2009年11月11日 (水)

ついにあの、「NHKスペシャル うつ病治療 常識が変わる」書籍化!!

 私が延々と連載記事を組み、私のサイトが一気にうつサイト化するきっかけとなった、画期的な番組、「NHKスペシャル うつ病治療 常識が変わる」書籍化されたようですnote

NHKスペシャル うつ病治療 常識が変わる

(楽天ブックス)

 恐らく番組では描き切れていなかったことまで書かれているでしょうから、もう、期待大というしかなく、楽天ポイントも生かせる(結局書店で買うよりコンビニ受け取りで安くなってしまう)ので、早速注文しました。

******

 ほんとうに、あの番組を境に、このサイトの「鬱サイト化」が急激に進行したわけです。

 気分障害全般にわたる薬物療法について、このわずか半年あまりの間に、臨床心理士の分際で、むやみやたらと勉強させていただきましたし。

 実は、うつ病と気分障害の誤診と、薬物投与の問題点のおかげで、いつまでも苦しんでいる人たちがいる可能性に気づかされたのは、この番組の放送直前の時期のことでした。

 あるクライエントさんとお会いしている時に、調子がよくなると通院しなくなり、調子が悪くなると別の病院で通院再開されるパターンを数年にもわたって繰り返しておられることに気がつき、投薬歴をすべて訊き出して、カウンセリングルームに常備していた「今日の治療薬 ―解説と便覧」首っ引きで点検していったのですね。

(楽天ブックス)

 すると、処方されてきたのは、三環系にしてもSSRIにしても、ともかく抗うつ薬ばかりが中心。

 私には、そのクライエントさんには、まさに双極2型に相当する周期的な気分変動があるために、鬱が治ったと感じた時点で治療中断を繰り返す現象が生じているかに思えもしたので、リーマス、デパケン等の気分スタビライザの処方がなされたことがあるかどうかを確認したかったのですが、一番最近の病院でやっとごく少量のリーマスの処方がなされたばかりでした。しかも、リーマスの処方の際に並行して不可欠なはずの「血中濃度検査」を受けた形跡がないのです。

 私はしっかりとこうした点を紹介状にしたため、その地域の信頼できそうな精神科病院に行くことを勧めることになりました。

*****

 そうしたできごとからさほどたたないうちにこの番組に接したものですから、インパクトはたいへんに強烈でした。

 この本だけは、読まないうちから安心してお勧めできそうです(^^)

 Amazonの書評も好発進しているようですし。

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2009年6月 1日 (月)

NHKのクローズアップ現代・「抗うつ薬の死角 ~転換迫られるうつ病治療~」について(第3版)

 本日(6/1)19:30に放送された内容に基づいて、速報します。

 SSRIの副作用として稀に見られる、衝動性・暴力性誘発という問題について踏み込むと言うことは事前に知っていましたが、それでも全体としては、当ブログでも大々的に連載を組み、ご愛読いただき続けている、3/7放送のNHKスペシャル「うつ病治療 常識が変わる」の補足的・復習的続編という色彩が強いだろうとは思っていました。

 その意味では、番組の構成的にも全く予想通りに進行してしまって、押さえて欲しかったポイントはほぼすべて押さえてくれ、前回の番組で誤解を招きかなかった側面(認知行動療法だけを積極的に描きすぎていた面)はうまく調整されていたと思います。

 医者や臨床心理士や看護士にとどまらず、栄養士すら含むさまざまな役割のスタッフが、皆、患者さんをケアし、見守る援助資源であり、誤診や状態の変化に対応できるチーム医療の上でいかに重要かを改めて強調していた点についても好意が持てました(薬を必要以上に出さないことは大事ですが、この番組後半で紹介されていた事例が、画面を見る限り、入院治療である点に注意すべきかと思いますし、薬物療法をやはり大事にしている点も見逃すべきではありません)。

 また、番組内でも繰り返しテロップすら出して強調されたのは、この番組を観て不安にかられるあまり、自分だけの判断で薬にやめてしまうと非常に危険なので、疑問があればお医者さんに相談してください、ということでした。これも適切な配慮でしょう。

*****

 さて、今回の番組の前半で中心として取り上げられたのは、先述の、抗うつ、SSRI)が、人によっては、攻撃性や衝動性を誘発する副作用が出る可能性があることを、この4月に、厚生労働省が、製薬会社に注意書きとして掲載することを義務付ける通達を出したという点でした。

 日本では、SSRIの投与が現実の衝動的な暴力事件と因果関係を厚生省が正式に認定されたケース事件はまだ4件しかありません。

 この番組でも紹介された、1999年の、機長を殺害し、精神鑑定の結果無期懲役に減刑された、全日空61便ハイジャック事件で、抗うつ剤大量服用による心神耗弱が無期懲役への減刑理由となったことはかなり知られているかと思います。

 全日空事件に関しては、そもそも、通院していた医者の当初の診断も理解しかねる(統合失調症ではなくて、この段階では詐病していた疑いがあることは当時も報道されたかと)し、結果として出されていた薬のリストを見ると、医者ではない、限られた知識の私の目から見ても、もう、どういう判断でこうした薬がここまで大量に出ていたのか、目を疑う内容が列挙されていますので、判決のように「『抗うつ剤』の大量服用の副作用」だけ認定したというのは何か腑に落ちないといいますか、医者の診断と投薬のあり方そのものが大きく問われる事例と思えてならないあたりが、今回の番組では不十分な描き方と思えますが、その部分を詳しく描きすぎても番組のバランスを崩したでしょうから、敢えてクレームをつけるに及ばないかと思います。

 そして、アメリカの、あの「コロンバイン高校銃乱射事件」(1999年)の犯人のひとりもまた、犯行直前に、大量のルボックスを服用していたことが、この番組で紹介されます(wikipediaによれば、犯人の遺族からの製薬会社の告訴による訴訟においては、薬との因果関係は立証されなかったものの、2002年にこの薬はアメリカ国内では販売中止になっているそうです)

 アメリカでは、すでに2004年の段階で、SSRIがその副作用として攻撃性を誘発するか可能性があることを注意書きに明記する命令が製薬会社に出されていました。

*****

 もとより、こうしたSSRIが攻撃性を誘発する副作用を人によっては発揮する可能性については、こうした大犯罪事件のみならず、数多くの、もっと地味な犯罪・警察沙汰の事件、そして現場医療の中で気がつかれた患者さんの衝動性の高まりなどの行動変化についての、少なからぬ症例に基づいて浮かび上がってきた事柄です。

 番組では、日本での2つのケース、すなわちパキシル投与後、言動が攻撃的になり、ついにはコンビニに包丁を持って強盗に押し入り、現金20万円を奪取した事件、そして、配偶者を殴って10針の傷を負わせた事件という、2つの事件における、診断と投薬の過程の問題点が、ご本人と家族への取材映像を含めて紹介されていました。

 前者のケースは、投薬開始後早い段階から、家族に対して衝動性・攻撃性が増していたにもかかわらず、医者は、まずはパキシルを3倍にまで2段階かけて増量し、その段階で「効かないから」という訴えを受けて、一転して投与全体を中止。それから数週間後には再び、かなりの量の投与を再開、更に増量(当初の4倍)という、実に頻繁な投与量の増減がなされていた点が、番組で、重要な問題点として指摘されました。

 SSRIを飲むことを「急にやめてしまう」ことは、実は非常に危険であり、身体面でのリバウンドの危険も大きいばかりか本人を更に不安定にする引き金ともなるのです。ですから、患者さんが勝手な判断で飲むのをやめてしまうことは是非避けるべきです。お医者さんの指導の下で徐々に減薬していった上で、別の薬等の治療に置き換えて行くのが適切です。

 もうひとつの後者のケースは、すでに以前もご紹介したように、実は双極性障害の「うつ状態」のはずなのに、単極性障害とのみ誤診され、気分調整剤ではなくてSSRIのみが中心的に処方されたケースでした。この患者さんは、おかげで躁鬱の波が余計に悪化するというパターンにはまって、奥さんに暴力を振るってしまったのですね。

↓「NHKスペシャル」で用いられた図の再掲です。今回の番組で掲載されたのは「双極型障害Ⅰ型」についてのもので、躁状態方向への波の振幅も高まっていたので、少し違う図になるのですが、参考までに転載します。
Bp2b_2
Bp2c_2

 この番組の中で、単にSSRIそのものに不安や緊張の低下と同時に、衝動性抑制の神経伝達物質代謝まで緩んでしまう作用を起こす可能性の示唆にとどまらず、お医者さんの側に、適切な診断の下で、薬を的確に使いこなせていない未熟さがまだ見られることが大きな原因であることを強調していた点は、重視すべきでしょう。

 この取材に応じ下さった患者さんお二人が異口同音に語った事柄が印象的です。

「そういう時には、まるで自分が自分ではないみたいな、独特の感じなんです」

「何かにムカついてきて、イライラが高まる時のイライラとは全然違うものなんですよ」

****

 今回の番組の中で、ゲストの医療ジャーナリストの小出五郎氏は、日本の薬事法における、薬の副作用についての国への報告システムの問題点を指摘していました。製薬会社や大病院からそうした副作用報告を吸い上げるパイプは制度として整備されているのですが、個々の医師(開業医を含む)や患者・家族から、そうした、薬の副作用についての情報を、たとえ曖昧で確証がなくてもいいから吸い上げるまでの公式のシステムが制度的に存在しないそうです。 

「副作用情報はいったい誰のためのものかということです。何よりまずは患者さん、そしてご家族にとってなくてはならないはずのはず。そうした情報を専門家と共有するためのネットワークの整備が制度的にも急務」

というのが、小出さんが最後に強調した点でした。

*****

 この番組の更に後に放送された、NHK「ためしてガッテン -うつ病よサラバ!脳が変わる最新治療-」についての感想はこちら

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2009年5月31日 (日)

