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音楽

2018年7月 6日 (金)

ピアノ協奏曲 イ短調 Op.54

 えーっと、ピアノ協奏曲についての本格的な解説はいずれ書きますが、その前に是非書いておきたかったことをやはり書いてしまいます。 

 「ウルトラセブン」最終話のピアノ協奏曲の使い方はたいへん過激なのは知る人ぞ知るところ。

「アンヌ、僕は人間じゃないんだ。M78星雲から来たウルトラセブンなんだ」

 その瞬間、逆光に照らし出されるアンヌとダン隊員とともに第一楽章冒頭が「ジャン!!」とはじまるあたりもかなりスゴいですが、同じ第1楽章の終結部に乗せて、セブンが怪獣にやられまくるあたりが一番凄いというのが同年代の知り合いの意見です。
 私は、地下を掘削しつつ驀進するドリルつきのタンクのシーンの背景で、第一楽章第一主題のあとの経過句が流れるあたりもたいへん好きなんですが。

 実は、私もこの曲が使われていたことそのものは忘れてしまっていたのです。しかし、一時期懐かしのテレビ番組の名(迷)シーンを次々さわりで見せる特番が流行った頃、頻繁にやってくれて、「そうだったのか!」。
 数年前に衛星放送でだったか全話再放送してくれたときに綿密に再確認しました。

 この「セブン」で使われたのは、往年のピアニストで早世した、ディヌ・リパッティのピアノ、カラヤン指揮/フィルハーモニア管弦楽のものです。

 

 当然最初見た小学校2,3年生の時点で私はこの曲のタイトルなど知りません。でも、曲が潜在意識に眠り続けていて、再会したとき(N響で中村紘子が弾いていた録画の教育テレビでの放送。中学2年の頃)に無意識を妙に衝き動かしたのは確かでしょう。

 ウルトラセブン、テーマも深かったし、隊員の服装や車のデザインが今見ても全然古くならないのです。たいてい、昔見た好きだった番組をもう一度見ると、記憶の中の生き生きとしたイメージとのギャップで興ざめするんですが、セブンはそんなことありません。

 などと、「どこがピアノ協奏曲の解説なんだ!」というあたりだけは、まずは書き残しておきたくて。

 念のためにいいますが、私はそんなにマニアックな特撮ファンではありません。「仮面ライダー」の頃から以降は見てませんから。それでも「マイティジャック」の音楽とかはかっこよかったなあ……。

「アイアンキング」のオープニングやエンディングも好きでしたし。

(98/9/2)

2018年7月 2日 (月)

ピアノ五重奏曲 変ホ長調 Op.44

作曲:1842年(P五重奏),1829年(P四重奏)
出版:1843年(P五重奏),1979年(P四重奏)


 

INDEX

1. 室内楽曲入門に最適?!

2. シューマンの室内楽への道

3. 曲の構成



1.室内楽入門に最適?!

そもそもこの「ロベルトの部屋」で、シューマンのそのジャンルにおける代表作、つまりシューマンの作品全体でもすでに普遍的に名曲視されている作品を取り上げるのは今回が初めてであろう。私が単なる「マニアック」という意識から曲を選んでいないつもりであることはすでに繰り返してきたとおりだが。

 なぜ私が連載当初有名曲を避けたのか。ひとつは、有名曲ならいろんな本にCDの紹介がでていて今更やらなくてもいいと思ったから。もう一つは、「親しみやすい曲なのになぜか無名の不憫な曲」の再評価ののろしを上げてやろうという思い。

***

 さて、皆さんは、もしここに、ハイドン・モーツァルト・ベートーヴェンからチャイコフスキー・ドヴォルザーク、マーラーやブルックナーの有名曲、ストラヴィンスキーの3大バレエ音楽やらバルトークの管弦楽のための協奏曲や「弦・チェレ」ぐらいまでの曲を聴いてきた、一渡り入門期を脱しはしたが、室内楽曲となるとまだほとんど聴いてはいないというクラシックファンがいたとすれば、室内楽入門として何を薦めるだろうか。

 ちなみにここではバイオリンソナタ等のピアノ伴奏付きの二重奏曲は一応除外しよう。

 ハイドンやモーツァルトが好きならば、彼らの弦楽四重奏(五重奏)とかでもいいだろうが、はっきり言って現在の若い人達は、そういう形で室内楽を聴き始めてはいないのではないか。

 私は管弦楽になじんでいた人には、やはりかなり「シンフォニックな」聴き映えのする曲の方がなじみやすいのではないかと思う。しかもリズミックで構成が堅固で退屈する間がないくらいに音が詰まった変化に富んだ作品。

 ベートーヴェンでいえば「大公」トリオよりは「ラズモフスキー」の第3番、シューベルトとなれば、ご多分に漏れずだが、ピアノ五重奏曲「ます」、あるいは弦楽四重奏曲の「死と乙女」「四重奏断章」

 メンデルスゾーンでは、というより、ピアノ三重奏曲というジャンルの入門曲としては、やはり華麗で小気味いい第1番ニ短調。もちろん響きが分厚い弦楽八重奏曲でもいいのですが。ブラームスならば、ピアノ五重奏曲もいいが、最近シェーンベルクの管弦楽編曲版が結構でているピアノ四重奏曲第1番ト短調あたりならば、交響曲の延長として自然に聴けるはずである。ドヴォルザークとなると、あまりにありふれた選択だが、やはり弦楽四重奏曲「アメリカ」が、新世界交響曲との主題の類似性もあるのでなじみやすくて無難だろう。

 更に時代を下ってバルトークやストラヴィンスキーの管弦楽の有名曲が特に気に入った人は、いきなりバルトークの弦楽四重奏曲の4番あたりから挑んでもらうと、室内楽曲というのがこんなにも攻撃的でダイナミックで、多彩な音色の表現もできるジャンルということに新鮮さを感じられるかも。ショスタコビッチの交響曲に惹かれた人には弦楽四重奏曲の8番ピアノ三重奏曲の第2番

 何か、室内楽の永年のファンからすると、しょっちゅう聴いていたらくたびれそうな曲ばかり並べてしまった気がするが、私は何よりオーケストラ曲になじんでいる人の取っつき易さを優先したつもりである。

***

 そして、もう一つ忘れてはならない、室内楽入門のためのとっておきの推薦作が、我がロベルト・シューマンのピアノ五重奏曲変ホ長調Op.44なのである。

 すでに第1回でも書いたことだが、シューマンは古典的・構成的なソナタの枠組みで曲を作ろうとすると、きちんと作ろうとすればするほど、何かシューマン本来の奔放な楽想のはばたきの足を引っ張ってしまい、何か少し窮屈で中途半端な印象の作品を作ることが少なくなかった人である。交響曲ですら、あちこちで古典的ソナタの枠を逸脱させてシューマン自身の持ち味に引きつけて曲を作ったら作ったで、交響曲としての欠陥をいろいろと揚げ足取りされる始末。ピアノ協奏曲ですら、本来単一楽章のピアノと管弦楽のための幻想曲を拡張するという変則的な作られ方をする中で、幸運にも古典の足かせをかわすことに成功したのだと言ってもいいだろう。

 ところが、ここに、唯一の例外がある。基本的にはむしろ明快というのに近いくらいに古典ソナタ形式の作曲法を逸脱していない点では交響曲以上。にもかかわらず、およそ楽想とその展開のすべてにシューマンの個性が刻印され、しかもはじめて聴いた人にも奔放で新鮮なインパクトを与えるだけのたいへんな「聴き映え」をもった「一目惚れ」しやすい作品。そしておよそその楽器編成の曲種において古今東西のすべての曲の代表作としての評価に値する普遍的完成度を持つ逸品、それがシューマンのピアノ五重奏曲なのである。

 そもそも、この作品は、意外にも、弦楽四重奏にピアノを加えたピアノ五重奏曲というジャンルの歴史上はじめての成功作なのである。シューベルトの「ます」五重奏曲は第2バイオリンがなくて代わりにコントラバスが使われている以上、楽器編成としてはむしろ変則的なものである。

 バイオリンが一台だけのピアノ四重奏曲というジャンルならばすでに頻繁に作曲され、モーツァルトのト短調という超一級の名曲すら存在していた(この曲も室内楽入門に推薦です)。恐らく弦楽四重奏とピアノを組み合わせようという試みそのものはかなり以前から試みられていたはずだ(モーツァルトのピアノ協奏曲などしばしば弦楽四重奏のみの伴奏で演奏された形跡があることは、最近CDも発売されているので、ご存じの方も少なくないかもしれない)。だが、弦楽四重奏とピアノのために最初から作られたシューマン以前の作品は、ことごとく歴史に淘汰されてしまった。

ところが、シューマンのこの作品の後には、ブラームス、ドヴォルジャーク、フランク、フォーレ、ショスタコピッチなど、ビアノ五重奏曲の名曲は目白押しとなる。しかし、そうした中で一番親しまれているのは文句なくシューマンのそれだろう。

 この編成の成功作が出るのが遅れたのは、合奏曲としては最も簡潔で完成された形式と言われる弦楽四重奏に、ピアノというそれ一台だけでひとつの世界を持つ楽器を調和させて拮抗させるというノウハウを確立することのたいへんさにもあったのではないかと思う。

 しかも、ピアノという楽器そのものが、当時メカニカルな機構の点で日進月歩に改良され、オーケストラとも拮抗しうる派手な表現力の楽器へと変化しつつあった。リストのようなとてつもない天才的な演奏技巧の持ち主が現れ、ピアノは最も「センセーショナルな」楽器となっていった。

 現実に演奏会に行かれた方はご存じのように、録音の際に音量バランスを調整できるCD等とは異なり、ピアノという楽器とソロの弦楽器の音量差は実は大変大きなものなのである。ひとつ間違うと弦楽四重奏の方がピアノの添え物的伴奏に過ぎなくなる。弦楽四重奏そのものがすべての声部を調和よく表現する形式である以上、ピアノという楽器が「浮いて」しまう危険は大変大きいのである。

 後述するように、シューマンは弦楽四重奏のための習作には実に早くからチャレンジし、ハイドンやベートーヴェンをとことん研究していた。そして「室内楽の年」1842年には、一気に3曲の弦楽四重奏曲をごく短期間にたて続けに作曲して、Op.41という作品番号を与えて公刊することとなる。

 それらの四重奏曲は、十分に練り上げられた構成力にシューマンらしさが見事に融合したかなり優秀な作品ではあるが、聴いていて何か奇妙な物足りなさが残る。これはベートーヴェンの場合には全く感じないことなのだ。「何かが足りない」。シューマンは結局その奇妙な欠落感を、自分が得意とするピアノという楽器で埋めるしかないと自然に考えるに至ったのだろう。ある伝記作家は「弦楽四重奏では家庭音楽会でクララに出番がなくなるので」と述べているが。

***

 このピアノ五重奏曲を最初に聴いた経験は、私としては珍しく有名演奏家たちのライブである。中学時代、我が故郷、福岡県久留米市の、音響の良さで知られる石橋文化ホールに、「ヴィーン八重奏団」が訪れたのだ。この楽団の実体は、CDでいうところの「ヴィーン室内合奏団」だったのではないかと思う。第一バイオリンが、テレビのライブ中継でもおなじみの、先頃山歩き中の墜落事故という不幸な最期を遂げたヴィーン・フィルの名コンサートマスター、ゲルハルト・ヘッツェルだったのをはっきりと覚えている。ピアノはデムス。曲は地方での巡業公演らしく、モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークの弦楽四重奏版、シューマンのピアノ五重奏曲、そしてシューベルトの「ます」五重奏曲という超ポピュラーなもの。

 当時の私は室内楽曲は聴き始めたばかり、「ます」五重奏曲、「アメリカ」、ベートーヴェンのラズモフスキーの3番ぐらいしか意識的に聴いたことがなかった。「アイネ・クライネ」の、いまにして思えば何とも贅沢な弦楽四重奏版の小粋な演奏の後、ビアノのデムスが登場して、はじめと聴くシューマンのピアノ五重奏曲がなり始めた瞬間の「身体の感じ」を私は実によく覚えている。モーツァルトの時にはまるで感じられなかった分厚い和音の圧力が、予想もしないくらいの強さで身体を圧迫してきたのである。ほとんど骨が振動するような響きで。

 実はこのときのシューマンの曲の印象は、今やこの部分しか残っていない。いまにして思えばこの曲とするとずいぶんゆったりとした演奏だったように記憶する。しかし、室内楽の響きもこれだけ「身体に響く」ものになり得るという体験は私の中にしっかりと刻印されたのである。

 この曲との再会は大学学部生時代にFMで聴いたゼルキン/ブダペストQの演奏で、このときはじめて私はこの曲の真の虜となる。

2.シューマンの室内楽への道 

 クララの父、フリードリヒ・ヴィークとの訴訟に勝ち、クララと結婚した1840年、ロベルトは突然それまでのピアノ独奏曲一辺倒をやめ、歌曲ばかりを作曲する。この年が俗に「歌の年」と呼ばれるのはよく知られたとおりである。そしてその翌年、1841年には一転して交響楽的作品の作曲のみに集中したため、「交響曲の年」と呼ばれる。これには、第3回で述べた、1938-9年のロベルトのヴィーンの滞在期間中に、シューベルトの「ザ・グレート」を発見したことの刺激が大きいと一般にはいわれるが、「作曲家として認められるには交響曲で認められないと」とクララがけしかけたという側面も大きいらしい。

 その更に翌年、1842「室内楽の年」と呼ばれることになるが、この引き金は、ひとつには、新婚のシューマン家で友人たちを招いて頻繁に催されるようになった家庭音楽会の影響が大きいらしい。できあがった曲をすぐに試奏して手直しできるという環境が、シューマンの室内楽作品に、他のジャンルの作品に比べると推敲が行き届き、奔放さよりも緻密さやまとまりが勝った曲を多く生み出す原因にもなったろう。同じライブツィヒで活躍するメンデルスゾーンとの親友関係の深まりの中で、メンデルスゾーンの完成された古典的教養に基づく様々な示唆も刺激を与えたようである。

 実際、完成した室内楽曲をまずはメンデルスゾーンに見てもらうということが少なくなかったようである。そもそもこの年完成された3曲の弦楽四重奏曲はメンデルスゾーンに献呈されている。少し後の時期になるが、すでに先ほど述べたメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番ニ短調を、ロベルト自身「楽器間のバランスがすばらしい」と絶賛しており、自身のピアノ三重奏曲第1番ニ短調Op.63を執筆する引き金となったことは有名である。すでにヴィーン時代に始まったシューマンの古典主義への傾斜はかなりの程度メンデルスゾーンへの私淑の影響だろう。

***

 だが、シューマンの室内楽へのチャレンジは、この1842年に突然ふって湧いたわけではない。十代のうちから数限りなく試みられていたのである。友人たちや恋人時代のクララへの手紙にも、繰り返し、「今弦楽四重奏曲を書いている」という言及はある。「まだ習作だけれども」と書いたときもあれば、「今度のはハイドンと同じくらいにすばらしい」と自賛したりもしている。しかしそれらは皆完成作として世に問われることはなかった。

 唯一、1842年より遥か以前に作曲されて、ほとんど公刊寸前までいった室内楽曲がある。それは、1829年、まだロベルトが18歳の時に書いたピアノ四重奏曲ハ短調である。この曲は後に一度Op.5の番号を与えて出版することも考えたようだが、結局取り消された。この曲は1979年というかなり最近まで出版されなかったが、ついに1991年、プレヴィンのピアノにバイオリンのヤン・ウク・キムら若手が参加した豪華メンバーでついに世界初録音がなされた(BMG 09026-61384-2。国内盤あり。カップリングはOp.47有名な方のピアノ四重奏曲)。

 このピアノ四重奏曲は、同じ頃、第2楽章まで書かれてロベルト自身の指揮で初演までされた、俗称「ツヴィッガウ交響曲」(インバル盤[連載第1回参照]、マリナー盤[独カブリッチョ 10 094]があるが、第2楽章はマリナー盤のみ)の散漫さ(特に第2楽章はやろうとしたことは当時の水準を超える斬新な「交響詩的」展開の自由さはあるが、途中で収拾がつかなくなり、ものの見事に空中分解する)と比べれば遥かに聴き映えのする、一度お聴きになっても損はない作品である。

 確かに、いかにもシューマンという作風はまだほとんど見られず、何も知らずに聴かされたら「シューベルトの曲」という人が断然多いであろう。曲に洗練された構成美を与えるのが苦手で、どこか無骨でぎこちないところまでシューベルトの平均的な室内楽曲と本当によく似ている。もとよりシューベルトの和声の微妙な移ろいの味には欠けるが。

 ぎこちないなりに、かなりベートーヴェンあたりを自己流で研究した後が見られ、第2楽章の、一応メヌエットと題されてはいるがプレストの速さで実質スケルツォの楽章など、やや紋切り型で未整理ではあるが、妙にベートーヴェンとシューベルトののスケルツォを足して2で割ったような響きがある。

 第1楽章の開始など、ベートーヴェンのように劇的にやりたい気持ちは痛いほど伝わるが、如何せん、技法が完全に素人臭くて、ドタドタと無骨でぎこちないことこの上ないが、妙にその若気の至りの単細胞加減がほほえましい。第1主題を弦のトレモロの伴奏の上で悲愴に歌わせようとするあたりの発想はすでにいかにもロマン派的である。第2主題の旋律の歌わせ方が妙に初期のショパンと似ている瞬間があるのもおもしろい。終わりの方は結構やるナアというくらいにアパッショネートに盛り上がる。その割には最後の最後の「決め」に芸がないのはご愛敬。第3楽章のアンダンテの沈んだ感傷的な歌は、このようなむき出しのメロディは後年のシューマンは使わなくなったので、その「直接性」が妙に感性に訴える。

 第4楽章のロンドなど、ほとんどシューベルトの終楽章のセンスに近い(幸いシューベルトほど冗長ではない)が、例によって付点音符のついたスキップするリズムの和声のところどころに、私たちのなじんでいる後年のシューマネクな香りがほのかに漂う瞬間があるのは妙にうれしいものがある。

 後のシューマンの透き通るような独特のツヤ消しされた旋律美の代わりに、個性には乏しいが、いかにもドイツの多感な若者が精一杯赤裸々に歌い上げる初々しいメロディに、純真なのびのびとした美しさはある。まだ音楽教育がひどく不完全な素人に毛が生えた程度の18歳の若者の作品として見れば、はっきり言ってこれだけ書ければ「うらやましい」といいたくなる。やはりこの時点でこのくらいは書けないと後年のような作品は生まれようがないだろう。モーツァルトやメンデルスゾーンのような英才教育付きの早熟児ではないにしても、やはり凡人とは異次元である。今後演奏会で、ある程度取り上げられてもいい水準の曲ではなかろうか。音楽学校の学生あたりも、その青臭さ自体を面白がって気楽に弾くかも。

 もとより、作品1の「アベック変奏曲」や作品2の「蝶々」といったピアノ曲がすでに到達している歴然としたシューマンの個性や独創性、完成度からすれば、まだ花もつぼみの作品と言うべきで、シューマンが「作品5」の番号を与えるのを取り下げてしまったのは致し方のないところだろう。(ちなみにプレヴィン盤のカップリングの成熟したOp.47のピアノ四重奏曲の方は非常に洗練された名演で、ともに録音もきわめていいことを付け加えておきたい。)

***

 さて、1842年の「室内楽の年」に話を戻そう。

 作品42の3曲の弦楽四重奏曲は、6月2日から7月5日の間に第1番と第2番をほぼ並行して行きつ戻りつしながら作曲し、7月5日から22日の間に第3番に専心するという、非常に集中した形で書き進められている。ロベルトはこの曲の直前にベートーヴェンの後期の四重奏曲を熱心に研究した形跡があり、なるほど、形式的にはベートーヴェンほど自由ではなくてむしろ型にはまっているのだが、響きの作り方や和声の移ろいの質などの点で、ふとベートーヴェン後期のニオイが漂う瞬間があるのも確かである。

 第1番イ短調はそうした中では一番古典的なソナタの形式に気を使いながら書いた作品で、その分主題の推移や展開をきちんと技術的にこなすことにエネルギーが割かれ、やや杓子定規な堅苦しさ・平板さもあるが、第一楽章の序奏に続く主部の冒頭のファンファーレはいかにもシューマネスク、その後に続く第1主題のツヤ消しされたなめらかな歌い回しは完璧にシューマンの美学である。第2楽章スケルツォはピアノ曲などで見られるあのカッコのいいシャキッとした前のめりのリズム感。シューマンが聴いて感激したマルシュナーのビアノ三重奏曲ト短調に影響されているとのことである。終楽章の第一主題のドラマ性など、「クライスレリアーナ」のある種の曲の悲愴美に通じる。第2主題が、低音部がスコットランドのバグパイプの持続音のような独特の効果を持つのもおもしろい。

 私はこの曲を弦楽合奏版で弾いてみたら結構生えるのではないかという気もする。それどころかシューマン風のツヤ消しされた楽器法で管弦楽編曲版を作ってみてもおもしろいかもしれないと思うのだが。是非第一楽章の第一主題を大オーケストラのたゆとう弦楽器群で聴いてみたいのである。

 第2番へ長調は形式的にはより自由であり、第一楽章でもその分旋律がのびのびと草書体で歌いまくるという印象がある。弦の音の絡み合いも第1番より自然な「濃さ」があるようにも思う。第3楽章のスケルツォがいかにもシューマンにしかできない、大胆に音程が上り下りしながら「這い回る」不思議な幻想味があるもの。伴奏部のアクセントの臨機応変なずらし方がおもしろい。終楽章は一転してハイドン風の常動曲的な軽快なもの。しかしこの旋律の歌わせ方や、和声の移ろいの質は完全にシューマンのものである。

 第3番イ長調は、1番と2番の作曲が終わってから直ぐに着手したにも関わらず、曲に込められた叙情の自在な深さという点でははっきりとした進歩が見られ、形式的にもより独自性が増している。いろんな意味でプラームスの室内楽曲に通じる響きがあちこちで見られる曲という点でも興味深い。

 第1楽章は、一見前の2曲よりも渋い世界だが、ベートーヴェン後期の叙情性に一番迫る質がある気がする。3曲の中でこの曲が一番いいと私が思い始めたのはごく最近である。かなり通好みな世界だとは思うが。ちなみに冒頭のla-reの下降動機は、例によってClaraの名前を読み込んだものである。

 第2楽章のスケルツォが何とも独創的。何と変奏曲である。この変奏が進むに連れて響きがどんどんブラームスじみてくるあたりに驚かれる方もあるかもしれない。第4変奏の「大の男のすすり泣き」のような情熱の質など、ここだけ取り出したらブラームスの曲の一部と思う人が多いだろう。確かブラームス晩年のクラリネット(ヴィオラ)ソナタの中にかなりこの楽章と似た響きの変奏曲の楽章があったと記憶する。第3楽章の渋くて枯れた歌い回しなども、かなりブラームスに通じる響き。これは私の勘に過ぎないが、ブラームスはこの第3番の曲から学んだものが実に多いのではないか。

……一転して終楽章は、ここまでのくすんだ渋さを投げ捨て、突然ぎらぎらとした日差しの世界に回帰する。完璧にシューマンそのものの大胆極まりないシンコペーションと付点音符の競演というべき独創的なリズムの、ノリノリな風通しのいい明快そのものの明るい躁的な楽章。このリズムのノリは一度聴くとクセになる。ただ、やはり、この弾むリズムは、発想がどうみても弦楽器的ではない。弦楽器の深い線的な絡みの叙情の世界を自分なりに深め尽くした途端、突然シューマンの中に、久々にピアノの打楽器的な機敏なリズムの快感への虫がうずきだしたのではないか。

 なるほど、この次には、ピアノ付きの室内楽を作るしかなくなるのである。弦楽四重奏曲第3番の脱稿が7月22日。それからちょうど2ヶ月後、9月23日にピアノ五重奏曲の最初の草稿が書き始められる。

