスタイルにたどり着けたら、ひょっとしたらその人は、前ほど「しゃにむに」働かないけど、一回り大きくなり、ほんとうの資質を開花させ、真の意味で組織や社会に「必要な」人間に脱皮しさえするかもしれません。

******

こうしたことへの認識がもっと広まれば、そういう「『働け』過ぎ」の人に、実は依存して、彼らを犠牲者として成り立っている、現代社会も少しすつ変わるのに、という思いを込め思いつつ、私なりの言葉で書いてみました。

少しでもこれが世間の「欝」についての著作より「新鮮に」響けば幸いです。

*****

こちらの記事もご参照下さい。

追記:更に、「続編」というべき記事を新たに書きました。

*****

※鬱についての精神医療、特に薬物療法についての私のスタンスを、NHKスペシャル「「うつ病治療 常識が変わる」への感想についての連載記事という形で、私が福岡県で開業している「久留米フォーカシング・カウンセリングルーム」サイトで公開しています。

●NHKスペシャル 「うつ病治療 常識が変わる」への感想 : 総目次

 1ページで連載全体をを続けてお読みいただけるようにも設定しましたので、どうかご活用ください。


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2005/09/17

「藤嶽法」グループフォーカシングについての共同発表について

今日は「第3土曜」ですが、この日は月に一度だけにしている、都心の九段南にある日本精神技術研究所心理臨床センターフォーカシングの個別指導担当する日として現在も残してます。

もし、どうしても大船ではなくて、月イチ、原則第3土曜でいいから、都心で私のフォーカシングの指導を受けたいという方がおありでしたら、私の名前指名で結構ですので、日本精神技術研究所に直接申し込んでください。

私はこの月イチの機会に、都心でしかできないできない用事(例えばアキバでしかできない買いものとか)を集約することにしてますので、実質一日がかりになります。

もっとも、最近は、楽天とかの通販で安いものを見繕うことが多いので、私の行動範囲の「北限」は、川崎のヨドバシということが多いのですが(あそこは品揃えはいい。東急ハンズとなると、川崎店はワン・フロアだから横浜店にはかないませんが。ちなみに、アキバに「殴りこみ」をかけた(?)ヨドバシにはまだ行ってません)。

いずれにしても、こうしたわけで、さすがに大きな更新はおやすみです。

今日は、次男の誕生日のプレゼントを買いに帰りがけ東戸塚のトイザらスに寄って、今しがた帰って来ました。


*****


さて、今度の学会での「もうひとつの発表」について、このブログの「本文」では言及していなかった気がするので御紹介。

四日市で月に一度,藤嶽大安さんという、自ら「藤嶽法」という、独自の実に緻密なグループフォーカシングの技報を生み出した人を中心とするフォーカシングの研究会に参加することを数年続けてます。この方も、僧侶(地元の名刹の跡取り)にして、私立中高一貫の教師カウンセラーとして、たいへん忙しい生活をされています。

このグループの方たちとの発表が、今度の人間性心理学会での「もうひとつの」発表。連名発表者だったらいくつもかけ持ちできます。

この勉強会のため、ほぼ確実に月イチ、しかも泊り込みの日や、皆さんの都合でわずか2週間後が次回なんていう時もありますので、私にとっては何と都心よりも四日市の方が親しみのある土地になってます。

この藤嶽さんたちグループも、私にとって掛け替えのないフォーカシング仲間です。

この「藤嶽法」というグループフォーカシングの技法は、学校教育現場、生徒やご家族とのカウンセリングなと、いろんな適用範囲は考えられますが、私の思うに、カウンセラーの「共感能力」の訓練(研ぎ澄まされた、端的で、手短で、クライエントさんの心に本当に届く、共感的応答の訓練)としては、シビアだけど、無茶苦茶力がつくトレーニングになります。

詳しいことは、共同発表であるため、私だけの責任では、実際の学会発表前には紹介できませんが。

ただ、パワーポイントのプレゼンテーションは、今年は私だけの個人発表よりも、藤嶽さんたちとの共同発表のほうで、「凝った」ものに仕上げました。まだもう少し最後に手を入れる必要あるんですけど。

ただ、長年の共同作業の中で、私も多大な刺激受け続けて来た藤嶽さんの名前と、「藤嶽法」フォーカシングというものがあることは、ネットの検索でも引っかかるようになって欲しいという思いを込めました。


****

そうそう、以前書きましたっけ、人間性心理学会大会は、会員でない一般の方も「臨時会員」として参加費を払えば、大半の行事に出席できます。

私の発表は、藤嶽さんたちとの連名共同発表の次ですが、内容的にも連関しています(敢えてそうプログラムするように準備委員会に要請したのですが)。

この「連続発表」は、9月24日土曜日の午前9時30分から計2時間、九大の箱崎校舎、202教室です。

去年は、私のayu自主企画を観たいがためだけに結構高い参加費を払ってくださった学生さんがいましたね。本当にありがたかったです。

あれから「いろんな経緯」を経て「こうなっちゃった」けど、今もこのブログを観に来てくださってるのでしょうか。

5日かけずに1000アクセス達成!!

・・・・・というわけで、昨日はヒルティなどという無茶渋いネタだけだったのに、5日目の午後8時代にすでに週間アクセス1000を超過していたようです。

同時に通算15000アクセスも突破、10000アクセスから40日かかってません。つまり1日平均125ぐらいと言うことになりますが、この10日ぐらいはほとんどの日が200アクセス以上です。

皆様、ありがとうございます。

どんどん弾みがついてますが、自分のフェルトセンスに正直に、わがままなまでにマイペースで、その時書きたいこと「だけ」を書き、休息する時は休息します。

決して無理はしないつもりです。

それにしても、我ながら、「聖」も「俗」も、「高尚」も「通俗」もない、「ほんとにこいつは一人の人間か?」というくらいに、すべてを同一次元で平然と語るのが私の持ち味と思ってます。

こういうカウンセラーも珍しいとは思いますが(^^;)

そんなに無茶苦茶な読書家ではないんですよ。皆さんの書棚の方が本の数は多いかもしれない。

知ってることを書いてるだけで、知らないことは書いてませんから(^^;)

J-POPだって、ayuとみゆき以外は普通の同年代の人より聴いてないと思う。

要するに、「浅く広く」が出来ない人なんです、私って。

でも、それを何年もやってれば、守備範囲は自然と広がります。

2005/09/16

ヒルティとフォーカシングについて、続編

この前の書き込みでは、「宗教的著述家」と紹介したので、まるで隠者みたいな人をイメージされかねないですけど、正反対です。

19世紀の後半3分の2ぐらいを生きて、第一次世界大戦直前に亡くなった、スイスのベルン大学の国際法の教授にして国会議員、ついにはハーグに設立された国際仲裁裁判所の初代判事(というと、私の「浩一郎」という名前の由来である「なるちゃん」の奥さんの「おわちゃん」のお父さんの大先輩?!)、スイスを代表する法律の大家でした。

アプサントというお酒がある。このお酒、当時大流行して、印象派の絵の題材とかにもなっているけれども、中毒になると精神症状が生じて犯罪にも走るものが大量に出て社会問題になった。

このアプサントを生み出した国がスイス。そのスイスで1907年「アプサント禁酒法」が成立してから、国際的な規制が始まったそうだけど、この法律の制定に尽力した立役者が、当時国会議員をしていたヒルティらしい。

ヒルティは永世中立国スイスの国際法の大家として、どうすれば国際平和が保てるかにも尽力していた。要するにバートランド・ラッセルとかの先駆者でもある。だからこそハーグの裁判所の初代判事にもなることになる。

******

つまり、すごい「実務家」でむちゃくちゃに勤勉な人。一日10時間完全に規則的に働いた。75歳の祝賀会を大学が開こうとしたら「もっとも都合のよいのは朝の7時」と応えた逸話は当時有名だったらしい。

でも、古今東西の書物に通じた恐るべき読書家でもあった。もちろん最終的には聖書を何より大事にするんだけど、コーランでも中世の神秘思想家でもギリシァ・ローマの古典でも、当時「現代人」だったニーチェやドストエフスキーからマルクスの「資本論」まで何でもかんでも読んでいた、スイスの法曹界の「中井久夫」のような人である。

(私が中井先生の本をあっさり愛読した背景には、ヒルティという下地があったのだと思う)。

フロイトに間に合わなかったのが残念ではあるが、結構心理学的なエッセイも書いている。

そして、

「これから一度は労働者が支配階級となる時代が来ると期待して誤りない。しかし、彼らが他人の労働で利札を切る怠け者になってしまえば、結局滅びるより他ないであろう」

「たとえば福音書、コーラン(!!!)、『アンクル・トムの小屋』などは、『資本論』が読まれなくなっても読まれるであろう」

などという、完璧に時代を先取りした言葉も残している。

      (いずれも「幸福論」第一巻より)。

******

では、ヒルティとジェンドリンをつなぐ接点は?