NHKドラマ「ツレがうつになりまして。」第1話の段階での感想と今後の展開への期待

 今、やっと昨日の第1話(毎週金曜日22時より放送)を観ました。

 私は原作を知らないままです。

 むしろ予備情報全くなしでぶっつけで観ようと思っていましたし、原作との比較論にも今後も一貫して無関心を通すことをあらかあじめお断りしておきます。

 細部に至るまで、非常にリアルに描かれているし、俳優さんも適材適所で好演だと思います。

 藤原紀香さんの、最初登場した瞬間に彼女であるとは全く見えない、アイラインなし、ノーメイクでぼさぼさ頭、これだけはネットで情報ありましたけど、記者会見の動画や番組宣伝用のスナップ写真などでは、ドラマの映像を実際観た際の、その強烈なプレゼンスはほとんど伝わりません。ここまでやると、視聴者を幻滅させることを覚悟で彼女の「素顔」を見せる役者魂!に敬服するのみです。

 私の中には「ルパン3世」の峰不二子の化身みたいなイメージが強かったので、かなり強烈。でも、おバカで、かわいくて、無力で、でも魅力的です。


●ドラマ「ツレがうつになりまして。」NHK公式サイト


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 うつの人を抱えたご家族恋人によく見られがちな光景である、そうした周囲の人自身がうつ的になっていく(あるいは、潜在的なうつがあぶりだされる)という悪循環のジレンマと、その血みどろの克服の中で、お互いに少しずつ癒され、生き方が変わっていく過程もきちんと描かれそうですね。

 うつって、うつになったご本人が単に「回復する」だけのプロセスで済ませれるものであることは実は少ないのです。その人と関わる周囲の人との間の「システム」そのものが変化すること、ひいては、その家族やカップルが帰属していた社会との接点の「システム」も変化することが、連鎖反応的に、見かけ上はほんの少し、シフトする必要があることが多い。

 ご本人がうつから「回復する」ことだけを家族や企業が「期待している」状態というのは、悪循環を維持する牢獄の最たるものです。ご本人は、果てしなく泥海の中でのたうつことになりやすい。これは、システムズ・アプローチに心得がある臨床家には俯瞰できているはずのことのようです。(このことも先日の児島先生の講義の中で示唆されていたのですが)

 そして、実は、そうした、うつの方を包む「システム」の重要性の最たるものは、当然医師との関係性です。

 このドラマの中では、理想的なお医者様と最初から出会えたという前提で描かれていくようです。

 しかし、現実には、医師の一治療者としての実力は別としても、まずは、患者さん、ご家族とお医者さんとの間のコミュニケージョンに隙間風が吹いていることがいかに多いか。そして、それが治療過程の停滞の決定的因子であることがいかに多いか。

 患者さんを包む一番ベーシックな社会的援助システムである筈の医者との関係そのものがきちんと歯車がかみ合っていないならば、うつの人が空回りし続けてもやむをえない、これは自明なことなのではないか?

 我田引水ですが、この「お医者さんとのかかわりのサポート」という領域こそ、私が地域の開業カウンセラーとして、ここしばらくの間に非常な問題意識に目覚め、研鑽を積み、特化して展開させてきた大事な領域です。

 実はこれが単なる「アドバイス」(コンサルテーション)ではなく、むしろセラビーそのものであるという認識に目覚めたことは先日にもお書きしました。

 これについては、このブログで度々お書きしてきた、不肖、私の見解を、「こころ相談.com」で、総括的に、ロングインタビューの記事にしていただけることになりました。すでに最終校正作業終了。今週中に公開です。


*****


 ドラマの方、いずれにしても、第1話がこの水準なら、今後の展開には、もうあまり心配がいらないかと思いました。


 そうそう。風吹ジュンさんが演じるお医者さんが自転車乗りなのにはびっくりしてしまった、自転車乗りカウンセラーのこういちろうです(^^)


*****

 
 このドラマの監修者は、NHKスペシャル 「うつ病治療 常識が変わる」で番組出演され、メインのコメンテーターをお務めだった、日本うつ病学会理事長、野村総一郎先生です。

※続く第2話についてはこちらです。


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2009年3月31日 (火)

NHKスペシャル 「うつ病治療 常識が変わる」への感想 : 総目次

*目次*

1.(副題なし)
2.双極性障害(躁うつ病)と単なるうつ病とでは薬の処方が全く異なる
3.医者選び、ここに注意
4.投薬の全面的見直しの際に注意すること
5.番組で「非定型うつ病」を積極的に取り上げなかったこと
6.認知行動療法について

特別編1.統計上の問題など
特別編2.今回の番組を「ネットでは常識水準」と言ってしまうことの副作用
特別編3.ご紹介:読売新聞の「医療ルネサンス」 更に、援助的専門家自身のメンタルヘルスについて

*****

●NHKのクローズアップ現代・「問われるうつ病治療」について
●NHK「ためしてガッテン」、-「うつ病よサラバ!脳が変わる最新治療-」

●NHKドラマ「ツレがうつになりまして。」第1話の段階での感想と今後の展開への期待

*****

 以下、番組とは直接関係ありませんが、うつ(気分障害)状態にある人への私のカウンセラーとしての関わりへのご参考までに:

5分診療の神経科・心療内科の現実といかに対処するか
●日常次元での「治療的副作用」への想像力
●自分を「いいカウンセラー」だと感じさせ、医者を「悪者」にしたくなる誘惑

●欝とは、自分が無理をしていることを認識できなくなる時期にすでに始まっている
●薬をやめることをお焦りにならない方がいいですよ
「ランナーズ・ハイ」の行き着く先

●読売新聞 うつノート 回復めざして 第4回 「心は更地 安らぐ表現」
●「うつ病の時のこころの状態」(こころ相談.comインタビュー記事)
●「私のうつノート」書評

●医師に鬱病と診断され薬物療法も受けている人へのフォーカシングの適用
●フォーカシング技法を活用した、鬱状態のクライエントさんのための「主導型積分的フェルトセンス照合」スキルアップトレーニング(案)
フォーカシング指向心理療法の認知行動療法的活用についてのとりあえずの覚え書き

●久留米でうつと働き方を語る会(私が代表です)

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2009年3月24日 (火)

フォーカシング技法を活用した、鬱状態のクライエントさんのための「主導型積分的フェルトセンス照合」スキルアップトレーニング(案) [第3版]

 自分のフェルトセンスと「ふたりぼっち」で主体的に生き抜いた日々の思い出は、仮に欝状態に陥っても簡単には死にたくなったり、虚妄と感じるようにはならないものである。
 
 「自分が欝になったことから生じる憂鬱」
(私はこれをも「二次症状」と呼ぶ)
の部分は、すでに経験を積んだフォーカサーなら、
フォーカシングでかなり緩め得ると思う。

 フォーカシングが「無理のし過ぎ」を助長するか、
 薬物療法の援助として機能するかは、
 その人なりに経験値を上げていける事柄だと思う。

 そうやって経験値を上げるためには、

* 同じ薬について、薬を飲むたびごとに毎回比較する。
* 薬を変えたり、追加した際に、前の薬の飲み心地とある程度経過を追って比較する。
* 毎朝起き心地の質、毎晩眠りの質を比較する。

など、さまざまな基準を作り、過去のフェルトセンスと現在のフェルトセンスを連続的に具体的に比較するための「枠組み(table)」を自分なりにはっきりさせてみると効果的だろう。

 まずは、

1.「パーソナルな」指標の選択
2.その選択した指標への、本人の実感に即した「命名」

ということをする。

「パーソナルな指標」とは、鬱になって以来繰り返して体験してきた特徴的な現象のことで、それをともかく思い出すままに列挙するという手続きである。

(フォーカシング関係者向け:クリアリングスペースのことですね)

 ただし、そうした際に、ありきたりの医学用語などはできるだけ避ける。仮に使ったとしても一ひねりするとよい。

 むしろ、自分の実感に即し、「こんなこと医学的に見て『症状』として認められているのかいな???」と思うようなものすら、自分的に印象的なものは採用してみて、更に、ユーモラスですらある(!)「自分だけの命名」を試みるといいだろう。

(フォーカシング関係者向け:フェルトセンスのハンドルをみつけるにあたることですね)

例えば、

「はじめてジェイゾロフトを飲んだ時に、飲んでからわずか二時間で体験でき、その後も朝起き抜けに時々は体験できてきた、頭の中にミネラルウォーターが湧き出したような感じ」

「パキシルを飲んで、その後ちょっと無理をすると生じ始める、まるで昔のFMチューナーで、放送局を別の放送局に切り替えようとする時に聞こえた、頭の中で「ジャッ、ジャッ」と音がするみたいな感覚」

(↑【注】これを患者から聴いて、「幻聴では?」という仮説しか浮かばない医者がもし居たら、即刻見捨てるべきです。パキシルを減薬するときの副作用のひとつとして「頭の中のシャカシャカ感」と明記しているお医者さんも居ますので!!)

「この日、物を置き忘れる」

(↑【注】一般の人もでしょうが、欝になるとこれがひどくなる傾向があるのは実におなじみのことかと。どこまでが鬱のせいでどこまでが薬のせいかはともかくネ!)

