「未熟型うつ病」とは何なのか? -福岡県精神保健福祉冬期講座に参加して(2)-
昨日は、県臨士会のSC研修会でネットは一日お休みしました(お会いできた皆様からたくさん刺激をいただけたことに、心から感謝申し上げます)。
やっとこの記事の続編(・・・・というか、結論は先に書いてしまったことにもなりますが)を書かせていただききます。
*****
午後の部の講演に招聘されていた講師の先生は、自治医科大学で奉職されている、精神科医の阿部隆明先生でした。
先生は、「新型うつ病」の一類型としての「未熟型うつ病」概念の提唱者です。私がこのブログで繰り返しご紹介してきた、内海健先生や加藤忠史先生ともお親しいようで、いわば日本のうつ病治療の最前線におられる先生のお一人です。
講演のタイトルは、『現代の多様なうつ病像とその治療』でした。
いわゆる「新型うつ病」や「双極スペクトラム障害」をはじめとする現代日本のうつ病の諸相について、これほど明確かつ立体的に解説していただいたことはない、と申し上げたいくらいに素晴らしい内容で、参加させていただいて、本当によかったと思っています。
*****
まず、この先生のスタンスでたいへん興味深かったのは、下田光造が1943年に提唱した、うつ病の病前性格概念としての「執着性格」と、1961年にドイツのテレンバッハが提唱した、同じく、うつ病の病前性格仮説としての「メランコリー親和型性格」を、共に、クレッチマー以来躁うつ病の病前性格として提出された来た「循環気質」に対して新たに提出された、両国の高度成長期に生じた、当時の「新型うつ病」概念であると、明晰にお語りになったことです(この点では、内海先生の路線と明確に符合しますね)。
そして、「執着性格」が、こだわり、几帳面、完全主義的自我理想に動機付けられた高エネルギー型であるのに対して、「メランコリー親和型」は、秩序愛と他者のために尽くすことに動機付けられ、周囲への罪責感という超自我的な動機付けで動く、むしろ弱力型のうつの病態であると解説してくださいました。
中井久夫先生のご著書(確か、「分裂病と人類」)で、ドイツにおいても、メランコリー親和型性格は、男権的なドイツ的価値観からするとあまり評価される性格ではないということはお読みしていましたが、なるほどと思った次第です。
もっとも、日本の高度成長期においてはメランコリー親和型性格は、少なくとも、重責に就く以前のサラリーマン道徳としては、明らかに「適者」の存在様式であったことになります。
*****
「双極スペクトラム障害」についての先生のご解説も、今や0.5型から小数点0.5刻みでVI型まで提唱されているそうで、興味深かったのですが (私個人は、原則的に、DSM-Vで双極スペクトラム概念が気分障害の「大分類」として導入されることに大きな期待をかけているひとりです)、詳細になりすぎるのでここでは割愛させて頂きましょう。
むしろ、先生が、「軽症うつ病で安易に抗うつ薬が処方され過ぎている」こと、そして、「抗うつ薬をトリガーとした躁転」という問題の重要性をやはり強調されたことは特記しておきたいと思います。
*****
さて、ここからが一番興味深い部分です。
阿部先生は、「メランコリー型」「執着性格」を含む、現代のうつ病の諸相の相互関係について、実に明快な図版を呈示くださいました。
原典は飯田真先生らとの共著にあるとのことですが、敢えてこの図だけはここで配布されたパワーポイントファイルの縮刷版を取り込ませていただくことをお許し下さい(私の書き込みも読めてしまうので、観づらいかとも思いますが。
この図だけではわかりにくいでしょうから、」ここで、いわゆる「新型うつ病」について、阿部先生が実に簡潔にご紹介くださった既成の諸概念についての解説を、この図と関係ない部分を省略してそのまま転載します。
※青年期のうつ病像
●ディスチミア(dysthymia)親和型 (樽味)
- 回避的な傾向が強い
- 不全感と倦怠感
- 「生き方」と「症状経過」の不分明
※成人期後期(20代後半-30代のうつ病像)
●逃避型抑うつ (広瀬)
- 高学歴、上司との関係、選択的抑制(こういちろう注:すべてのことへの興味や関心が失われるわけではないということ)、弱力的ヒステリー性格、自己愛的