***

3.曲の構成

  • 第1楽章 アレグロ・ブリランテ 変ホ長調 2/2 ソナタ形式

 まさに「輝かしいアレグロ」そのもののダイナミックな楽章。変ホ長調といえば、ベートーヴェンの例を持ち出すまでもなく、ヒロイックな「英雄」の調性でもある。

 冒頭から全楽器の総奏で和音を踏みしめるようにして、豪快で輝かしい第1主題が登場する。私が実演で、その分厚い和音に「身体で圧力を感じた」と先ほど述べた部分である。この主題は全曲を統一するモットーとして形を変えながら繰り返して登場する。いわばこの作品の核となる部分である。

 冒頭の数小節の華麗さと豪快さは、この時点までの室内楽の多くの常識をはみ出すシンフォニックなものがあるように思う。そしてこの主題にこの作品の性格全体が見事に現れているのである。実はこの第1主題の冒頭の二分音符の四音に続く八個の四分音符をどのような表情とアクセントと歌い回しで弾くかは演奏者の解釈によってずいぶん異なり(巧妙に弾ませたり、かなりレガートにしたり、一音ごとに表情を微妙に変えたり、ピアノと弦楽部で表情を別のものにしたり、実にいろいろである)、その部分の解釈で曲全体をどういうトーンで演奏しようとしているか予測がつくくらいなので、聴き比べる場合には注目していい部分である。

 この第1主題は数回形を変えて繰り返され、続いてこの主題から引き出された、より柔和な旋律がまずはピアノで出て、ビオラ、第2バイオリン、第1バイオリンと受け継がれるうちに少しずつ高揚する。そこで、ピアノソロに、新しいリズミックな動機が、まるで「合いの手」を入れるかのように出る。この動機、最後の音がシャープ記号で半音しかあがらないあたりに、何かじらされるような独特のチャーミングさがあるが、ここからはじまる第2主題の叙情的な雰囲気に切り替えるための「つなぎ」として絶妙な効果を発揮するのである。

 第2主題は、少し速度を緩め、チェロヴィオラが2小節おきに対話する、何とも優美なメロディである。ピアノはそれをタタン、タというシンコペーションのシンプルなリズムの繰り返し和音で控えめに支える。この、チェロとビオラの受け渡しのあたりは、二人の演奏者の息を合わせるセンスのデリカシーが問われる聴かせどころのひとつだろう。まるでひとつの楽器のようにシームレスに。しかしよく聴くと、歳の離れていない兄弟の対話であるかのように、あるいは実体と影との対話であるかのように響かないとなならない。弦楽四重奏団の各楽器の音色や奏法、技量の統一性の度合いが非常によくわかる部分である。この楽器間の対話は、再び先ほどのピアノの「合いの手」を挟んで、今度はバイオリンの対旋律を加えて少し高揚した形で反復され、更にもう一度ピアノの「合いの手」。

 ここで唐突に第一主題冒頭のテンポに戻り、冒頭の動機に基づく少し緊張した楽器間の音のやりとりの後、シューマンお得意のヘミオラ的なリズムがピアノにきらめいて、そのまま第一主題を中心とする、全楽器によるダイナミックで晴れやかな小結尾に至る。

 提示部を反復する場合にはこの小結尾がそのまま和声を転じて全楽器が華やかに「なだれ落ちる」ダイナミックな接続部を経由して再び冒頭の主題に回帰する。このあたりは何とも効果的な輝かしいパッセージなので、この曲に関しては提示部の反復をしないのは何とももったいないということになると思う。幸い殆どの演奏がこの提示部は反復するようである。

 展開部は、提示部の総終止のあとで、まるで仕切り直すかのようにして、短調のゆっくりとした下降旋律がまずはピアノに出て、チェロ、ヴィオラ、バイオリンにに受け渡されていく。ここまでの華やかな快速さに急ブレーキをかけて、あたりの空気が急に憂鬱なトーンを帯びる。

 実はこの展開部冒頭に入るまで、曲は一貫して長調の和声中心に進んでいたので、ここでいきなり始まる短調の沈み込む楽器のやりとりは雰囲気を急変させる大変劇的な効果を上げる。私はこの部分で、ベートーヴェンの「悲愴」ソナタの提示部の後半の華やかな長調の展開のあとで、それを断ち切るかのように再び冒頭の序奏部の短調の悲壮感あふれる部分が回帰するときの効果を思い出す。もとよりシューマンのこの曲には最初の序奏部はないのだが、このような劇的な「仕切直し」のスタイルは、「悲愴」ソナタを意識しているかどうかは別にしても、明らかにベートーヴェン的な発想のように思う。

 この展開部冒頭の沈み込んだゆったりした部分で鬱積し、堰き止められたエネルギーは、冒頭主題を短調にしたモティーフの提示の部分から一気に放出されはじめる。
 引き続き、ピアノの延々とした分散和音のパッセージ……これ自体が実は提示部のあの優美な第二主題の変形……が駆け続けるのを弦楽器の長く引きのばした和声が支え、激流を一気に流れ下っていく。この展開部のぐいぐい流れていく表現スタイルは交響曲第4番の第1楽章の展開部のスタイルとも似ている(第4交響曲の第1稿はこの五重奏曲の約1年前に作曲されている)。途中1回だけ更に冒頭主題を短調で再現した後も延々とどす黒い情念の「激流下り」が続く。時々弦楽器やピアノが流れが岩ににぶつかって砕け散るように叫びをあげ、更にとうとうと流れ下る。

 だが、その流れが次第に長調の和声を準備する明るさの兆しを帯びはじめたかと思うと、そのまま再現部のあの輝かしい第1主題へと怒濤のように流れ込むのである。

 再現部は完全に型どおりに進んだ後、そのまま自然に明るいコーダにつながって終結する。

 ピアノと弦楽器群を、時には重ね合わせて分厚いシンフォニックな響きを出し、時には対等な形で「競奏的」に(「協奏的」に非ず)渡り合わせ、むしろソロの見せ場の多くをチェロやヴィオラに与えることによって、ピアノの華やかな音に弦楽器群が圧倒されないように配慮する(当時のピアノと弦楽の室内楽で、弦楽の低声部がピアノから独立した動きをとることはまだ少なかった)。
 ピアノは時には前に出て、時には背景で控えめな伴奏の役に回るが、全体としてみると、独奏曲の時ほど和音を重ねず、適度にシンプルな鳴らし方にすることによって弦楽部に対して出しゃばり過ぎない節度を保つ(といっても、シューベルトの「ます」五重奏曲が、オクターブの音ばかり両手で弾いて、まるでひとつの声部に過ぎないのような控えめな役割しか果たさない場面が多いのに比べるとかなり積極的。「ます」五重奏曲のピアノパートは妙に「軽く」できている)。
 ピアノをうまくソナタ形式の各部分の「合いの手」に使うことで、曲のひとつひとつの部分に異なる性格を与えて、次々と曲想が変わる、めくるめく多様性を内包させることに成功している。

 シューマンはソナタ形式を用いる実に多くの場合、再現部の一部を省略することが多かったのであるが、ここでは型どおりの再現部である。
 すでに述べたように、提示部と再現部をひたすら長調中心、展開部を短調のみと描き分けたことも、型どおりのソナタ形式にもかかわらず、再現部が冗長という印象を与えずに済んでいる。もちろん提示部自体旋律がみんな魅力的で、提示部内部の構成も実に対比効果の鮮烈な起伏に富んだものなので、自然と「もう一度」聴きたくなるせいもあるが。ベートーヴェン以降、ソナタ形式の展開部が肥大して見せ場の中心になる中で、再現部がやや冗長な部分になり始める中で、むしろ展開部の膨張を抑制しつつ提示部・再現部と対比度が強い内容にして、ソナタ形式の原型としてのA-B-Aの三部形式に回帰しているともとれる。シューマンの書いたソナタ形式の提示部としては最高の成功作のひとつだろう。

  • 第2楽章 イン・モード・ドゥナ・マルチア、ウン・ポコ・ラルガメンテ ハ短調 2/2 A-B-A-C-A-B-Aの、自由なロンド形式ともいえるが、それに緩-急-緩の三部形式の側面が巧妙に当てはめられたもの

 冒頭に静かに現れるピアノの分散和音は第1楽章冒頭のモットーの変形である。それに続いて始まる、しずしずと進む葬送行進曲の歩み(A)。時々冒頭のピアノのモットーが繰り返し「合いの手」として控えめに入る。

 しかしこの行進はショパンやベートーヴェンの葬送行進曲のムードともまた違う。音がひとつ二つ出る度に、弦楽器とピアノがすべて一斉に八分休符を挟む。沈黙を挟みながら「ぶつ切り」にぽつりぽつりと奏でられる旋律の、独特の「むっつりとした」肌触りは、一度聴くと忘れられないだろう。ここまで「休符」の沈黙の効果を、それこそ「サウンド・オブ・サイレンス」として生かし抜いた音楽は前期ロマン派当時では滅多にない。何かその休符の間隙を覗き込むと憂鬱な底なし沼が広がっているような。敢えていうと、シューマンの交響曲第4番の第2楽章にも、これにかなり近い孤独な沈黙のトーンがある気がする。この不気味なまでの沈黙感が、あの輝かしい第1楽章の後に来るというコントラストの大きさ。

 再び冒頭のピアノのモットーが出ると、この葬送行進曲はすぐ後でピチカートで終結する。そして今度は、ピアノの控えめな分散和音の伴奏の上で、弦楽器がなだらかな副主題の旋律を長い線を描きながら互いに織りなしながら静かに奏する(B)。そこには静かな悲しみの中にも淡い慰めの感触がある。

 そして再び葬送行進曲(A)の回帰。

 この行進曲が再び沈黙の中に消えた時、チェロに不穏な持続音が後を引く。そしてピアノの低い音が更に深くポツンポツンと奈落の底に落ちていく(この下降モティーフは第1楽章の展開部の入り口と共通のものである! そのために、普段頭の中でこの曲を口ずさんでいると、この部分からもうひとつの楽章にすり替わってしまうことが私にはよくある)。

 ここで曲は突然ヘ短調に転じてアジタート、テンポをアップしてピアノと弦楽器が「競奏的」に荒れ狂うドラマチックな対位法的やりとりをはじめる(C)。ここでモティーフとなる旋律は三連符と通常の八分音符を織り交ぜた、ぎくしゃくしたすんなり流れないものなのだが、それが一層弦とピアノの応酬を非常に葛藤的なものにする。弦楽器群の方はシューマンお得意の切分音を多用してズレを感じさせながらピアノに応酬しようとするが、なかなか応じきれない。

……沈黙の葬送行進曲の中から突然この不安定な焦燥感のあるアジタートの部分が始まるときの衝撃波は大きい。この部分、一度完成・試演した後で、この試演の際に身重のクララに変わってピアノを弾いたメンデルスゾーンの忠告を聞きながらかなり推敲し直したらしい。しかし曲想のはらむ深い「鬱」感覚とムラ気さは、根が上品なメンデルスゾーンには不可能な次元のものだろう。弦楽四重奏を献呈された時には「こいつもなかなかやるな」と見ていられたろうが、このピアノ五重奏を聴いたときには、自分にはないロベルトの資質に驚愕したのではなかろうか。

 もっとも、リストがシューマン家を訪問してこの曲を聴いた時、「ライプツィヒ風だね」と言ったのがクララたちには相当気に障ったらしい。「ライブツィヒ風」とは、「あのユダヤ人のメンデルスゾーンごときの亜流」というニュアンスが込められていることになる。ロベルトとリストは、互いの作風の違いを越えて個人的には互いを認めあい、リストはあのピアノソナタをロベルトに、ロベルトは「幻想曲」をリストにと、それぞれの最も独創的な代表作のひとつを互いに献呈しあっているのであるが、特にクララは「私、あの人好きになれませんわ!」だったようだ。

 話を五重奏曲の第2楽章の中間の激しいアジタートの部分に戻そう。この弦とピアノとの激しい対位法的やりとり(C)の後、曲は、何とこのアジタートのテンポと激しい雰囲気を引きずったままで、葬送行進曲の部分に回帰するのである(A。ここではチェロのソロが、実に雄弁に葬送行進曲の主題を奏し、続いてその旋律の後半はヴィオラ・ソロに託される。背景にはさざ波のようなピアノの伴奏。手の空いた弦楽器はトレモロの持続音と、(C)の部分の激しい音の動きを「合いの手」として入れる。

 結局、(C)と(A)の部分はこの曲の中間部・展開部としての効果を持つのだが、それが(C)のみならば一種のロンドソナタ形式として自然と納得できる。ところがここではそれに続く(A)までが展開部的役割を果たすあたりが異色である。ちなみにこの部分の演奏に関しては、パウル・グルダ/ハーゲン弦楽四重奏が、グールドもびっくりの、他の演奏と全く異なる過激な解釈をしていて、恐らく賛否両論だろう。

 ここまで来て曲はやっと本来の緩やかなテンポに回帰して、再び(B)の柔らかい主題を奏するのだが、直前の部分の激情の余韻を多少引きずる形で、一度目の登場の時よりもじっくりと歌い込まれる演奏が多いように思う。

 曲は最後に再び最初の形に近い、ポツリポツリとした響きの葬送行進曲(A)に回帰する。しかしこの最後の回のみが調性はヘ短調ではじまり、途中から実にさりげなくハ短調に復帰する。しかも旋律を受け持つ楽器以外はこの回のみピチカートで伴奏する。ロンド形式で主要主題の(途中はともかく)最後再現の際、途中まで調性が異なるというのはかなりの破格である。

 この葬送行進曲の最後の再現は、それまでよりも一層深い寂寥感を引きずりながらも、抑鬱の中に沈むというより、か細い中にも悲しみを「表に出して」歌い上げていくようにも感じられる。悲しみを受け入れる「喪の儀式」は終わったのだ。

 曲は終わりのほう、ハ長調の和声に徐々に傾いていき、弱々しいが、かすかな希望の光を感じるハ長調の弦の高い音域での主和音で終結する。この終結のかすかな明るさは、次の第3楽章へのつながりという点でも実に効果的である。

 ともかく破格のロンドソナタ形式であり、一応既成の枠を生かしているかに見せかけつつ、それを換骨奪胎して自分独自の表現に引きつけている。シューマンの書いた最も独創的なソナタ楽章のひとつであることは間違いない。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番の第2楽章の独創性にも比肩する。

  • 第3楽章 スケルツォ モルト・ヴィヴァーチェ 変ホ長調 A-B-A-C-A 6/8 ただしCのみ2/4

 シューマンの書いた最も輝かしくて独創的なスケルツォ楽章。

 冒頭からピアノが音階を駆け上がっては駆け下りる、まるで機関銃のようなダイナミックな打鍵のリズムの連打を繰り広げ、それに弦楽器群が分厚い和音で絶妙の合いの手を入れる。そのうちに弦楽部もピアノに負けじと、時には一緒になって、時には「競奏的」に、このダイナミックな音階の往復運動に参加し始める。このあたりのほとんどアクロバティックでスリリングで交響的な書法のリズミックな奔放さは、まさにベートーヴェンが引きずり出したスケルツォという書法の持つアグレッシヴでダイナミックな側面を極限まで生かし抜いた、圧倒的な音響空間である。室内楽曲がここまで徹底的に外向的で奔放な「サウンド」の饗宴となったことは歴史的にもそれまでなかったことだろう。これはもはや「家庭音楽」としての室内楽ではない。大ホール向けの音響の世界である。

 変ト長調の第1トリオは一転してなだらかな印象ピアノも控えめに背後に回る。しかしそれは突然のバイオリンの激しい三拍子の刻みを先触れにして再びあの華麗なスケルツォの部分に回帰する。

 このスケルツォの再現の後の第2トリオ!! 拍子は突然2拍子系に戻り、変イ短調、弦楽器になる常動曲的なパッセージが延々と続くのを、ピアノがまたもやタタン、タのリズムで支えていく。そのうちにピアノも常動曲的リズムに参加するようになり、弦楽器もピチカートの上昇音階でピアノに応酬する。そうこうするうちにこのリズミックな常動曲は独特のトランス状態の中に盛り上がるのである。

 このせかせかとしたタタン・タのピアノのリズムの強迫性と弦楽器群の小刻みな常動曲的リズムが絡み合う時の律動感、一見淡々としているようでいて奇妙にそこに何か無意識の底から衝き動かされ陶酔させられるものがある。敢えて不謹慎を承知で言えば、この律動感はまさに「性的律動」のそれなのだ。もっと露骨に言えば「ピストン運動」ですね(笑)。こういう印象を残したクラシックの音楽は滅多にない。「トリスタンとイゾルデ」にはピストン運動はないもんね。

 で、イクところまで行ったところで(笑)、そこまでの二拍子系の弦の刻みが突然スケルツォの3拍子系の刻みに切り替わるところのガクンと変速ギアを入れるリズムの切り替えの瞬間が、この楽章で私がいつも一番楽しみな部分である。いきなり三拍子の主題をはじめるのではなくて、まずは先触れの伴奏の弦の刻みをガクンと切り替えるというあたりが、何とも近代的な印象がある。

 この曲に限らず、シューマンはスケルツォ楽章で主部とトリオで二拍子系と三拍子系を対比的に用いるのが大好きだったが、私は少なくとも中期ロマン派までにおいて、曲の途中での三拍子糸と二拍子系の切り替えに関して、単純にしてこの曲ほど効果的な事例を他に知らない。

 曲は型どおりにスケルツォを再現した上で、ピアノがオクターブを往復して激しく打ち鳴らず和声に導かれる短いけれども華やかなコーダとともに終わる。

 ベートーヴェンの「セリオーソ」の最初の楽章やスケルツォ楽章、「ラズモフスキー第3」のフガート風常動曲の終楽章と並び、こと室内楽の分野において、殆ど打楽器的とすらいえる集中力に満ちたダイナミックなリズムの交響的饗宴としては、結局バルトークが登場するまで誰にも越えられなかった、「奇跡の楽章」のひとつだろう。

 こういう楽章になると、現代曲も得意な近代的でヴィルトゥオーゾな弦楽四重奏団の演奏が絶対有利である。曲そのものが全体の構成として実に効果的にできているために演奏の出来不出来の差が目立ちにくいこの作品の演奏で、練習や技巧の不足等で露骨にボロが出るとすれば、たいていこの楽章の演奏でであるといっていいようにおもう。

  • 第4楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ 変ホ長調 2/2 変則的なソナタ形式

 いきなり弦楽器の分厚いハ短調の主和音のスフォルツアンドの一撃で始まるこの曲の冒頭。弦はこの一撃の直後からすぐに背景に回り、小刻みな八分音符の同音反復の伴奏できれいなさざ波の絨毯を引いて、ピアノによる、あのあまりにもパンチ力があるリズミックな第1主題の到来を支える。

 そもそもこの変ホ長調を主調とする曲の終楽章がハ短調で決然と始まることそのもののインパクトはきわめて大きい。最初の楽章は短調で始まり、フィナーレが長調になるというのならば、モーツァルトのト短調ピアノ四重奏曲もそうだし、ベートーヴェンの第5交響曲以降ありふれた手法となる(メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲もそう)が、ここではその逆である。私が知る有名曲では、他ならぬシューマンの盟友、メンデルスゾーンの「イタリア」交響曲が、この、終楽章で短調に転ずる数少ない実例である。

 なぜシューマンはここでフィナーレを短調ではじめたのか。それはひとつには直前の第3楽章が明るくて華やかなので、シューマンが意識的に仕組んだフェイント攻撃なのだろう。恐らくたいていの作曲家だと、終楽章の序奏にゆったりとした短調の部分を置いて、おもむろに主部の第1主題は長調で……という形で問題を解決するところを(ベートーヴェンの七重奏曲やブラームスの交響曲第1番の終楽章等、事例は枚挙にいとまない)、シューマンはより大胆にしてインパクトの強い戦略で臨んだ。

 かといって、この終楽章が悲劇的かというとそうではない。この短調の主題の特異な魅力は実際聴いていただくしかないだろう。暗くも悲しくもない。なのに独特の軽佻浮薄さがあるのだ。

 私はこのピアノの主題を聴くと、いつもまるで女性にキツイ一言で突き放され、肘鉄を食らうような気分になる。別に前の第3楽章の第2トリオの「ファック・シーン」の後で、「フン、へたくそ!」とか「早すぎるわ!」となじられるわけではないにせよ(笑)、思わず、「あんた、なんか私にゃ10年早いわよ」とか何とか、節を付けて歌いたくなる。

 しかもこの終楽章のとくに第1主題の部分全体が、伴奏も含めて、非常にリズミックで「ビートが利いている」。それはこの主題が実は二拍子の二拍目から開始することで、見かけ上完全に「あと打ち」のリズム構造を持っているせいだろう。ほとんどディスコ・ミュージックにしても通用しそうな、何とも現代的でポピュラーチックな、思わず身体を揺すりたくなるノリの良さを持っている。しかし私が知る限り、この曲の旋律を使ったポピュラーソングはザ・ピーナッツもビリー・ジョエルもやっていないようである。昭和40年代の歌謡曲になってしまう危険はあるが、内田有紀のような、ちょっとだけつっぱったところがある若いアイドルにこのメロディで歌わせてあげたい気もするのだが。

 当初弦の伴奏でピアノのみで始まったこの圧倒的な魅力を秘めたリズミックな第1主題。実はこの主題は第1楽章冒頭のあの華やかな長調の第1主題の音を組み替えて短調にしたものである。この主題は、繰り返されるうちに、第1バイオリンあたりも実に激しいアタックでピアノに寄り添うように歌おうとするのだが、それすらこのピアノははねつけてしまう。何ともタカビーなメロディである。この曲の中でピアノが他の弦楽部をここまで完璧に伴奏に回して自分だけ目立とうとするのはこの終楽章の第一主題のみである。しかしそのピアノを支える伴奏部そのものが何とも効果的な快適そのものの音の絨毯の敷き具合。

気がついてみると、ピアノに次に出る、ならだらかな進行の旋律は長調になっている。それに今度はト短調でバイオリン・ソロが第1主題を気取ったタッチで弾いて、ピアノの方が和音で合いの手を入れるという役割交換。そしてさっきのピアノの長調のなだらかな上昇旋律がもう一度優しく包み込むようにそれを受けとめる。

 ここから経過句。ほのかに暖かい優しい親密な空気が流れはじめる。さっきの冷たく突き放すような態度は愛情の裏返しだったんだね(世間はそんなに甘くないやい)。ピアノはさりげなくはぐらかすように軽やかな動きで弦のピチカートの「合いの手」が絡む動きをはじめ、調性を移ろっていく、そこで最初はヴィオラに登場するなだらかなト長調の旋律が第2主題である。

 この第2主題は次々と他の楽器に引き継がれてフガート風に展開され、最後にはもう一度ヴィオラで歌われた後、全楽器による登り詰めるような激しい憧れに満ちた上昇の繰り返しを経て、短調の第1主題のピアノによる決然とした再現につながる。少し会話に乗ってきて心を許しはじめたかと思っていたら突然また「これ」だ。

 ここで曲想が転換、展開部に入る。この展開部は、シューマンがピアノ協奏曲の第1楽章の展開部の前半やバイオリン協奏曲の第1楽章のそれで見せたのに近い、寧ろ緊張から解放された詩的・散文的な「つかの間の安らぎの空間」という感じで、そんなに長くない(後述するように、この曲の真の展開部は、むしろ、延々と拡大されたコーダの部分なのだ)。

 一休みするように誘いかけるような穏やかな響きが、弦の中声部以下で奏でられる。それを受けるピアノとチェロの生み出す三連符を含むモティーフは、明らかにホルンの角笛の響きを模したしたものだろう。それにバイオリンが優しく応えたところで一度リタルランド。しかしまだどこかで何かが胎動していることを、チェロの旋律の断片とピアノの小刻みなゴロゴロ言う音の動きの断片が告げる。このバイオリンの「休みましょうよ」というようなやさしい下降旋律とピアノのゴロゴロはもう一度やりとりが繰り返され、ここでやっと全楽器が一度ゆったりとした安らぎのもとにリタルランドして小休止。