「孫悟空ーーー!」

(↑【注】うつの人には申し上げるまでもなく、医学的には「被帽感」「緊張性頭痛」と呼ばれるもの。ズキズキ脈を打ちません。この感じが弱い人は、ほんとに頭にティアラか何かを載せてるくらいに感じるんですが、一方、生まれてこの方この感じを体験したことがない人もいます。そういう人や家族が下手に精神医学の本とかを斜め読みすると、「た、体感幻覚では?」という方向に心配するというのは結構よく聞く話だと思います。しかし、うつの人にとっては、年中帽子をかぶってるようなもので、他の症状に比べるともはや症状のうちには入らないと思っている人も少なくないでしょう。もちろん例外もあるかもしれませんが。しかし、この「孫悟空の輪っか」が頭に出ている時には、「まだエンジンがかかっていない」とか「疲れてきたかな」という警告サインとしていつの間にか大事にしている欝の人は凄く多いはずです。そして、薬をかなり異質のものに切り替えなどがあると、「これまでの『輪っか』だけじゃなくて、鋼鉄のフレームがつき、蜂の巣状に脳に刺さってきそうな『帽子』になった」などと、程度だけではなくて質の変化を明瞭に感じる人もあるかもしれません)

「この状態で外出したらトイレに間に合わないという大惨事に至る危惧すら思える下痢の予感」

ゆったりとした潤いが頭蓋骨の脳室の底に広がってたまっていく落ち込みもどき。これは疲労というよりデジレルを飲んでしばらくすると生じてくることが多い。要するにデジレルの睡眠薬的効果なのに私は時々誤解して、その落ち込みもどきなったことに落ち込みそうになる。眠気落ち込みの区別がつきにくいって、あなたに通じるかな?」

不眠タイプA 前門のトラ後門の狼タイプ。眠ろうとすると寝られず、起きてしまうと今度は横になりたくなるという果てしない葛藤に陥る。」

「私のうつの純度100%系。自分の内側の感じに触れようとして、触れることはできるけど、感じそれ自体から私が注意を向けたことにまるで『応答』するかのような反応が返ることが決してない。最初にこの体験をしたときにイメージとして浮かんでいたのは、灰色の干からびた雑巾が土の中の断層に引っかかっている」というものであり、そのイメージさえ浮かべればそのときの、感触を擬似的にうっすらとだがいつでも呼び戻せる」

私の『抑うつ』、これならぐっすり眠れ、翌日は結構大丈夫系。ともかく仰向けに横になって内側に注意を内側に向けると、内側からあたたかくてほっと緩むような応答あり。ああ、昔はこれで何とかなったのになあ」

「私にとっての『典型的軽そう状態』に固有な脳内の『殺伐とした』感じ。これと似ているけど区別できる気がするのは、うつになる前からあった、まるで脳の中に乳酸がバリバリで出ているときの感じ。これそのものはただの『無理して寝不足』のようだが、いつの間にか後者が前者に化けることがあることに要注意なのだ」

単なる『無気力な』感じというのは、考えてみたら、欝になってからは一度も経験していないなあ.....。『おっくう』というのは、『無気力』とはまた違う感じなんだよ。それ以外に『純粋の鬱感覚』ってのは確かにあるの。私の場合は、『焦り』すら感じようがなくなった『純粋の鬱感覚』ってのは、意外としのぎやすい。『死にたい』じゃないんだ。すでに自分がこの世の人たちが喜んだり悲しんだりしているのをよーわからんときょとんとして眺めているようなものだし」

などなど。

*****


 さて、薬についてフェルトセンス的に体感するとはどういうことかという話に進みます:
 
 同じSSRIでも、薬ごとに飲み心地が異なることは、うつの患者さんにとっては、フォーカシングを体験的に知らずとも、全く常識次元の事柄のようだ。

 その薬を飲んだ後の感覚の違いは、ある程度は他のうつ患者と間主観的に共有可能な側面もあるが、フォーカシングを学ぶことで生じる何より重要な変化は、本人自身の中で、内部感覚を実に細やかに識別して感じ分け本人にとってぴったりのフェルトセンスのハンドルといえる言葉やイメージを見出す力が高まることだ。

 例えば(あくまで例です)、

「パキシルの抗鬱作用(ひょっとすると軽躁まで反転した時)は、何が地面の下から自分の身体を支える台が張り出してきたという感じで、やや暑苦しくて『肉食系』」

「ジェイゾロフト抗鬱作用(ひょっとすると軽躁まで反転した時)は、すっきりと透明に、まるでハーブキャンディのように冴えるというのに近い。パキシルが『暑苦しい熱血漢』なのに比べると『クールで草食系』。

「以前はパキシルのある種の『力強さ』『泥臭さ』が懐かしかったんだけど、今は変えた後のジェイゾロフトの『洗練味』に『落ち着き』を覚える」

「パキシルからデパケン(気分調整薬)に変わったんだけど、ある意味ではパキシルでうまくやれていた時代が懐かしくもある。そりゃ、躁鬱の揺れに振り回される度合いがどんどん大きくなって苦しかったけど、それを自分なりにしのげていた頃は、明るいにしても落ち込むにしても、情動の持つ「泥臭さ」とか「ねっとりとした」味わいがあったようにも今では思う。その誘惑がヤバイとも今では思っているけどね。デパケンになじむ、確かにジェットコースターのような振幅はなくなって、いつもコンスタントに8割の状態を維持できるし、以前よりも無理した後のリバウンドはなくて、まるで以前は盲腸のような袋小路で悪循環していたエネルギーがちゃんと進行方向とは反対に噴射して私の身体を前に押してくれるようにして、気力も持続するけどね。何か、上からも下からも押し込まれた間の狭苦しい空間に、ゴシック体の自分が居るみたいな感じなのよ」

などといったものです。

 「薬を飲む前と飲んだ後の自分の内側の全体的な感覚をフェルトセンスとして感じてみる」......それは、単なる身体感覚だとか重苦しい気分にどっぷりと浸ることとは異なる。いわゆる薬の「官能検査」とも異なる(薬の味の報告ではないし)

 その具体的な違いについてはジェンドリンやアンの技法書に譲るとして、「フェルトセンスとして少しだけ触れる」というだけなら、実は一見否定的な感じであっても実は心地よいという矛盾が両立する(ジェンドリンが『フォーカシング』で書いていることです!!)。基本的に重い情動にただ浸るよりは「軽い」感じられた質を持ち、繊細な微妙な言語化・イメージ化が可能で、実は同じ処方であり続ける限り、自分の背景にある基本的な感覚(background feeling=背景感覚)として変化しにくい感覚を、薬ごとに(!)捕まえることができる(はずである)。

 「ああ、昨晩と同じまた『この』感じだ」とか、「以前のと似ているけど、何か違う質の感触が混じった。何か少し濁ったかな?」などと識別しやすいのである。

 そして、この後に述べるように、日ごろの悩みなどという次元を脇において、主に薬を飲む前と飲んだ後の内部感覚というテーマに集約・限定して、一定時間(2時間、6時間、就寝前)を開けて再度「ちょっとだけ」感じてみるという課題を明確に規定することにより、深い抑うつやひどい焦燥感にただ巻き込まれる状態になりにくくする予防効果もある。

*****

3. さて、ここからが、フォーカシングでいうとフェルトセンスをt『共鳴させる』の部分なのだが、過去のフェルトセンスと現在のフェルトセンスを比較するということを意識的に導入します。

 しかもそこに、3つの次元での躁鬱のサイクルが同時に進行していて、患者自身はその複合・錯綜したものを体験しているというとりあえずの仮定の下に、患者さんと一緒に多次元で解析していくわけです:

A.短期的な変動(1,2時間から一日程度)・・・・広義の「日内変動」を質的差異としてパーソナルにとらえる(メランコリー型固有のものを「狭義」として)
B.1週間程度の変動(現実の日常生活の疲労サイクルを仮定)
C.その人が双極性障害だと仮定した場合の躁鬱のサイクル

*****

 まずはA.の次元(短時間)から話を始めますが。

 すでに薬物療法とフォーカシングにに慣れている人の場合、この感度は、新たな薬を初めて飲んでからわずか1時間-2時間の時点で感じられる新たな感覚が、新たな薬の効き目が安定した2週間後の感覚と同じ質でであったと正確に感じ得るほどの精度を持つ場合がある(これは全然大げさではない!! 何と飲んで10分後に体験された感覚が、2週間たっても時々現れると報告する人もいる)

 それところが、数時間の間にも進行する気分や調の変動(日内変動)のただ中でも、あるベースラインの質感が『背景感覚』としてずっと維持されていることにまで気がつけることも少なくないのだ。

 いわば旋律やメロディがどう変わっても、一番下のパイプオルガンの基低音は実はずっと持続的に同じ音色で鳴り続けていたことに気がつけるみたいなことことも少なくないのである。

 こういう『背景感覚』をつかむのは高度な課題だと思っているフォーカシング関係者も少なくないかもしれない。だが、むしろ個別的な感覚が現れては変化していくことを逐次報告できねばならないというフォーカサー側の強迫的ともいえる思い込みが邪魔をしていただけで、実はずっと「背景感覚」を感じていたのに、それを言語的に報告していいことに気がつかないだけだった(いわば、イメージの背景のスクリーンの色は報告の対象ではないことを自明の前提にしていたけれども、実はイメージよりも背景の方がその人にとって自然に無理なく報告できるものだった)というケースは予想外に多い。要するに、その人は「たいへんそうな感じ」を一気に「またぎ越して」背景の感じ全体に触れるということにいきなり習熟してのである。

 そうとわかってしまうと、鬱についての話を延々と繰り広げるよりも、「こころと気分の背景の感じ(その人が好きな名前をつければいい)」にアクセスしてちょっとその質感を確認することの方がはるかに簡単で、負担も感じないという人も多いのである。

(このへんは、フォーカサー自身が自分に無理のない形に創意工夫していいし、リスナー/ガイドの臨機応変の提案がフォーカサーの援助になることも少なくないはずである。更に、フォーカサーの側のフォーカシングがうまく進む時は、実はフォーカサーの側のリスナーやガイドといい関係性を作る潜在能力にガイド・リスナー側が支えられていること(......逆にあらず)を忘れるべきではない)

*****

 私はこうしたいくつものタイムスパンで、しかもいくつかの具体的観点からフェストセンスの質感的な変化を読み解くことを、仮に「フェルトセンスへの積分的照合の構え(orientation)」と名づけることとする。 ※数ヶ月前から練りこんできた、この概念の初公開です (C)阿世賀浩一郎

 なぜここで敢えて「積分的」という言い方をしてみるかというと、もし、その人がそれまでもっぱら「今これからどうするか」という点での迷いを解決するためにフォーカシングする習慣が強かった場合には、「今のこの行き詰まりの感じが、いつ、どのように変化(シフト)を起こしはじめるか」に敏感であったことになる。

 こうした人は、それまでは、いわばフェルトセンスの照合の際に「微分的」あるいは「差分的」な構え(orientation)が強かったことになる。

 (この発想が、中井久夫先生の「分裂病と人類」に基づくことについては、私のプライベートサイトの中井先生信者ぶりのあちこちで描いてきました。)

