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2009年11月

2009年11月 2日 (月)

理解の核心は、「論理的な」理解ではない。

 実生活において、あるいは文章や映画を体験して、それを自分の身の肥やしにして、今度は自分の側からの表現として再生産するのには何が肝心なのかを、僭越ながら、ちょっとテーマにしてみたいと思います。

 まず、大事なのは、すでに持っている「知識」や、新たに検索して入手する「情報」の、の問題では全然ないのです。

 あるいは、よく言われがちな「情報整理術」の問題かというと、そうでもないと思います。

******

 このことに関して、我が意を得たり!! と絶賛したくなることをお書きのサイトを発見しました。

 実は「はてな」では有名サイトみたいですが、確かにこの人の文章力と説得力は半端ではない。ご本人もお書きだけど、いわば「極論」めいた逆説の山を築く中で、何か普通のサイトでは感じられないsomethingを醸し出す達人の域の方ですね(^^)

●意外と知られてない、自分を飛躍的に成長させる読書テクニック(分裂勘違い君劇場) 

========以下引用========

(前略)

よく「文章の論理構造の理解が一番大切だ」と言う人がいるが、文章の種類によっては、この固定観念が癌になる。

論理構造の理解は確かに必要なのだが、それを優先して文章を読解しようとすると空回りして不毛な誤読をして、結局、一番肝心な部分が分からないままになってしまうことが多い。

最優先でやるべきは、作者や登場人物の情動回路を自分の脳内で動かすことだと思う。

(中略)

作者や登場人物になりきって作者や登場人物の目から見える世界を思い浮かべ、作者や登場人物が感じた息苦しさ、悔しさ、理不尽さ、憤りを自分も味わってみることだ。

それも、作者や登場人物の背の高さ、体の重さ、姿勢の歪みからくるにぶい苦痛、自分の筋肉や骨や間接 や胃や腸やさまざまな内臓が蠢いたり痛んだりする生々しい感覚、汗で服が皮膚に貼り付く不快感、まさぐられ、押さえつけられる苦痛、抵抗できない悔しさ、 視界から見えたり触っているさまざまなものの ディテールを、リアルに生々しく、自分がいままさに体験しているかのように、作者や登場人物の中に「入り込み」そこでわき起こる様々な感情を自分の感情として味わうことだ。

このような情動シミュレーションさえしっかりできれば、文章の論理構造など、さして努力しなくても自然に浮かび上がってくる。

それも、単に論理骨格を追いかけるより、はるかに精密に論理構造が見えるようになる。

(中略)

そもそも、他人の異質な情動を自分の情動の中に食い込ませるから異種混交が起きて自分の精神が豊饒に なって成長していくのであって、過去の自分の情動の自動再生ばかりやっていては、自分の精神は単線化し、貧しいままになってしまう。遺伝子プールの多様性 が重要なように、自分の脳内のミームプールの多 様性が重要だが、情動シミュレーションをおろそかにしたまま大量の本を読むと、情動という肉を伴わないミームの骨格部分(≒単なる知識や情報)だけが頭の 中でガチャガチャ骸骨ダンスを踊っているような状態になる。

また、情動シミュレーションをしながら本を読むということは、決して作者の情動に押し流されて洗脳されてしまうことを意味しない。むしろ、情動シミュレーションによってより精密に作者の情動を捕まえるからこそ、その情動に逆らって思考することができる。

(中略)

相手の身体を押し返すには、相手の重心をしっかり捕まえなければならない。

相手の情動が分からないと、自分が相手と同じ思考をしているのか、相手と関係ない思考をしているのか、相手と反対の思考をしているのか、そもそもそれが分からないから、無意識のうちに同じような思考を リピートして堂々巡りをしてしまい、「新しい脳神経パターンを開墾する」ことができなくなってしまう。