 ここでヴィオラを伴奏にしてバイオリンが全く新たな長調の旋律(コーダでもう一度出てくるので仮にとしておく)を伸びやかに歌い始め、他の楽器もそれに唱和するのだが、再び忍び寄るように短調の足音が次第に強く刻まれはじめる。

 そして嬰ハ短調で第1主題の再現。ここからが再現部であるが、提示部のハ短調の半音上からというのが何とも大胆。しかしここからは基本的には提示部と同じ形で再現部が構成され、第1主題が再現されて小結尾にいたる。

 ここで、まるで仕切直すかのように全楽器で長調で第1主題に基づく上昇音階が華麗に奏でられる(d)

ここから、もはや第2展開部としか言いようがない壮大なコーダが始まる。

 このコーダそのものがご丁寧にもA-B-A-結尾の二重構造になっている。この、ベートーヴェンの第5交響曲の終楽章のそれにも匹敵する、どこまでも別れを惜しむかのような終結部の膨張は、シューマン自身のピアノ協奏曲の終楽章でも見られるものであるが、このピアノ五重奏曲の終結部の長大化にははっきりした別の要因も絡んでいる。シューマン自身が一度10月12日にひとまず完成させた後で、先程述べたにあたる部分を10月16日に加筆したのだ。そのためにもう一度Aの部分を「再現」して終結させる必要が出てきたようなのである。

 まずはピアノにあかるく朗らかで和やかな旋律(A)が出るが、一見単純な四分音符の連なりのなだらかな旋律のようでいて、何か妙に余韻のある、半歩遅れて打ち込まれるような響きがしていることに気づいている人がどれくらいいるだろうか? シューマンお得意の切分音のさりげない活用で、八分音符ひとつ分だけ絶えず後ろにずれて小節線をまたいでメロディが書かれているのである。このメロディに途中から重なる弦楽器群の方は切分音なしで素直に弾いているのでこのズレの感覚はわかりやすいだろう。

 推測で言うのだが、この(A)のメロディが終わったところでそのまま結尾の盛り上がりに直進というのが、試演当時のこの作品の原型に違いない。例によって鼻歌で歌っていると思わずそうしてしまうのできっとそうである(と独断する)。

 ところが現実にはここからもう一度第1主題がピアノで歌い出されるのである。しかしここで弦楽器はピアノの第1主題を伴奏するのではなくて、この主要主題に基づくフガートとしてビアノにからみつき、徐々に展開されていくのである。ここからが前述の、後に追加されたコーダ(B)の部分。

 しかしこのフガートは実はまだ前座である。70%ぐらい盛り上がったところであっさり打ち切られ、展開部後半で用いられたの旋律がピアノに出てくつろいだ気分を作る。

 しかしそれも長くは続かない。徐々に「来るべきな何か」を準備するかのように徐々に力を蓄えて高揚していくのだ。その中で、華やかにはね回るピアノの背後でいつの間にかバイオリンに第1楽章冒頭のあのモットーがはっきりと奏されている。そう、この後で何かが起こるのだ。

 全楽器が盛り上がり、壮麗に和音を鳴らしてフェルマータ、偽終止する(演奏会でここで拍手をしたらひんしゅくものだけど、過去にこの過ちを犯し赤恥をかいたた聴衆は世界に数百人なんてものではないだろう)。

 ここから全曲を締めくくるにふさわしい壮麗な二重フーガが始まるのだ。ピアノにまず二倍の遅さにのばされた第1楽章第1主題冒頭が単音で出る。その伴奏でもあるかのようにして途中から付き従う第2バイオリンの旋律は、よく聴くとまさにこの第4楽章の第1主題を長調にしたものに基づいている。この二つの旋律の両方を同時に並行させて対位法的に処理して各楽器で徐々に編み上げられていくフーガ。まさに全曲をひとつに統一する壮麗なモニュメントである。

 これが終わって再びコーダの入り口、全楽器による第4楽章第1主題に基づく上昇音階に回帰。切分音の旋律(A)がまたもやピアノに出てそっくりそのまま再現され、さっきと同じ形で盛り上がり、今度はそのままストレートに結尾部へ。この終楽章の第1主題を長調に移して加工したモチーフを全楽器で明るく盛り上げて、楽しげに終結する。

……果たしてコーダ(B)のフガートが絶対必要だったかどうかには意見が分かれるかもしれない。人によってはくどいとしか感じないだろう。しかし、この曲全体のスケールの大きさからすると、(A)の部分一回だけで型どおりに素直に終結したのでは終楽章はバランス的にかなり竜頭蛇尾になってしまったといえるかもしれない。何しろ楽章開始からこのコーダに突入する再現部終了までの所要時間がわずか3分47秒。ここから先、コーダ全体は延々と更に3分33秒も続いている!(パウル・グルダ/ハーゲンQ盤による)。

 いずれにしても、この曲の終楽章、実はシューマンの前期のすべての作品の中で、私が二番目に好きな楽章である。特に冒頭主題の奔放さは、いかにシューマンといえどもそう滅多に書けなかった圧倒的な魅力を秘めていると思います。クラシック嫌いの人でも、生きのいい演奏で聴けば、この終楽章、そして第3楽章の新鮮な魅力には気づけるのでないかと思う。

***


 シューマンがこの曲で切り開いた室内楽の枠を越えた劇的で交響的な音の世界とドラマチックで力動的な曲の構成は、過去の伝統から飛躍した何かを秘めているように思える。もとよりベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」やチェロソナタの3番以降、「ラズモフスギー」の3曲、「セリオーソ」には、従来の「家庭音楽」の枠をはみ出す劇的ダイナミズムとシンフォニックな響きの追求があり、シューマンは明らかにこれらの曲の大きな影響を受けていた。

 だが、大ピアニストでもあったベートーヴェンですら、ピアノを加えた3つ以上の楽器による室内楽の世界では、ここまで交響的・劇的ダイナミズムを追求する作品は結局書かなかったのである。弦楽四重奏という抽象度が高い編成のみが、ベートーヴェンが一番過激な実験を試みる場になっていく。もしベートーヴェンの耳がピアニストをやめる必要があるくらいまで悪化しなければ、自分で演奏会で弾けるとなれば、チャレンジ精神旺盛な彼もきっとこの試みに挑んだとは思うが。

 まさにシューマンは、この曲で、ピアノと弦楽四重奏の完ぺきな融合という、ベートーヴェンがやり残した課題を成し遂げ、室内楽の歴史を一歩前に進めたのである。

 シューマンの交響曲をあまり評価しない人も、この曲は認めるだろう。もとより、人によっては、一見地味だが、室内楽的書法の緻密さという点では更に円熟した、次に書かれる、「室内楽の年」最後の大作、ピアノ四重奏曲変ホ長調Op.47の方を評価するかもしれない。ロベルト自身もピアノ四重奏の方が完成度が高く効果的だと見ていたようである。

 しかし、シューマンはこの曲の中に時代を超えた新鮮な印象を与える面があることには自分では気づかなかったのかもしれない。ピアノ四重奏の方は、いかに書法が円熟していても、どうみても「室内楽曲」の枠の中に収まってしまう。

 だが、五重奏の方は大ホールを湧かせられるだけの圧倒的な放出するエネルギーを秘めているのだ。現代の聴き手を1回目から引きずり込むインパクトの大きさという点では、文句なしにこのピアノ五重奏曲の方が上であろう。

***

*なお、この項の執筆においては、「作曲家別名曲ライブラリー 23 シューマン」前田昭雄編 音楽の友社 1995 における、門馬直美氏によるシューマンのピアノ五重奏曲の解説(pp.71-76)と、ユボー(P)/ヴィア・ノヴァ四重奏団を中心とする「シューマン室内楽全集(エラート B23D-3911015の、同じく門馬直美氏によるライナーノーツを大幅に参考にさせていただきました。

2018年6月29日 (金)

ヴィーンの謝肉祭の道化 Op.26

  

1.「謝肉祭」Op.9ではありません!

「ヴィーンの謝肉祭の道化」Op.26であります。

 ……などと一応断っておいた方がいいかもしれない。シューマンのピアノ曲の中では比較的有名ではない曲であり、「そんな曲があったの?」という人も結構いそうなので。それでも今CD18種所有できるわけなので、これまで取り上げた曲の中では一番メジャーなはずとも言える。「謝肉祭」Op.9、「蝶々」Op.2あたりと組まれていることが多いので、おまけのようにして聴いたことがある人は少なくないかもしれない。

 この曲を取り上げることは、例によってかなりのシューマン好きすら戸惑わせるであろう「フェイント攻撃」であると自負している。ビアノソナタ第1番Op.11とか幻想小曲集p.111(Op.12ではない!)のあたりからはじめる方がよほど「マニアっぽい」であろう。

 この曲をシューマンのピアノ曲の1番手として取り上げるというのも、この「ロベルトの部屋」第1回を「序曲、スケルツォとフィナーレ」Op.52ではじめた時と似たような理由による。つまり、大変親しみやすい曲の割には有名ではないのが理解しがたいと長年思っていたからなのだ。

 連載第1回で書いたように、この曲はシューマンの多楽章のピアノ曲の中では、3曲のピアノソナタ以上にピアノソナタ的な古典的構成感があり、例えばベートーヴェンのピアノソナタになじんでいる人とかは非常に入りやすい作品のように思う。特に第18番変ホ長調Op.18 No.3(あだ名のない中期のピアノソナタの中では最高傑作。この曲の第2楽章の2拍子の常動曲的スケルツォは、シューマンの第2交響曲のあの独創的な2拍子のスケルツォの手本だと思う)や「ワルトシュタイン」、「告別」ソナタあたりとかなり共通の雰囲気もあるし、一部の楽章で明らかな影響を指摘する音楽学者もあるようだ。

 この「ヴィーンの謝肉祭の道化」は、5つの小曲から成り立っているのだが、

「第1楽章」 ロンド
「第2楽章」 静かな緩徐楽章
「第3楽章」 諧謔的なスケルツォ
「間奏曲」  スケールの大きいロマンスに寄り道
ソナタ形式の実に輝かしくて開放的な「フィナーレ」

という、古典的なソナタとして位置づけることも可能なのである。

 まさに偉大な古典派の先人大作曲家たちが暮らした音楽の都、ヴィーンに対するシューマンの敬意の表れがこの曲の古典派ソナタ的な構成を生み出させたという意見もあるようだ。(もとより「第1楽章」がロンドというのが古典派的ではない。
 だが、このロンドこそがこの曲の鍵を握る特異そのものの部分なのだ。後述するように、私はこの第1曲……ベートーヴェンのピアノソナタからの明白な引用を含む……を、ロンドを偽装したソナタ形式ではないかと判断しているのだが)。

 ベートーヴェンの死後、ピアノソナタが聴衆に受容されていく歴史において、リストと共に特別の役割を果たしたのがシューマン夫妻であることは意外と強調されていないかもしれない。
 クララが実は保守的な感性の持ち主だったということは以前にも書いたが、実はクララはベートーヴェンのピアノソナタが最初は「全然わからなかった」そうである。そういうクララにベートーヴェンのピアノソナタの価値を熱心に説き、演奏解釈の仕方について徹底的にコーチしたのがロベルトらしい。
 シューマンの死後、この「コーチ役」はブラームスとヨアヒムに引き継がれ、リストが公開の演奏活動から一時期完全に身を引いた頃からは、まさにベートーヴェン・ルネッサンスの牽引者としての役割をピアノ曲の分野でクララは一身に担うのである。もとよりそのクララですら、後期ソナタをレパートリーに加える決心をするのはかなり後年になってからだったらしいが。

 ただし、誤解なきようにいいたいのだが、「ヴィーンの謝肉祭の道化」は形式面でいつになく「古典ソナタ的」とはいえ、この作品の曲想は優等生からはほど遠い。曲の内容はいかにもシューマンというべきリズミックで奔放なファンタジーの飛翔に満ちている。深刻ぶることが皆無、開放感の大きさと明快さという点ではシューマンのピアノ曲の中でも一方の極にある。ただし、シンフォニックな響きを要求する演奏技巧の難しさも超一級。一見簡潔とも言えるけれども、むしろその明快な枠組みの中で単純な動機をくどいまでに反復する中でファンタジーをどんどん増殖させていく。

 この曲はひたすら前向きな生気が失われるとひどく単調な曲として響く危険もある。変に部分部分の小細工をし過ぎると曲の流れが停滞する。そのあたりが今一つピアニストに弾かれない原因だろう。録音はともかくライブとなれば、よほど自信があるピアニストでないと弾くのを躊躇するだろう。シューマンのピアノ曲には、「経験論的」なショパンとは異なり、ピアニストの都合などお構いなしに複雑な創意を盛り込む傾向が強い。

 シューマン自身、この作品のことを当初「ロマンティックな大ソナタ」と名付けようとしていたようである。それを取り下げさせた一つの原因は、例によって古典的なソナタに関するシューマンのベートーヴェンへのコンプレックスのせいかもしれない。「序曲、スケルツォとフィナーレ」と同じく、この曲もまた、タイトルのなじみにくさで損をしている曲という気がしてならないのだが。

 この曲のタイトルのなじみにくさは日本語訳をこなれたものにしにくいという問題もあるようである。ドイツ語では、Fashingsschwank aus Wien であり、英語にするとCarnival Jest from Viennaとなる。Schwank(jest)をこれまで通例「道化」と訳してきたわけである。この訳でも間違いではないのだが、最近では「ヴィーンの謝肉祭さわぎ」という訳も見かけられる。こちらの方がふさわしいかもしれない。私ならば「ヴィーンの謝肉祭の悪ふざけ」とかも可能かなと思う。

   

    http://chitose1960.jp/button5.gif2.ヴィーンの街へのオマージュ

 1938年の秋から半年ほど、シューマンはヴィーンに滞在する。ライプチヒで創刊した「音楽新報」の拠点をヴィーンに移したいというのが一番の目的だったようだ。

 当時、ロベルトとクララとの結婚に反対する、クララの父フリードリヒ・ヴィークとの関係は最悪になりつつあった。二人は直接会うことは禁じられ、手紙もロベルトとクララの共通の友人によって極秘裏に手渡しされた。ヴィークはシューマンについての悪い噂をクララに吹き込み、ライブチヒを離れた外国の都市での演奏会を次々企画してクララを連れ回し、シューマンと連絡が取りにくいようにもした。

 そういうヴィークに、音楽の都ヴィーンで一旗揚げて自分にも実力があることを示したいという思いがロベルトを駆り立てたようである。しかし結局ヴィーンでの雑誌創刊の計画は挫折した。ヴィーク自身が悪い情報をヴィーンの関係者に流して足を引っ張った形跡すらあるようである。

 しかし、ロベルトにとってこのヴィーン滞在は幾つかの成果を上げた。一つは、シューベルトの兄フェルディナントと知り合いになり、かのバ長調交響曲「ザ・グレート」の自筆譜が残されていることを突き止めたことである。そしてそのシューベルトが眠る墓地を散策したときに拾ったペンで、後にあの交響曲第1番「春」の冒頭を書き付けることとなるのである。

 また、作曲の面でも多大な成果があった。「アラベスク」Op.18、「花の曲」Op.19、「フモレスケ」Op.20、「夜曲」Op.23、3つのロマンスOp.28そして「ヴィーンの謝肉祭の道化」Op.26である。

 実は、これらの曲を最後に、シューマンはピアノ曲の作曲をぱったりとやめて、1840年の「歌の年」、1841年の「交響曲の年」、1842年の「室内楽の年」へと突入してしまう。実際、Op.23までのすべての作品がピアノ曲だったわけであるから、要するに前期シューマンのピアノ曲の総決算というべき円熟した作品がここには並んでいる。

 もとより、このヴィーン時代のピアノ曲は、その直前の時期の曲、すなわち、「謝肉祭(カルナヴァル)」Op.9、幻想小曲集Op.12、交響的練習曲Op.13、「子供の情景」Op.15、「クライスレリアーナ」Op.16、幻想曲Op.17までの曲(シューマンのピアノ曲からベスト6を選べといわれればこの6曲をそのまま並べていいように私は思う)のような、一曲ごとに新境地を開くぎらぎらとした才気のほとばしり、全存在を賭けた魂の燃焼の趣きはない。より静謐で余裕のある古典的なまとまりを持つ大人の音楽へと急速に変貌していくのである。しかし、このヴィーン時代の作品群の方が心休まるという人も少なくないかと思う。

***

 さて、この「ヴィーンの謝肉祭の道化」に関しては、前述の、ヴィーン古典派の偉大な先人達へのオマージュとしての側面と共に、シューマンがはじめて体験した南欧的な色彩すらあるヴィーンの謝肉祭独特の乱痴気騒ぎにインスパイアーされて書かれた曲……と説明されることが多い。特に第1曲、アレグロにはそのような雰囲気が濃厚である。

 似たような「舞踏の幻想」といいたくなる性格の曲に「蝶々(パピヨン)」Op.2「謝肉祭」Op.9がある。後者の中に前者のメロディが引用されるなど、この2曲は文字通り姉妹作といっていい作品だが、これら2曲は、ほとんど「ピアノによる交響詩」といいたくなる独特の性格を持つ。つまり、シューマンは「舞曲」そのものではなくて「空想された舞踏会の幻影」を描いているというべきなのだ。

 このあたり、ウェーバーの「舞踏への勧誘」が、冒頭の序奏とコーダで紳士と淑女の挨拶を描写したとされながらも、それらに挟まれた主部は「舞曲」以外の何者でもないのとはすでに次元が異なることをシューマンははじめている。
 「蝶々」の終結部、舞踏会が終わり、ファンファーレと鐘の音が鳴り響く中、踏みっぱなしのペダルの和音の中から、一つずつ鍵盤から指を離して余韻が宙に消えていく様を表現するという手法など、当時はほとんど前衛的な演奏技法だったと思われるが、ほとんどオーケストラによる交響詩のようなデリケートで幻想的な心象風景の移ろいの描写というべきだろう。こういうことを「作品2」でやっていたのがシューマンなのだ。

 ところが、この「ヴィーンの謝肉祭の道化」の場合には、そのような「舞踏の幻影」といいたくなる性格は第1曲には顕著だが、第2曲以下はあくまでも古典派ソナタ的な構成の中に回帰していくところがある。この曲の演奏頻度や知名度が今一つなのは、そのような、第2曲以下との性格のギャップを調和させることの難しさにもあるのではないかと思う。

 しかもこの第1曲自体、なかなかのくせ者である。ズン・チャッ・チャとキチンと3拍子を踏みしめて旋律的なメロディが流れてくれる音楽ではない。このようなズン・チャッ・チャのノリなら、「蝶々」や「謝肉祭」の個々の曲ではかなり見られたのである。それがここでは、いわば音楽が「3ビート」ではなくて「12ビート」になっているのである。
 この、宙を舞うような飛翔感は、むしろラヴェルの「ラ・ヴァルス」の世界に繋がるもののようにも思える。短くで単純な動機が、ほとんど後ろからせっつかれるような独特の前のめりのリズムの中で前へ前へとどんどんあおられて螺旋状に猛スピードで「旋回」していくのだ。

 この第1曲を、フランスの古いロンドの様式、と解説しているものもある。確かに、詳しくは後述するように、主要主題A5つのエピソードがほぼ交互に現れる、見かけ上はシンプルな構造。ただし第4エピソードはその中に更に幾つかのエピソードを内包する長めのもの。私としては、この第4エピソードを「展開部」とする一種のソナタ形式と見ることが実はできる気がしている。まさにロンドに偽装された「ソナタ形式の第1楽章」というわけである。

 しかし、この第1曲、聴いていると完全に奔放そのものの舞曲である。ねぶた祭りか阿波踊りのお囃子を聴いている気分にもなり(もとよりシューマンのこの曲は3拍子だが)、その意味ではいかにもカーニバルが町中を練り歩くという感じに近くなる。民衆の野放図なエネルギーの爆発とも言えるし、リズムの強迫的な繰り返しの中にいかにもシューマン的な「病熱」をかぎ取る人もあるかもしれない。単純なくどい繰り返しの中でどんどんトランス状態に入っていくようなノリ。

 ともかく、この第1曲のノリをうまくつかめるかどうかが演奏の正否をほとんど分けてしまう。余り細かい細工をしすぎると逆に冗長な音楽になり果てる。少なくとも一つのエピソード全体には共通した性格を与え、それ以上細かく小技を使おうとしない方がいいようだ。リオのカーニバルを引き合いに出すつもりもないが、この作品、ラテン系のピアニストにおもしろい演奏が多いのも事実である。

 ちなみにこの第1曲の4番目のエピソードに唐突に「ラ・マルセイエーズ」のメロディが三拍子で現れ、瞬く間のうちに立ち去っていく。当時のヴィーンではメッテルニヒがこの曲を「歌う」ことを禁止していたらしい。シューマンは「ヴィーンの」謝肉祭の喧噪の中にこのメロディを忍び込ませてメッテルニヒを皮肉っているわけである。ちなみにこの「マルセイエーズ」の部分、さりげなーくあっさりと登場して何もなかったかのように姿を消し、「あれ? 今何か……」と感じさせるあたりに「ざまあみろ、してやったり」的なイタズラ心の効果があるのだから、このメロディをいかにも「めだつ」ように「意味深」に弾く、メッテルニヒの秘密警察につかまりかねない演奏は、シューマンの意図ではないと思う。

  

    http://chitose1960.jp/button5.gif3.曲の構成

 1.アレグロ きわめていきいきと 変ロ長調 3/4

 すでに述べたように、極めて快速のシンフォニックとすら言えるロンドである。付点二分音符、すなわち三拍子の一小節を一分間に76回とシューマンは指定している。ほとんどの演奏がこのテンポはほぼ遵守している。このように一小節単位でメトロノームを指定したあたりにも、この曲の場合に3拍子を一つ一つズン・チャッ・チャと拍節感を明快に刻むのではなくて、一小節全体で一つのアクセントとして、まるで円を描くかのように演奏することをシューマンが期待していることが現れていると思う。

 確かにこのスタイルはドイツ風というよりフランス風であり、前述のように「ラ・ヴァルス」あたりを想起させるところがある。しかも、伴奏音型が素直にズン・チャッ・チャすることは全くに近くなく、凝った分散和音の音型で進むことが多く、しかも声部が錯綜し、メロディと伴奏が渾然と一体化しているあたりも、よほど引き込まないと3拍子のリズムが崩れてギクシャクしてしまうだろうし、ペダリングを含めてどのようなバランスで弾きこなすかが難しそうだ。しかもメロディが流れるというより和音の柱のような小さな動機を繰り返していくという感じなので、たおやかな舞曲というより、リズムのダイナミズムのうねりでバリバリ進む音楽となる。

 すでに述べたように、一応、A-1-A-2-A-3-A-4-5-A-'-コーダ、という形の、主要主題Aと5つのエピソードがほぼ交代交代に現れるロンドと位置づけられる。

 冒頭いきなり登場する主要主題Aは、8小節単位の(a-a-b-a)の32小節の構造になっている。ただし、最初に登場する場合のみ、このうちの(b-a)の部分が反復される。bの部分がいかにもシューマン好みの少し飛躍のある和声進行である。この主要主題Aは、基本的には5つのエピソードと交代交代に伴奏を含めて同じ形で繰り返し舞い戻るのだが、第1エピソードの直後に回帰するときにのみ、この中のbの部分の和声進行が、より跳躍度の大きなものに改変され、彩りを増している。

 次に、5つのエピソードそれぞれについて。

 ラローチャ盤の外盤の解説をしているLionel Salterによれば、これら5つのエピソードはそれぞれ5人の作曲家の作風を暗示しているとのことなので、それらについても言及していきたい。