それは、ヒルティが、ヒンターコフ「スピリチュアリティとフォーカシング」(左のブックレビューも参照)でいうところの、

既成宗教の儀礼に従う"religiousness"よりも、

自分個人の体験としての"spirituality"

を徹底的に大事にする宗教観の持ち主だったからだろう、と今では思う。

この点では、同じスイスの、ほんの少しあとの世代、ユングにも似ているが、ヒルティは、まあ、ユングよりは、正統派信仰の枠を大事にします(私のユングへのシンパシーの背景も、やはりヒルティとの共通風土なのだろう)

例えば、次のような言葉:

「ひとは祈りに対する神の答えが聞こえなければならない。そのためには普通の『祈る人』たちよりもかなり鋭い耳を持ち、我欲の少ないことが重要である。答えを期待しもせず、また得られもしない祈りは、単なる無益な形式であって、やめても一向にさしつかえない」

「真の祈りは『ききいれられること』それ自身をのうちに含んでいるが、人間の心があらためて神にすっかり自己を委ねようとする意志行為である(中略)。そういう祈りは、地上の最も偉大な二つの力を、はじめから味方につけており、だからこそ実現の保障をそれ自身のうちに持つのである」

「神の実在のまことの証拠は(中略)、神の力がしばしばただ一瞬の間に、しかも永久にわたって、人間を解放しうることである。この場合、その人はそのことをひとつの出来事として、また、これまでしばしば試みながら無駄であった自己改善の決意とは全く異なるものとして、感ずる。このことに決して思い違いはおこらない」

これ、フォーカシングで言う「フェルトシフト」(身体感覚の変化を伴う真の「洞察」体験)と、あまりにも似ています。

(幸福論(第3部)「幸福論」第3巻 最終章「より高きをめざして」 岩波文庫 草間平作訳より) 

どうみても、ヒルティは実質的にフォーカシングを「していた」!!

ひょっとしたら、ジェンドリンのほうこそ、ヒルティで私が潜在的に学んでいたものに、具体的な方法という道を指し示してくれた「だけ」なのかもしれない。

*****

おまけで、おもいつくままに、ヒルティの箴言。

前も書いたように、昔、日本でもドイツ語のテキストとしてよく使われたという、「幸福論」第一巻の最初の章、「仕事の上手な仕方」より:

「仕事の対象を分散させ、一度にでなく、少しずつ、代わる代わるにやるのがいい」

「働きの喜びは、自分でよく考え、実際に経験することからしか生まれない」

「わがスイスの美しい谷々は病院ばかりになったが、この病院もやがては、この安らぎを知らぬ多数の人々のために一年中開業することになるであろう。彼らはここかしこに休息を求めて動き回るが、どこにもそれを見出さない……なぜなら、仕事の中に休息を求めないからだ」

「よく働くには、元気と感興がなくなったら、それ以上強いて働き続けないことが大切である」

「あすはひとりでにやってくる。そして、それと共に明日の力もまた来るのである」

そして、極めつけ!!

「本当の勤勉は、ただ休む暇もなく働き続けることではなくて、頭の中の原型を目に見える形に完全に表現しようという熱望をもって仕事に没頭することである」

「言葉にならない『何か』、その曖昧なモヤモヤを、少しずつ「自分の」言葉にしていく、という、

「フォーカシングの真髄」そのものである!!

スイスの宗教的エッセイスト、「幸福論」のヒルティとフォーカシング

昨日も書きましたが、最近自分でもやっとはっきり気がついてきたのは、

「ひとつの対象にずっとのめりこむ」とエネルギーが容易に枯渇する、

という、当たり前のことです。


「仕事の対象を分散させ、一度にでなく、少しずつ、代わる代わるにやるのがいい」

とは、スイスの宗教家、カール・ヒルティ幸福論(第1部)「幸福論」第一巻

「仕事の上手な仕方」という、「幸福論」の中でも、ドイツ語の教科書として使われるくらいに有名な文章の中でも語っていることでした。

ヒルティという人は、第一次世界大戦の直前に亡くなった、スイスを代表する法律家で、ハーグの国際司法裁判所の初代判事までやった「実務家」なんですが、キリスト教への信仰が深く、今日では宗教的著述家として名前を知られています。

眠られぬ夜のために(第1部)改[版]「眠られぬ夜のために」という、誰だったか、JーPOPのアルバムのタイトルにすらなった著作も有名。

そして、ヒルティも、基本的にはプロテスタンティズ厶の立場に立ちつつも、「神」との関係がひどくパーソナルです。

ヒルティがいう「神の声を聴く」というのは、私のいう「守護霊フェルトセンス」とのかかわりそのものに私には思われます。

スピリチュアルなナチュラル・フォーカサーに近い人ではないかとも。


「幸福論」、第2巻以降は宗教色が強いですけど、第1巻は、19世紀末のドイツ語圏の第一級の碩学が書いたエッセイとして、お勧めです。私は「三大幸福論」といわれるアラン、ラッセルと比較しても、文句なく一番好きなんです。

私は中学生の時に、岩波文庫を3冊まとめて自分で製本しなおして、繰り返し読んでいました。

ジェンドリン、そしてフォーカシングと出会うまで、私の「心の師」だった人です。

私が一見「守備範囲」がすごく広く見えるのは、ひとつには、根っからの歴史好きというのもありますが、実はヒルティがこの本の中でに繰り返し紹介してくれる、古代から近世までのヨーロッパ文化のエッセンスに、中学生という、むやみに早くから接したせいが大きいと思っています。

この話題、続きます。

2005/09/15

私は基本的に「今の」中島みゆきの方が好きです

このブログで私が、何かというと、

中島みゆき/Singles 2000みゆきの"Singles 2000"をアフィリエイトリンクで強引なまでに引きずり出しているのは、

要するに、

「昔の」みゆきしか知らない世代に、このCDをぜひ聴いて欲しい

という思いがあるからなんですね。

同時代的には、【J-POP/歌謡曲:な】中島みゆき / 予感 (CD)アルバム「予感」(若い世代のために言うと、上記の"Singles 2000"にも再録されている「ファイト!」はこのアルバムが初出の、意外と古い曲なんですよ)で止まっていた私のみゆき暦の後に、このCDを最初に聴いた時、私はいろいろな意味でショックがありました。

みゆきって、こんなに「たくましく」って、したたか「だった」んだ。

(つまり、昔のみゆき「も」実は「したたかな強さ」を持っていた、という認知に再構築化されてしまったことです。

特に

「瞬きもせず」

を最初に聴いた時の鳥肌立つ思い。

「空と君のあいだに」「銀の龍の背に乗って」ほどには語られることが少ない曲ですが。

歌詞の内容はある意味では「地上の星」と似ていますが、私は、どちらか1曲をとれといわれれば、文句なく「瞬きもせず」を選ぶでしょう。

> ああ 人は獣 牙も毒も棘もなく
> ただ 痛むだけの 涙だけを持って生まれた
> 裸過ぎる 獣たちだ

「銀の龍の背に乗って」が収録されている【J-POP/歌謡曲:な】中島みゆき / 恋文 (CD)アルバム「恋文」とかを聴いていても、みゆきの恋愛観も、前よりよほど広がりが出てきているのかなと思いました。

この辺の問題については、まだ途中のアルバム集めが完成していないし(浜崎あゆみの全盤制覇のときと同じで、結構中古屋を頼りにしているのです)、聴き込んでみないとわからないのですが。

*****

ましてや、ayu様のことまで、今の私、手が回らなくなって来てます。

ファンクラブ年会費の更新はしてますし、新譜はみんな買ってますけど、封も切ってないのが多い。

それは今のayuが面白いと感じなくなったからではなくて、単に、ayuちゃんまで相手にしていたら身が持たない(爆)から、

敢えて意識的に「封印」し、遠のけているのです。

ひとつのことにこだわりだすと、果てしない探求を始めるところまで「憑依」されてしまう私の性格は、このブログをお読みの常連さんはお分かりのことと思います(^^;)

だから、意識的に「ダイエット」してるんです(^^;)

ayuさん、みゆきお姉さまへの「浮気」と、私の当面のフォーカシングの論考の学術的文章化が終わったら、帰ってくるから、それまで「しぶとく」、自分の道を信じて進み続けててね.....なーんて。

「サンダーバード」サントラCDの感想 ー甦る60年代の息吹-

さて、「サンダーバード」ネタの続編はまだまだ続く。

【サウンドトラック】サンダーバードSoundtrack / Thunderbirds (CD) (Aポイント付)「サンダーバード」サントラ盤を聴いてみての感想。

まず、音質が、私の想像を越えて、はるかによかった!!