●未熟型うつ病 (筆者ら)
- 20代前半までは周囲から庇護されて葛藤なし
- 職業上、家庭生活上の挫折から発症
- 経過中に不安焦燥感優位で、自責に乏しい病像
- 周囲に対する依存と攻撃性
- 状況からのストレスが棚上げされる(庇護的な環境におかれる)と軽躁状態(双極II型-I型的)
そして、「執着性格」と「未熟型うつ病」が、内因性・生得的な気分昂揚的・躁的素因を持つ「高エネルギー型」であり、「メランコリー親和型」と「逃避型抑うつ」は、そうした「気分高揚方向への」内因的素因がなく、むしろ神経症水準での「弱力型」ということになるようです。
これに当てはめたら、私なんて、もう、絵に描いたような「執着性格」ってのが、本来のあり方ですね(^^・・・親父もそうだな・・・・)
*****
さて、この図の鍵は、
- 「希薄な愛情備給」→「メランコリー親和型」か「執着性格」
- 「過保護・溺愛」→「未熟型」か「逃避型」
・・・・と一般化されている点でしょう。
ここで私の頭の中は???で一杯になってしまいました。
私の父親って、ややおせっかいなところはあったけど、「熱く」私を愛し続けてきてくれた。でも、私の進路や勉強については全く口出ししなかった。子供時代、私の好きな鉄道旅行にどれだけ付き合ってくれたことだろう。全然希薄な愛情備給ではない。
母親も、ある意味では偏屈で頑固な父親のやさしい話の聴き手になれ、子供の頃から私の前で神経質になることも皆無、まもなく87歳の今も、情緒的 な安定感の高さと同時に、頭脳明晰で愛嬌あふれ、腰が曲がったのを除くと、70前と思われかねないくらいのみずみずしい感性(肌の色艶も)を維持してい る。
そして、何より、「未熟型うつ病」の説明図式を追っていくうちに、確かに、こうした説明で典型的に理解できる「新型」うつの患者さんも一定数はいるかもしれないことは認めるにしても・・・・・
これじゃまるで、育ちのいいぼんぼんやお嬢さんが、厳しい社会に出てはじめて傷ついて発病したみたいな印象与えないか???
さすがに上の赤字の言い方まではフロアからの発言上は控えましたけど、私が現場で体験しているこのタイプに当てはまりそうなクライエントさんから詳しく訊いた生育暦や、親御さんと接した時の印象との隔たりがあまりに大きいと感じました。
「未熟型うつ病」であるかに見える人に家族内での葛藤がなくて庇護されていたなんて、私の知る臨床的現実とはまるっきり正反対なのだ。
確かに、この種の病態を示す人たちの、養育者との関係は「密着していた」時期を持つことが少なくないのは認める。
でも、それは、断じて、子供の側が依存し、それに対して親が庇護を与えるという循環構造ではないのだ!!
得てして、気分変調的な側面をすでに持つ母親がまずは存在する。その母親の機嫌を損ねないように、子供の頃から、涙ぐましいまでに気を使い、家庭の平和を守るためのキー・パーソンとして「世代間逆転」的な形で一家を支えてきたのが、患者として現れた若い人たちなのである。
家庭に葛藤がないかに見えたのは、子供の方が親の気持ちにとことん寄り添って「平和維持」に努めてきたからこそではいか????
その人たちには、むしろ親に安心して甘えられた経験など欠落している。
そして、非常に孤独な努力を重ねて、親の引力圏から離脱するために、優秀な大学に入り(得てしてこの時に親元から離れた大学を選択する。それを可能にするためには、地元を離れるに値すると親に見なされるほどに優秀な大学である必要があるのだ!)
そして、これまた親のグーの根も出ないくらいの進路(留学、企業)へと進んでいく。ひたすら、親から自由になるために!!
そうやって、どこまでも飛翔した先の企業などで、彼ら/彼女らはついに力尽きるのである。
このような経緯を持つ患者さんが、医師との治療関係が一応ついて、「陽性転移」の時期を経た後は何が起こるか????
・・・・もう、目に見えている。
親や医師、社会を相手に恨みや攻撃性を爆発させることそのものが、不可避の「治療過程のプロセス」なのである。
そうした「治療過程のプロセス」を、「疾病像」と誤認することの危険が、あまりに大きくはないのか?