 私の経験では、前述の「積分的構え」で具体的にいくつかの観点と、短期から長期に至るタイムスパンでフェルトセンスの感じられた質の変化を同時並行的に検証することに意図的に「なじむ」つもりにならないと、うつ状態の下で、自分の内部感覚全体を立体的に適切な遠近法で「俯瞰しつつ味わう」ことに熟達しないようにも思われている。

*****

 さて、先ほど、薬を途中で変更したり追加した場合について、

> すでに薬物療法に慣れている人の場合、この感度は、新たな薬を初めて飲んでからわずか2時間の時点で感じられる新たな感覚が、薬が安定した2週間後の感覚と同じであったと感じ得るほどの精度を持つ場合がある。

> ところが、数時間の間にも進行する気分や体調の変動(日内変動)に比べると、あるベースラインとなる背景感覚が、具体的な薬ごとに、基本的に維持されていると体験されることも少なくないはずである。

 と書いたが、 これに対して、

 (Aサイクルの日内変動ではなくCサイクル=双極型の人特有の躁と鬱の中期的なうねりが前に進んで(carry foward)生じた変化は、そうした背景にある基本感覚そのものががらりと変質することが多いように思う。

 例えば、実は3カ月おきの躁鬱の中期的な波がある人が、それまで生じていた、基本的には軽躁的な中で生じている「頑張っている時」と「疲労がたまった時」という、毎週末ごと(Bサイクル)の、似たような感じられた質の推移を伴う小変動(もしこれだけなら、薬に支えられているとはいえ、薬が「維持療法段階」に達した後の安定状態ともみなせる)を3回繰り返せた時点で、さてまた4回目に入るかなと思っていたら、突如、全然別次元での不調(例えば、それまで未体験なくらいの下痢と起き上がり不能な深刻な状態)になり、それまでの3週間のそこそこの安定期は、その後数年にわたる経過の中で、二度と同じような体験の質としては戻ってこない、というようなことである。

 (もとより厳密には、躁鬱の急速交代型(ラビッドサイクラー)のケースだと、日内変動と周期的な波の区別がつきにくいことは承知している。しかし、私が患者さんから聞いた範囲では、ラビットサイクラーの診断は安易に使われがちで、双極性障害II型の診断が適切なのに、気分調整剤ではなく抗うつ薬!! が多めに処方され(リーマスは出ていてもあまりにも量が少なすぎて有効血中濃度に届いているはずもない)、その「抗鬱薬」副作用としての不規則な軽躁状態との慎重な鑑別が医師によって必要なことが少なくないようにも思う)

 つまり、双極型でいう躁鬱の波の変動そのものが、ひとサイクル進行すると、そのたびごとに、躁状態でもうつ状態でも、それまでと同じ薬の効き目や副作用についてのフェルトセンスが、本人に予想もできない、あさっての方向へと感じられた質felt quality)そのものが別の状態に激変していることすら少なくないのである!!

****

 え? 薬の変更よりも、躁鬱の周期的な波の変化の繰り返しの方が毎回同じように質的にも体験されるのではないか?.....ですか?

 当然生じる疑問である。

 しかし、考えてみて欲しい。もし躁鬱の周期的な波(日内変動ではなくて)を本人が同じような繰り返しとして、容易に「すでにお馴染みの感じられた質の感覚」の再来として体験でき、薬の変化の方を新鮮な質的体験として感じられるのなら、患者自身、薬を変えたことによる変化と、自身の躁鬱の繰り返しの感覚の質的違いによほど容易に気がつけるはず.....ということになりはしまいか?

 つまり、双極性の患者本人の体験世界の中で、そううつの波の体験は、単なる堂々巡りの繰り返しではない「質感的差異」を伴う「質的に新しい」体験として認知し続ける、一群の人たちがいる可能性、むしろそのことが鍵なのではないか。

 そしてこうした現象は、実は双極性障害なのに単極性うつ病と診断され、抗うつ薬しか処方されず、その結果、波が進み、一度躁転してから鬱にはまるたびに副作用が悪化し続けてきた双極II型の人に独特のフェルトセンス体験様式の推移ではないか、とも思えるのである。

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↑ こうして、もう一度、以前解説したしたNHKスペシャルの図を再表示することになります。

 気分障害の診断と薬物のAPA標準処方について、基本的なことをすでにご存知というハードルはありますが、この水準が、おそらく、フォーカシングの専門家向けの学会発表や学会論文として幅広い人に読んでいただける妥当なまとめ方かと思います(^^)

 更にいえば、こうしたやり方が、ある意味でフォーカシング指向心理療法的な認知行動療法的アプローチのバリーエーションのひとつであることは、認知行動療法の体験者の皆様にもご想像できるのではないでしょうか。(別の認知的バリエーションとしてすでに書いたものは、ひとつはここにあります。)

 しかし、何より、この発想のアイデアの源泉になったのは、中井久夫先生のもうひとつの不朽の業績、統合失調症の患者に生じる身体的なさまざまな兆候と精神症状の兼ね合いについての継時的臨床研究であるということについても、言及させていただきます。

精神科治療の覚書 (からだの科学選書)

(とりあえずここまで掲載します)

*****

※この記事の著作権は阿世賀浩一郎にあります。そのことを明示してくださる限り、ネット上でのご紹介、一部の引用、リンクは自由といたしますが、トラックバック等があれば感謝いたします。なおこの記事に基づく学会発表を2009年度中に行ないます。この記事を参考文献として明示して下さった上で学会発表に役立て下さる方があれば、ご批判も含めて、歓迎いたします。 (C)阿世賀浩一郎

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2009年3月20日 (金)

医者に鬱病と診断され薬物療法も受けている人へのフォーカシングの適用について [第4版]

 この問題について、日本に十数名いる、The Focusing Institute(日本語版サイトはこちら)の認定コーディネーター(狭義のフォーカシング技法の「トレーナー」、および、「フォーカシング指向心理療法セラピスト」の訓練資格認定そのものの資格の所持者である私が、個人的見解であるにしても、こうした場で表明することは、たいへんな責任を伴うことを私は十分自覚しています。

 私以外のコーディネーターやトレーナー、一般のフォーカシング学習者の皆様からのご意見は誠実に尊重させていただきます(個人メールでも結構です。匿名でも歓迎です)。

 もとより、個人情報保護の観点から、ご本人から主体的に公開の意思を表明された場合を除き、ネット上でその趣旨を、一般論としてすら、公開することはいたしません。

*****

 まず、端的に、私なりの当面の結論を、解説抜きで列挙させていただきます。その上で、一項目ごとに詳しい説明と、情報提供をいたします。その結果が連載の形をとる可能性も十分考えられます:

1.日本のこれまでの趨勢としては、鬱状態にある人への、「単一技法体系」としてのフォーカシングの学習には慎重な意見が多かった。

2.特に、フォーカシング学習者の主体性尊重が十分でなく、専門家側ががみだりにフォーカシングを学ぶことを勧め、フォーカサー(フォーカシングを学習し、身につける人。クライエント側)が受身にフォーカシングを学ぶような形は回避すべきとされている。

3.国際的には、マクガイアの「自殺念慮のある重篤な欝状態にあるクライエントに対するフォーカシングの適用」という論文(私は約20年前にこの論文の英語オリジナルを個人的に日本語に全文訳してみました。その頃からこの論文にかなり大きな影響を受けています。英文がネット上で見つかればリングを張りますし、いずれ日本語で概要を紹介します)を古典とする形で、殊にヨーロッパでは、鬱を含む重篤な状態にあるクライエントへの、フォーカシング指向心理療法的なアプローチがなされて来ており、それらの中には、「試行的段階」を超えて、臨床キャリアを積み重ねた現場実践者も増え、論文も確実に増えている段階である。

4.日本では、特に増井武士田嶌誠一という、現場心理臨床に卓越した、フォーカシングと一線を画するスタンスを保ってきた臨床家(二人共に福岡で活躍してきた)により、うつ状態や統合失調症などの重篤な患者さんにフォーカシングをそのまま学んでもらうことの問題点と、その原因についての仮説が具体的に究明され、ジェンドリンの体験課程理論そのものへの批判と新たな理論構築、更に、そうした欠点を解消できる独自の技法的アプローチについて早くから公表され、すでに臨床現場で幅広く適用されている(増井の「こころの整理法」、田嶌の「壷イメージ療法」)。 

5.私、阿世賀の私見によれば、増井・田嶌両氏は、臨床実践的には非常に鋭い着眼(増井の「にせフェルトセンス」論を含む。私の理解では、その本質は「関係性」論である)と、新たな平易で効果的な技法体系の提案と、その日本での普及という点で、たいへんな功績がある。しかし、一部ジェンドリンの体験過程理論への誤解に基づく側面があり、日本のフォーカシング「インサイダー」の研究実践者に、概念や用語の理解の上で、むしろ混乱の火種を蒔いているともいえる。もし、このような、フォーカシング「インサイダー」陣営と、この両氏の間で、専門用語の定義と相互誤解についての相互了解(論理実証主義的な問題解決)が深められていくと、日本の心理臨床全体に大きな貢献をすると私は考えている。(ちなみに、私は臨床家になりたての頃から、この先輩お二人と、懇意です!!)