ほんと、1960年代のテレビ番組のフィルムからの正真正銘の「サウンドトラック」で、ここまでできればもう見事!! 音のレンジが想像していたよりはるかに広い!!

もちろん、基本はモノラル録音ですが、嫌味にならないくらいに自然な音の広げ方と残響付加で「人工ステレオ」化されている(昔のLP時代の、位相を「逆相」にいじくり回しただけの「ニセステ」の比じゃないね。デジタル技術の勝利!!)

そして、幸いに4トラックぐらいのマスターテープも一部残っていたんでしょうね、「明らかに本物のステレオ音源」も一部含まれます。しかし、そのオリジナルステレオ音源と、モノラルを人工的に処理した音源が、気づかない人はまったく気づかないだろうぐらいに、音のひろがりや音質が統合的に調節されているのは見事!!

ここ数年、クラシックのCD、ほとんど買い足してしてない間のデジタル技術の進歩を私が知らないだけなのかもしれませんが、少なくとも数年前までは、クラシックのモノラル音源を、ここまで良心的にデジタル処理したものはまず見られなかった気がする。

ちなみに、2年前の再放送とかで2ヵ国語で観直した人はお気付きでしょうが、あの

「♪サン、ダーーーー、バーードーーーー」

どいう男声合唱で始まる「テーマソング」は、英語の原版には「歌」としては存在しません。だいだい英語のアクセントだったら、"thunderbird"という単語をあのような形で音節を区切るはずがない。

「あ、あれがないのならつまんないや」

とお思いの方、ご安心を。

トラックでいうと5曲目になる曲の「中間部」が、BGMだけですが、「あの」メロディなんです。BGMだけのものに日本版では歌詞を付けて「テーマソング」にしたんですね。

当時の英語の挿入歌まで入ってます。

何しろ、やたらと「タッタララー」で、あの行進曲のテーマを繰り返すことが多いBGM集。

クラシックの世界のオーケストラの演奏でも、70年代になると急速に失われて行く」、「唐竹を割った」ような「潔さ」で、タイトな響きでエネルギッシュに演奏されるBGMは、聴いていると元気が出てきます。

ベトナム戦争とか、公民権運動とか、冷戦とか、暗い面も多い時代だったけど、あのころの方が、世界の人々全体が、何か「エネルギッシュ」だった気がする。

だから、プロジェクトX 挑戦者たち 第6期 DVD-BOX「プロジェクトX」がヒット番組になり、中島みゆき/Singles 2000みゆきの「地上の星」もヒットしたんだと思う。

私は、子供心に、あの時代の「熱さ」を「肌で」記憶している、最後の世代である(1960年生まれ)。

Turbolinuxって著作権保護がかかってるメディア、ダメなのね

「私のフォーカシング」シリーズの更新は、ちょっと似たような作業を単調に延々繰り返すことを、「我が内なる『綾波レイ』」、もとい、私のフェルトセンス

「イヤ、今日は、したくないの!」

とゴネましたので(^^:)、小休止。

続きを期待している人、ごめんなさい。

実は、この書き込みは、パソコンに、ソースネクストが、例によって廉価販売を始めたソースネクスト turbolinux Personal スリムパッケージ版【税込】 TURBOLINUXPERSONAL-H [TURBO...turbolinuxをWinXPと共存できるような設定でインストールしてをして書いてます。これで私が同時使用するOSは、Zaurus(といっても、これも"リナザウ"ですが)入れると4つめですね。

どうしてlinuxに手を出したかと言うと、ひとつには私の自宅の、やや古くなり、動作が遅くなってきたパソコンでも、結構動くようになるのではないかと言う期待(ただし、最低でHD10GB弱、メモリ64MBぐらいは必要です。どのくらいハードが古い機種までサポートしてくれるかは私にはわからない)。

それと、ともかく私は、Mac mini M9686J/B自宅をMac miniにしてから、MSゴシックの書体の汚らしさに、それでWebを普段見るのが苦痛になっていたのです。

Zaurusの経験から、リナックスはまだ標準装備の日本語のフォントは少なそうだけど、少なくともゴシック系は結構すっきりしているなと感じていたので。そしてブラウザだったら、Operaや、私の好きなFirefoxもリナックス版はありますし。

Microsoftのofficeとの互換性という点ではこれまた日本ではソースネクストが廉価で出してるソースネクストStarSuite 7 パーソナルパックStarSuiteや、フリーソフトのOpenOffice(この2つのソフトはNetscapeとMozziraとの関係みたいに実は基本は同じ内容なんですが)にリナックス版があり、「ほぼ」互換性ありますし。

さすがに私の去年の「浜崎あゆみ自主企画」のようなアニメや動画に懲りまくった、重厚なパワーポイントファイルになるとあちこちで齟齬が出ますが。

使い勝手もデザインもWinとMAC OS Xの中間ぐらいかなという感じで、すでに両刀づかいだった私はほんの数十分ですぐに慣れましたが、愕然としたのは、CDもDVDも著作権保護のある奴は受け付けないという事実!!

(パソコンに詳しいみなさま、笑わば笑え!!

実際にやってみる試行錯誤の中で、自分でやってみて「現実に直面」し、世界を広げて行くというのが私のポリシー。

「『そこ』まで行ってみて自分の目と耳と身体で判断しよう」

ということを率先してやっているつもりでもあります)。

ただ、私の身の回りにいる人達の中では、私はパソコンにもっとも詳しいひとりということにさせられちゃったぐらいですので、ここでこうしたことを書いてみる意味もあるでしょう。

もちろん、個人が作って公開しているソフトにはこの壁を突破できたものもあるんでしょうが、さすがに、これまでのようにサーバー製品ではなくて、個人ユーザ向けのOSとしても安く売り出すようになったのなら、この著作権保護の問題を、製作販売側も早急に突破する責任、あると思いますが。

ちなみにネット上の閲覧のための「メディアプレーヤー」の機能はWinと互換性があるようです。ちゃんと「黄桜」のCM集の公式サイトで確認しました。


なお、同一パソコンでのWinとの共存を目指す場合には、ソースネクストAcronis System Utility Box PersonalソースネクストAcronis PartitionExpert Personal (税込\1980 説明扉付きスリムパッケージ版)Acronis PartitionExpert Personal みたいな、すでにインストールされているOSには全く影響を与えずにHDのパーディーションを切り直すソフトが必要です。リナックスをインストールする前に全体のバックアップを取っておくことが望ましいでしょう。これまたソースネクストから出てるんだよね。商魂たくましいというか。

ちなみに、ソースネクストの製品って、登録会員向けに値下げ販売を始めたら、そのソフトのメジャーバージョンアップの公表直前のことが多い。つまりだまし討ちの「在庫一掃セール」ですね。この点はご用心。

2005/09/14

ついに、「綾波」、その片鱗を見せる!!

「私のフォーカシング」第2部、第2話 前編のupです。

最後の最後まで私が出し惜しんでいた、「私のフォーカシング」シリーズ第2部の「最深部」恐るべき(?)実態が、徐々に明らかになりつつあります。

まあ、わたしがこのブログで、「私のフォーカシング」シリーズでいずれ新世紀エヴァンゲリオンNEON GENESIS EVANGELION01 TEST-TYPE-DVD-「エヴァンゲリオン」

綾波レイが出てくることは、実は非常に早くから繰り返し暗示していたつもりなのです。

これからいよいよ、

「守護霊フェルトセンス」綾波レイ

が徐々に本格的に前面に出でてくる「一時期」があることは確かなんです。

もう一年近く前のことなので、メーリングリストの過去ログがら引っ張り出してきたら、何かすごくなつかしいなあ、とすら感じてしまいました。


実は、私が、以下に続く数回の公表を迷った理由は、実は全く別のところにあります。

でも、状況の流れの中で、その決心がつきましたので。


「前・後編」に分けたのは、単に今日はweb作りにもう疲れたからだけです(^^;)

これじゃ「妖怪大戦争」かと思われようと、「私のフォーカシング」第2部第1話、公開!!

ついに「私のフォーカシング」シリーズ完結に向けてのラストスパートに入りました!!