 エピソード1は、短調だが、この第1曲の中では珍しい、メロディアスでピアニステイックなもの。装飾音や前打音がかなりついているだが、Salterによればこれはショパンを暗示するという。なるほどと思う。主要主題Aの唐竹を割るような性格と対照的である。

 エピソード2は、二分音符と四分音符が対になったリズムですべての声部が進行する長調の静かなもの。Salterはシューマン自身のピアノ協奏曲Op.54の第3楽章の主題との類似を指摘する。つまりシューマン自身が登場するというわけだ。もっともピアノ協奏曲の主題にこれとそっくりなのがあるとは思えないし、この当時まだピアノ協奏曲の第3楽章は作曲されていないはずである。むしろ、クライスレリアーナOp.16の第7曲の後半部分に現れる、静かなコラール風の慰めに満ちた旋律のリズムパターンを3拍子に変えたものという方が遥かに似ているだろう。

 エピソード3は再び短調だが、憂いを含みつつも軽やかに細やかな音が宙を舞う。これをSalterメンデルスゾーンだというのだが、これはなるほどと思う。「真夏の夜の夢」や弦楽八重奏曲に見られるような、メンデルスゾーンお得意の妖精的なスケルツォの様式に確かに似ている。

 エピソード4は何かしらこれまでと雰囲気が一転する。起承転結のまさに「転」の部分に入ったという印象。この部分全体をソナタ形式の展開部として位置づける方が私としてはスッキリする気がする。これまでのエピソードと異なり、このエピソード自体の中に複数のエピソードが組み込まれているとも言える。他のエピソードよりかなり長い。Salterはこの部分をシューベルトのワルツだと述べているが。そのようにまとめるにはこの部分は多様なものを内包し過ぎてはいまいか。

 最初の部分はやや軍楽調とも言える勇ましいリズミックな長調の部分。ピアニストはこんな和音をたたいていたらさぞ気持ちがいいのではないかと思う(4a)。続いて、少しトーンを落として遠くの方からホルンのエコーが何回も交錯するような効果を出し(4b)、その直後に突然、フォルテで8小節だけ、例の「ラ・マルセイエーズ」が、さりげない顔して堂々と現れる(4c)

 ここで再び(4b)の反復。このあとでもう一度「ラ・マルセイエーズ」か! 今度出てきたら逮捕だ! とメッテルニヒの秘密警察の連中が身構えたところで、それを見事にはぐらかすように、がちゃがちゃとしたかき回すような別の旋律がフォルテで出てあたかも終結するかのように見得を切る(4d)。実はこの(4d)の旋律は性格的に見て主要主題Aと類似しているが、後に更に拡張されてこの第1曲のコーダとして再び使われる。

 この後に引き続いて、ここでだけ主要主題Aの再現を挟まないまま(前述のように直前の4dが主要主題Aと共通した性格を持つため、代理しているといえる可能性もある)、そのまま静かな第5エピソードに入る。第2エピソードとリズム音型は実は同じだが、音程の跳躍が大きい、より甘やかなトーンのある新たなメロディである。ミケランジェリドコフスカは、この部分に、前後とは異なるデリケートな音色感覚を駆使し、見事な聴かせどころとしている。Salterによれば、ベートーヴェンのピアノソナタ第18番変ホ長調Op.18 No.3との明白な関連があるという。これは確かにその通り。第3楽章メヌエットのトリオの部分の冒頭の動機が、調性もメロディもそっくりである。これに関してはシューマンが意識的にベートーヴェンを引用した可能性は確かにあると思う。

 さて、この第4エピソード以降の部分はソナタ形式でいう再現部に当たるようにも思われる。主要主題Aの再現に続いて、再び第2エピソード、すなわち、シューマン自身の「クライスレリアーナ」からの引用と考えられるものが回帰する。いわばソナタ形式の「第2主題再現部」的効果を持たせたのかもしれない。

 ただし、この第2エピソードの再現は中途で手短にプツンと弱音のまま途切れ、弱音の静かな余韻ある新しい旋律へと繋がっていく。ここからがコーダだといっていいであろう。いかにも精力的なロンドの喧噪の後の余韻という感じになった後、最後に再び急速なエピソード4dが少しラストを拡張された形で現れ、華やかな和音と共に終わる。

  

     2.ロマンツェ かなりゆっくりと

 ト短調、2/4拍子の静かな叙情的な旋律の主部に、ハ長調、3/4拍子の中間部がはさまる三部形式。

 カーニバルの喧噪と興奮の後、静寂が戻り、人通りも絶えた街角で、放心状態のロベルトは、ふと我に返り、クララのいない我が身の孤独にひたるのであった……

 ……などと、標題楽的に解説しなくてもいいかもしれないが、実際、この静かで、音がポツン、ポツンとなる風情のゆっくりしたロマンスは、クララ(C-la-ra)の名前を意識的に音名として読み込んだ下降動機に基づいて作られているらしい。

 そうだとすると、ロベルトは「クララ、クララ……」と、前半で6回、後半で3回、計9回繰り言をいっていることになる。繰り言をいう度に旋律線とそれを支える和声は微妙に移ろう。このへんはかの「トロイメライ」と共通するデリケートな変奏の手法とも言える。もとよりこちらの曲では途中にほのかに明るい中間部が入るわけだが。

 第1曲の精力的な音楽からすると非常に落差のある散文的な静かな音楽である。しかし、ここでこれだけ静けさを取り戻せてこそ、この後の精力的な後半部分との間に見事なインターミッションが生まれると言っていいであろう。

 3分前後の短い曲で、第1曲の余韻をさますうちにいつの間にか終わっているという感じであるが、ロベルトのクララへのモノローグというべきこの楽章は、第三者がそんなに集中力の固まりになって耳をそばだてなくてもいいのかもしれない。ここでは下手にロベルトに話しかけるべきではないのだ。そっとひとりにしてあげよう。ロベルトは我々を置き去りにした物思いからすぐに醒めて、再び一緒になってカーニバル見物をはじめてくれるだろう。

 しかし、実演で、第1曲が終わってすぐにこの「密やかな」音楽に切り替えて繊細なタッチで演奏しなければならないピアニストも大変だろう。中途半端な若手だと、この部分を小手先だけでぎこちなく所在なげに弾いてしまい、一気にボロが出る可能性もあると思う。

   

     3.スケルツィーノ 変ロ長調 2/4拍子

 A-B-A-C-A-コーダというロンド形式のスケルツォ。

 鬱から躁へ。再び陽気でウイットに富んだ陽気なロベルトが帰ってくる。ひょうきんでどこか人を食ったようなユーモアのある、シューマンお得意の付点音符のついたリズミックなスケルツォ。

 この曲にはピエロのパフォーマンスともいいたくなる雰囲気がある。笑いながら見ていたらいつの間にか舞台の上に引き出されてピエロの芸に巻き込まれてこちらも観客の物笑いの種にされているかもしれない。そうこうするうちに、ピエロは帽子を観客達に回してコインをいれて貰うと、「おあとがよろしいようで……」とばかりにそそくさと立ち去ってしまうのである。そういう、微かな毒がある曲だと思う。

 シューマンのこの種の諧謔的な性格的小品としては、短くて簡潔ながらも最高の完成度のものの一つだろう。一度聴いたらこのリズミックな主題は妙にクセになります。

    

     4.インテルメッツォ 極めて大きなエネルギーでもって

 変ホ短調 4/4拍子。「間奏曲」と銘打ちつつも、何ともスケールが大きい、音の奔流の中で歌い上げられる、クララへの臆面もないロベルトの「愛の賛歌」とでもいいたくなる曲である。

 細やかな音型の伴奏の中に浮かび上がる、壮大であると同時に何とも細やかな親密性を込めたピアニスティックなメロディ。変ホ短調から変ロ短調、変イ長調へと刻々と移ろう音の色彩。曲は、壮大な盛り上がりの中で、音の大気の中に静かに夕陽が沈むように消えていく。

 ピアニストがこの曲に必要な「極めて大きなエネルギー」を込めて演奏できる限り、シューマンのピアノ曲の中でももっとも演奏効果の高い叙情曲のひとつとして記憶されるとなる素質がある。未聴の方は、是非、いい演奏で一度聴いて下さい。

    

     5.フィナーレ 極めて元気よく 変ロ長調 2/4拍子

 第4曲にも増して輝かしいピアノの技巧とエネルギーを必要とする、「フィナーレの鏡」といいたくなるくらいのカタルシスのある、何とも鮮やかで爽快な終曲である。私がもっとも好きなシューマンのピアノ楽章のひとつ。この曲のみが、シューマンがヴィーンからライプチヒに引き上げた後で書かれたとのことである。

 冒頭から、強烈なタッチで下降する和音がファンファーレのように叩きつけられる。しかもその和音のさなかにすら、めざましい技巧での下降するパッセージがダブらされており、どうやったらこんな風に弾けるんだというぐらい。恐らく、ベートーヴェンの「告別」ソナタの終楽章の経過句の入りと同様に、ペタル操作で小節最初の音を引き延ばせるようにした上で、それに絡む声部のパートに指を置き直すのではなかろうか(実際、この曲全体に、「告別」ソナタの終楽章、「再会」に合い通じる喜びの爆発のような側面が強いように思える)。すでに「蝶々」の終曲の例で示したように、ペダルの操作という点では、シューマンの曲には当時のピアノの性能の極限に近い前衛的な使用法のものが少なくない。

 ファンファーレに続いて、モーツァルトの「魔笛」序曲の第1主題にも似た精力的な第1主題がバリバリにスフォルツァンドを決めながら驀進をはじめる。このあたりのセンスは非常にベートーヴェン的とも言えるかもしれない。

 それに続く第2主題。細やかな音の波の伴奏の上にしっとりと浮かび上がる清澄で繊細で伸びやかなピアノの歌。この旋律の最後の部分が高音域で歌われるのに続いて、低音域でリフレインされる瞬間こそが、私がシューマンのすべてのピアノ曲の中で一番恍惚を感じる瞬間なのである。

 ここは、ひょっとしたら、クララの愛の言葉にロベルトが「僕もだよ」と応えている部分なのではないかという気もする。このへんの独特の余韻感となると、ベートーヴェンというよりはもはや完全にシューマン自身の世界という気がする。

 提示部は反復され、展開部にはいる。提示部以上に複雑で輝かしい、ホント、どうやって弾いてるんだといいたくなるくらいのファンファーレが調性を変えて登場、第1主題が再び再現されるかに見えて、途中からすぐに全く新しい短調のモティーフによる、低音域と高音域の対話が始まる。クララとロベルトの言い争いのようにもきこえる。

 実際、当時の二人は、手紙のやりとりの中で、互いの気持ちを牽制しあうようなやりとりを山のような重ねている。この曲には献呈者がないが、クララとの仲直りのためのクララに捧げた曲としての性格が強いことが、この曲をめぐる残された二人の手紙から読みとれるらしい。

 この、やや不穏な葛藤じみた曲の展開も、再びのファンファーレ、再現部に突入して、再び喜びに満ちた肯定感の中に唱和していくのである。提示部より高いキーで歌われる第2主題がそうした感興を更に高める。

 曲は、圧倒的な技巧を要する輝かしいコーダを徐々にのぼり詰めて、歓喜と祝福の嵐の教会の鐘の乱れ打ちのような和音の連打の中に、ハッピーエンドを迎える。

 終結のエネルギッシュさと派手派手さ加減という点で、この曲に拮抗できるのは、シューマンのピアノ曲では、この曲以外には、交響的練習曲Op.13の終曲ぐらいではなかろうか。しかも喜びを率直かつ伸びやかに歌い上げる流麗さという点ではそれすら越える、シューマンのピアノ曲で最も輝かしいフィナーレなのではないかと個人的には考えている。

2018年6月28日 (木)

バイオリン協奏曲 遺作

1.遺族に「抹殺」され、ナチスに政治利用され……


 前回、「序曲、スケルツォとフィナーレ」Op.52を取り上げた時、この曲が少なくともある時期まで日本のレコード会社によって不当に無視されてきた経緯について、曲の不憫さに思わず同一化して「オレなんか生まれてこなければよかったんだ!」ともらい泣きした筆者であったが、この「バイオリン協奏曲」に至っては、更に悲惨な波乱の人生の傷を引きずっているといっていい。何しろあの愛する妻クララに存在を「抹殺」された形跡があるのだから、日本のレコード会社の思慮不足の比ではない。

 シューマンがバイオリン独奏の曲を手がけるようになったのはごく晩年になってからである。編曲ものを除くと、何しろ作品番号のないものを入れても5曲(数えようによっては6曲)しか存在しない。

 すなわち、

  • バイオリンソナタ第1番イ短調Op.105
  • バイオリンソナタ第2番ニ短調Op.121
  • バイオリン独奏と管弦楽のための幻想曲Op.133
  • F・A・Eソナタ(ディートリヒ、ブラームスとの合作。シューマンは第2・第4楽章担当)
  • バイオリンソナタ第3番イ短調 F・A・Eソナタをシューマン一人の作品として改作したもの)
  • バイオリン協奏曲ニ短調

以上ですべてである。

 念のために言うと、バイオリンの小品として演奏会で頻繁に取り上げられる有名な3つのロマンスOp.94(特に第2曲は通俗的人気を誇る)は、シューマン自身バイオリンとピアノによる独奏も可と楽譜に明記しているが、本来はオーボエとビアノのための作品で、演奏効果もオーボエによる方が実は遥かに高い。

 前述の5(6)曲は、すべて1851年から1853年の間に書かれている。ちなみにシューマンのライン川への身投げは翌年の1854年、エンデニヒの精神病院で生涯を閉じたのは1856年である。1854年のピアノ独奏のための創作主題による変奏曲(この曲は今回取り上げるバイオリン協奏曲と因縁が深い)が、実質的にシューマン最後の完成された作品であることからすれば、これらの作品はすべてシューマンの作曲家としての最晩年の作品群と言って差し支えない。

 シューマンがこうしてバイオリン・ソロの曲に取り組むには2人のバイオリニストの刺激があった。
 一人は、親友メンデルスゾーンが指揮者をしていたライプチヒ・ゲバントハウス管弦楽団のコンサートマスターもつとめていたフェルディナンド・ダーヴィトである。この人物はメンデルスゾーンのあの有名なバイオリン協奏曲の助言者・初演者としても知られているが、彼がシューマンにバイオリン曲の作曲を強く勧めたことが、バイオリンソナタ1番と2番の作曲の引き金となった。バイオリンの技巧についてはピアノ曲ほどの経験がないシューマンはかなりの程度ダーヴィトの助言を受け入れつつ作曲したようである。これら2曲は当然のようにダーヴィトのバイオリンとクララのピアノ演奏で初演され、作品は2人からも高い評価を得ている。

 これらのソナタの評判がひとつの引き金となってシューマンと親交を深めるようになったのが、当時まだ20代、後に19世紀後半から20世紀初頭にかけてドイツ最大のバイオリニストと謳われることになるヨーゼフ・ヨアヒムである。

 ヨアヒムはまずはシューマンにバイオリンとオーケストラのための協奏的作品を委嘱した。
 ヨアヒムがシューマンに宛てた、「あなたも、ベートーヴェンの例にならい、室内楽作品を除くとなかなか弾く曲に恵まれない哀れなバイオリニストたちのために曲を書いて下さるべきです」という何ともへりくだった文面の手紙が遺されているようだ。
 シューマンはこのヨアヒムの求めに応じて、バイオリンと管弦楽のための幻想曲ハ長調Op.131を作曲する。草稿をヨアヒムに送ってバイオリンの技巧に関しては自由に加筆して送り返してほしいと頼んだくらいにヨアヒムの期待に応えようとしていたようだ。
 この協奏的「幻想曲」の初演はヨアヒムの独奏、シューマンが常任指揮者を務めていたデュッセルドルフのオーケストラで、シューマン自身の指揮で行われた。この当時シューマンはデュッセルドルフの歌劇場の演奏者や歌手たちから指揮者として不的確という烙印を押され、自作以外を指揮する権利をすでに取り上げられていたが、若き名手ヨアヒムの人気と演奏のすばらしさもあったのだろうか、この曲の初演に関しては好評だったらしい。
 この幻想曲は、バイオリン協奏曲以上に、今日その存在を忘れ去られているが、初演当時は聴衆にも好評で、委嘱者たるヨアヒムも賞賛する出来映えの作品だったのである。
 曲は単一楽章からなり、メンデルスゾーン風の短調の楚々とした導入部から、チェロ協奏曲イ短調Op.129の終楽章を思わせるソナタ形式の快活な主部に至る、なかなかの佳曲である。今日の耳で聴いても、バイオリン協奏曲はなじめなくてもこの曲なら……という人は少なからずいるのでないかと思う。しかし私が現時点で発見できたCDは2種のみである(4節参照)。

 この「幻想曲」の好評と、シューマン自身が演奏会でヨアヒムの独奏するベートーヴェンのバイオリン協奏曲に感動したことが、引き続いて本格的なバイオリン協奏曲の作曲を決意させる。

 シューマンは曲を書き上げるとまたもやヨアヒムに曲を送って助言を請うた。クララと同席してヨアヒムがオーケストラで試奏してみることにも立ち会ったらしい。この時点ではクララもヨアヒムもこの曲をかなりの程度評価していたのだ。この試奏の直後、ヨアヒム自身、「あの時は指揮者としての仕事が多忙で腕を使い過ぎて腕が疲れていたのでうまく弾くことができなかったのです。でも今ならあの終楽章のポロネーズをもっと堂々と演奏できます」などと書き送っている。ただしシューマン自身独奏部を更に修正する必要はこの試演奏の時に感じたらしい。

 だが、結局この試奏の年にロベルトはライン川に投身自殺未遂するところまで行ってしまうのである。

 ヨアヒムはその後もこの曲を演奏せず、結局楽譜はヨアヒムの遺言で、死後プロイセン国立図書館に寄贈され、作品はそのまま更に数十年の眠りにつくことになる。

 ヨアヒム自身のみならず、ロベルトの未亡人クララや、クララと非常に親しい関係にあったブラームス(ヨアヒムはこの2人とも2人が先に死ぬまでずっと親密だった)がこの作品の存在を知らないわけではなかったようである。しかし、シューマンの死後クララ自らの監修でシューマン全集の楽譜が出版される際も、このバイオリン協奏曲は黙殺される。

 なぜヨアヒムやクララ、プラームスたちがこのようにしたのかは伝記的な謎のひとつである。クララたちがシューマンの生前には未出版の作品の中から、その後出版していい作品とそうでない作品を「選別」していたことは明らかである。現実にはシューマンの死後十数年後にまで、作品番号つきの作品の出版は継続されているのだから、バイオリン協奏曲のような大曲を出版するつもりがあれば当然していたはずである。

 バイオリン協奏曲の「黙殺」について、一般にいわれている仮説は次の2つである。

1. この曲は独奏バイオリンが高度な技巧を要求する割には演奏効果が上がらないことをヨアヒムが嫌ったのではないか。

2. この作品の中に、精神障害の影響の現れの強さをクララたちは感じ取ったのではないのか。

 問題はこのうちの後者の仮説である。ブラームスとヨアヒムは、晩年のシューマン家に頻繁に出入りしていたため、自殺未遂以前でも、世間一般の人が見ることができないような、ロベルトの精神状態が悪いときの惨状を目の当たりにしていたようだ。
 2人は、シューマンが自殺未遂を犯してエンデニヒの精神病院に入院した後も、決心が付かないクララに代わって何回か病院を訪問している。調子がよくて一緒に院内の庭を散歩したりバッハやパガニーニの編曲などにいそしむ姿に巡り会えたときもあったが、ひどい状態の時にもぶつかったらしい。病状などもクララの代理として、クララには内密にした内容すら医師から聞いていた形跡がある。

 クララはシューマンが亡くなる少し前の小康を得た時にやっと決心が付いて一度だけ病院を訪問して、ロベルトを抱擁し、それまで訪問しなかったことを悔いる発言をロベルトにしているようだが、その時のロベルトにそれを理解する力があったかどうかはあやふやである。

 更に、前田昭雄氏をはじめとする幾人もの研究者が指摘しているとおり、シューマンのバイオリン協奏曲の第2楽章の主要主題は、シューマンが自殺未遂の直前に完成させた「創作主題による変奏曲(天使の主題による変奏曲)」の主題とそっくりである。シューマンがこの主題をピアノでクララに何度も何度も聴かせながら、「この旋律は天使が僕に授けてくれたんだ」打ち明けたという逸話は有名であるが、クララにとってこの時の体験は戦慄すべきものだったらしい。ましてやこの曲の完成直後にシューマンはライン川に身投げしている。

 前田氏はそこまで明言していないようだが、クララの中で、このピアノ曲と同じ主題を持つバイオリン協奏曲が、非常に忌まわしい作品としてとらえられていたとしてもおかしくはないのではなかろうか。

 実際、この2つの作品が出版されたのは、どちらも1930年代に入ってからである。クララ亡き後のシューマンの遺族たちも、シューマンの未出版の作品の出版や演奏の勧めに関しては非常に警戒心が強かったらしい。遺族のひとりが思い出として書いているところによると、このへんはほとんど亡きクララが遺した「家訓」に近いものだったようだ。

当初はこの作品に好意的だったクララの見解が翻った最大の原因はクララがロベルトからブラームスに次第に「心を移した」からであり、ブラームスの作風が好きになった時点で、ロベルト生前ははっきりと表明できなかったロベルトの作品への違和感を素直に表明できるようになれたのではないかといううがった見方をヘルムート・ポフフは取っているようである。クララが実はロベルトの作風の最も先鋭な部分を理解する力がない保守的な感性の持ち主だったのでないかということはよく言われる。

 この点では、ドイツ映画「春の交響曲(日本では「哀愁のトロイメライ」などという陳腐なタイトルで公開された)」など、全体としては史実にかなり忠実で、例えばシューマンが若き日に愛した娼婦クリステルなども史実通り登場するが、ナスターシャ・キンスキー演じるクララは厳密にはミスキャストかもしれない(色っぽすぎるし、クララの持つ保守性の側面が見えてこない)。もとよりもっとも私個人はナタキンのファンですから、個人的にはクララをキンスキーが演じてくれたのはすごくうれしかったのだが。ちなみにこの映画は二人が結婚するまでの前半生しか描いていない。しかし、後年のシューマンの悲劇の予感を観じさせる、心憎い終わり方をしていると思う。

 恐らくクララは、実の父親ヴィークに引き続いて第2の「父親」となったロベルトの前では従順な「娘」だったのかもしれない。もとよりロベルトがクララの保守的な演奏スタイルをけんもほろろに批判してしまい、「私はどう演奏したらいいのかわからなくなりました」などと知人に書き送るような火花の散る葛藤も結構あったらしい。
  このようなロベルトとクララの感性のギャップが年々ひどくなり、潜在的な結婚生活の危機が深まるにつれてロベルトの精神障害が悪化したという見地にたつ研究者も少なくないようである。ちなみにドイツではロベルトとクララ、そしてプラームスの愛憎劇について脚色した文学作品や戯曲は現代でもかなりの数作られ続けているらしい。ちょうどNHKの大河ドラマのようにして、史実と関係なくフィクションめいた描き方をしたものも多いようである。例えば「ほんとうはクララがロベルトを絞め殺したのだ」とか。

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 ヨアヒムの遺言でプロイセン国立図書館に寄贈されたバイオリン協奏曲の自筆譜は、ヨアヒムが死んだ1907年以降も更に30年も眠り続ける。