情動シミュレーションによって、相手の情動までしっかりと把握するからこそ、相手の情動に逆らって思考する、すなわち、「ちゃんと思考する」ことができるようになるのだ。

そして、お察しの通り、情動シミュレーションは単に読書だけでなく、仕事、生活、遊びのさまざまな局面で決定的に重要になる。

情動シミュレーションをしながら作り上げた企画と、そうでない企画には、そのクオリティに雲泥の差が出てくることが多い。

(後略)

========引用終わり========

 私の畑のフォーカシングの言葉で言えば、

「相手の身になって、相手のフェルトセンスを感じながら(同時に自分のフェルトセンスも大事にしつつ)、場に関わっていく」

にあたることを、ここまで「ご自身の言葉」でお書きになれる人がいることに、心から敬服するしかないです。

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2009年11月11日 (水)

佐賀県教育センター教育相談集中講座講師として務めを果させていただいた一日をふり返って

 あいにくの雨模様となりましたが、まずは佐賀駅とセンターの間を送迎いただいたことをはじめとした、教育センターのスタッフの皆様の、手厚く、細部まで行き届いたご配慮に、心から感謝申し上げます。

 お集まりいただいた十数名の先生方におかれましては、ただでさえ文化祭等、秋の学校行事が続きやすいこの時期に、多くの学校でインフルエンザが蔓延する事態に苦慮なさっている中、たいへんにお疲れ様でした。

 どれだけ皆様の学校教育現場での実践にお役に立てることをお伝えできたか心もとない思いもございますが、微力を尽くさせていただいたつもりです。

K3100142

センターより雨の中、紅葉の川上郷温泉の方を写す

*****

 小学校から高校、特殊教育に至るさまざまな学校で勤務させている先生方、中には突如教育相談担当を拝命して、戸惑っておられる先生方を前にして、 集中講座の3回目のプログラムという、比較的早い段階のプログラムとして、敢えてフォーカシングを組み込まれていることに、当センターで、フォーカシング の学習を、カウンセリングのベーシックな研修の一貫として位置づけておられる姿勢を感じ、何をどうお伝えし、どのような場として一日ワークショップを構成 したらいいのだろうかということに、私なりに心悩ませ、プレッシャーも感じていました。

 その結果選択したのは、(これは私が大人数の参加者を前にして、フォーカシングの未経験者が多いワークショップを開く際に心がけたいと常々思って いたことなのですが)、簡単な技法の解説と、短いマニュアルを配布して、ペアを組んでもらい、フォーカサー役とリスナー役を交代する形で、フォーカシング のミニ・セッションを実習してもらうことをプログラムに組み込まないということでした。

 私はこうしたやり方が、「フォーカシングというもの」を自分はやれているのかどうか半信半疑の人を増やすばかりで、フォーカシングへの誤解と偏見を広めこそすれ、フォーカシングの裾野を広めることには決して貢献しないと強く確信しています。

 少なくとも、補助スタッフとして、6名のうちひとりは、資格を持つTFI公認トレーナーないしトレーナー訓練生が、小グループに分かれた際にサポートできる態勢にない限りにおいては、この点は遵守すべきであると思います。