第2部第1話のupです。

ここまでやると「妖怪大戦争」じみてきましたが(^^;)、私の中で「三者関係としての一人フォーカシング論」、そして「守護霊的フェルトセンス」概念が成熟していく過程が、これでかなり手に取るようにわかってきたと思います。

登場人物の数の多さという点でも私のフォーカシング体験の中でも異例の域に属します。

今回は、完全に私は主役でなくなり、脱同一化した"Parts of me"同士のドラマにまでなりましたが、ここまでくるとユングの言う能動的想像とどこが違うんだ、といわれそうです。

確かに通常の意味でのフォーカシングを超えていると思いますが、フェルトセンスに決して嘘はつかない流れになるように内的照合は続けているんですよね。

さもなくば、お上人様の「助け舟」に「彼」は乗っていたかもしれません。

*****

確か次回、私が「守護霊」の一人であることをひた隠しにしてきた(というか、ネタとして「出し惜しんで」、ずーっと引っ張ってきたというのが正しいか?)「あの人」がついに出てきちゃうはずですが(^^;;;;;)

2005/09/13

.......というわけで「私のフォーカシング」最後の「封印」されていた部分は明日に回します。

本日の実に久しぶり(14ヶ月ぶり!!)の3連続面接にはさすがに少しへばりました(それぞれ、何かを持ち帰ってもらえたという自負はあるけど)。

そこで、「私のフォーカシング」シリーズ最後まで封印していた「問題の3本」の公開は、明日に延期します。

おやすみなさいませ。

サンダーバードの作曲家はやっぱしイギリス人!!

「♪黄桜~」に始まり、イギリスの行進曲を経由した「サンダーバード」ネタは更に続く!!

検索エンジンで多少調べたのですが、バリー・グレイ(Barry Gray)というイギリス人であることはわかりました。1984年 4月 26日に他界しています。

「キャプテン・スカーレット」や「ジョー90」など、一連のジェリー・アンダーソン製作のSF人形劇(?)に関与しています。

そして、【サウンドトラック】サンダーバードSoundtrack / Thunderbirds (CD) (Aポイント付)前回紹介したサントラ盤は、正真正銘の「オリジナル・サウンドドラック」、つまり、フィルムに使われた音を丁寧にリマスタリングしたものとのこと!!

うふふ。明日には宅配されるのだ!!

サンダーバードの日本語版公式サイトはここ

バリー・グレイについては日本語の範囲ではこことかが詳しいみたいです。

なお、このネタは「CDを聴いての感想」へと続きます。(結論からいって、★★★★★です)

ブログ「こころの天気を感じてごらん」のご紹介

島根県に、土江正司さん、という日本における中堅のフォーカシング指導者として、もはやフォーカシングの世界では名前を知らぬものはないという粋に達した方がいらっしゃいます。

インドで正式にヨガの修行をして、跡継ぎでも入り婿でもないのに僧籍を持たれ、セラピー的なグループやワークショップで、中国地方中部のみならず、最近では全国でお呼びかかかる粋に達した方。

私にとってはまだ未開拓な、スクールカウンセリングや、子供相手のフォーカシング、グループフォーカシングの分野では、日本の最先端を走り続ける方として、尊敬もし、互いに切磋琢磨しあう、私のもっとも大切なフォーカシング仲間の一人です。開業カウンセリングの先輩でもあります。

フォーカシングの枠にとらわれない、幅広い関心と実践経験をお持ちで、「動とツッパリの『ジャンヌダルク』阿世賀」に対して「『静けき』存在感でいつの間にか周囲をまとめる」タイプ。東洋思想への造詣の深さにもかかわらず、日本フォーカシング協会の国際交流グループリーダーもお務め。

大学に関与しない在野型フォーカシング研究実践家として、私の最大の「ライバル」であり、同時になくてはならない「同志」とも思っています。

特に、「こころの天気」となづけた、大人にも子供にも使える、描画によるフォーマットを持つ技法は、その平易さもあって、日本中の教育現場で関心を持たれ、国際的にも知られています。

「私のフォーカシング」第2話でも少しだけ紹介させていただきました。

この方が、自ら「こころの天気を感じてごらん」と題するブログを開設されました。

「こころの天気」の描画の交換のみならず、フォーカシングに限らず、日々のいろんな思いをつづるページになさるおつもりと伺いました。

このブログの発展を心からお祈り申し上げます。

2005/09/12

カウンセラーとは、悩まされ、翻弄され、迷わされ、それでも「やっていく」ことそのものが「仕事」

今日は結構忙しくて、午前中は職場で、日曜大工ならぬ「月曜」大工で、まるでそのマンションに最初から「作りつけて」あったようにすら見える棚(もちろん実際には「独立」している。釘一本賃貸マンションに打ち付けてはいない。結構こういうDIYも好きだったりする)、それが終わってケースを終わったらこんな時間。このページへのコメント追加以外何も新規の書き込みはしていないというのに、本日、現段階で200アクセス超過、まことにありがとうございます。

まあ、もともと、月曜日って、職場の昼休みに土・日のネット更新分をお読みになる方が多いせいか、一週間の中でアクセス数が一番多い週が多いのですが。それでも、わずか1ヶ月の間に一日200アクセス「当たり前」になってきたのには自分でも驚いています。

今日は、表題に掲げた「今日の一言」だけで終わらせていただきます。

(別に今日のクライエントさんが大変だったから表題のような言葉思いついたのではありませんからね、念のため)

明日は、当カウンセリングルーム始まって以来一番繁盛する日でして、本格的な次の更新は明日の晩か水曜にしかできないかもしれません。

次の大更新では、いよいよ、あれが出る予定。

「サンダーバード」の行進曲こそイギリスの行進曲の鏡なのだ!!

さて、「黄桜」からイギリス製音楽への連想は更に飛躍するのだ。

イギリスの行進曲にはアメリカの行進曲には欠けた透明感と哀愁と親しみやすさがあるのだ!! と書いてましたが、実はある世代以上が一番よく知っているイギリス製行進曲は?

ハワース/星条旗よ永遠なれ~世界のベスト・マーチ集エルガーの「威風堂々」第1番? 

........うん、この曲「あたしンち」というアニメのエンディングにまでなったし。何かのCMでもあったかな? 知ってる人多いとは思うよ。

でも、もっとポピュラーなのがあるんですってばさ!!

【サウンドトラック】サンダーバードSoundtrack / Thunderbirds (CD) (Aポイント付)「サンダーバード」イギリス製作の作品ということを皆様忘れないように!!

作曲者がイギリス人かどうかまでは確認してません。

でも、2年ぐらい前かな、テレビでサンダーバード フィルム・コレクション「劇場版」("Thunderbirds Are GO!"の方。最近、同じタイトルのリメイクの実写映画(!)が公開されたらしいけど、そっちのことではないからね!!)が放送されたときに私がブっ飛んだのは、エンディングで、イギリスの誇るロイヤル・マリーンズ・バンド(「王立」海兵隊吹奏楽団!!)分列行進しながらあの行進曲を高らかに演奏する実写映像で終わっていたことである!!

【10/01/26 追記】:これのYouTubeはこちらに飛んで御覧下さい(^^)

やはり、作曲家もイギリス人ではなかろうか???

【10/01/26 追記】:やはりイギリスの方でした(^^)

・・・・・ちなみに、結局このネタは更に続く

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2005/09/11

「応援団長」としてニュースレターに紹介されてしまった私。

日本フォーカシング協会のWebSiteでは、会員限定の季刊誌、"The Focuser's Focus"の巻頭記事だけを一般公開しているのですが、その最新号の巻頭記事を、浜松海の星高等学校の秋山葉子さんがお書きになっています。

このブログでも何回かご紹介したトロントでのフォーカシング国際会議の思い出をつづった文章なんですが、この秋山さんの文章の中で、私も「応援団長」として紹介されています(^^;)。

秋山さん、どうもありがとうございます。

ちなみに、このページの上段の方にある「目次」の中に、私の「フォーカシングに国境なし」というエッセイが後に続いていることがタイトルだけ紹介されていますが、その原型は、はっきりいって、このブログのこれこれです(^^;)

私が、大舞台に立つと、すごく声が通ることは、学会ではおなじみなんですが、まさか中学校の生徒会で「その他大勢」で応援団員をやった時の経験がこんなところで生きるとは思いませんでした。

「世界のフォーカシングの発展と、世界平和への祈りを込めて、三、三、七拍子~!!」

と、腹の底から声を張り上げたわけです。

まさか「日本のチア・リーディング」がそんなものとは知らない、世界のフォーカシング・ピープルにどう映ったかわかりませんが、私も調子に乗って、あちらの方につたない英語でメールするときは、私のことを思い出していただくために、

Koichiro "Conductor" Asega

と表記したりしてます。

小島功先生自身による「黄桜」河童の由来説明

またもや、「私のフォーカシング」シリーズ最新作、「『黄桜~』と神を超えた存在と金鉱掘り」関連ですが。

小島功先生自身による、「黄桜」河童への思いをつづった文章のwebsiteをみつけました。浮世絵の形で頒布すらしている(いた)んですねえ。

小島功美女画集画集も出ています。

週間アクセス1000、夜を待たずにして達成!!

