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2005/04/13

安易に共感されると人は自分自身でいられなくなる 〜中島みゆき「エレーン」「異国」「空と君のあいだに」に寄せて〜

一昨々日まで、学会での共同発表の練り込みのための草案作成のために丸一日自分の頭が冴えた状態に追い込んでワープロに向かい、その足でその共同発表者の方たちとの勉強会のために新幹線で泊まりがけで出張していたことの反動もあって、さすがに「ダムに少し水がたまる」ための一休みが必要でした。

修理されてきたパソコンを、最低限の日常使用に耐えるまでバックアップから復帰させるのにもエネルギー使いましたし(以前なら一息で以前と同じ使用状態まで復帰させたのに、そこまでせっかちにならないでいられるのは、最近の「省エネ」が板につき強迫モードになりにくくなった私の進歩かもしれません)。

私の場合、仕事柄、要は、wordとメールソフトが以前と同じ状態になれば最低限パソコンは「復活」したといえますので(ホームページは、mac miniに設定した、これまたアカデミック・パックを滑り込みで購入しておいた、 Dreamweaver で更新中)

昨日はそれでも医者に通うために外出せざるを得ず、そのとき、3週間ぶりぐらいに「落とし物」やらかしました。メインのカードとして使っているJCB。何とこの数ヶ月ほどで4回目の「廃止」→「新番号で再発行」だったりする。少しでも心に余裕を失ったまま具体的行動をすすめようとすると、すぐにこの「忘れっぽいのは素敵なことです」中島みゆき - 寒水魚 - 傾斜(中島みゆき/傾斜)病が復活します。

もう我ながら「あ、また無理してる」というサインぐらいにしか思わなくなりましたが。

****

おとといのことなですが、関東は雨。例によって昼過ぎまで、ぼけーっと布団の中で自由連想できるのを楽しんでいました。

おとといはなぜか、focusing-netのある参加者の方が書き込んでくれていた、みゆきの中島みゆき - 生きていてもいいですか - エレーン「エレーン」の歌詞のことばかり考えていました。

みゆきのアルバム「生きていてもいいですか」中島みゆき - 生きていてもいいですかに収録された、最後から2つ目の歌ですね。

****

この方が文字で書いてくれ、何度も読み返して味わうまで、

私はこの歌が「いたみ」の歌であること

をあまり意識していなかったです。

つまり「痛み」であるだけではなくて「悼み」の歌であることを。

アルバム「生きていてもいいですか」はLP時代から持っていたひとつだったのに。

ものすごい辛辣な風刺の効いた「キツネ狩りの歌」中島みゆき - 生きていてもいいですか - キツネ狩りの歌は私のお気に入りだったし、「蕎麦屋」中島みゆき - 生きていてもいいですか - 蕎麦屋の「知ったかぶりの大相撲中継」が流れる中友人に呼び出されて蕎麦を食う中でのやりとりも好きだったし、最後の「異国」中島みゆき - 生きていてもいいですか - 異国の描き出すstrangerとしての痛みの驚くべき噴出ぶりには鳥肌が立ち、そう滅多に気軽にとても聴けないものを感じていたのに。

この「エレーン」の歌詞にも出てくる「生きていてもいいですか」という言葉を、ayuの"Loveppears" の"immature"浜崎あゆみ - Appears - Immature (JT Original CM Version)にはじめて出会い、

>僕らはきっと幸せになるために生まれて来たんだって
>思う日があってもいいんだよね

という歌詞を聴いたときに、ふと思い出しこそしたものの、この「エレーン」という歌が「悼み」の歌という、一番大事なことを聴き逃していたのを恥じ入りました。

***

そして、

    > 行く先もなしにおまえがいつまでも
    > 灯りの暖かに点ったにぎやかな窓を
    > ひとつずつ のぞいている

という部分が、そのまま、

「次の歌」である

    >  百年経っても私は死ねない

と歌う

「異国」につながっている、

「対(つい)になっている」歌なんだ

と気がついた時、私は、本当に、これまでにないくらいにみゆきの歌詞に「戦慄」しました。

「異国」がそれまで感じていたより更に数倍壮絶な歌に思えはじめた。

「エレーン」で、「この世に残された者」の視点にたち、

empathy(あたかも自分のことのように相手の感じている「感じ」そのものを味わおうとすること)

compassion(相手の苦しみを、自分個人の苦しみと重ねて共にしようとすること。この二つの微妙な差異、わかります? 共にこの前ご紹介したInteractive Focusingの基本概念)

を極めたかに見えた次の歌で、

「異国」で「あの世にも行けない」魂の痛みにそのものに己れを重ね、同化を試みる!!

「みゆき」は、まずは、その女の人を見送る人間の一人という立場からのempathyとcompassionで曲を書き、

続いて今度は「異国」で「この世をさまよい続ける『幽霊』」に「同一化」する視点で曲を書き、そこに自分の生きる痛みを重ねるという、逆方向のアプローチをしたのだ。

「だから」

このアルバム最後の2曲の前に、インストルメンタルの歌のない曲中島みゆき - 生きていてもいいですか - 無題をはさみ、この2曲を「切り離した」のに違いない。

****

この女の人が、例えば酒とかで身を持ち崩した果てに病死したのか、自死なのかは描かれていない。

でも、

「自殺者が増えたら学校や会社の評判の上で困るから」

とか、

「自殺者を出すと治療者自身のナルシシズムが傷いてしまうから」

という次元でのものに実は突き動かされていることが少なくないかと思える

「自殺防止への取り組み」

とかが、何か「汚らわしい」もののようにも思われた。

***


そして、私は、カウンセラーという人種がいつの間にか発散しやすい、

「似非受容的な空気」

に常に不信の念を抱いている自分のことを思いました。

クライエントさん自身が心の底で感じている「痛み」をまるで真綿でくるんで「麻酔をかけてしまう」ような次元での「受容」の浅薄さを。

クライエントさん自身もその痛みにもろに「直面」はできないかもしれない。

でも、他人がそれに単に「麻酔をかける」ような次元での「受容」や「共感的理解」しかしなければ、クライエントさんは「本当の自分」を無視されたとやはりどこかで感じるのではないか。