 その結果、構成したのは、次のようなプログラム構成でした。

  1.  参加者全員:その会場に来て、自分はどんな感じでいるのか、この会場にたどり着くまでの気分と今の気分はどう異なってきているか、何が 気になっているのか、今日の催しに何を期待しているのかなどをじっくりと感じてみるひとときを持っていただき、自己紹介も兼ねる形でひとりずつ2,3分そ れを言葉にしていただき、私がひとりずつそれを傾聴して伝え返しをした上で私なりの感想もお返しする(私がこの記事から連載したやり方で、延々と十数名の参加者ひとりひとりとやりとりしたのです。これだけで実に70分の時間を使っています)
  2.      (小休憩 5分)
  3.  フォーカシングとは、我々が日常感じつつも、なかなかうまく対処できない漠然としたモヤモヤとのつきあい方について学ぶ技法であることを、私が 永年自分のサイトの「フォーカシング入門」の冒頭に掲載している、「私たちは、自分の感情と、日常の中で、どのようにつきあっているのか」をそのまま配布 資料にして、読み上げながら肉付けしつつ解説。
  4.  ここではじめて、今回作成した、フォーカシング技法を概説するためのパワーポイントを起動。ジェンドリンがフォーカシングを技法として開発するまでの経過 (カウンセリングの成功例に顕著な、クライエントさんの内面への「焦点付け」能力と、体験過程尺度stage 5におけるクライエントさんの語り方の実例を表示して説明、そしてそれを学習・訓練可能なスキルとして技法化したのがフォーカシングであること)を、できるだけカウンセリング固有の用語を排除して時間をかけずに概説。
  5.      (小休憩 5分)
  6.  参加者全員:再び自分の内側の感じに触れてもらい、1.の段階と現在とでは気になることや気分や身体の感じの状態がどう変化しているのかを再確認していただく(実質的に2回めの集団法clearing a space)
  7.  アン・ワイザー法に基づくオーソドックスな1対1のフォーカシング・セッションのデモンストレーションを、講師である私がガイドを、希望者一人を募ってフォーカサーになっていただく形で、きっちりと実施(35分)
  8.  フォーカサーに了解を得た上で、7.の実際のセッションと照らし合わせる形で、もっぱらアン・ワイザーの「フォーカシング入門マニュアル」で解 説された技法に則り、阿世賀が要約したパワーポイント映像を駆使して、オーソドックスなフォーカシング技法と傾聴のあり方の概要を解説(20分)
  9.      (昼食休憩 60分)
  10.  午前中の内容に関する質問や感想を受けるための時間
  11.  土江正司氏が開発した、教育現場で生かせる、フォーカシングを応用した平易な絵画療法、「こころの天気」の概説。「写生俳句的」といわれる伝え返しの仕方まで伝授。
  12.  実際に「こころの天気」の描画を参加者全員にやっていただき、となりの参加者とペアになって伝え返しをするまでの実習。
     
    (この際、冒頭で「今のこころの天気はどんなかな?」と内側の実感に確認していただくことを参加者全体に求めているので、この日のセミナーで実に3回めとなる集団法clearing a spaceの場になることも兼ねている)(40分)
  13.      (小休憩 5分)
  14.  インタラクティブ・フォーカシング技法と、「体験的な傾聴・応答」 「体験的な傾聴」「相手の身になった応答」のあり方についての簡単な概説。
  15.  インターラクティブ・フォーカシングのラウンドロビン・フォーマットと類似した構造を持つ、学校カウンセラー、藤嶽大安氏の開発した、小さなカードを用いて絵画や言葉を相互にやりとりする「藤嶽法第1法」を、過去に学会の共同発表時に用いたパワーポイントファイルをそのまま使いまわして概説。
  16.  大人数でいきなり藤嶽法の実習をするのは困難なので、講師である私が「語り手」となる形で、その場でフォーカシングして、2,3分で語れる自分の気がかりを提示、参加者全員に、私のフェルトセンスの「身になって」感じてみた手短な言葉や一枚のイメージをカードに書いてもらう。
  17.  そうして書いていただいたカードのうち数枚を、希望者を募って提出していただき、実物投影機(書画カメラ)を使って拡大表示、私は私の実感に照合して返事をお返しする。
  18. 質疑応答

(多くの皆さんはご存知でしょうが、「実物投影機(書画カメラ)」とは↓のような映像機器のことです)

AVerMedia コンパクト書画カメラAVerVision300AF [AV-300AF] (センターで使われていたのと同一機種と思えるのはこれです)

******

 以上、全体で、昼食休憩の60分を別にすると、ご指定いただいた6時間20分の枠をフル活用し、時間配分的には、「講師の私としては」余裕を持って納得できる形で終えることができましたが・・・・・

