クライエントさんからの注文や不信の念の表明といかに対峙できるか
九州・鹿児島の伊敷病院でずっと勤務されつつ、精神神経科現場臨床に密着した実践的な「面接のコツ」に関する講演や著作で、精神科医・診療内科医にとどまらず、全国のカウンセラーから篤く崇敬を集めているのが、神田橋條治先生です。
この先生ががおっしゃった、「自閉する能力」という概念があります。
これは更に普遍化されて、
「症状」という言い方をする時に、「.....する能力」と読み替えてみたら?
と提言されています。
「引き籠もり」症状ではなくて、「引き籠もる」能力
「人目が気になる」症状ではなくて、「人目を気にする」能力、
「すぐに風俗に通う」問題行動ではなくて、「風俗に通える」能力、
「人にお節介を焼くことで、その相手を自分の人形のように依存させる」能力、
「ずる休みをする」問題行動ではなくて、「する休みできる」能力、
「解離」症状ではなくて「解離できる」能力、
「鬱」症状ではなくて、鬱に陥れる「能力」、
「本当の自分を出せない」悩みではなくて、「本当の自分を出さずに済ませる」能力
......と言った具合ですね。
(これだけ並べると、むしろ少なからず多くの人に確かにある程度ある、「適応」能力にすら見えてくるから不思議です)
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これは決して単なるポジティヴ・シンキングなどではない。
そのようにすることで、
クライエントさんは、かろうじてここまでやって来れたのであり、
もしそういう能力がなければ、
もっと悪い状態に陥って「いた」かもしれない、
......と、考える余裕を治療者は持て、ということだと私は理解しています。
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この「.....する能力」の応用問題として、神田橋先生の直弟子である、長年福岡の産業医科大学で勤務された、増井武士先生と、その増井先生の兄弟分である、九州大学の田嶌誠一先生が共に強調する事柄に、
「拒否能力」、
更に、
「注文をつける能力」
という、現場臨床的に見て画期的な概念があります。
鬱病圏にせよ、統合失調症圏にせよ、神経症圏にせよ、日常の中で、あるいは職場や親などの「重要な他者」との関わりにおいて、こうした能力に乏しい方が多いことを実感し得る現場セラピストは多いからです。
受容、共感とよく言われますけど、殊に日本人の場合、受容されればされるほど、むしろカウンセラーにほんとうの思いを言えなくなるクライエントさんは、ありがちです。
わかりやすく言えば、ずっと「人に嫌われないいい子」であろうとしてきた人は、カウンセラーの前でもそれを当然繰り返します。
カウンセラーを信頼すればするほど、
「嫌われたらどうしよう」症状、
もとい、
「嫌われたらどうしよう」と思える能力
が発動するのですね。
......そのことに気づかないままでいるカウンセラーなど滅多にいないと信じますが(^^)
あるいは、人に対する(あるいは、それまでのカウンセラーに対する)不信感が強いあまり、最初からカウンセラーをいろいろ試みるクライエントさんがいるのも、「援助を求めたい相手に、安易に気を許さない防衛能力」といえるかと思います。
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いずれにしても、
それまであまり苦情やカウンセリングの進め方について
違和感や苦情を言わなかったクライエントさんが、
敢えてそれを口にした時、
あるいは、
これまで面接の中で取り扱わなかったテーマを
敢えて取り上げたいと自分から申し出る時には、
それ相応の覚悟を決めていたり、
勇気をふるっていることが多い。
少なくとも、そのカウンセラーを信じたいという気持ちと不信感がギリギリのところでせめぎ合っていることが多い。
この時のカウンセラー側の態度如何で、より面接が深まるか、それとも堂々巡りしたり、突如中断したりするかの分岐点になることが多いのは確かです。
見え透いた「注文歓迎」の姿勢や、「お茶を濁す」態度、あるいは議論のすり替えなどは、容易にクライエントさんに見破られます。
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以前にも書きましたが、こうしたことへの感受性は、少なからぬ場合、カウンセラー自身のカウンセリングの師匠(たとえばスーパーバイザーに)対して感じた違和感を自分でどのように見つめ、対処してきたのかが如実に反映します。
得てして、カウンセラーは、自分のカウンセリングの師匠の嫌な部分だけを無自覚に取り入れるという「反復強迫(やりたくもないし、用心しているのに、実はそのことをいつのまにか繰り返してしまうこと)」を持っています。
これは、多くの一般の人が、親を反面教師にしようと懸命に努めてきたのに、いつの間にか、自分の子供が自分のことを、かつての自分と同じように嫌っている事実に直面してショックを受けるのと全く同じ次元でのことなのです。
そういう意味では、そういうカウンセラーになってしまった責任は、実は師匠との関係性の質に大きく影響される(どちらが悪いとは言えませんが)。
ただ、師匠に全責任はないにしても、そういう「スーパービジョン」や「教育カウンセリング」経験、あるいは師匠が弟子に研究室の日常の中でどう接したかという「トラウマ」を背負うあまりに、クライエントさんとの関係で苦しみ続け、堂々巡りを続けるカウンセラーがこの世にたくさんいることも確かなようです。
だから、カウンセラーにどうしても違和感があり、どう伝えても通じない壁があると感じたら、そのカウンセラーは、よほどたちの悪い「師匠」や「先輩」に負わされたトラウマに無自覚なままだ、と発想しているのも、いいかもしれません(^^;)
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何より、自戒を込めて。

