ユングの「心理療法論」より
「弁証法」とは、古くは古代ギリシャのソクラテスが、単に深窓の閉じた部屋の中で古今の書物を相手に熟考するのではなく、ポリスの街角で意見の対立する相手と具体的な議論をする中ではじめて、その相手にも納得してもらえると考え、実践したことにはじまる。これらは「対話篇」と呼ばれる一群の著作として伝承される。
近代に至り、ドイツのヘーゲルがそれを更に発展させ、ある考え方(正命題)に対して、それと矛盾対立するする考え方(反命題)が定立され、それを更に高次元で統合する第3の考え方が生じることではじめて解決〈止揚)されることを「弁証法」と呼ぶようになった。
この「弁証法」的プロセスが前に進むことを、一般に「正-反-合」などと呼ぶ。
一方が正しく、他方が間違っているというのでも、単なる「妥協」でもない、新しい次元で解決されていく筈というもの。
わかりやすく言えば、「白」か「黒」かでの議論は、〈単なる「灰色」ではなくて)、「黄色」という高次元の答えが見出されるというのが「弁証法」のプロセスである。「色つき」という次元を想定していなかったという点では、「白」だけでも「黒」だけでも制約されていたことになる。
ヘーゲルは、これを哲学的な議論にとどまらず、社会現象や歴史の動きのダイナミズムという現実事象そのものにも適用した。
それを再解釈して、経済学や共産主義革命理論を作り上げたのがマルクス以降の人たちである。
ユングはこうした「弁証法」プロセスを心理療法的な相互作用の次元に応用し、専門家の心理療法家の方が、患者(クライエント)よりも、経験や専門知識によって、患者の心の問題をよりよく理解でき、解決への処方箋を持っているというわけではなく、かといって患者自身のほうが自分のことをよくわかっていて、自分で出していく答えの方が正しいというわけでもなく、心理療法の場で、二人のあいだで生じる相互作用過程の中で、双方が先入観にとらわれるだけではないやり取りをして、それぞれが知的にも情緒的にも揺さぶられたり困惑したりを乗り越えようとする「相互作用」の過程で、はじめて、患者も成長し、療法家自身も成長すると考えたのである。
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※ 以下の引用は、すべて、ユング「心理療法論」林道義訳 みすず書房 1989に所収の論文より。
この著作は、林道義氏によって選ばれたユングの個別の論文の選集である。
未確認だが、恐らく個々の論文は、現在の、より新しい「ユング著作集」などでは各巻にばらばらに新訳で掲載されているかもしれない。この時の邦訳にしか掲載されていないものもあるかもしれないが。
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「いやしくも個性的な人間を心理的に治療しようとする限り、私はよかれあしかれ自分の方がよく知っているとか権威をもっているという気持ちや影響を与えようという気持ちをすべて捨て去らねばならない。
私は必然的に弁証法的なやり方をとらねばならないが、これは相互の見方を比較するということを前提としている。
しかしこのことは、私が相手[=患者]に、私の予見によって制限されることなく自分の内容を十分に表現する機会を与えるときに、はじめて可能になる。この表現によって彼の体系が私の体系に関連させられ、それによって私の体系に反応が引き起こされる。
この反応は、私が個人として正当に私の患者に対置することができる唯一のものである。
(中略)この態度から少しでも外れると暗示療法を意味するが、(中略)暗示療法とは、他の人の個性について知っているとか解釈できると僭称し、それを実際に行なうあらゆる方法を指している。
(「臨床的心理療法の基本」 邦訳p.7-8)
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「医師は一般に感染やその他の職業的危険にさらされているが、同じように、心理療法家も恐ろしい心理感染の危険を背負っている。こうして彼は一方で患者の神経症に巻き込まれるという危険の中におり、他方では個人として患者の影響を遮断しなければならないが、あまり遮断しようとすると治療する力を奪われてしまう。
(同 邦訳p.29-30)」
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「成功から心理療法家が学ぶことはほとんどまったくない、というのも成功はよりによって自らの誤りを正当化してしまうからである。そして失敗は極めて貴重な経験である、というのも経験にはよりよい真理への道がひらかれているのみならず、それによってわれわれが自分の見解や方法を変えざるを得なくなるからである。