 私としては、講師は私ひとり、参加者20名ほどまで、フォーカシング体験者が参加者にほとんどいない前提で、カウンセラーを専業とするわけではない、動機付けも様々な参加者の皆様を前に、1回限りで、フォーカシングを、できるだけ参加者の皆さんの日常的実感に近い次元でお伝えするためのフォーマットをこれを機会に確立したかったのですが、個人的にはほぼひとつのスタイルを確立できたかと感じています。

 もとより、私が自己満足をしているだけでは意味がありませんので、すでに会場でも申し上げましたように、参加者の先生方からのご感想やご意見を、個人メールの形で結構ですので、お待ち申し上げております。

こころの天気を感じてごらん―子どもと親と先生に贈るフォーカシングと「甘え」の本

(楽天ブックス)

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ついにあの、「NHKスペシャル うつ病治療 常識が変わる」書籍化!!

 私が延々と連載記事を組み、私のサイトが一気にうつサイト化するきっかけとなった、画期的な番組、「NHKスペシャル うつ病治療 常識が変わる」書籍化されたようですnote

NHKスペシャル うつ病治療 常識が変わる

(楽天ブックス)

 恐らく番組では描き切れていなかったことまで書かれているでしょうから、もう、期待大というしかなく、楽天ポイントも生かせる(結局書店で買うよりコンビニ受け取りで安くなってしまう)ので、早速注文しました。

******

 ほんとうに、あの番組を境に、このサイトの「鬱サイト化」が急激に進行したわけです。

 気分障害全般にわたる薬物療法について、このわずか半年あまりの間に、臨床心理士の分際で、むやみやたらと勉強させていただきましたし。

 実は、うつ病と気分障害の誤診と、薬物投与の問題点のおかげで、いつまでも苦しんでいる人たちがいる可能性に気づかされたのは、この番組の放送直前の時期のことでした。

 あるクライエントさんとお会いしている時に、調子がよくなると通院しなくなり、調子が悪くなると別の病院で通院再開されるパターンを数年にもわたって繰り返しておられることに気がつき、投薬歴をすべて訊き出して、カウンセリングルームに常備していた「今日の治療薬 ―解説と便覧」首っ引きで点検していったのですね。

(楽天ブックス)

 すると、処方されてきたのは、三環系にしてもSSRIにしても、ともかく抗うつ薬ばかりが中心。

 私には、そのクライエントさんには、まさに双極2型に相当する周期的な気分変動があるために、鬱が治ったと感じた時点で治療中断を繰り返す現象が生じているかに思えもしたので、リーマス、デパケン等の気分スタビライザの処方がなされたことがあるかどうかを確認したかったのですが、一番最近の病院でやっとごく少量のリーマスの処方がなされたばかりでした。しかも、リーマスの処方の際に並行して不可欠なはずの「血中濃度検査」を受けた形跡がないのです。

 私はしっかりとこうした点を紹介状にしたため、その地域の信頼できそうな精神科病院に行くことを勧めることになりました。

*****

 そうしたできごとからさほどたたないうちにこの番組に接したものですから、インパクトはたいへんに強烈でした。

 この本だけは、読まないうちから安心してお勧めできそうです(^^)

 Amazonの書評も好発進しているようですし。

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2009年11月17日 (火)

書評:ジャネット・クライン著「インタラクティヴ・フォーカシング・セラピー -カウンセラーの力量アップのために-」

 カウンセリングの学習においては、「傾聴」や「共感的理解」ということがひたすら強調される。そして、ロジャーズの来談者中心療法のオリエンテーションが強いロールプレイや事例検討会の場で、「それであなたは十分に相手に共感しているのか?」的な叱責がなされたり、「私は十分に相手に共感できない」ことに思い悩む、カウンセリングの初学者は未だに少なくないのではないかと思う。

 正直に言って、カウンセラーの側は「理解したつもり」、クライエントさんの側も「わかってもらったつもり」でいても、実はそれが「思い込み」に過ぎず、両者の間にいつの間にか「同じ花を見て」「同じ感情を」共有している幻想(錯覚)が解離して行き、見かけ上の和やかさが、些細なきっかけで、その ギャップを露呈して、カウンセリング関係が混乱しはじめることは、よくありがちな実態だろう。