.......というわけで、ブログ「カウンセラーこういちろうの雑記張」、週間アクセス1000件、正午の段階で達成させていただきました。

どうもありがとうございます!!

今日中に更に大きな更新を一つできればと思ってはいますが、昨日「飛ばしすぎた」反動で無理をしすぎる形にならないと、私の心身全体(フェルトセンス)が判断した場合にします。

撮り貯めた鉄道写真集の「マイフォト」なんかも来週中にはUPできればと。私「○○系」とかには疎いのですが。

「黄桜」TVCMのことを吹奏楽をやった人は必ず一度は連想する

昨日は怒涛の書き込み更新で、ほとんど強引に、一日230アクセスを達成させていただきました。まもなく週間アクセス1000件は確実に達成されます。ありがとうございます。

いずれにしても、昨日はちょっと専門的なネタも多くて、一般の方にはついて行きにくかったかもしれません。

そこで一休み。

「私のフォーカシング」シリーズ最新作、「『黄桜~』と神を超えた存在と金鉱掘り」のwebsiteで、なぜ黄桜 呑 1.8L清酒「黄桜」イギリス民謡組曲/English Folk Songs吹奏楽のCDを、

吹奏楽経験者じゃないとここでこの2つを並べている意図はわかんないかも」

というコメントつきで、アフィリエイトリンクしているかのネタばらしをしますね。

もっとも「黄桜」の河童のアニメのCMは、最近は放映されていないみたいなので、十代の人だともうわかんないかも。

でも、私や、私の少し下の世代の人は、吹奏楽の名曲として名高い、イギリスの作曲家、ヴォーン・ウィリアムズの「イギリス民謡組曲」の第1曲をの冒頭を聴いたら、一瞬プッ(^^)と「ふき出した」経験をたいてい持っているはず。

だって、

「♪ 河童っぱ、ルンぱっぱ~」

っという黄桜のCMソングと全く同じ始まり方を、(確か調性も同じでは?)ほんの数秒ですが、するからです。

吹奏楽やっててこの「イギリス民謡組曲」を演奏することにあこがれなかった人はいない、実際演奏した人も山のように居るはすというくらいの曲。CMの曲を作った人が無意識のうちに影響受けてる可能性高いです。

黄桜の歴代CM集は公式にwebsiteで映像公開されてますので、懐かしい世代の方はどうかご覧になってみれば?


********

いずれにしても、「イギリス民謡組曲」はクラシックを普段聴かない人でも、一度聴いたら、その郷愁を誘うメロディのとりこになる、実に親しみやすい曲です。

吹奏楽というと、「星条旗よ永遠なれ」をはじめとする勇壮な曲のイメージが強いでしょうが、それはアメリカの吹奏楽の場合でして、イギリスやフランスの吹奏楽は、吹奏楽団の音自体が、恐ろしく繊細で透明で、人の心に優しく響くんです。

まして、イギリスの民謡調のメロディは、実は日本と同じ、いわゆる「四七抜き」の五音音階なので、日本の民謡を聴いているかのような理屈抜きの郷愁を誘います。【音楽CD】もういちど聴きたいクラシック・・癒し「グリーンスリーヴス」もそうだし。

それは、かつてTVの「○曜映画劇場」のエンディングで流された、同じイギリスの作曲家、ホルスト:組曲「惑星」ホルストの組曲「惑星」の第4曲「木星」中間部のメロディを、ある世代以上の人は、曲名すら知らないまま耳に刻み込んでいるのと同じなんですよね。

ホルストの惑星の「木星」のメロディにいたっては、突如1昨年再ブレイクしました。

そう、平原綾香 Jupiter-CD-●平原綾香 “Odyssey”CD(2004/2/18)平原綾香の"Jupiter"ですね。

このネタの更に続きこちらにあるので、どうぞ!!

2005/09/10

グノーシス主義の神概念との接点が、私のフォーカシングにはあった!!

さて、やっとこれで、本日の「大更新」の締めくくりというべき、「私のフォーカシング」シリーズ最新作、「『黄桜~』と神を超えた存在と金鉱掘り」補足解説というか、後日談になります。

このフォーカシング、「神様」「誰に見守ってほしいですか」という、私のフォーカシングの新教示をぶつける、という、とてつもない暴挙に及んでいるわけです。

すると、神様は、何と、

「私の創造したこの宇宙の外側にも、『誰か』がおられる気がしての」

とおこたえになります。


*****


ところが。つい先日、故・秋山さと子先生がお書きのユングとオカルト「ユングとオカルト」という本をたまたまめくっていたんですよね。この本は、ユングの思想の背景にあるグノーシス主義についての解説書です。

そしたら、概略すると、次のようなことが書いてありました:(p.40以下)

「グノーシスという言葉は、ギリシャ語の知識を意味する。しかし、この知識はこのコスモス(こういちろう注:ひとつの、統合され、調和を持った、全体性を持つ宇宙。対義語は「カオス(混沌)」)における人間についての知識ではなく、我々の存在を超えたコスモス外の神々の行為に対する知識である」

(中略)

「人間の生活の場は、幾層もの天に囲まれた土牢のようなものであり、それぞれの天球を支配していて、人間との間を隔てている星の神々が邪魔をする。(中略)365の天球によって、この地球は囲まれているとする者もあった。(中略)この監視人たちは、しばしば旧約聖書による神の名前で呼ばれていたが、ここでも、ユダヤ教の唯一の至高神である神の概念は覆されていて、その神は真の神ではなく、神性は持つが下級の霊的存在とと考えられている」

(以上、太字はこういちろうによる)


*******


私のフォーカシングの中で出会った神様みたいな神様像は、ギリシャ時代からあった、普遍的なものなんですね。

アフォーダンスと洞察の接点

再び心理臨床学会の興味深い報告より。

仁愛大学の駒米勝利先生(ロジャーズ派カウンセリングについての研究と大学学生相談の世界で著名)を座長とし、

青山学院大学の北村文昭先生の「カウンセリングにおける身体性」と題するご発表。

北村先生は、本来実験心理系の研究者で、臨床にも長年携わっておられた、キャリアのある先生ですが、何と心理臨床学会でははじめてのご発表!!

認知心理の世界では有名な、ギブソンの「アフォーダンス」という概念をキー・ワードにして、できるだけ従来の臨床心理学のの専門語を使わず、とことん「ご自身の言葉で」事例報告を発表をなさろうという、論文集の文面に私はいたく共感し、この、一見別次元の「アフォーダンス」概念と臨床との出会いについてのご発表に出席することに「チャレンジ」したのです。

実は、私自身が、以前精神分析対象関係論で特異な位置にある、ハンガリー出身のバリント(左のブックレビュー参照)の「フィロバティズム」概念とフォーカシングの関連について人間性心理学会で発表したとき(私の著作・発表リスト参照)、姫路獨協大学の實川幹朗先生から、突然この「アフォーダンス」との関連について質問され、うまく答えられずに、その後自分なりにアフォーダンスについて調べたけど「腑に落ちる」に至らなかったという経緯があり、そのとき以来ひきずるモヤモヤを、この先生の発表が解決してくれるのではないかという期待もあったのです。

それは見事に当たりました!!

アフォーダンスを、理屈だけできくと、たとえばこんなふうになり、よくわからなくなってしまうのですが、例えば、真ん中に消失点のある4本の放物線を結ぶかのように大小の長方形を重ね書きすると、人にはそれが「奥行きのある通路」のように知覚されます。この図版を大スクリーンに「傾けて」表示すると、それに伴い人間の身体的重心の安定度が失われることが重心計で確認できるそうです。

これと同様に「社会的アフォーダンス」というものがあると北村先生は考えました。人間のコミュニケーションは、実は非言語的・身体的な次元での相互認知による次元こそが基本にある。「『非言語的』コミュニケーション」という表現そのものが実は「倒錯した」用語法であり、言語的コミュニケーションなど、実は身体的コミュニケーションの上に乗っかっているものに過ぎない。

クライエントさんと、カウンセラーが、身体性をもって「そこに確かに居続けている」という基盤の元になされる身体認知的な相互作用こそ面接の基本にある。

そして、身体が表現しているものと、言語的な相互作用に一種の調和のようなものが相互に承認(compliment)された時、カウンセリングでも「おのずから」相互理解が進展する。

このことの説明を受けた瞬間、ギブソンの古典的な立体透視図版が、私には「ほこら」のように見えました。

「ほこら」=「洞」、つまり「洞察」であり、「見通し」が持てること、

です!!