6.薬物療法なしでも、フォーカシングが、その代わりとして、単独で、うつ状態の解決に貢献するという発想は決してとるべきではない。
  しかし、そもそも医療での診断と薬物処方に問題がある場合も少なくないことを見立てる力がセラピスト側にも必要である。

7. 恐らく、欝状態になる前から、すでにひとりで日常の中でもフォーカシングをすることに慣れ親しんで来ていて、人生の最重要クラスの困難の解決にフォーカシングが役立った経験もそれまでに積み、それゆえにこそ、自分にとってのフォーカシングの効用の限界と、「無理のない形での」フォーカシングの役立て方にも習熟したフォーカサーの場合には、鬱とつきあい、克服していく上で、フォーカシングを学んでいたことによるメリットの方がデメリットより大きいのではないかと思う。

 ● このメリットがどのようなものであるかについて:

A.医者や家族とのつきあい方を改善する可能性
B.症状や、薬の効果・副作用についての自己認識と表現能力の洗練
C.鬱病の「二次症状」としての様々な感情を自分で細やかに識別し、言語化でき、自分の中に生じてくるそうした諸感情に振り回されにくくなり、比較的自然に受容するためのセルフスキルを主体的に持っているという効力感(efficiency)、自己統御への安心感を獲得できる可能性がある。

  ●具体的に考えられるデメリット

A.鬱が軽いうちは、フォーカシングである程度緩和できてしまうことも少なくないために(!)、医療の受診や専門的カウンセリングにつながるのが遅れる可能性。

B.言語的(絵画的表現など)に自分の状態を表現するのがすでにしんどいうつ状態の人が「実感にぴったりの言語化(絵画などの表現)が必要」と過剰に思い込んで、結果的に心身を疲労させる可能性(これは、トレーナーの側の技法的熟練があればさまざまのやり方で回避できるはずと私は考える)
.
C.前よりもフォーカシングがやりにくくなった時には、それだけ以前より心身が消耗している証しであり、むしろフォーカシングを試みるのをやめて、休息をとったり眠ってみようとするための内側からのサインとして歓迎する方がいいということまで、フォーカシングのトレーナーやセラピストが(一般論としては伝えていても)、いざと言う時にフォーカサー(クライエント)自身が思い出せるような十分に実践的なたちでは教え切れていないことが少なくない現状があるのでは?

 (更に言えば、そうやろうとしても、今度は休息をとったり眠ったりできないという新たなジレンマにはまることも少なくなく、その切実度が半端ではないということを、トレーナーやセラピストは、仮に頭で知っていても、フォーカサーが安心する形で受容できるだけの経験に乏しいことが現段階では多いだろうと予測する)

*****

 ここからナンバーリングを7.の続きに戻そう:

8.うつ状態の人が、病院やカウンセリングルーム、あるいはフォーカシングの集いの場に通うということだけすでに消耗し、更に帰宅の際に消耗するということへの、本人を傷つけない形での配慮が十分になされていない現状があるように思われる。

 具体的に言えば、その配慮とは、

 「病気なので断られて医者に回された」

だとか、

鬱(軽躁)状態の人間が感じるフェルトセンスはすでに病的である、あるいは、現実吟味能力が低下しているので、フォーカシングでは解決できない

などと主催者やトレーナーに判断されたと、参加者が思い込んでしまわないための配慮である。

 なお、ジェンドリン自身が、

「フォーカシング・スキルを学ぶ能力はのその人の『病理水準』とは無関係である。つまり、例えば統合失調症の人の中に、スキル上達が早い人と大変な人がいて、同様に、いわゆる『神経症圏』の人の中に、スキル上達が早い人と大変な人がいて、いわゆる『健常者』の中にスキル上達が早い人と大変な人がいる。そうした違いの方がよほど大きい」

と明言するのを日本で聞いた数十名の中の一人が私でもあります。

 (ことフォーカシングに「全然」限らないが、NHKの鬱特集の番組でも描かれたとおり、医者やカウンセラーの中に、「古典的なうつ病患者(メランコリー型)はおとなしくて文句を言わず従順なので相手をしやすい」という感じ方をする人たちが少なくない。そうした医者やカウンセラーの側に、患者(クライエント)が従順に従わないというだけで、「双極性障害」「非定型うつ病」「境界性人格障害」というふうに、ひとつの差別的な含蓄すら込めて誤診することへの悪魔の誘惑が生じる危険は少なくない現状があるだろう。境界例人格障害の診断が「ほんとう適切な」人に対してすら、気分障害的な側面については「気分調整剤」の処方がまずなされるべきというのが最新のAPA国際的標準処方とのことです)

9.日本では、個別セッションにしても、グループの場合にしても、リスナーやガイドを相手としてのフォーカサーのフォーカシング体験が、そのフォーカサー個人の生活や日常における悩みや心身の状態よりも、セッションのその場の雰囲気や、リスナー・フォーカサーとの関係性の影響を、より強く受ける可能性という問題についての認識がまだまだ不十分である。

 もっとも、「関係性が大事」ということを、フォーカシング関係者も、まるでお題目のようにすでに繰り返している。しかし、それを、セッションの只中でhere and nowな形で臨機応変に形成していく技量がトレーナーやカウンセラー個々人の中にどれだけ育成されているかとなると、あまりにもばらつきが凄いといわざるを得ない。

10. 面接室や会場を出て、一人になった後や、家に帰ってしばらくしてから生じる、フォーカシングの場で体験者したことがことごとく虚妄と感じ、現実感そのものがまるで失われる場合があるという「リバウンド現象」を、私はちょうど20年前、学会誌掲載処女論文「セッションの『反動』」と名づけて以来警鐘を鳴らし続けてきた。

 しかし、未だにこの件について具体的にどう対処するかという議論は全くもって成熟していないと私は思う。

 
11.これと関連するのだが、

 「大きな洞察と気づきの体験は、いわゆる「健常者」の場合ですら、短時間に生じる軽躁状態に類似している面がある

ということを、フォーカシング関係者も、もはやあっさりと認めた方がいいと思う。

 少なくとも、うつ病の人に、カウンセラーや医師、家族、そしてフォーカシングの仲間たちに、少し元気になったり鬱を脱してくると、安易に「躁状態になった」というネガティヴなレッテルを貼られたと感じている人は決して例外的ではないように思われる。

 そうやって人の心理状態を安易に型にはめず、虚心に感じなおしてみて、言語化すら性急に目指さずに、「その感じ」そのものと無理なく共にいられるスタンスを自分で作れるようになる方向にフォーカサーを援助するという点にこそ、フォーカシング・トレーナーのベーシックな務めであるはずなのにである。

 そうやって躁にせよ鬱にせよ、気分障害と診断されている患者さんへの日本独特のトレーナー側の気おくれが生じているのは、先輩からの「うつ状態の人のフォーカシングを深めさせると悪化する」という忠告をただ鵜呑みにしているためだと思われる。「患者に害を与えないことが最大の治療」ということは真実ではあるが、トレーナーを目指す人なら、少なくとも自分で自分のためにフォーカシングをやり過ぎるほどやってみて、どういう副作用や弊害が出るかについて自分に試してみるくらいの好奇心と探究心は持ってほしいと私は念じている。

(これらの点については、フォーカシングに限らず、洞察的あるいはリラクゼーション重視のセラピー全般において考慮されるべきことだろう。

12. 更にく言うと、前述の「セッション後の反動」体験に深刻な次元ではまった人は、自分のフォーカシング学習が未熟であるという、実は誤った劣等感に陥ったり、そもそもフォーカシングを学ぶ場に二度と現れないのではないか。

 そして、フォーカシング指導者の側も「もともと自我が弱い人、躁鬱のある人、あるいは境界例人格障害っぽい人」だから不向きなのだ、という循環論法で済ませているのだと思う。

13.こうなると、何と、脳内の神経伝達物質上のメカニズムの仮説として、わたしのいわゆる「セッションの『反動』」が説明できる可能性があることに、最近やっと、はっきりと私は気がついた。

 フォーカシングのセッション(特にシフト体験)そのものに、セロトニンとノルアドレナリン、ドーパミンの分泌を、それぞれ促進(抑制)する作用がある可能性を真剣に検証すべきではないか。

 それがいいバランスで生じると、弱いにしても「抗うつ剤的な作用」を若干果たし、その人の鬱の改善に貢献している場合もあるだろう。

 しかし、その一方、今度は、薬理作用という物質的なバックアップがないままで、脳内物質の過剰分泌のスイッチが入ることで、その「反動」として、数時間後にはそれらの物質の枯渇(あるいはバランスの変化)がはじまり、急激にうつ状態を喚起したり、鬱的とはいえない、鬱と誤解されやすい、別次元での心身反応を引き起こしたとしても何もおかしくないではないか?

 つまり、フォーカシング「成功した」学習体験そのものが、不適切な抗鬱薬の投薬と同じようにして、躁鬱の素質がある人ばかりか、もっぱら単極性の鬱だった人にすら躁鬱の波を「喚起する」可能性については、今後研究調査が重ねられるべきである。

*****

 もとより、く今日の技術水準の限界もあるかもしれない。しかし、脳内神経伝達物質レヴェルでの直接の検証とまでは言わなくても、せめて、NHKスペシャル「うつ病治療 常識が変わる」で実際に描かれたような、脳の血流量の変化を3D立体画像として映像化し継時的に追う技術すでに存在するではないか。

[第4版で追加] 番組で紹介された技術は、恐らく、理化学研究所のfMRI (functional magnetic resonance imaging) というニューロイメージング手法である。

 そうした測定法をうまく活用すれば、フォーカシングセッションをライブで進めながら、脳内変化を「ある程度間接的に」かもしれないが、継続的に測定し、統計的分析を加えること、すでに容易なはずである。

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******

 ここで問題提起したことが、実は、こと「技法としてのフォーカシング」を学ぶことや「フォーカシング指向心理療法的」アプローチに限らず、すべての心理療法アプローチにあてはまることに、すでに皆さん気づいていただいているかと思います(^ ^)

(続きはこちら

●当サイトの関連記事

* カウンセリングに熱を入れすぎると欝症状が悪化する?