 フォーカシングのトレーナー、ジャネット・クライン女史が開発した「インタラクティブ・フォーカシング」技法は、両者の間にある間主観的な関係性に敏感になるためのトレーニングとして、まことに洗練され、なおかつ繊細なトレーニングとなるはずである。

 通常のフォーカシングにおいても、聴き手(ガイド)は、相手の感じている心身未分化な曖昧な実感それ自体に「相手の身になって」身体で感じながら傾聴し、応答していくことが重視されているのだが、そうやって聴き手側に感じられた「身になった」結果として思い浮かんできた言葉やイメージをそのまま伝え返すことは避け、ある種の中立性を維持しながら、語り手の語るパら、「その」言いまわしではじめて話し手の内部でつなぎとめられていた、実感それ自体(フェルトセンス)に注意を向け続けるための、個人的な含蓄が濃い、パーソナルな表現を、丁寧にありのままに投げ返すことを重視する。それを聴き手側が安易に言い換えたら、話し手がその言葉を手がかりにやっとのことでつなぎとめている内側の曖昧な実感(フェルトセンス)との内的関わりを妨害すると見られているからである。

 しかし、インタラクティブ・フォーカシングは、発想を逆転させた。話し手が、自らの話題についての自らのフェルトセンスをじっくり味わっているその時に、聴き手側も、話し手の「身になって」、フェルトセンスを、いわば「疑似体験」するつもりで味わってみるための、「二重の共感の時」と呼ばれる沈黙 のひと時を取ることを技法的段取りに組み込んだのである。

 そして、その沈黙のひと時の後に、聴き手の側が、話し手の身になって吟味した、手短な言葉や一つのイメージ(慣れるまではこれを見出すことをたいへんだとお感じかもしれない)を先に呈示し、話し手はそれを自分の実感と再照合する。

 その結果、聴き手の言葉が、思いの他、自分の実感と「しっくり来る」こともあろうし、一面はとらえてくれていても、何かズレていると感じることもあろう。いずれの場合も、その結果を聴き手にフィードバックするわけである。

 誤解なきように言えば、これは聴き手側が話しての実感に「的中」する言葉やイメージを見出さねばならないという強迫に駆られる必要はない。たとえ「ズレて」いても、そのズレを「共有する」ことが、相互理解を非常に深い次元で促進する刺激剤となるのであるから。

 ここまで進めたら、今度は語り手と聴き手が役割交代して、同じことを進める。つまり、それまでの聴き手は、今度は、そこまでの話の流れで「自分個人が」感じていた実感を相手に伝え返し、傾聴してもらえるのである。

 こうしたことを、まるで野球のイニングを表と裏で進めるように往復していく。「相手の身になって感じて、応答すること」と「自分自身の実感を語ること」を完全に別の段取りとして語るコミュニケーションをすることをとことん「構造化」しているのが、この技法の最大の特徴である。

 それは、相手を尊重し、自分の気持ちも尊重する対話を、超スローモーションで少しずつ丁寧に進めることになる枠組み、いわば、CT-MRI(連続断層撮影)的な形で間主観的なプロセスを相互検証できるフォーマットなのである。

 この技法で傾聴訓練を重ねたカウンセラーは、現場臨床の面接の中でも、クライエントさんの話を聴くうちに、「今の話を聴いていて、私はこんな感じがしてきたんだ・・・」なとどいう形で、ポツリと手短に言葉を差し出してみる際に、それがクライエントさんの心にいい形で響く言葉になる感度が圧倒的に 上昇する。

 ただ、本書の邦訳の副題に「カウンセラーの力量アップのために」とつけてしまったのは、実際の本の内容とは少しかけ離れてしまったと思う。なぜなら、本書の中で示されている事例の大半は「カップル・セラピー」の現場での適用事例だからである。