実際、いわゆる「病態水準の重い」クライエントさんと面接していると、クライエントさんの「身体言語」と、「言葉として発している意味内容」のズレに、私たちカウンセラーは翻弄されます。

死にたくなるような傷つく経験をしていることを「言葉では」語っているのに、表情や身体のかもし出す雰囲気「けろーっ」と、何でもないかのよう。摂食障害やリストカッターの女の子に多いですね。

おいおい、そんなにけろっとしてるから、男たちや周りの女友達はあなたが傷ついていることに気づかないで、ひどいことを平気で無神経にするんだよ、といいたくなる。

ふっと、そんなことを思い出させてくれました。

實川先生、やっと、先生が、バリントのいう「魚にとっての水になる」ということとかと、「アフォーダンス」概念をひきつけたくなったのが、「少し」わかったような「気がしました」。

(これこそ「錯覚」かもしれませんが(^^;)

「呑み込まれる」のではなく「つまみ食い」できるようになること

表題は、心理臨床学会で、学習院大学の伊藤研一座長(治療者にとってのフォーカシング現代のエスプリ 「治療者にとってのフォーカシング」の私との共編者)のもとで事例発表をされた、君津中央病院京谷幸一先生の語られた言葉。

私は、

「すばらしい『おみやげ』を先生からいただけました」

と思わずフロアからコメントしました。

京谷先生は、基本的には認知行動療法の立場を取りつつも、流派にとらわれずに、カウンセリングのエッセンスを自由に行き来しながら、私の長い大学学生相談の経験から見ても、最上級の見事なセラピーを、病院臨床の中でもなさっているなと感じました。

「社会的引きこもり」について、実は「登校意欲がない」のではなくて「登校意欲が過剰」なのだ、つまり、「きちんと学校に通えていないとならない」という強迫観念が強すぎるので、再登校できなくなるのだ、

というのは、

私の敬愛する、治療関係における「間」の活用不登校児から見た世界産業医科大学の増井武士(たけし)先生の名言です。

これは社会適応全般についても言え、社会や他者に「呑み込まれ」、「自分を失う」恐怖を超えて、社会を、自分のために「つまみ食い」して「利用する」という境地に辿り着けるかどうかは、ほんとうに鍵だと思います。

実は、世間並みの「自我の確立」とは、その程度のことを「きれいごと」として美化した言葉に過ぎないともいえます。

ただし、これは本人に理屈として理解しろといっても無理なこと。

「話を聴き、共に歩む、信頼できる、年長の人間」

とのかなり長期の関係性の中で始めて花開くことが多いと思います。

「カシオペア」は一人旅に冷たい

10月にフォーカシング関係の所要で北海動に行くのを幸い、今度こそカシオペアに乗るんだい、と勢い込んでいた私に、予約の際に突きつけられた「残酷な天使のよう(?)」な現実。

カシオペアには、一人用の客室がない!!

(全国の鉄ちゃん、この事実を知らなかった私を笑え!!)

恐らく、二人用の個室を一人で借り切ることは可能なんでしょうが、そうなると相当な高級ホテルのいい部屋並みの出費が吹っ飛ぶのであった!!

くそー、そこまで私は金持ちではないワイ!!

しかたなしに、以前一度利用した「北斗星」で我慢することにした(そのかわり、もう片道は「はやて」を初めて使うことにしたこういちろうであった。

「黄桜~」と神を超えた存在と金鉱掘り

「私のフォーカシング」シリーズ新作、

「『黄桜~』と神を超えた存在と金鉱掘り」

を、「第2,5回」という半端な数字で公開しました。

時期的に第2回と第3回の間ということを忘れていたための窮余の策です(^^;)

******

これも、今度の人間性心理学会の発表にいたる伏線のひとつですが、

私のフォーカシングへの姿勢がどんなものか、その本質を示していると思います。

この内容については、詳しい関連事項解説・後日談を、更にこのブログの続きの箇所に加えましたのでご参照ください。

昨日は245アクセス

昨日は過去最多の245アクセスをいただきました。

ありがとうございます。

果たして週間アクセス1000突破という当面の目標が達成されるかは遺された土・日次第となりました。

今週の土日は学会疲れを癒すためにケースを控えめにしか入れていませんので、この2日にまだ紹介していない新コンテンツをどれだけupできるかで、おそらく勝負がつくと思います。

次第にクライエントさんも増えているので、人間性心理学会前の来週の面接空き時間にひとつの「勝負」を更に重ねますので、お楽しみに!!

2005/09/09

「聖餐」についてのリンク追加

「私のフォーカシング」シリーズの「目を開けて最初に君を見たい 目を閉じる間際に君を見たい」に、キリスト教における「聖餐」についてのWikipediaへの直接リンクを追加しました。

ご参考までに。

最後の「宗教性をめぐって」シンポも白熱!!

今回の日本心理臨床学会は、純粋にフォーカシングの領域に関連する発表が皆無だったように思う(見落としがあればごめんなさい)のは残念。

最終日のプロセス指向心理療法の藤見幸雄先生の事例に基づく、河合隼雄、山折哲雄、鷲田清一、という各領域の日本の代表者をシンポジストとする「宗教性をめぐって」のシンポも、例年になく「トリのシンポ」として白熱しました。

それはひとえに藤見先生の事例の迫力が各先生をinspireしたのだと思います。

時間めいっぱいでフロアとのディスカッションタイムなしでしたがそれもやむなし。

でも、もしその時間があれば、相変わらず真っ先にコメントしていたのは私かも?

瞬く間に延べ一日平均アクセス60台突破!! 連日に近い百数十アクセスに感謝いたします

累計1万アクセスまでに7ヶ月近くかかったのに、もう1万5千アクセス間近です。

皆様に感謝いたします!!

今後大学院生の方のスーパーヴィジョン、6000円に割引します

今回の心理臨床学会で、いわゆる「指定校大学院」(臨床心理士の資格の取れる大学院)で、カリキュラムの一部として必要な「ケーススーパーバイズ」について、大学内部の心理教育相談室等の養成機関だけではスーパーバイザーがまかなえない大学院が少なくない現状について伺いました。

そこで、湘南フォーカシング・カウンセリングルームの「ケーススーパーバイズ」、従来1時間半9500円とさせていただいておりましたが、研修中の大学院生については、「原則」6,000円まで値引きすることに決断しました。

それぞれの大学の助成金のありようなどに応じて、詳細は更なる値引きケースも検討させていただきます。

希望される場合は、大学教務課や指導教授の先生との話し合いの上で、事務手続き上必要な書類等を整備した上でお申し込みください。

なお、「すでに」臨床心理士の方(大学院でも博士後期課程在籍の方にはおられるかも)、従来通り9500円とさせていただきます。

私の場合、どの流派の方であってもスーパーババイズはお引き受けします!! 何しろ行動療法行動療法(2)行動療法(3)山上敏子先生の「行動療法」の大ファンですらありますから。

ただ、私自身には子供のケースの担当暦はない、ということはご承知置きください。

フォーカシングをスーパーバイズそのものに活用することも、ご本人が特に希望しないかぎリ、いたしません。

何より、クライエントさんのの話を聴き、クライエントさんとどういう関係作りをするか、という、カウンセリングのエッセンスそのものを若い方にお伝えできればと思っています。

ちなみに、私の現状でのお客様も、なぜか一番料金が高い「ケーススーパーバイズ」が一番多いことに面食らってます。それだけ、若い臨床家の皆さんが、懇切丁寧な、マン・ツーマンの指導者探しに困っておられるということなのでしょうか。


*******


私なりに、私のスーパーバイズの方法論も見えてきました。

まさに、以前ここで書いたような、

寒水魚みゆきの「時刻表」の、

「誰が悪いのかを言い当てて、
 どうすればいいかを書き立てる」

ような、単にアセスメント(診断)だけがうまくなるようなやり方の対極にあります。

また、「治療者個人の自己分析」の援助としての「教育分析」とも一線を厳格に引いたものにしていくつもりです(そういうご希望が強い方は「フォーカシング個別指導」の一般コースに回っていただきます)。

これについても、現時点での私の模索中のスーパーバイズのスタイルを、このブログで近日公開することをお約束します。

北山修先生は浜崎あゆみの「歌」まではご存じなかった!!