   .......今回の記事とは少しだけアングルが異なる部分があります。

* 読売新聞での紹介記事 -心は更地 安らぐ表現-

    ......私自身が担当した、通院中のうつのクライエントさんに対する認知行動療法的ともいえるフォーカシング指向心理療法的アプローチの実例。この記事に関して私(阿世賀)の側は一切取材を受けず、クライエントさんに入った読売の取材そのままの内容である。
 ジェンドリンの直弟子、日本フォーカシング協会前会長でもある、関西大学の池見陽先生のコメントもその記事に掲載されているが、まさかこのような形で新聞の上で遭遇するとは、クライエントさんも私も池見先生も、実際記事を読むまで想像していなかったという裏話がある。
 この記事に対する追加コメントとして、薬物療法や鬱の人へのフォーカシングの適用について、池見先生の見解が研究室サイトに更に掲載されたが、その記事へのリンクはこちら

*****

※このサイトのこのエントリーの著作権は阿世賀浩一郎にあります。そのことを明示してくださる限り、ネット上でのご紹介、一部の引用、リンクは自由といたしますが、トラックバック等があれば感謝いたします。なおこの記事に基づく学会発表を2009年度中に行ないます。この記事を参考文献として明示して下さった上で学会発表に役立て下さる方があれば、ご批判も含めて、歓迎いたします。 (C)阿世賀浩一郎

 
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2009年3月18日 (水)

ご紹介:読売新聞の「医療ルネサンス」 更に、援助的専門家自身のメンタルヘルスについて -NHKスペシャル 「うつ病治療 常識が変わる」への感想(特別編3)-

 前の記事までにご紹介したうつ状態に限らず、発達障害や統合失調症、身体疾患についても、誤診→投薬の不適切ということがよく見られることは言うまでもない。

 読売新聞の長期連載コラム「医療ルネサンス」は、単行本化された「私のうつノート(書評記事当サイトにあり)と共に、すでに定評ある、この種の問題を掘り下げた試みであるが、読売新聞公式サイトでもバックナンバーを読むことができる。

 この「医療ルネサンス」のバックナンバーから、

●シリーズこころ これ、統合失調症? 耳傾けた心理士 誤診修正

を紹介したい。

 いじめを受けていたことを親にも内緒にしたかったために、「悪口を言われている気がするだとか、「誰かにつけられているのでは」という訴えを、統合失調症における妄想状態であると医者に誤診されていた例である。

 話をじっくりと聞いてくれた臨床心理士によって、このあまりに初歩的な誤診の可能性について示唆を受け、別の精神科病院で幸い正しい診断を受け、回復したとのこと。

 数名以上の統合失調症が疑われるクライエントさんとじっくり面接した経験があるカウンセラーであれば、若手でも、こうした際に妄想であるかないかについて、かなりはっきりした見立てをすることができるものである。

 大学学生相談をしていると、私に限らず、

1.母国の国際紛争で前線の兵士になり、実際に諜報活動に従事したことがあるらしい留学生が「自宅に盗聴器が仕掛けられている」「誰かが監視のために付きまとっている」と訴えたが、しかし帰国後、本当に統合失調症との診断が適切だったことをご家族から報告してもらえたケース。

2.帰り道で誰かに付きまとわれていると訴えた男子学生が、医師に一度は統合失調症を疑われたが、実際に、ほとんど面識がない女子学生(!)からのストーカーを受けていて、診断が変更されたケース。

3.家での親の仕打ちについて、とても現実にありそうにないとも思えることを話していたが、実際に親に接してみると、とてつもないモンスター・ペアレントであり、なおかつDV常習者であり、なおかつ学生本人は、実際に、「妄想型」ならぬ「解体(破瓜形)」統合失調症的側面があり、しかもPTSDではないことも医者によって慎重に鑑別診断され、それでも親は頑固なまでに娘の病気を否認し続け、結局地域精神保健と連携して、精神障害者認定と生活保護で実家から別居してもらうのが適切となり、その後デイケアの仲間たちと、やっと安定した境遇にたどり着いたケース。

などを担当したカウンセラーは決して稀ではないと思う(プライバシー保護のため、一部脚色して、しかも四半世紀前のケースを例示した)

 しかし、こうしたケースを見立てる力は、すでに述べたように、実はそんなに高度な専門的勉強や経験を積み上げなくても、現場カウンセラーなら身についているはずである。

 これらに比べると、双極性気分障害II型と、単極性うつ病の鑑別診断の方がはるかに難しい。

 考えてみれば、精神神経科は、聴診器も当てず、脳のCT検査も心電図も、意外なまでに滅多にとらないままに、幸運にして長い場合でも初診20-30分でとりあえずの診断と投薬をはじめるという点では、もの凄い職人芸の世界である。

****

 更に、業界では結構知られている話。

 医者本人がうつ病や統合失調症でも、日々の患者さんへの診断や投薬は適切な場合も多い。

 一般に、妄想的な傾向が強い人は、他人の言動が妄想的かどうかには十分敏感で、「現実吟味の行き届いた適切な判断ができるものである (中井久夫「説き語り 妄想症」による。、病者と社会 (中井久夫著作集―精神医学の経験)に所収)

 もちろん、良心的な医局がある病院だと、そうした疑いがある医師を、本人を傷つけない形でさりげなく現場最前線から外すものである。

 しかし、そうした病院内部の周囲の人間の対応が中途半端で、当人の不信をあおるだけの対応しかしなかった場合、そういう精神科医が「外部のカウンセラー」に通った挙句、自殺するという現象も、決して稀れではない。

 国立がんセンターに勤務する医師が、がんで死亡することも珍しくないのと同じ次元で、こうしたことはクールにとらえるのがいいと私は思っている。

 そして、医師に限らず、看護士、保健士、介護福祉士、ケースワーカー、そして臨床心理士などのカウンセラーをはじめとする専門的援助職に従事する人たち(学校教師も加えていいだろう)こそ、まさに「感情労働職」の典型として、燃え尽きたり、鬱の発症の危険にさらされている人たちである。

 いろんな関係者の話を聞くと、こうした「対人援助職従事者のメンタルヘルス」の問題で、現在の日本で一番対応が遅れているのが、臨床心理士という意見も多い。

 これは、そもそも素質のない人に簡単に資格を与えないというスクリーニングなどで解決する問題ではない。まじめで熱心なカウンセラーほど、「まさかあの人が」という形で、一度は倒れたり、うつ状態やストレス性の疾患で仕事を長期的に休む危険に直面しているようである。

 私はそうした専門援助職の従事する皆様からのご相談も、その方の資格を問わず、大事にしているつもりです。

※特別編3終わり。関連記事がこちらにあります。

*****

 更に、このNHKスペシャルのあたかも続編であるかのように放送された、「クローズアップ現代」「抗うつ薬の死角 ~転換迫られるうつ病治療~」のついての感想はこちらに続きます。

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2009年3月16日 (月)

今回の番組を「ネットでは常識水準」と言ってしまうことの副作用 -NHKスペシャル 「うつ病治療 常識が変わる」への感想(特別編2)- [第2版]

(以下の内容、前の記事にいただいたコメントへの私のレスを、更に推敲したものです:)

 今回の番組における双極性II型と気分調整剤の取り上げ方そのものがまだ一面的であるとお感じの方が、ネット内外、専門家・非専門家を問わずたくさんおられることは承知しております。

でも、

  ●問題点1: 「ネットでは常識水準」という発言を読んでいると、そういう皆様はすでに「事情通」の部類に属するように私には思われてしまえて(^^;)

「この番組で描かれた水準の内容をこれまで知らなかった、今更この番組に感心している人たちは無知過ぎる」と、「事情通」のプライドがある人が、実は「多数派」であるのはまちがいないネットユーザーを愚弄しているかのように感じる人が少なからず(決して少数派ではなく)いるはずです(^^)


  ●問題点2: 「ネットではこのくらい常識だ」という論調を読んでしまうと、この番組を観ないで済ませ、詳しい内容を知りたい、自分なりに判断してみたいと感じる人たちの「意欲を削ぐ」だけとも思います。


  ●問題点3:  ネット上での、専門家と思われる皆さん「ここで描かれているほど単純ではない」という一般論を述べることは、読者にとって今更何か役に立つと言えるのでしょうか??? 

 私が思い当たる、専門家のこうした発言の効用は、すでに自分への医療に納得している患者さんに、この番組を観たことできっかけとして生じた不安を軽減するということです。

 しかし、その一方で、専門家のこうした水準に留まる発言の副作用(!)は、一般のネットユーザーの少なからぬ部分に、

  「結局こうやって、専門家たちは責任回避しているんだ」

と感じさせたり、

  「医者は結局自分の処方は実際に繰り返し診察し、薬の効果を確認しながら進めているので大丈夫だと言い訳したいのだ。カウンセラーは結局、自分は医者ではないのでといういつもの責任回避、あるいは保身に走るのだ」

と、ため息を伴う無力感の堂々巡りを感じさせるj可能性は決して低くはないということです。

 敢えて我田引水すれば、私は私のネット上でのスタンスが、現実世界での私のカウンセラーとしての評価に影響する可能性を、私なりに引き受けているつもりです。

 そして、私は、ものごとへの姿勢として、

「初心に帰って、一度頭を真っ白にして、番組や著作を正確に読み解こうとする」

というスタンスを自分から買って出る「専門家」がいなければならないことを確信しています。


*****


 そして、そういう意味で、専門家に逃げ場を与えず、患者さんを起点に、現実の社会行動を促すといった「そこそこ絶妙な」効果を、ひょっとしたら製作サイドか予想もしなかった形で(^^;)発揮する効能がある点で、

この番組そのものが、社会全体への「薬」として計算外の効能がすでにあった

と感じています。


*****


 評論家的にはいびつで不完全な作品との評価を当初受けていた映画や音楽が、長期的には名作と認められるのもありふれたことです。

 ドグマチールが最初胃腸薬の一種として開発され、気分調整剤デパケンが最初抗てんかん薬だったわけです。

 歴史は繰り返す。


(........え? 少し次元が違っている ^^;)


※特別編2 終わり。 特別編3はこちら



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2009年3月14日 (土)

統計上の問題など。 -NHKスペシャル 「うつ病治療 常識が変わる」への感想(特別編1)- [第2版]

 前の記事、最終回ではまだご不満の方もあろうかと思いますので、やっぱり「追加特別編」を書きましょう(^^)

 番組の後半、認知行動療法についての部分には、大きな自己矛盾が内包されている!!