 自己主張的であるように小さい頃から教育された欧米の人たちにとって、恐らく連れ合いとのいさかいは日本の比ではないくらいに激しく、両者を傷つけあうものであろう。本書が、そうした生々しい現実を背景として生まれたものであることを、心に留める必要があると思える。

ジャネット・クライン/インタラクティヴ・フォーカシング・セラピー―カウンセラーの力量アップのために

(楽天ブックス)

*****

 これまでもインタラクティブ・フォーカシングについては何回もご紹介してきましたが、Amazonレビュー向けに、全く新たに書き起こしたものです。今回お書きしたのが、当面、私のこの技法についての入門的解説の「決定版」とみなしていただいて結構です。

 敢えて細かい部分を説明し過ぎなかった意図も、すでにこの技法をご存知の方にご理解いただけるかと思います。可能な限りフォーカシング固有の述語を排除したかった思いもありますし。

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2009年11月26日 (木)

「フォーカシング事始め」(村瀬孝雄・日笠摩子・近田輝行・阿世賀浩一郎 共著)

 私自身が共著者の一人として名前を連ねて1章だけ書いているので、ご紹介するのは少し恥ずかしいのですけれども、それでもやはり、日本(特に関東地区)におけるフォーカシングの普及において、ひとつのターニング・ポイントになった本だと思いますので。

 それはどういうことかといいますと、本書が刊行(1995年)された少し前、フォーカシングの有力なトレーナーであるアン・ワイザー・コーネル女史が初来日され、ワークショップを開催しました。その時の実習と、当時ワークショップ参加者だけが購入できたアンさん独自の技法マニュアル(それが後に刊行されたものが、あの「入門マニュアル」「ガイド・マニュアル」です)を元に、東京の日精研などを舞台として、恩師、故・村瀬孝雄先生や日笠摩子さん、近田輝行さんたちと共に、そのアンさんの技法を自己掌中のものにするべく勉強会を重ねました。

 そうした中で、村瀬先生の立案で、アン・ワイザー法を詳しく具体的に紹介することに大部を割いた本を4人で1冊書くことになったのです。

 つまり、本書は、日本における、公刊された、アン・ワイザー法フォーカシング「事始め」でもあるのですね。

 日本フォーカシング協会設立の、少し前の時期のことです。

フォーカシング事始め―こころとからだにきく方法

●神田橋條治先生による本書の書評(「精神療法」誌 第22巻 3号掲載)

******

 次に、本書の目次をご紹介します。

  1. フォーカシングとは?(村瀬孝雄)
  2. フォーカシングの不思議な力(村瀬孝雄)
  3. 熟練した2人のガイドとのフォーカシング経験(日笠摩子)
  4. あるワークショップの記録(村瀬孝雄)
  5. フォーカシングを実際にやってみるために(日笠摩子)
  6. フォーカシングQ & A(村瀬孝雄・日笠摩子)
  7. フォーカシングの歴史と理論(村瀬孝雄)
  8. フォーカシングの諸相と日本・世界の現況(村瀬孝雄)
  9. カウンセラーがフォーカシングを学ぶことの意味(近田輝行)
  10. フォーカシングの「臨床適用」について(阿世賀浩一郎)
  11. 補章:谷川俊太郎の詩 「きもち」を借りてフォーカシングを解説する(村瀬孝雄)
  12. フォーカシングについてもう少し知りたい人のために(村瀬孝雄)

*****

 その後、私たちは、後続するジェンドリンや奥様のメアリー・ヘンドリックス(The Focusing Institute 現CEO)、アン・ワイザー、エルフィー・ヒンターコフ、ジャネット・クライン、ケビン・マケベニュ、バラ・ジェイソンらの著書や論文、ワークショップ(邦訳はありませんが、メアリー・マクガイア、ドラリー・グリンドラーをはじめとする人たちによる、重篤事例についての重要な論文があります)からさらに多くのことを学び、日本国内でワークショップ・セミナー・研究会を仲間たちと実施したり、それぞれの臨床・教育現場の中での適用を模索する中で、更に研鑽を積んで行きました。