心理臨床学会、3日目(これを書いている今からするとあととい)、の夕刻は「懇親会」でした。色々な旧知の先生方に、今度開業したことをお伝えできました。

「今度クライエントさんや、スーパーバイズの必要な院生を紹介するよ」といっていただけたし、若手の方何人かだけではなく、意外な中堅の先生から「ブログ読んでますよ」といわれて面食らったり。


さて、今回の懇親会のひとつの目標は、懇親会で北山修先生を捕まえ、一言、『ある重大な質問』をすることでした。

幻滅論『幻滅論』好きです。特に『共同注視』論。私のブログでも詳しく紹介させていただいてます(「黄金のトライアングル」

というあたりまでは、

「そうかい、ありがとう」

ですんなり進みましたが、

「ところで、日本を代表する作詞家として、『浜崎あゆみ』をどう評価されますか?」

となると、

「浜崎あゆみ? そりゃ名前は知ってるけど、曲までは知らんからねえ.....」


........残念無念、夢破れたり!!


******


この日の二次会ではは前日と同じ永野先生と、○○大学の、フォーカシングに関心のある院生たちと飲んでいたら(といっても私は体への配慮から一貫してノンアルコールです)、あっという間に過ぎ、午前1時になりました。

それにしても、今回の学会はすべての「夜の部」で、有益な出会いができた(なかなか3晩ともそううまくはいかない)のが嬉しかったです。

昼の部での興味をもてた発表やシンポについても、守秘義務抵触しない範囲で今後折を見て言及させていただくことになるでしょう。

去年と異なり、フォーカシング関連の発表がゼロというのは残念でしたが、私がフロアから参加した、質問タイムのある催しのすべてで、全く自然に湘南フォーカシング・カウンセリングルームの阿世賀です」と名乗りをあげ、しかもそれらのコメントが皆、それぞれの座長や発表者に、発表の場に生産的なコメントとして受け止めていただき、「私の参加した分科会で私がつまらないと感じた分科会ひとつもなし」という充実した時すごせたことを嬉しく感じています。

さまざまな出会い、さまざまな諸先輩方からの叱咤激励、発表者や座長、シンポジスト、コメンテーターの諸先生方、そして事例に登場する、快く発表者の発表を承諾されたクライエントさんたちから学ばせていただいたことに感謝いたしております。

フロアのみとはいえ、これまでで一番「最善を尽くせた」学会でした。

2005/09/07

昨晩は田嶌誠一先生と飲みました

昨晩はブックレビューでも紹介している、私が臨床の世界でもっとも敬愛する、「壷イメージ療法」や「密室カウンセリングの超克」で著名な、九大の田嶌誠一先生座長の発表に出席し、例によって適切な場所でコメントで「名乗り」を上げた後、先生と、私の親友の、常磐大学の永野勇二先生と飲みました。これまた、今後の私を刺激してくれる有意義な時間でした。

今日の晩こそ、あの、数千名が大会場に集う「懇親会」という、名刺配りのクライマックスである!!

2005/09/06

心理臨床学会自主企画は「心理臨床における『間身体性』」に参加

幸い京都は雨が一日小ぶり程度でした。風もなし。
心理臨床学会初日は、夕方からの自主企画の一つ、シンポジウム形式の「心理臨床における『間身体性』」という分科会に参加しました。

企画者はミンデルのプロセス志向心理療法の日本における大家、藤見幸雄氏、ユング派のポスナックのDreaming Bodyの技法に造詣の深い岸本寛史氏、司会者は、来談者中心療法の祖、ロジャースの再評価やトランスパーソナル心理学、そして学校教師カウンセリングの世界で精力的な活躍を続ける諸富祥彦氏、話題提供者としては、これらの方々に加えて、フォーカシングの世界でも代表者の一人、学生相談の世界でも実力者である吉良安之氏も加わり、更に、身体性や「気」の問題をはじめとする独創的な研究領域をもつ濱野清志氏、という、「その筋」の人からすればオールスターキャストに近い面々。120名の参加者。

心理療法的相互作用において、流派を超えた共通の問題意識としてしだいに浮かび上がりつつある、治療者とクライエントとの「体験共有」という現象を、単なる「間主観性」という枠組みを越え、「身体性」次元での共有というスケールでとらえようという意欲的な企画。

実はこれはまさに私が今度の人間性心理学会で私なりの見地からとらえて発表しようと思っていたテーマそのものであり、それらについて共通認識を持てる「仲間」についにめぐり合えたという思いで、フロアから、「湘南フォーカシング・カウンセリングルームの阿世賀です」と真っ先にコメントし(しっかり大舞台での宣伝活動している)、

「単なる治療者の逆転移」とかcontainerいう観点からとらえると『二者関係』の泥沼にはまる危険がある」

とか、ついには天を指差し(!)

『守護霊フェルトセンス』との三者関係として捕らえ、治療者とクライエント、両者を俯瞰する『内なるスーパーバイザー』双方が共有した場合にこの相互作用は安全に進む」

と、「黄金のトライアングル」という言葉こそ出し惜しんだものの、もろ、人間性心理学会の発表のさわりそのものを数分間披露することになりました。

その後これらの先生方やその教え子の皆さん、関係者と京都の町に飲み会に繰り出し、いろいろ本音の話をできたのを嬉しく思っています。

特に開業の先輩でもある藤見先生からいただけたアドバイスや、外側から見た日本のフォーカシングの世界への印象についてのお話を伺えたことに感謝します。


*******


う”ー、2次会まで付き合って風呂入ったらこんな時間だ。

明日の午前にも、私が参加してみたい催しがひとつあるんだけど、果たして起きられるか?

ちなみに、名刺は30人ぐらいにはお渡しできました(^^;)。

2005/09/05

関東は今の所小降りですが、数時間後の京都の天気はいかに?

皆様、おはようございます。

関東、昨晩の雷雨はすごかったですね。一瞬だけど雹が混じった音がしました。

京都での心理臨床学会、私は今年はワークショップ不参加なのでこれからゆたっと準備して、小田原からこだま号でのんびり向かいます。夜の自主企画から出られればオンの字ということで。

こだま号、ほとんど各駅でのぞみに抜かれるために数分停車ですけど、自由席でも「空いてる」のがお気に入りなんです。私には、「速さ」より「空間的ゆとり」が大事。

まあ、こだま号は、新大阪までだから、多少ダイヤの乱れが出ても、京都に辿り着くことは着くでしょう。

明日以降にしても、ともかくこの日のために1年間発表を練りこんだ人も多いのだから、天気の小康を祈ります。

2005/09/04

明日から京都で日本心理臨床学会、なのにプリンタの話に流れていく....

台風の動き一つでそもそも移動がうまくいくかどうかそのものが心配なんですが、そもそも京都で開かれる心理臨床学会は、季節柄、私が参加するようになってからでも過去2回「台風の不安」をもろに抱えた日程になりました。

私は、今年はこちらの学会のほうは、発表もしなければワークショップにも出ない、そもそも予約申し込みもしてない(会員なら当日参加はできます)ので気楽なのですが、何より「湘南フォーカシング・カウンセリングルーム」の名前を専門家の間に広めるという、地道な名刺交換的な「宣伝活動」の舞台でもあります。

懇親会だけではなくて、フロアから「湘南フォーカシングカウンセリングルーム阿世賀です」と名乗って質問することに燃えており、ここ2,3年、この学会では「大舞台に強い」,しかも「めっぽう鋭い」質問魔になってきてます。

このブログにおいでの臨床心理士の方、iPODにQuiet Comfor2を首からぶら下げてることの多い一風変わった中年のメガネ男を見かけたら気軽に声をかけてください。

そのための名刺作成作業のため、今晩の更新はこれでおしまいです。

ちなみに私は10面インクジェット専用 徳用100シート入りA-Oneの用紙名刺作成フリーソフト「ラベル屋さん」の愛用者です。トロントのフォーカシング国際会議の時に外国人用バージョンは作ったのに、今日まで日本語の名刺なしでやってきたので、やや突貫工事になりますが。

何しろ私の職場のプリンタは「色はイマイチでインク代も高いが、起動して印刷する時間の速さでは天下一品の」Lexmark複合機X2250を職場には置いてます。

(すでにこの機種は旧製品になったみたいなので、ここでは後継機的位置にある【A4用紙500枚付き!】【送料・代引手数料無料!】レックスマーク(LEXMARK) インクジェット複合...P3150をご紹介。

Epsonとか、たしかに美しいけど、どうして起動にあんなに時間かかるんだろう? そして、黒だけの文書とかだと、Lexmarkの方がフォントの映りが鮮やかという気がしてなりません。

日本のプリンタって、年賀状文化に支えられて画質の品質はものすごく上がったけど、小規模オフィスでの気軽な使用という点では意外とインクジェット機はその「トロさ」にイラつくこと少なくないように、思いません? 