少なくとも、カウンセリングをはじめる中である種の「被害妄想性」を強めるような人は、実はそのカウンセラーの表面的な「わかったつもり」「理解したつもり」が生み出した「医源性」の被害妄想なのかもしれない。

必要なのは、「相手に理解されている」ということなのではない。

人は、相手が自分のことを「理解していない」とか、「冷たい、拒否的な態度を取られる」ことには、実は結構耐えられるのではないかと思う。

そういう周囲の態度の結果、「自分が自分でいられなくなること」にこそ、人は絶望するのではないか。

だから「ただ、そこにいる」だけの人物は必要なことがある。

その人は、無理にこちらを理解しようとすらしないまま、ただ、自分の中で、相手に共感できる自分と、相手に実は共感できずに違和感すら感じている自分をあるがままにそれぞれacknowkedgeし(認めてあげ)ながら、そこにいる。

ある意味では、自分の中の、相手への「共感できなさ」への敏感さ、そしてそういう「共感できない自分」をありのままにackowledgeできることの方が、相手に「共感しようとすること」より大事なのかもしれない。

相手を「理解できねばならない」というドグマに縛られているからこそ、相手を理解できないと動揺するのではないか。

ある意味で、その人を、より深く理解しようという方向へ導けるのは、その人自身だけであるし、それは、その人の「権利」ではあっても「義務」ではない。

その、その人自身が「自己理解を深める『権利』」を行使するための単なるお手伝い、それがフォーカシングのスキルを「人に伝える」ということなのではないか。

その人がほんとうにそういう「個体化」「個性化」の道をほんとうに歩き出し始めたとたんに、その人への「やさしい心遣い」をむしろ「撤収」し始めるような、そんなカウンセラーは、この世にはたくさんいる。クライエントが自分に取っての「いい子」でなくなると、リビドーの備給を取り下げてしまうのである。

*****

何かまとまりがつきませんでしたが、

「相手のことを理解できない、共感できない自分」を静かに認めてあげられるカウンセラーをめざしたい」、

と、思った次第。

これは、ひとつの「逆説」です。

> 君の心ががわかると たやすく誓える男に
> なぜ女はついていくのだろう そして泣くのだろう

(「空と君とのあいだに」中島みゆき - Singles 2000 - 空と君のあいだに

中島みゆき / Singles 2000

この「女」をクライエントさんに、「男」を「カウンセラー」に置き換えてもいいかな。

「ポプラの枝にな」り、「ここにいるよ」だけでほんとうはいいことが少なくない。

でも、「ポプラの枝のように」のみ、人と「共にいる」のは、一番難しいことの一つかもしれない。

もとより、自戒を込めて。


***


今の今まで、やっと開封する気になった、みゆきお姉様の"歌姫 Live in L.A. " と題された、ロサンゼルスでのスタジオ・ライヴのDVDをを堪能していました。中島みゆき - 中島みゆきライヴ! Live At Sony Pictures Studios In L.A.

やっぱりこの迫力は半端じゃない。

ayuライヴでおなじみの、小林信吾さんがキーボードで出てますね。

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コメント

はじめまして。
丁度昨夜、「エレーン」をカラオケで歌いました。もちろん初めてです。エレーンをカセットで聴いたのはもう20年も昔のことかもしれません。
そして、AyuのA song for xx...のファンでも有ります。

この記事にトラックバックアドレスがみつからなかったのでコメント残させていただきます。
私は精神障害者であり、10年ほど臨床心理士のカウンセリングを受けています。

でも私は今年のうちに死ぬ予定です。日にちも決めて有ります。今この時、このサイトに出会ったことも、私の人生に意味があることだったと思います。

ふらりさん、ようこそ。

画面への反映、ほんと遅れました。@niftyのトラッフィクと私のブログの重さの相乗作用だと思います。どうかお許しください。

死にたいと言ってもらえることは、ほんとうは治療者にとっては最高の「贈り物」のひとつなんだと思っています。もし、すでにお医者様やカウンセラーにそのことをお伝えになっていて、その「贈り物」をないがしろにしか扱ってくれていない、あるいは、カウンセラーと会うとその気持ちがぬるま湯の中で「うすめられてしまい」、そう感じていた自分がなんとなく「消去」されてしまうとお感じでしたら、その「物足りなさ」や「失望」は大事にしてください。

場合によっては、他の医師やカウンセラーで、少しはまともに相手をしてくれる人を捜して回るのも、「死ぬ気なら」できるんじゃないかと思います。

とりあえず、あなたのサイトは読まないまま、思いつくままに書いていることをお許しください。

こういちろう先生、お返事ありがとうございます。

私は江東区在住ですが、通えそうな範囲の都区内の病院には全部連絡して受け入れを頼みましたが、ことごとく断られました。
今は、船橋の病院に通っており、急遽5/6から入院します。

以前、川越の病院に8年ほど通いましたが、私が人を殺しそうになったり、自分を傷つけようとして拘束、あるいは入院を求めた時期がありましたが拒絶されました。

私は段々と治療を諦め、死を選択したのです。
今回の入院は治療の一環ではなく、死への準備に過ぎません。
自己憐憫にひたっているわけではもちろんありません。でもそれ以外に道がみつかりません。

医師やカウンセラーには伝えて有ります。しかし死への意志を発っしてもSOSを受けとめてくれる人に出会えません。

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