 しかし、今回、本書を久しぶりに読み返してみたのですが、(自画自賛じみて申し訳ありませんが)、よくもまあ、この段階で、ここまでフォーカシングの当時最先端の潮流を咀嚼し、広範囲の視点から総合的にご紹介できていたなと、ほっと胸をなでおろした次第です。

 私たちの「フォーカシングの青春時代」は無駄ではなかった(^^)・・・・まだ、古くなってないです。

*****

 本書の中の白眉のひとつは、日笠さんが苦心の末に編み出した、当時のアン・ワイザー法に基づく「フォーカシング・フローチャート」(p.pp.124-6)でしょう。このフローチャートを観てみるだけのためですら、本書を借り出したり、購入する価値があるかもしれません。

 ジェンドリン自身のオリジナルのフォーカシング技法が、単純に要約された、せいぜい1,2ページのマニュアルとして配布され、「それがフォーカシングというもの」と学習者に思い込まれてしまって伝播したことの最大の弊害は、フォーカシングの手順というものを、「空間づくり」にはじまり、「フェルトセンスをつかむ」→「手がかりとなる言葉やイメージを見つける」→「見出した言葉やイメージが実感にぴったりかどうか共鳴させる」→「フェルトセンスに問いかける」→「受け止める」という段取りを、順序だてて進めたときにはじめてフォーカシングしていたことになる・・・かのような誤解を広め、それでは思うように成果が上がらないと諦められてしまう事態を招いたことでした。

 (このことが、ジェンドリンも望まない事態で、もっと柔軟な適用が肝心であることについては、ジェンドリン自身の著作、「フォーカシング」を丁寧に読み解けば、繰り返し説かれていることなのですが)

 アンさんは、ジェンドリンの技法をベースにしながらも、それをわかりやすくて「勘所」を明確にした「5つのステップと5つのスキル」に再構成しました。

 その結果、気がかりな「事柄」からであろうと、その時の漠然とした「身体の感じ」からであろうと、柔軟にフォーカシングを始められるばかりか、内側から生じてきたものは取りあえずなんでも「認めてあげる(acknowledging)」ことと、フェルトセンスから性急な言語化を引き出さないまま「共にいる」ことを重視する丁寧でかゆいところに手が届くものとなりました。

 この「認めてあげる」や「共にいる」は、実はセッションの最中のいたるところで提案される教示なので、実は番号を振って直線的に順序だてて説明することになじみにくいところがあります。

 更に、フェルトセンスから「遠すぎる(too distance)」状態になった人と、「近すぎる(too closed)」状態になった人(アンさんのいうフェルトセンスを「脱同一化(disidentification)」して感じられる状態が程よく維持できないという点では、どちらの事態も共通です)への臨機応変な介入も必要です。

 これらをすべて表現しようとすれば、もはやフローチャート形式をとって空間的な表現にして、必要あればあっちに行ったりこっちに戻ったりということを一望できる図版にするしかない。

 日笠さんを中心とした人たちが取り組んだこの「図版化」は、アンさんの技法書のどこにも出てこないオリジナリティあふれるもので、これがアンさん来日2年目で達成されたことは、再評価されてしかるべきと思っています。

 (アンさんの技法体系そのものも、その後進化を続けていますが、この段階でのアン・ワイザー法の、几帳面な丁寧さのプラス面は、フォーカシングを「意図的なスキル」として緻密にトレーニングする場においては、決して過去のものにされてはならないというのが私の信念です。このフローチャートは、私の主催するささやかなグループでの恒例の配布資料で、現在もあり続けています(^^)) 

*****

 さて、私が執筆した第10章ですが、のっけから「臨床家自身がフォーカシングを身につけ、日常の中で役立てられていないうちは、臨床現場での適用なんていうことは考えない方がいいのでは?」という、不遜なまでに挑発的なメッセージからはじまっています。