(「心理療法の目標」 邦訳p.37)」
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「心理療法においては、医師が確固とした目標をいっさいもたないほうが実のところ賢明であるように私には思われる。医師はおそらく自然や患者の生きる意志ほどには、その目標をよく知ることはできないであろう。人間の生が下す偉大な決定には、一般に意識的な恣意や善悪の分別よりも、はるかに多く本能その他の神秘的無意識的な要因に従っている。ある人にぴったりする靴は他の人には窮屈であり、普遍的に該当する生の処方箋など存在しない。一人一人がおそらく自分自身の中に自らの生の形式・非合理的な形式・をもっており、それより他の形式の方が優るなどということはありえないのである」
(同 邦訳p.41-42)
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「世界観[価値観]は療法家の人生を導き彼の治療の精神をかたちづくる。それは最も厳密な客観性をもっているとはいえ、なによりも主観的なものであるため、恐らく何度となく患者の真実に触れて砕かれ、そしてその真実によって新たに再建される。すなわち、信念は容易に自身に変わりそこから悪くすると硬直に変わる。硬直したのでは生きているとはいえない。信念は強いと言うことは、それが柔軟で修正が効くということであり、あらゆる高度な心理と同様に、信念が皆に認められるのは自らの誤りを認めることによってである」
(「心理療法と世界観」邦訳p.68)
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「(前略)このような場合には、療法家が患者の真実にふれて自分の信念が壊れてもいいと思っているかどうかという問題が浮かび上がってくる。もし患者を引き続いて治療したいと思うならば、彼は患者とともに先入観なしに探求の旅に出て、その激情状態にふさわしい、宗教的・哲学的信念を発見しなければならない。
(中略)しかし療法家が患者のために自分の信念を俎上にのせることを嫌うと、彼の基本姿勢が頑(かたく)ななのではないかという疑問が当然頭をもたげてくる。彼は恐らく自信を失いたくないので譲歩することができない。しかしその自信によって彼は硬直化の危機にさらされているのである」
(同 邦訳p.70)
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メールなどで質問したかったのですが、
このコメント欄しか書くことができないようなので、ここに失礼ながら記入しています。
私は福岡に住んでいるものですが、
フォーカシングを数年前に学んだ事があり、また、学びなおしたいな・・・と思ってYahooで検索してここにたどり着きました。
心理学は本などで勉強しましたが、今は、コーチングなどに興味が移行しています。
私なりの好奇心なのですが、コーチングやNLPのスキルとフォーカシング的な感情へのアプローチを学ぶ事ができればと思っています。
9月からそういったワークも開かれるということで、実際に決まったら参加させていただければと思います。
私の友人も関心を持っているので決まったら伝えようと思います。
よろしくお願いいたします。
投稿: のん | 2008年8月26日 (火) 11時11分
のんさん、お久しぶりです。
フォーカシングに関心を持ってくださり、「久留米でフォーカシングを学ぶ会」の9月開催を心待ちにして下さっていることに感謝申し上げます。
このコメントで先行公開しますが、「学ぶ会」初回は、9/14(日)を考えています。原則毎月第2月曜日開催にしようかと。
この連休というのは、結構臨床関係者はいろいろな学会や研修会があることが多いのですが。重なっていないことを!!
投稿: こういちろう | 2008年8月26日 (火) 20時36分
なお、メールはkurumefocusing@live.jp宛てでも結構です(^O^)/
投稿: こういちろう | 2008年8月26日 (火) 20時48分
お返事ありがとうございます。
9月14日(日)であれば参加できそうです。
今、一緒にコーチングを学んでいる友人も、心理学やメンタルヘルスを並行して学んでいるので興味を持って参加すると思います。
最近臨床心理士を目指している方とも知り合いになったので声をかけたいと思っています。
詳しい時間、場所など決まりましたら事前にメールいただければと思います。
問合せメールは
これからメールアドレスの方に致します。
コメント欄に書いてスミマセンでしたm(_ _)m
投稿: のん | 2008年8月27日 (水) 12時12分