Background Feeling分科会
今、モントリオール在住、フランス出身のMarine de Freminville(マリーン・フレナベール?)さんのbackground feelingについての分科会について。
background feelingとは、すべての気がかりを脇に積み出したclearing a spaceをしたあとも、何か漠然としたすっきりしない感じとして残っている感じのことで、それ自体を対象化してフォーカシングしていくと、その人の存在のあり方に深く根をおろしつつも気づけないでいた問題についての深い気づきに至れることがああります。
グループでのinstoructionで、私のbackground feelingとして出てきたのは「体の輪郭線にぴったりの鋳型に閉じ込められた私」。
そこに彼女の
「その感じが『ない』とすれば(without)?」
とのasking。
体の答え。
「私は生きていられない」。
さらに彼女の、
「その感じの『向こう側に(beyond)』感じられるものがあるとすれば?」
とのasking。
私の中に、まさに会場から眺められる、写真でもご紹介したシムコー湖畔に今の服装のままでたたずむ私のイメージ。
今の私のままで、しかもありのままに自由。
そして、私がなぜ「ここ」にきたのか、そのパーソナルな意味についての洞察(詳しくは省略します)が一気に生じる。
他の方の反応とそれへの彼女の応答を含めて、非常にエキサイティングで新鮮な、生き生きとしたひととき。
この人、日本でも何かやってほしい。
これに出られただけでもカナダまできた甲斐があったというくらいの。
翌日、更に「内なる批評家」と「内なる子供」についてのワークショップにも出たのですが、こうしたフォーカシングの中でも限定した特定のテーマについて、独立させたワークショップとして行うということはまだない、ということから、中級以上のトレーニングのあり方についていろいろ考えさせられました。
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