 この曲の再発見のきっかけもかなり変わっている。1933年、ヨアヒムの甥の娘でバイオリニストでもあった、ジェリー・ダラーニという女性(ラヴェルのあのバイオリン曲史上最難曲のひとつ、「ツィガーヌ」の初演者として知られているくらいであるから、決して「大叔父の七光り」だけのバイオリニストではない)が、ある時突然、大叔父のヨアヒムとシューマン自身の霊が自分の前に現れて、「忘れ去られたロベルトのバイオリン協奏曲がどこかにあるはず」というお告げをさずけたと言い始めたのである。そこでこの幻の協奏曲探しが始まったのである。
 当時降霊術が盛んで、シューマン自身それに凝ったことがあるのは確かだが、この事件は、ヨアヒムの遺族相互間でのこのシューマンの遺作を巡っての姿勢の違いが、演奏肯定派のジェリーにほとんどヒステリー発作に近い形で幻影をみせ、この作品の公表に有利な状況を無意識的に生み出したというべきだろう。時はまさにヒステリーの治療者、フロイトが大活躍していた頃のドイツ・オーストリアである! フロイトがダラーニを診察したらどのように解釈したかは目に見えている。

 1937年にいたり、ヘルマン・シュプリンガーという人物がついにプロイセン国立図書館からこの協奏曲の自筆譜を「公式に」発掘する(実は以前から一部の人に所在は知られていたものを遺族の反対を無視して勝手に雑誌で公表したと言うだけのことのようだが。今も昔もジャーナリズムはこの種のスクープが好きである)。
 そしてこのプロイセン国立図書館長のゲオルグ・シューネマンにより楽譜が校訂され、その年のうちにショット社から出版された。

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 ここから先の初演に至るまでのいきさつがまた一悶着あるのである。

  バイオリニスト引退後も、指揮者として活躍する、往年のユダヤ人名バイオリニスト、イェフディ・メニューヒンは、1937年、この曲の出版された楽譜を早速手に入れた。そして1937103日にサン・フランシスコで世界初演をすることが報じられた。
 しかし、ドイツのナチス文化省は、「この曲をユダヤ人に初演させるわけにはいかない、ドイツ人によってなされねばならない」と公式声明を出して干渉、1126日、当時ドイツ最高の名バイオリニストといわれたゲオルグ・クーレンカンプの独奏、カール・ベーム指揮ベルリン・フィルの演奏でこの作品を初演し、全世界にラジオ中継した。
 しかし、クーレンカンプの演奏は独奏部の一部を改定したばかりか、一部楽譜のカットなどもあったため、126日にカーネギー・ホールでFerguson Websterのピアノ伴奏でアメリカ初演したメニューヒンは「楽譜通りに弾いた自分の方が真の意味での世界初演である」とやり返したという。
 ちなみに、前述のダラーニ自身はこの後、この曲の3番目の紹介者として、ロンドンでBBCオーケストラと演奏したとのことである。
 ただ、このバイオリン協奏曲初演に関するいきさつは諸説あり、ダラーニが初演とするものもあることをここに付記したい。

 何とクーレンカンプは、初演後一ヶ月に満たないその年の12月20日に、テレフンケンのSPにこの曲を録音し、この曲のレコード第1号にもなっている(ちなみにこのSPの演奏は、初演と同じベルリンフィルではあるが、ベーム指揮ではなくてシュミット・イッセルシュテット指揮と公式には記録されている。初演の指揮がベームであったことは当時の演奏会評に記述がいくつも残っているので間違いないだろう。

 それにしても、なぜフルトヴェングラーがこの初演を引き受けなかったのか。「マンフレッド」序曲のウィーン・フィルとの戦慄的な空前絶後の名演盤(51/1/24-5録音 LPEMI WF-60038。グラモフォンから現在CDで出ているのは別録音)……私はかの有名な第4交響曲の演奏はそんなにいいとは思わず、フルトヴェングラーなら遥かにいい演奏ができたはずと思うが、この「マンフレッド」のヴィーン・フィル盤は文句なくすごい。空前無比の「ドロドロ」とした情念。バイロイトの「第9」ですらそんなに特別視しない私が、「ウラニアのエロイカ」と共に別格的に好きなフルトヴェングラーの演奏である……などから想像するに、このバイオリン協奏曲伴奏を仮にフルトヴェングラーがやっていたら、絶対的などす黒いまでのすごみが出て、録音でも残ろうものなら永遠の名盤視されたことは確実なのに。
 単に日程があわなかったのか、それとも、ユダヤ人楽員の亡命に実は影で尽力していたフルトヴェングラーは、この時ナチス政府の言うがままになることは嫌ったのか?。

 ちなみにこのクーレンカンプの演奏は最近公式にCD復刻され、国内盤も出て、容易に聴くことができる。
 メニューヒンも負けずに、バルビローリ指揮ニューヨーク・フィルとの共演で193829日に録音しているとのことである。これは英Biddulph LAB042からクライスラー/ロナルド演奏のメンデルスゾーンのVn協との組み合わせでCD復刻発売されているらしいが、私自身は未聴である。

 クーレンカンプ自身、ほんの2年前の1935年にはユダヤ人、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲を録音している。戦前のこの曲最高の名演と日本でも当時から絶賛されていた演奏である(前述のシューマンの協奏曲とのカップリングで最近CD化された。確かに今日の耳で聞いても古さを感じさせない名演である)。
 シューマンとメンデルスゾーンが深い親友で、互いに刺激を与えあいながら競争するように似たジャンルの作品を発表していたことも歴史上の明白な事実である。そうした意味ではこのナチスの振る舞いはやはり現在の目から見れば何とも陳腐な国威高揚策に過ぎない。
 しかしおかげで、ただでさえ「精神異常者の音楽」というレッテルがつきかねないところに「ナチスへの協力」のレッテルまでついてしまうとなると、この曲のイメージは一層悪くなったことになる。よほど星の巡りが悪い宿命を背負っていると言うべきだろう。

 追記

 なお、以上の初演に至るいきさつ関連の記述は、当初、主として10枚あまりの輸入盤CDのライナーノートの記述を比較対照して書き上げたものでした。
  本稿執筆後、バイオリン協奏曲に対するクララやヨアヒムの態度の変遷、初演のいきさつ、初演の際の賛否両論の当時の批評の幾つかなどについては、ラオホフライシュ著「ロベルト・シューマン ~引き裂かれた精神~」井上節子訳 音楽之友社 の第7章「晩年の作品の評価」の大半を費やして実に詳しく論じられていることに、偶然本屋で見つけてに気付いた。
 一部に、ひょっとしたら原典にさかのぼりうるかもしれない、明らかにケアレスミスの事実誤認(シューマンはチェロ・ソナタなど書いてはいない。チェロ協奏曲かチェロ独奏のための小品集、あるいはバイオリンソナタを勘違いしたものだ。バイオリン協奏曲の「初演」や「試奏」という言葉の使い方にも若干の混乱があり、まるでヨアヒムが演奏会の本番でこの曲を弾いたことがあるかのようにすら読めてしまう部分がある)や訳語の問題はあるが、恐らくこれほどまとまった形で詳しくバイオリン協奏曲を巡る文献を整理して紹介してくれたものは今の日本で一般の人が手に入る範囲では他にないだろう。
 その本の「明らかに誤った」記述と思われるものを修正し、若干増補させていただきました。

http://chitose1960.jp/button5.gif2.後期シューマン様式の典型

 ピアノ協奏曲Op.54ピアノ五重奏曲Op.44、ピアノ曲で言うと謝肉祭Op.9交響的練習曲Op.13あたりを「シューマンらしい」曲だと思っている人がはじめてこのバイオリン協奏曲を聴いたら、確かに殆ど裏切られたかのような思いを感じるかもしれない。

「何と重苦しくて単調で起伏に乏しくめりはりのない曲なんだ!」

 重苦しさで有名なバイオリン協奏曲といえばシベリウスの曲があるが、あちらには刻々と変化する曲想の移ろい、繊細さと野性的壮大さの震幅の大きさ、そして後期のシベリウスに比べれば、一種の楽天的なわかりやすさも具わっている。一曲の中に内包される多様性とドラマ性という点では古今のバイオリン協奏曲の最高傑作といってもいいくらいであろう。

 恐らく、ひとわたり有名曲を押さえたくらいのクラシックファンにとっては、チェロ協奏曲Op.129ですら、暗くてモノトーンで気の利いたメロディのない、渋過ぎる曲に感じられるかもしれない。なるほど、ドヴォルジャークの曲ほどは聴き易くはない(もとよりあの曲は交響曲を含めたドヴォルジャークの最高傑作、協奏曲の枠を超越した別格の名曲であろう。「新世界交響曲」の方が遥かに底が浅い曲である)。しかしシューマンのチェロ協奏曲にはまだしもダイナミックな起伏と力強さ、希望に向けての輝きがある。いい演奏を聴けば終楽章は興奮のるつぼであろう。

 それに比べるとこのバイオリン協奏曲は何だろう。何という単調かつ鈍重な荘重さ。起伏に乏しく、同じような繰り返しの中で無理矢理曲を終わらせたのではないかというぐらいに各楽章の最後が芸がない。バイオリンの技巧がやたら滅多ら難しい割には、すべては重苦しく単調なオーケストラの伴奏に飲み込まれ、バイオリニストにとってはこれでは骨折り損のくたびれもうけではないのか。

 まだ一枚もこの曲のレコードを聴いたことがない十数年前、FMN響のライブでこの曲をはじめて聴いた時(当時この曲の国内盤はデイスコグラフィから消えていた。元々シェリング/ドラティ盤しか世界的にも存在せず、それすら廃盤だったわけである。この時の指揮者が外山雄三、バイオリンは海野・江藤・徳永という御三家の中の誰かだったと記憶する)の私の印象も、まさにそのようなものだった。何と一本調子な曲だろう。第2主題は弱々しくて性格に乏しい。そのくせ妙に力んだ重々しさがオーケストラを支配し続ける。確かにシューマンはこの曲を書いた時精神の張りを喪失し始め、青息吐息でこの曲を書いていたのではないか?

 ただ、第3楽章のロンドの主題にだけは不思議と耳について離れない魅力があった。一度聴いただけでこの一見素朴な主題は耳から離れなくなり、固定観念となって、曲が終わったあとも私の頭の中で延々と「輪舞」を続けた。しかし現実の曲そのものがそういう私の幻想そのままに、その主題がひらりひらりと宙を舞うばかりで何か収拾がつかないまま終わるような曲と感じた。これでは素人が頭に浮かんだ一節を延々空想の中で弄り回すのと何も違いがないではないか。

 だが、このロンド主題だけは無性に好きになってエアチェックしたカセットテープ……当時はステレオラジカセのみ……でくり返して聴いた。
 そして思ったのは、「この分散和音が旋回するメロディをバイオリンで美しく響かせるには、ぐっと遅いテンポで一音一音レガートに朗々と響かせるしかないな。でもそんなことをしたら全体が弛緩してしまうかな」。
 私はそのN響ライブの倍近いとんでもない遅さでこのメロディを口ずさむことに取り憑かれた。「でも、こんなの邪道だよなー」と思いつつ。

 そのあと、クレーメルがムーティの指揮でヴィーン・フィルとやったライブ録音をFMで聴く機会が程なく訪れた。しかし私の期待に反して、クレーメルは実に速いスピードで、しかも一音一音を短めに切って非常に痩せた音でこの終楽章を演奏した。
 「これは違う」と思った。この曲想の持ち味を殺している。クレメルが元々細身の音を出す反ロマン的な芸風とわかりつつも、そう思った。

 それからまた2,3年して、やっと限定廉価版の形で、戦後最初のこの曲の録音といわれたシェリング/ドラティLPを入手する。比較的テンポが速くて淡泊でさっぱりした演奏だなとは思ったが、60年頃の演奏家に共通する非常に素直な力強さは感じられて、まずまずの演奏と感じた。
 しかし、この曲の第1楽章すら、ちょうど大オーケストラでバッハの荘重なフランス風序曲でもやるようなつもりで重戦車のように一音一音踏みしめながらとことん重々しくやったら凄い曲に響くのではという思いも拭えなかった。

 その頃の私は、そういうまるで地面に足をめり込ませるような踏みしめるような調子で曲を演奏しさえすれば、この曲や「マンフレッド」序曲のような後期シューマンの曲は独特の鬼気迫る迫力が魅力となるはずと確信しつつあった。曲のフォルテの部分にそういう「地面にめり込む迫力」が出てくれば、第2主題の柔らかい部分はさながら天上の幻想のように響き、それはそれでコントラストがつくのではないのか。

 ここにいたり、私は、前期のシューマンと後期のシューマンを区別する、非常に単純な指標を見出す。それは、特にフォルテの高らかなメロデイの場合、「青空高くどこまでも飛翔するかのように上空に向けて響きわたる」開放感があるのが前期、逆に、舞い上がろうとしても天井に容易に頭がつかえてしまい、そのありあまるエネルギーを、大地を踏みしめ、穴をうがつかのように下の方にぶつけるのが後期という分類である。

 要するに「天井の高さ」がすべてを決めてしまうのだ。天井が高ければどこまでも自由に飛翔できるので機敏で自由な反応ができる。緩急やダイナミズムの変化も思うがままである。しかし、天井が低ければ、高らかに叫んだつもりでも、そうでない部分と見かけ上の標高差はほとんど生じない、容易に「飽和点」に達してしまう。だから単調でくどくて妙に息が詰まる感じにしかならなくなる。
 ちょうどステレオのトーンコントロールのバスをやたらと上げた状態だと弱音は聴きやすくなる代わりに強音との聴感上のダイナミックレンジが狭まり、すべてがボテボテの鈍い音に聴こえはじめるのに似ている。

 こうした「天井の低さ」「飛翔できずに地面にめり込むしかなくなる」兆候がシューマンの曲にはじめて明白に現れるのは、有名曲では交響曲第3番「ライン」Op.97(1850年作曲)の第1楽章からであろう。この楽章、4分の6拍子と2分の3拍子が実に複雑な形で折りあわされるという、シューマンお得意のヘミオラが一番徹底して活かされており、はじめて聴く人はそのリズム変動のマジックに幻惑されて、主題のメロディがつかみにくい、独特の不安定感を感じるはずである。お箸を持った素人指揮者をこれほど困惑させる曲は前期ロマン派にはない。

 ただ、一見曲想が明るいにも関わらず、妙に頭の上から押しつぶされるような息苦しさとくどさをこの曲の第1楽章に感じる人は少なくないはずである。

 ほんの少し前までのシューマンは違っていた。ピアノ協奏曲Op.54(1845年作曲)の第3楽章もまた、8分の6拍子と4分の3拍子が複雑に絡み合ったヘミオラの徹底使用の極致を行く音楽である。少し観察すれば「ライン」の第1楽章と非常に似た発想で作られた曲だとわかるはずである。しかしピアノ協奏曲はそのへミオラを機敏でいたずらっぽい曲想の変化として実に軽やかに開放的に用いている。はっきり言って非常に「しゃれた」曲想の変化として響く。この軽やかさと身のこなしの敏捷さは「ライン」の時にはもう失われつつあるのだ。
 まさにこの1845年の後半から翌46年にかけてが、シューマンの精神症状が最初に長期の危機的状態を迎えた時なのである。

 その危機のさなかに、病気の克服の勝利の交響曲として書き上げられるのが、交響曲第2番Op.61に他ならない。この曲そのものは第1楽章展開部の闘争性や第3楽章の沈み込んだ情緒はあるものの、全体としてはむしろ澄みわたる肯定感に貫かれたさわやかな作品である(この曲のラストをワーグナーの「マイスタージンガー」前奏曲か何かのように重厚に盛り上げる厚化粧はシューマンの意志に反していると思う)。

 この病気のさなかに精神を沈めるために、シューマンはクララとバッハのフーガの研究に励んだという。このような数学的・論理的なハズルじみたものが、精神を病んだ人間の内面の安静に貢献することがあることは確かによく知られている。シューマンのこの時のバッハへの感謝の気持ちは、第2交響曲の第3楽章の主題がバッハの「音楽の捧げもの」の主題に酷似していることで現されている。

 しかし、この精神安定のための論理性への献身は、シューマンの中から奔放さや機敏で即興的な表情の変化という特性を永遠に失わせるものでもあったのではないか。それが、「ライン」の第1楽章で見事に露呈している。シューマンの生涯の折り返し点はまさにその間のどこかにあった。

 シューマンの夏の盛りの終焉。日差しがすこしずつ和らぎ、灼けた肌の色は薄らぎ、風は秋のニオイがする。

 決してそれは単なる衰えではなかった。「もう一人の」シューマンの「誕生」なのである。だが、前期シューマンこそシューマンの魅力のすべてと感じる人にとっては、「もう、あのシューマンはいなくなってしまった」ということになる。

 さて、今、バッハのことを述べた。
 シューマンのバイオリン協奏曲を聴く際には、実はバッハの序曲や協奏曲を聴くつもりになると理解しやすくなるところがあるのではないか。管弦楽組曲の第2番のフランス風の遅い荘重な序曲(といっても最近の古楽の団体は、もはやイ・ムジチのように荘重にやったりしないが)、あるいはバイオリン協奏曲の1番や2つのバイオリンのための協奏曲をこのシューマンの曲に重ね合わせると、急に理解しやすくなるのではなかろうか。

 シューマンのバイオリン協奏曲の第1楽章の管弦楽のみによる提示部に続くバイオリンソロが提示するカデンツァ。これはまさにバロックではないのか。バッハではないのか。フランス風の荘重な序曲に引き続いて、今まさに無伴奏バイオリンのためシャコンヌが始まるのだとすれば?


http://chitose1960.jp/button5.gif 3.各楽章の構成 

 

§ 第1楽章 力強く、あまり速すぎない速度で 4/4

 いきなり荘重な第1主題が中音域の弦の3連符の刻みを伴奏にして管弦楽のみで現れる。メロデイックと言うよりは幾分ぎこちないくらいの旋律だが、すでに述べたように、もしこの部分をロマン派の味付けの加わったバロックのフランス風序曲と理解すれば、この重付点音符の効いた重々しいメロディも容易に納得がいくのではなかろうか。シューマン自身「力強く、あまり早すぎないように」と表記していることを忘れてはならない。

 第2主題が始まるところで伴奏の弦の三連符が一度外れて、弦楽合奏にフルートを伴うヘ長調の柔らかいメロディが始まる。この旋律を霊感が乏しくで芸がないと感じる人もあるかもしれないが、伴奏の合いの手と旨く呼吸を合わせれば、独特のため息をつくような効果が出るはずである。ただ、管弦楽提示部のこのあたりを本当に旨く解釈できた、完全に私が納得できる演奏には巡り会えていない。

 再び第1主題部の荘重な部分にかなり近い内容のものが経過句としてあらわれる。このあたり、提示部は殆どA-B-Aの構成でできているといってよく、単純といえば単純きわまりないが、シューマンが意識的にバロック様式をねらっていたとすれば何のおかしいこともあるまい。

 経過句が急に静まったところではじめて独奏バイオリンが、まるで無伴奏バイオリンパルティータでもはじめるかのようにして、重音奏法を駆使して登場し、管弦楽の控えめな伴奏を伴いつつも、多少カデンツァ的な動きを見せた上で第1主題をゆっくりと奏する。これまた荘重で何とも渋い、堅苦しいとも言える響きがあるが、これまたバッハか何かを効くつもりになるとスンナリ理解できるだろう。

 このあと第1主題を擬古典的に装飾を重ねたところで再びヘ長調の第2主題。管弦楽提示部よりはかなり生き生きとした美しさをもつ生彩ある部分として聴こえるのではないかと思う。途中から長調になってのままで第1主題を用いた経過句となり、バイオリンがのびのびと重音奏法を駆使して歌い上げる。このあたりはベートーヴェンやブラームスのバイオリン協奏曲の同じような部分を思い起こさせる幸福感がある。経過句の後半はバイオリンは休んで再び管弦楽のトウッテイで、しかし長調で第一主題の旋律が朗々と歌われて提示部は終わる。

 展開部は、一見独奏提示部と似たようなバイオリンの重音奏法で始まるが、ピアノ協奏曲の第1楽章展開部の前半と同様に、比較的弱音を多用して静かで詩的な移ろいの中で第1主題と弟2主題を展開していく趣きが強い。管弦楽はかなり控えめに独奏バイオリンを支えるのみ。

 突然少しずつ独奏バイオリンが熱を帯びはじめたと思ったら、そのまま再現部に突入。最初は独奏バイオリンを伴っているがすぐに管弦楽のみのトウッテイとなる。こうなるとこの管弦楽総奏の繰り返しの回帰が少しくどくて長ったらしいと感じられはじめなくもないが、バロックのコンチェルト・グロッソのリトルネルロ、総奏とソロの交互の出現と思えばどうだろう。その後再現部は殆どソロ提示部と同じ形で進む。

 そしてまたもや第1主題の管弦楽トウッテイ、くどいなあと思ったところで、従来の半分の長さのところで急に静まり、長調のバイオリンソロで、肩の力の抜けた新しいメロディが導入される。ここからがコーダである。バイオリンは3連符の重音奏法で明るく歌い上げて、華やかさを盛り上げようとするのだが、最後には楽章全体の腰の重さの方が勝ってしまうような管弦楽のトウッテイによる重たい長調の和音で終わる。

 確かにくどい、この楽章は。シューマンにしては型どおりに協奏ソナタ形式に従い過ぎという意見もあるだろう。しかし、シューマンはこの曲をヨアヒムの独奏したベートーヴェンのバイオリン協奏曲の刺激で作り始めたのである。重厚長大な弟1楽章になるのが当然とも言える。そもそもベートーヴェンやブラームスのバイオリン協奏曲の弟1楽章にしても、メンデルスゾーンやチャイコフスキーに比べれば、初心者のクラシックファンには退屈で冗長に響くのではなかろうか。独創的な構成のピアノ協奏曲の第1楽章(もともとは独立した単一楽章の幻想曲だったことを忘れてはならない)の即興的な奔放さを期待するから期待外れと感じるのである。練り込んだ解釈で聴かせれば結構多様で味わい深い音楽になる。演奏解釈の歴史が浅すぎるのである。

 

§ 第2楽章 ゆるやかに

 問題の絶筆、クララを戦慄させた、投身自殺直前の「天使が与えてくれた」メロディによるピアノ独奏のための変奏曲とほとんど同一の主題による変ロ長調、4/4の緩やかな楽章。おもしろいのは全編にわたってチェロが2つの奏部に分割され、その片方は切分音のシンコペーションで分散和音的にあたかも対旋律のように響きながら第2の独奏部的な形で絡んでくる点だ。しかも、ただの分散和音ではなくて常に半拍遅れて入ってくるので独特の浮遊感と不安感を生み出す。私は永らくこの分散和音をチェロ独奏だと信じていた。

 主要主題部ではこのチェロの分散和音の音型の方が管弦楽伴奏で先に出てくる。その後でさほど立たないうちに、問題の「天使の主題」を独奏バイオリンが歌い始める。中間に短くて多少孤独感に打ちふるえる趣きの中間部を持つA-B-Aの三部形式とも言えるだろう。ちなみに展開のプロセスではバイオリン独奏もこの切分音の分散和音動機をくり返し奏し、独特のかすかな不安な気分を呼び起こさせる。全体として飾り気のない静かな楽章である。ブラームスのバイオリン協奏曲の第2楽章とも似た風情があるがかなりこちらの方が短い。切分音の分散和音動機が時々介入しなければ少しとりとめもない叙情的な楽章と感じるかもしれない。

 主要主題再現部は提示部より短調に偏る傾向があり、提示部よりやや長い。殆ど展開部的な側面も内包している。最後に長調でもう一度二分割されたチェロ奏部の一方に分散和音の切分音の動機が戻り、あたかもこれからもう一度主要主題部が3回目の回帰を見せるかのように感じさせたところで曲はそのままテンポを速めて高揚し、次の楽章になだれ込む。

 

§ 第3楽章 生き生きと、しかし急速にではなく 

  3/4、ニ長調の、ポロネーズ風の明るく輝かしい旋回する分散和音風の、単純だが忘れがたいメインテーマを持つロンド。実はこの音型は前の楽章の主要主題部の後半でさりげなく独奏バイオリンにも表れている。