 NHKサイトの、この番組についての公式ページでは、次のようにこの番組のことを紹介している:


*****


(前半略).....こうした中、薬の処方を根本的に見直す取り組みや、難しい診断が一目でできる技術の研究が進んでいる。また、「うつ先進国」のイギリスでは2年前から、国を挙げて抗うつ薬に頼らず、カウンセリングでうつを治す「心理療法」を治療の柱に据え、効果を上げている。うつ病治療の最前線に迫る。


*****


 この番組の後半を実際に見ても、どうも番組制作サイドではこういうふうな流れでまとめたかったみたいなんだけど、その過程で、いくつか凄い勇み足を同時にやってしまっている。

 以下の図版をまずはごらんあれ:

Nhkspomake1
 ↑どう見ても大学の心理学の教科書!!

 この画面で表示されているのは、ロジャーズ派カウンセリング=来談者中心療法についての、心理学の教養課程向けの教科書ですら実は結構見られる水準の解説の文章の断片ですね。

 ここにオーバーラップして、ナレーションは、

「うつ病に対して、受容と共感的傾聴とする旧来の心理療法よりも優れた新しい技法として認知行動療法が認められて来ています」

と入る。

 うつ病に対する認知行動療法の優位性は、日本でも十数年前からとっくに唱えられはじめtいたんだけれども、それは敢えて問わないことにします(^^;)


******


 【ここから第2版で追加】  そもそもこの番組、どの内容が最新トピックななのかの序列がわかりにく過ぎます。

 すでにこの連載エントリーで具体的に示した話題に限定すると、恐らく、時系列的には、

1.うつ病における認知行動療法アプローチに、日本のカウンセラーにも関心が高まる
     downwardleft
2.「非定型うつ病」への関心が高まる。
     downwardleft
3.欧米で双極性障害II型と単純なうつ病では、薬物の標準処方が全く異なるという認識が確立する。
     downwardleft
4.イギリスで、認知行動療法を、公に、うつ病の標準処方とする法律が国会で可決され、各地に公立で無料の「臨床心理センター」が開設され、公費での認知行動療法カウンセラーの養成がはじまる。
     downwardleft
strong>5.日本で、双極性障害II型と単純なうつ病では、薬物の標準処方が全く異なるという認識が広まり、心ある現場の医者の中に、そのことを実現するための十分なスキルが実現され始める。

 ........恐らく、こんな順序のはずですが(^^)

 どうです? 番組の流れに全然一致しませんよね。 【ここまで第2版で追加】


******


 そして更に、番組の流れは、イギリスでは、開業医に欝と診断されると、薬物療法ではなくて、地域の臨床心理センターの認知行動療法カウンセラーにまずは回されるという法律がすでに国会で成立して施行されている、ということを映像で描いていくのだが、この脈絡のなかで、次のような統計グラフを提示してしまった!!

Nhkspomake2
 ↑ここで示された統計グラフは、「薬物療法だけ」の場合、「薬物療法と認知行動療法を併用した場合の再発率を比較したものである。


*****


 Q : さて、教養課程で統計入門を学んだ、心理学に関心ない理系や社会科学系の大学生の皆様、この場面で比較のためには、実は最低もうひとつ、厳密には更にもうひとつ、もーっと念を入れると更に更にもうひとつのデータを加えて相互比較すべきなのですが、それはどういうデータでしょう? 

 A : 

* 最低限絶対必要 : 「薬物療法と来談者中心療法併用した患者の再発率」

* これもあったほうが厳密 : 「薬物療法を用いずに認知行動療法のみ適用した患者の再発率

* ここまでやったら完璧 : 薬物療法を用いずに来談者中心療法のみ適用した患者の再発率

 百歩譲って、「薬物療法を用いない形で実験することは、人道的に許されない」というのなら、最初のひとつをだけでも加えて最低3群の比較をすべきではないでしょうか???


*****


 次にこの4群がすべてそろったします。すると次のような結果のパターンのシミュレーションができますよね。

1.薬物療法なしだと、認知行動療法の再発率が来談者中心療法よりも明らかに高い/同じくらい/むしろ低い

2.薬物療法ありだと、認知行動療法の再発率は来談者中心療法よりも明らかに高い/同じくらい/むしろ低い

3.薬物療法なしの場合とありの場合で比較すると、認知行動療法においては再発率の違いがより大きい/同じくらい/小さい(4. と比較して)

4.薬物療法なしの場合とありの場合で比較すると、来談者中心療法における再発率の違いがより大きい/同じくらい/・より小さい(3.と比較して)

5.薬物療法がない場合、認知行動療法の方が来談者中心療法のよりも再発率が低い/同じくらい/むしろ逆


 そして、極めつけは、


6.薬物療法も認知行動療法も来談者中心療法もすべでやらない場合自然治癒を経た後の再発率が一番低い!!


というシミュレーションが結局正解(統計学的にも有意)の可能性が、ないとはいえないのが統計学なのです!!

 (実際には、そうした多角的な統計を取ったのかもしれませんけど ^^;)


*****


 もう皆様お気づきでしょうが、どんな心理療法を適用しても、薬物療法の併用が同じくらい効果が上がる可能性だってあるわけですね(^^)

 イギリスでも、このような統計のマジックにだまされて(ごり押しされて)、法案は通過した.....ということだけはいくらなんでもないとは信じたいところです。

 もしそうなら、全く別の意味でのスキャンダラスのドキュメンタリー、今流行りの「国策捜査、もとい、「国策調査(統計)」になってしまいます(^^;)


*****


 そして、そもそも日本うつ病学会理事長の野村医師の発言だけを追うと、どうも認知行動療法を特に推奨しようとする番組製作サイドの方向性に、あたかもブレーキをかけるようなアドリブ発言が各所に見られます。

 認知行動療法について番組内で解説しているのは、よーく観ると、ナレーションと、取材した日本とアメリカの認知行動療法専門のカウンセラーだけなんですね!!

 一方、野村先生は、

 「認知行動療法だけではなく、他のカウンセリング技法を含めて」

だとか、

 「薬物療法は、、ひとつの選択肢に過ぎないという捉え方も必要だけど、重要なものであることには変わりがない」」

といったアドリブ発言を、番組の最後まで繰り返しているわけですね(^^;)


 私には、

 「認知行動療法もいいけどさあ、そもそもお医者さん自身が、じっくり話をきくという、セラピー云々以前の水準の基本中の基本がなってないようではカウンセラー以前の問題だよ。正確な診断も投薬もできないとすれば、その医師は、カウンセラーも適材適所で有効活用できないんじゃないかなあ・・・・」

 という野村医師の心のボヤキが聞こえてきてもおかしくないなと想像したのですが、思い込みすぎでしょうか?

  【ここから第2版で追加】 少なくとも、「こんな思い込みも可能」と捕らえる提案をしてみることは、「物事の認知の枠組みを変え、生産的な方向で別の可能性を示していく」、という意味において、すこぶる「メタ認知行動療法的」かと思います(^^;) 【ここまで第2版で追加】


*****


 最も善意に解釈すると、番組スタッフと出演者の間で、「番組制作を進めるうちに、当初の方向性とは思いもよらない形でバランスが狂ってしまった」という共通理解が成立していて、「もう手直しが間に合わないので、野村先生、アドリブでそのへん、できるだけ調整くださいますか」などどいう談合が成立していたのかもしれません(^ ^;)

 私には、細かく丁寧に見れば観るほど、製作課程の舞台裏が彷彿と伝わる気がするという点で、実にスリリングな(?)番組でした(^^;)


 (以上、特別編1でした。 特別編2こちらです)

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2009年3月13日 (金)

認知行動療法について -NHKスペシャル 「うつ病治療 常識が変わる」への感想(6 一応の最終回)-[第5版]

 さて、いよいよこの連載、前回に引き続き、このエントリーで最終回です。

 前回で紹介した、「非定型うつ病」の現在の診断基準と、その具体的治療法については、実に様々なサイトですでに詳しく言及されておりますので、そうしたサイトをご覧になる読者のご判断にお任せいたします。

*****

 でも、「非定型うつ病の人は、認知行動療法によってアサーティブさ(自己主張能力)を身につけることが必要

という意見を読むと、

「日本人は、うつ病に限らないこととして、むしろ心理療法全般を受けることによって自己主張能力を身につけたおかげで、周囲との摩擦に耐え、孤高の道を歩む苦しみを感じているんじゃないか」

とも思うし、その一方、

「今の若い世代は、生きる糧を得るために働くという経験に乏しく、自己主張的になっているので(!)、昔の人のように、典型的(=DSM-IVで、過去の遺物から突如復活(^^;)した、「メランコリー型」)うつ病になれなくなっている」

という全く正反対の記事を読むと、

「ああ、オヤジの『今の若い者は』のバリエーションに過ぎなくなってる。要するに、古典的うつ病の人のほうが従順で、扱いやすかったという医者本位の愚痴なんじゃない?」

と感じてため息をつくのは、私だけではないと思います。

 繰り返します。DSM-IVでの診断基準に適う意味での「非定型うつ病」と同じ病態の人は、昔も今もたくさんいただけです....と。

 
******

 さて、いよいよ、番組後半で取り上げられた「認知行動療法」に関してですが。

 認知行動療法についても、この番組に関する、しないにかかわらず、様々なサイトを見ていくと、バランスのいい記事が結構見受けられます(お医者さんによるもの、実際認知行動療法を受けた人の体験談etc.)。

 例えば、

● うつ病治療 常識が変わる NHKスペシャル (by茅野 分 コラム - All About プロファイル)

は、手短ですけど、お読みになる皆さんをたいへん安心させる、お医者様のコメントですね(お医者様による番組全体の紹介記事としても、簡潔で、しかし、専門的な勘所にしっかり触れてくださっているコラムになっています)。

【ここから第3版】

 ただ、英語ですが、次の記事の存在は是非お知らせしておきます:

●Petition Against Over-Regulation of Psychotherapy(心理療法への過剰規制に反対する嘆願書) (Moving Toyshop)