Lexmarkの複合機は、この点、「コピー機としても速くて事務用としては実用画質優秀」で、お見事と思ってます。

フォーカシングの新技法が誕生する瞬間のドキュメント

http://homepage3.nifty.com/asega/focusing/myfocusing_c1.html

「私のフォーカシング」シリーズ、第3部 第1話をupしました。

これで「第3部」だけはとりあえずの全体像を見せました(もちろん、今後の、「このあとの」新作追加の可能性もあります)


今年の人間性心理学会の個人発表で公開する新技法「誕生の瞬間」のドキュメントです。

2005/09/03

「私のフォーカシング」シリーズは「スター・ウォーズ」のようにはならないはず?!

「私のフォーカシング」シリーズ、いきなり「第3部 第2話」から再開という変則的な形になりました。

しかし、これは、真っ先にご紹介したかった2編を、ともかく心理臨床学会大会前にwebsiteに公開しておきたいという思いのなせる業です。

forgivenessayuの"forgineness"プロモビデオやヤマトタケルノミコト終焉神話、「宇宙卵」型世界創世神話に絡めた「宇宙卵とフォーカシング」は、正確には「第2部の」最終回です。

しかし、私は「スター・ウォーズ」シリーズのように、突然「これでおしまい」とか言い出すつもりもないです(^^;)

時間の余裕がある限り、予定された途中を「埋めて」行きます」!!

*******

でもルーカス監督の場合もほんとはどうなるかわかんなかったりして。宮崎監督は●もののけ姫 【「ハウルの動く城」オリジナル・エコバッグ・プレゼント】DVD(2001/11/21)「もののけ姫」で引退といいつつその後2本も大作つくり、● 千と千尋の神隠し 【「ハウルの動く城」オリジナル・エコバッグ・プレゼント】DVD(2002/7...カンヌまでさらった上でジブリがいっぱいCOLLECTION ハウルの動く城 【期間限定特価】【VWDZ-8076】=>23.4%OFF!ジブ...これまで作ったわけで。

それを「商策」とまでは言いません。ユーミンayuにしても何度も引退を考えたというのほほんとうでしょう。クリエーターとは、いつもそういう「引き際」のことが脳裏を離れないものと思います。

その点、中島みゆき/Singles 2000中島みゆきは、どうみても「現役」そのもので走っているというのには、感服あるのみ。

もうそこには「振られた女の根暗な恨み節」みたいなステロタイプなみゆき観(これ自体当時のみゆきの歌の秘めた「すごいしたたかな強さ」をみくびった理解だと思う)を撥ね飛ばず、すごいスケール感が備わってきているから。

スタニスラフスキー・システムと心理療法的相互作用過程

なお、「フロイトと海綿の対話」の途中で表紙を紹介した、
sutanisurafusuki


ジーン・ベネディティ著

「スタニスラフスキー伝 1863-1938」

(高山図南男 高橋英子 訳 晶文社

ISBN:4-7949-6320-3)




は、帝政ロシア末期からソ連のスターリン時代という、ロシアにおいて最も刺激的・前衛的であると同時に、残虐な時代を生き抜き、ある意味で作曲家ショスタコヴィッチと似た辛酸をなめつつ、「スタニフラフスキー・システム」という、画期的な演劇演出・演技の養成技法を編み出し、後の演劇・映画・俳優の演技のあり方に根本的な影響を残した、偉大な俳優にして演出家、スタニスラフスキーについて、できるだけ客観資料に立ち返って、しかし生き生きと描き出した伝記です。

心理臨床家が読んでも無茶面白いはずの本で、

★★★★★クラスの大推薦図書なんですが、

今現在私の検索した範囲でのネット書店には在庫確認できませんでした。



スタニスラフスキー、およびスタニスラフスキー・システムについては、

ここに、鳴海康平氏による「大作」論考があります。

心理臨床家が読んでも触発される内容を含むと感じましたので、ご参考までに。

いずれこの、演劇におけるスタニスラフスキー・システムと心理療法的相互作用の接点、という大テーマについては、このブログを舞台に、試論を重ねるつもりですのでお楽しみに!!

「海綿」については

なお、海綿とはどんな「生き物」かを知りたい方は、Wikipediaここを参照。

フロイトと海綿の対話

http://homepage3.nifty.com/asega/focusing/myfocusing_c3.html

またもや、「私のフォーカシング」シリーズ新作公開です。

タイトルだけでは全く内容想像つきませんが、

これまた、私の今度の人間性心理学会大会発表

そして「黄金のトライアングル」論

と、抜き差しならない関係にある内容です!!

みゆきの曲の歌詞からの部分引用、間違っていたのですべて手直ししておきました

みゆきの「目を開けて最初に君を見たい」の2番の歌詞の冒頭は、

> 目を閉じる間際に君を見たい

でしたね。

ここをはじめとする該当ページ、すべて手直ししてきました。


本日中に、最低でもう一編、「私のフォーカシング」シリーズの新作の、もっともぶっ飛んだ奴のひとつが追加されます。

恐らく昼過ぎになるかな。

2005/09/02

「私のフォーカシング」新作、ついに登場!!

http://homepage3.nifty.com/asega/focusing/myfocusing_c2.html

中島みゆきの

中島みゆき/Singles 2000「目を開けて最初に君を見たい」

中島みゆき/恋文中島みゆきライヴ!【YCBW-10004】=>20%OFF!中島みゆきライヴ!中島みゆき/歌姫 LIVE in L.A. ◆20%OFF!「銀の龍の背に乗って」

が好きな方、特に推薦。

私の今年の人間性心理学会での個人発表と、もろに結びつく内容であることは、お分かりかと思います。

みゆきの「目を開けて最初に君を見たい」と言う歌は、一見男女関係のベッドでのことを歌っているかに見えて、実は人生の「始まり」と「終わり」をダブルイメージさせている、というのが私の理解です。

今日はへばり休み!!

今日連続更新するとお約束しましたが、おとといまで無理をしてた反動の疲れ、が今日になって一気にどっと来て、「今日は作業無理」と判断しました。iPODきいてほげーっとすごします。

いずれにしても、最悪でも火曜日の朝までに、私が公開したくてうずうずしていた感動巨編、最低2編を紹介することだけはお約束します!!(要するに、京都での日本心理臨床学会の前までに、ですね!!)

2005/09/01

去年の「あゆ自主企画」へのリンク、トップページから機能していなかったことをお詫びします

去年のayu自主企画のファイルそのものを消してしまった、と前の書き込みの初稿で書きましたが、

な、なんと!!

トップページからのリンク、何を血迷ったか、そこだけ「絶対パス」リンクにして、ツィルダ(~のこと)の代わりに横棒が入ってました(^^;;;;;;;;;)。

永らく、このページに入りたくて入れなかった人、昨年のこの企画に協力してくださった多くの皆様、ほんとうにごめんなさい!!

「どんなリスナーになら君の気持ちを聴いてもらえそう?」とフォーカサーのフェルトセンスに問いかけてもらう技法

http://homepage3.nifty.com/asega/focusing/jhp24gurdian.htm

なお、この内容は、日本人間性心理学会第24回大会プログラム・発表論文集」に掲載されています。

この学会は、「当日会員」として参加費をお支払いになれば誰でも参加できるオープンな学会です。ちと参加費高いですが(^^;)、特に九州福岡近辺の、それこそ私の「ライブ」を「どうしても」ご覧になりたい方はどうかご参加ください。

ちなみに私の発表は、9月24日(土) 九大箱崎キャンパス202号室で、午前9時半からの四日市の藤嶽大安さんたちと私との、もうひとつの連名発表に続いて、10時半ごろから1時間ですが、「藤嶽法」という、独自のグループフォーカシング技法を編み出した藤嶽さんたちとの共同発表も、私の問題意識と深く結びついて、深く影響を受けてきた内容ですし、私もフロアや池見陽座長とのディスカッションの時点でそれなりに発言すると思います。パワーポイントも、今年はむしろこの共同発表の方について藤嶽さんたちと作り込み、画像も豊富ですので、フォーカシングに関心のある方は、ぜひ「9時半」からおいでください。

私単独の発表の方は、去年のayu自主企画の時のような、視聴覚を駆使した「華麗な大仕掛け」は何もありませんが、少しだけpptも使います。


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