このポロネーズ風ロンドの主要主題を、どういうテンポとアーティキュレーションで奏するかということで、この楽章全体の雰囲気は激変する。ショスタコピッチの交響曲弟5番の終楽章のテンポ設定と同様に、演奏者の個性と主張が恐ろしく曲の意図するものを変えてしまう実に怖い楽章である。ひとつだけヒントを出せば、シューマン自身の楽譜のメトロノームの書き込みは四分音符が1分間に63回となっている点を覚えて置いてほしい。

 主要主題そのものが前半と後半に分かれており、バイオリンソロがメロディを弾く前半が終わったところで管弦楽トウッテイ、その後にバイオリン独奏で、よりチャーミングで旋律的でにじり寄られるような後半の経過句が奏でられる。私はこの経過句にじっくりと「言い寄られる」のが大好きである。この経過句ががそのまま殆ど展開部といっていいくらいの形でしばらく展開されたところで、木管に全く新しい印象的なかわいらしいスタッカートに弾む動機が出る。この木管の動機とそれに応答する独奏バイオリンの旋律が副主題で、特に木管の動機の方はこの後きわめて重要な働きを果たすことになる。

 この副主題もかなり長い時間をかけて展開された後で、やっと主要主題の管弦楽のみによるトウッテイ部分のみが手短に回帰する。

 この後に続く部分はロンドソナタ形式の展開部というべき部分だが、まずは第2楽章のあのチェロの切分音の分散和音主題が突然回帰する。3拍子のポロネーズの中に突然2拍子系のこの部分が重複して表れるので一種のポリリズムのような効果が生まれる。

 その後は展開部の後半と言うべきかなり長い部分で、主要主題と副主題の木管の動機に独奏バイオリンの技巧的なパッセージによる展開が延々と絡む部分が来る。この部分は独奏バイオリンが技巧的なパッセージで異様なまでに駆け回らねばならない割には妙にあっさり淡々と曲が進んで、ソロそのものは「目立たない」ところがあり、ソロイオリニストには「骨折り損のくたびれもうけ」と感じさせられて嫌われる、この曲最大の難所だろう。もとよりクレメルのムーティ指揮の旧盤やベルを代表とする現代の名手はこの部分をかなり速いテンポでサラサラと難なく弾き飛ばしてくれることが多い。

ところが、数年後にクレメルが、アーノンクール/ヨーロッパ室内管弦楽団と組んだ演奏を聴かされた時、クレメルは驚くほど遅い、細やかなアーティキュレーションの演奏という、全く異なった解釈で演奏しているのに驚いた。これこそ私の理想の演奏だと思った。

これについては、英語のアーノンクールによるライナーノーツに「ショパンは、ポロネーズを、3分の2拍子ではなく、6分の4拍子で弾くように示唆していた」という興味深い指摘がある。

 こうして曲は再び主要主題部に回帰する。ここから経過句を経て副主題まではほぼ型どおりに前半の形が反復される。まさにソナタ形式で言う再現部である。ここの後で再び管弦楽のみによる主要主題の一部の総奏、更に再び経過句が出て(何というくどさ! まあ、私はこの経過句が大好きだからいいけど)、木管群に全く新しい旋律が出て独奏バイオリンが3連符中心のバッセージでその木管の旋律に絡みはじめたあたりからがやっとコーダである。バイオリンの小刻みなハッセージはそれ相応に高揚感を盛り上げては行くが、ソリスト側からすると、またもや忙しい割には自分は目立たないフラストレーションがたまるかもしれない。そのフラストレーションがたまりにたまったところで、やっと(というか、唐突に、というか)管弦楽の総奏による「ターッ、タ、ター」という和音が曲の終わりを告げてくれる。

 今回英語の解説書を読んではじめて曲の構造を理解したくらいで、ともかく何度も同じ旋律がホロネーズの規則正しいテンポの中で舞い戻るという感じのつかみ所がない楽章である。これがピアノ協奏曲のあの機敏な表情の変化のロンドを書いた人の作品とは思えないという人もあるだろう。

 この件に関して、後述のツィンマーマン/フォンク盤の輸入盤のライナーノートに、エックハルト・ヴァン・ホーゲンと言う人が興味深いことを書いているので最後に翻訳して引用したい。

 この楽章でシューマンは一貫してポロネーズのリズムを用いているが、ポロネーズは、この曲作曲当時でもすでに時代遅れのものになってしまっていたはずである。シューマンはふと「青春時代」を振り返ったのだろうか? ポロネーズ付きと言えば、クララが13歳の時に書いたイ短調のピアノ協奏曲がある。この曲の実際のオーケストレーションをしたのは、他ならぬクララの教師役、シューマンだった……

ヴァン・ホーゲンはこの一節の直前に、クララによってこの「バイオリン協奏曲」が闇に葬られた可能性について論じているのであり、この最後の一節の文末に原文にもついている「……」に、ヴァン・ホーゲンがどんな思いを込めたのかは容易に想像がつく。

 ロベルト、人間とはなかなか気持ちが通じ合えないものだね。

2018年6月27日 (水)

序曲、スケルツォとフィナーレ Op.52

 

1.シューマンの交響作品の独自性

 私は何より「交響曲作曲家」としてのシューマンが好きである。普通ならばピアノ曲や歌曲といわれるであろう。
 とかくシューマンの交響作品には何か一言難癖をつけた上でないと認めてもらえない趨勢がある。曰く、「管弦楽法が未熟である」「ピアノ的な書法が目立つ」ナドナド。
 管弦楽法や曲の構成力についてのこうした「誤解」については、世界的なシューマン研究家、前田昭雄氏らによる非常に熱心な考究によって、今やかなり覆されてきたかもしれない。しかしそれでも、すでに「シューマンの生涯」の項でも述べたように、ベートーヴェンの次の「偉大な」交響曲作曲家はプラームスであり、「未完成」という超例外を除いたシューベルト、メンデルスゾーン、シューマンの交響曲は、それなりの地位は与えられつつも、何となく超一流とは言えないかのような扱いを受けてきているといっていいであろう。
 しかし、私は敢えて、少なくともシューベルトとメンデルスゾーンの交響曲と比較する限り、シューマンの交響曲は明らかに一歩前進した独自の様式を確立していると言いたい。

 すでによくいわれることであるが、交響曲に限らず、シューベルトとメンデルスゾーンのソナタ的な作品は、実はベートーヴェンの後継というよりも、ハイドンの後継と言う方がすんなり納得がいくような様式感覚をそのベースに持っている。もとより2人ともベートーヴェンを尊敬し、いろんな意味でインスパイアーされていたことは疑いないし、ハイドンに比べると遥かにロマン主義的・文学的な風土の中に育っている、別の時代の人間である。
 しかしそれにもかかわらず、シューベルトとメンデルスゾーンが、ベートーヴェンからは引き継げなかった重大な資質がある。私はそれをここで借りに「伸縮する”時間”感覚」と名付けてみたいのである。シューベルトとメンデルスゾーンの場合、序奏やコーダを別にすると、一つの楽章なら一つの楽章全体が、実は同じテンポの歩みで構成されていることが多い。曲の途中で次第次第にテンポを速めたりゆるめたりするアチェレランドやデュミネンドは、メンデルスゾーンでは稀れ、シューベルトに至っては皆無に近いのではなかろうか。
正直に言ってスコアまで見たことがある曲はごく一部なのだが、例えば未完成交響曲の、聴感上の拍節感がまるで違う第一主題と第二主題の間ですら、シューベルトはスコアに何も変化を指定していなかったように記憶する。

 このようにいうと、例えばメンデルスゾーンの実質的に最後の交響曲である第3番「スコットランド」の第1楽章の内部には、楽譜に明瞭に表記されたテンポや拍子のの切り替えが、単に序奏と主部の間みならず、他にも途中に幾つもあるではないかといわれるかもしれない。しかし、メンデルスゾーンがこの手口をここまで鮮やかに使えたのは、まさに最後の交響曲たる第3番においてなのである。そいうえば、バイオリン協奏曲も第一楽章で何回もあからさまにテンポの変更を求めたかもしれないけれども、この曲もまた、「スコットランド」交響曲と同様に、メンデルスゾーンの早すぎた晩年、最円熟期の作品である。
 実質的に交響的カンタータというべき第2番「賛歌」を脇に置くならば、メンデルスゾーンの正式の番号付きの交響曲は、作曲年代順にいうと、第1番、第5番「宗教改革」、第4番「イタリア」、そして第3番「スコットランド」の順であるが、そのロマン的文学趣味にもかかわらず、第4番までの3曲は、ハイドンの交響曲の構成図式ですっぽり理解できてしまう。
  第3番「スコットランド」と第4番「イタリア」をはじめて比較して聴いた時、「イタリア」の方が予想外に保守的で古典的、「ハイドン的」な交響曲の枠をでておらず、「スコットランド」の方が遥かにモダンな曲に聴こえた人も少なくないのではなかろうか。メンデルスゾーンは明らかにこの2曲の間で大きく成長して、ある限界はあるかもしれないが、ともかく古典派の呪縛を脱してきている。
 だが、メンデルスゾーンをこの呪縛から解き放させる刺激は誰が与えたのだろうか? それはまさに、すでに親密に交際して互いに影響を与えあうことが大きかったシューマンからの影響というべきではなかろうか。裕福な家に生まれ、完璧な音楽的教育を受け、子どもの頃ゲーテに可愛がられるなど、洗練の極といっていい古典的教養を身につけていたメンデルスゾーンに「羽目を外させた」のは、シューマン(あるいはベルリオーズ)という本質的に奔放な天才型の友人からの感化ではなかったかと思える。

 シューベルトの交響曲に至っては、「未完成」を別格的な例外とするならば、メンデルスゾーン以上に、交響曲形式としてはほぼ完璧にハイドンの次元に縛られている。第6番までの作品...個人的にはどの曲も素朴だがチャーミングで大好きなのだが....など、聴いたことがない人にはじめて聴かせたら「ハイドンの曲? 僕は「ザロモン・セット」以外の曲はほとんど知らなくて」などと言い出される確率はかなり高いだろう。
 何しろシューベルトはベートーヴェンの死の翌年に死んだ人である。ベートーヴェンという同時代のスターにあこがれ、刺激をうけつつも、学んだ曲の作り方は完全にハイドン時代そのままとしても仕方がない。もし歌曲が世に知られず、「未完成」と「ザ・グレート」という例外的作品が作られなかったら、シューベルトは、「ハイドン・シンパのそれなりにいい曲を書いた交響曲作家のひとり」というあたりの評価に落ちついたかもしれない。
 もしシューベルトの初期交響曲を聴いていない人がいたら、少なくとも第5番変ロ長調だけは聞いてみていただきたい。シューベルトにしかできない歌心に満ちながらも、完璧といっていいハイドン的な古典的様式感を持った逸品であることに驚かれるかもしれない。これほど「人なつっこい」交響曲は珍しい。

 しかしシューベルトは自分のそういう小市民的な気質にコンプレックスもいだいてしまうという宿命を持っていた。ベートーヴェンのようなドラマとパトスに満ちた大曲を自分も作りたい。「そのためならば歌曲の作曲なんてやめてもいい」とすら口走ることがあったのである。
 だが、どんなに真似ようとしても、シューベルトは、自分の中にある、人の歩むスピードでゆっくり歩む「等速の時間感覚」、まさにシューベルト歌曲お得意の「さすらい」の歩み、ドイツ語でいうところのwandelnの「時間感覚」が肌に染み着いていた。ベートーヴェンのような空間的飛翔感とほとんどバロック的と言える「伸縮する時間感覚」は体質にないものだったのであろう。例えば晩年のピアノソナタ第19番ハ短調は「ベートーヴェン的」とよくいわれる。なるほど、他の曲と比べると明らかにそうかもしれない。しかし、何か非常に基本的なところで「もったり」している。ベートーヴェンにある機敏さ、そしてここでいう「伸縮する時間感覚」の決定的な欠落のせいである。
 シューベルトぐらい、未完成の挫折した草稿が遺され、しかもその多くの断片それ自体が愛しまれて聴かれている作曲家は珍しい。あの「未完成」交響曲以外にも幾つもの「未完成」なピアノ曲や室内楽曲が名曲視されている。
  恐らくシューベルト自身には全くコントロールできないような形で、自我を突き破ってもう一人の悪魔的自分が噴出する瞬間があった。そういう時に書かれた曲は、習い覚えた曲の構成原理などまるで無視して一気に楽想として吹き出す。かなりの場合はソナタ形式の展開部の中途ぐらいで挫折する。運が良ければ特定の楽章ぐらいは、ものすごい凝縮した内容のユニットとして完成にこぎ着けられる。こうして生き延びた逸品が「未完成」交響曲であり、「四重奏断章」なのである。これらの曲では、ほとんどシューベルトの中の別の人格が曲を作っているのでないかといいたくなる不思議な自在さ、気紛れさ、めくるめくドラマがある。しかし、曲の構造分析をするならば、予想外に保守的な枠を守っていることがわかる。
 晩年のシューベルトは独特の開きなおりを見せる。さながら「曲が冗長になってもいい。俺はおれのペースで「歩く」んだ」と宣言しているかのよう。
 そうなった時、奇跡が起こる。もはや型にはまった形式の限界は放置されたまま、それでも異様な深みと心の陰影がデリケートに移ろう。
 こうして最晩年の長大なピアノソナタ、弦楽五重奏曲、そして、交響曲「ザ・グレート」という、シューベルトの器楽曲の至宝というべき作品群が生まれる。
 
 そしてまさにシューマンが「発掘」してこの世に送り出し、自身の第1交響曲「春」を書かずにいられなくなる起爆剤となったのがこの「ザ・グレート」である。第1楽章冒頭の金管の旋律や、第2主題の楽想の持つ雰囲気など、シューマンの第1交響曲のあちこちに、ほとんどあからさまな「ザ・グレート」の影響のあとがある
 だが、この二曲には歴然とした違いがある。それは、シューベルトの曲の方には、同一楽章内部でテンポを切り替えるための指示が、第一楽章の序奏と主部の転換点以外何もないということだ。私がこの曲と出会って以来の愛聴盤のカール・ベーム/ベルリン・フィルの演奏(独グラモフォン 419 318-2 シューベルト交響曲全集)など、第一楽章の内部だけでも、楽想が変わる度に実に細やかなテンポの変更が加えられていて、恐らくこの曲のドイツ伝統の演奏スタイルを見事に洗練させたものといえるであろう、まだ老いの陰がないベームの演奏の持つ味わいを私は今でも愛している。
 だが、しかしこの往年の名盤への最近の批評では、まさにこの「楽譜に書かれてもいないテンポの変化」という点が批判されることが少なくないようだ。ベームをはじめとするドイツの伝統的演奏解釈では、序奏部から主部に入るところで猛然とアチェレランドをかけ、序奏部よりかなりはやいテンポで演奏する主部へと「なだれ込ませる」ことが少なくないのである。一転、第2主題部に入ると、見事なセンスっでテンポを少し緩める。
  原典至上主義の現在ではまさにこの点が「恣意的」というそしりをうける。私からすると、ことシューベルトに限っていえば、本人自身が、楽想の変化に応じて、演奏者が自然とテンポをあげたりゆるめたりすることはむしろ当然のこととして期待していたと思うけれども。もとより恣意的でこれ見よがしな緩急の付け方はシューベルトの趣味ではなかったろう。山道を歩き、少し上り坂になったり、急に視界が開けたりしたら、自然と歩みのテンポが変わる...そのくらいのことはあたりまえのように期待していたろうということである。

 実をいうと、このように第一楽章序奏部から主部に入るときに、鮮やかなアチェレランドを期待して実際に曲を構成しているのはシューマンの第一交響曲の方である。一時期のドイツでの「ザ・グレート」解釈は、ひょっとしたらシューマンの交響曲の様式を、本来シューマンが手本にした「ザ・グレート」の方に逆適用したものではなかったろうか。ちなみに、既に述べたように、シューマンが自分の第1交響曲の特に第1楽章で「ザ・グレート」の楽想の影響をもろにさらしているあたりからすると、少なくともシューマンが頭の中で鳴らしていた「ザ・グレート」序奏から主部への「入り」は、猛然とアチェレランドさせていたのではあるまいか。シューベルト自身はいざ知らず、その発掘の功労者シューマン自身は「ザ・グレート」のアチェレランドを支持する御墨付きを出していた可能性は高いと思う。仮にそれが「シューマンの中にいるシューベルト」の判断に過ぎないとしても。

 いずれにしても、こと純粋器楽曲の分野で、曲の途中で刻々とテンポや拍子を速めたりゆるめたりなどという「はしたのない」ことを臆面もなく楽譜の中で繰り返し指示しているのは古典派ではベートーヴェンぐらいのものである。曲の途中で部分的に拍子を変えたり(「英雄」交響曲のスケルツォ楽章の再現部で唐突に挿入される二拍子の部分)、あるいは8分の6拍子と4分の3拍子のリズム構造を読み変えて、あたかも拍子やテンポそのものを急に切り替えたかのような、ヘミオラと呼ばれる二重のリズム構造を採用する・・・ちなみにこれはシューマンやブラームスになくてはならない得意技となる・・・とか、あの交響曲の歴史で一番論理的な構造物であるかに見える第五交響曲の第一楽章再現部で唐突に挿入されるオーボエのゆっくりしたカデンツァなど。
 スケルツォやメヌエットでトリオをまったく別のテンポや拍子にしてしまうように楽譜の上ではっきりと指示したのもベートーヴェンが最初ではないのか? モーツァルトの一部の協奏曲のロンド楽章にはそれに似た仕掛けもあるけれども、これはダイナミズムの変化というより接続曲的な舞曲のノリだろう。更に言うと、これらのダイナミックな伸縮がベートーヴェン後期のピアノソナタや弦楽四重奏でどれだけ縦横無尽に活用されるかは言うまでもないだろう。
 ベートーヴェンだけが時間の伸び縮みを意図的なダイナミズムの効果として狙っていたのだ。これはオーソドックスな古典派的音楽教育から出てくるものではなく、劇音楽や、むしろ時間を遡及してバロックの様式などから咀嚼したものだろう。何よりベートーヴェン自身が若いまだ耳の聞こえた頃はピアノの即興演奏の大家として有名だったのだ。

 どういうわけか、シューベルトメンデルスゾーンはこの手口を少なくとも純粋器楽曲の分野で使うことはほとんど全く控えてしまっていた(メンデルスゾーンには。意識的にバロックのオルガン曲に接近させた様式の器楽曲がかなりの数存在するようだが、未聴である)。いや、むしろベートーヴェンだけが突き抜けたことをし過ぎていて、二人はいくらまねようとしてもついていけなかったのだろう。この二人の音楽では、多少の自然な曲想の揺れば別として、あるフレームの中では等速に時間が流れるという前提で曲を書いていた気がする。
 「真夏の夜の夢」の序曲やスケルツォに代表されるメンデルスゾーンお得意の妖精のような軽快で饒舌なまでに音が多い音楽に至っては、むしろその等速の音響空間の中ではじめてその真価を発揮する
 メンデルスゾーンで曲の一部でテンポを不用意に揺らすと非常に安っぽく下品にしか聴こえない。「スコットランド」ですら、最近古楽器による演奏スタイルが見直されるまでは、メンデルスゾーン自身が要求したとはとても思えない厚化粧な演奏が少なくなかった気がする(例えばカラヤンやバーンスタイン)。メンデルスゾーンの交響曲を重厚壮大にやろうとするのは何か間違っている
 
 恐らくシューマンは、その音楽教育を受ける最初から、ベートーヴェンの業績を手本とすることが自然に可能だった最初の世代である。器楽曲の中で、頻繁にテンポや拍子や楽想を動かして曲のドラマを盛り上げるベートーヴェンのダイナミズムを素直に受け継ぐことになる(ついでにいうと、ベートーヴェン的な、小さな動機の徹底的な展開という技法もまた、シューベルト・メンデルスゾーン、シューマンの3人の中では文句なくシューマンが一番うまかった気がするのだが)。
 時代のロマン主義の更なる深まり、劇音楽の影響、そしてリストやパガニーニの即興的巨匠芸の影響、そして何よりシューマン自身に内在したむら気なまでの奔放な一面など、いろんな要素があったろう。だが、総合的に見て、ベートーヴェンの業績を一番まともに継承したのはシューマンだったのではないかという気がしてならない。もとよりシューマンは、それを古典的ソナタ形式に拘泥しない、別な形式的統一感のもとで生かすのである。

 シューマンの場合、交響曲等の構成的な作品では、その曲想変化に伴うテンポ上の指示などをかなり細かく書き込んでいる。第1・第4交響曲の第1楽章や 第4交響曲の終楽章の序奏部から主部に向けては、非常に芝居がかった緊張感あふれる「なだれ込み」を活用したし、また、逆に、むしろ曲や楽章のの終わりの方でかなり長めの静かでゆっくりした部分を確保し、余韻を込めて終わるやり方も好んでいる。「詩人の恋」の最後の曲のピアノによる長大なエピローグや、第一交響曲のスケルツォ楽章(!)のおわりのゆっくりした部分などは、ベートーヴェンすら思いもよらない手法だろう。
 しかし、シューマンにもまた、その奔放な楽想にもかかわらず、単なる技巧のための技巧を嫌い、表面的な華美さを嫌う独特のストイシズムが同居している。ゆえに楽譜に指定してもいない不要に大げさな表情をつけるとむしろ決然とした美しさを損なわれる場合も多い。恐らくこの点は、これから私が個々の作品の演奏を論じる上で一つのポイントとして行くであろう。

2.「交響曲全集」に入れてもらえない佳作

 さて、シューマンの作品について連載するにあたって、この、「序曲,スケルツォとフィナーレ」Op.52からはじめるなどというアイデアは、よほどのシューマン好きでも思いつかないフェイント攻撃であると自負している。シューマン通ならば、例えば私がいきなり「ファウストの情景」バイオリン協奏曲「ミニョンのためのレクイエム」Op.98b「楽園とペリ」Op.50バイオリンソナタ第3番交響曲第4番の第一稿とかからはじめても、「なるほどね」とニヤリとされて納得されてしまうかもしれない(笑)。ちなみに私は上記の曲のCDはすべて保有しているし、その中には何枚も集めている大好きな曲もあるので上記の中の幾つかは遠からず登場させるつもりである。

 私は何もマニアックな曲を選んだつもりはない。それどころか、シューマンの中でももっとも親しみやすい曲の一つとしてこの曲を推薦するのである。ところがシューマンの交響曲を高校時代から大好きだったこの私が、この曲だけは実にほんの2年ぐらい前まで実物を聴いたことがなかったのである。交響曲第4番の第一稿すら以前から何通りも聴いていたのにである。何しろ交響曲ト短調断章(ツヴイッカウ交響曲)という未完の習作の方が先に聴けたくらいである。 「序曲、スケルツォとフィナーレ」は、ある時期まで、そもそも輸入盤を含めたCD屋で全く姿をみかけなかったのだ。

 それをついに聞けたのは、偶然見た教育テレビでのサバリツシュ指揮のN響ライブでやってくれたからである。聴いて(見て)みて、あまりに素直にいい曲だと思えてしまったので、シューマン交響曲マニアを自負していた私にとって、この曲をそれまでの人生で知らないままでいたことが残念でならなかった。そしてこの曲の国内盤が皆無な状態を生み出した日本のレコード会社全体を呪詛した。
 だが、ちょうどそのころから、それこそ一度発売された音源ならどんなにマイナーなのでもCDになってしまうという傾向が進んでくれたおかげで、徐々に店頭で輸入盤の形ならばこの曲が手にはいるようになった。
 ただしこの「輸入盤の形でなら」というのが私に日本のレコード会社を更に呪詛させる要因となる。もとより私は東京在住なので石丸でもタワーレコードでも通勤帰りに行ける。日本語の解説が付いてるより安いのが嬉しいというタイプであるから手にはいるのが輸入盤で大いに結構である。