この記事は、裕さんのサイトの、

* イギリスにおけるセラピーに対する国家の規制

というエントリーで紹介されていたものです。 

【ここまで第3版】

 そこで、多くはそちらにゆずるとして、次の点だけ、開業臨床心理士としての私のスタンスを明言させていただきます。

 私は、基本的に、ある特定の心理療法が他の心理療法と比較して優れているかどうかという論の建て方に懐疑的です。

 いいカウンセラーにめぐり合えば、それが精神分析でも行動療法でもフォーカシング指向心理療法でも(!)、さらに特定の心理療法を標榜しないカウンセラーのでも、うつ病に関するカウンセリングに関して、的確な見立てと、個々のクライエントさんにふさわしいカウンセリングの進め方、医療の必要性まで、クライエントさんの考えも尊重して、一緒に納得のいく解決を模索していく力があります。

 このNHK特集でたっぷりと矢面に立たされたお医者様たちへの公平のために申し上げれば、カウンセラーや臨床心理士の場合にも、専門能力として不十分な場合が「同じくらいにたくさん」見られる点では同じかもしれません。私もまた、多くのクライエントさんに、「未熟なカウンセラー」として記憶に残っていることも少なくないであろうことは十分認識しています。

 しかし、それでも敢えて断言します。

 標榜する心理療法の流派やアプローチの違いと、「現場」カウンセラーとしての力量とは無関係だと。

 むしろ、カウンセラーは、経験を積めば積むほど、

「他の流派のカウンセラーでも、現場臨床的に力量がある人は、根本的なところでは自分と共通のことを自明の前提としてやっている」

ことに気づき、そうした技法についても実際に謙虚に学んでみる姿勢を保てるカウンセラーこそ、実は、その人の標榜する心理療法に限定しても、奥の深い現場臨床での実力を持っているものです。

●参考記事 : 「「オモテ」技法と「ウラ」技法 または収穫逓減の法則(当サイト)

 誠に僭越ながら、私が目指しているのも、まさにそのような、他の心理療法や技法に偏見のないカウンセラーに他なりません。

 私がそういうカウンセラーにどのくらいなっていて、現場臨床でも有能かを評価するのは、おいでいただくひとりひとりのクライエントさんに他ならないと思います。

 それどころか、クライエントさんに限らず、どんな人間同士でも、他人が自分のことを「誤解する権利(!)」が保障されていなければ、それは「支配」を原理とするファシズムであり、むしろお互いに更に理解を深めるきっかけを失ってしまうものだと確信しています。

(もちろん、「理解を深める」なんてしてほしくない、というクライエントさんの訴えがあれば、それも大事にしたいと思っています。自発的に訴えて下さらなくても、「私はこのクライエントさんにすでに踏み込み過ぎ、それを苦痛とのみ感じさせてはいまいか?」という自問自答はいつもして、チェックしているつもりではいます)

 クライエントさんからのどんな苦情や不信の念もぶつけてもらえることを、「クライエントさんが心の中でいつまでも抱え込んでいるだけにならずに済んで良かった」と、少なくとも心の中の「一方の自分」は受け止め、仮に、「他方で」、クライエントさんの誤解を解きたい気持ちがどうしてもカウンセラーの中にある場合にも、そのことでクライエントさんとの溝を深めるだけにはならないだけのことができること。

 更に、それが単にクライエントさんの「言いなりになる」ことではなく、クライエントさんにほんとうに役立つ援助へと前進するきっかけになるということが、絵に描いた理想ではなく、試行錯誤を重ねつつも、クライエントさんと共に実現に近づけるカウンセラーでありたいと思いながら、ひとりひとりのクライエントさんと毎回お会いしているつもりです。

 そして、「どうしてすぐに治してくれないの?」というお話に対しても、一方的な説明にとどまることがないように努めているつもりです。

 これを読んだ私のクライエントさんたちへ:

 今度お会いした時に、これを機会にこれまで言えなかった本音をいってくださっても歓迎します(^^) 
 今度ではなくて、もう少し先のいいタイミングで言ってみよう、でも自分の中で決して忘れないではおこう、というのも歓迎です(^^)

*****

 更に、私のカウンセリングルームの宣伝めいたことも、もう少しさていただくことをお許しください(^^)

 私は、まだまだ不十分かと思いますが、精神分析、行動療法、認知行動療法(まもなくこれに「最新の」臨床動作法が加わる予定です)など、様々な心理療法流派の、現場で一流という評価がある先生方の研修会に参加するように努めてきました。

 私の『普段の』カウンセリングをお受けになったクライエントの皆様の中には、私のカウンセリングを、例えば「認知行動療法」っぽいなと感じた方も少なくないようです。

 別の方は「まるでユング派みたいだ」とお感じかと思います。

 更に別の方は「ゲシュタルト療法みたいだ」とお感じの方もあるようです。

 なんだ、普通のロジャース派(来談者中心療法)と何も変わらないではないか、とお感じの方もあるでしょう。

 通常の面接の際には、「どこがフォーカシングなのか見当もつかない」とすら言われます。

 なのに、フォーカシングを技法として教える教師としては、

 「これほど理論や技法に厳格で、実践的な指導を具体的にしてくれるトレーナーにはこれまで会ったことがない。どんなぶしつけな質問をしても答えてくれる」

というご意見と、

 「こんな和気あいあいの自由なフォーカシングを学ぶ場を体験したことがない」

というご意見が両方あるのです。

 更に、

 「私の個性が強過ぎる」

というご批判と、

 「ネットの記事から想像していたよりは、よほど控えめな方ですね」

という感想も両方いただきます(^^)

*****

 しかし、このように、おいでいただいた皆様によって全然異なる感想をいただけることは、「フォーカシング指向心理療法」本来の性質に、ある意味で厳格に従っている結果だという少なからぬ自負もあります。

 「フォーカシング指向心理療法」という著作のなかで、創始者ジェンドリンは次のように繰り返して書いています。

 「フォーカシング指向心理療法は、単に技法としてのフォーカシングを面接のさなかに時々部品として差し挟むような次元にとどまるものではない

 「フォーカシング指向心理心理療法は、それがどんな技法的アプローチであるかに関係ないものである。さまざまな技法的なアプローチをそれぞれ別種の「エンジン」だとすれば、フォーカシング指向心理療法はどのエンジンであるかに関係ないで生かせる「エンジンオイル」のようなものだ。

 「フォーカシング指向心理療法」の特に下巻は、まさに、そうやってさまさまな流派ややり方にフォーカシングをさりげなく生かすための、ジェンドリンなりのヒント集です。

 この下巻の、「認知行動療法的アプローチ」に関する章は、私が特に熟読して来た章のひとつです。

 そう遠からず、私なりの、認知行動療法的なフォーカシング指向心理療法の、当カウンセリングルームにおける現場実践についても具体的にお書きすることを、この場でお約束いたします。

【ここから第3版への追加】

 私なりの部分的には認知行動療法的といえるアプローチのバリエーションのいくつかの具体は、こちらこちらで紹介しています。

【ここまで第3版への追加】

 もとより、私よりもより優秀な「認知行動療法」本来のセラピストが、皆さんのより身近にもいらっしゃることを、私は心から祈っています。

*****

 ●謝辞●

 この記事を書くために何らかの意味で参照させていただいたサイトは、記事の途中でご紹介したサイトのみならず、非常に多くのサイトです。

 しかし、この記事を書くそもそものきっかけとなったのは、Lithiumianさんという方から3ヶ月ほど前にいただいた、私のプライベート・サイトのある記事への厳しいご批判でした。その方から、推薦サイトをいくつかご紹介いただいたことがそもそものきっかけです。Lithiumianさんには、特に篤く御礼申し上げます。

 更に、「ブログ論壇」というサイトを運営されている、ともあきさんから、最初は別の記事にいただいたトラックバックの記事の内容にも励まされました。この「精神療法の荒廃」と題するエントリー記事では、このNHKの番組の再放送を含む放映日程が詳しく紹介されているばかりか、この番組についての様々なコメントも掲載され、更に、ともあきさんご自身の認知行動療法体験についても、簡潔に自己レスコメントをされています。

 実は、私の方からも、今回の連載が進むたびに、繰り返しトラックバックをともあきさんサイトに差し上げ、ともあきさんからもトラックバックをそのたびごとに返していただきましたが、私の方のトラックバックの欄に見かけ上同じ記事からのトラックバックが並び過ぎてしまいますので(^^;)、私の勝手な判断で、私の方の表示はふたつに集約させていただきました。ともあきさん、どうかお許しください。

 更に、これまた少し以前の別の記事にトラックバックをいただきました、このサイトでもすでに具体的にご紹介した、ご自身精神科医である猫山司さんのブログ、「メンタルクリニック.net」の、他の様々な記事もたいへん参考になりました。私の愛読サイトになりました。ありがとうございます。

 また、抗うつ薬の処方に関しては、精神科医kyupinさんの、「kyupinの日記 気が向けば更新 (精神科医のブログ)」からも多大な情報を参考にさせていただきました。改めて感謝申し上げます。

*****

 最後に、私は福岡県南部(筑後地方)に、私が知らないだけの、十分な診断と薬の処方をしてくださるお医者様が少しでも多いことを信じたいと思っております。

 筑後地区の病院のお医者様、あるいはこの地区の病院に通う患者様の中で、ご不快であったり、ご不安を増してしまわれた皆様もあるかと思います。

 まだ実際にクレームをいただいた例はございませんが、これからも、不適切な表現が見つかりましたら、できるだけ変更してまいります。 

****

 そして、何より、これまで私のカウンセリングルームに相談して、話を聞かせてくださったクライエントの皆様にこそ、ほんとうに厚く御礼申し上げます。

 この3ヶ月の間、この問題について私なりに猛勉強する中で私の認識が急に変化したことは、もう読者の皆様もお気づきかと思います。

 ここに書いたような、恐らくまだ不完全であろう認識すら不十分だった、久留米での開業初期にお会いした皆様、神奈川・大船開業時代のクライエントさんを含めた皆様、「もし現在お会いしていたら、まだ何かお役に立てたのでは?・・・」という後悔の念を禁じ得ないでいます。どうかお許しください。

(この連載、終わり........のはずでしたが、ここから更に「特別編」の連載につながります)

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