 さすがに若気の至りではなかったかなと、その後多少自己嫌悪に襲われ、長らく読み返さないでいたのですが(^^;)、本書刊行から14年を経て、一読者の心境で客観的に読み返してみたところ・・・・ほっとしました。私なりに十分にジェントルで丁寧な語り口で書けている。

 (つい最近、認知行動療法の大家、伊藤絵美先生が、これからCBTを学ぶ専門家への心構えとして、実にそっくりの表現を、著作でなさっているのに気がつき、安堵したというのあります)

 そして、当時はジェンドリンが書きつつある「フォーカシング指向心理療法」のdraftを村瀬先生によって手渡されて、その一部を読み解くぐらいの段階でしたが、私がその時点で言葉にできた「臨床現場でフォーカシングをどのように生かすか」という方向性に、その後ブレはなかった、完全に今日の私のスタイルへと繋がっていると確信できました。

*****

 更に、この私の書いた章、さすがアニメおたくカウンセラーこういちろうですね(^^;)、私自身すっかり忘れていたのですが、次のような部分がありました(pp.241-2):

========引用はじめ=========

 このようなクライエントさんたちにとっては、自分が「どんな」感じでいるのかついて語ることは、まだサナギの状態でしかいられない昆虫が、請求に脱皮を急がされたような外傷体験に容易に結びついてしまう危険があるのです。・・・最近(95年7月)、「風の谷のナウシカ」等で有名な宮崎駿氏らスタジオジブリ制作による長編アニメ、「耳をすませば」が封切られ、映画館でご覧になった方も少なくないかと思いますが、この映画の中で、主人公の月島雫(しずく)という中学生の少女が、留学した恋人が日本に戻るまでに、自分もなにかをやり遂げようと一大決心をして、受験勉強を投げ出して、寝食を忘れてファンタジー小説の執筆に打ち込む展開があります。

 憔悴して眠り込んだ雫は、ある悪夢にうなされます。鉱脈の中の壁一面が原石でできた洞窟の中で、ほんとうに輝くただひとつの純粋なエメラルドを見つけ出そうと焦って探し回るけれども、なかなか見つからない。これぞと思って壁から抜き取った石は最初は光り輝くかに見えました。しかし次の瞬間にその石は、雫の手のひらの中で、まだ卵からかえっていないヒナの死体へと変容するのです。

 悲鳴rと共に飛び起きる雫。目の前には一向に進まない、破り捨てた書きかけの原稿用紙の山があります。

 映画の中の雫の場合には、物語をともかくも書き上げるだけの自我の強さと、そうした彼女を理解して見守る幾人かの周囲の人たちのまなざしがあったから救われたのですが、私たちが現実の臨床現場の中で出会うクライエントの中には、まさに賽の河原で石を積んでは壊されるかのようにして、自分の中の「卵」や「サナギ」を性急に孵化させようとしては流産させることを繰り返す中で傷つき、内面をすり減らし、蟻地獄のような絶望と無力感に次第次第に沈んで行く人たちも少なくない思えます。

 むしろそうしたクライエントさんたちにまず必要なのは、自分なりにさなぎ(繭)をつくって、その内部で成長と分化が暗黙のうちに進展するのを見守ることが許されるような治療的な場の保障と関係性ではないでしょうか。

 すなわち、彼ら/彼女らは、まずは、自分たちの中にうごめく形(言葉)にならない混沌が、自分を破壊する可能性がある脅威ではないという安心感を抱けるように徐々になれる治療的な場を保障してもらえる必要があるように思います。

 そして、その言葉にならない混沌を、いとおしみながら育み育てるための子宮的な空間を、自分の身体の内部や外部に安定した形で確保できる自分なりの工夫を見出せるようにサポートされるべきです。

 (これが、本書でもすでに第5章で示した、アン・ワイザー女史の言う、フェルトセンスと「一緒にいる」ということにあたります)

========引用おわり=========

耳をすませば [DVD]

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