 問題なのは、次の点だ。この曲は得てしてシューマンの交響曲全集の2枚組か3枚組の余白についてくる。シューマンの交響曲全集ならひたすらコレクションする私なのでそのことはかまわない。ところが、その同じ輸入盤と同じ内容のものが国内盤で出る(出ている)場合、この曲がカットされている例がいくつかあったのである。シューマンの交響曲全集の代表的名盤とされてきたサバリッシュ/ドレスデン国立管弦楽団盤しかり。廉価版で出たインバル/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団盤しかり。
 更にいえば、例えば天下のカラヤン/ベルリンフィルやショルティ/ウイーン・フィルがシューマンの交響曲全集を録音して最初にLPで発売された当時、ちゃんとこの曲も収録されていた事実が判明すると、どうしてCD化の際に省略したんだと言いたくなってしまった。たとえマイナーな曲でも、カラヤン/ベルリンフィルの録音があるのならば出してくれてもいいではないか。カラヤンのシューマン全集は世間の評価は今一つかもしれないが、私個人は少なくとも2番と3番は名盤の中に加えてあげたいと思っている。この「序曲、スケルツォとフィナーレ」にもカラヤンのがあるなら聴きたいよー、どうしていつもこうシューマンの交響作品は虐待されるんだ、どうせ僕なんてこの世に生まれてこなければよかったんだ・・・などと、不敏なこの曲に思わず同一化してまったのであった。

 「シューマンに似ている」と言う宣伝に釣られてベルワルドと言うスウェーデンの作曲家の交響曲全集すら買ってしまった私である。でもこの曲の方がまだしもベルワルドよりも幅広い聞き手の耳を喜ばせるだけの魅力に満ちていることは明白に思えた。
 「CD二枚組で収録すると収録時間が足りなくなるんです」などといういいわけは通用しない。現に輸入盤の方では二枚組でこの曲を余白に納められているではないか。別に三枚組にすることを強制する気はない。中には交響曲4曲の演奏時間が長めで本当に二枚組の余白に収録不可能な演奏もあるかもしれない。しかし、その後、国内盤の新譜で最初からこの曲を全集の2枚組の余白に入れられている新しい演奏が出てきたりすると、要は「この曲はマイナーだから関心を引かないだろう」というレコード会社の思いこみに原因があるとしか言いようがなくなってくるのである(これはインターネットでたまたま読んで下さっているレコード会社のクラシック担当の人とかがいてくれれば助かると思いつつ書いてること)。
  
 私の思いは天に通じた。何と問題のカラヤンのこの曲のCDが輸入盤でならば出ていること偶然気がついたのだ。しかもそれは全集の余白などではなく、何とプラームスの交響曲第1番のベルリン・フィルとの一度目の録音の余白に収録という、予想もしない形で出ていることに偶然店頭で手にして気がついたのだ。更に、ショルティ/ウイーン・フィルの演奏に関しては、スッペ序曲集とのだきあわせというこれまた予想外の形で、これはいきなり国内盤で出てくれた。その後、最新盤のシノーポリ/ドレスデン国立管弦楽団の演奏に至るまで、徐々にこの曲のCDは国内盤水準でも増加しつつあり、この曲を私は今や10種類近く保有しているのである。

 それでも、バーンスタインやレヴァインの全集をはじめとして、この曲をそもそもシューマン全集録音の際に録音しないアーチストが少なくないようである。全集の余白に何か入れてもたいてい「マンフレッド」序曲「4本のホルンのための小協奏曲」Op.86止まりで代わりにこの曲にするという発想はまだ珍しいようだ。
 ホルン小協奏曲は珍しい編成だけど演奏効果も高くて楽団のホルン奏者全員が目立てて喜ぶかもしれないので常任指揮者になったばかりの指揮者が録音すると御利益があるかもしれない、というのはジョークで、室内楽の名曲、「アダージョとアレグロ」Op.70と並んで、作曲当時楽器が急速に改良され高性能化が進みつつあったホルンという楽器のためにシューマンが遺してくれた、ホルン独奏のための数少ない名曲と思いますから、これが全集の余白を埋めるためによくチョイスされることは好意的に受けとめましょう。
 「マンフレッド」序曲も、もしそれが名演奏ならば私も無茶苦茶好きだけれども、正直言ってこの序曲を本当に効果的に演奏するのは至難、よほどのシューマン好きでないと、このひたすらネクラな情念が徘徊するような曲を、普通のクラシックファンはうっとおしくて遠ざけるだけとおもうわけです。

 むしろ「マンフレッド」の正反対、ひたすらさわやかでキュートなこの「序曲、スケルツォとフィナーレ」の方が一服の清涼剤として喜ばれること請け合いだと思うのですが。

     


   
     
3.もとはといえばシューマンの命名がよくない?

 
しかし、そもそもこの佳曲をマイナーにしてしまったのはシューマン自身が悪いのである・・・・などと、矛先を元も子もなく急展開。
 曲自体はすごくいいんです。ある意味では4曲の交響曲より幅広い層にウケてもおかしくないくらいの、いい意味での大衆性がある。個人的には、この曲には、
「シューマンの”アイネ・クライネ・ナハトムジーク”」というキャッチフレーズを与えたい。モーツァルトの「あの」曲は、とらえようによってはモーツァルトの後期の6大交響曲より親しめるばかりか、内容的に見てもセレナードとしては異様に引き締まったシンフォニックな構成力の確かさがある。つまりモーツァルトの交響曲よりすごい名曲とすら言える。シューマンの交響曲とこの曲の関係にも似たようなところがある気がするから。
 問題は、「序曲、スケルツォとフィナーレ」という何とも愛想の悪い曲名をシューマンが最終的に選択したところにある気がする。これじゃまるで、「通常なら第二楽章にあたる遅いテンポの楽章を作り損なって残りの三つの楽章のみが遺された、交響曲の未完のトルソ」みたいに思いこまれるではないか。

 事実はそうではないのだ。(やっとまともにこの曲そのものの解説をするぞ)。

 この曲は、シューマンが例のシューベルトの「ザ・グレート」交響曲を発見し、雑誌で紹介してメンデルスゾーンに初演までさせたのをきっかけにして「自分も交響曲を作ろう!」と丸一年燃えに燃えた、いわゆる「交響曲の年」、1841年に、第1交響曲「春」の完成と初演の成功の余勢を駆って、引き続いてはじめられた新たな2つの交響曲作曲の試みのうちのひとつなのだ(もう一つの試みが後に改訂されて第4交響曲となった曲の第1稿)。
  実際この「序曲、スケルツォとフィナーレ」という曲には、シューマンの4つの交響曲の中でも第1交響曲にしかない、あのさわやかさと素直な素朴さのエッセンスを抽出して、シューベルトの「ザ・グレート」からの影響とか、最初の交響曲故の力みみたいなものを全部捨象して純化するとまさにこうなりますと言いたくなるところがある。だから、第1交響曲を既に聴いていて好きな人ならば、ちょうどキュートな妹分ができるみたいなものだから絶対に気に入る(長年つき合った姉貴から妹に心がわりするかもしれぬ)。
 ところが、そうやって前作のエッセンスだけを純化してサラサラサラッと書いてしまったものだから、気がついてみると、「交響曲」と名付けるにはコンパクト過ぎる。敢えて遅い楽章をもう一つ書くのも何か不要に思える。シューマン自身タイトルには困ったらしい。「第2交響曲」「組曲」「シンフォネッタ(小交響曲)」などの案を立てたらしい。でも最終的には、現在の、一番説明的で愛想の悪い「序曲、スケルツォとフィナーレ」としてしまう過ち(?)を犯したのである。
 私に言わせると、せめて「シンフォネッタ」としておけば、ヤナーチェクの曲の次に有名ぐらいには今でもなれていたかもしれないと思う。私が最初から命名するならば、どことなくエルガーの弦楽セレナードに通じるインティメートな魅力もあるので、「管弦楽のためのセレナード」というのはどうかと思う。この世の中には通称と作曲者自身がつけたタイトルが別という曲はいくらでもあるから、天国のシューマンが許してくれるならば、このインターネットをきっかけに全世界にこの名称を提案しよう!(英語版もないのに?)。
 そういえばドビュッシーの初期の作品に「小組曲」という何ともキュートでかわいい3つの曲でできたピアノ連弾組曲があり、ビュッセルという人の編曲でオーケストラ版も作られ、誰もが絶対CMとかを通して繰り返し耳にしているはずである。その曲にも通じるピュアーさがある気もする。
 そういえばシューマンはこの頃クララとの新婚ホヤホヤだったはず。ここまでシューマンが管弦楽でひたすら希望に満ちた楽しい曲を書いたことはこれきりなのは当然かも。ここには、後年の「ライン」交響曲のような、一見明るい晴れやかな中に秘められた深い屈折と葛藤は微塵もない。

4.各楽章の構成

 
だからこの曲は、1.序曲、2.スケルツォ、3.フィナーレ・・・以上3つの楽章からできています・・・・と、これだけでは説明になってない!

   1.序曲

 アンダンテ・マ・コン・モート、ホ短調 4/4拍子のあまり長くない序奏にはじまります。最初のバイオリンの静かな動きの下の方から突然チェロが一発カマしてくるあたりは一瞬ゾクッとして根のクラいやっちゃと思うかもしれませんが、シューマンのオーケストラ曲の短調の緩やかな導入部を持つものの中では一番深刻味がなくて、むしろ甘美なものが支配的という気もします。
 でも、この序奏がそんなに延々続かない内に、あっさりと明るくて快速な主部が始まります。この作品がクラいのはここまでです。
 主部はアレグロ ホ長調 2/2拍子。いよいよ軽やかでインティメートなセレナードの幕開けです。こうやってシラーッとさりげなく弾むリズムで脇の方から入って来るみたいに曲の主部をはじめるのはピアノ曲とかでシューマンお得意の口説きの手練手管です。
 曲は簡潔なソナタ形式を取って、提示部-展開部-再現部と進みますが、シューマンが交響作品でこんなに肩の力を抜いた簡素な形式で「第1楽章」を書いたことは他にありません。これを作ってしまってから「交響曲」をイメージさせるタイトルをシューマンが結局つける決心が付かなかった気持ちも分かります。後続の二楽章はそんなに軽すぎると感じずにすむだろうから。

 シューマンにとっては、結局交響曲というのはベートーヴェンの曲のようなホットで力みかえったものでないとならないという先入観が抜けなかったんでしょうね。ブラームスが第1交響曲であそこまで力んでしまっても、その余勢を駆ってサラサラと作りはじめた第2交響曲では、あっさりと静かで女性的で肩の力が抜けた優しい作品になって、「それでもこれも交響曲」と開き直れたのとはずいぶん違う(あっちは大曲ではありますが)。
 いずれにしても、この曲、深刻ぶったり力んだりしなくてよかったから、弦楽合奏が完全に中心、木管も彩りの一部、金管楽器はあくまでも隠し味度に控えめに使っている。こんな淡泊であっさりしたオーケストレーションは他の交響曲や管弦楽曲ではシューマンはやれていない。このくらいヘルシーにしていれば、「シューマンの管弦楽法は音を重ねすぎて効果的ではない」とかいう例の陰口たたかれずに済んだろう。でも「こんな」曲ばかりは作れず、新婚直後の幸せな時期が過ぎるとまたもや暗い情念との戦いに帰っていき、ついには力尽きるあたりはシューマンの宿命なのかも。
 ・・・さて、再現部が終わると、曲はリズムパターンを変えてウン・ポコ・アニマートと少しだけギアチェンジ、更に快速の軽やかで喜ばしい終結部に入ります。この、実に気持ちのいいシャキシャキッとしたリズム感こそが、前期のシューマンが「ゴキゲン」な表情を見せるときの最大の魅力でしょう。
  この終結部のラストのラストでは、少しだけオーケストラ全体に大見得を切らせて「交響曲」っぽく終わらせるのですが、ほんとうに終わる直前、フッとゆるめる部分があります。まるでスカートの両裾をつまんで少女が「おじさま、それではとりあえずお席をはずさせて頂きます」みたいにしゃなりと柔らかく「しなを作って」いく。このあたりもシューマンのニクイニクイ常套テクなんです。

 

   2.スケルツォ

ヴィーヴォ 主部 ホ長調 6/8拍子-トリオ 変ニ長調 2/4拍子

 シューマンお得意の付点音符のついた弾むリズムのスケルツォ。少しだけほの暗い響きで始まりますが、そのうちに日差しが差してきて・・・またシューマンの手口である。何かブラームスの「大学祝典序曲」の冒頭のつぶやくような語り口にもにています。
 中間部のトリオでは二拍子系の平明な短いメロディが最初は木管で出て次々受け渡されていきますが、受け渡される度に、一見単純なメロディをただ繰り返していると見せかけて、非常に新鮮な方向に和声が刻々移ろうという仕掛けがしてあります。これはかの「トロイメライ」でシューマンが使っているのと同じ仕掛けです。
 もう一度主部の弾むスケルツォが少し圧縮されつつも型どおりに回帰し、更にもう一度トリオに手短に回帰したあと、スケルツォが同じテンポで戻るはずのところで、そのまま終結部に入り、ここまでの主要な旋律の断片が緩やかなテンポで回想されます。
 実はスケルツォ楽章の終わりの方でこのような、何らかの意味で安らいだ静かな部分が入るというのは、他のシューマンの交響曲や室内楽曲のスケルツォ楽章でも見られる独創的な手口ですが、特にこの作品には遅い楽章がないので、ここで一息つくと、次の快活な終楽章とのコントラストが生えると言えるかもしれません。ダンスを終えた女の子が「今度こそホントにおいとましますね」と、第一楽章の終わりの時より更に丁寧にしなを作るとでもいいますか。
 ただし、この遅い部分は軽やかにさりげなくやるのがいいのであって、べったりと表情を付けて止まらんばかりのテンポまで落とす演奏解釈は、シューマンの様式をわかっていない恣意的な味付けだと思います。

 

   3.フィナーレ

 アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ ホ長調 2/2拍子 ソナタ形式

 曲は家の中庭から外の広い野原へと一気に駆け出す。
 オケ全体の総奏による力強い和音の柱が2つ投げつけられるのに続いて、まさにこの曲の白眉としかいいようがない、素晴らしい快活さのさわやかでリズミックなカノンがまずはバイオリンからはじまり、次々別の楽器にバトンタッチされていく。ひとつ新しい声部が重なる度に、言い様のない幸福感がどんどん広がっていく。
 その音の重なりが一つの頂点に達したとき、今度は突然思いも寄らないほど流麗でチャーミングな、歌う旋律が、第2主題として、何とも人なつっこくまとよりついてくる。私など、この瞬間は何度聴いてもゾクゾクさせられる。
 短く簡潔だが素朴な力強さを秘めた展開部のあと、またあの何とも心うきうきさせる楽器間の対話が再現部で帰ってくる。
 そして、終結部。ここまでの主題が、ちょうど倍に引き延ばされたゆっくりした形で、最初は高らかなファンファーレの形で、後半はしみじみと柔らかく、もういちどだけ歌われる。何ともなつかしい風情を漂わせて帰ってくる。特に第二主題の歌うメロディがしみじみと回帰する瞬間、至福の境地に酔える人は少なくないのではなかろうか。
 曲は最後にもう一度元のリズムに戻り、あくまでも快活に、でもどこか不思議な名残惜しさを感じさせつつ、余韻ある輝きの中に終わる。何かここには、「となりのトトロ」のエンディングが流れ出す瞬間と共通するような至福がある。

 こうして克明に曲の流れを解説していて再び思った。
ロベルト、どうしてこんなチャーミングな素晴らしい曲に、あんな野暮なタイトルを付けたんだ?


  
     
5.私が持っているこの曲のCD(98/03/29増補改訂)

1.サバリッシュ/ドレスデン国立管弦楽団 (英EMI 7 64815 2/シューマン交響曲全集)

2.ヤルヴィ/ロンドン・フィル(英シャンドス CHAN6548/シューマン序曲集)

3.ヴィルトナー/ポーランド放送交響楽団(香港ナクソス 8.550608/シューマン序曲集)

4.カラヤン/ベルリン・フィル(独グラモフォン 431 161-2/ブラームス交響曲第1番)

5.シュヴァルツ/シアトル交響楽団(米デロス DE 3084/交響曲第1番/ホルン小協奏曲)

6.レパード/インディアナポリス交響楽団(米コス KC-2213/「ゲノヴェーヴァ」序曲/交響曲第1番)

7.グッドマン/ハノーヴァー・バンド(米BMG 09026-91931-2/交響曲全集)

8.マリナー/シュトゥットガルト放送交響楽団(独カブリッチョ  10 063/交響曲第1番/「マンフレッド」序曲)

9.マズア/ライプチヒ・ゲバントハウス管弦楽団(米BMG 74321 34172 2/交響曲全集/「ヘルマンとドロテア」序曲)

10.シノーポリ/ドレスデン国立管弦楽団(グラモフォン POGC-1932/3 /楽園とペリ)

11.インバル/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(蘭フィリップス 426 186-2/交響曲全集/「ツヴィッガウ交響曲」)

12.ショルティ/ヴィーン・フィル(ロンドン POCL-9570/スッペ・シューマン序曲集)

13.コンヴィチュニー/ライプチヒ・ゲバントハウス管弦楽団(独ベルリン・クラシックス 0320 016/交響曲全集/序曲集/ホルン小協奏曲)

 順番は一応推薦順とみなしていただいていいです。

 1.サバリッシュの全集はシューマン交響曲の定番といわれていますが、少し洗練させ過ぎで(受け取りようによればカラヤン盤以上にカラヤン的)、食いつきが今一つと感じることがあります。ドレスデン・シューターツカペレを使った割には録音が少し外面的かなという気もします。残響がお風呂場みたい。が、これはCD化の際のマスタリングの問題もあるのではないかと思う。ただ、この曲に関しては総合的に見て一番熟した演奏という気はします。ただし、国内盤のシューマン全集には入っていない!

 2.突如発掘できた意外な伏兵。ヤルヴィ盤には驚いた。録音は超優秀ハイファイ録音。繊細でクリアーで透明でダイナミックレンジが実に広い。演奏も細部まで磨き抜かれた全く隙がない、超正統派・完璧な完成度である。この曲としては立派に演奏しすぎているのではないかというくらい。正直に言って私はヤルヴィという指揮者を、CDはやたらと作るけれども決定盤に推したくなる演奏がない指揮者と思っていた。しかしこの演奏を最初に聴いたとき理屈抜きに圧倒された。あわててサバリッシュ盤を聴き直したのだが、録音・演奏ともに驚くほどそっくりなのである。ただ、微妙な楽器間のバランスや歌い回しという点でサバリッシュ盤の方がわずかに一層のコクがある。ただその差は実に微妙なものである。ここに至り、むしろサバリッシュがいかにドイツの伝統に寄りかからずにインターナショナルで清新な演奏を心がけていたのかがよくわかった。「ドレスデンらしくない」印象はむしろそれだけサバリッシュのコントロールが凄いということでもある。そしてそのサバリッシュにここまで肉薄できる演奏をヤルヴィがロンドンのオケで生み出せた。シューマンにドイツ的な重厚さとか霞がかかったような味わいを期待しないでいい人にとっては恐らくこの演奏こそが最も完璧と映るだろう。メジャーレーベルにはこれより遥かにおざなりの微温的な水準の演奏や録音で良しとしている「有名指揮者」が五万といる。欠点は「シューマン序曲集」と銘打ちつつもこの曲の外に序曲が比較的入手しやすい3曲のみ(後述のヴィルトナー盤は6曲)、CD全演奏時間がわずか47分という点。ただしその3曲の序曲も、曲をワーグナーの前奏曲のスケールで聴かせてしまう名演揃いである。シューマン好き必聴の隠れた特選盤としたい。

 3.ヴィルトナー盤は大穴。何しろナクソスだから安い。まあ、スケルツォの終わりは減速し過ぎかもしれないけど、むしろそれを気に入る人もいるだろう。その他の点では演奏もすごく素直で流動感もあり、好感が持てる。実は私が普段一番聴い来たのはこの演奏です。一緒に入っているのが、ひょっとしたら現在世界で唯一のほぼ完璧なシューマン序曲集(この序曲集に入っていないシューマンの序曲は他に「祝典序曲」Op.123のみ。シューマンの序曲についてはいずれ「全曲」取り上げます)というあたり、よほどのシューマンおたく向けの、何とも渋い選曲ですが、店によっては1000円以下で買えますので。唯一イライラするのは、なぜか3楽章全体をまとめてひとつのトラックにしてあること。私の大好きなフィナーレだけを一発呼び出しできない!

 4.そして問題のカラヤン盤。流麗でクリィミーな響きの美しさという点では最高。楽団の格の違いを感じる。ただ、少しだけ芸が細かすぎるかなと思う部分もある。変なところでじっくりテンポを落としたりもするし。でも一般にはこの演奏が一番ウケそうな気もする。もっともフィナーレの提示部の反復はして欲しかった。既に述べたように全集盤には入ってないので探すのに意外と苦労するかも。カップリングのブラームスの1番はカラヤンの同曲演奏では個人的には一番素直で好きです。廉価版だし、その意味ではお薦めですね。

 5.シュワルツ盤も、かなりの穴です。ここでの録音はナチュラル、むしろヨーロッパ的にシックで飾り気がないけど繊細なのが実にいい。その点ではサバリッシュ盤がこの音ならいいのにとおもってしまう。演奏は特に個性的ではないのだけれども、ともかくキチンとまとめていて好感度は極めて高いです。曲を聴くならばこれが一番いいかも、ただし容易に入手できるのかな?