*****
もちろん、簡潔に、紳士的で丁重な表現を取らせていただきましたが、私がフロアから阿部先生にお伝えした感想は以上のようなものでした。
このこととの関連で、この前の拙文、
をお読み頂ければ幸いです。
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初めてコメントいたします。同年代の一般会社員のひでおと申します。
実はこういちろうさんとは、遠い昔、ちょっとだけ面識はあるのですが、それはともかく「未熟型うつ病」についてのコメント興味深く拝見しました。
私自身は素人で、かつて心理学には興味があったのですがここ10年ほとんど関心を持たず、新型うつ病?なにそれ?という感じでいたのですが、どうも近頃、新型うつ病について気になるところがあり、この未熟型うつ病の説明は非常に納得できるものでした。
特に
>20代前半までは周囲から庇護されて葛藤なし
という部分は、こういちろうさんとは反対に妙に納得できる言葉でした。
もちろん、こういちろうさんがひっかかる家族システム的な部分も十分納得できるのです。
ただ、エディプスコンプレックスというか、親鳥が子の巣立ちを促すような、自立を促す状況は確かに少なかったのではないか。
それを「周囲から庇護されて葛藤なし」という言い方で表していいのではないかと感じたのでした。
また、私の印象として、未熟型の人が力のある人の影に隠れ、嵐が過ぎ去るのを丸まって待つ姿を連想したからでした。
それは私が会社員であり、「未熟型うつ病」の症状に近い社員に手を焼いているからかもしれません。
そういう立場からすると、相手はタダでさえ、自身の感情表現や理解が苦手な日本人男性であり、かつ新型うつ病傾向の方では、せいぜい丁寧な説明と少しずつ慣らすといったやや行動主義的な見地から認知行動療法的なアプローチを考えるくらいしか手段が思い浮かばないのです。
そういうこともあって、今ここを見た時、教育の機会の欠如という面をみた方が良いのではないかと思うのです。
もちろん、短絡的に、甘えてるとか、ゆとり教育のせいといった、根性論を展開するつもりは毛頭ないし、むしろ警戒もします。
こういちろうさんの引っかかる部分を読み、会社内であっても信頼関係を築くという点においてはカウンセリングマインド、無条件の肯定的態度なども、考えてみるべきなのかなと改めて感じました。
素人なので、間違いや失礼があったかと思いますが、ご容赦願います。
投稿: hideo | 2010年1月31日 (日) 22時46分
>hideo様
ご感想ありがとうございます。
> 親鳥が子の巣立ちを促すような、自立を促す状況は確かに少なかったのではないか。
これは全くその通りです。むしろ、いつまでたっても親の方が世代間逆転的に子供に「依存して」いるのだから、そういう親が形の上で「自立を促進」するようなことを言っても、そこには、子供から「見捨てられる」ことへの不安というダブルバインドなメッセージになっている。「だから」、容易に、親との共依存的世界に時間が逆流させられる。
親自身に、子どもが巣立った後の「見捨てられ抑鬱」を引き受け、第2の人生を探ること、つまり、「自立した老後の生き方」を模索できる力がないことも問題です。
そうなるのは、要するに、親自身が、「家族のため」とか「会社のため」という以上の固有の独立した「アイデンティティ」の形成をできないままでも通用してきた、戦後日本の大人社会の限界です。
自分のアイデンティティを形成出来ていない、つまり、組織に「所属」し、「適応」しても、実は「自立」などしたことがない「大人世代」に、子供世代のアイデンティティの形成のサポートなどできない。
何らかの「組織」や「現実」に具体的にコミットし、継続的に関わり、「適応」し、現実まみれになりつつも「自分」であり続けるというアイデンティティなど、多くの日本人にとっては「想像も絶する」世界なのだと思います。
「エディプス・コンプレックス」とは、あくまでも、そういう「父親たち」がいる世界に生を亨けさえすれば、自然と機能するのだと感じています。
ある観点からすれば、子供世代は、組織に「所属」「適応」はしても、したたかな「組織-内-自立」という点では空疎な成人世代の大部分の本質を見抜いているのだと思います。
モデルにもならない、反発の対象にもならない。なのに勝手に言葉だけは一見「正論」らしきものを吐いて責め立ててくる。
投稿: 阿世賀浩一郎 | 2010年2月 5日 (金) 12時40分