フォーカシングと「やまとことば」 ~私のフォーカシング 特別編4~
産業医との面接のあと、「人事課長などの方々の決済」が降りるまで、結局今日もお休みのこういちろうくんです(^ ^ ; )
とっくにピンピンしている人間に、ただ飯食わしている方がよほど大学側の損失だと思うのだが。
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ayuネタの更新を期待されている方には、この「雑記帳」の話題がどんどんayuから離れて拡散していくかのようにお感じになられるかもしれなくて、少し申し訳ないと思っています。
次に本格的に「おすすめayu」でayuネタやる時は、何しろあの「三部作」ですから、いくら草稿がすでに手元にあるとはいえ、少し気力を「貯め」、ここぞというタイミングを計っているものとご理解ください。
私がayuについて書こうとする際の方法論が、実は、中島みゆきだろうが、シューベルトだろうが、基本的には同じであり、我々が日々「目に映るもの、聞こえてくる声」を、いかに味わい、「受け止めて」いくかという、ある意味では、あまりにさりげないことを、いかに丁寧にじっくりやるかということであり、それが実は日常化したフォーカシングなのであり、そのことによって、世界は"graceful"なものに一変して体験され始めるのだ、というあたりを、ゆっくり山の裾野を散策するようにして、感じて、味わっていただければと思っているわけです。
(などと、まだ、ここで書いた、ELTの
"Graceful World"にまた引きつけたりして。
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前回、恩師村瀬孝雄先生のことに少し触れましたが、その村瀬先生に、大学院生の頃にお伝えして以来、あちこちで吹聴していただく光栄に預からせていただいたことがあるんです。
それは、
「フォーカシングの中で、決定的な鍵を握る、心に響く言葉となるのは、なぜか『やまとことば』が多い」ということです。
ここでいう「やまとことば」とは、「漢語」ではない、あるいは、「音読み」より「訓読み」指向、ぐらいの意味に幅広く受け止めていただいていいです。
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わたしが村瀬先生に当時お話ししたのは、次のようなひとりフォーカシングの経験でした。
それは、当時、もう誰だか忘れましたが、ある人との対人関係の中で、心に「しこり」のようにして残った「モヤモヤ」についてふりかえるフォーカシングの中でのこと。
まずは
「嫉妬」
という言葉が浮かびました。
でも「もっと」しっくりそうな言葉がありそうで探していると、
私はその人を「なめて」いた
という言葉になり、
「ねたましい」
という言葉になった。
でも、これでも95パーセントぐらいいいけど、何か、今ひとつ。
更に探しているうちに、
「うらやましい」
という言葉になったんです。
そしたらすごいシフト、つまり、身体感覚全体の心地よい変容を伴う洞察体験になりました。
「ああ、あの人のことを『うらやましく』思っている自分をあっさり認めたら楽になるではないか……」
その瞬間に、一見当たり前の日常語だったはずの
「うらやましい」
という言葉そのものが、自分にとって、いろんなことについての気付きを、多様な次元で連鎖反応的にもたらす、パーソナルな、深い含蓄を持った言葉に変化しました。
****
私は当然、「うらやましい」という言葉は、すでに「知っている」し、始終何かで読んでいたわけです。
しかし、よくふりかえってみると、「うらやましい」という言葉を、私自身の「自分の気持ちを表わす言葉」としては、日常の中で、ほとんどそれまで使っていませんでした。
ところが、これ以降、例えば、他の人が自分にないものを持っていたり、予想していたより、人間として優れていることに直面した時、
以前なら、
「自己愛」が傷つけられた
とか、
「劣等感」を刺激された
と感じて落ち込むような場面で、
「そうか、私はこの人が『うらやましい』んだ」
と感じることが自然にできるようになることが増えました。
カウンセラーって、こういう「自己愛」やら「劣等感」やら「抑うつ」やら、専門用語に整理して、人の心を理解して済ませてしまう習慣にいつの間にか取りつかれる中で、
「その人の、その時の」心の微妙なひだ
を感受しようとしなくなる「職業病」があると自戒してます。
それに対するアンチテーゼとしての「やまとことば」の復権、という思いもあります。
***
敢えて理屈で説明すれば、「うらやましい」という言い方には、
「その人のようになりたい」
という、自分の気持ちへの自己肯定と、
「その人のようになれるかもしれない」
というかすかな希望の光のにおいがすると思うのです。
そして、その人のあり方を否定したり、ねたんだりする、「相手へのnegativeな感情」もすでに「止揚」され、「昇華」されて、
"I am OK,You are OK"
の境地に達したとも言えます。
もとより、これらは、あとで振り返ってはじめて出来る、retrospective(遡及的)な説明のいくつかの例であるに過ぎず、もっといろんな説明は考えれるでしょう。
しかし、それらの説明は、
「うらやましい」
という言葉が私の中に思い浮かんだ「その」瞬間には、まだ思い浮かんでもいない。
しかし、「うらやましい」という言葉が浮かんだその瞬間に、すでに、私は、もう引き返しようがないところまで「変化している」のです。
世界や、周囲の人間についての、身体ごとの、ものの感じ方全体が、少しだけ変容、移行(shift)してしまい、新たな成長のステップに「進んでしまっている」のです。
****
それは「悟り」に近い何かのような気がする、とお感じの方もあるかもしれません。
ただ、「悟り」という言い方のは、すこし「ご大層な」響きがあり過ぎる、と、個人的には感じます。
むしろ、「悟り」とは、そんな「ご大層な」ものではなく、さりげない日常のそこここに、いくらでも入口は「開かれて」いるのかもしれないと思います。
> 何てことない毎日こそが
> 何よりも素敵だって知ってるから
と、ここで、唐突に、
ayuの
"Greatful Days"と結びついたところで、今回の終わりとします。
(などというふうにして、実はちゃんとayuの話でまとめちゃうあたりが、私の、油断も隙もないとこだったりして)
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