 6.レパード盤もなぜか録音も解釈もシュワルツ盤と似ています。アメリカの地方オケの方がヨーロッパ的な古風な響きを録音面でも解釈面でも手抜きなく演出できているのは妙なものです。ただ、旋律をここぞというところでのびのびと歌わせるという点ではシュワルツ盤の方が壺を得ている気がしたので順位はこうなった。ちなみに「コス」レーベルとはヘッドフォンで有名なあのKOSSのことです。ここがレコード制作もしているとは全く知らなかった。タワーレコード渋谷店は思いもよらないものを置いてくれている。恐らくこのCDはかなり日本での入手は難しいのではないかと思います。

 グッドマン盤は国内盤でも出ています。確かノリントン盤に続く二番目のオリジナル楽器によるシューマン全集。この「序曲、スケルツォとフィナーレ」に関してはオリジナル楽器の風通しのいい音は非常にフィットします。実に気持ちがいい。新しい録音でもありますし。カップリングの交響曲の方は少しだけ食い足りないですけども。

 8.マリナー盤は演奏そのものはマリナーの入れた一連のシューマン録音の中では平凡なものだと思います。しかし、この音色の魅力はたいしたもの。何ともサラサラとした透明感のある音。録音は「ひたすらさわやかでキュート」です。バイオリンの倍音成分のあたりに不思議なフェロモンがあって脳髄をくすぐる。こんな何の陰もウエットさもない淡泊で清潔でヘルシーでベジタリアンみたいな音はシューマンではないという人もあるかもしれませんが、私自身は、このようなピュアーな音質でサラサラと演奏した時はじめて引き出されるシューマンの魅力というものがひとつのスタイルとしてはあってもおかしくないと以前から夢想していたのです。その音がまさにここに実現されているという感じなので、「こんなのも悪くないな」と妙に味方してしまいます。シューマンはほんとうはこういう軽やかな「天上の音色」を心の中では聴いていたのかもしれないと。

 9.マズア盤は交響曲全集の旧盤に付いているもの。交響曲全集としては、同じゲバントハウスを振った後述のコンヴィチュニーに比べると、録音はいいものの、何か醒めた演奏という気もするが、基本的には同じ傾向で、ドイツの伝統的などっしりとしたスタイルを踏襲、こちらの方が端整で楽しめるという人もあるだろう。この「序曲と……」に関していえば、序曲は後述のコンヴィチュニーのようにもったりしてはいない点はいいが、スケルツォは、丁寧ではあるが少し醒めすぎている気はする。フィナーレは快速で無難にまとめている。あとひとつ夢が欲しいなあという思いはあるが、全体として悪い演奏ではない。

 10.録音の新しさという点ではシノーポリ盤が一番。国内盤も出たばかり。その意味では今は入手しやすいだろう。ただしこれは先に出た交響曲全集ではなくて、カンタータ「楽園とペリ」などという一般の人には未知の大曲と組まれているので、シノーポリなら何でも買いますという人や私のようなシューマンおたくはともかく、「序曲、スケルツォとフィナーレ」を取りあえず聴いてみたい人のためには大冒険となる。フィナーレの部分、少し表現がスタティック過ぎて、もう少しピチピチしたものも欲しくなるが、解釈自体としては明快で現代的で筋は通ったものがあると思う。この演奏で十分満足という人も少なくないだろう。ただ、何か妙に響きに潤いと余裕と厚みと解け合いが乏しいのはどういうことだろう。妙に痩せぎすでこじんまりとした印象はどこから来るのか。単に録音のせいなのか。それとも、ひょつとしたらドイツ統合後のドレスデンのオケ、サバリッシュ盤の頃より練り込みが落ちているという可能性もあるのか。私はそもそもシノーポリ/ドレスデンの組み合わせにピンときたことがありません。正直に言ってヤルヴィ盤を聴いてしまうと果たしてどちらが名指揮者なのかすら判断に苦しむことになるのではないかと。これが単にシノーポリと楽団の現時点での相性の問題にすぎないことを祈ります。互いの個性を殺し合う形になっていないか? ウイーン・フィルとの第2交響曲は確かに新鮮な演奏だったから。

 11.インバルの演奏は、オーケストラそのものの響きの練り込みが少し不足かと思う。若い頃のインバルの解釈そのものは少しそっけないかなとは思いますけど、曲を知る上では十分でしょう。他にマリナー盤ぐらいしか出ていない、初期の習作交響曲が聴けるメリットもある。ただし、国内盤の廉価版での全集では交響曲以外のすべての曲が切られました。

 12.スッペ序曲集などという思いも寄らないものと抱き合わせで国内でも廉価版でリリースされたショルティの少し古めの録音は、当時のショルティの、たとえ相手がウィーンフィルであろうとお構いなしの力尽くで直情な演奏スタイルがどうしても気になる。どうしてこの曲でフォルテの部分をこんなに肩いからせないとならないのか。ただ、少しでもおとなしい演奏が嫌いになりそうだという人は、最初からこの盤を選ぶのも一つの手かもしれない。私からするとこの演奏、かなり牛刀で鶏口を・・・なんだけど。

 13.コンヴィチュニーは、私が高校時代にはじめてシューマンの交響曲に接するきっかけを作ってくれて以来、ことシューマン演奏に関しては特別な愛着の対象で今もあり続けているのだけれども、この曲に限っては、特に第1楽章の何とも「もったり」した語り口が、この曲に本来必要な軽やかな流動感を殺している気がしてならないのです。聞き込んでくるとこれはこれで味があるのですが、ファーストチョイスとしてはどうかと思います。他の演奏とは歴然と異次元というあたりはおもしろいんですが。交響曲全集自体は、録音は古めになりましたが、ドイツの香りムンムンの超名演だと今も思います。

ロベルト・シューマンの生涯について

Schumann1     

 作曲家への道

 ロベルト・シューマン Robert Schumann は、ウェーバー・シューベルト・メンデルスゾーンと並ぶ、ドイツ・前期ロマン派の代表的な作曲家である。
 ロベルトは、まだベートーヴェンやシューベルトが在世中の1810年、ツィッカウで出版業を営む父アウグストと母ヨハンナのもとに生まれた。小さい頃から音楽的才能を示し、12歳の頃には自己流でオーケストラ付きの大規模な合唱曲すら作曲していた。
 家族の勧めもあり、ライプチヒ大学の法科に進むが、文学やちょうど死去したばかりのベートーヴェンやシューベルトの音楽への情熱は抑え難く、当時著名なピアノ教師、フリードリヒ・ヴィークの門をたたく。このヴィーク家の娘、クララは、シューマンと出会った時、まだ10歳に満たない少女であったが、現代でいえば「ステージ・パパ」そのものの父親のフリードリヒの手ほどきを受けて、天才少女ピアニストとして有名になっていく。
 シューマンは、当時「悪魔のバイオリニスト」といわれたパガニーニの演奏を聴き、その超絶技巧をピアノで表現できるピアニストになることをめざす。だが、指に器具をとりつける無理な練習をした結果、指を痛め、ピアニストを断念、作曲家を目指すようになる。(なお、この指の機能障害については、放蕩の果てに感染した進行麻痺(梅毒)の初期症状ではないかという研究もある)

Schumann2

ロベルトとクララ



     許されぬ恋の結晶

 次第に成熟していくクララとの間に愛が生まれる。二人は結婚を望むが父親のフリードリヒは頑強に反対。遂には訴訟沙汰となる。しかし、この裁判がシューマン・クララ側の勝訴に終わり結婚に至る1840年までの数年に及ぶ緊張した恋愛関係は、シューマンの創作意欲をかき立て、今日一般にシューマンの名作として「幅広く」知られる諸作品の実に大半を、あふれるような勢いで生み出す原動力となる。
  すなわち、ピアノ曲でいうと、、ピアノ学習者がその「かっこよさ」に自分も弾けたらと一度は憧れるという小品「飛翔」を含む「幻想小曲集」Op.12、「交響的練習曲」Op.13、超有名曲「トロイメライ」を含む「子どもの情景」Op.15、「クライスレリアーナ」Op.16、 「幻想曲」Op.17、「アラベスク」Op.18など、あるいは歌曲集「女の愛と生涯」Op.42、「詩人の恋」Op.48など、すべてこのクララとの結婚までの恋愛期の作品である。
 シューマンが熱烈な感情を込めて曲と共にクララに送った手紙の数々が今も残されている。シューマンのピアノ曲は、まさに名ピアニストでもある愛するクララに弾いてもらうという前提で書かれていく。そこには、「アベック変奏曲」Op.1にはじまる作品番号1桁台の、それはそれで非凡ではあるピアノ曲にすらまだ見られなかった、壮絶な実存的燃焼度が込められているのである。

  ここからしばらく、シューマンの伝記を追うことから離れて、この時期のシューマンのピアノ曲の位置づけについて考察してみたい。
 純粋に独創性と同時代の水準からの離脱度という点からすると、シューマンのピアノ曲はショパンやリストより際だってすらいたのではないかと、私は思う。シューマンの特にこのクララとの恋愛期のピアノ曲は、例えばメンデルスゾーンの「無言歌集」と同列の、詩的・文学的なタイトルがついた単なるロマン的小品集として捕らえられがちかもしれない。
 しかしシューマンのピアノ曲集は単なる小曲の花束ではないのである。個々の部分は、いわばソナタのひとつひとつの楽章のように、全体を有機的に構成するように実に周到に配慮されている。
 
  「幻想小曲集」「クライスレリアーナ」「謝肉祭」Op.9,「子どもの情景」などは、曲集全体をひとつの有機的構造体として構成する集約度において、ピアノソナタ並に高い。このような構成的な「ピアノ曲集」というものに歴史上はじめて成功したのはシューマンといっていいだろう。
 一応「主題と幾つかの変奏」という形式であるかに見える「交響的練習曲」ですら、聴いた上での実感としては「謝肉祭」「クライスレリアーナ」等と非常に近い「ピアノ曲集」形式として聴こえてくるのも興味深い。
 こうした有機的「ピアノ曲集」形式の直接の先駆は、ベートーヴェンが晩年に書いたバガテル集Op.124の、単なる小品集を越えた全体の構成力や、シューマン自身評論の対象としたシューベルトの二組の「即興曲集」があげられるかもしれない。もとよりシューベルトの即興曲は、シューマン自身が推定したとおり、古典派のピアノソナタに近く、シューマンの曲集のような、せいぜい3,4分の曲の連鎖の中で次々とギアチェンジしながらドラマが展開していくような「ジェットコースター性」はない。シューベルトに崇拝に近い感情を抱いていたシューマンではあるが、実の所この二人の「時間」についての感覚は根本から異なる気がする(この「時間」感覚の違いについては、後続の交響作品についての分析の中で、シューベルト、メンデルスゾーンとシューマンの比較論として詳しく取り上げるつもりなのでここでは割愛したい)。
 メンデルスゾーンの「無言歌集」は、好きな数曲を任意に選んでどんな順序で演奏してもいいだろう。ショパンすら「24の前奏曲」を唯一の例外とすると、このような構成力の強い組曲風の作品はひとつも書いていない(私は24の前奏曲は全曲通して演奏してはじめて本来の意図が伝わる作品だと信じる。その点ではまさにシューマンのピアノ曲集に近い)。リストに至っては、たとえば「超絶技巧練習曲」を全曲通して弾く必然性は何もないだろう。
 このような、単なる小曲の束ではない「ピアノ曲集」形式の、シューマン以降の後継者探しにも実は苦労する。まず思い当たるのはムソルグスキーの「展覧会の絵」ぐらいであろうか。この後は更に時代を下って、印象派のドビュッシー・ラヴェルの傑作群まで待たねばならない。
 結局、盛期ロマン派時代において、この「ピアノ曲集」形式はまさにシューマンの独壇場の世界というのに近いだろう。(念のためにいうと、シューマンの場合でも、ただの小品の寄せ集めに近いピアノ曲集もたくさんある。ただしそうしたものの多くは、前述の作品たちに比べると次席の位置を占めるに過ぎない作品群だろう)。
 
 おもしろいのは、シューベルトにしろ、シューマンにしろ、「ビアノソナタ」という形式的枠組みを意識的に取ろうとすると逆にぎこちない構成力しか発揮できなかったということである。シューベルトの「即興曲集」や「さすらい人幻想曲」、シューマンの「幻想曲」や「ヴィーンの謝肉祭の道化」Op.26の方が、彼らが「ビアノソナタ」の名のもとに作曲した作品よりもはるかに「ピアノソナタ」っぽい自然な構成感を持つと感じる人は実に多いはずである。
 もとより、構成的には冗長以外の何者でもないシューベルトのピアノソナタの中に、あの最後の第21番に代表される、実に不思議な魅力に満ちた深みのある傑作がいくつもあることは、私も認めるつもりである。しかし、シューマンのピアノソナタにシューベルトの上質のピアノソナタを越える価値を見出すことは困難だろう。シューマンの場合、前述の「ピアノ曲集」と同じ、生涯で一番生産性の高い時期にピアノソナタを3曲とも作曲しているのだが、奇妙に形式に縛られた不自然さがつきまとい、一般にはあまり成功した作品とみなされていないのである。まあ、構成を極度に切り詰めたピアノソナタ第2番Op.22は「かなりの線」とは思うが、「クラリスレリアーナ」や「交響的練習曲」の超天才性があるかといえば、結局、既成の形式の中に自分を押し込めた窮屈さから抜け切れていないというしかなくなるだろう。
 もとより、実のところ、ピアノソナタという形式をとことんプラスに活用して創造性を最高度に発揮出来た作品を書いたのは、実はベートーヴェンが最後だったという見方もできるかもしれない。ブラームスですら、ピアノソナタのジャンルでは「今二つ」だったのである。シューマンのピアノソナタだけ責めてもどうにもならないだろう(P.S.「スクリャービンやプロコフィエフのピアノソナタを忘れているのではないか」という、山田琢磨様からのメールを頂きました。ごもっともです。訂正します。貴重なご指摘ありがとうございました)。ベートーヴェンの「熱情」ソナタの後継者は、むしろ非-ソナタのはずの「クライスレリアーナ」の方なのである。
 結局シューマンは、ピアノ作品に限らず、自らを古典ソナタの枠組みに止める必要がないときに限ってはじめて全体の有機的構成力を発揮できた。ただし、例外もある。一応古典ソナタの枠組みに従いながらも奔放に振る舞い、シューマンらしさを微塵も失わなかった偉大な例外、それが4曲の交響曲とピアノ協奏曲、そしてピアノ五重奏曲のように思う。もとよりそれを可能にしたのは、特に前二者においては、古典ソナタ形式の徹底的な換骨奪胎なのであるが、この点については今後、折りに触れて述べたいと思う。

 ・・・思わずシューマン前期の「ピアノ曲集」形式の独自の意味についての分析に長居してしまい、この論考そのものの形式的統一性を損ないかけてしまった(笑)。シューマンの生涯についての概説を先に進めたい。
 ただ、これだけはここでつけ加えてみたい。シューマン自身はピアニストを断念したからこそ、そしてそれにも関わらず自分の曲を最高度に理解し、しかもそれを現実に高水準で演奏してくれる当代一流のピアニスト・クララを恋人にしたからこそ、シューマンはピアノ曲の世界で、あそこまで高く「翔べた」のではなかろうか?
  
 ロベルトは、結婚直後の幸せの中で、1841年は交響曲第1番「春」Op.38、後に第4交響曲Op.120となる作品の初稿、「序曲、スケルツォとフィナーレ」Op.52などの管弦楽作品、翌1842年は、室内楽史上屈指の名作「ピアノ五重奏曲」Op.44を含む室内楽作品の集中的作曲へと、作品の幅を拡げていく。この数年間のシューマンの創作意欲と霊感のほとばしりは、何か桁外れのものを感じさせる。



     ジャーナリストとしてのシューマン

 シューマンはそうした作曲活動と並行して、父親ゆずりのジャーナリストとしての才能も示し、「音楽新報」をただ一人で編集・刊行。音楽批評家としての活動はシューマンの全生涯にわたり継続され、作曲による収入の不安定さを補った。(同時代、「幻想交響曲」で有名な、おとなりフランスのもう一人の交響曲の大家、ベルリオーズもまた、そのような作曲家とジャーナリストの二足の草鞋をはいていた点も興味深い)。
 そうした執筆活動の中で、シューマンは、ショパンやベルリオーズらをドイツにはじめて本格的に紹介したり(特にまだごく初期の作品しか発表していないポーランド人ショパンを発掘した。「諸君、帽子をとりたまえ、天才が現れた」。

 あるいは、これはシューマンの晩年に近いことではあるが、当時無名の若きブラームスの訪問を受け、作品と演奏に接するや、その類希な才能を見抜き、「新しい道」と題する記事を書いた。

「彼のピアノソナタはまるで偽装した交響曲である」

「彼が魔法の杖を振り下ろすことになれば、合唱とオーケストラの大群の威力が力を借り、そこには神々の世界の神秘の最も素晴らしい眺めが、われわれの前に広がるであろう(井上節子訳)」。

 ブラームスがまさにこの予言そのものの存在になっていったのはご存じの通りである。いや、むしろこの予言に「呪縛」されたからこそ、第一交響曲を50歳過ぎるまで書けなくなったと言うべきか。後述するようにブラームスの生涯は、シューマンと、その妻クララとの関わり抜きに語ることはできない。
 また、ヴィーンを訪問した際に、今は亡きシューベルトの兄の元に遺されていたハ長調の大交響曲、すなわち、今日、「未完成」交響曲と並ぶ傑作、「ザ・グレート」として交響曲史に不朽の名を残す作品の自筆譜を発見した。(現在のクラシック音楽ファンのかなりの部分は、この交響曲を、後期ロマン派のブルックナーの大交響曲の先駆として、もはや「未完成」交響曲以上に愛好しはじめている)。
 シューマンは早速「この曲はジャン・パウルの長編小説の如く、天国的に長い」という、この交響曲に今でも必ずついて回る名文句で誌面に紹介する一方で、当時ライプチヒのゲバントハウス管弦楽団の指揮者を勤めていてシューマンと親交を深めていたメンデルスゾーンに初演を依頼した。これもまた、ジャーナリスト・シューマンの音楽史上の功績の一つである。
 シューベルト自身、この曲の執筆当時「これからは歌曲を作るのはやめた。ベートーヴェンのような大交響曲を書くんだ!」と周囲に漏らしていたという。そしてこのシューベルトのハ長調交響曲からシューマンがうけた刺激が、それまで何度か試みつつも挫折していた、シューマン自身の交響曲を書きたいという野望を再燃させ、第1交響曲「春」Op.38を完成させるきっかけともなるのである。そして、そのシューマンがブラームスを世に出した。
  後に完成されたブラームス自身の第1交響曲を聴いて、当時ドイツ第一の名指揮者だったのハンス・フォン・ビューローは、「この曲はベートーヴェンの”第9”の次の”第10”交響曲だ」などと、まるでベートーヴェン以降数十年にわたり大交響曲の作曲家が不在であったかのような言い方をしてしまい、この捉え方は現在のクラシックファンのかなりの部分すら呪縛している気がする。だが、忘れてはならない。交響曲作家としてのベートーヴェンとブラームスをリンクさせたのは、他ならぬシューマンあってのことなのだ。
  しかもそれは単にシューマンのジャーナリストとしての活動が果たした意味だけには止まらない。シューマンそのものが、ベートーヴェンとブラームスの間にそびえ立つ「交響曲の大作曲家」として位置づけられるべきなのである。恐らくこの最後の点については、私がこれからの連載の中で、個々の作品に即しながら繰り返し指摘したいポイントの一つである。



     内なる戦いの果てに

 クララとの結婚後、作曲家シューマンは次々と名作を生み出し、幸せな日々が続くかに見えたが、クララとのロシアへの演奏旅行や、若き日からの宿願たる、ゲーテの「ファウスト」のための音楽の作曲の心身の消耗の中で、徐々に精神障害の兆候が見られるようになる。その精神障害との戦いと克服の軌跡として、一度は中断されかけた第2交響曲Op.61を完成させる。あるいは数年前ピアノと管弦楽のための単一楽章の幻想曲として完成された作品を手直しし、新たに第2、第3楽章を追加作曲して、あのロマン派のピアノ協奏曲の白眉というべきOp.54が生まれるのである。
 1844年、シューマン一家はドレスデンに移住。合唱団を組織し、そのための曲を数多く書いた。更に1850年、デュッセルドルフの歌劇場の指揮者として赴任した。俗に「ライン」と呼ばれる第3交響曲Op.97を完成させ、シューマンの心身は小康を得たかに見えたが、その内向的性格ゆえに指揮者としては徐々に聴衆や楽団員の信望を失い、次第に世間から身を引く生活にはいる。 

  そして1854年、決定的な破局。「天使が与えてくれた」とクララに語ったメロディに基づくピアノ変奏曲を完成させた直後、ライン川に身を投げる。幸い救出されるが、そのままボン郊外、エンデニヒの精神病院に収容。その後の療養生活の中では、医者に面会を禁じられたクララに代わり、ブラームス、ヨアヒムらの繰り返しの再訪も受け、小康を得た時期もあったが、1856年、遂に入院したまま生涯を閉じる。クララがロベルトを見舞うことができたのはロベルトの死の前日だった。
 



     後期シューマンをどのように評価するか

 「ピアノ協奏曲」と、小品「予言の鳥」を含むピアノ曲集「森の情景」Op.82、そして実は「トロイメライ」以上にそのメロディを知らない人がない「楽しい農夫」を含む「子どものためのアルバム」Op.79あたりを例外として、一般に、こうした後半生のシューマンの諸作品は、クララとの恋愛時代の作品ほどには幅広い人気を持ってはいない。
 「ライン」交響曲ですら、その一見朗らかな明るさにも関わらず、第1交響曲「春」などに比べると、ブラームスやチャイコフスキーやドボルザークの有名交響曲に十分耳がなじんだ入門期を脱した程度のクラシックファンにとって、奇妙なとらえにくさを感じさせるかもしれない。
 2曲のバイオリン・ソナタOp.105&121なども、ブラームスの3曲程は愛好されないにしても、以前よりは弾かれる機会が増えたように思われるし、「チェロ協奏曲」Op.129に至っては以前からハイドン・ボッケリーニ・ドヴォルジャークやエルガーの曲と並んで、このジャンルの傑作、チェリスト必須のレパートリーとされてはいるが、たとえばピアノ協奏曲の圧倒的知名度に比べると遥かに地味な存在だろう。
 確かに、前述のピアノ協奏曲や「ライン」交響曲のあたりを一つの折り返し点として、精神障害の進行と共に、かつてはそのくるくる変わる機敏な表情の変化と奔放さが魅力だったシューマンの作風に大きな変化が生じていく。それは大衆性に乏しく、前期の作品に比べると渋くて重々しく、晦渋でモノトーンな世界に沈んで行くところがある。これは明らかに他の作曲家が若い時代を過ぎて徐々に枯れていくのとは異次元の「変質」である。
 奇妙な単調さ。以前であれば、ちょうど現代のロックのリズム感にも通じる心地よい、ほとんど「性的律動」に近い疾走感と感じられた、シューマン独特の、単なる当時の舞曲のリズムの受け売りではない、より抽象化されたリズムの執拗な繰り返しが、後期作品では、まるでしつこい繰り言のように空虚に響きはじめる。飛翔したいのに、飛翔しきれないもどかしさのようなもの。
 しかし、ごく近年になって、晩年の宗教曲バイオリン協奏曲生涯の大作「ファウストの情景」などにすら、再評価が進み、CDも増えつつある。実際そうした晩年の作品の中にも、単なるマニアの好奇心を越えて、私自身個人的に好きな愛着ある作品はいくつかあるので、今後このシリーズの中ですすんで取り上げて行くつもりである。
 
 シューマンの死後、生涯独身で過ごしたブラームスと未亡人クララとの間に30年にわたり続いたプラトニックな関係も有名である(もっとも、シューマンの最晩年に生まれたクララの最後の子供、フェリックスが、実はブラームスとの間の子供ではないかという遺族の証言もある。この証言については今日の研究では疑問視されてはいるが)。

 ブラームスが、ロベルトとクララとの出会い以降、ものの見事にエディプス状況にはまり、「父親」ロベルトの妻、「母親」クララを寝取りたいという願望と罪意識に引き裂かれ、自分は「父親」ロベルトを越える大作曲家になることでその権利を当然のものとして主張したいという衝動に突き動かされていたのは確かだろう。そのために、クララすら洗脳して、「バイオリン協奏曲」をはじめとするシューマン晩年の作品の幾つかを必要以上に無価値として公表しないようにし向けた疑いもある。

 もとよりワーグナーやリストのような例外を除いては、このようなスキャンダラスな恋愛に対する世間の目に耐えることは当時容易ではなかったろう。リストですら人妻との結婚が法王庁に許されない壁にぶつかり、俗世を捨てて僧籍に入った時代である(もとより当時の社交界では「クララとブラームスはもうできている」という噂には事欠かなかったことだろう)。ロベルトは「父親」フリードリヒ・ヴィークから娘クララを奪い取ったという罪意識の中で、今度は「息子」ブラームスにクララを奪われていくという因果応報に耐えきれずに、最晩年の精神障害を更に悪化させたと解釈する人も多いようだ。

 クララはまさに19世紀を代表する名ピアニストとしての生涯を送る。二人は作曲と演奏で密接な協力関係を結んだまま、共に老い、クララが1896年、ブラームスが1897年という、20世紀をあと少しで迎えるという年に、相次いで世を去っている。ブラームスがクララの危篤の報を受け取るもの、乗る汽車を間違えて間に合わなかったエピソードも著名である。

***

(以上の執筆の際には、音楽之友社発行 「作曲家別名曲解説ライブラリー23 シューマン」(1995)の、世界的なシューマン研究者、前田昭雄氏による小伝と巻末の作品目録を、事実確認のために改めて参考にさせていただきました)。

(追記*ラオホフライシュ「ロベルト・シューマン ~引き裂かれた精神~」井上節子訳 音楽之友社 により、以前の本ページにあった若干の伝記的事実の誤りを修正しています 96/06/23。更に97/02